藤原隆(ふじわら たかし、1948年11月8日 - )は日本… 藤原隆(ふじわら たかし、1948年11月8日 - )は日本の大蔵・金融官僚。東北財務局長、金融庁総務企画局長、(株)ジャスダック証券取引所会長などを歴任。血液型はB型。 秋田県秋田市出身(父母も秋田県)。秋田県立秋田高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。1972年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1977年7月 米沢税務署長。その後は和歌山県総務部財政課長、主計局総務課長補佐(歳入・国債係主査)、主計局主計官補佐(労働係主査)、主計局主計官補佐(厚生第三係主査)などを務める。1987年7月 大臣官房企画官兼大臣官房文書課。1990年7月 三重県総務部長。1996年7月12日 証券局総務課長。1998年7月1日 東北財務局長。
上野 泰夫(うえの やすお、1948年10月3日 - )は、… 上野 泰夫(うえの やすお、1948年10月3日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元秋田放送アナウンサー。 小学生時代からアナウンサー志望。秋田県立大曲高等学校、1971年、駒澤大学文学部社会学科卒業。同年4月秋田放送(ABS)アナウンサーとなる。テレビ「ズームイン!!朝!」(当時は県内では未放送の裏送り)、ラジオ「ヤスオとミナコのなまなま歌謡曲」をはじめ、数々のラジオ・テレビ番組を担当。「日本テレビ系列アナウンス賞」受賞。その後、ABS在職時より講演、研修会講師や結婚披露宴、祝賀会、パーティー、舞台などの司会をしている。 かつて「アフター・バス」(湯上がりの男)というニックネームを持っていたことがあり、1980年代には「アフターバスをはげます会」を発足させて活動していたことがあった。
内館 牧子(内舘 牧子、うちだて まきこ、1948年〈昭和2… 内館 牧子(内舘 牧子、うちだて まきこ、1948年〈昭和23年〉9月10日 - 2025年〈令和7年〉12月17日)は、日本の脚本家、作家、作詞家。 東日本大震災復興構想会議委員。東京都教育委員会委員、ノースアジア大学客員教授。元横綱審議委員会委員(2000〜2010年)。学位は造形学士(武蔵野美術大学)、修士 (文学)(東北大学)。 秋田県秋田市土崎港生まれ。父親は岩手県盛岡市、母親は秋田市出身。日本冷蔵(ニチレイ)に勤めていた父の転勤で、4歳から新潟県、小学校3年から高校2年までは東京都大田区雪谷で育った。 新潟では幼稚園に馴染めず、いじめられて退園。それ以来ずっと家で過ごすうちにラジオの大相撲中継を聞くようになった。
山田 久志(やまだ ひさし、1948年〈昭和23年〉7月29… 山田 久志(やまだ ひさし、1948年〈昭和23年〉7月29日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手、右投右打)・監督・コーチ、野球解説者。秋田県能代市出身、兵庫県西宮市在住。 現役時代はNPBの阪急ブレーブス(パシフィック・リーグ)で1969年から1988年までプレーし、12年連続開幕投手を務めるなどエースとして活躍した。通算654試合登板、3865投球回、284勝166敗、防御率3.18、2058奪三振を記録、チームの8回のリーグ優勝に貢献、特に1975年・1976年・1977年には3年連続の日本シリーズ優勝を経験している。通算284勝はNPBのアンダースロー投手としては最多で、球界関係者からは史上最高のサブマリン投手と称されることもある。
小畑 元(おばた はじめ、1948年(昭和23年)7月25日… 小畑 元(おばた はじめ、1948年(昭和23年)7月25日 - )は、日本の政治家、官僚。元大館市長(6期)。叔父は秋田県知事を6期(1955年~1979年)務めた小畑勇二郎。 スピーカー作りが趣味であり自宅に工房を持っている。大館市立中央公民館や大町商店街振興組合に自作の手作りスピーカーを寄贈している。 そして健康に気を使い夜遅い時間帯や土日の休日の朝早い時間帯には、大館市内をウォーキングをしている。 他にストレス解消に皿洗いもする。過去に国政選挙に出馬した際、リーフレットの趣味の欄に皿洗いと書き亡き母に怒られたというエピソードもある。また、市長時代は出勤前に「大館のために」と3回唱えてから出勤していた。
呉 恵美子(くれ えみこ、1948年7月10日 - )は、日… 呉 恵美子(くれ えみこ、1948年7月10日 - )は、日本の女優。秋田県平鹿郡浅舞町出身。 本名は荒川 恵美子(旧姓:呉恵美子)。血液型O型。 2012年まで飲食店「くれたんぼ」を経営していた。 NET→ANB→EX この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
