林 太一郎(はやし たいちろう、1856年11月12日(安政… 林 太一郎(はやし たいちろう、1856年11月12日(安政3年10月15日) - 1914年(大正3年)9月2日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 能登国鹿島郡中挟村(石川県鹿島郡徳田村を経て現七尾市)で、林太郎平の三男として生まれる。1876年(明治9年)石川県師範学校を卒業し、鹿島郡内の小学校で教員として務めた。1877年(明治10年)4月、陸軍教導団に入団し、1878年(明治11年)10月、歩兵科を卒業し軍曹に任官して大阪鎮台に配属された。1881年(明治14年)12月、陸軍士官学校(旧4期)を卒業し 歩兵少尉に任官。1882年(明治15年)1月、歩兵第8連隊付となる。1886年(明治19年)12月、陸軍大学校(2期)を卒業。
高橋 順太郎(たかはし じゅんたろう、安政3年3月28日(1… 高橋 順太郎(たかはし じゅんたろう、安政3年3月28日(1856年5月2日) - 大正9年(1920年)6月4日)は明治・大正期の、医師、医学博士、薬理学者。東京帝国大学医科大学、初代薬物学教授。医術開業試験医員、日本薬局方調査委員、理学文書目録委員会委員、東京帝国大学評議委員などをつとめた。正三位勲一等瑞宝章。通称:順太郎、諱:信之(もりゆき)。石川県金沢市出身。著作に「河豚之毒」「肝油ノ効果ヲ論ス」「『ファゴール』二就テ」など 安政3年3月28日(1856年5月2日)、加賀藩知行御算用者小頭高橋荘兵衛(110石・通称:荘兵衛、諱:作善)・石橋鈴(御算用者:石橋良蔵・長女)の嫡男として、金澤勘解由町(金沢市瓢箪町)に生まれる。
浅野 順平(あさの じゅんぺい、1856年1月21日(安政2… 浅野 順平(あさの じゅんぺい、1856年1月21日(安政2年12月14日) – 1925年(大正14年)9月23日)は、日本の衆議院議員。 加賀国河北郡高松村(現在の石川県かほく市)に浅野平七の五男として生まれ、1880年(明治13年)より石川県会議員を6期務めた。1885年(明治18年)、第四高等中学校(のち第四高等学校、金沢大学の前身)の設置にあたって、北陸四県連合会議員に就任し、金沢への誘致を成功に導いた。 1890年(明治23年)、第1回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は8回を数えた。 また、金沢電気株式会社取締役、北陸新聞社長などを兼ねた。
広海 二三郎(廣海、ひろうみ にさぶろう、1854年12月2… 広海 二三郎(廣海、ひろうみ にさぶろう、1854年12月22日(安政元年11月3日)- 1929年(昭和4年)1月29日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。5代二三郎。北前船主。 広海常信(4代二三郎)の長男として、加賀国江沼郡瀬越村(石川県江沼郡大聖寺町瀬越を経て、加賀市大聖寺瀬越町)に生まれる。生家は加賀大聖寺藩の海運界の旧家。家訓により16歳から5年間手船に乗って船乗りと商売の基礎を学んだ。1887年(明治20年)1月、常信の死亡により家督を相続する。 1884年(明治17年)大阪に進出し、広海商店と屋号を掲げ、船舶業および海産物業を経営し、1889年(明治22年)には北海道小樽に「広海倉庫」を設立した。
