北嶋 秀朗(きたじま ひであき、1978年5月23日 - )… 北嶋 秀朗(きたじま ひであき、1978年5月23日 - )は、千葉県習志野市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元日本代表。現役時代のポジションはフォワード。愛称はキタジ。 市立船橋高校時代に、第73回、第75回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。第75回大会決勝では中村俊輔擁する桐光学園高等学校を破り、優勝。同大会では6得点を奪い得点王・優秀選手となった。選手権大会通算16得点を挙げたが、これは当時の通算最多得点数であった。森崎嘉之、鈴木和裕、茶野隆行は2学年上、式田高義、砂川誠は1学年上、中村直志、吉川京輔、佐藤陽彦は高校の同級生である。 1997年、柏レイソルに入団。プロ3年目の1999年からは柏のエースとして活躍し、翌年には得点王争いに絡む活躍を見せると、フィリップ・トルシエ率いる日本代表にも召集される。
平川 雅之(ひらかわ まさゆき、1978年5月21日 - )… 平川 雅之(ひらかわ まさゆき、1978年5月21日 - )は、千葉県出身のサッカー指導者。 柏レイソルの下部組織出身。少年時代は北嶋秀朗と千葉県選抜で2トップを組んでいた。 日本大学卒業後に一般企業へ就職するが、サッカーに携わりたいとの思いが強く指導者ライセンスを取得し、2003年に古巣の柏レイソルジュニアのコーチに就任。2005年からトップチームのコーチを務め、2007年からはテクニカルスタッフとして、チームを縁の下から支えている。
菅原 大介(すがわら だいすけ、1978年5月4日 - )は… 菅原 大介(すがわら だいすけ、1978年5月4日 - )は、千葉県出身のサッカー指導者。JFA 公認S級コーチライセンスを有する 。現在はサッカー日本代表のセットプレーコーチを務める。
油原 丈著(ゆはら たけあき、1978年1月13日 - )は… 油原 丈著(ゆはら たけあき、1978年1月13日 - )は、千葉県流山市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。 柏レイソルの下部組織から、1996年にトップチームへ昇格するも1年限りで退団し、以後多くのクラブを渡り歩いた。2004年シーズンを最後に現役引退。 引退後の2005年よりFC東京の育成部のGKコーチとなり、浅野寛文と交互にFC東京U-15深川、U-15むさしのGKコーチを務め、2010年には両チームとも担当。同年、日本サッカー協会公認B級コーチライセンスを取得した。 2011年よりジュビロ磐田の下部組織でGKコーチを務める。 2014年、FC町田ゼルビアGKコーチに就任。
式田 高義(しきだ たかよし、1977年11月25日 - )… 式田 高義(しきだ たかよし、1977年11月25日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。 市立船橋高校2年生時の1994年度の高校選手権において、1学年上の森崎嘉之、鈴木和裕、茶野隆行らとともに優勝を経験。同学年に城定信次、松森亮らがいる。1学年下には、北嶋秀朗、中村直志、吉川京輔、佐藤陽彦らがいる。 1996年にジェフユナイテッド市原に加入し、2シーズン所属した。1998年から中央学院大学に通学していたが、1999年9月にアルビレックス新潟に加入。2000年シーズン終了後に戦力外通告を受けた。 現在は市立船橋高校のOBを中心に作られたジョカーレフットボールクラブの代表と市立船橋高校のコーチを務めている。
服部 公太(はっとり こうた、1977年11月22日 - )… 服部 公太(はっとり こうた、1977年11月22日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。渋谷教育学園幕張高等学校卒業。 現在は広島経済大学で監督を務めている。 5歳のころからサッカーを始める。主に攻撃的なMFとしてプレー、高校は渋谷幕張高校へ進学、宗像マルコス望から指導を受けている。高校3年次には千葉県選抜としてふくしま国体少年部門優勝、U-18日本代表にも選ばれた。東京ガスサッカー部(当時JFL)からの熱心なオファーを受けるつもりでいたが、渋谷幕張高校のコーチからJリーグでの挑戦を後押しされ、翻意する。 1996年、サンフレッチェ広島に入団。