丹内モモコ(丹内百子)(たんない ももこ、1948年〈昭和2… 丹内モモコ(丹内百子)(たんない ももこ、1948年〈昭和23年〉5月30日 - )は、元秋田放送アナウンサー・フリーアナウンサー。 秋田県秋田市出身。女子美術大学短期大学部デザイン科卒業後、秋田放送入社。 アナウンス部次長からラジオ局ラジオ制作部次長(ディレクター・パーソナリティ)を経て、2008年(平成20年)12月に退職。 退職後は、同じく秋田放送アナウンサーだった参議院議員・松浦大悟の秋田事務所秘書として勤務した[要出典]。
大沢 勉(おおさわ つとむ、1948年5月23日 - 202… 大沢 勉(おおさわ つとむ、1948年5月23日 - 2024年7月12日)は、秋田県能代市出身のプロ野球選手(捕手)。 秋田県立能代高等学校で野球部に入り、厳しい練習を耐え抜いて2年生から試合に出るようになった当初は一塁手を務めていた。2年生夏の全国高等学校野球選手権西奥羽大会3回戦(対秋田県立金足農業高等学校)では、同点の9回裏2死満塁の場面で、三塁手の山田久志が自分の前に来たゴロを大沢のいる一塁に悪送球してサヨナラ負けを喫する。大会後に大沢は捕手への転向を指示され、同じく投手への転向を指示された山田とバッテリーを組んだ。新チームに捕手が不在だったことから、肩の強い部員が本塁からの二塁送球を試された結果指名されたという。
三井 マリ子(みつい マリこ、1948年5月21日 - )は… 三井 マリ子(みつい マリこ、1948年5月21日 - )は、日本の政治家。 秋田県横手市出身。秋田県立横手高等学校からお茶の水女子大学文教育学部を卒業(専攻は英米文学)。米国コロンビア大学・大学院修士課程を修了(専攻は比較教育学、女性学)。上智大学法学部に学士入学するが、後に中退。桐朋女子中学校・高校、野津田高校、駒場高校の英語教員を経て、1987年4月の東京都議会議員補欠選挙に日本社会党公認で杉並区選挙区より立候補して初当選を果たし、以後2期務める。その後、1993年1月13日、社会党に離党届を提出した。同年7月2日に都議を辞職した。同月18日第40回衆議院議員総選挙に旧東京4区より無所属で立候補するが定数5に対し、8位で落選した。
藤井 勉(ふじい つとむ、1948年5月8日 - 2017年… 藤井 勉(ふじい つとむ、1948年5月8日 - 2017年9月12日)は、日本の洋画家。自身の娘3人の成長を細密な描写により描いた油彩作品で知られている。 1948年(昭和23年)5月秋田県仙北郡飯詰村天神堂、または仙南村(現美郷町)に藤井吉五郎の次男として生まれる。六郷町立六郷中学校、秋田県立六郷高等学校を経て岩手大学教育学部特設美術科に進み、以後岩手県盛岡市を拠点として創作活動に入った。代表作は「風」「剣」「寂」。 2017年(平成29年)9月12日、心不全のため、盛岡市内の病院で死去、69歳。
伊藤 秀裕(いとう ひでひろ、1948年2月29日 - )は… 伊藤 秀裕(いとう ひでひろ、1948年2月29日 - )は、日本の映画監督、脚本家、プロデューサー、演出家である。映画制作会社 株式会社エクセレントフィルムズ代表取締役。CINEMA JACK映画塾 塾長。 1948年(昭和23年)2月29日、秋田県秋田市に生まれる。秋田県立秋田高等学校、東京教育大学を卒業後、電通東芝企画製作室を経て、1973年、日活入社。助監督として、神代辰巳、西村昭五郎らにつく。1979年、『団地妻 肉欲の陶酔』で監督昇進。1982年、フリーとなる。1984年、株式会社ビッグバンを設立し、プロデューサーとなる。平成3年には株式会社エクセレントフィルムズを設立し、三池崇史、渡辺武らの監督作品を発表している。
栗林 次美(くりばやし つぐみ、男性、昭和23年(1948年… 栗林 次美(くりばやし つぐみ、男性、昭和23年(1948年)2月25日 - )は、日本の政治家。元秋田県大仙市長(3期)。元大曲市長(1期)。 秋田県大曲市出身。秋田県立横手高等学校から上智大学経済学部に進み、1970年(昭和45年)、同大学同学部の経済学科を卒業した。父は衆議院議員だった栗林三郎。 出版社ダイヤモンド・タイム社(現、プレジデント社)に入社して月刊誌『プレジデント』の編集や書籍の企画と宣伝を担当した。1976年以降は父栗林三郎および細谷昭雄衆議院議員の国会秘書を経て、1983年(昭和58年)、秋田県議会議員選挙に初出馬したが落選した。1987年4月の県議選では初当選を果たした。
橋本 祥路(はしもと しょうじ、1948年1月13日 - )… 橋本 祥路(はしもと しょうじ、1948年1月13日 - )は、日本の作曲家。秋田県出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校卒。 平吉毅州や松井孝夫などと並んで中学生の歌う合唱曲によく選ばれる作曲家である。代表作は『夢の世界を』、『遠い日の歌』、『時の旅人』など。また、『怪獣のバラード』『あの素晴しい愛をもう一度』など多くの曲を中学合唱用に編曲している。教科書会社、教育芸術社の専属作曲家であり、また同社役員も兼ねており、作曲家の顔と、教育芸術社の企業人の顔を持つ。姪にエッセイストの結城世羅がいる。 市川都志春に作曲、塚田誠にピアノを学び、1967年から本格的な作曲活動を始めた。当初は出版社で編集の仕事をしながら作曲活動をしていた。