遠藤 秀景(えんどう ひでかげ、1854年12月20日(安政… 遠藤 秀景(えんどう ひでかげ、1854年12月20日(安政元年11月1日)- 1911年(明治44年)5月16日)は、明治時代の政治家、漁業家。自由民権運動家。衆議院議員(1期)。幼名は岩太郎。 加賀藩士で素封家の父、遠藤柳の長男として加賀国河北郡浅野村(石川県河北郡中口村、小坂村を経て現金沢市小橋町および昌永町)に生まれる。幼くして関兵次郎、矢野三内、太田清蔵、秦秀植、南部虎之助などに付き剣術や槍術を学んだ。ついで島田定静の門に入り文学を修め、同門の塾長となった。18歳の時、仏学校に入るが退学し、県立中学に転じた。 1877年(明治10年)西南戦争が勃発すると島田一郎らが西郷隆盛を援けることを主張したが、これに反対した。
赤土 亮(あかど りょう、1854年8月14日(安政元年7月… 赤土 亮(あかど りょう、1854年8月14日(安政元年7月21日) - 1906年(明治39年)6月11日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 加賀国石川郡宮腰町(金石本町、石川県石川郡上金石町、金石町を経て現金沢市)出身。金沢師範学校で学ぶ。小学校訓導、石川郡金石町戸長、同町助役、同町長、同町会議員、石川郡会議員、石川県会議員、加能合同汽船(株)支配人となる。 1898年3月(明治31年)第5回衆議院議員総選挙において石川1区から自由党公認で立候補して初当選する。8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補して再選する。1902年(明治35年)第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1906年に死去した。
関野 善次郎(せきの ぜんじろう、1853年6月20日(嘉永… 関野 善次郎(せきの ぜんじろう、1853年6月20日(嘉永6年5月14日)- 1935年(昭和10年)11月15日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、富山市長。旧姓は神野、幼名は太三郎、旧名は彦兵衛。族籍は富山県平民。 能登国鹿島郡八幡村(現石川県七尾市八幡町)で、豪農・神野太平次の六男として生まれる。元治元年(1864年)富山東堤町(現富山市)の呉服商・関野善右衛門の養子となり彦兵衛と改名。その後、家督を相続して善次郎と改名し、富山藩より長町人(おとなちょうにん)に任じられ、さらに呉服物御用方、藩金融通所手添役を務めた。 明治維新後は、戸長、富山連合町会議員、同議長を務め、1882年、越中改進党の結成に参画し、1884年、山野清平と『中越新聞』を発刊するなど、富山県の改進党系の指導者として活動した。
6代 米谷 半平(こめたに はんべい、1852年1月3日(嘉… 6代 米谷 半平(こめたに はんべい、1852年1月3日(嘉永4年12月12日) - 1927年(昭和2年)5月27日)は、明治から大正時代の政治家。実業家。銀行家。貴族院多額納税者議員。 加賀国、のちの石川県能美郡安宅町(現小松市)出身。先代米谷半平の三男として生まれ、亡兄半平の跡を継ぎ襲名した。 米谷銀行を経営したほか、石川県農工銀行、北陸興業各取締役などを歴任した。また、公共事業に尽くし第五回関西府県連合共進会特別委員や日本赤十字社特別委員に挙げられ有功章を送られたほか、帝国義勇艦隊建設費を寄附し、愛国婦人会に尽力し賞状を授かった。このほか、日露戦争の功により勲四等旭日小綬章を受章した。 1899年(明治32年)石川県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年7月11日から1904年(明治37年)9月28日まで務めた。
