保崎 秀夫(ほさき ひでお、1926年3月12日 - )は、… 保崎 秀夫(ほさき ひでお、1926年3月12日 - )は、日本の医学者・精神科医。専門は、精神病理学・司法精神医学。慶應義塾大学名誉教授。学位は、医学博士(慶應義塾大学・1960年)。 神奈川県川崎市生まれ。1948年慶應義塾大学医学部医学科卒業。後に東京学芸大学助教授。1960年医学博士(慶応義塾大学)。1968年慶應義塾大学精神神経科教授。慶應義塾大学医学情報センター長、慶應義塾大学病院院長を歴任。1991年慶應義塾大学名誉教授。
大沢 紀三男(おおさわ きみお、1926年2月16日 - 2… 大沢 紀三男(おおさわ きみお、1926年2月16日 - 2003年11月4日)は、神奈川県藤沢市出身のプロ野球選手。本名は君夫。ポジションは投手・外野手。
上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - 20… 上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - 2019年6月28日)は、日本の哲学者。専門はドイツ哲学・宗教哲学。京都大学名誉教授。京都学派を継承し、禅、東西神秘主義、エックハルト、ハイデッガー、京都学派思想などの研究を行った。 1926年、高野山真言宗僧侶の父・上田天瑞の長男として東京都で生まれた。横浜市立間門小学校、神奈川県立横浜第一中学校で学んだ。1943年に中学を卒業し、第一高等学校に入学。太平洋戦争の戦局悪化により就学期間が2年短縮され、1945年3月に卒業。京都帝国大学文学部に進学したが、4月中に召集し、本土防衛の任に就いた。戦後、1946年に京都帝国大学文学部に復学。哲学科で宗教学を専攻した。
藤田 湘子(ふじた しょうし、1926年1月11日 - 20… 藤田 湘子(ふじた しょうし、1926年1月11日 - 2005年4月15日)は、日本の俳人。水原秋桜子に師事。俳誌「鷹」を創刊・主宰。本名・良久。神奈川県出身。 父源太郎、母ミネの長男として、神奈川県小田原町(現 小田原市)に生まれる。1942年、中学在学中に「馬酔木」に入会し、水原秋桜子に師事。石田波郷に兄事。1945年、工学院工専(現工学院大学)を中退、東部第八七部隊を経て鉄道省に勤務。1947年、「馬酔木」4月号で巻頭。1948年、馬酔木賞を受賞、翌年より「馬酔木」同人。1951年、「馬酔木」第1回新樹賞受賞。1955年、第4回新樹賞受賞。同年「馬酔木」編集次長就任。1957年、「馬酔木」編集長就任、第4回馬酔木賞受賞。
中村 璋八(なかむら しょうはち、1926年1月7日 - 2… 中村 璋八(なかむら しょうはち、1926年1月7日 - 2015年6月2日)は、日本の中国哲学研究者、駒澤大学名誉教授。 神奈川県愛甲郡愛川町生まれ。1951年東京文理科大学文学科卒。1978年「五行大義の基礎的研究」で駒澤大学文学博士。東京都立町田高等学校教諭、駒澤大学文学部助教授、教授。1996年定年退任、名誉教授。 2015年6月2日、老衰のため死去。89歳没。
中村 俊一(なかむら しゅんいち、1926年〈大正15年〉1… 中村 俊一(なかむら しゅんいち、1926年〈大正15年〉1月4日 - 1980年〈昭和55年〉11月25日)は、日本の演出家、俳優、劇団「仲間」主宰者。 神奈川県横浜市生まれ。松尾鉱業の2代目社長中村正雄の長男。父方の祖父は松尾鉱業、太洋鉱業、増田屋各社長などをつとめた中村房次郎。母方の祖父は日本の社会主義運動の先駆者で、早稲田大学野球部を創設したことでも知られる安部磯雄で、母・京はその次女である。 1945年に早稲田大学文学部国文科を中退。千田是也の知遇を得て俳優講習所に学び、1945年に俳優座に入団。演出助手や舞台監督を経て、1949年に養成所講師となる。1953年、俳優座養成所の2期生とともに劇団仲間を結成、主宰者となる。
冨澤 繁信(とみざわ しげのぶ、1926年 - )は、日本の… 冨澤 繁信(とみざわ しげのぶ、1926年 - )は、日本の実業家・歴史研究家。日本「南京」学会理事兼事務局長。 神奈川県横浜市生まれ。東京大学文学部ドイツ文学科卒業、更に同大経済学部経済学科入学。 戦後の1951年、住友信託銀行入社。退任後は住商リースで副社長。1998年退任。 「新しい歴史教科書をつくる会」の創立に参加。
太田 次郎(おおた じろう、1925年(大正14年)12月2… 太田 次郎(おおた じろう、1925年(大正14年)12月26日 - 2018年7月7日)は、日本の生物学・植物学者。学位は、理学博士(東京大学・1960年)。お茶の水女子大学名誉教授。従三位勲二等瑞宝章。岳父は赤木正雄。 神奈川県横浜市生まれ。1948年東京帝国大学理学部植物学科卒業。1960年「粘菌類、変形体の原形質流動に関する研究」で東京大学より理学博士の学位を取得。東京大学大学院特別研究生、1952年お茶の水女子大学講師、助教授、1969年教授、1973 - 1976年東京工業大学教授併任、1976 - 1979年お茶大図書館長、1982 - 1984年理学部長、1985年同人間文化研究科長、1991年名誉教授、1992 - 1997年学長。
