栃神山 龍一(とちかみやま りゅういち、2001年1月11日… 栃神山 龍一(とちかみやま りゅういち、2001年1月11日 - )は、埼玉県入間市出身で、春日野部屋に所属した元大相撲力士(力士養成員)。本名は神山龍一。身長180.1cm、体重168.7kg。最高位は西幕下3枚目(2023年1月場所)。 入間市のあんず幼稚園から入間市立金子小学校に入学した。サッカークラブやスイミングクラブにも通っていたが、毎年市内で開催されるわんぱく相撲を契機に、小学2年の秋頃に入間少年相撲クラブで相撲を始めた。初の公式戦は伊勢神宮での奉納相撲大会であり、デビュー戦の相手は中村泰輝(のちの横綱・大の里)であった。その後、第3回白鵬杯団体優勝に貢献した。 2013年、相撲部のある入間市立黒須中学校に入学。
北天海 葵(ほくてんかい あおい 、1999年2月2日 - … 北天海 葵(ほくてんかい あおい 、1999年2月2日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で、尾上部屋所属の現役大相撲力士。本名ガルダン・スフバト。身長179.0cm、体重137.7kg。最高位は東幕下5枚目(2021年3月場所・5月場所)。 元幕内の貴ノ岩義司は叔父。 埼玉栄高校の相撲部監督に勧誘され、高校1年次から相撲を始めた。高校の同期には琴勝峰らがいる。大相撲入りを志望し、高校の卒業式翌日から叔父の貴ノ岩が所属する貴乃花部屋の稽古に参加して受け入れ先が決まるのを待った。 尾上部屋に入門し、2019年5月7日に新弟子検査に合格。外国出身者に課せられる6か月間の研修期間や、新弟子検査合格後の興行ビザ取得待ちがあったため、高校卒業から1年4か月後の同年7月場所に初土俵。
藤闘志隆稀(ふじとうし りゅうき、1998年11月23日-)… 藤闘志隆稀(ふじとうし りゅうき、1998年11月23日-)は、埼玉県上尾市出身の藤島部屋に所属した元大相撲力士。本名は勝呂 隆稀(すぐろりゅうき)。最高位は幕下13枚目。兄は同じく元大相撲力士藤健勝歩紀。 1998年11月23日に生まれる。箕島高等学校在学中には第100回高等学校相撲金沢大会で個人決勝トーナメントと団体決勝トーナメントの成績を残した。箕島高等学校を卒業後、兄である歩紀の大学である拓殖大学に入学した。拓殖大学在学中に全国大学選抜相撲宇和島大会で準優勝の成績を残した。拓殖大学を卒業後、2021年3月場所に藤島部屋に入門した。その後、テンポよく上がり、9月場所には三段目まで上がった。
納谷 幸林(なや たかもり、1998年1月10日 - )は、… 納谷 幸林(なや たかもり、1998年1月10日 - )は、東京都江東区出身で、大嶽部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長186.0cm、体重151.4kg。最高位は西幕下40枚目(2022年3月場所)。 父は元関脇の貴闘力忠茂、祖父は第48代横綱の大鵬幸喜。長兄はプロレスラーの納谷幸男。弟は同部屋の王鵬幸之介、夢道鵬幸成。従兄は元大相撲力士の若闘力。曽祖父はマルキャン・ボリシコ。 父親は元関脇・貴闘力(1998年当時は現役幕内力士)、母親は第48代横綱・大鵬(当時、大鵬親方。大鵬部屋師匠)の三女であり、男4兄弟の次男として生まれた。中央区立有馬小学校3年次から地元の江東青龍館で相撲を始めた。
藤健勝 歩紀(ふじけんしょう いぶき、1997年4月9日 -… 藤健勝 歩紀(ふじけんしょう いぶき、1997年4月9日 - )は、埼玉県上尾市出身で、藤島部屋に所属した元大相撲力士。本名は勝呂 歩紀(すぐろ いぶき)。身長168.5cm、体重147.7kg。最高位は西幕下50枚目(2022年9月場所)。 弟の藤闘志も同じ藤島部屋に所属していた。 上尾市立鴨川小学校1年次から上尾市立南中学校3年次までは柔道をしており、相撲は小学校5年次から柔道の体づくりの一環として地元のさいたま相撲クラブで習っていた。中学校3年次には相撲の白鵬杯で個人3位に入賞している。中学校卒業後は明大中野高校へ進学し、2年次に高校総体ベスト16、3年次に国体個人ベスト16の実績を残した。