能川 登(のがわ のぼる、1851年12月5日(嘉永4年11… 能川 登(のがわ のぼる、1851年12月5日(嘉永4年11月13日)- 1910年(明治43年)4月7日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。幼名・辰太郎。号・西京農夫。 加賀国石川郡本吉町(金沢県石川郡美川町、石川県石川郡美川町を経て現白山市美川本吉町)で、船主・能川太平治の長男として生まれる。金沢の叔父・畑春斎宅に寄寓し漢学を修めた。13歳で帰郷し、郷校開道館・素読教師、加賀藩銃卒取締、駅逓取締を務めた。1879年(明治12年)家督を相続。 1874年(明治7年)大阪に出て法学を研究し、1877年(明治8年)京都に移り、草場船山に師事し漢学を修めた。1878年(明治9年)9月、京都米商会所の創立委員として上京し、政府に出願をしたが許可を得られなかったため、内務卿大久保利通に面会して允許の内諭を得て帰京した。
神野 良(かんの りょう、1851年(嘉永4年3月)- 19… 神野 良(かんの りょう、1851年(嘉永4年3月)- 1910年(明治43年)7月15日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。 能登国鹿島郡、のちの石川県鹿島郡徳田村(現七尾市)に生まれる。地租改正総代を経て、1876年(明治9年)啓明学校(のち中学師範学校)に入り、同副塾長に抜擢される。鹿島郡山林改租総代、農事通信委員を経て、中山長吉らと共に七尾町(現七尾市)にて勧業博覧会を開催した。1879年(明治12年)居村外12箇村戸長に就任し、ついで石川県会議員、村会議員、連合会議員を経て、石川県に出仕し1881年(明治14年)まで務めたのち再び県議に当選した。1882年(明治15年)3月、県会副議長に挙げられ、常置委員、郡内連合町村会議員、学区会議員を兼ねた。
葦原 金次郎(あしわら きんじろう、嘉永3年11月3日(18… 葦原 金次郎(あしわら きんじろう、嘉永3年11月3日(1850年12月6日) - 1937年(昭和12年)2月2日)は、明治後半から昭和にかけての日本の皇位僭称者。葦原将軍、葦原天皇、葦原帝とも呼ばれる。また「葦」の字を「蘆(芦)」として蘆原金次郎、蘆原将軍とされる場合もある。訓みは旧仮名遣いでは「あしはら」と表記されるが、発音は「あしわら」である。 生まれは越中国高岡(現在の富山県高岡市)とする文献と、加賀国金沢(現在の石川県金沢市)とする文献がある。 埼玉県深谷で櫛職人として働いていたが、20歳の時に東京に出て発病したと言われる。24歳の時に結婚したが、懲役に処せられたことから妻に逃げられ離婚。
織田 惣三郎(おだ そうざぶろう、1849年12月17日(嘉… 織田 惣三郎(おだ そうざぶろう、1849年12月17日(嘉永2年11月3日) - 1957年(昭和32年)3月28日)は、かつて男性長寿日本一であった福井県の男性。 1849年石川県(加賀国)能美郡白峰村に生まれ、88歳までそこで暮らすが、1934年の大水害により福井県勝山市平泉寺町に移住する。 100歳ぐらいまでは草刈りなどをし、106歳時点でも酒を3合程度飲んでいた。父は92歳、母は84歳、兄弟も80~90歳代まで生きた長寿の家系であった。 1956年9月時点では国内最高齢男性とされ、子は5人のうち2人が存命でひ孫まで合わせて19人であった。 1957年3月28日、老衰のため107歳で死去。
石坂 専之助(專之助、いしさか / いしざか せんのすけ、1… 石坂 専之助(專之助、いしさか / いしざか せんのすけ、1849年9月14日(嘉永2年7月28日)- 1915年(大正4年)10月6日)は、明治期の教育者、公吏、政治家。衆議院議員、富山県会議長。旧姓・嵯峨。 越中国新川郡東岩瀬村(石川県新川郡東岩瀬村、富山県上新川郡東岩瀬町を経て現富山市)の伝馬問屋・嵯峨健寿の三男として、金沢十三間町(現金沢市)で生まれた。その後、新川郡栗山村(中新川郡早月加積村栗山、滑川町を経て現滑川市 )の石坂太郎左衛門の養子となる。 1869年(明治2年)大学南校に入学。卒業後、大学少助教、慶應義塾教授、文部省出仕、同人社教授を歴任したが、1877年(明治10年)病のため帰郷した。
