本多 優(ほんだ ゆう、2001年9月15日 - )は、群馬… 本多 優(ほんだ ゆう、2001年9月15日 - )は、群馬県嬬恋村出身の女子競輪選手。日本競輪選手会福岡支部所属(当初は群馬支部所属)、日本競輪選手養成所第120期生。師匠は菅藤智(95期)。 小学5年生からスピードスケートを始めた。嬬恋高校2年時に進路で悩んでいたとき先生からガールズケイリンを勧められ競輪選手を志した。 2020年1月16日、日本競輪選手養成所第120回適性試験に合格。養成所競走成績は7位(6勝)。 2021年5月1日、静岡競輪場でデビューし4着となった。同年9月11日、取手FII最終日第4レースで初勝利。 2025年3月10日、福岡支部の上野恭哉と結婚することを発表。また、同日付けでデビューより在籍していた群馬支部から福岡支部へ移籍した。
篠田 幸希(しのだ こうき、1999年3月11日 - )は、… 篠田 幸希(しのだ こうき、1999年3月11日 - )は、群馬県出身の競輪選手。日本競輪選手会群馬支部所属。ホームバンクは前橋競輪場。日本競輪選手養成所(以下、養成所)123期生。師匠は北村貴幸(71期)。 小学校では陸上、中学時代は剣道・駅伝に打ち込む。中学2年生の時に赤城山ヒルクライムの大会に出るために練習を始めたのがきっかけで、自転車競技を始める。 群馬県立前橋工業高等学校時代は短距離と長距離がメインだったが、日本体育大学4年生の時に短距離に絞り競輪選手を目指すようになった。 2021年1月14日、養成所第121回選手候補生入所試験に技能試験で合格したが、養成所はその1期後となる123期生として卒業。
南 彩乃(みなみ あやの、1998年1月1日 - )は、群馬… 南 彩乃(みなみ あやの、1998年1月1日 - )は、群馬県出身の女子競輪選手。旧姓、小林(こばやし)。日本競輪選手会群馬支部所属(一時期は和歌山支部所属)、ホームバンクは前橋競輪場(和歌山支部時代は和歌山競輪場)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第112期生。師匠は櫻井学(84期)。 中学校時代は新体操をしていたが、父親が趣味で乗っていたロードバイクに憧れ、ロードバイクを買ってもらったことを機に本格的に自転車競技を始めた。 前橋工業高校に入学し自転車部に入部、2015年JOCジュニアオリンピックカップ自転車競技大会女子ジュニア 2km個人パーシュート2位などの実績を残した。 2016年1月14日、競輪学校第112回技能試験に合格。
半田 水晶(はんだ みずき、1997年10月14日 - )は… 半田 水晶(はんだ みずき、1997年10月14日 - )は、女子競輪選手。日本競輪選手会茨城支部所属、ホームバンクは取手競輪場。師匠は芦澤大輔(90期)。日本競輪選手養成所(以下、養成所)第128期生。 群馬県太田市出身。太田市立宝泉東小学校、太田市立城西中学校、群馬県立太田女子高等学校、筑波大学体育専門学群卒業。筑波大学大学院人間総合学科学術院人間総合学科研究群博士前期課程体育学学位プログラム修了。 自転車競技(オムニアム)で世界チャンピオンとなった梶原悠未は大学の同期。大学院修了後は染めQテクノロジィに就職。 中学から陸上競技を始める。中学時代は走幅跳が専門で、全中やジュニアオリンピックなど全国大会に出場。
野口 諭実可(のぐち ゆみか、1992年7月28日 - )は… 野口 諭実可(のぐち ゆみか、1992年7月28日 - )は、群馬県出身の女子競輪選手。日本競輪選手会大分支部所属(当初は群馬支部所属)、ホームバンクは別府競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期生。 幼い頃はゲームが好きなインドア派だったが、両親から勧められ空手を習ったことがスポーツを始めたきっかけであった。中学生になると水泳部へ入部、競泳では伊勢崎市佐波郡中学校春季水泳大会100m自由形で2位となった経歴を持つ。ただ、進学した常盤高校では部活はせず、いわゆる「帰宅部」だった。 高校卒業を控え進路を考えた時に、大学進学は毛頭になく自衛隊への入隊も考えていたが、元々父親が競輪ファンであり親子で競輪を観る機会が増えたこと、周囲がガールズケイリンが始まることを教えてくれたこと、そして野球部の顧問の先生も競輪ファンでトレーニングに付き合ってくれたこともあり、競輪選手を目指すことになった。