松森 亮(まつもり あきら、1977年11月19日 - )は… 松森 亮(まつもり あきら、1977年11月19日 - )は、千葉県出身の元プロサッカー選手、実業家。 高校時代は市立船橋高校サッカー部に所属し、1995年(1994年度)の全国高校選手権に優勝。1996年にジュビロ磐田に入団、同年のAFCユース選手権にU-19日本代表として出場した。 ジュビロ磐田での2年間にJリーグ公式戦出場は無く、1997年シーズン後に戦力外通告を受けて現役を引退する。 引退後の1999年に明生情報ビジネス専門学校に入学。システム会社勤務を経て、サッカービジネス会社を設立。 その後、芸能事務所にも所属しライター活動やモデル活動も行う。 フリーでの活動を経て、ジュビロ磐田に在籍。
御厨 景(みくりや けい、1977年8月29日 - )は、千… 御厨 景(みくりや けい、1977年8月29日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック)。 習志野高校卒業後、1996年横浜マリノスに入団。高校の同級生では廣山望、福田健二が同じくプロに進み、小田島隆幸、西脇徹也、桜井啓も大学卒業後にプロ選手となる。横浜Mでは1年目から右サイドハーフとして活躍するが、翌年は監督交代の影響で出場機会が激減。 1997年にはU-20日本代表の右サイドハーフとして、中村俊輔らと共にワールドユース選手権に出場。 1998年にJFLのブランメル仙台に移籍。仙台では主に左サイドバックとしてプレーした。2000年に現役を引退。
砂川 誠(すなかわ まこと、1977年8月10日 - )は、… 砂川 誠(すなかわ まこと、1977年8月10日 - )は、千葉県習志野市出身の元サッカー選手・サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。 憧れのサッカー選手はヨハン・クライフ。好きなサッカー選手は三浦知良、ロベルト・バッジョ などがいる。コンサドーレ札幌に10年以上在籍した初の選手であり、2009年に札幌を一度も離れることなく引退した曽田雄志に次ぐ「ミスターコンサドーレ」と称される。また、曽田と同様にクラブの激動の時代を支え、J1クラブからのオファーを蹴って札幌に残留した「チーム愛」 や、後述の再契約の経緯にも見られるように、サポーターからの人気は高く、チャント(応援歌)では「俺達の砂川誠」と歌われている。
桜井 啓(さくらい けい、1977年6月30日 - )は、千… 桜井 啓(さくらい けい、1977年6月30日 - )は、千葉県出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。 2000年にJ2リーグ・ベガルタ仙台に加入したが同年をもって引退した。
廣山 望(ひろやま のぞみ、男性、1977年5月6日 - )… 廣山 望(ひろやま のぞみ、男性、1977年5月6日 - )は、千葉県袖ケ浦市出身の元サッカー選手、現指導者。ポジションはミッドフィールダー。(JFA公認S級コーチ) 千葉県市原市生まれ。幼稚園時に袖ケ浦市へ転居した頃からサッカーを始めた。習志野市立習志野高等学校では1995年に高校総体で優勝、また千葉県選抜として参加した第50回国民体育大会では少年男子の部で優勝した。習志野高校のサッカー部員は普通科ではなく商業科に進学するのが普通だったが、廣山は普通科に在籍し、3年間の評定平均値は4.8で学年1位であった。 1996年にジェフユナイテッド市原に入団。同時に千葉大学教育学部保健体育学科に推薦入学し、初の現役「国立大生Jリーガー」として話題となった。
鈴木 正人(すずき まさひと、1977年4月28日 - )は… 鈴木 正人(すずき まさひと、1977年4月28日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手(ゴールキーパー)。 1993年に「市船」の愛称で知られ、既に全国屈指の強豪校として名を馳せていた船橋市立船橋高校に入学。学校は1年時からの3年間全てで高校サッカー出場を果たしている。2年時の第73回大会では優勝を果たしたが、1学年上の伊藤竜一の控えであった。3年時はレギュラーを掴み第74回大会に出場したものの、準々決勝で東福岡高校にPK戦の末屈し、大会連覇を逃した。1学年上に森崎嘉之、同学年に砂川誠、1学年下に北嶋秀朗らが在籍していた。卒業後の1996年に専修大学に進学。在学中は天皇杯にも出場した。 2000年に、当時J2所属の湘南ベルマーレに入団。
加納 昌弘(かのう まさひろ、1977年4月4日 - )は、… 加納 昌弘(かのう まさひろ、1977年4月4日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。 専修大松戸高校、専修大学卒業。 2000年にJ2リーグのヴァンフォーレ甲府に加入。J2リーグで3シーズンプレーし67試合に出場、2002年に引退した。 引退後は指導者に転身。専修大松戸高校、クーバー・コーチング・ジャパン、ヴィヴァイオ船橋サッカークラブ、船橋北高校での指導歴があり、日本サッカー協会公認B級コーチライセンスを持つ。