新田 甚左衛門(甚左衞門、にった じんざえもん、1847年(… 新田 甚左衛門(甚左衞門、にった じんざえもん、1847年(弘化4年3月)- 1908年(明治41年)10月12日)は、明治期の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員。北陸の繊維産業の振興に大きな貢献をした。 加賀国能美郡浜開発村(石川県能美郡江ノ島村、根上村字浜開発、根上町を経て現能美市浜開発町)で、代々農業の家に生まれた。 1877年(明治10年)長野県、群馬県から良質の桑苗を導入して桑園の改良を試みた。1879年(明治12年)から1881年(明治14年)にかけて私費で長野県から養蚕教師を招聘し、自宅を会場として近隣の農家に技術習得の機会を提供した。1884年(明治17年)5月、北陸繭改良本部小松出張所管内第11区総組長に就任。
津田 嘉一郎(つだ かいちろう、1845年(弘化2年2月)-… 津田 嘉一郎(つだ かいちろう、1845年(弘化2年2月)- 1914年(大正3年)6月1日)は、明治から大正初期の実業家、政治家。衆議院議員。 能登国鹿島郡七尾町(石川県鹿島郡七尾町を経て現七尾市)で生まれた。物品依託販売業、倉庫業を営む。七尾銀行頭取、中島商業銀行頭取などを務めた。 1890年(明治23年)9月、石川県会議員に当選し、1891年(明治24年)10月まで在任した。1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(石川県第3区、自由党)で当選し、衆議院議員に1期在任した。
松江 安見(まつえ やすみ、弘化元年1月13日〈1844年2… 松江 安見(まつえ やすみ、弘化元年1月13日〈1844年2月1日〉 - 明治22年〈1889年〉3月4日)は、日本の医師。石川県白山市(旧松任市)出身。石川県で初めて篤志解剖を行った。 石川郡徳丸村(現白山市徳丸町)で父安右ェ門、母ヒナの長男として生まれる。松江家は徳丸村宮井甚平家の分家にあたる。宮井家は地方きっての豪農で、藩政中期より1870年(明治3年)まで村肝煎を勤めた家柄であった。甚平の二男が分家し松江安右エ門と名乗ったのが松江家の初代である。安右エ門には安見、安茂、陳好、甚作、兵二、安仁、嘉平、昇、意之の9人の子があった。 松江安見は若くして医学の道を志し、金沢医学所で、漢方医学を大益良吉に、西洋医学を石川孝恭に学んだ。
小間 粛(こま しく、1843年(天保14年8月) - 19… 小間 粛(こま しく、1843年(天保14年8月) - 1900年(明治33年)12月1日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 1843年(天保14年)8月 能登国鳳至郡清水村の藤九郎の次男に生まれる。父は加賀藩の寺社奉行であった。小間は藩校に学び漢学を修め、藩から山廻役を命ぜられていた。廃藩後は養蚕業を営み、製糸工場を経営した。その一方で戸長を務めのちに門前小学校で訓導や珠洲郡書記も務めた。1879年県会議員選挙に鳳至郡選挙区から出馬し当選、以後当選を重ねる。1883年2月には盈進社発起の北陸道有志大懇談会に参加し、1884年の県会では河瀬貫一郎に反対の立場をとったが同志少なく主導権を握ることはできなかった。