亀井 節夫(かめい ただお、1925年12月25日 - 20… 亀井 節夫(かめい ただお、1925年12月25日 - 2014年5月23日)は、日本の古生物学者。野尻湖でのナウマンゾウの発掘などに関わった。父親は海軍少将の亀井凱夫。伯父(凱夫の実兄)は社会大衆党議員で元外交官の亀井貫一郎。叔父(貫一郎と凱夫の義弟)の毛里英於菟(ひでおと)は、大蔵省と企画院の官僚で、迫水久常などと並ぶ革新官僚の代表格。 神奈川県鎌倉市生まれ。旧制神奈川県立湘南中学校、北海道帝国大学理学部を経て、1949年東京大学理学部卒業。1950年信州大学文理学部助手、1961年「日本列島のデボン系の研究」で、北海道大学より理学博士の学位を取得。1956年信州大学講師、62年助教授、1963年京都大学理学部助教授、66年教授、1989年定年退官、名誉教授、信州大学理学部教授、1992年~1999年徳島県立博物館館長。
池田 重子(いけだ しげこ、1925年(大正14年)12月2… 池田 重子(いけだ しげこ、1925年(大正14年)12月21日 - 2015年(平成27年)10月13日)は、神奈川県出身のアンティーク着物収集家。明治以降の和装品コレクションで知られる。着物ブランド「夢工房」「池田重子きものコレクション」等のデザインを手がけ、「日本のおしゃれ展」や「時代布と時代衣裳池田」を主宰した。 横浜市生まれ。1942年(昭和17年)神奈川県立第一高等女学校卒業。1947年(昭和22年)文化服装学院卒業。1973年(昭和48年)新宿京王百貨店にて「時代布屏風展」開催。1976年(昭和51年)東京目黒で「時代布と時代衣裳 池田」開店。1978年(昭和53年)から着物のデザインを発表し始める。
徳山陽(とくやま よう、1925年(大正14年)12月11日… 徳山陽(とくやま よう、1925年(大正14年)12月11日 - )は、ジャズ・ピアニスト、音楽家。父は「侍ニッポン」や「ルンペン節」で有名な流行歌手徳山璉。守安祥太郎、穐吉敏子と並び評される、戦後モダン・ピアノ三傑の一人である。 神奈川県藤沢市出身。久我山電波工業大学(久我山大学)卒業。卒業後は会社員をしていたが、1951年、森亨バンドに入りプロのピアニストとなる。 1952年には、沢田駿吾とダブル・ビーツに加入。退団後の1954年、稲垣次郎5、西条孝之助4などを経て、1975年、自身のトリオを結成し、中牟礼貞則とのデュオも行う。その後は、ジャズメン・クラブなどに出演する傍ら、ヤマハの講師も勤めた。
高野 真二(たかの しんじ、1925年(大正14年)12月8… 高野 真二(たかの しんじ、1925年(大正14年)12月8日 - )は、日本の俳優。旧芸名及び本名は高野 眞二。 神奈川県出身。関東学院高商部卒業。松竹出身。かつては同人会ミヤプロに所属し、2013年の時点では、宝映テレビプロダクションに所属していた。 身長は170cm。血液型はB型。 1954年、松竹に入社。時代劇、現代劇を問わず多くの松竹映画に出演。1965年、フリーとなって以降は、東映や日活の映画やテレビに出演。芸歴50年以上の、映画・テレビの名脇役である。 『水戸黄門』での出演回数は歴代2位の56回で、藩主、悪代官、悪奉行、善家老、悪家老、悪徳商人、道中奉行などを演じた。三代目水戸光圀役・佐野浅夫とは幼馴染みでもある。
峯島 正行(みねしま まさゆき、1925年12月7日 - 2… 峯島 正行(みねしま まさゆき、1925年12月7日 - 2016年11月18日)は、神奈川県出身の日本の編集者、評論家。 横浜市生まれ。1947年横浜専門学校(現・神奈川大学)を卒業。1950年早稲田大学文学部社会学専攻を卒業して実業之日本社に入社。1959年『漫画サンデー』創刊に伴い同誌編集長に就き、漫画集団の漫画家たちと交友した。 1970年に『漫画サンデー』を退いて文芸書出版の拡充事業に携わり、1972年に『週刊小説』創刊を企画し、同誌編集長に就任。同誌の創刊ブレーンは五木寛之、生島治郎、尾崎秀樹、筒井康隆だった。『漫画サンデー』時代の縁で梶山季之、その紹介で柴田錬三郎、黒岩重吾の連載で創刊号を飾った。
小林 禎作(こばやし ていさく、1925年10月22日 - … 小林 禎作(こばやし ていさく、1925年10月22日 - 1987年3月8日)は、日本の物理学者、雪学者。 神奈川県鎌倉市生まれ。旧制浦和高等学校を経て、1948年、北海道帝国大学理学部物理学科卒業。北海道江別高等学校教諭。1949年8月、北海道大学低温科学研究所助手、1963年に助教授、1980年に教授、物理学部門主任。 雪の結晶についての実験研究に取り組み、中谷宇吉郎が示した雪の結晶の形状と雲の温度・湿度に関する「中谷ダイアグラム」を拡張、精緻化した「中谷・小林ダイアグラム」を開発し、1960年に日本気象学会賞を受賞した。