シルバ・ジョゼ・レイナルド・フェルナンデス(Silva Jo… シルバ・ジョゼ・レイナルド・フェルナンデス(Silva Jose REINALDO Fernandes、1976年12月28日 - )は、ブラジル出身のサッカー選手、サッカー指導者。 ブラジルからの留学生として渋谷幕張高校に入学し、立正大学に進む。高校時代には千葉県国体代表、大学時代には東京都大学選抜に選出された。専門学校のジャパン・スポーツ・サイエンス・カレッジを経て、2000年に湘南ベルマーレに入団、6月からはヴェルディ川崎に移籍。 2001年~2002年にジーコの兄エドゥーによるエドゥー・サッカーセンターにて選手兼コーチとしてコーチ業を学んだ後、2003年中京高校のヘッドコーチに就任、また2007年から2008年までは中京学院大学の監督も兼任した。
茶野 隆行(ちゃの たかゆき、1976年11月23日 - )… 茶野 隆行(ちゃの たかゆき、1976年11月23日 - )は、千葉県市川市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 船橋市立船橋高校を卒業し、森崎嘉之、鈴木和裕らと共に1995年にジェフユナイテッド市原に入団し、市船トリオと呼ばれた。高校の1学年下には式田高義、2学年下には北嶋秀朗、中村直志、吉川京輔、佐藤陽彦がいる。 のちにレギュラーに定着し、2004年4月25日には日本代表として初出場した。 2005年に10年間在籍したジェフユナイテッド市原からジュビロ磐田に移籍した。磐田でもレギュラーを獲得したものの、慣れない3バックの左として起用されたため、当初は連携が上手くいかなかったりもしたが、徐々に慣れ、その地位を不動のものとした。
鈴木 和裕(すずき かずひろ、1976年11月16日 - )… 鈴木 和裕(すずき かずひろ、1976年11月16日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 左右両サイドバックとセンターバックをこなすDF。10代の頃は各年代別に選ばれ、財前宣之、中田英寿、松田直樹、宮本恒靖、吉田孝行、戸田和幸らと1993年U-17世界選手権へ選出され、1995年ワールドユースでレギュラーとしてプレーした。市立船橋高校では、3年時に全国高等学校サッカー選手権大会に主将として優勝を果たしている(市立船橋高校にとって初優勝)。当時のメンバーには同期に森崎嘉之、茶野隆行、2年後輩に北嶋秀朗がいる。 1995年、ジェフユナイテッド市原に森崎、茶野と共に入団し、市船トリオと呼ばれた。
宮沢 克行(みやざわ かつゆき、1976年9月15日 - )… 宮沢 克行(みやざわ かつゆき、1976年9月15日 - )は、千葉県習志野市生まれ、埼玉県春日部市育ちの元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
山口 伸一(やまぐち しんいち、1976年7月29日 - )… 山口 伸一(やまぐち しんいち、1976年7月29日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。
朝岡 隆蔵(あさおか りゅうぞう、1976年6月21日 - … 朝岡 隆蔵(あさおか りゅうぞう、1976年6月21日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 布啓一郎が監督を務める市立船橋高校に進学し、3年生だった1994年度に第73回高校選手権に出場し、同校初の全国優勝を果たした。この大会で朝岡は準々決勝までの4試合にMFとして出場して2得点をあげる ものの、準決勝と決勝は体調不良のために欠場し、優勝は自宅のテレビで見守った。 高校卒業後は、日本大学に進学してサッカーを続け、サッカー部主将も務めた。その後、教員免許を取得して2008年に母校の市立船橋高校に教員として赴任し、同校サッカー部のコーチを務めた。2011年4月に、石渡靖之の後任としてサッカー部監督に就任。
