安良岡 康作(やすらおか こうさく、1917年9月14日 -… 安良岡 康作(やすらおか こうさく、1917年9月14日 - 2001年10月1日)は、日本の国文学者。東京学芸大学名誉教授。日本中世文学、国語教育専攻。
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安良岡 康作(やすらおか こうさく、1917年9月14日 -… 安良岡 康作(やすらおか こうさく、1917年9月14日 - 2001年10月1日)は、日本の国文学者。東京学芸大学名誉教授。日本中世文学、国語教育専攻。
斎藤 三郎(さいとう さぶろう、1917年5月10日 - 1… 斎藤 三郎(さいとう さぶろう、1917年5月10日 - 1996年3月17日)は日本の洋画家。浦和画家。 23歳で太平洋戦争に応召し、生死のはざまで和紙に3000枚のスケッチを残した。生きて帰国できれば画家になると決意し、終戦後1945年に帰国。浦和市に居住した。
小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11… 小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11日 - 2008年(平成20年)8月30日)は、日本のエコノミスト、思想家、教育者、実業家、官僚、政治家、俳人。参議院議員(1期)。
家村 相太郎(いえむら そうたろう、1917年1月5日 - … 家村 相太郎(いえむら そうたろう、1917年1月5日 - 2005年)は、朝鮮京南生まれ、埼玉県川越市出身のプロ野球選手。 小学3年生の時に野球を始め、川越中学校では2年次に一塁手、3年次にはエースピッチャーとなり北関東大会決勝まで進んだが甲子園には出場できなかった。 1936年に東京セネタースへ入団。 1940年に退団し、翌年から社会人野球の全京城でプレーする。 1946年にセネタースへ復帰し、同年引退した。 引退後は天理高校、母校の川越高校、天理大学で野球部コーチと監督、習志野高校でコーチを務めた。
月 澄江(つき すみえ、1916年10月18日 - 没年不詳… 月 澄江(つき すみえ、1916年10月18日 - 没年不詳)は、日本の女優である。出生名前川 澄枝(まえかわ すみえ)、結婚後の本名は小林 澄枝(こばやし すみえ)。 1916年(大正5年)10月18日、埼玉県秩父郡秩父町宮ノ側(現在の同県秩父市宮側町)に生まれる。母の妹が女優の五月信子(1894年 - 1959年、本名前川しのぶ)である。 旧制・秩父郡立秩父尋常小学校(現在の秩父市立秩父第一小学校)を卒業した後、1930年(昭和5年)前後に五月信子・高橋義信夫妻の「近代座」に参加し、川村花菱の新派悲劇『母三人』で初舞台を踏む。1933年(昭和8年)、京都の松竹下加茂撮影所に入社、同年12月14日に公開された、川村花菱原作、井上金太郎監督のサイレント映画『上州土産百両首』で尾上栄五郎の相手役を務めて、満17歳で映画界にデビューした。
三宅 邦子(みやけ くにこ、1916年9月17日 - 199… 三宅 邦子(みやけ くにこ、1916年9月17日 - 1992年11月4日)は、埼玉県南埼玉郡岩槻町(現さいたま市岩槻区)出身の女優。本名・三浦やす(みうら やす)。 天保年間創業の老舗料亭に生まれる。埼玉県立久喜高等女学校卒業後、松竹に入社し1934年に「夢のさゝやき 」で映画デビュー。1942年結婚のため退社したが1948年に復帰し、以降の小津安二郎監督作品の多くに出演した。小津の死後は「サインはV」「たけくらべ」などテレビ出演が多くなった。 1992年11月4日、急性心不全のため死去。76歳。 生家の料亭「ふな又」は、さいたま市岩槻区で現在も営業している。
根岸忠雄(ねぎし ただお、1916年2月28日 - )は、日… 根岸忠雄(ねぎし ただお、1916年2月28日 - )は、日本の実業家。東邦チタニウム社長、日鉱エンジニアリング社長。 埼玉県出身。旧制埼玉県立熊谷中学校、旧制浦和高校を経て、1940年、東京帝国大学工学部卒業。 大学卒業後、日本鉱業に入社。金属事業本部金属加工部長、倉見工場長を経て、1968年、理事金属加工事業本部管理室長、1969年に取締役、1973年、常務、1976年、専務、1979年、日鉱エンジニアリング社長となる。日鉱エンジニアリング退社後、東邦チタニウム社長となる。 チタニウム協会副理事長、日本伸銅協会理事も歴任した。