吉村 和就(よしむら かずなり、1948年 - )は、水環境… 吉村 和就(よしむら かずなり、1948年 - )は、水環境問題の専門家である。グローバルウォータ・ジャパン代表。 秋田県立秋田高等学校を経て、1972年に秋田大学教育学部卒業後、ニューヨーク州立大学ビジネスコース修了。大手エンジニアリング会社にて営業、開発、市場調査、経営企画に携わる。その後、国際連合ニューヨーク本部に勤務、環境審議官として発展途上国の水インフラの指導を行う。 また国際標準化機構のISO/TC224技術委員に日本代表として参画し、日本提案をISO標準に登録させた。また、国際連合本部勤務の経験を踏まえ、日本の環境技術を世界に広める努力をしている。最近では、水の安全保障戦略機構・技術普及委員長、経済産業省「水ビジネス国際展開研究会」の委員などを務めている。
丸山不二夫(まるやま ふじお、1948年〈昭和23年〉 - … 丸山不二夫(まるやま ふじお、1948年〈昭和23年〉 - )は、日本の哲学者、IT教育者。大学院時代の専門は数理哲学。稚内北星学園大学初代学長。元早稲田大学客員教授。IT関連のコミュニティーの組織者としても知られている。日本Javaユーザ会、日本Androidの会初代会長。クラウド研究会代表。IT技術者の情報共有コミュニティー「マルレク」、学生向けのディープラーニングの開発・教育のコミュニティー「MaruLabo」を立ち上げ、現在はそれらを統合した一般社団法人MaruLaboを主な活動としている。 秋田県大館市出身。東京大学教育学部卒業。1981年(昭和56年)一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。
照井 四郎(てるい しろう、1948年 -)は、秋田県横手市… 照井 四郎(てるい しろう、1948年 -)は、秋田県横手市出身、和歌山県有田市在住の写真家。写真集団「無限」代表。日本写真家協会会員。二科会写真部会員。2018年2月から 2024年2月まで 二科会写真部理事を務めた。 有田市で写真館を経営する傍ら、テレビ番組のコメンテーターとしても活躍している。現在、NHK和歌山に出演中である。https://www.nhk.or.jp/wakayama/gyuwa/photo/ 現在、秋田、和歌山、九州を中心に写真活動を行なっている。 わかやまNEWSウェーブ(NHK和歌山放送局) コーナー「ウェーブ写真館」で視聴者の撮影した写真を講評。(2007年4月〜現在) NHK和歌山放送局 『ギュギュっと和歌山』写真館 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
佐竹 敬久(さたけ のりひさ、1947年〈昭和22年〉11月… 佐竹 敬久(さたけ のりひさ、1947年〈昭和22年〉11月15日 - )は、日本の政治家。前秋田県知事(公選第17・18・19・20代)。無所属。 秋田市長(第17代)、全国市長会会長(第27代)などを歴任。佐竹北家の末裔で21代目にあたる。秋田県仙北郡角館町(現在の仙北市)出身。曾祖父の佐竹義尚は男爵に列しており、華族の家柄である。 秋田県仙北郡角館町(現:仙北市)に生まれる。1966年(昭和41年)3月、地元の秋田県立角館高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、東北大学工学部精密工学科卒業。1972年(昭和47年)3月、秋田県庁に入庁して県庁職員(地方公務員)として勤務した。商工部門、総務部次長を歴任した。
横山 忠長(よこやま ただなが、1947年(昭和22年)10… 横山 忠長(よこやま ただなが、1947年(昭和22年)10月8日 - )は、日本の政治家。元秋田県にかほ市長(3期)、元象潟町長(1期)。 秋田県象潟町(現・にかほ市)に生まれる。1966年(昭和41年)3月、秋田県立西目農業高等学校(現・秋田県立西目高等学校)農業土木科卒業。同年4月、象潟町役場に採用される。 2004年(平成16年)、象潟町長に就任。 2005年(平成17年)10月1日、象潟町は仁賀保町、金浦町と新設合併を行い廃止。にかほ市が発足。11月に行われた市長選に出馬し初当選した。 2016年(平成28年)6月13日、市町村合併前の旧3町の役場を活用した分庁方式を廃止し、象潟庁舎に一本化する考えを明らかにした。
宮塚 利雄(みやつか としお、1947年7月19日 - )は… 宮塚 利雄(みやつか としお、1947年7月19日 - )は、日本の研究者。宮塚コリア研究所代表。元山梨学院大学経営情報学部教授。専攻は朝鮮近・現代経済史。 秋田県由利本荘市出身。北海道立下川商業高等学校を経て、1970年高崎経済大学経済学部経済学科卒業、1976年韓国・慶熙大学校大学院経済学科碩士課程(日本の修士課程に相当)修了、1980年檀国大学校大学院経済学科博士課程単位取得。1992年山梨学院大学、2015年3月同大学定年退職。在職中の2013年7月20日宮塚コリア研究所(神奈川県川崎市)開所。2015年7月19日付設資料室(山梨県甲府市)開室。 北朝鮮問題をめぐって、さまざまな日用品や生活資料を通じての実情を探る論評を行い、特に中朝国境貿易に詳しい。