森崎 嘉之(もりさき よしゆき、1976年4月20日 - )… 森崎 嘉之(もりさき よしゆき、1976年4月20日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW。 船橋市立船橋高校在籍時の1994年の第73回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝し、8ゴールを挙げて得点王も獲得した。1995年、高校卒業後に鈴木和裕、茶野隆行と共にJリーグのジェフユナイテッド市原に入団。市船トリオと呼ばれた。 しかし、あくまで個人技が得意だった森崎にとって、チームプレイが重視されるチームの方向性がなじめず、当時のチームメイトのレベルの高さに圧倒されたこと や、出場選手として起用されず控えに留まっていた自分の状況や首脳陣の采配への不平不満を募らせていったこと、サポーターからのブーイングが日に日に大きくなったことなどで、ストレスを感じて意欲をなくし、試合上では高校時代に比べて思うような結果が出せず、練習やトレーニングにも身が入らなり、酒浸りやクラブ通いで現実逃避をする日が続き、チームメイトや首脳陣とのコミュニケーションも上手くいかなくなった。
林 威宏(はやし たけひろ、1976年1月23日 - )は、… 林 威宏(はやし たけひろ、1976年1月23日 - )は、千葉県我孫子市出身の元サッカー選手、元サッカー指導者。現役時代のポジションはFW。 2004年には日本フットボールリーグで最優秀選手に輝く活躍で、大塚製薬サッカー部のJ2昇格に貢献した。徳島ヴォルティスへチーム名を変更した2005年はケガの影響で1試合の出場にとどまる。 2006年も1試合のみの出場。シーズン後に大塚製薬からの出向期間満了に伴う戦力外通告を受けた。 2007シーズンから2010年まで徳島ユースのコーチを務めた。コーチ退任後は大塚製薬の社業に専念している。
大塚 真司(おおつか しんじ、1975年12月29日 - )… 大塚 真司(おおつか しんじ、1975年12月29日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 習志野高校在学時の1992年に第71回全国高等学校サッカー選手権大会に出場してベスト4の成績を残した。高校卒業後、ジェフユナイテッド市原に加入。高校の同級生に岩瀬健がいる。 1997年に出場機会を求め、川崎フロンターレに移籍。持ち前の豊富な運動量を生かし、主にボランチとして活躍。98年にはJ1参入決定戦1回戦に出場。99年のチームのJ1昇格に貢献した。その後大宮アルディージャ・モンテディオ山形・コンサドーレ札幌と渡り歩き、長年の経験を生かした読みの鋭いプレーで、いずれのチームでも中心選手として活躍した。
秋葉 忠宏(あきば ただひろ、1975年10月13日 - )… 秋葉 忠宏(あきば ただひろ、1975年10月13日 - )は、千葉県千葉市若葉区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー(センターバック)。 船橋市立船橋高等学校から1994年にジェフユナイテッド市原に入団。1995年からレギュラーとなり、主にボランチとして活躍。同年U-20日本代表として1995 FIFAワールドユース選手権に出場し、センターバックとしてチームの準々決勝進出に貢献した。翌1996年にはアトランタオリンピックのアジア予選を突破し、日本の28年ぶりの五輪出場に貢献。本大会のメンバーにも選出された。しかしナイジェリアとの試合でスタメンの田中誠の負傷退場によって急遽出場するもオウンゴールを犯してしまい、結果的にこの1失点が響き2勝しながらもグループリーグ敗退となった。
山木 里恵(やまき りえ、1975年10月2日 - )は、千… 山木 里恵(やまき りえ、1975年10月2日 - )は、千葉県出身の元女子サッカー選手、元フットサル選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー。 小学校3年生の時に部活でサッカーを始める。市川市立第八中学校に在籍していた頃、日産FCレディースに加入。1989年の第1回日本女子サッカーリーグ (JLSL) でヤングプレーヤー賞を受賞した4選手のうちの1人となった。 昭和学院高等学校に在籍中の1993年には日本代表に選出され、マレーシアのクチンで開催された第9回アジア女子選手権のチャイニーズタイペイ戦で初出場を果たした。 1994年、日産FCレディースの廃部により日興證券女子サッカー部ドリームレディースへ移籍。
岩瀬 健(いわせ けん、1975年7月8日 - )は、千葉県… 岩瀬 健(いわせ けん、1975年7月8日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、元フットサル選手、サッカー指導者。 1994年に浦和レッズに入団。同期には山田暢久などがいる。1995年に途中出場を果たす。1996年は怪我がちだったバインに代わり、背番号10をつけてスタメン出場を果たし、10節のマリノス戦ではJリーグ初ゴールを決めた。 のちに大宮アルディージャに在籍。引退後はPREDATOR FUTSAL CLUB(現:バルドラール浦安フットボールサラ)でフットサルに転向しフットサル日本代表にも選ばれた。その後、浦和レッズハートフルクラブや下部組織でコーチを務め、2013年からは柏レイソルのアカデミーで指導者を務めた。