武井 良平(たけい りょうへい、1925年10月7日 - 2… 武井 良平(たけい りょうへい、1925年10月7日 - 2020年3月26日)は、日本の実業家。元帝国繊維社長。 神奈川県南足柄市のみかん農家に生まれた。旧制県立小田原中学(今の神奈川県立小田原高等学校)、慶応義塾大学経済学部卒業後、1952年富士銀行入行、1972年に浜松支店長を務めた。帝国繊維の社長、会長を務め、72歳で退職。日本における麻織物の発展に努めた。日本工業倶楽部俳句会で稲畑汀子に師事し、2001年第18回朝日俳壇賞受賞。2020年3月26日94歳で死去。
吉岡 孝行(よしおか たかゆき、1925年9月28日 - 2… 吉岡 孝行(よしおか たかゆき、1925年9月28日 - 2018年3月24日)は、日本の大蔵官僚。北海道開発庁総務監理官、北海道開発事務次官、北海道東北開発公庫副総裁、同総裁などを務めた。 神奈川県厚木市出身。1943年3月 満洲建国大学に入学。1950年1月 国家公務員六級職試験に合格。同年 東京大学法学部政治学科を卒業し、大蔵省入省(主計局)。1952年3月 主計局総務課兼主計局給与課。 その後は主計局主計官補佐(農林係主査)、総理府人事局参事官、東京都財務局参事、東京都企画調整局調整部長、主計局主計官(防衛担当)、主計局法規課長などを務める。 1973年6月26日 大臣官房付。1974年7月10日 東海財務局長。
武田 百合子(たけだ ゆりこ、1925年9月25日 - 19… 武田 百合子(たけだ ゆりこ、1925年9月25日 - 1993年5月27日)は、日本の随筆家。 小説家武田泰淳の妻で、泰淳の死後に、泰淳と過ごした富士山荘での日記『富士日記』を出版し、処女作にして高い評価を受ける。その後、寡作ながら、結晶度の高い随筆を発表して多くの熱狂的なファンを得る。娘は写真家の武田花。 各界に親交が多く、埴谷雄高、深沢七郎、村松友視、大岡昇平、色川武大、吉行淳之介、辻邦生、いいだもも、女優加藤治子などと親しかった。 神奈川県横浜市生まれ。1943年(昭和18年)、横浜第二高等女学校(現・神奈川県立横浜立野高等学校)を卒業する。在学中に同級生たちと同人誌『かひがら』に参加し、詩や文章を投稿する。
宇南山 英夫(うなやま ひでお、1925年9月25日 - 2… 宇南山 英夫(うなやま ひでお、1925年9月25日 - 2016年)は、日本の会計学者。横浜市立大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。1950年東京帝国大学卒業。1955年同大学院(旧制)修了。 1950年横浜市立大学助手、1954年講師、1955年横浜市立大学商学部助教授、1966年教授、1991年定年退官、名誉教授、名古屋学院大学教授、1993年文京女子大学教授、高千穂商科大学教授。日本商工会議所簿記検定試験専門参与。日本学術会議会員(17期)。 1974年公認会計士委員(- 1978年)、1980年税理士試験委員(- 1982年)、1985年司法試験考査委員(- 1991年)を歴任した。
徳田 良仁(とくだ よしひと、1925年9月22日 - 20… 徳田 良仁(とくだ よしひと、1925年9月22日 - 2021年2月16日)は、日本の精神科医。 神奈川県横浜市出身。1953年、東京慈恵会医科大学卒業。1959年、東京大学生物系第二臨床大学院博士課程修了、医学博士。東京大学医学部附属病院精神神経科勤務。1961年、日本医科大学精神医学教室講師。1965年、神経研究所附属晴和病院副院長。1991年、長谷川病院副院長。2001年、北野台病院勤務。日本芸術療法学会名誉会長、国際表現学会国際委員、日本精神衛生会理事。
宮澤 健一(みやざわ けんいち、1925年9月3日 - 20… 宮澤 健一(みやざわ けんいち、1925年9月3日 - 2010年1月9日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(一橋大学・1969年)。第9代一橋大学学長、一橋大学名誉教授。1997年から2010年まで日本学士院会員。元理論・計量経済学会(現日本経済学会)会長、元厚生省社会保障制度審議会会長、財団法人医療経済研究機構所長。神奈川県生まれ。 1962年エコノミスト賞、1977年日経・経済図書文化賞、1983年神戸賞、1998年勲一等瑞宝章。2010年正四位。指導学生に清水啓典(一橋大学名誉教授)などがいる。 指導学生に清水啓典(一橋大学名誉教授)、叶芳和(元国民経済研究協会理事長)、武蔵武彦(千葉大学名誉教授)、荒井一博(一橋大学名誉教授)、松水征夫(広島大学名誉教授)、野本了三(広島大学教授)、藤垣芳文(成蹊大学教授)、花井敏(南山大学名誉教授)、進藤孝生(日本製鉄会長)など。