雷電 震右エ門(らいでん しんえもん、1842年 - 188… 雷電 震右エ門(らいでん しんえもん、1842年 - 1884年11月16日)は、能登国羽咋郡(現在の石川県羽咋市)出身で千賀ノ浦部屋(入門時は阿武松部屋)に所属した大相撲力士。本名は和吉→楠 和助。現役時代の体格は身長177cm、体重125kg。得意手は突き、押し。最高位は大関。 史上最強と言われる雷電爲右エ門引退後、ただ一人雷電の四股名を名乗った人物である。彼以後、雷電の名を名乗る力士はおらず、止め名となっている。 文久2年(1862年)ごろ江戸に出て、3代阿武松(元松ヶ枝)のもとに入門したと伝わる。元治元年(1864年)4月場所に序ノ口から初土俵。四股名は初め「槇割」、のち「里神楽」から「北ノ浦」、「兜山」と次々替わるが実力は高く評価されており、まだ入幕もしていないのに姫路藩お抱え力士になったほどである。
赤松 連城(あかまつ れんじょう、天保12年1月17日〈18… 赤松 連城(あかまつ れんじょう、天保12年1月17日〈1841年2月8日〉 - 1919年〈大正8年〉7月20日)は、幕末から大正にかけての浄土真宗本願寺派の僧侶。赤松克麿、赤松常子の祖父。俗名は中宇三郎。 加賀国金沢出身。若狭国妙寿寺にて修行の後、28歳で周防国徳山の徳応寺を継ぐ。廃仏毀釈の混乱の中で、大洲鉄然・島地黙雷らとともに宗門改革に立ち上がる。 明治5年(1872年)から宗門大谷光尊の命で島地黙雷とヨーロッパに留学し、イギリスなどの教育制度を学んだ。帰国後は宗門の教育制度を改革するとともに東京奠都に伴う寺務所の東京移転計画を阻止し、大教院を事実上の廃仏政策であると批判して島地黙雷とともに反対運動を展開した。
初代平出 喜三郎(ひらで きさぶろう、1841年(天保12年… 初代平出 喜三郎(ひらで きさぶろう、1841年(天保12年9月) - 1908年(明治41年)3月7日)は、日本の実業家、漁業家、政治家。衆議院議員。 加賀国江沼郡橋立村(現加賀市)出身。20歳で堺商人・河内屋仁兵衛に千石船の船頭として奉公し、日本海沿岸から蝦夷地を航海。1868年(明治元年)に河内屋総支配人に就任。箱館戦争では新政府の兵器・糧食を自己所有汽船「寅一」「寅二」の二艘で運搬した。 その後、箱館に居住し、独立して商業、漁業を営み、特に千島漁業で巨万の富を築いた。また、函館商業学校商議委員、水産調査地方通信委員、函館区会議員、函館水道商議委員、函館町会所取締、シカゴ・コロンブス博覧会事務委員、大日本水産品評会出品委員、函館区共有財産理事員、函館港湾築堤委員、函館大隊区徴兵参事員、函館商業会議所会頭、函館銀行取締役、函館港調査委員、函館港工事改良委員、北海道拓殖銀行設立委員、フィラデルフィア博物館顧問、函館区会議長代理者、立憲政友会創立委員、第五回内国勧業博覧会評議員、北海道会議員、道会議長などを歴任した。
小野 太三郎(おの たさぶろう、1840年2月17日(天保1… 小野 太三郎(おの たさぶろう、1840年2月17日(天保11年1月15日) - 1912年(明治45年)4月5日)は、幕末から明治時代の日本の社会事業家・慈善家。名は他三郎とも表記される。 加賀の金沢に生まれる。実家は古本の商店だった。若くして眼の病気を患い、視覚障害者となりながらも盲人を中心に慈善活動に携わった。後に金沢藩に仕え、1864年(元治元年)に発生した加賀の大飢饉で農作物が不作となり貧困に陥った平民に慈善を行った。明治維新後は古着屋を経営し、後に廃藩置県により非藩の小屋が廃止となる。1873年(明治6年)には金沢市内に1棟につき約20人の盲人や窮民を集い、救済活動を始めた。 その後も施設を増築し、1890年(明治23年)までには20棟の慈善施設を建設し、約400人の窮民を集め慈善活動に貢献した事が記録されている。