爆羅騎 源氣(ばらき げんき、本名:伊藤 爆羅騎(いとう ば… 爆羅騎 源氣(ばらき げんき、本名:伊藤 爆羅騎(いとう ばらき)、1994年5月10日 - )は、埼玉県所沢市出身で式秀部屋に所属した元大相撲力士。身長163.8cm、体重106.4kg。最高位は東幕下58枚目(2014年1月場所)。好物は豚まん。実兄は立浪部屋に所属した元幕下・羅王。 日本人の父、フィリピン人の母の間に埼玉県で生まれる。小学3年のときに入間市にある入間少年相撲クラブで相撲を始める。小学4年のときに両国国技館で相撲観戦していたところ、当時北の湖部屋の現役力士だった北桜に部屋見学に誘われた。 中学3年までの4年間は柔道も経験したが、中学卒業後は福岡県の希望が丘高等学校に相撲留学し相撲に専念することとなる。
彩の湖 拓也(あやのうみ たくや、1992年〈平成4年〉3月… 彩の湖 拓也(あやのうみ たくや、1992年〈平成4年〉3月23日 - )は、埼玉県草加市出身の元大相撲力士。北の湖部屋に所属していた。本名は相山 拓也(あいやま たくや)。 身長172cm、体重126kg。2007年(平成19年)3月場所で初土俵を踏み、最高位は幕下東14枚目。得意技は内無双、下手投げ、寄り。 埼玉県草加市に生まれる。小学生時代から野球・水泳・サッカー・器械体操など多種目のスポーツに取り組み、運動神経と身体能力を養った。 中学生になると鍛錬を重ね、中学校卒業後に大相撲の道を志し、北の湖部屋へ入門。2007年(平成19年)3月場所で初土俵を踏んだ。 2015年(平成27年)5月場所では三段目優勝を果たし、幕下中位まで番付を上げる。
彩 尊光(いろどり たかてる、1992年3月10日 - )は… 彩 尊光(いろどり たかてる、1992年3月10日 - )は、埼玉県越谷市出身で、錣山部屋に所属した元大相撲力士。本名は松本 豊(まつもと ゆたか)。身長181.1cm、体重137.1kg、血液型はA型。締め込みの色は水色。 最高位は西十両11枚目(2020年1月場所)。 幼少期は堀切洸助(後の関脇・阿炎)の通っていた相撲道場の良き仲間として堀切と交流を重ね、可愛がられていた堀切はそのこともあって相撲を辞めずに道場通いを続けた。2007年3月場所初土俵。同期には土佐豊、琴恵光らがいる。2011年は1年を通して幕下の地位にあり、本人はTwitterで所得税の課税対象になったことを言及していた。2013年頃は当時所属していた時津風一門の大関(当時、後に横綱)鶴竜の付け人をしていた。
貴月芳 将匡(たかげっぽう まさただ、1990年4月19日 … 貴月芳 将匡(たかげっぽう まさただ、1990年4月19日 - )は、埼玉県越谷市出身で貴乃花部屋に所属した元大相撲力士。本名は小笠原 将匡(おがさわら まさただ)。身長173cm、体重132kg、血液型はA型。最高位は西幕下14枚目(2013年1月場所)。同じ貴乃花部屋に所属していた貴斗志将吏は双子の弟。 小学5年生で双子の弟(将吏)とともに相撲を始める。その後、兄弟で茨城県の東洋大牛久高校に進学。2008年(平成20年)のインターハイで同校を団体の部初優勝に導く。 高校卒業に合わせて父親の勧めで貴乃花光司が師匠を務める貴乃花部屋に入門。新弟子検査では容姿や身長、体重、取り口も同じであることから親方衆の注目を集める(ただし弟に比べるとやや突き押し相撲を好む傾向がある)。
貴斗志 将吏(たかとし まさおき、1990年4月19日 - … 貴斗志 将吏(たかとし まさおき、1990年4月19日 - )は、埼玉県越谷市出身で貴乃花部屋に所属していた元大相撲力士。本名は小笠原 将吏(おがさわら まさおき)。身長187cm、体重130kg、血液型はA型。最高位は西幕下3枚目(2014年11月場所)。同じ貴乃花部屋に所属していた貴月芳将匡は双子の兄。 小学5年生で双子の兄(将匡)とともに相撲を始める。その後、兄弟で茨城県の東洋大牛久高校に進学。2008年(平成20年)のインターハイで同校を団体の部初優勝に導く。 高校卒業に合わせて父親の勧めで貴乃花光司が師匠を務める貴乃花部屋に入門。新弟子検査では容姿や身長、体重、取り口も同じであることから親方衆の注目を集める(ただし兄に比べるとやや四つ相撲を好む傾向がある)。