金子 太郎(かねこ たろう、1925年(大正14年)8月30… 金子 太郎(かねこ たろう、1925年(大正14年)8月30日 - 2020年(令和2年)12月26日)は、日本の大蔵官僚。環境庁(当時)事務次官、丸三証券社長、会長、エコノミスト、株式投資のプロ。フィランソロピストとして、財団の理事を務めた。 中国山東省青島で生まれ。父(金子慶治)は新潟県刈羽郡南鯖石村(現柏崎市)出身で、当時日本最大の鈴木商店を経て独立ビジネスや不動産投資で成功し、戦後、東京・田園調布の邸宅を連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に一時没収されていた。母(旧姓城野民子)は博多の商家の出身。賢母の母に連れられ終戦より前に帰国後、八幡小学校、旧制横浜第一中学校、第一高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学法学部に入り、1949年3月に東京大学法学部政治学科を卒業。
山口 健二(やまぐち けんじ、1925年8月15日 - 19… 山口 健二(やまぐち けんじ、1925年8月15日 - 1999年6月12日)は、日本の政治活動家、アナキスト、作家。日本社会党と日本共産党に双方に入党し、共産党では志田派として中核自衛隊にも参加したが、後に両党から除名された。 1925年横浜市に生まれる。横浜第二中学校卒業後、1942年東京美術学校油画科入学、1943年第一高等学校文科入学、1944年旅順高等学校入学。旅順高等学校での学生生活が関東軍指揮下であることに反発し、朝鮮人の友人三人とともに脱走し、満州、朝鮮半島を南下し、日本本土に戻る。戦時下には太宰治に私淑し、1942、3年頃太宰の自宅を訪問し面会。 長野県で終戦を迎え、第一次日本アナキスト連盟に参加。
佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日 - )は、日… 佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日 - )は、日本の俳優・童話作家・実業家。神奈川県横浜市、現在の保土ケ谷区出身。アクターズ・セブン所属。身長168cm。神奈川県立横浜第三中学校卒業。
高崎 隆治(たかさき りゅうじ、1925年7月25日 - 2… 高崎 隆治(たかさき りゅうじ、1925年7月25日 - 2013年6月)は、日本の戦争研究家。 神奈川県横浜市生まれ。法政大学文学部国文科卒。在学中に学徒兵として召集。主に戦時下の雑誌ジャーナリズム及び戦争文学をテーマとした執筆・講演活動を続けている。講談社『昭和萬葉集』では編纂部顧問をつとめた。1996年、里村欣三研究その他で、人文科学研究協会研究奨励賞を受賞。2008年、第14回横浜文学賞受賞。創価学会系の人物である[要出典]。
生田 豊朗(いくた とよあき、1925年7月16日 - 20… 生田 豊朗(いくた とよあき、1925年7月16日 - 2001年7月4日)は、日本の通産官僚。世界エネルギー会議東京開催会会長(1995年)。 神奈川県横浜市生まれ。東京大学経済学部卒業後の1948年に商工省(通産省)入省。同年入省者には矢野俊比古(通産事務次官、のち参議院議員)、天谷直弘(通産審議官)、岸田文武(中小企業庁長官、衆議院議員)、金森久雄(日本経済研究センター理事長)などがいる。1974年、科学技術庁原子力局長に就任し、1976年1月に退官。退官後、2000年6月まで原産会議常任理事に就任し、さらに日本エネルギー経済研究所所長に就任。1984年-1998年の間、同エネ研理事長。1995年、世界エネルギー会議(WEC)東京開催会会長。
本多 愛男(ほんだ ちかお、1925年〈大正14年〉7月9日… 本多 愛男(ほんだ ちかお、1925年〈大正14年〉7月9日 - 2006年〈平成18年〉6月7日)は、日本の政治家、神奈川県座間町議会議員。第二代座間市市長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 神奈川県高座郡座間町出身。 1944年、昭和19年青年学校中退して、18歳で海軍飛行予科練習生に志願する。25歳で座間青年団長となる。昭和27年座間町教育委員会発足、教育委員になる。 1964年、(昭和39年)9月、座間町議会議員選挙で当選。42歳で社会教育委員長になる。1976年昭和51年無所属で立候補し、座間市市長を務めた。 1989年座間市大凧保存会会長となる。1999年春の叙勲で勲四等瑞宝章を受章。2006年6月7日、持病が悪化したため死去。