五十嵐 忠悦(いがらし ちゅうえつ、1947年(昭和22年)… 五十嵐 忠悦(いがらし ちゅうえつ、1947年(昭和22年)7月18日 - )は、日本の政治家。秋田県横手市長を2期、旧横手市長を3期務めた。 武蔵大学経済学部を卒業後、都内の印刷会社勤務を経て帰郷。家業の印刷業に従事する。 1997年、当時の横手市長・寺田典城が秋田県知事選挙に立候補するため、市長を退職。寺田の退職に伴って実施された横手市長選挙に立候補し、初当選した。2001年にも再選され、2005年には無投票で3選。 2005年10月1日、旧横手市と増田町・平鹿町・雄物川町・大森町・十文字町・山内村・大雄村の8町村が対等合併し、新・横手市が誕生。それに伴い10月23日に実施された市長選挙で旧平鹿町長の柿崎幹夫ら2候補を破り、新市の市長として初当選。
工藤進英(くどう しんえい、1947年(昭和22年)7月6日… 工藤進英(くどう しんえい、1947年(昭和22年)7月6日 - )は、日本の外科医。専門は消化器外科、大腸内視鏡。 1947年(昭和22年)秋田県仙北郡西仙北町(現・大仙市)生まれ。1966年(昭和41年)秋田県立秋田高等学校卒業。1973年(昭和48年)新潟大学医学部卒業。同外科に入局し助手を務める。1985年(昭和60年)秋田赤十字病院外科部長。1992年(平成4年)同病院胃腸センター長。2000年(平成12年)昭和大学教授、昭和大学横浜市北部病院消化器センター長。2001年(平成13年)同病院副院長兼務。 1980年代後半、それまでの「大腸癌はポリープから発生する」という定説を覆し、既に日本で数例発見されていたが特殊な事例であるとされていた陥凹型大腸癌を臨床で次々と見出だし、またその治療法としての内視鏡による粘膜切除術の手技と有用性を報告し、大腸癌の初期病変として陥凹型早期大腸癌が重要であることを日本国内の医学界に周知せしめた。
小倉 智昭(おぐら ともあき、1947年〈昭和22年〉5月2… 小倉 智昭(おぐら ともあき、1947年〈昭和22年〉5月25日 ‐ 2024年〈令和6年〉12月9日)は、日本のフリーアナウンサー、タレント、総合司会者、ラジオパーソナリティ、実業家。東京12チャンネル(現:テレビ東京)元アナウンサー。元オーケープロダクション取締役で、のちにオールラウンドに移籍。株式会社バイオテクニカ代表取締役社長、株式会社PTP社外取締役。 帝国石油の技術者だった父親(日本配管工業元取締役の小倉勇)と、鹿児島市出身の母親のもと、当時の父の赴任先だった秋田県 で第一子長女である姉に次ぐ第二子長男として生まれた。祖父は宮大工。外祖父・玉利伝十は台湾日日新報社の記者で、孫文とも面識があった。
水谷 勇(みずたに いさむ、1947年5月22日 - 201… 水谷 勇(みずたに いさむ、1947年5月22日 - 2010年?)は、秋田県出身の元プロ野球選手。 秋田県立大曲農業高等学校では、1965年夏の全国高校野球大会で甲子園に出場し準決勝まで進んだ秋田高校と1勝1敗の成績を残しており、長身からの速球を武器とする本格派。他にもカーブ、ドロップ、シュートを武器とする。1965年のドラフト会議で阪急ブレーブスに9位指名され入団したが、わずか1年間で自由契約となり、一軍の試合には1試合も出場できなかった。詳細は不明だが既に亡くなっている(2010年に死去したとの説がある)。
小松 郁夫(こまつ いくお、1947年4月15日 - )は、… 小松 郁夫(こまつ いくお、1947年4月15日 - )は、日本の教育学者。流通経済大学教授。文部科学省初等中等教育局視学委員。国立教育政策研究所、名誉所員。専門は学校経営学、比較教育学、教育行政学。 1947年に秋田県横手市で生まれる。東京教育大学大学院博士課程教育学専攻を単位取得退学後、東京電機大学理工学部講師・助教授などを経て、1993年に国立教育研究所教育経営研究部学校経営研究室長となる。その後、同研究所の教育経営研究部長を務める。同研究所が2001年の中央省庁再編に伴い国立教育政策研究所となった後は、高等教育研究部長、教育政策・評価研究部長を歴任し、初等中等教育研究部長を併任した。後に玉川大学教職大学院教授となり、その後、常葉大学教授を経て、2015年4月から流通経済大学教授。
児玉 一(こだま ひとし、1947年(昭和22年)1月22日… 児玉 一(こだま ひとし、1947年(昭和22年)1月22日 - )は、日本の政治家。秋田県鹿角市長(4期)。 秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)出身。秋田県立十和田高等学校卒業後、家業の農業、旧花輪町役場の臨時職員を経て、1970年(昭和45年)4月に同町役場に正式採用される。 1972年(昭和47年)4月1日、花輪町、十和田町、尾去沢町、八幡平村が合併し、鹿角市が発足。鹿角市役所産業部長、総務部長などを務めたあと、2004年(平成16年)5月、鹿角市助役に就任。 2005年(平成17年)、佐藤洋輔鹿角市長が健康上の理由により任期途中で辞任。同年7月3日に行われた市長選挙に立候補し初当選した。 2009年(平成21年)、再選。