宝香鵬 宏作(ほうかほう こうさく、1989年6月21日 -… 宝香鵬 宏作(ほうかほう こうさく、1989年6月21日 - )は、埼玉県春日部市出身で、宮城野部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は藤田 宏作(ふじた こうさく)。身長186.5cm、体重160.0kg、血液型はO型。自己最高位は西幕下3枚目(2021年9月場所・11月場所)。 埼玉栄高校ではレスリング部に所属。大相撲2006年5月場所を父親と共に両国国技館で観戦し、その帰りに両国散策をしていたところ、当時大関であった白鵬からスカウトを受けた。これを受け、親孝行をするために高校を2年で中退して白鵬の所属する宮城野部屋(元十両・金親)に入門、2007年3月場所で初土俵を踏む。初土俵時の四股名は「宝香山」。
常幸龍 貴之(じょうこうりゅう たかゆき、1988年8月7日… 常幸龍 貴之(じょうこうりゅう たかゆき、1988年8月7日 - )は、東京都北区出身で木瀬部屋(入門時は北の湖部屋)に所属した元大相撲力士。日本大学相撲部出身。本名は佐久間 貴之(さくま たかゆき)。身長188cm、体重170kg。最高位は東小結(2014年9月場所)。 小学2年から東京都文京区の針ヶ谷相撲クラブで相撲を始めて中学卒業まで通った。しかし、そんな佐久間少年が子供のころに憧れていたのは力士ではなく呼出しだった。「中学2年までは体が小さく、なかなか勝てなかった。その代わり、町内会から借りてきた太鼓を家で良く叩いてました。」と当時を振り返った記事もあり、相撲は中学限りで辞めるつもりであったという。
マービンJr.(マービン・ジュニア、Marvin Jr.、1… マービンJr.(マービン・ジュニア、Marvin Jr.、1987年4月10日 - )は、日本のお笑いタレント、元大相撲力士。 東京都荒川区出身。追手風部屋を経て、現在はワタナベエンターテインメント所属。松丸ほるもんとのお笑いコンビ・まんぷくフーフー(活動休止中)及び、チャパティとのコンビ・サノシタラで活動。 大相撲時代の四股名は大翔勇 真亜敏(だいしょうゆう まあびん)。大相撲時代の体格は身長175cm、体重151kg。最高位は西幕下18枚目(2007年5月場所)。本名、佐野マービン・リー・ジュニア(さの マービン・リー・ジュニア、Sano Marvin Lee Jr.)。 父はアメリカ・ニューオーリンズ出身の元海兵隊員で現在は日本のFMラジオ局「Inter FM」でDJとして活躍しているマービン・デンジャフィールド。
山本山 龍太(やまもとやま りゅうた、1984年5月8日 -… 山本山 龍太(やまもとやま りゅうた、1984年5月8日 - )は、埼玉県さいたま市西区(旧大宮市、生まれは北足立郡伊奈町)出身で尾上部屋に所属した元大相撲力士。 本名は山本 龍一(やまもと りゅういち)、愛称はリュウ。身長190cm、体重266kg。重さを生かしたがぶり寄りを得意とするが、スピードと巧さを持ち、投げ技も多い。新入幕記者会見では自ら「ドンブリ王子」と名乗る。日大相撲部出身。最高位は西前頭9枚目(2009年5月場所)、2011年2月の身体測定で現役力士最重量記録を更新し、巨大なあんこ型力士として人気を博したが、2011年に大相撲八百長問題に関与したとされ引退した。現在は渡米し、アメリカ・ロサンゼルスでタレントYAMAとして活躍している。
境澤 賢一(さかいざわ けんいち、1983年4月11日 - … 境澤 賢一(さかいざわ けんいち、1983年4月11日 - )は、埼玉県さいたま市南区(旧浦和市)出身で尾上部屋所属(入門時は三保ヶ関部屋)の大相撲力士。本名は境澤賢一(さかいざわ けんいち)、愛称はケンイチ。身長190cm、体重162kg、血液型はA型。得意手は右四つ、寄り。最高位は西前頭15枚目(2008年3月場所)。2011年の大相撲八百長問題にて引退勧告を受け、引退した。
剣武 輝希(つるぎだけ てるき、1979年2月7日 - )は… 剣武 輝希(つるぎだけ てるき、1979年2月7日 - )は、埼玉県秩父郡小鹿野町出身で藤島部屋(入門時は武蔵川部屋)に所属した元大相撲力士。本名は宮本 一輝(みやもと かずてる)。身長181cm、体重168kg。最高位は西前頭16枚目(2011年11月場所)。得意技は突き・押し、血液型はB型。 小鹿野町で温泉旅館「宮本家」を経営する一家の長男として生まれる。埼玉県立秩父農工高等学校から教員志向の強い日本体育大学を経て角界入り。日体大を卒業しての角界入りは史上初めてだった。大学時代の同期には同部屋となる垣添(現・雷)がいる。同じ場所で初土俵を踏んだ力士に後の横綱・白鵬や幕内・猛虎浪がいる(ちなみに両者とも対戦経験は無い)。