奥平 彩乃(おくだいら あやの、1992年3月27日 - )… 奥平 彩乃(おくだいら あやの、1992年3月27日 - )は、群馬県富岡市出身の元女子競輪選手。日本競輪選手会群馬支部所属、ホームバンクは前橋競輪場。日本競輪選手養成所第122期生。師匠は矢島一弥(92期)。 中学時代はハンドボール、高校からサッカーを始め、尚美学園大学進学後もサッカーを続けた。大学卒業後、こんにゃく会社に勤務していた時、元競輪選手に出会い競輪選手を志したという。 2019年の1度目の試験では不合格となったものの、2021年1月14日、日本競輪選手養成所第122回技能試験に合格。在所競走成績は19位(0勝)。 2022年5月7日、松山競輪場でデビューし7着。 競走成績不振による代謝制度の対象となり、2023年12月25日の宇都宮FII第5レース(ガールズ一般)6着をラストレースとした。
木暮 安由(きぐれ やすよし、1985年2月23日 - )は… 木暮 安由(きぐれ やすよし、1985年2月23日 - )は、群馬県前橋市出身の競輪選手。日本競輪学校第92期生。師匠は須田知光(競輪学校第27期生)。 群馬県立前橋工業高等学校在学時の2002年に高知国体の自転車競技・少年エリミネーションレースで優勝。競輪学校の在校競走成績は第7位(28勝)。 2007年7月22日に前橋競輪場でデビューし、初戦は5着、翌日の同場で初勝利を挙げた。2008年には4月から8月にかけて19連勝を達成。2009年(失格)および2010年(5着)には2年連続でヤンググランプリに出場した。 2012年、地元前橋で開催された第55回オールスター競輪でG1初優参(落車失格)。
矢口 啓一郎(やぐち けいいちろう、1980年5月17日- … 矢口 啓一郎(やぐち けいいちろう、1980年5月17日- )は、群馬県出身の競輪選手。日本競輪学校第86期。同期には、井上昌己、村上博幸、稲垣裕之、植松仁らがいる。登録番号013760。座右の銘は「克己」。 高崎経済大学附属高等学校卒業。在学時は空手部に所属していた。2001年8月8日、宇都宮競輪場でデビューし1着。及び当開催の完全優勝も記録。2002年にアテネオリンピックを視野に入れた強化指定選手に選出される。 2003年、メキシコ・アグアスカリエンテスで開催された、UCIトラックワールドカップのケイリンを優勝。同大会同種目としては、1999年の太田真一に次ぐ優勝記録となった。翌2004年、四日市競輪場で開催されたアジア自転車競技選手権大会のケイリンでも優勝。
兵藤 一也(ひょうどう かずや、1978年4月27日 - )… 兵藤 一也(ひょうどう かずや、1978年4月27日 - )は群馬県出身の元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会群馬支部所属。日本競輪学校第82期卒業。師匠は父親で元競輪選手(32期)の兵藤信雄。 佐野日本大学高等学校を経て日本競輪学校に第82期生として入学。同期には荒井崇博らがいる。在校成績7位で卒業すると1999年4月17日に宇都宮競輪場でデビューし同日初勝利を含む完全優勝を果たす。 デビューしてから2年後の2001年8月に開催されたふるさとダービー(富山競輪場)で決勝へと駒を進める(8着)。その後、2004年の共同通信社杯競輪(3着)、翌2005年の東日本王座決定戦(3着)でも決勝に駒を進めた。
小島 雅章(こじま まさあき、1975年9月19日 - )は… 小島 雅章(こじま まさあき、1975年9月19日 - )は、競輪選手、元陸上競技選手(短距離走)。日本競輪選手会埼玉支部所属、ホームバンクは大宮競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第83期生。師匠は板羽俊一(64期)。 埼玉県出身。深谷市立川本中学校時代は、全日本中学校陸上競技大会の100m、200mで優勝。東京農業大学第二高等学校時代は、国民体育大会の100mで優勝。日本大学時代は、日本学生陸上競技対校選手権大会(インカレ)の400mで優勝。 大学卒業後に競輪へ転身することを決意、競輪学校へは83期生として入学。競輪学校の在校競走成績は57位(9勝)。 1999年8月18日、京王閣競輪場でデビューし初勝利を挙げた。
手島 慶介(てじま けいすけ、1975年2月14日 - 20… 手島 慶介(てじま けいすけ、1975年2月14日 - 2009年1月25日)は、群馬県佐波郡玉村町出身の競輪選手。日本競輪学校第75期卒業。日本競輪選手会群馬支部所属。師匠は高橋祥一(引退)。初出走は1995年4月8日の宇都宮競輪場で初勝利は同開催の4月10日。血液型はO型。 弟の手島之憲(-ゆきのり 後に志誠と改名)も競輪選手である(群馬・83期)。 プロ野球選手が夢だったが、実家の隣人の競輪選手だった人との出会いをきっかけに、この職業を目指す。 群馬県立前橋工業高等学校在学時から自転車競技を行っており、卒業後に入学した競輪学校では、太田真一、十文字貴信、伏見俊昭、金子貴志ら逸材揃いの75期の中で卒業記念レースを優勝する。