小林 斗盦(こばやし とあん、1916年〈大正5年〉2月23… 小林 斗盦(こばやし とあん、1916年〈大正5年〉2月23日 - 2007年〈平成19年〉8月13日)は、日本の書道家、篆刻家である。埼玉県生まれ。本名は庸浩(こうよう)、号は斗盦(斗庵)。全日本篆刻連盟会長。篆刻家初の文化勲章受章者。勲三等瑞宝章。 篆刻家・河井荃廬、書家・西川寧に師事。 1916年2月13日、埼玉県川越市の父・勝治(香坡)、母・壽以の長男として生まれる。小林家は祖父の代から印章業を営んでおり、斗盦も10歳の頃に篆刻を教わった。香童と号し、浄碧居派の篆刻を学んだ。1928年、埼玉県立川越中学校に入学。1931年、中学2年生の夏に横浜を訪れ比田井天来に会い、たびたびの訪問ののち天来の指示で号を浩堂に改める。
大久保 竹治(おおくぼ たけじ、1916年〈大正5年〉1月5… 大久保 竹治(おおくぼ たけじ、1916年〈大正5年〉1月5日 - 2010年〈平成22年〉5月30日)は、日本の実業家。丸広百貨店グループ創業者。勲四等瑞宝章。日本百貨店協会常任理事、埼玉県公安委員長、川越商工会議所会頭などを務めた。 埼玉県入間郡飯能町(現在の飯能市)の製茶農家に5人兄弟妹の二男として生まれる。少年の頃に都心の百貨店をみた竹治は「こんな大きな店があったのか。いつの日にか自分の店を持ちたい」と思い、それが夢となり進学も就職も商業の道を進んだ。 飯能実業学校卒業後は東京都八王子市で衣料を扱う「丸木」で働き修行。1939年(昭和14年)に飯能で修行先の名前を借りて「丸木商店」を開店。
清水 大典(しみず だいすけ、1915年12月6日 - 19… 清水 大典(しみず だいすけ、1915年12月6日 - 1998年8月19日)は、日本の菌類学者である。「原色 冬虫夏草図鑑」(1994)を出版するなど、昆虫の成虫や蛹、幼虫に寄生する冬虫夏草などのノムシタケ属の研究で知られる。 埼玉県秩父市に生まれた。旧制秩父農林学校を卒業後、独学で植物学を学び、東京大学理学部小石川植物園などで働き、1940年には満州国大陸科学院植物研究室に奉職した。戦後は小石川植物園に復職した後、埼玉県下のシイタケ試験場、服部植物研究所などを経て、山形県米沢市立博物館で働き、米沢市営白布温泉熱帯植物園園長などを務めた。1968年、斎藤茂吉文化賞を受賞した。
綿貫 惣司(わたぬき そうじ、1915年4月6日 - 没年不… 綿貫 惣司(わたぬき そうじ、1915年4月6日 - 没年不明)は、埼玉県出身の元プロ野球選手(内野手)。 川越中学出身。1931年に第8回選抜野球大会へ3番ファーストとして出場したがチームは初戦で杉浦清、野口明らがいた中京商業に0-11で敗れた。卒業後に立教大学へ進学し、景浦將と共にクリーンナップを打つなど活躍した。 1936年に大学を中退して東京セネタースへ入団。1938年に応召。 戦後はノンプロの豊岡物産で監督兼選手として都市対抗野球大会に出場し、日本球界初の天覧試合にも出場している。 1950年から1953年まで、富士製鐵室蘭の監督を務めた。
清水 たみ子(しみず たみこ、1915年3月6日 - 201… 清水 たみ子(しみず たみこ、1915年3月6日 - 2010年4月30日)は、日本の児童文学作家、詩人。 埼玉県生まれ。東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)卒。北原白秋の指導を受け、「赤い鳥」に児童自由詩や童謡を投稿する。1991年「清水たみ子詩集 かたつむりの詩」で第21回赤い鳥文学賞、第21回日本童謡賞受賞。日本児童文学者協会、日本童謡協会会員。
晝間 仲右衛門(ひるま なかうえもん、1915年(大正4年)… 晝間 仲右衛門(ひるま なかうえもん、1915年(大正4年)1月21日 - 1997年(平成9年)1月18日)は、日本の政治家。埼玉県鳩ヶ谷市(現・川口市)長(6期)。 埼玉県出身。1932年、埼玉県立浦和中学校(現・埼玉県立浦和高等学校)卒。1954年、鳩ヶ谷町議会議員となり、2期務める。1966年、鳩ヶ谷町長に当選。翌1967年、鳩ヶ谷町の市制施行により鳩ヶ谷市長となる。市長を6期務め、1990年に退任した。1997年に死去した。
幾瀬 マサ(いくせ マサ、1914年11月13日 - 201… 幾瀬 マサ(いくせ マサ、1914年11月13日 - 2011年2月22日)は、日本の植物学者。専門分野は花粉学、形態学。東邦大学名誉教授。 埼玉県出身。埼玉県立熊谷高等女学校(現在の埼玉県立熊谷女子高等学校)を卒業後の1931年、帝国女子医学薬学専門学校(現在の東邦大学)薬学科に入学した。1935年、卒業と同時に薬用植物学教室の助手に採用され、久内清孝の指導をうけた。 1940年、同校薬学科の講師、1944年に助教授となった。 1949年より花粉粒の研究に専念し、190科2300種の花粉粒を著書「日本植物の花粉」にまとめ刊行。本研究を主論文として、1957年に東京大学より薬学博士号を取得した。
