佐藤 敬(さとう たかし、1972年(昭和47年)9月23日… 佐藤 敬(さとう たかし、1972年(昭和47年)9月23日 - )は、日本の実業家・銀行家。荘内銀行代表取締役頭取兼北都銀行代表取締役頭取。フィデアホールディングス取締役。 秋田県大仙市出身。1995年(平成7年)、新潟大学経済学部卒業後、北都銀行に入行。 土崎支店長兼土崎南支店長、常務執行役員等を経て、2024年(令和6年)6月から取締役専務執行役員を務める。 2027年(令和9年)1月1日に「フィデア銀行」を発足させることに伴い、フィデアHDは新銀行準備のため、2025年(令和7年)4月1日付で傘下2行を「実質1行」の経営体制にすることになり、同日付で荘内、北都両行の頭取を兼務する形で昇格し、合併時の初代頭取に就任する。
芦田 晃輔(あしだ こうすけ、1971年(昭和46年)10月… 芦田 晃輔(あしだ こうすけ、1971年(昭和46年)10月12日 - )は、日本の銀行家。秋田銀行代表取締役頭取。 秋田県秋田市出身。秋田県立秋田南高等学校(26期)を経て、1994年、新潟大学経済学部卒業後、秋田銀行に入行。 能代南支店長、執行役員人事部長、取締役執行役員人事部長、取締役専務執行役員などを歴任。 2024年6月、同行で歴代最年少となる52歳で頭取に就任した。就任内定の会見で芦田は、「地域の金融機関として信頼信用を守りながら、秋田銀行をつくり変えるぐらいの気持ちで経営に取り組む」と述べた。
伊藤 新(いとう あらた、1961年(昭和36年)7月22日… 伊藤 新(いとう あらた、1961年(昭和36年)7月22日-)は、日本の実業家、銀行家。北都銀行取締役。 秋田県出身。秋田県立秋田高等学校、早稲田大学商学部を卒業後、日本債券信用銀行(現在のあおぞら銀行)に入行。 1991年に羽後銀行(現在の北都銀行)に入行する。北都銀行八橋支店長や秋田西支店長、経営企画部長、執行役員横手支店長、ミナミ保険代表取締役社長などを歴任。 2016年に常務取締役、2017年にはフィデアホールディングス常務執行役を兼ねる。 2018年にはフィデアホールディングス専務執行役および北都銀行取締役専務執行役員となる。 2019年4月1日付けで斉藤永吉の後任として北都銀行代表取締役頭取に就任した。
湊屋 隆夫(みなとや たかお、1951年(昭和26年)9月2… 湊屋 隆夫(みなとや たかお、1951年(昭和26年)9月25日 - )は、日本の銀行家。秋田銀行相談役。秋田県出身。
藤原 清悦(ふじわら せいえつ、1943年(昭和18年)5月… 藤原 清悦(ふじわら せいえつ、1943年(昭和18年)5月15日 - 2024年(令和6年)12月11日)は、日本の銀行家。秋田銀行頭取を務めた。 秋田県秋田市出身。慶應義塾大学文学部卒業後、秋田銀行入行。 企画部門を長く担当し、6年あまり頭取を務めた新開卓が、非常勤相談役・秋田経済研究所理事長に勇退したことに伴い、後任として昇格。 2013年(平成25年)には、頭取職を湊屋隆夫に引き継ぎ、相談役に退いた。 2024年12月11日午後9時、心不全のため東京都内の病院で死去。81歳没。
新開 卓(しんかい たかし、1941年(昭和16年)9月22… 新開 卓(しんかい たかし、1941年(昭和16年)9月22日 - )は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取。秋田県卓球協会名誉会長。 秋田県秋田市出身。早稲田大学教育学部卒業後、秋田銀行入行。職員組合委員長、横手、仙台などの支店長を務め、取締役昇格後は長らく企画担当を務めた。 2001年(平成13年)、2期4年頭取を務めた諏訪純人の退任に伴い頭取に昇格した。トップ在任時は2001年の赤字決算を受け翌年度から経費を16億円削減したほか、秋田市内店舗の統廃合など経営体質のスリム化に努めた。また、法人融資の底上げに取り組むため法人営業チーム、仙台法人営業本部の部署を立ち上げたほか、2007年(平成19年)3月末には1年ぶりに総預金期末残高を2兆円に回復させる施策も講じた。
加賀谷 武夫(かがや たけお、1939年(昭和14年)12月… 加賀谷 武夫(かがや たけお、1939年(昭和14年)12月28日 - )は、日本の銀行家。北都銀行頭取を務めた。 秋田県秋田市土崎港出身。実家は秋田港近くの鮮魚問屋。3、4年、銀行で経験を積んだら家業を継ぐつもりでいた。 秋田県立秋田高等学校、早稲田大学政治経済学部を卒業後、当時横手市に本店のあった羽後銀行に入行、総合企画部長などを歴任する。 北都銀行に移行後は同期入行であった齋藤隆夫頭取を常務、専務として支え、2003年、齋藤の後任として頭取に就いた。 頭取在任時は、ビジネス商談会を軌道に乗せ、エリアサポートチームを新設したほか、みちのく銀行、荘内銀行、東北銀行と債権流動化で提携をむすんだ。