5代木村善之輔(ごだい きむら ぜんのすけ、1978年(昭和… 5代木村善之輔(ごだい きむら ぜんのすけ、1978年(昭和53年)4月4日 - )は、大相撲の十両格行司である。本名は木村 誠(きむら まこと)。春日野部屋所属。血液型はO型。 埼玉県富士見市出身。1994年5月場所で木村将二の名で初土俵を踏む。2015年5月場所十枚目格昇進、5代木村善之輔に改名。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
栃不動 周二(とちふどう しゅうじ、1977年6月14日 -… 栃不動 周二(とちふどう しゅうじ、1977年6月14日 - )は、埼玉県朝霞市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は藤原 周二(ふじわら しゅうじ)。身長190cm、体重168kg。最高位は西十両12枚目(2004年1月場所)、血液型はA型。 小学校時代から相撲を初め、朝霞市立朝霞第二中学校時代は柔道部に所属していたが相撲も取り続けた。中学卒業と同時に春日野部屋に入門。1993年(平成5年)3月場所に初土俵を踏んだ。同年9月場所には序ノ口で6勝1敗の成績で優勝決定戦に進出、実兄・藤原(最高位は序二段)と対戦し惜しくも敗れ優勝を逃した。これは本場所の土俵で史上初めての兄弟対決となったことから、当時は話題になった。
木村 千鷲(きむら ちしゅう、1977年(昭和52年)4月1… 木村 千鷲(きむら ちしゅう、1977年(昭和52年)4月17日 - )は、大相撲の十両格行司である。本名は小林 亮太(こばやし りょうた)。出羽海部屋所属。血液型はB型。 埼玉県川口市出身。1993年11月場所、3代木村保之助の名で初土俵を踏む。 2007年1月場所幕下格昇進、このときに4代木村林之助を襲名したが、2010年1月から2月に亘る不祥事(当時の妻及び実子への暴行)により、執行猶予付きの有罪判決を受け、2010年11月場所と2011年1月場所の2場所は出場停止の処分となった。これを機に2011年1月場所に木村林之助の名跡を返上し木村千鷲に改名した。2015年5月場所十枚目格に昇進。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。
後藤 友和(ごとう ともかず、1976年7月4日 - )は、… 後藤 友和(ごとう ともかず、1976年7月4日 - )は、埼玉県川口市出身で貴乃花部屋(入門時は藤島部屋)に所属していた元大相撲力士。本名同じ。身長186cm、体重181kg、得意手は左四つ、寄り、最高位は東幕下筆頭(2002年初場所)、血液型はB型、趣味は音楽鑑賞。一般には藤ノ花の四股名で認知される。 川口東中学校2年から相撲を始め、3年時に関東中学校相撲大会で優勝。名門埼玉栄高校からも勧誘され、本人も高校から大学と相撲を続け、そこから大相撲界に入門するつもりだったが、相撲部の顧問に勧められて稽古見学に行った藤島部屋で当時の藤島親方(元大関貴ノ花)のラブコールを受け、迷った末に入門を決意。1992年3月に初土俵を踏んだ。
大翔大 豪志(だいしょうだい つよし、1976年2月25日 … 大翔大 豪志(だいしょうだい つよし、1976年2月25日 - )は、東京都江戸川区出身で追手風部屋(入門時は友綱部屋)に所属していた元大相撲力士。2代目大翔山。本名は西野 豪(にしの つよし)。身長176cm、体重162kg。最高位は西十両筆頭(2006年1月場所)。得意手は突き・押し四股名 西野→大翔大→大翔山趣味はスポーツ観戦と映画鑑賞。現役引退後、追手風部屋マネージャー。 小学生の頃から相撲を始め、埼玉栄高等学校、日本大学時代を通じて同級生の齊藤(元関脇・追風海)と共に活躍した。幕下付出の資格を得ることは出来なかったが、齊藤と共に追手風親方(元前頭2枚目・大翔山)の内弟子として友綱部屋に入門。
