太田 彪雅(おおた ひょうが、1997年12月9日 - )は… 太田 彪雅(おおた ひょうが、1997年12月9日 - )は、日本の柔道家。栃木県栃木市出身。階級は100kg超級。身長180cm。体重120kg。段位は四段。組み手は右組み。血液型はA型。得意技は内股。現在は旭化成に所属。トレードマークは天然パーマである。 柔道は7歳の時に岩舟柔道会で始めた。小学校6年生の時には全国少年柔道大会で優勝すると、全国小学生学年別柔道大会50kg超級でも優勝を飾った。 足利第一中学3年の時には全国中学校柔道大会90kg超級で優勝を成し遂げた。 白鷗大足利高校に進むと、1年の時には全日本カデで優勝した。世界カデでも準決勝までは全て一本勝ち、決勝もボスニアヘルツェゴビナの選手を指導1で破って優勝を果たした。
常見 海琴(つねみ みこと、1997年11月17日 - )は… 常見 海琴(つねみ みこと、1997年11月17日 - )は、栃木県足利市出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は48kg級と52㎏級。身長163cm。血液型はB型。段位は初段。組み手は左右両組み。得意技は大外刈、大腰。現在はコマツ女子柔道部に所属。 柔道は6歳の時に修練塾岡ノ谷道場で始めた。小学校6年の時には全国小学生学年別柔道大会45kg級に出場するが予選リーグで敗れた。埼玉県の東松山南中学へ進むと、3年の時には全国中学校柔道大会の48kg級に出場するが、3回戦で大成中学2年の武田亮子に技ありで敗れた。なお、63kg級で活躍している嶺井美穂とは中学時代に同期だった。 埼玉栄高校へ進むと、1年の時には全日本カデで優勝を飾った。
髙藤 直寿(たかとう なおひさ、1993年〈平成5年〉5月3… 髙藤 直寿(たかとう なおひさ、1993年〈平成5年〉5月30日 - )は、日本の柔道家。栃木県下野市出身。組み手は左組み。得意技は小内刈、巴投げ、肩車。2021年開催の東京オリンピック柔道男子60kg級金メダリスト。 埼玉県蓮田市に生まれ、4歳から栃木県下野市で育つ。7歳の時に柔道を始めた。小学校3年からは66kg級世界チャンピオンの海老沼匡も在籍していた野木町柔道クラブの所属となった。小学校5年の時にはその年に新設された全国小学生学年別柔道大会40kg級の初代チャンピオンとなった。翌年はこの大会の45kg級で優勝して2連覇を達成した。東海大相模中学3年の時には全国中学校柔道大会で優勝した。東海大相模高校1年の時には16歳以下の世界一を決める大会である世界カデに出場して優勝した。
髙藤 直寿(たかとう なおひさ、1993年5月30日 - )… 髙藤 直寿(たかとう なおひさ、1993年5月30日 - )は、栃木県下野市出身の、日本の柔道選手である。階級は60kg級。身長160cm。血液型はAB型。組み手は左組み。段位は四段。得意技は小内刈、巴投げ、肩車。現在はパーク24に所属している。
蓬田 智佳(よもぎた ともか、1992年7月14日 - )は… 蓬田 智佳(よもぎた ともか、1992年7月14日 - )は、栃木県出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は48kg級。身長147cm。血液型はA型。段位は参段。組み手は左組み。得意技は背負投。現在はJR東日本に所属。 家族全員がインターハイに出場経験のある柔道一家だった。そのため、柔道は10歳の時に昭徳館で始めた。小学校6年生の時には全国小学生学年別柔道大会軽量級に出場するが、予選リーグで敗れた。白鷗大足利中学3年の時に全国中学校柔道大会44kg級で優勝を飾った。さらには、アジアジュニアの45kg級でも優勝を果たした。白鷗大足利高校2年の時にはインターハイ48kg級で5位となった。また、世界ジュニアには新設された44kg級に出場すると、優勝を飾った。