加藤 茂雄(かとう しげお、1925年〈大正14年〉6月16… 加藤 茂雄(かとう しげお、1925年〈大正14年〉6月16日 - 2020年〈令和2年〉6月14日)は、日本の俳優、声優、漁師。本名同じ。東宝を経て、新星プログループに所属していた。神奈川県出身。 1925年6月16日、神奈川県鎌倉市長谷に生まれる。 石川島航空工業青年学校(のちの石川島工業高等学校)を経て、1946年、鎌倉アカデミア演劇科に入学。1949年、卒業。卒業後は、一時漁師を務めていた。 1950年の準専属契約(同期は今井和雄、緒方燐作など)を経て、1954年に東宝と専属契約する。大部屋俳優として、ノンクレジットも含めて、多数の映画に出演。 1971年の東宝専属俳優廃止後は、新星プロに所属。
菊村 到(きくむら いたる、本名:戸川 雄次郎(とがわ ゆう… 菊村 到(きくむら いたる、本名:戸川 雄次郎(とがわ ゆうじろう)、1925年5月15日 - 1999年4月3日)は、日本の作家・小説家。神奈川県平塚市出身。 旧制湘南中学を経て、1944年に仙台陸軍予備士官学校へ入学。翌年卒業し秋田へ見習士官として赴任したが、そこで終戦を迎える。復員直後から早稲田大学文学部英文学科へ通い、この頃から執筆活動を始める。 1948年、大学卒業と共に読売新聞社へ入社。社会部の記者として活動する傍らで執筆活動を行うようになり、同年6月に『川の上』1949年10月に『死臭』を発表し作家としてデビュー。1954年には『受胎告知』が第32回芥川賞候補となる。 この頃までは本名で活動していたが、やがて記者活動との兼ね合いから、1955年の結婚を境に「菊村到」のペンネームで執筆を行うようになる(後述)。
松山 善三(まつやま ぜんぞう、1925年4月3日 - 20… 松山 善三(まつやま ぜんぞう、1925年4月3日 - 2016年8月27日)は、映画監督、脚本家。 神戸に生まれ、横浜で育つ。 1944年、横浜第三中学校(現:神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校)卒業。中学校の同期生に佐野浅夫(俳優)がいる。その後、岩手医学専門学校(現・岩手医科大学)薬学部に入学するが、1946年中退。雑誌社でアルバイトをしているときに、斎藤良輔門下の脚本家と知り合い、映画に興味を持つ。 1948年、助監督公募に合格して松竹大船撮影所助監督部に入社する。中村登、吉村公三郎につくかたわら、同期入社の斎藤武市、中平康、鈴木清順らと「赤八会」というグループを作り、同人雑誌にシナリオを発表する。
田中 穣(たなか じょう、1925年(大正14年)3月25日… 田中 穣(たなか じょう、1925年(大正14年)3月25日 - 2005年(平成17年)4月25日)は、日本の美術評論家。 神奈川県平塚市生まれ。1949年(昭和24年)早稲田大学文学部英文学科卒。読売新聞社入社。1959年(昭和34年)美術部記者となり、1970年(昭和45年)から日曜版「日本の四季」の解説を担当した。1969年(昭和44年)『藤田嗣治』で直木賞候補。1981年(昭和56年)退社、美術評論家となる。写楽別人説では歌麿説を唱えた。 2005年(平成17年)4月25日、胃がんのため死去。葬儀は東京都文京区小石川の伝通院で行われた。
原 寿雄(はら としお、1925年3月15日 - 2017年… 原 寿雄(はら としお、1925年3月15日 - 2017年11月30日)は、日本のジャーナリスト。小和田次郎のペンネームでコラム集を著した。 神奈川県平塚市生まれ。平塚農業学校、海軍経理学校、旧制一高を経て、1950年、東京大学法学部卒業。社団法人共同通信社に入社。新聞労連副委員長、社会部記者、バンコク支局長、外信部長を経て1977年に編集局長、1985年に専務理事・編集主幹に就任。1986年から1992年まで社団法人共同通信社の傘下にある事業部門、株式会社共同通信社の社長を務めた。 2007年、松田浩・桂敬一・野中章弘が世話人を務める「原さん、永井さんをNHK会長候補に推薦する会」より、「日本における言論・報道界のご意見番的存在で、卓越した見識と知性を兼ね備えたジャーナリスト・文化人」と橋本元一の後任のNHK会長の推薦を受けた。
佐伯 有清 (さえき ありきよ、1925年(大正14年)3月… 佐伯 有清 (さえき ありきよ、1925年(大正14年)3月2日 - 2005年(平成17年)7月19日)は、日本の歴史学者。 1925年、東京市赤坂区で生まれた。法政大学第二高校を卒業し、名古屋大学文学部国史学科に進学。1952年に卒業し、1957年に東京大学大学院国史学専攻を修了。 1952年より母校の法政大学第二高校に勤務。後に同校校長となった。1962年、学位論文『新撰姓氏録の基礎的研究』を名古屋大学に提出し、文学博士号を取得。1971年、北海道大学教授に就いた。1983年、成城大学教授に転じた。1995年に成城大学を退任。 専門は日本史で、日本古代史。その研究内容は大きく下記の3つに分けられる。