光昭(みつあき、1975年(昭和50年)1月31日 - )は… 光昭(みつあき、1975年(昭和50年)1月31日 - )は、大相撲の幕内呼出である。本名は金井 光昭(かない みつあき)。埼玉県本庄市出身。鳴戸部屋→田子ノ浦部屋所属。血液型はO型。
出羽平 真一(でわたいら しんいち、1974年9月13日 -… 出羽平 真一(でわたいら しんいち、1974年9月13日 - )は、東京都足立区出身で出羽海部屋所属の元大相撲力士。本名は平 伸一(たいら しんいち)、身長178cm、体重152kg。趣味は散歩。最高位は西十両4枚目(1999年11月場所)。得意手は突き、押し。血液型はB型。 葛飾区立上千葉小学校4年の頃から相撲を初め、6年生の時にわんぱく相撲全国大会で優勝した。葛飾区立青葉中学校3年の時には中学生横綱となり、埼玉栄高時代から全国大会に出場し将来を嘱望されていた。日本大学時代には全日本相撲選手権大会で入賞する活躍を見せた。大学卒業と同時に出羽海部屋に入門し、1997年3月場所に幕下付出で初土俵を踏んだ。
邦夫(くにお、1973年(昭和48年)5月19日 - )は、… 邦夫(くにお、1973年(昭和48年)5月19日 - )は、大相撲の十両呼出である。本名は前川 邦朗(まえかわ くにお)。埼玉県上尾市出身。若松部屋→高砂部屋所属。血液型はAB型。 張りのあるオペラ風の低音の美声で知られる人気の高い呼出である。
出羽の郷 秀之(でわのさと ひでゆき、1970年11月22日… 出羽の郷 秀之(でわのさと ひでゆき、1970年11月22日 - )は、埼玉県三郷市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は川原 秀之(かわはら ひでゆき)。身長182cm、体重127kg。最高位は東十両14枚目(2005年5月場所)、血液型はO型。現役終盤期は周囲から「出羽じい」と呼称されていた。 三郷市立彦糸中学校時代には陸上部に所属。中学卒業後の1986年5月場所初土俵。序ノ口を1年、序二段を3年で通過し、決して速くはないが着実に番付を上げた。三段目で足踏みをしてしまい2度の序二段転落も経験した。1995年7月場所に幕下に昇進し、三段目との往来はあったが中位まで番付をあげた。十両が見え始めたかに思えた2003年5月場所中に怪我をして三段目まで番付を落としてしまう。
大若松 好弘(おおわかまつ よしひろ、1966年11月17日… 大若松 好弘(おおわかまつ よしひろ、1966年11月17日 - )は、埼玉県越谷市出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。本名は若松 好弘(わかまつ よしひろ)。身長188cm、体重158kg。得意手は左四つ、上手投げ。最高位は東前頭13枚目(1991年1月場所)。 中学時代はテニス部に所属していた。その頃から体が大きかったため、中学2年の時に父親の知人から、大鵬親方(元横綱・大鵬)を紹介され入門を決意。中学卒業と同時に大鵬部屋に入門し、1982年3月場所に初土俵を踏んだ。苗字が年寄株「若松」と同じであったため、苗字に「大」を付けて大若松の四股名を名乗ることとなった。以降、幕下でやや苦労したものの着実に番付を上げて行き、1988年9月場所には十両に昇進した。
熊翁 博(くまおう ひろし、1965年10月2日 - 199… 熊翁 博(くまおう ひろし、1965年10月2日 - 1997年10月6日)は、埼玉県熊谷市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 洋之(さとう ひろゆき)。得意手は押し、諸差し、寄り。身長176cm、体重118kg。最高位は東十両5枚目(1990年11月場所)、血液型はB型。 溶接工の長男で、小学5年生から6年生の間は地元のソフトボールチームに所属して投手兼主将を務めた。熊谷市立別府中学校ではバレーボール部に所属し、3年次には陸上競技にも打ち込んだが、自身は高見山のファンで力士を志願しており、高砂(元横綱・朝潮)にも直接入門志願の手紙を出していた。高砂に部屋の見学に招待されて赴いた後に入門を決意し、中学卒業と同時に高砂部屋に入門。