西山 哲平(にしやま てっぺい、1975年2月22日 - )… 西山 哲平(にしやま てっぺい、1975年2月22日 - )は、千葉県柏市出身の元プロサッカー選手、及びサッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 1994年サントリーシリーズ最終戦(ヴェルディ川崎戦)にてデビュー。当時平塚の監督であった古前田充は、「2ndステージ(NICOSシリーズ)のために試しておきたかった」とコメントしている。当時絶対的存在であったFW野口幸司のサブとして考えていたようである。デビュー戦では19歳の若者らしい勢いのある突破を見せた。 2003年11月12日の練習中、右足脛腓骨骨折で全治6ヶ月の大怪我を負ったが、2004年9月18日東京ヴェルディ1969戦(味の素スタジアム)に後半29分から出場。
アンドレイ(ANDREY)ことアンドレイ・グスタボ・ドス・サ… アンドレイ(ANDREY)ことアンドレイ・グスタボ・ドス・サントス(Andrey Gustavo Dos Santos、1974年9月23日 - )はブラジル出身の元サッカー選手。 1993年、Jリーグ開幕の年にサンフレッチェ広島に入団。渋谷幕張高校からの初めてのJリーガーとなった。同期入団は、盧廷潤、上村健一、安部雄大、若松賢治。ポジションは主に中盤の右サイド、もしくは3-5-2システムの右アウトサイドを担当した。
立石 智紀(たていし とものり、1974年4月22日-)は、… 立石 智紀(たていし とものり、1974年4月22日-)は、千葉県出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
鬼木 達(おにき とおる、1974年4月20日 - )は、千… 鬼木 達(おにき とおる、1974年4月20日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。監督としてJリーグ史上初の、2クラブでJ1リーグ制覇を達成した指導者でもある。 船橋市立船橋高等学校を経て1993年に鹿島アントラーズに入団。同期入団には、秋田豊・奥野僚右・室井市衛らがいる。現役時代は同ポジションにジーコが君臨しており、出場機会は限られたが、ジーコが負傷した場面での交代選手して活躍。 鹿島アントラーズにはプロ入りの1993年から1999年の6年間在籍。1998年2月のアジアクラブ選手権1997-98準々決勝リーグ出場後の同年3月から同シーズン末まで、ジャパンフットボールリーグ(JFL)の川崎フロンターレへ期限付き移籍した。
和田 潤(わだ じゅん、1973年11月28日 - )は、千… 和田 潤(わだ じゅん、1973年11月28日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。 1989年、市立船橋高校に入学。1991年には千葉県選抜として国体に出場し、準優勝。同年度の全国高校選手権ではベスト4(3位)に進出し、同期の高田昌明と共に優秀選手に選出された。1992年に専修大学に進学し、1995年(4年生時)の関東大学リーグ2部で優勝を果たした。 1996年より東京ガスに入社し、同社サッカー部(現FC東京)に社員選手として入部。FWアマラオが負傷により出遅れたこともあって同年開幕戦から先発で起用されると、第3節まで3戦連続得点を挙げ、第4節では記録が途切れるものの第5節から第7節まで再び3試合連続得点を挙げる華々しいデビューを飾った。
山岸 佐知子(やまぎし さちこ、旧姓:馬場、 1973年10… 山岸 佐知子(やまぎし さちこ、旧姓:馬場、 1973年10月21日 - )は、千葉県市原市出身の元サッカー審判員。 高等学校時代まではサッカーと全く無縁であったが、短期大学在学中にサッカーに興味を持ってサッカー部に入部。その短大では一年生は審判資格取得が義務付けられていたため、4級審判員資格を取ったが、大学卒業と同時に更新を忘れて失効した。その後大学卒業と同時に故郷の市原へ戻った際に少年サッカーの試合運営を手伝ったところ、千葉県サッカー協会審判委員から審判講習受講を勧められ、改めて4級資格を更新し(取り直し)たという。 その後、1996年に3級、1997年に2級、2000年に女子1級とステップアップ、2009年には大岩真由美に続く女子2人目の1級審判員資格(男子のJリーグ公式戦や天皇杯全日本サッカー選手権大会などの試合に審判として出場が出来る)を取得した。