海老沼 匡(えびぬま まさし、1990年2月15日 - )は… 海老沼 匡(えびぬま まさし、1990年2月15日 - )は、日本の柔道家。栃木県小山市出身。組み手は左組み。得意技は背負投。ロンドンオリンピックおよびリオデジャネイロオリンピック柔道男子66kg級銅メダリスト。 座右の銘は「努力は必ず報われる」。 柔道は5歳の時に兄二人の影響で、後に60kg級世界チャンピオンの髙藤直寿も所属することになる野木町柔道クラブで始めた。講道学舎出身。長兄に個人インカレを制覇した海老沼聖、次兄に海老沼毅がいる。 中学からは上京して講道学舎に所属することになった。弦巻中学3年の全国中学校柔道大会66kg級で優勝した。世田谷学園高校2年の時にはアジアジュニアで優勝した。なお、この大会で知り合ったことがきっかけで東北高校3年の阿部香菜と交際するようになった。
長島 啓太(ながしま けいた、1988年10月23日 - )… 長島 啓太(ながしま けいた、1988年10月23日 - )は、栃木県出身の、日本の柔道選手である。階級は81kg級。身長176cm。血液型はA型。組み手は左組み。段位は五段。得意技は大内刈。父親はロサンゼルスオリンピックのレスリングフリースタイル82kg級で銀メダルを獲得した長島偉之(日体大レスリング部出身~現栃木県高校教員)。 柔道は5歳の時に始めた。父親がレスリングのオリンピックメダリストだったため何度かレスリングをやるように勧められたものの、叔父が柔道家だったこともあり柔道の方を選んだという。 白鷗大学足利高校3年の時に全日本ジュニア73kg級で3位となった。東海大学に進学すると階級を81kg級に上げて、1年の時に全日本ジュニアで優勝を果たした。
熊代 佑輔(くましろ ゆうすけ、1988年6月3日 - )は… 熊代 佑輔(くましろ ゆうすけ、1988年6月3日 - )は、栃木県出身の、日本の柔道家である。階級は100kg超級。身長184cm。血液型はAB型。段位は六段。組み手は左組み。得意技は大外刈。現在は国際武道大学の教員として勤めている。 幼稚園から中学までは地元のクラブチームでサッカーに取り組んでいた。市貝中学では柔道部に入部したものの、籍を置いていた程度だったという。しかし、中学3年の夏にサッカーを引退すると、体重が40kg近く増えて120kgにも達したことから、体型的により相応しい柔道の方を本格的に取り組むようになった。茂木高校に進学すると、3年の時にはインターハイ100kg級で5位となった。
増渕 樹(ますぶち たつき、1982年10月5日 - )は栃… 増渕 樹(ますぶち たつき、1982年10月5日 - )は栃木県出身の日本の柔道家。90kg級と100kg級の選手。身長185cm。得意技は内股。 柔道は10歳の時に西那須野少年柔道教室で始めた。三島中学から白鷗大足利高校に進むと、2年と3年の時にはインターハイ90kg級に出場するも、ともに初戦で敗れた。2001年に東海大学へ進むと、1年の時には全日本ジュニアで優勝を飾った。2年の時には体重別団体で優勝した。3年の時には学生体重別で2位となった。4年の時には学生体重別で優勝すると、優勝大会でもチームの優勝に貢献した。さらには、体重別団体でも優勝を果たした。2005年には旭化成の所属となると、選抜体重別で3位に入った。
黒川 琴美(くろかわ ことみ、1967年11月27日 - )… 黒川 琴美(くろかわ ことみ、1967年11月27日 - )は栃木県出身の日本の女子柔道家。現役時代は72kg級の選手。 中学生の時に強化選手選考会の66kg超級で決勝まで進むが、茂原農業高校の鈴木洋子に敗れて2位だった。1983年に宇都宮工業高校へ進むと、環太平洋柔道選手権大会72kg級では3位となった。1984年には体重別選手権の72kg級決勝で沼津高校2年の佐々木光を破って優勝を飾り、世界選手権の代表に選出された。ウィーンで行われた世界選手権では2回戦でアメリカのベリンダ・ビンクリーに敗れた。1985年3月に東京の講道館で開催されたアジア選手権では優勝を飾った。5月に行われた強化選手選考会では3位だったが、10月の強化選手選考会では決勝で日本大学1年の田辺陽子を破って優勝を飾った。