出羽の邦 真光(でわのくに まさみつ、1964年1月15日 … 出羽の邦 真光(でわのくに まさみつ、1964年1月15日 - )は、埼玉県川口市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は畔蒜 敬人(あびる よしひと)、180cm、139kg。最高位は西十両3枚目。得意技は右四つ、寄り。 電気設計事務所の長男として生まれ、川口市立東中学校ではバスケットボール部・陸上部に所属していたが、相撲部から勧誘されて全国大会に出場した。中学校の相撲部の指導員が元出羽海部屋の幕下・出羽光でその知人から勧められて出羽海部屋に入門した。1979年3月場所に初土俵。1988年5月場所に十両に昇進。1989年3月場所まで6場所連続で在位し、1989年1月場所には自己最高位となる西十両3枚目まで番付を上げた。
田上 明(たうえ あきら、1961年5月8日 - )は、日本… 田上 明(たうえ あきら、1961年5月8日 - )は、日本の元男性プロレスラー、元大相撲力士、実業家、飲食店経営者。埼玉県秩父市出身。血液型A型。身長191cm、体重115kg。大相撲力士 - プロレスラー時代は身長192cm、体重120kg。 力士時代は押尾川部屋所属で四股名は玉麒麟 安正(たまきりん やすまさ)。最高位は西十両6枚目(1987年1月場所)。得意技は右四つ、寄り、上手投げ。 全日本プロレスの運営会社・全日本プロ・レスリング株式会社の取締役、プロレスリング・ノアの運営会社・株式会社プロレスリング・ノアの代表取締役社長、事業を譲渡されたノア・グローバルエンタテインメントの相談役を歴任した。
牛若丸 悟嘉(うしわかまる さとよし、1956年5月5日 -… 牛若丸 悟嘉(うしわかまる さとよし、1956年5月5日 - )は、埼玉県草加市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は江口 悟(えぐち さとし)。175cm、121kg。最高位は東十両8枚目。得意技は突き、押し。 1970年9月場所で初土俵、当初は本名にちなんだ「若江口」の四股名で通していたが、1976年11月場所後に過去に左網膜剥離で入院して手術を受けた時に心機一転を図るために、部屋の女将や神幸と相談して「牛若丸」に改名した。 改名した1977年1月場所では7戦全勝で幕下優勝を果たし、見事翌場所の十両昇進を決定づけた。 1978年3月場所限りで廃業。廃業後は東京都品川区五反田でスナック「牛若丸」を開き経営したが、1981年に閉店して琴の製造業を営んだ。
小沼 克行(こぬま かつゆき、1955年(昭和30年)8月1… 小沼 克行(こぬま かつゆき、1955年(昭和30年)8月14日 - )は、埼玉県春日部市大字粕壁出身で鏡山部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。身長180cm、体重134kg。得意手は左四つ、寄り。自己最高位は東前頭9枚目(1976年(昭和51年)5月場所)。通称・北の湖二世。 埼玉県立草加高等学校を中退後、角界入り。1971年(昭和46年)7月、元横綱・柏戸が興した鏡山部屋より初土俵を踏んだ。角界入りの動機は、以前より柏戸に心酔していたことであった。 なお、高校在学時までは、砲丸投げやサッカーなどを得意としていた。 入門当初から期待され、着々と番付を上げていった。 1975年(昭和50年)7月場所にて、同部屋の先輩である安達(後の前頭筆頭・蔵玉錦)と同時に十両へ昇進。
雷昊 充敏(らいこう みつとし、1954年12月14日 - … 雷昊 充敏(らいこう みつとし、1954年12月14日 - )は、埼玉県越谷市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は荒川 賢次。179cm125kg。最高位は東幕下2枚目。 1969年5月初土俵、1980年9月引退。志州山真国と同じく最高位が幕下で最多となる十両力士との対戦10番を誇る。雷昊充敏以前に立浪部屋所属の雷昊がいたが別人物(最高位三段目)である。 1980年5月場所には東幕下2枚目と関取目前まで進出したが、関取昇進はならず、これが最高位となった。ちなみにその場所では、取組編成における調整の関係上、9日目に6番相撲を取り、10~14日目が5日連続取組なしとなり、千秋楽に7番相撲を取るという珍しい形となっている(その場所の星取は「●や○や●や○○●ややややや●」の3勝4敗)。