2代目浅野 梅若(あさの うめわか、1947年(昭和22年)… 2代目浅野 梅若(あさの うめわか、1947年(昭和22年)1月22日 - 、旧芸名および本名・浅野 和子(あさの かずこ))は、日本の民謡歌手。梅若流梅若会の2代目宗家。 秋田県由利郡下郷村(後に、由利郡東由利村、同郡東由利町を経て、現在は由利本荘市東由利下郷)生まれ。 1962年に初代梅若の内弟子入りし、浅野和子を名乗る。1973年より初代梅若の養女となり、芸名が本名となった。2008年に2代目梅若を襲名し、現在は、梅若流梅若会の現宗家。 昭和38年、初代浅野梅若に入門。昭和42年には、第18回民謡民踊全国大会で優勝。 昭和48年、初代梅若の養女となる。 昭和54年には、「浅野和子 秋田を唄う」をリリース。
島森 路子(しまもり みちこ、1947年1月17日 - 20… 島森 路子(しまもり みちこ、1947年1月17日 - 2013年4月23日)は、日本の広告評論家・エッセイスト・編集者。月刊誌『広告批評』の2代目編集長・発行人を務めた。 秋田県横手市出身。秋田県立横手高等学校を経て、1969年に立教大学社会学部を卒業。講談社に入社し、児童図書(子ども向け百科事典や絵本)などの編集に関わった。 1971年、天野祐吉のマドラ・プロダクションに移る。『キャッチフレーズ3000選』『今日の広告』の編集に携わりながら、広告評論活動も開始した。1979年、天野と共に『広告批評』を創刊。副編集長・メインインタビュアーを経て、1988年に天野から編集長を引き継いだ。 1990年にはフジテレビ「FNN NEWSCOM」のキャスターを務めたほか、TBSテレビ「ブロードキャスター」などでコメンテーターとしても活動した。
塩野 米松(しおの よねまつ、1947年1月1日 - )は、… 塩野 米松(しおの よねまつ、1947年1月1日 - )は、日本の小説家。全国各地を旅して漁師や職人の聞き書きを行い、失われゆく伝統文化・技術の記録に精力的に取り組んでいる。 秋田県角館町(現仙北市)出身。秋田県立角館高等学校を経て、東京理科大学理学部応用化学科卒業。1992年に「昔の地図」で第107回芥川賞候補となる。以後、1993年「オレオレの日」、1994年「空っぽの巣」、1996年「ペーパーノーチラス」と計4回候補に挙がる。 2003年『なつのいけ』で日本絵本賞大賞を受賞。それまでの作家活動を讃え、国際天文連合より小惑星11987にYONEMATSUの名が授与された。2009年公開の映画『クヌート』の構成を担当した。
柳田 英明(やなぎだ ひであき、男性、1947年1月1日 -… 柳田 英明(やなぎだ ひであき、男性、1947年1月1日 - )は、日本のレスリング選手。 1947年1月1日、秋田県南秋田郡八郎潟町出身。秋田商業高校、明治大学を経て大都リッチランドに就職。 フリースタイル57kg級では全日本レスリング選手権大会で1969年から1972年まで4年連続優勝を果たし、1970年アジア競技大会(タイ・バンコク)、レスリング世界選手権では1970年、1971年と2年連続優勝を果たすなど、1964年東京オリンピックフェザー級金メダリストの渡辺長武を彷彿とさせる圧倒的な強さから「アニマル二世」の異名を付けられた。 1972年、ミュンヘンオリンピックフリー57kg級に出場、ミュンヘンでは減量に苦しみ、試合前の3日間をジュースを飲むだけという状況で本番に臨み、7試合を全勝して金メダルを獲得した。
石山 宏一(いしやま こういち、1947年 - )は、日本の… 石山 宏一(いしやま こういち、1947年 - )は、日本のジャーナリスト、辞書編纂者、評論家、英語学者、桐蔭横浜大学客員教授。 秋田県秋田市生まれ。秋田県立秋田高等学校卒業。「グル-基金」(米国大学留学制度)奨学生選抜試験合格、渡米。1969年ミドルベリー大学教養学部政治学科卒業。 1970年タフツ大学フレッチャ-法律外交大学院修士課程修了。 1971年サイマル・インターナショナル会議通訳者、1972年東京大学研究生、1973年AP通信(米国)記者、1980年ザ・タイムズ(ロンドン)記者、1983年ストレーツタイムズ(シンガポール)記者、1988年ビジネスタイムズ(シンガポール)記者 (金融担当)、1992年駒沢女子短期大学英文科助教授、1999年桐蔭横浜大学法学部助教授、2004年同教授、2010年客員教授となり、時事英語、ビジネス英語、ジャーナリズム入門等を教えている。