丸木 清美(まるき せいみ、1914年(大正3年)11月12… 丸木 清美(まるき せいみ、1914年(大正3年)11月12日 - 1994年(平成6年)8月27日)は、日本の医師、精神科医、政治家、教育者。 埼玉医科大学創立者。日本医科大学卒業、医学博士(東京大学)。 埼玉県入間郡毛呂村(現毛呂山町)生まれ。旧制埼玉県立川越中学校から、1939年(昭和14年)3月に日本医科大学を卒業後、東京帝国大学(現東京大学)精神科教室に入局。教授は内村祐之。医学博士(東京大学)、同年10月海軍軍医(中尉)。1944年(昭和19年)少佐。1947年(昭和22年)に祖父の丸木清太郎が創設した毛呂病院の院長となった。1949年(昭和24年)精神薄弱児施設(現障害児入所施設)育心寮を、1950年(昭和25年)救護施設育心寮を開設。
加藤 勝重(かとう かつしげ、1914年9月1日 - 200… 加藤 勝重(かとう かつしげ、1914年9月1日 - 2000年9月6日)は、現在の埼玉県さいたま市出身の日本画家。浦和画家。 浦和画家の発祥(関東大震災以降)以前に浦和に出生。川端画学校に学び、はじめは洋画を描いていたが、日本画に転向した。山岳風景を多く描いた。「響」などの作品は埼玉県立近代美術館に所蔵されている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
木津 三郎(きづ さぶろう、1914年(大正3年)6月12日… 木津 三郎(きづ さぶろう、1914年(大正3年)6月12日 - 没年不明)は、日本の政治家。埼玉県三郷市長(第4代 – 第6代)。 実子は現三郷市長の木津雅晟。 埼玉県北葛飾郡早稲田村(現・三郷市)出身。埼玉県立粕壁中学校(現・埼玉県立春日部高等学校)、東京専修学院卒。卒業後は早稲田村役場に奉職する。その後は三郷村、三郷町、三郷市に勤務し、市制施行後に収入役、助役となる。1982年、三郷市長選挙に立候補して当選する。市長を1994年までの3期務めた。1995年、勲四等旭日小綬章を受章した。
飯塚 敏子(いいづか としこ、1914年6月8日 - 199… 飯塚 敏子(いいづか としこ、1914年6月8日 - 1991年12月14日)は、日本の女優。本名・本間 敏子(旧姓・飯塚)。 戦前の松竹時代劇を代表する女優の一人である。 1914年6月8日、埼玉県大里郡武川村明戸(現・深谷市)に生まれる。生後間もなく、東京市芝区新橋(現・東京都港区新橋)にて「新橋旅館」を経営していた実家に移る。従って、現役時代の俳優名鑑等では、「東京生まれ」と書かれた物も多い。小学校の頃から、岡安喜代八について三味線と尺八を学ぶ。1927年、文化学院女学部に入学。同校の先輩に夏川静枝・入江たか子・伊達里子などがいる。家庭の事情により同校を3年で辞め、家業を手伝っていたが、1930年に雑誌「婦人公論」主催の美人投票に当選する。
堀口 定義(ほりぐち さだよし、1914年2月1日 - 20… 堀口 定義(ほりぐち さだよし、1914年2月1日 - 2005年5月11日)は、日本の詩人、官僚、実業家。 埼玉県熊谷市生まれ。国鉄御徒町駅に勤めながら苦学して専門学校入学資格検定試験(専検)に合格し1934年 第一高等学校に入る。1940年、高等試験に合格。1941年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。大蔵省入省。管財局属。1959年、東京国税局総務部長。1960年、熊本国税局長。1961年、国税庁徴収部長。1962年調査査察部長、1964年、直税部長。1965年、原子燃料公団理事。1967年、動力炉核燃料事業団理事。1969年、忠勇社長。1975年、相談役。1976年、大阪証券金融社長。社業の傍ら、詩を書き、1978年「弾道」で日本詩人クラブ賞受賞。