金田 平五郎(かねだ へいごろう、1838年8月13日(天保… 金田 平五郎(かねだ へいごろう、1838年8月13日(天保9年6月24日) - 1921年(大正10年)7月20日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 能登国羽咋郡中沼村(のち石川県羽咋郡南大海村→高松町→かほく市)出身。漢学を学ぶ。農業を営み、1860年には中沼村、次いで夏栗村、更に二ツ屋村の肝煎となる。1873年、石川県第4区小1区戸長、1889年、南大海村会議員、所得税調査委員、1891年、連合村会議員、同年、羽咋郡会議員、1897年、石川県会議員となる。 1898年8月の第6回衆議院議員総選挙において石川3区から憲政党公認で立候補して当選した。1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。
岡田 棣(おかだ なろう、天保6年12月21日(1836年2… 岡田 棣(おかだ なろう、天保6年12月21日(1836年2月7日) - 明治30年(1897年)8月17日)は、幕末期における加賀藩前田家の家臣である。幕末において藩の軍艦頭取を務め明治初年に参政に登用され参事・大参事を務めた。その後幕府の命によりアメリカ・ヨーロッパを視察した。帰国後前田家の家扶を務め晩年にかけて将棋に関する書籍を収集。没後、将棋に関する蔵書を遺言により帝国図書館、現在の国立国会図書館へ寄贈した。 天保6年(1835年)12月21日に金沢で生まれる。小松馬廻番頭兼小松町奉行の父、岡田正之と小幡藩士の娘の母との長子として誕生。初名は正忠、通称を雄次郎としたが後にこれを廃して名を棣(なろう)と改めた。
梅田 五月(うめだ さつき、1835年5月9日(天保6年4月… 梅田 五月(うめだ さつき、1835年5月9日(天保6年4月12日)- 1912年(明治45年)5月23日)は、幕末の武士(大聖寺藩士)、明治期の実業家・政治家。衆議院議員、石川県会議長、石川県江沼郡大聖寺町長。幼名・又吉、八百吉。諱・巍。号・抜山、烟渚、煙渚。1869年(明治2年)以降、五月を名乗る。 加賀国江沼郡大聖寺鷹匠町(石川県江沼郡大聖寺町を経て現加賀市大聖寺鷹匠町)で、大聖寺藩士・梅田専次の息子として生まれた。藩学者・東方芝山から儒学を学ぶ。選抜され越前大野藩に遊学し 藩校洋学館に入り、剣術を内山介輔に、西洋砲術を小形元輔に、洋学を伊藤慎蔵から学び、蘭学七級となった。1860年(万延元年)に帰藩。
天野 三郎(あまの さぶろう、1835年3月13日(天保6年… 天野 三郎(あまの さぶろう、1835年3月13日(天保6年2月15日)- 1930年(昭和5年)11月6日)は、幕末の加賀藩士、明治期の官僚、政治家。衆議院議員。旧姓・辻、字・参好山。 加賀国河北郡金沢(現石川県金沢市)で、加賀藩士の辻家に生まれる。藩校で学ぶ。藩学、小松修道館の文学助教となり、武芸の研鑽にも取り組んだ。明治3年2月(1870年3月)藩命により東京で仏式兵学を学び、明治4年(1971年)東京警備中の藩兵の指導を行う。その後、大阪兵学寮で学んだが病のため退学し、大阪府で洋学を修業した。 1873年、埼玉県に来県し、1874年、足立郡辻村(のち北足立郡六辻村、現さいたま市南区辻)の天野彦吉の養子となる。