チアキ・イシイ(Chiaki Ishii、石井 千秋、194… チアキ・イシイ(Chiaki Ishii、石井 千秋、1941年10月1日- )は、栃木県足利市出身の柔道家。男性。1969年にブラジルに帰化した。得意技は大内刈。彼の2人の娘、タニア・イシイ(ポーランド語版)、バニア・イシイも柔道家である。 生家は天神真楊流柔術の流れを汲む柔道の足利造士館石井道場。五男の末っ子として生まれる。 祖父は慶応2年生まれの天神真楊流柔術の石井清吉柳喜斎源正義こと石井清吉。清吉は大正に入って嘉納治五郎から請われ道場の看板を柔道に変える。それ以来、父親の石井勇吉(1970年現在、柔道七段)は清吉に講道館の寒稽古・暑中稽古に送られみっちり鍛えられる。チアキはこのころ講道館六段が清吉に贈られたと述べている。
椎名 清(しいな きよし、1937年 - )は、日本の柔道家… 椎名 清(しいな きよし、1937年 - )は、日本の柔道家。栃木県栃木市出身。主にアメリカ合衆国での指導者としての活動が知られる。 1937年栃木県に生まれ、日本大学を卒業後渡米。1968年の時点で、5段の段位を有していたとされる。 米塚義定と共に指導者として活動し、セント・ジョンズ大学で25年間指導した。アメリカ合衆国オリンピック代表のジョセフ・ワナグと、テイモック・ジョンストン=オノ(英語版)、トリニダード・トバゴに柔道を普及させたマーク・リトリアンらを指導している。 2023年にアメリカ柔道連盟(英語版)殿堂に選出された。アメリカ柔道連盟の高段者リストでは9段に位置している。 この項目は、柔道に関連した書きかけの項目です。
渡辺 利一郎(わたなべ りいちろう、1916年10月 - 1… 渡辺 利一郎(わたなべ りいちろう、1916年10月 - 1984年12月2日)は、日本の柔道家(講道館8段)。 現在の栃木県足利市に生まれ、小学4年生頃より本格的に柔道を始める。天才柔道少年と呼ばれ新聞にも掲載され話題になった。 1932年初段取得。現在よりも初段取得が難しく、2段を持っていれば警察署等で充分に柔道教師が務まった当時、渡辺は翌33年1月に2段となって飯塚国三郎(のち10段)の門下となり、同年8月には3段に昇段。翌1934年には4段に進んで1936年1月に弱冠19歳で5段と、異例の早さで昇段を重ねた。この間、飯塚の助手として東京農業大学や東京工業大学、慶應義塾大学、立正大学のほか水産講習所で指導の傍ら自身も修行に励み、講道館の高等柔道教員養成所を卒業した。
古沢 勘兵衛 (ふるさわ かんべえ、1902年(明治35年)… 古沢 勘兵衛 (ふるさわ かんべえ、1902年(明治35年)1月10日 - 1973年(昭和48年)5月2日)は、日本の柔道家(講道館9段、大日本武徳会教士)。元朝鮮総督府柔道教官。 持ち前の怪力を武器に全日本選士権大会で優勝2度、準優勝1度の成績を残したほか昭和天覧試合にも2度出場した実績を有す、戦前を代表する柔道家の1人である。 1902年(明治35年)1月10日に栃木県芳賀郡益子町本沼に生まれる。中学は地元の栃木県立旧制真岡中学校(現・栃木県立真岡高等学校)に進学し、1920年(大正9年)に講道館へ入門すると翌21年(大正10年)には当時中学生としては珍しかった初段に列せられた。卒業後は柔道の専門家を志して大日本武徳会武道専門学校 (旧制)に進学。
飯塚 国三郎(いいづか くにさぶろう、旧字体: 飯塚 國三郞… 飯塚 国三郎(いいづか くにさぶろう、旧字体: 飯塚 國三郞、1875年(明治8年)2月13日 - 1958年(昭和33年)7月25日)は、日本の柔道家。段位は講道館柔道十段、大日本武徳会柔道範士。慶應義塾體育會柔道部師範、国際柔道協会会長などを歴任した。 栃木県出身。飯塚茂七郎の二男。 早くより武道を稽古していたが若き日に上京の後、慶應義塾大学、二松學舍で学ぶ傍ら、1891年11月に講道館に入門して柔道を修業する。講道館や慶應義塾において、横山作次郎や山下義韶、嘉納治五郎と共に斯道の発達普及に従事。東京高等師範学校、旧制第二高等学校、第七高等学校造士館の柔道教師を歴任。大日本武徳会において形制定に従事する。