高田 誠(たかだ まこと、1913年9月24日 - 1992… 高田 誠(たかだ まこと、1913年9月24日 - 1992年10月24日)は、埼玉県出身の洋画家、文化功労者。瑞宝章受章者。浦和画家の代表格として知られる。 埼玉県浦和町(のち浦和市、現・さいたま市)常盤町の代々医者として知られていた旧家である高田家に生まれた。父は医師のほか民政党の県議会議員を務めた高田源八。兄に、医師であり浦和医師会会長、埼玉県産婦人科医会会長、浦和教育委員などを務めた高田進、弟に斎藤工業株式会社代表取締役社長、社団法人埼玉建設産業団体連合会初代会長、社団法人全国建設産業団体連合会会長などを務めた斎藤裕がいる。埼玉県立男子師範学校付属小学校の5、6年生のころに初めて油絵を制作している。
中川 直木(なかがわ なおき、1913年(大正2年)9月20… 中川 直木(なかがわ なおき、1913年(大正2年)9月20日 - 2000年(平成12年)1月16日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県行田市長。行田市名誉市民。位階は正五位。 埼玉県北埼玉郡忍町(現行田市)出身。1931年(昭和6年)熊谷中学校を卒業し、忍町役場に奉職。行田市助役を経て、1959年(昭和34年)以来行田市長に8選。1975年(昭和50年)埼玉県市長会長、1983年(昭和58年)全国市長会副会長などを歴任し、1991年(平成3年)引退した。ほか、行田市農業委員会会長、行田市開発協会理事長を歴任した。2000年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
関根 龍之焏(せきね りゅうのじょう、1913年(大正2年)… 関根 龍之焏(せきね りゅうのじょう、1913年(大正2年)9月8日 - 没年不明)は、日本の政治家。埼玉県岩槻市長(第6代 – 第8代)。 埼玉県出身。組合立中部実業学校(現・埼玉県立岩槻商業高等学校)卒。岩槻市教育委員、同市議会議員を経て、1967年、同市助役に就任する。1973年、岩槻市長であった折原一が収賄容疑で逮捕されて辞任した事に伴う岩槻市長選挙に立候補して当選し、第6代岩槻市長に就任。1985年に退任するまで、岩槻市長を3期務めた。
武藤 保之助(むとう やすのすけ、1913年(大正2年)9月… 武藤 保之助(むとう やすのすけ、1913年(大正2年)9月7日 - 2003年(平成15年)2月25日)は、日本の政治家。埼玉県所沢市長。 家業は市内上安松の押絵羽子板製造業「ムトー人形」。所沢市議会議員、1968年 - 1971年市議会議長を経て、1983年 - 1987年市長。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
柿原 謙一 (かきはら けんいち、1913年 <大正2年> … 柿原 謙一 (かきはら けんいち、1913年 <大正2年> 8月19日 - 2000年 <平成12年> 1月16日) は、日本の実業家。六代目秩父鉄道社長。日本民営鉄道協会副会長。位階は正五位。 秩父市で秩父鉄道4代目社長・柿原亀吉の6人兄弟の長男として生まれる。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1937年、東京商科大学卒業。謙一自身はこれで学校は終わりだと思っていたが、陸軍経理学校に入学させられた。 大学卒業後、一年半ばかり家業を手伝っていたが、1934年に補充兵で応召。その後9年間兵役に従事。大尉となる。 戦後、秩父鉄道に入社。1947年に取締役経理部長となり常務取締役を経て、1969年に六代目社長に就任。
小泉 譲(こいずみ ゆずる、1913年7月13日 - 200… 小泉 譲(こいずみ ゆずる、1913年7月13日 - 2004年8月19日)は、日本の作家。本名・一久。 埼玉県川口市生まれ。慶應義塾高等部中退。満鉄上海事務所調査部をへて、上海特別市政府に勤務。丹羽文雄の『文学者』に参加。1943年「桑園地帯」で芥川賞候補。1949年『死の盛粧』で直木賞候補、50年『君が火の鳥』『南支那海』、60年『小説天皇裕仁』で直木賞候補。『小説天皇裕仁』はベストセラーとなる。日中文化交流協会会員。「じょう」と読まれることもある。
沢田 仁三(さわた にぞう)1913年〈大正2年〉7月7日 … 沢田 仁三(さわた にぞう)1913年〈大正2年〉7月7日 - 没年不明)は、日本の政治家。埼玉県北埼玉郡南河原村長。埼玉県町村長会理事。 深谷商業出身。スリッパを製造する。南河原村助役を経て、1971年8月に同村長に就任、1975年8月に退職。 住所は埼玉県北埼玉郡南河原村大字南河原(現・行田市)。