竹内 吟秋(たけのうち ぎんしゅう、天保2年2月5日(183… 竹内 吟秋(たけのうち ぎんしゅう、天保2年2月5日(1831年3月18日) - 1913年(大正2年)11月2日)は明治時代の陶芸家。通称は直輔、源三郎、諱は知雅、別号は節翁。青年期は武芸に励み、加賀大聖寺藩、石川県に出仕した後、九谷焼作陶に転じ、維新舎主、九谷陶器会社支配人、江沼郡九谷陶器同盟組合頭取、石川県工業学校陶磁科教諭を歴任した。弟浅井一毫も陶芸家。 天保2年(1831年)2月5日大聖寺藩士浅井長右衛門の長男として生まれた。天保9年(1838年)室田某に習字、天保10年(1839年)菅生石部神社大江某に読書を学んだ。 弘化2年(1845年)堀文錦、小島春晁に絵画、弘化3年(1846年)山田十助に真之神道流柔術、七尾篤忠に直心影流剣術を学び、師の没後田中有常に皆伝を受けた。
森川 久美(もりかわ くみ、8月5日 - )は、石川県金沢市… 森川 久美(もりかわ くみ、8月5日 - )は、石川県金沢市在住の少女漫画家。同人誌時代は山田茉莉の名前で東京女子大学漫画研究会の同人誌『やっはるーっ』にて活動していた。元宝塚歌劇団星組トップスターの紫苑ゆうのファンである。
碧海 さりお(あおみ さりお、6月16日 - )は、宝塚歌劇… 碧海 さりお(あおみ さりお、6月16日 - )は、宝塚歌劇団星組に所属する男役スター。 石川県金沢市、星稜高等学校出身。身長168cm。愛称は「ちゃりお」、「さりお」。 2013年、宝塚音楽学校入学。 2015年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に101期生として入団。入団時の成績は5番。月組公演「1789」で初舞台。その後、星組に配属。 2020年、礼真琴・舞空瞳トップコンビ大劇場お披露目となる「眩耀の谷」で、新人公演初主演。 小学校高学年の時に宝塚を初観劇し、その日に宝塚受験を志した。 高校在学中に来校したOB・本田圭佑が口にした「何事にも限界はない。あきらめたら自分が負けだ」との言葉を胸に、最後のチャンスとなる4度目の挑戦で音楽学校に合格した。
山下 絵里香(やました えりか、4月12日 - )は、日本の… 山下 絵里香(やました えりか、4月12日 - )は、日本のナレーター、女性声優。石川県出身。愛称は、エッカ。 石川県立金沢泉丘高等学校卒業、神戸大学発達科学部卒業、青二塾大阪校19期生。
前田 明日香(まえだ あすか、1月10日 - )は、石川県金… 前田 明日香(まえだ あすか、1月10日 - )は、石川県金沢市出身のフリーアナウンサー、パーソナリティ。所属はフリーランスで、主に北陸地方を中心に活動をしている。
川越 清以(かわごえ きよとも)は、日本の物理学者。理学博士… 川越 清以(かわごえ きよとも)は、日本の物理学者。理学博士。ILC戦略会議の委員。
松本 尚 は、日本の政治家、医師、博士(医学)。自由民主党所… 松本 尚 は、日本の政治家、医師、博士(医学)。自由民主党所属の衆議院議員(3期)、デジタル大臣 、デジタル行財政改革担当大臣、行政改革担当大臣、国家公務員制度担当大臣、サイバー安全保障担当大臣、内閣府特命担当大臣(サイバー安全保障)。
藤井 伸二(ふじい しんじ)は、日本の旅行作家・ライター・写… 藤井 伸二(ふじい しんじ)は、日本の旅行作家・ライター・写真家・映像製作者。フリーランス集団『ジャアク商会』代表。タイ料理研究家。 実存主義を思索の軸とし、イマヌエル・カントが実践した規則正しい生活を理想としている。 タイ王国の首都バンコクのカオサン通りに20年近くに渡って拠点を置き、観光記事や旅行情報を書き連ねていた。一般的な旅行情報紹介から専門的な仏教(宗教)解説に至るまで執筆範囲は幅広い。特にタイを中心にベトナム、ラオスと、アジア関連の書籍や記事を執筆。国内外を問わず、ラグジュアリーからエコノミーまで、鉄道、車、飛行機、バス、自転車、バイクに徒歩と、手段やスタイルにこだわらない自由な旅を実践している。