栃富士 勝健(とちふじ かつたけ、1946年6月8日 - 2… 栃富士 勝健(とちふじ かつたけ、1946年6月8日 - 2003年4月28日)は、埼玉県大里郡三尻村(現・熊谷市)出身(出生地は東京都渋谷区)で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は小暮 晴男(こぐれ はるお)。最高位は東前頭3枚目(1971年5月場所)。身長186cm、体重141kg。得意手は左四つ、寄り。 渋谷区立上原中学校在学時の1961年に春日野部屋へ入門し、同年5月、14歳で初土俵を踏んだ。 小兵力士が多かった同部屋に於いて、珍しい大型力士として早くから注目されていた。 幕下までは順調に昇進するも、ここで苦労する。特に1967年3月場所では東幕下筆頭で6勝1敗と好成績を挙げながら、場所後の「番付枚数削減」に伴う関取一挙16人削減の影響を受けて翌5月場所では東幕下3枚目に下げられた。
大熊 元司(おおくま もとし、本名同じ、1941年12月18… 大熊 元司(おおくま もとし、本名同じ、1941年12月18日 - 1992年12月27日)は、日本のプロレスラーおよび大相撲力士。埼玉県草加市出身。 大相撲時代は崎錦(さきにしき)の四股名で伊勢ヶ濱部屋に所属、最高位は幕下93枚目。プロレス転向後は中堅のラフファイターとして活躍した。愛称は「クマさん」。 中学校卒業後に大相撲の伊勢ヶ濱部屋へ入門し、1957年5月場所に大熊の四股名で初土俵を踏んだ。1958年11月場所から四股名を崎錦と改名したが伸び悩んでしまい、1962年5月場所をもって廃業した。大相撲を廃業して間もない同年5月に日本プロレスへ入門し、1ヶ月後の6月5日に名古屋市金山体育館大会で北沢幹之を相手にデビューを果たす。
若秩父 髙明(わかちちぶ こうめい、1939年3月16日 -… 若秩父 髙明(わかちちぶ こうめい、1939年3月16日 - 2014年9月16日)は、埼玉県秩父郡高篠村(現:埼玉県秩父市)出身で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は加藤 髙明(かとう こうめい)。最高位は西関脇(1963年7月場所・同年9月場所)。現役時代の体格は175cm、150kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。 本名は周囲から「たかあき」と読まれることが多いそうだが、本名・四股名共に読みは「こうめい」である。 1939年3月16日に埼玉県秩父郡高篠村(現:埼玉県秩父市)の大日本帝国陸軍軍人の家に長男として生まれる。小学生の頃から大食いで体格が大きくなり、高篠中学校では相撲部に所属して毎日一升の飯を食い、秩父郡の相撲大会で活躍した。
紅葉川 孝市(もみじがわ こういち、1895年3月5日 - … 紅葉川 孝市(もみじがわ こういち、1895年3月5日 - 1967年12月9日)は、埼玉県北埼玉郡(現在の鴻巣市)出身で友綱部屋に所属した大相撲力士。本名は岡戸 孝市(おかど こういち)。最高位は小結。身長171cm、体重90kg。引退後は年寄として後進の指導につとめた。 大相撲常設館落成の1909年6月場所に友綱部屋から初土俵を踏む。祖父の兄弟は杣ヶ花渕右エ門。 若い頃はなかなか出世せず、神経痛に苦しんだ時期にはフグで自殺を図り自ら捌いて食したが、死なないどころか逆に毒が薬になったのか神経痛が治り、それ以降地力を増して1914年5月新十両、1916年5月新入幕を果たし1920年1月と1921年5月は小結を務めた。
高武藏 源太郎(たかむさし げんたろう、1879年(明治12… 高武藏 源太郎(たかむさし げんたろう、1879年(明治12年)8月4日 - 1948年(昭和23年)4月30日)は、明治から大正期にかけての大相撲力士。本名は高橋源次郎、のち野地に改姓。 現在の埼玉県所沢市出身。元々行司として入門したらしく、1893年1月から1895年1月まで番付行司欄に見える木村源二郎と思われる[要出典]。その後力士となり、1896年5月に高武蔵源太郎で序ノ口、1897年5月序二段に上がる。1898年5月に一度三段目に昇進し、一旦序二段陥落の後1900年5月に三段目に再昇進してからは定着した。1903年5月には幕下に昇進し、1908年1月幕下9枚目まで昇進するが幕下が長く、1917年1月三段目に陥落するまで13年幕下にいた。