荒井 松司(あらい まつじ、1913年(大正2年)4月17日… 荒井 松司(あらい まつじ、1913年(大正2年)4月17日 - 2008年(平成20年)9月27日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県上尾市長。位階は正五位。勲四等旭日小綬章。 埼玉県上尾市出身。1931年(昭和6年)熊谷農学校卒業。上尾町議会議員1期、上尾市助役、上尾市議会議員1期を経て、1975年(昭和50年)より埼玉県議会議員に3選し、1985年(昭和60年)同副議長を務めた。1988年(昭和63年)2月、上尾市長に当選し2期務めた。1998年秋の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。2008年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
鈴木 聞多(すずき ぶんた、1913年4月1日 - 1939… 鈴木 聞多(すずき ぶんた、1913年4月1日 - 1939年7月10日)は、日本の陸上競技(短距離走)選手。 埼玉県比企郡三保谷村(現在の川島町)に生まれる。父は同村の村長も務めた鈴木庸三で、三人兄弟の末っ子。鈴木家は江戸時代には名主を務めた家で、生家(鈴木家住宅)は国登録有形文化財となっている。 1926年(大正15年)4月、旧制埼玉県立川越中学校(現在の埼玉県立川越高等学校)に入学し、陸上競技に取り組む。旧制中学5年次の1930年(昭和5年)、第16回全国中学校陸上競技選手権大会(インターハイの前身。神戸)に出場、100m(11秒7)と200m(22秒7)で優勝。 1931年(昭和6年)4月、旧制川越中学から慶應義塾大学予科に進学。
井上 栄一(いのうえ えいいち、1913年 - 1992年)… 井上 栄一(いのうえ えいいち、1913年 - 1992年)は、日本の実業家。赤城乳業の設立者。 「味覚の天才」といわれていた。 埼玉県大里郡深谷町(現在の深谷市)に生まれる。1930年、旧制熊谷中学校を卒業した。 1938年、父である井上徳四郎が始めた合資会社広瀬屋商店を継承する。 広瀬屋商店は天然氷を商いとしており、特に夏場の氷の需要が多かった。栄一は、天然氷の商いにとどまらず、1949年には冷菓製造に乗り出し、1960年には合資会社赤城乳業と社名を変更した。1961年には組織変更して株式会社赤城乳業を設立した。 1964年、『赤城しぐれ』を開発した。 1961年から1987年まで社長を務めた。
澤野 久雄(さわの ひさお、1912年12月30日 - 19… 澤野 久雄(さわの ひさお、1912年12月30日 - 1992年12月17日)は、埼玉県浦和町(現・さいたま市)出身の小説家。 埼玉県浦和町(現・さいたま市)生まれ。埼玉県立浦和高等学校を経て、早稲田大学国文科卒。都新聞(現東京新聞)に勤務した後、1940年、朝日新聞社に入社、49年に同人誌『文学雑誌』に発表した「挽歌」が芥川賞候補になり、川端康成の恩顧を受ける。1951年、「方舟追放」で再度芥川賞候補、52年に「夜の河」を発表、三度芥川賞候補となるが落選、しかし同作は1956年に山本富士子主演で映画化され、これが代表作となった。1955年、「未知の人」で四たび芥川賞候補、遂に受賞には至らなかった。
村山 又芳(むらやま またよし、1912年11月13日 - … 村山 又芳(むらやま またよし、1912年11月13日 - 1945年5月)は、日本の競泳・ボート競技選手。1932年ロサンゼルスオリンピックにボート競技の代表選手として出場した。 埼玉県秩父郡野上村(現・長瀞町)に生まれる。旧制野上小学、旧制熊谷中学を経て、慶應義塾大学に進学した。1929年、第5回明治神宮競技大会の水泳大会に出場した。慶應義塾大学ではボート部に所属し、数多の大会で優勝する。また、1932年ロサンゼルスオリンピックでは、ボートかじ付きフォアの日本代表に選ばれる。かじ付きフォア日本代表は、敗者復活戦で敗退する。 1936年3月に慶應義塾大学経済学部を卒業した。 1945年5月に死去した。
夢 虹二(ゆめ こうじ、1912年(大正元年)8月11日 -… 夢 虹二(ゆめ こうじ、1912年(大正元年)8月11日 - 1989年(平成元年)7月12日)は、埼玉県加須市出身の作詞家。主に童謡や歌謡曲の作詞を手がけた。本名「須永孝一郎」。 日本大学商学科中退。 古本で1円で買った北原白秋全集を読んだことが、作詞家を志すきっかけとなった。1955年にキングレコードの専属となり、代表作には、童謡「すうじのうた」「とんぼの中にぼくがいる」「北風こぞう」、歌謡曲「まつの木小唄」「ハマの女」、新民謡「わらび摘み唄」などがある。また、18年間日本童謡協会事務局長を務めた。1972年には「とんぼの中にぼくがいる」で日本作詩大賞童謡賞、1988年には第18回日本童謡賞特別賞を受賞。