山橋 敬一郎(やまはし けいいちろう、1925年〈大正14年… 山橋 敬一郎(やまはし けいいちろう、1925年〈大正14年〉2月4日 - 1992年〈平成4年〉4月1日)は、昭和から平成初期の国税官僚、政治家。小田原市長(2期)。 神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学、旧制第一高校を経て、1949年(昭和24年)東京大学法学部卒業。国税庁に入り、1953年倉吉税務署長、1955年金沢国税局総務部総務課長。1965年札幌国税局総務部長、1967年国税庁長官官房審議官、1968年国税庁長官官房参事官、1969年東京国税局調査第1部長、1970年東京国税局調査第1部長兼調査第2部長兼兼調査第3部長。同年東京国税局調査第1部長。1971年東京国税局総務部長、1973年広島国税局長、1975年大蔵省銀行局保険部長、1976年国税庁次長、1977年東京国税局長。
種瀬 茂(たねせ しげる、1925年(大正14年)1月18日… 種瀬 茂(たねせ しげる、1925年(大正14年)1月18日 - 1986年(昭和61年)6月17日)は、日本の経済学者。マルクス経済学専攻。一橋大学学長、国立大学協会副会長、経済理論学会代表幹事等を歴任した。 神奈川県横浜市生まれ。横浜市立横浜小学校、神奈川県立横浜第一中学校(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)、東京商科大学(現一橋大学)予科を経て、東京商科大学では杉本栄一ゼミナールに所属。1948年の卒業後、助手として大学に残る。助手時代は、杉本の『近代経済学の解明』において質問者の一人として貢献する。 1953年講師、57年助教授、65年教授。79年より2年間学部長。83年から2年間、野々村一雄一橋大学名誉教授の後任として経済理論学会代表幹事。
伊藤 秀雄(いとう ひでお、1925年1月2日 - )は、推… 伊藤 秀雄(いとう ひでお、1925年1月2日 - )は、推理・冒険小説研究家。 神奈川県川崎市生まれ。1949年日本大学法文学部文学科卒。1950年川崎市役所に勤務。のち日大講師。黒岩涙香の古書を収集、これを研究した。 1986年『明治の探偵小説』で日本推理作家協会賞受賞。1989年、「黒岩涙香―探偵小説の元祖」で大衆文学研究賞研究・考証部門を受賞。 大衆文学研究会・日本文芸家協会各会員。「探偵趣味」同人。
原田 実(はらだ みのる、1925年 - )は、日本の美術評… 原田 実(はらだ みのる、1925年 - )は、日本の美術評論家。東京国立博物館資料課長。日本近代美術史。 神奈川県平塚市生まれ。1953年、明治大学文学部卒業。
井上 和男(いのうえ かずお、1924年12月27日 - 2… 井上 和男(いのうえ かずお、1924年12月27日 - 2011年6月26日)は、神奈川県小田原市出身の日本の映画監督。 神奈川県小田原市出身。神奈川県立小田原中学校(現・神奈川県立小田原高等学校)をへて早稲田第一高等学院に入る、1944年3月学徒応召し海軍飛行少尉に任官。1945年8月復員、早稲田大学商学部に入る。在学中に小田原で劇団こゆるぎ座を創立し劇作家を目ざす。 1948年に大学を卒業し、松竹大船撮影所脚本部に入る。新藤兼人に師事し、その勧めで助監督試験を受け、12月に助監督となる(松山善三と同期)。渋谷実、川島雄三、小津安二郎『東京物語』で助監督を務める。 1955年、京都映画『父と子と母と』で監督を務め、1958年松竹大船の監督に昇進する。
新倉 イワオ(にいくら イワオ、1924年12月7日 - 2… 新倉 イワオ(にいくら イワオ、1924年12月7日 - 2012年5月9日)は、日本の放送作家。日本放送作家協会会員。 本名は新倉 巌(読み同じ)。神奈川県平塚市生まれ。専修大学経済学部中退。 心霊研究家としても知られ、日本心霊科学協会理事を務めた。 1945年、終戦を機に舞台、ラジオを中心にプロデューサー、ディレクターとしてNHK、民放の各種番組に従事する。 1953年、日本テレビ放送網開局準備の業務を担当し、以来テレビ中心のプロデュースを兼ね、1960年に放送作家へ転向する。また、日本テレビ製作スタッフとして、長寿バラエティー番組『笑点』の企画に立ち会った。以降、多くのドラマ、ドキュメント、音楽番組、バラエティーショーなどを手がけた。