柿崎 明人(かきざき あきと、1947年 - ) は、日本の… 柿崎 明人(かきざき あきと、1947年 - ) は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。学校法人筑波研究学園理事長、筑波研究学園専門学校校長。 秋田県大仙市生まれ。1966年秋田県立秋田高等学校卒業。1970年東北大学理学部物理学科卒業。1975年東北大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士。 1976年宮城教育大学理科教育研究施設助手。1979年筑波大学物質工学系講師。1985年東京大学物性研究所助教授。1997年高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所教授。2000年日本放射光学会評議員。2001年東京大学物性研究所教授。 2006年島津賞受賞。 東京大学物性研究所軌道放射物性研究施設長を経て、2012年から東京大学名誉教授、筑波研究学園専門学校校長。
平川 英二(ひらかわ えいじ、1947年 - )は、日本のド… 平川 英二(ひらかわ えいじ、1947年 - )は、日本のドキュメンタリージャーナリスト。
熊田 亮介(くまた りょうすけ、1947年 - )は、日本の… 熊田 亮介(くまた りょうすけ、1947年 - )は、日本の歴史学者、秋田大学名誉教授。専門は日本古代史。 秋田県秋田市生まれ。1972年、東北大学大学院文学研究科修士課程修了。新潟大学教育学部助教授を経て、1993年、秋田大学教育学部(現:教育文化学部)教授。2002年に東北大学より博士(文学)の学位授与。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
豊島 継男(とよしま つぐお、1947年 - )は、日本のヴ… 豊島 継男(とよしま つぐお、1947年 - )は、日本のヴァイオリン製作家。 1947年、秋田県、後の大仙市に生まれる。 小学生のとき、ラジオで「ツィゴイネルワイゼン」を聴き、ヴァイオリンに魅せられる。中学1年の時にヴァイオリンを手にし、独学で演奏を学び始め、秋田県立秋田工業高等学校を卒業して秋田大学の職員となるかたわら、市民オーケストラに参加するなどした。 やがて、ヴァイオリンの修理に関心を寄せるようになり、1981年に公務員を退職して上京し、楽器店に勤めた。1983年に渡英し、ヴァイオリンの修理や製作の知識、技術を学んだ後、1986年に帰国して、東京都渋谷区代々木に工房を構えた。 1990年に、再度渡英して、オイルニスの研究に従うとともにヴィオラを製作、1992年にはイタリアのクレモナに移って欧米各地の製作者コンクールに参加した。
皆川 一夫(みながわ かずお、1947年(昭和22年)-)は… 皆川 一夫(みながわ かずお、1947年(昭和22年)-)は、日本の外交官。ウガンダ駐箚特命全権大使。 秋田県湯沢市岩崎出身。東京外国語大学インドシナ語学科(ベトナム語専攻)を卒業後、1971年(昭和46年)外務省に入省。1972年から2年間、在外語学研修生としてサイゴンで語学研修(ベトナム語)を受ける。1974年から在南ベトナム日本国大使館で勤務。最初の妻を亡くした後、1994年に結婚した妻は、語学研修時代に下宿していた家の長女にあたる下宿当時8歳だったベトナム人女性。 1978年から経済協力開発機構日本政府代表部在勤、1980年から外務省アジア局難民問題対策室勤務、1984年から国際連合難民高等弁務官駐日事務所次長、1986年から在ベトナム日本国大使館在勤、1989年から国際連合日本政府代表部在勤、1993年から在ホーチミン日本総領事館首席領事。
佐野 正文(さの まさふみ、1947年 - 2011年3月1… 佐野 正文(さの まさふみ、1947年 - 2011年3月11日)は、日本の元ラグビー選手。旧姓は細川。 秋田工業高校時代に兄弟で活躍し、全国高等学校ラグビーフットボール大会で高校日本一となる。 卒業後、直文と共に新日鉄釜石に入社。新日鉄釜石ラグビー部では副キャプテンを務め、1978年から1980年まで日本選手権でフォワードとして貢献して「北の鉄人」と呼ばれた釜石ラグビーの全国制覇7連覇の基礎を築いた後、引退した。 その後も社員として勤続、釜石ラグビー協会会長などを務めていたが、2011年3月11日の東日本大震災による津波で亡くなった。
上田 準二(うえた じゅんじ、1946年〔昭和21年〕12月… 上田 準二(うえた じゅんじ、1946年〔昭和21年〕12月27日 - )は、日本の実業家。ファミリーマート代表取締役社長や、ユニー・ファミリーマートホールディングス代表取締役社長を経て、同社相談役。 秋田県横手市大森町出身。秋田県立横手高等学校 卒業後すぐには就職せず、地元の郵便局長に声を掛けられ、昼は電報配達、夜は電話交換手をしていた。 1970年山形大学文理学部卒業。同年、伊藤忠商事入社。入社が内定した際、母は「下駄屋」や「反物屋」へ就職するものだと勘違いしたとのエピソードがある。経理部勤務を経て翌年、大阪畜産支部へ異動。その間海外赴任を経験し、1986年に業務本部へ異動。1989年には畜産第一課長となり、その後加工センター長、営業本部長、経営企画本部長となる。