里見 明正(さとみ あきまさ、1912年7月26日 - 19… 里見 明正(さとみ あきまさ、1912年7月26日 - 1974年10月24日)は、埼玉県出身の洋画家。浦和画家のひとり。 熊谷中学校出身。浦和画家の須田剋太と同じく光風会に所属し、浦和市(現・さいたま市南区)の別所沼畔にアトリエを構え、須田のアトリエと隣り合っていた。別所沼対岸(稲荷台)の林倭衛のアトリエにも須田としばしば訪れた。また、寺内萬治郎の門下生が集まる武蔵野会に参加した。新文展に初入選で特選を受賞した。県北美術家協会会長、熊谷市教育委員長などを歴任し、文化の振興にも貢献した。作品は埼玉県立近代美術館に所蔵されている。
稲山 壬子(いなやま じんし、1912年3月29日 - 19… 稲山 壬子(いなやま じんし、1912年3月29日 - 1996年4月18日)は、日本のバレーボール指導者。 埼玉県南埼玉郡宮代町出身。日本体育会体操学校(後の日本体育大学)を経て、1933年に東京千代田学園バレーボール部監督。1943年に久喜高等女学校(現久喜高校)バレーボール部監督に就任し、全国大会優勝4回を達成。同校をバレーボール名門校に導いた。 1962年に1964年東京オリンピック強化コーチに就任。同大会での金メダル獲得に陰ながら貢献した。 1969年に東京三洋電機バレー部監督に就任し、チームを日本リーグ昇格まで導いた。全く無名の新人だった前田悦智子を「三年以内に全日本のエースにする」と宣言し育成した。
高田 富之(たかだ とみゆき、1912年3月26日 - 19… 高田 富之(たかだ とみゆき、1912年3月26日 - 1999年10月14日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(10期)。埼玉県深谷市出身。 実業家・高田良平の長男として生まれる。旧制松江高等学校を経て1937年に東北帝国大学法文学部を卒業後、宇野弘蔵の元で東北大学法文学部経済学教室副手となる。 繊維需給調整協議会調査課長・全国商工経済会企画部主事・日農県連会長・全国連書記長を歴任。 人民戦線事件で宇野と共に逮捕されるが起訴猶予となる。 戦後、日本共産党に入党し、1949年の第24回衆議院議員総選挙で埼玉3区で当選する。しかし、1951年に共産党が51年綱領を出して武装闘争に舵を切り、翌年の第25回衆議院議員総選挙ではそのあおりで落選(共産党の全議員が落選した)。
渋谷 邦蔵(澁谷 邦蔵、しぶや くにぞう、1912年(明治4… 渋谷 邦蔵(澁谷 邦蔵、しぶや くにぞう、1912年(明治45年)2月16日 - 2002年(平成14年)2月14日)は、日本の地方政治家。旧清瀬町長から清瀬市への市制施行に伴って初代市長となり、36年間首長を務めた。位階は正五位。 東京府出身。埼玉県所沢市の所沢実業学校(現・埼玉県立所沢高等学校)を卒業。 1950年清瀬村議会議員(のち町制施行により同町議会議員)となり、同議長、町教育委員を務めた。 1959年5月、46歳で清瀬町長に就任。1970年に市制執行に伴い、初代市長となる。市制施行直前の『町報きよせ』5月15日号には以下の所信を記している。 1995年4月、82歳で政治家を引退し、星野繁に市長を譲った。
矢沢 恒雄(やざわ つねお、1911年〈明治44年〉11月2… 矢沢 恒雄(やざわ つねお、1911年〈明治44年〉11月29日 - 1994年〈平成6年〉5月17日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県加須市長。加須市名誉市民。 埼玉県北埼玉郡加須町(現加須市)出身。日本大学文学部中退。埼玉県に奉職し、同教育民政部厚生課住宅係長、秘書課長、民生部長、農林部長、総務部長を経て、1984年(昭和59年)加須市長に当選。3期務めた。没後の1994年(平成6年)9月、加須市名誉市民に推挙された。