町田 睿(まちだ さとる、1938年(昭和13年)2月17日… 町田 睿(まちだ さとる、1938年(昭和13年)2月17日 - 2018年(平成30年)1月30日 )は、日本の銀行家。北都銀行取締役会長。ノースアジア大学客員教授。2014年(平成26年)旭日小綬章受章。 富士銀行常務を経て荘内銀行頭取に就任。同行の経営改革を進めたほか、荘銀と北都銀行との経営統合による金融持株会社であるフィデアホールディングス設立を主導した。 両親とも教職に従事する家庭の4人兄弟の長男として、秋田県仙北郡千屋村(千畑町を経て、美郷町)に生まれ、後に秋田市に移住する。 秋田県立秋田高等学校に進学し、同校では生徒会長を務め、卒業後は東京大学法学部に進む。在学中のクラスメートには、堤富男元通産省事務次官、永島旭元中国銀行頭取らがいた。
諏訪 純人(すわ まこと、1934年(昭和9年)4月2日 -… 諏訪 純人(すわ まこと、1934年(昭和9年)4月2日 - 2011年(平成23年)3月2日)は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取。 秋田県鹿角市出身。慶大卒後、秋田銀行入行。 営業、企画、人事と幅広く経験。東北の金融界においても顔が広く行動派と目されていた。 1997年(平成9年)、頭取就任。2期4年の在任中は、1999年(平成11年)の創業120周年、新店頭体制への移行や共同バックアップセンターの設置また、融資パソコンシステムの導入やエリア営業体制の試行のほか、本部にIT戦略室を設置。次世代への布石を打った。 2001年(平成13年)、相談役に退き秋田経済研究所理事長に就任した。 2011年(平成23年)3月2日、肺がんのため死去。
堀川 孝夫(ほりかわ たかお、1931年(昭和6年)3月24… 堀川 孝夫(ほりかわ たかお、1931年(昭和6年)3月24日 - 1999年(平成11年)11月22日)は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取・会長。 秋田県秋田市出身。1953年(昭和28年)、東北大学卒業後、秋田銀入行。 職員組合委員長のほか、本部において企画や人事を長く担当。また秋銀初の外部団体への出向として、「八郎潟新農村建設事業団」へ派遣され、大潟村の大規模モデル農村づくりにも携わった。加えて支店長として初めて赴任した能代支店では、第一次オイルショックの影響を食い止めるべく奔走もした。 1991年(平成3年)、頭取に昇格。トップ在任時は不良債権処理に取り組み、1995年(平成7年)度にはいわゆる住専向け融資、翌年度には「秋田県木造住宅」向けの融資の大半を償却させ、不良債権処理に目処をつけた。
井上 了介(いのうえ りょうすけ、1920年〈大正9年〉4月… 井上 了介(いのうえ りょうすけ、1920年〈大正9年〉4月10日 - 2000年〈平成12年〉12月7日)は、日本の銀行家。秋田銀行頭取、会長を歴任した。 秋田県秋田市出身。三菱銀行勤務を経て、秋田銀行入行。審査部長、仙台支店長等を歴任する。 1971年(昭和46年)に竣工となった現本店の建設地選考の際には、当時の役員ほぼ全員が旧本店跡地への建設へと傾いた中、企画部長であった井上が県庁、市役所などが集積し官庁街として新しい街並みが形成されつつあった「山王地区」の将来性に着目。3ヶ月で行内を説得し、同地区への新築へと構想を具体化したは長く行内でエピソードとして語り継がれた。 頭取在任時は、第二次オンラインシステムの稼動、預金残高1兆円の達成、CSモニター制の導入など営業体制の整備にあたった。
片野 饗一(かたの きょういち、1915年(大正4年)11月… 片野 饗一(かたの きょういち、1915年(大正4年)11月16日 - 2002年(平成14年)2月24日)は、日本の銀行家。北都銀行取締役相談役、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。 秋田県湯沢市出身。東京商科大学(現一橋大学)卒業後、三菱商事入社。 1949年(昭和24年)には、父である片野重脩が設立を主導した秋田無尽に入社。その後、秋田相互銀行社長に就任した。 社長在任時は、1976年(昭和51年)の事務センターの開館、翌年にはオンラインシステムの稼動開始など事務のOA化を促進し体制の整備にあたった。また、1982年(昭和57年)には現在の北都ビルディングにあたる「新本店ビル」の竣功にこぎ着けた。