佐藤 典人(さとう のりひと、1946年12月23日 - )… 佐藤 典人(さとう のりひと、1946年12月23日 - )は、日本の地理学者、法政大学名誉教授。専門は、気候学。法政大学通信教育部部長や、法政大学野球部部長なども務めた。 秋田県大仙市生まれ。 1970年に法政大学文学部地理学科を卒業し、1976年に大学院人文科学研究科地理学専攻博士課程在学した。その後、1992年に「東北地方の梅雨期のひと雨降水量分布に関する気候地理学的研究」により、法政大学から文学博士を取得している。 1975年に法政大学文学部研究助手となり、以降、1978年に専任講師、1981年に助教授、1986年に教授と昇任し、1997年から1998年にかけてはニュージーランドのオタゴ大学客員教員であった。
米村 天心(よねむら てんしん、1946年12月16日 - … 米村 天心(よねむら てんしん、1946年12月16日 - 2016年6月20日)は、秋田県鹿角郡花輪町(現在の鹿角市)出身の高島部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。大相撲時代の四股名は高昇 紀彰(たかのぼり としあき)で最高位は幕下75枚目。本名、米村勉(よねむら つとむ)。 高島部屋に入門して米村の四股名で1962年9月場所初土俵、その後四股名を鹿角山(かづのやま)、高昇(たかのぼり)と改め幕下まで昇進したが、伸び悩み1969年1月場所限りで廃業となった。 大相撲廃業後は、金子武雄が経営するボディビル・ジムでトレーナーをしていたが1972年に金子の勧めで国際プロレスに入団。国際プロレス崩壊後は、マイティ井上とともに全日本プロレスに移籍した。
小野 花子(おの はなこ、1946年10月9日 - )は、秋… 小野 花子(おの はなこ、1946年10月9日 - )は、秋田県秋田市出身の女性民謡歌手。本名は星野ハナ子。 秋田県南秋田郡外旭川村神田(現・秋田市)生まれ。成田与治郎に師事し、師のもとで内弟子修行。1968年に23歳で民謡日本一となり注目される。以降、「民謡王国」と形容される秋田県出身の実力派民謡歌手として第一線に立ち活躍し、秋田民謡の歌い手として全国を舞台に活動する。同じ秋田民謡の浅野梅若一門に属していないため、基本的に個人で活動しているが、一門と行動を共にすることも多い。NHKのレギュラー民謡番組にも時折出演している。 また、秋田弁の親しみやすいキャラクターで、秋田県の各放送局制作番組に多数出演。
阿部 勉(あべ つとむ、1946年(昭和21年)8月30日 … 阿部 勉(あべ つとむ、1946年(昭和21年)8月30日 - 1999年(平成11年)10月11日 )は、日本の政治活動家。民族主義者。三島由紀夫が結成した「楯の会」の1期生で第5班(のち10班の憲法研究班)班長。一水会結成参加メンバー。古本店「閑人舎」代表。 1946年(昭和21年)8月30日、秋田県仙北郡雲沢村字雲然(現・仙北市角館町)で父・羹栄と母・俊子の次男として誕生。雲沢村役場に勤めていた父・羹栄は勉がまだ俊子の腹の中にいる時に病死。小学校教諭の母は当初「彊」と名付けようとしたが、役所から当用漢字にもなく誰も読めないから同じ意味の「勉」にしたら、と勧められて「勉」となった。秋田県立角館高等学校を経て、1965年(昭和40年)4月、早稲田大学法学部に入学。
五十嵐 武士(いがらし たけし、1946年(昭和21年)8月… 五十嵐 武士(いがらし たけし、1946年(昭和21年)8月6日 - 2013年(平成25年)5月6日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。専門はアメリカ政治史、日米関係史。秋田県生まれ。斎藤眞に師事した。 略歴は以下のとおり。
齊藤 光喜(さいとう みつよし、1946年(昭和21年)6月… 齊藤 光喜(さいとう みつよし、1946年(昭和21年)6月16日 - )は、日本の政治家。秋田県前湯沢市長(2期)。元湯沢市議会議員(2期)、元稲川町議会議員(3期)。 秋田県稲川町(現・湯沢市)生まれ。秋田県立湯沢高等学校卒業。1969年(昭和44年)3月、中央大学商学部商業貿易学科卒業。同年4月、財団法人東京都ユースホステル協会に就職。 1978年(昭和53年)4月、株式会社稲庭うどん販売を設立。1989年(平成元年)4月、同社の専務取締役に就任。 1996年(平成8年)4月、稲川町議会議員選挙に初当選。 2005年(平成17年)3月22日 - 旧湯沢市・雄勝町・稲川町・皆瀬村が合併し、新市制の湯沢市が誕生。
草薙 良一(くさなぎ りょういち、1946年5月17日 - … 草薙 良一(くさなぎ りょういち、1946年5月17日 - 2023年8月2日)は、日本の俳優、演出家。秋田県仙北市出身。秋田県立角館高等学校卒業。最終所属は現代制作舎。 1970年代から1980年代前半にかけて日活ロマンポルノ映画で活躍。テレビでは刑事ドラマへの悪役としての出演が多数ある。 近年は時代劇や2時間ドラマに出演する一方、舞台公演を軸に活動し、2008年5月よりなぎプロダクション代表として、自身の作・演出による創作演劇のプロデュースに取り組んでいた。2008年11月には同プロダクションの旗揚げ記念公演として、故郷・秋田を舞台とした『新説 おばこ旅館物語 かたくりの花編』を上演した。 俳優の草薙幸二郎は同姓から兄と誤解されがちだったが、両者に縁類関係はない。