黒田 海之助(くろだ うみのすけ、1911年〈明治44年〉5… 黒田 海之助(くろだ うみのすけ、1911年〈明治44年〉5月18日 - 1995年〈平成7年〉10月4日)は、日本の政治家。埼玉県熊谷市長。位階は従五位。 旧制埼玉県立熊谷中学校、旧制松本高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学法学部法律学科卒業。卒業後は教員を経て、住友金属工業(現・日本製鉄)に勤務した。1950年(昭和25年)、熊谷市職員となる。1957年(昭和32年)に収入役となり、1961年(昭和36年)に第一助役となった。 1962年(昭和37年)5月19日に10代目熊谷市長に就任した。 1982年(昭和57年)の市長選挙に6選を目指して立候補したが、増田敏男ら2人に敗れて落選した。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 同年5月18日に市長を退任した。
吉竹 迪夫(よしたけ みちお、1911年 - 1979年9月… 吉竹 迪夫(よしたけ みちお、1911年 - 1979年9月12日)は、日本の英文学者。 埼玉県川越市生まれ。青山学院英文科卒、1935年九州帝国大学法文学部英文科卒。福岡県で旧制中学校教師、明治専門学校(九州工業大学)講師、福岡学芸大学助教授をへて、九州大学教養部助教授、教授。1974年定年退官、名誉教授。
畑 和(はた やわら、1910年〈明治43年〉9月29日 -… 畑 和(はた やわら、1910年〈明治43年〉9月29日 - 1996年〈平成8年〉1月26日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(4期)、埼玉県知事(5期)を歴任。 埼玉県北埼玉郡礼羽村(現・加須市)出身。礼羽村立礼羽尋常小学校、旧制不動岡中学校(現・埼玉県立不動岡高等学校)、旧制浦和高等学校(現・埼玉大学教養学部)、東京帝国大学法学部卒業。 弁護士を経て、埼玉県議会議員を2期務めた後、1960年の第29回衆議院議員総選挙に旧埼玉1区から日本社会党公認で立候補し当選(4期連続当選)。社会党右派の有力議員として活動した。 1972年(昭和47年)の埼玉県知事選挙で自由民主党公認の前川口市長・大野元美と反共全国遊説隊公認の高田がんの両候補を破って初当選、以後連続5期。
井上 幸治(いのうえ こうじ、1910年7月10日 - 19… 井上 幸治(いのうえ こうじ、1910年7月10日 - 1989年9月9日)は、日本の歴史学者。専攻は西洋史(近代フランス史)で、フランス史書・哲学などの翻訳・監修も多い。戦後の西洋史研究の基礎を築いた一人で、郷里の埼玉県で起きた秩父事件の先駆的研究や史料集成でも知られる。 1910年、埼玉県秩父郡大宮町(現・秩父市)で生まれた。旧制熊谷中学校から旧制浦和高等学校文科丙類(フランス語)に進学。浦和高校での友人に、後にジャーナリストになった柳沢恭雄(同級生)、警視総監になった原文兵衛(2年後輩)がいた。1930年3月に浦和高校を卒業、東京帝国大学文学部西洋史科に入学。1933年に同大学を卒業した。
白石 敏夫(しらいし としお、1910年(明治43年)4月2… 白石 敏夫(しらいし としお、1910年(明治43年)4月2日 - 1995年(平成7年)11月5日)は、日本の政治家。埼玉県三郷市長(初代 - 第3代)。 埼玉県北葛飾郡八木郷村(のち東和村、現・三郷市)出身。1935年、報知新聞社に入る。その後、満州国に渡り、満州国協和会中央本部に勤務する。間もなく帰国し、1943年、東和村会議員となる。議員を一時辞めて、出版業に従事する。 1957年、三郷村議会議員となり、のち同村助役に就任する。 1967年、三郷町長に当選、 町長2期目の1972年、三郷町の単独市制施行により、 初代の三郷市長となる。1975年、初めての市長選挙で再選(通算3選・4期)。
平塚 勝一(ひらつか かついち、1910年(明治43年)2月… 平塚 勝一(ひらつか かついち、1910年(明治43年)2月4日 - 1983年(昭和58年)10月29日)は、昭和期の地方公務員、政治家。埼玉県所沢市長。 所沢市出身。1933年(昭和8年)海軍経理学校修了。1948年(昭和23年)所沢町役場に就職。所沢市収入役、助役を経て、1967年(昭和42年)所沢市長に当選し、4期在任した。市長在任中の1983年(昭和58年)10月29日、肝硬変のため73歳で死去。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
山崎 安雄(やまざき やすお、1910年1月12日 - 19… 山崎 安雄(やまざき やすお、1910年1月12日 - 1964年7月3日)は、日本の出版者、評論家。 埼玉県熊谷生まれ。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、同志社大学予科中退、文化学院文学部卒業。1938年毎日新聞社入社。出版局図書編集部勤務、出版局参事。出版をめぐる著作を多く書いた。