荒虎 敬之助(あらとら けいのすけ、1844年(天保14年)… 荒虎 敬之助(あらとら けいのすけ、1844年(天保14年)1月4日(旧暦11月15日) - 1882年(明治15年)9月19日)は、武蔵国北埼玉郡(現:埼玉県加須市)出身の元大相撲力士。本名は小室 敬之助(こむろ けいのすけ)。 幼少期から相撲好きで身体も大きく、古川藩の二人の侍と喧嘩した際には相手を掴んで拍子木のように打ち合わせたと伝わる。若藤部屋に入門し、1865年2月場所で序ノ口から初土俵を踏むと1871年3月場所で新十両に昇進、1874年12月場所で新入幕を果たした。突っ張って動き回る取り口で幕内での勝率は5割前後で推移したが、精悍な容貌で人気があり、当時の力士としては珍しく読み書きができ、数理に明るかった。
杣ヶ花 渕右エ門(そまがはな ふちえもん、1818年(文政元… 杣ヶ花 渕右エ門(そまがはな ふちえもん、1818年(文政元年) - 1849年10月12日(嘉永2年8月26日))は、武蔵国埼玉郡(現在の埼玉県鴻巣市)出身で雷部屋に所属した力士。本名は岡戸、諱は不明。身長体重不明。最高位は東前頭5枚目。 1837年1月に雷部屋から初土俵を踏み、1846年11月、数え29歳にして入幕を果たした。入幕までは時間がかかったが、入幕後は実力を発揮、1849年3月に5枚目まで番付を上げたが、8月に巡業中の庄野宿で現役中のまま没した。兄弟の孫に紅葉川孝市がいる。 幕内6場所23勝19敗11休7分預 紅葉川浪藏→杣ヶ花渕右エ門
柏戸 宗五郎(かしわど そうごろう、1767年(明和4年) … 柏戸 宗五郎(かしわど そうごろう、1767年(明和4年) - 1818年2月18日(文化15年1月14日))は、江戸時代の大関。武蔵国足立郡(現・草加市)出身。本名は大久保 清五郎。身長184cm、体重116kg。雷電爲右エ門の好敵手として名があるが、自身も強豪大関の一人だった。享保2年2月関脇昇進。 同郷の縁で3代伊勢ノ海の弟子となった。当時の力士としては珍しく序ノ口で初土俵(天明6年(1786年)11月)。若名乗りは滝ノ音。新入幕は寛政7年(1795年)11月。新入幕の場所、雷電不在場所ではあったが、8勝1敗1休で優勝相当成績を残す。寛政10年(1798年)3月場所4日目、師匠の急死によって二枚鑑札で4代伊勢ノ海を襲名。
柏戸 村右衛門(かしわど むらえもん、元文3年(1738年)… 柏戸 村右衛門(かしわど むらえもん、元文3年(1738年) - 寛政8年(1796年))は、武蔵国(現在の埼玉県)出身の元大相撲力士。 現在の埼玉県加須市北川辺町出身。 初代伊勢ノ海(幕内・伊勢ノ海五太夫)が開いた伊勢ノ海部屋に入門。宝暦9年(1759年)3月場所の五段目(現在の序ノ口に相当)が番付初見。大半は二段(現在の幕下に相当)の地位にあり、途中備前藩主池田家の抱えとなり、三千ノ川強右衛門を名乗ったこともある。初代没後の安永5年(1776年)1月場所に38歳にして新入幕を果たした。 安永9年(1780年)10月場所以降は既に二枚鑑札となっており、天明元年(1781年)には現役のまま勧進元をつとめる等、初代、2代伊勢ノ海(関ノ戸億右エ門)と同様、興業的手腕や事務的能力を発揮。
伊勢ノ海 五太夫(いせのうみ ごだゆう、? - 安永3年7月… 伊勢ノ海 五太夫(いせのうみ ごだゆう、? - 安永3年7月9日(1774年8月15日))は、武蔵国(現在の埼玉県)出身の元大相撲力士。 現在の埼玉県加須市戸崎出身。 現役時代は初代春日山鹿右衛門の弟子、頭書は「仙台」。現役時代の事績は資料が少なく不明であるが、寛保3年(1734年)時点では東前頭11枚目、宝暦4年(1754年)時点では西前頭14枚目に在籍していることが確認できるという。 年寄となってからの伊勢ノ海が知られており、1755年に四股名をそのまま年寄名跡とし、以後、勧進元5回、差添(勧進元の補佐的地位)12回を務めていることから、江戸相撲会所(現在の日本相撲協会)内で興行的手腕のある中心的人物であったようである。