鈴木 敬之(すずき たかゆき、1973年10月4日 - )は… 鈴木 敬之(すずき たかゆき、1973年10月4日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。 1989年に習志野高校に入学し、1990年(2年生時)には全国高校選手権に出場しベスト8、1991年(3年生時)には千葉県選抜として国体に出場し、準優勝及び優秀選手賞を獲得した。1992年に中央大学に進学。同大学サッカー部では大熊清の指導を受けた。同期に新條宏喜。 1996年より東京ガスに入社。社員選手として、大熊が監督を務めるジャパンフットボールリーグ・東京ガスサッカー部(現 FC東京)に加入した。1997年のリーグ戦では、負傷離脱した正GK・堀池洋充に代わって鈴木が据えられ、広い守備範囲と安定した捕球で 堀池に劣らない活躍を見せ、リーグ2位入りに貢献した。
高田 昌明(たかだ まさあき、1973年7月26日 - )は… 高田 昌明(たかだ まさあき、1973年7月26日 - )は、千葉県習志野市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(センターバック)、MF(守備的MF)。 市立船橋高校3年次の全国高校サッカー選手権でベスト4進出に貢献。抜群の身体能力を買われて飛び級でバルセロナ五輪予選日本代表に選出、1992年1月のアジア最終予選に出場した。高校在学中の五輪選抜は初の出来事で当時の話題をさらった。卒業後、横浜フリューゲルスに入団。Jリーグ草創期のフリューゲルスを支える。当時の監督、加茂周がめざすゾーンプレスをダブルボランチの相方山口素弘と体現。エドゥー、モネール、前園真聖らタレントと共に活躍した。
サンドロまたはサンドロ・ローザことサンドロ・チャベス・デ・ア… サンドロまたはサンドロ・ローザことサンドロ・チャベス・デ・アシス・ロサ(Sandro Chaves de Assis Rosa、1973年5月19日 - )はブラジル・サンパウロ州出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(センターバック)だが、ミッドフィルダーでもプレー出来た。渋谷幕張高校卒業。現在は関東サッカーリーグ2部・厚木はやぶさFCの監督を務めている。 1989年、宗像マルコス望にスカウトされ、日本の渋谷幕張高校にサッカー留学生として入学。同校在学時に千葉県選抜の一員として国体に2度出場し、1990年福岡大会で優勝、1991年石川大会で準優勝。両大会ともベストイレブンに選出された。
四方田 修平(よもだ しゅうへい、1973年3月14日 - … 四方田 修平(よもだ しゅうへい、1973年3月14日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 サッカーを始めたのは横浜市で小学校に入学してからで、千葉県へ引っ越すまで約1年半プレーした。幼稚園時代から小学校2年生の途中までは岡野雅行と同級生として過ごし、同じサッカークラブに所属していた。千葉県へ引っ越した後は、地元にサッカーチームがなかったため野球を始めたが、小学校5年の時から再び部活動でサッカーに復帰した。 習志野市立習志野高等学校を卒業後、順天堂大学へ入学して蹴球部に所属。この頃から将来の指導者を目指し始めた。筑波大学大学院へ進学してコーチ学を学び、1996年から1998年まで筑波大学蹴球部コーチを務めた。
福原 喜和(ふくはら よしかず、1973年1月18日 - )… 福原 喜和(ふくはら よしかず、1973年1月18日 - )は、千葉県柏市出身の元サッカー選手。 ポジションは、DF。 西武台千葉高校から、1991年、JSL2部・川崎製鉄サッカー部に加入。次第に出場機会も増え、1994年シーズン後半から、レギュラーに定着したが、クラブのヴィッセル神戸移行後の1995年シーズンは、出場機会に恵まれず、同年退団となった。 豊富な運動量でグラウンドを走り回り、右サイドでチャンスを作り、堅実な守備をするディフェンダー。攻撃参加も鋭い。やさしく、何事にも真剣に取り組む。目標とする選手は、堀池巧。趣味は、スポーツ観戦。
新明 正広(しんみょう まさひろ、1972年7月16日 - … 新明 正広(しんみょう まさひろ、1972年7月16日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手である。ポジションはMF、FW。