小泉 淳作(こいずみ じゅんさく、1924年10月26日 -… 小泉 淳作(こいずみ じゅんさく、1924年10月26日 - 2012年1月9日)は、日本の日本画家、陶芸家。特定の美術団体に属さず、画壇とも距離を置いたことから「孤高の画家」と呼ばれた。 神奈川県鎌倉市生まれ。政治家小泉策太郎の七男で、俳優小泉博は弟にあたる。慶應義塾幼稚舎、普通部を経て、慶應義塾大学文学部予科に入学。1943年、慶應義塾大学予科を中退し、東京美術学校日本画科に入学。山本丘人に師事し、1952年同学科を卒業。1944年応召となるが、結核で療養生活に入る。陸軍予備士官学校の経験からか、戦争には強烈な嫌悪感を抱いていた。 その後、デザイナーとして活動し、1954年第18回新制作展に「花火」「床やにて」が初入選。
木村 利三郎(きむら りさぶろう、1924年10月13日 -… 木村 利三郎(きむら りさぶろう、1924年10月13日 - 2014年5月17日)は、日本の画家、版画家。ニューヨークで活動し、都市を主題とした作品群を多く手掛けた。 神奈川県横須賀市出身。1947年神奈川師範学校(現・横浜国立大学)卒業。国語教師を経て法政大学文学部哲学科に学び、谷川徹三に師事。美術評論家を志して久保貞次郎の創造美育運動に関わり、靉嘔、池田満寿夫らと知り合う。 その後は画家に転じて、1964年に渡米。マンハッタンにアトリエを構え、シルクスクリーンの作品を発表した。
大塚 保治(おおつか やすじ、1924年10月5日 - 20… 大塚 保治(おおつか やすじ、1924年10月5日 - 2011年2月28日)は、日本の工学者。工学博士。元慶應義塾大学理工学部長。専門分野は高分子化学。 横浜市出身。慶應義塾大学工学部応用化学科卒業、工学博士。慶應義塾大学理工学部教授、理工学部長、財団法人慶應工学会顧問を歴任した。 1989年(平成元年)繊維学会会長。2002年(平成14年)勲三等旭日中綬章受章。 藤井光雄研究室出身。 慶應義塾大学理工学部教授の川口春馬、小池康博は大塚研究室の出身である。 2011年2月28日、胃がんのため東京都新宿区の病院で死去。86歳没。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
八木 進(やぎ すすむ、1924年9月17日 -不明は、カロ… 八木 進(やぎ すすむ、1924年9月17日 -不明は、カロリン諸島ポナペ島出身のプロ野球選手。ポジションは捕手。 カロリン諸島ポナペ島出身(当時は日本の委任統治領だった)。島で働く父親を残し、日本(横浜)で生活した。関東学院中(現・関東学院中学校高等学校)在学中は、甲子園出場こそ無いものの、飯田徳治(浅野綜合中),小松原博喜(横浜商業)と並んで、横浜中等球界の三羽烏と呼ばれていた。身長は五尺八寸五分(177cm)と当時としては大柄だったと伝わる。 1942年に南海軍へ入団。主力選手が次々と応召されていく中、正捕手としてチームを支えた(南海ホークス戦前最後の正捕手と呼ばれている)。別所昭が1943年5月26日の大和軍戦(神戸市民運動場野球場)でノーヒットノーランを達成した時、マスクを被っていたのが八木だった。
小堀 巌(こぼり いわお、1924年9月17日 - 2010… 小堀 巌(こぼり いわお、1924年9月17日 - 2010年11月26日)は、日本の地理学者。 神奈川県横浜市出身。1946年(昭和21年)東京帝国大学理学部地理学科卒。1949年(昭和24年)東洋文化研究所助手、1954年(昭和29年)東京大学理学部専任講師、助教授。講師時代の1956年(昭和32年)には、東京大学イラク・イラン遺跡調査団(団長:江上波夫)に参加した。その後、三重大学人文学部教授、明治大学政経学部教授。1995年退任(平成7年)。国連大学教授。 2010年(平成22年)11月26日、悪性リンパ腫のため死去。
花柳 寿南海 (はなやぎ としなみ、1924年9月14日 -… 花柳 寿南海 (はなやぎ としなみ、1924年9月14日 - 2018年9月11日)は、東京都生まれの日本舞踊家。位階は従四位。 本名は柴崎照子(しばざき てるこ)(旧姓・福井)。文化功労者。 1924年、東京都出身。横浜第一高等女学校卒業。3歳から日本舞踊を習い始め1932年に花柳寿京、花柳寿陽に師事し、1942年に花柳寿南海を名乗る。1946年に花柳寿輔の内弟子となる。1967年に「花柳寿南海とおどりを研究する会」、1989年に「花柳寿南海舞踊の会」を主宰する。山姥伝説をもとにした「山姥物」などの古典を得意とする一方で創作舞踊にも力を注いだ。1966年、芸術選奨文部大臣賞受賞。1992年、日本芸術院賞受賞。
平林 敏彦(ひらばやし としひこ、1924年8月3日 - 2… 平林 敏彦(ひらばやし としひこ、1924年8月3日 - 2025年4月6日)は、日本の詩人。草鹿 宏(くさか ひろし)の名で作家としても活動。 横浜市生まれ。横浜市立商業学校卒業。戦中に詩作をはじめ「四季」などに発表。戦後、第一次「ユリイカ」創刊と同時に編集に携わる。1993年、詩集『磔刑の夏』で富田砕花賞、2005年、『舟歌』で現代詩人賞、2009年、『戦中戦後 詩的時代の証言』で桑原武夫学芸賞受賞。2012年、第18回横浜文学賞受賞。2015年、『ツィゴイネルワイゼンの水邊』で小野十三郎賞受賞。 草鹿宏名義ではジュニア向けノンフィクション、漫画のノヴェライゼーションなどを書き、『翔べイカロスの翼』や『神様なぜ愛にも国境があるの』は映画化もされ話題になった。