後閑 信一(ごかん しんいち、1970年5月2日 - )は、… 後閑 信一(ごかん しんいち、1970年5月2日 - )は、群馬県前橋市出身の元競輪選手、現在はスポーツ報知専属評論家。日本名輪会会員。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第65期卒業。現役時の最終所属は日本競輪選手会東京支部、ホームバンクは京王閣競輪場だった。 初出走は1990年4月7日の小倉競輪場。初勝利は同年4月9日(小倉競輪場)。血液型はB型。選手登録番号12172。師匠は新谷隆広。 少年時代、塾からの帰り道に友人と自転車で競走をし、変速器の付いていない自転車に乗って変速器の付いた自転車よりも速く走ったことに快感を覚え、周囲の勧めもあり競輪選手を志すようになる。前橋育英高等学校在学中より自転車競技を行っており、1988年の京都国体でスプリント競技に優勝するなど数々の実績を上げ、競輪学校に65期生として技能免除で入学。
松島 伸安(まつしま のぶやす、1968年9月10日 - )… 松島 伸安(まつしま のぶやす、1968年9月10日 - )は、群馬県太田市出身の元競輪選手である。 1988年〜2012年(日本競輪選手会群馬支部所属)S級在籍22年、1994年の函館記念競輪を捲って快勝するなど、ダッシュ力とスピードを武器に全国の競輪場で活躍した。 デビュー当時は強烈なダッシュ力を活かし何処からでも先手を取れるスピード先行を得意としたが、ラインの後続が離れ別線ラインの選手が番手に嵌るケースも多く、ゴール前の失速と共に大きな着を取るケースも多かった。後年は、位置取りに拘らず何処からでもゴール前に鋭く差し込んでくる追い込みを主戦法とし、目標とした先行選手と心中するような場面からでもゴール前では着に絡んでくる切れ味で穴党からの人気が高かった。
高橋 光宏(たかはし みつひろ、1962年7月19日 - )… 高橋 光宏(たかはし みつひろ、1962年7月19日 - )は、元競輪選手。群馬県高崎市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)56期生。現役時代は日本競輪選手会群馬支部所属。師匠は松岡征四郎。血液型はB型。自転車はサムソン。愛称は「ミツ」。 群馬県立高崎工業高等学校では自転車部に在籍。卒業後は2年間製鉄会社に勤務するが、賃金の低さに不満を覚え、競輪選手になることを決意。競輪学校には56期生として入学し、在校成績は43勝で6位だった。 初出走は1985年9月14日の豊橋競輪場で、初勝利も同日。デビュー当初から追い込みを得意戦法とした。デビュー後は順調にS級に昇格し、1994年には第10回全日本選抜競輪で特別競輪(現在のGI)初優勝を果たす。
稲村 雅士(いなむら まさし、1943年4月20日 - )は… 稲村 雅士(いなむら まさし、1943年4月20日 - )は、群馬県出身の元競輪選手(日本競輪選手会群馬県支部所属)。日本競輪学校第16期生。59歳まで現役を続けた。息子に同じく競輪選手の稲村成浩(69期)、稲村好将(81期)がいる。
鈴木 保巳(すずき やすみ 1931年6月26日 - 200… 鈴木 保巳(すずき やすみ 1931年6月26日 - 2008年2月9日)は、競輪評論家、元競輪選手。群馬県出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第1期生。現役時は日本競輪選手会群馬支部所属。選手登録番号5808。 夫人も、実子の鈴木一正(48期)も元競輪選手。この他、甥にあたる鈴木大介(37期)も元競輪選手だった。 群馬県立前橋高等学校時代は野球部の主将として活躍し、1948年に行われた第30回全国高等学校野球選手権大会に出場。その後は日本大学に進学した後、競輪に転向する形で競輪学校に第1期生として入学。 競輪選手としては1951年9月に京王閣競輪場でデビューし、35歳まで現役を続けたが、1966年9月9日に選手登録を消除して引退。
菊池 宣次(きくち せんじ、1921年〈大正10年〉2月9日… 菊池 宣次(きくち せんじ、1921年〈大正10年〉2月9日 - 2001年〈平成13年〉7月17日)は、群馬県出身の元競輪選手。 日本競輪選手養成所(旧日本競輪学校)が設立される前に選手登録された期前選手で、選手登録番号は268。 群馬県伊勢崎市南千木町出身。 1949年(昭和24年)に川崎競輪場で行われた、第2回全国争覇競輪・乙規格部門で決勝進出(9着)。 1950年(昭和25年)登録選手全国代表者会議議長、1951年(昭和26年)日本プロフェッショナルサイクリスト連合会理事長就任。 1952年(昭和27年)9月から1957年(昭和32年)3月まで、日本競輪選手会の初代理事長を務めた(なお、日本競輪選手会ホームページでは、2代目とされる横田隆雄が初代理事長とされている)。