高柳 金芳(たかやなぎ かねよし、1910年 - 1985年… 高柳 金芳(たかやなぎ かねよし、1910年 - 1985年5月)は、在野の歴史家、江戸時代研究家。 埼玉県川越市生まれ。1931年明治大学政治経済学部卒業。会社生活のかたわら、江戸時代史に関する研究と執筆を続ける。
市川 宗貞(いちかわ むねさだ、1909年(明治42年)5月… 市川 宗貞(いちかわ むねさだ、1909年(明治42年)5月22日 - 2000年(平成12年)6月11日)は、昭和から平成時代初期の政治家・実業家。埼玉県飯能市長。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 埼玉県入間郡飯能町(現飯能市)出身。1927年(昭和2年)埼玉県立川越中学校卒業。1943年(昭和18年)飯能町会議員を経て、1951年(昭和26年)埼玉県議会議員に当選する。1962年(昭和37年)3月28日に同副議長、同年10月8日に同議長と歴任し、1965年(昭和40年)4月から飯能市長を6期24年務めた。2000年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
井野川 潔(いのかわ きよし、1909年5月15日 - 19… 井野川 潔(いのかわ きよし、1909年5月15日 - 1995年12月21日)は、日本の教育運動家。本名は早船斌男(よしお)。妻は早船ちよ。 埼玉県川口市出身。埼玉師範学校卒業。小学校教師となる。 1931年退職し、郷土社で『綴方生活』などを編集。新興教育研究所に属し左翼教育運動を行い、弾圧を受ける。 1934年早船ちよと結婚、共に浦和市(現・さいたま市)で児童文化運動にかかわる。 戦時中科学工業新聞社、朝日映画社に勤務。 戦後は教育運動史研究会を運営、新作家協会・児童文化の会の創立に参画し、『新作家』『子ども世界』などを主宰した。また、『新興教育』『綴方生活』の復刻や出版に努めた。1977年生活綴方研究会を創設、教育運動史研究の隆盛に貢献した。
増田 三男(ますだ みつお、1909年(明治42年)4月24… 増田 三男(ますだ みつお、1909年(明治42年)4月24日 - 2009年(平成21年)9月7日)は、埼玉県出身の彫金家。人間国宝(重要無形文化財保持)。 埼玉県北足立郡大門村(のち美園村、浦和市、現さいたま市)に生まれる。文展などへの出品のほか、埼玉県立浦和高等学校でも美術講師として勤務した。浦和高校時代は美術部に入部し、2歳下の高田誠と親交が深く、卒業後も恩師である福宿光雄を囲って「連穂会」を開いていた。
鈴木 朝英(すずき ともひで、1909年(明治42年)4月2… 鈴木 朝英(すずき ともひで、1909年(明治42年)4月23日 - 2000年(平成12年)9月11日)は、日本の教育学者。北海道大学名誉教授、元市立名寄短期大学学長。位階は正四位。 埼玉県熊谷市出身。1933年(昭和8年)東京帝国大学文学部卒業。同文学部助手。東京府豊島師範学校(現東京学芸大学)助教授。同教授を経て、1948年北海道大学教育学部助教授、1950年同教育学部教授。1973年(昭和48年)北海道大学停年退官。同名誉教授。市立名寄短期大学学長に就任。1977年(昭和52年)市立名寄短期大学退官。札幌商科大学人文学部人間科学科招聘教授(~1983年(昭和58年))。2000年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
常見 千香夫(つねみ ちかお、1908年(明治41年)10月… 常見 千香夫(つねみ ちかお、1908年(明治41年)10月31日 - 1988年(昭和63年)1月4日)は、埼玉県浦和町(現・さいたま市)出身の歌人。 旧制浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)、東京薬学専門学校(現東京薬科大学)卒業。 浦和中学校在学中、加藤克巳らとともに、「菁藻」にて同校教諭であった高橋俊人に学ぶ。1927年(昭和2年)、村野次郎主宰の「香蘭」入社。1933年、「短歌至上主義」創刊に参加。 1940年、伝説的な合同歌集『新風十人』(八雲書林)に参加。参加者は、常見のほかに五島美代子、筏井嘉一、加藤将之、佐藤佐太郎、斎藤史、館山一子、坪野哲久、福田栄一、前川佐美雄であった。 戦後1946年、加藤克巳、大野誠夫と「鶏苑」を創刊するが、1953年廃刊、以後作歌生活を断った。