草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7… 草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7月18日 - 2002年(平成14年)7月22日)は、日本の評論家、ノンフィクション作家、ジャーナリスト。 妻はきもの研究家の石川あき(本名は草柳アキ、1927年 - )。長女はテレビキャスターの草柳文惠。 神奈川県横浜市鶴見区出身。横浜二中、旧制府立高校を経て、1945年(昭和20年)に東京帝国大学へ入学した。間もなく学徒出陣となり、特攻隊員(特別操縦見習士官)を志願する。敗戦後は復学し、1948年(昭和23年)に東京大学法学部政治学科を卒業(在学中に改称)した。 八雲書店に入社し、編集者として『中野重治国会演説集』などを手がけるが、1949年(昭和24年)に人員整理で退職し、自由国民社編集者、産経新聞記者(経済担当)等を経験した。
小松原 博喜(こまつばら ひろき、1924年5月24日 - … 小松原 博喜(こまつばら ひろき、1924年5月24日 - 1965年4月23日)は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手。ポジションは、主に内野手・外野手としてプレーし、1949年まで投手も兼任した。 横浜商業では第15回選抜中等学校野球大会に出場。 卒業後の1942年に大和軍へ入団する。同年4月22日の対東京巨人軍戦に初先発するが、この試合で14与四球を記録、これは野茂英雄に1992年に並ばれ、1994年に16個で抜かれるまで日本プロ野球記録であった。なお、この試合では押し出しは与えず完投し4失点(3自責点)で切り抜けている。この年の投手としての登板は5試合に留まるが、左翼手や一塁手を務めて82試合に出場。
森 満喜子(もり まきこ、1924年5月18日 - 2000… 森 満喜子(もり まきこ、1924年5月18日 - 2000年10月)は、医師、沖田総司研究家、歴史作家。本名、大場満喜。 神奈川県横浜市生まれ。1945年大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)卒。2年生の夏休みに父の任地の函館に帰省したとき、大映映画「維新の曲」を見て、南条新太郎扮する沖田総司に魅せられる。終戦後まもなく医専を卒業してすぐに結核療養所に勤務。1947年、父の仕事の関係で大牟田に転居、1948年から1976年まで大牟田保健所に勤務。1981年上京、葛飾赤十字血液センターに勤務。その間、医師として結核を担当しつつ沖田総司に関する著作を上梓。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
飯田 徳治(いいだ とくじ、1924年4月6日 - 2000… 飯田 徳治(いいだ とくじ、1924年4月6日 - 2000年6月19日)は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(内野手、外野手、投手)・コーチ・監督、解説者。 シーズン154試合出場は杉山光平と 佐々木信也と共に日本タイ記録。パ・リーグ初のベストナイン(一塁手部門)も受賞している。 温厚な性格で「仏の徳さん」と呼ばれ親しまれた。 浅野綜合中学校では1939年の第16回選抜中等学校野球大会に出場し、2回戦(初戦)で北神商業中学校に敗退する。卒業後は東京鉄道管理局に就職して野球部に入部し、エースで4番打者だったが社会人では一塁手へ転向し、同じく4番打者として活躍した。1942年の第16回都市対抗野球大会では2回戦で全京城に敗退するが、打率.556を記録して打撃賞を獲得した。
吉野 實(よしの みのる、1924年3月5日 - 2016年… 吉野 實(よしの みのる、1924年3月5日 - 2016年1月9日)は、日本の大蔵官僚。内閣官房公共企業体等関係閣僚協議会事務局次長、関東財務局長、造幣局長、防衛庁経理局長、防衛施設庁長官、防衛事務次官、航空貨物通関情報センター理事長、国際メディア研究財団理事長などを歴任。東京都新宿区市谷砂土原町在住。長男は吉野維一郎。 神奈川県藤沢市出身。旧制横浜第一中学校、旧制第一高等学校から東京帝国大学に入学。陸軍伍長、陸軍少尉を務め、1945年9月に退役。1949年2月 国家公務員六級職試験を合格。1950年1月 国家公務員一般職・専門職試験を合格。東京大学法学部政治学科卒業。1950年 大蔵省入省。