小原 一典(おはら かずのり、1972年7月5日 - )はサ… 小原 一典(おはら かずのり、1972年7月5日 - )はサッカー指導者。JFA公認指導者の海外派遣により、ブータン代表監督や、カンボジア技術委員長を歴任している。 1972年7月5日生まれ、千葉県船橋市出身。船橋市立船橋高等学校でプレーした後、獨協大学法学部に進学し、サッカー部に所属。 1996年より草加ジュニアユースで指導者としての活動を開始。1999年から留学のためスペインへ渡り、地域リーグでプレーしたほか、ユースチームを含む4つのクラブで監督やアシスタントコーチを務めた。2003年にスペインサッカー連盟コーチングライセンスレベル3を取得、帰国後の2004年には日本サッカー協会公認C級コーチライセンスを取得した。
永田 崇(ながた たかし、1972年4月13日 - )は、千… 永田 崇(ながた たかし、1972年4月13日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 市立船橋高校、明治大学を経て、京都パープルサンガに入団。3シーズンプレーした後、引退した。
浮氣 哲郎(うき てつろう、1971年10月4日 - )は、… 浮氣 哲郎(うき てつろう、1971年10月4日 - )は、千葉県松戸市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 小学校4年生の時にサッカーを始める。 1994年に東京学芸大学を卒業し、東京ガスに入社。社員選手としてジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に所属する同社サッカー部(現 FC東京)でプレーし、1996年にはリーグ最小失点となる堅守を築きベストイレブンに選出された。 1996年限りで東京ガスを退社し、1997年にはJリーグのジェフユナイテッド市原(現 ジェフユナイテッド市原・千葉)へプロ契約で移籍した。市原では出場機会に恵まれず1年で退団。 翌1998年は古巣の東京ガスにプロ選手として復帰、DFラインの中核を担った。
浮氣 哲郎(うき てつろう、1971年10月4日 - )は千… 浮氣 哲郎(うき てつろう、1971年10月4日 - )は千葉県松戸市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
庄司 孝(しょうじ たかし、1971年9月14日 - )は、… 庄司 孝(しょうじ たかし、1971年9月14日 - )は、千葉県出身のサッカー選手・指導者。ポジションはMF。 習志野市立第三中学校を経て1987年に市立船橋高校に入学。2年次の第67回全国高等学校サッカー選手権大会準優勝、インターハイ優勝に貢献。千葉県選抜として1988年度の第43回国民体育大会5位。3年次の1989年度の第43回国民体育大会優勝に貢献した。なお、サッカー部の同期にはお笑いコンビ・ペナルティのヒデがいた。 その後、モンテディオ山形や大分トリニータなどでプレーし、2005年からデッツォーラ島根E.Cに在籍していた。
高橋 範夫(たかはし のりお、1971年3月15日 - )は… 高橋 範夫(たかはし のりお、1971年3月15日 - )は、千葉県八千代市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者である。ポジションはゴールキーパー。 プロサッカー選手の高橋勇利也は実子。 1992年に浦和レッズに加入するも、1995年まで出場機会はなく、1996年にブランメル仙台に移籍。激しい正ゴールキーパー争いの中、手足が長く、守備範囲が広い高橋が開幕スタメンを奪う。その後も主力として活躍、23試合に出場した。 しかし、1997年に松永成立、石川研らが移籍すると出番が激減。以降も出場機会に恵まれなかったが、チーム名がベガルタ仙台に変わって2年目の2000年途中から、再びレギュラーの座をつかむ。
境 秋範(さかい あきのり、1970年10月6日 - )は、… 境 秋範(さかい あきのり、1970年10月6日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手である。 小学校時代は空手をしており黒帯所持であったが、サッカーへの転向をした。市立船橋高校では布啓一郎監督の指導を受け、レギュラーとして全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の2年連続優勝を経験した。高校3年時の全国高等学校サッカー選手権大会では準優勝となって、大会優秀選手に選ばれた3人のGKの中に含まれた。高校時代は日本代表に選出されている。今で言うU18であり海外での試合も経験している。 卒業後、日本サッカーリーグ(JSL)でのプレーを選んだ同級生の小川誠一や野口幸司とは異なり、境は進学を選択して専修大学に入学し、関東大学サッカーリーグに所属する同大学サッカー部に所属した。