奈良磐松(なら いわまつ、1879年(明治12年)8月15日… 奈良磐松(なら いわまつ、1879年(明治12年)8月15日 - 1961年(昭和36年)3月13日)は、日本の銀行家。政治家。元秋田銀行頭取。元金足村(かなあしむら)村長。秋田縣多額納税者 。秋田縣士族。 秋田県南秋田郡金足村(現・秋田市)の「豪農」奈良家の次男として生まれ、兄が死去したため家督を継いだ。父は奈良茂。 奈良家は磐松の孫である奈良岩雄の代をもって直系が断絶し、その血統は現在、小野寺家および升屋家の二家にのみ継承されている。 旧制秋田中学(現・秋田県立秋田高等学校)中退、東京専門学校(現・早稲田大学)政治学科を卒業後、帰郷。金足村村議を経て、同村長を務めたほか秋田県町村会会長、秋田高等家政女学校(現国学館高等学校)理事長も歴任した。
河田 与惣左衛門(かわだ よそざえもん、1875年(明治8年… 河田 与惣左衛門(かわだ よそざえもん、1875年(明治8年)2月27日 - 1945年(昭和20年)3月1日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 秋田県北秋田郡鷹巣村(現・北秋田市鷹巣)の豪農。河田与惣兵衛の二男として生まれ、1888年(明治21年)3月に家督を相続する。 1902年(明治35年)秋田銀行取締役となり、のち秋田県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、1906年(明治39年)12月24日から1911年(明治44年)9月28日まで在任した。 その後、秋田郡地主会長、同郡中央会長、赤十字有功社員などを歴任した。 妻 きさ (1881年生まれ、佐藤新三郎三女) 義弟 高安 正一 (1903年生まれ、扇田鉄鉱取締役高安虎治長男)
土田 万助(萬助、つちだ まんすけ、1869年2月16日(明… 土田 万助(萬助、つちだ まんすけ、1869年2月16日(明治2年1月6日)- 1942年(昭和17年)6月15日)は、明治から昭和時代の大地主、篤農家、林業家、政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 出羽国平鹿郡、のちの秋田県平鹿郡館合村(大雄村を経て現横手市)で土田吉治の長男として生まれ、土田彦七の養子となる。秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)を経て秋田師範学校に進学したが中退して帰郷した。1905年(明治38年)養父の隠居により家督を相続した。 1900年(明治33年)館合村農会を設立し、科学農法を導入し米の品質改良に尽力。1905年(明治38年)に計画された区画整理事業を推進し、1917年(大正6年)までに450ヘクタールが完成した。
池田 亀治(いけだ かめじ、1867年7月16日(慶應3年6… 池田 亀治(いけだ かめじ、1867年7月16日(慶應3年6月15日)- 1934年(昭和9年)3月8日)は、明治から昭和初期の農業指導者、政治家、銀行家。衆議院議員。号・万年、俳号歌号・伸穂。 出羽国仙北郡、のちの秋田県仙北郡新刈和野村(刈和野村、刈和野町、西仙北町を経て現大仙市)で、豪農・池田勘左衛門の長男として生まれる。根本通明に師事し勉学に励んだ。 刈和野町会議員となる。1898年(明治31年)秋田県会議員に選出され、同参事会員、仙北郡会議員、所得調査委員にも在任した。1917年(大正6年)4月、第13回衆議院議員総選挙(秋田県郡部、立憲政友会)で初当選し、その後、第16回総選挙まで再選され、衆議院議員に通算4期在任した。
最上 広胖(もがみ こうはん/ひろみ、1847年11月16日… 最上 広胖(もがみ こうはん/ひろみ、1847年11月16日(弘化4年10月9日) - 1930年(昭和5年)3月17日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 出羽国平鹿郡角間川村(角間川町、大曲市を経て現大仙市)(現秋田県)で地主・角間川六人衆の最上久右衛門の長男として生まれる。福島県中村の二宮漢学塾で学んだ。1880年(明治13年)腐れ米追放のための資金融資を目的とした秋田改良社を設立し、支配人となる。1894年(明治27年)平鹿銀行と改称し、同頭取に就任した。 1897年(明治30年)秋田県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1904年(明治37年)9月28日まで在任した。