佐々木 馨(ささき かおる、1946年4月23日 - )は、… 佐々木 馨(ささき かおる、1946年4月23日 - )は、日本史学者。北海道教育大学名誉教授。元北海道教育大学函館校教授。専攻は日本中世仏教史、日本中世思想史。 秋田県横手市生まれ。1969年秋田大学教育学部卒業。1975年北海道大学大学院文学研究科博士課程日本史学専攻中退。北海道大学文学部助手(日本史学講座)。1977年北海道教育大学専任講師、1979年助教授、1989年教授。1997年北海道教育大学評議員(2000年まで)。1999年「中世仏教と鎌倉幕府」で文学博士(北海道大学)。2000年北海道教育大学付属函館小学校長(2004年まで)。2005年青森県史編集専門委員(中世部会長)。2006年北海道教育大学付属函館図書館長(2010年まで)。
神山 治貴(かみやま はるき、1946年(昭和21年)2月5… 神山 治貴(かみやま はるき、1946年(昭和21年)2月5日 - )は、日本の実業家、経営者、マクニカ創業者、マクニカホールディングス名誉会長、神山財団理事長。 秋田県湯沢市生まれ。1969年(昭和44年)3月に東京電機大学工学部第二部電子工学科を卒業。1964年4月日本レミントン・ユニバック株式会社(現・BIPROGY株式会社)、1967年4月株式会社三ツ波、1972年4月インターニックス株式会社を経て、1972年(昭和47年)にジャパンマクニクス株式会社(現・株式会社マクニカ)を創業。 1972年(昭和47年)10月 ジャパンマクニクス株式会社(現・株式会社マクニカ)を創業。 1975年(昭和50年)02月 株式会社マクニカ 代表取締役社長就任。
白川 好光(しらかわ よしみつ、1946年1月5日 - )は… 白川 好光(しらかわ よしみつ、1946年1月5日 - )は、日本の実業家。若者向けに、人生論・教育論・教育哲学・青少年育成・人生相談などの講演を行っている。 1946年、秋田県北秋田郡大阿仁村(現北秋田市)に生まれる。1960年、阿仁合中学校を卒業すると、大工訓練所に入学[要出典]。身体に脊髄カリエスのハンディーを負いながらも[要出典]、16歳から大工修行に進む。20歳で上京した後、24歳で白川工務店を立ち上げる。1980年、株式会社白川工務店・株式会社白川住宅を設立し、不動産業と住宅建築業を手がける[要出典]。2004年、同社会長職となる[要出典]。 複雑な家庭環境の中、波乱万丈をくぐり抜けてきた体験が、NHKラジオ深夜便「こころの時代」で紹介されたほか、自叙伝や童話、新聞のコラムなどを発表している。
三浦 健二(みうら けんじ、1946年 - )は、秋田県出身… 三浦 健二(みうら けんじ、1946年 - )は、秋田県出身の元アマチュア野球選手(投手)。 秋田工業高等学校では、エースとして1963年秋季東北大会に進む。1回戦で弘前高と延長12回0-0で日没引き分け、再試合では延長15回1-0でサヨナラ勝ちし話題となる。決勝で秋田商に完封勝ち、翌1964年春の選抜への出場を決めた。しかし大会では、1回戦で海南高の尾崎正司に抑えられ敗退、海南高はこの大会に優勝する。同年夏の選手権にも出場。1回戦で高知高の光内数喜(芝工大-鐘淵化学)と投げ合うが敗退、高知高もこの大会に優勝している。この試合では高知高の四番打者であった有藤通世の顔面に死球を直撃、以後の試合を欠場させることとなった。
高橋 実(たかはし みのる、1946年 - )は、日本史学・… 高橋 実(たかはし みのる、1946年 - )は、日本史学・史料学者、国文学研究資料館・総合研究大学院大学名誉教授。 秋田県横手市生まれ。1969年茨城大学教育学部卒業。茨城県立歴史館研究員、79年作新学院大学経営学部教授。2001年「幕末維新期農村社会史の研究」で中央大学博士(史学)。2003年国文学研究資料館史料館教授、04年同アーカイブズ研究系教授、研究主幹。2010年日本アーカイブズ学会会長。
小島 剛一(こじま ごういち、1946年〈昭和21年〉 - … 小島 剛一(こじま ごういち、1946年〈昭和21年〉 - )は、日本出身の言語学者である。フランス・アルザス地方のストラスブールに在住する。インターネット上では「F爺」とも名乗る。意味は「F国(フランス)に住む日本人の爺さん」。 1970年代から1980年代にかけてトルコ共和国での言語調査を行い、同国が多民族国家・多言語国家であると発表した。その影響でトルコ政府による言論統制を緩和させ、同国の少数民族や少数言語話者の人権状況を改善させたことなどで知られる。 1946年に秋田県本荘町(現在の由利本荘市)で生まれ、小学校入学から高校卒業までは秋田市で育った。大学生時代には東京都に三年半ほど住んだ。