小川 誠一(おがわ せいいち、1970年7月21日 - )は… 小川 誠一(おがわ せいいち、1970年7月21日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手、サッカー指導者 船橋市立船橋高等学校ではインターハイ2連覇、高校選手権でも準優勝を経験した。高校1年生からレギュラーで出場した。野口幸司が同期にあたる。市船の売りである「鉄壁のディフェンス」は、小川が2年生のときは完成しており、高校2年生のときは新井二朗(日立、フジタなど)とディフェンスラインを組んだ高校総体インターハイ(北海道開催)では、初出場初優勝を飾った。 高校卒業後、1989年にトヨタ自動車に加入し、コニカカップ優勝などに貢献。トヨタ時代の選手登録はフォワードであったが、左サイドバックとして期待された。
小松崎 保(こまつざき たもつ、1970年7月10日 - )… 小松崎 保(こまつざき たもつ、1970年7月10日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在は金沢星稜大学サッカー部で監督を務める。 甥はサッカー選手の山岸祐也。 大学卒業後、当時のチームメイトと同様に富士通の社員として入社し、社業の傍らでジャパンフットボールリーグに参加する同社サッカー部でプレー。 その後、富士通サッカー部が川崎フロンターレとなってプロ化した後も小松崎は会社に籍を残し、アマチュア契約の社員選手としてプレーしたが、1999年に川崎を戦力外となりコンサドーレ札幌へ移籍。その際には富士通を退社し、プロ契約選手となる。 2001年には横浜FCへと移籍、移籍初年度から活躍するも、2年目に長期離脱などがあり出場試合数が激減し、シーズン終了後に戦力外となる。
野口 幸司(のぐち こうじ、1970年6月5日 - )は、千… 野口 幸司(のぐち こうじ、1970年6月5日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、指導者、解説者。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 船橋市立船橋高等学校ではインターハイ2連覇、高校選手権でも準優勝を経験するなど、初期の黄金時代を築く主役として活躍した。高校1年生からレギュラーで出場しており、当時は小川誠一(元名古屋グランパスエイト)、曽我豊明(元水戸ホーリーホック)と野口の3人が市船の将来を託された選手であった。高校2年生のとき高校総体インターハイ(北海道開催)では、初出場初優勝を飾っている。その後、野口が3年生のときも高校総体インターハイでも優勝しており、高校総体2連覇を達成した。
石川 健太郎(いしかわ けんたろう、1970年2月12日 -… 石川 健太郎(いしかわ けんたろう、1970年2月12日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 1993年に柏レイソルに入団。ボランチ、センターバック、サイドバックをこなす守備の名手として、Jリーグ昇格前から柏を支えた。
名塚 善寛(なつか よしひろ、1969年10月7日 - )は… 名塚 善寛(なつか よしひろ、1969年10月7日 - )は、千葉県船橋市出身の元サッカー選手。ポジションはDF。元日本代表。 習志野高等学校から1988年、日本サッカーリーグ1部のフジタ工業(後ベルマーレ平塚、現湘南ベルマーレ)に加入。高校時代は全国的にも無名な選手で、卒業後は地元ディズニーランドそばのホテルにホテルマンとして就職が決まっていたが、高校の監督の薦めで練習に参加し実力を認められた。 高い技術と冷静な判断力に加え、読みの深さも併せ持ち、ディフェンスの中心選手として活躍。チームの若返り策もあり22歳にして不動のキャプテンを務め、バルセロナ五輪予選でもU-23日本代表の中心選手として活躍した。
古川 昌明(ふるかわ まさあき、1968年8月28日 - )… 古川 昌明(ふるかわ まさあき、1968年8月28日 - )は、日本の元サッカー選手、現指導者。選手時代のポジションはゴールキーパー。元日本代表。 小学6年生でサッカーを始め中学1年生からゴールキーパーとなる。市原緑高校卒業後、1987年に日本サッカーリーグ1部の本田技研工業サッカー部(現・Honda FC)に加入。同い年で同期就職に北澤豪、黒崎久志がいる。1989年にトップチームに登録されるまでのあいだ、練習こそチームと一緒に行うものの、試合出場は静岡県リーグ所属のチームに限られていた。1989年、JSLカップで2試合に出場。1990-91シーズンにブラジル人GKアベリヤ(英語版)が加入する煽りを受け、古川は埼玉県狭山市にある狭山工場へ転勤を命じられ、GK不足だった埼玉県リーグの本田技研工業狭山サッカー部(後のホンダルミノッソ狭山FC)でプレーすることになる。