園田 眞理子(そのだ まりこ、 - )は、日本の、建築学者で… 園田 眞理子(そのだ まりこ、 - )は、日本の、建築学者である。 現在、明治大学理工学部建築学科教授。専門分野は建築計画、住宅・住環境計画、住宅政策論。
塩村 宰(しおむら おさむ)は、日本のジャズミュージシャン(… 塩村 宰(しおむら おさむ)は、日本のジャズミュージシャン(トロンボーン奏者、ベーシスト)、作曲家、編曲家である。かつては、名を「修」と表記していた時期がある。 天保プロダクション代表取締役プロデューサー。金沢市民芸術村ミュージック工房アートマネージャー。日本音楽著作権協会会員。 石川県金沢市出身。石川県立金沢泉丘高等学校を経て早稲田大学政治経済学部卒。在学中は、早稲田大学ハイソサエティー・オーケストラでコンサートマスターを務めた他、ビッグバンドの宮間利之とニューハードに参加。その後、作曲家・編曲家として多数のアルバムに参加。また、フリーのミュージシャンとしては松任谷由実、上田正樹、荒川達彦、ジョージ川口、三木敏悟らと共演した。
柳生 好之(やぎゅう よしゆき)は、難関大受験専門塾「現論会… 柳生 好之(やぎゅう よしゆき)は、難関大受験専門塾「現論会」代表。リクルート「スタディサプリ」現代文講師。
三谷 美菜津 は、石川県出身のバドミントン選手。バドミントン… 三谷 美菜津 は、石川県出身のバドミントン選手。バドミントン日本代表ナショナルチームに選出されている。
竹村 りゑ(たけむら りえ )は、日本のフリーアナウンサー。… 竹村 りゑ(たけむら りえ )は、日本のフリーアナウンサー。 元北陸放送 (MRO)アナウンサー、元NHK名古屋キャスター。
道井 悠 は、日本の女性声優。石川県金沢市出身。
寺島 拓篤 は、日本の男性声優。石川県羽咋郡宝達志水町(旧・… 寺島 拓篤 は、日本の男性声優。石川県羽咋郡宝達志水町(旧・志雄町)出身、アクセルワン所属。妻は同じく声優の佐藤聡美。
洲崎 綾 は、日本の女性声優。石川県金沢市出身。アイムエンタ… 洲崎 綾 は、日本の女性声優。石川県金沢市出身。アイムエンタープライズ所属。
岩井 大(いわい だい)は、金沢高等学校保健体育科教諭。同校… 岩井 大(いわい だい)は、金沢高等学校保健体育科教諭。同校野球部部長。同校野球部OB会理事。
風見 奏太(かざみ そうた)は、日本のゲーム制作会社を営む実… 風見 奏太(かざみ そうた)は、日本のゲーム制作会社を営む実業家、ラジオパーソナリティ。株式会社P.K.WORKS代表取締役社長。 10代の頃は誰かと過ごすよりは一人の時間が好きだった。高校卒業してから親の反対を振り切って上京するも、資金がまったくなかったため、住み込みの新聞配達員を始める。地元の石川県から東京に来た時に、人と一緒にいることが楽しくなった。きっかけは20代前半にいろいろな人と会ううちに、多くの人といろんなことを分かち合わないともったいないと思った経験に基づいている。20歳の時に起業。分かち合うなら感動や楽しいことがいいと思ったとき「誰かと一緒に何かをしたい」と思うようになった。その過程でご縁があり株式会社P.K.WORKSを興すに至った。
宮崎 由加 は、日本のタレント、歌手であり、ハロー!プロジェ… 宮崎 由加 は、日本のタレント、歌手であり、ハロー!プロジェクトに所属する女性アイドルグループJuice=Juiceの元メンバーで、初代リーダーである。公式ニックネームはゆかにゃ。
小田 敏充 は、日本の声優、舞台俳優。石川県小松市出身。WO… 小田 敏充 は、日本の声優、舞台俳優。石川県小松市出身。WORD STUDIO代表取締役社長。アミューズメントメディア総合学院講師。
髙橋 龍也 は、日本の脚本家、クリエイター。石川県七尾市出身… 髙橋 龍也 は、日本の脚本家、クリエイター。石川県七尾市出身。
藤 敏也 は日本の俳優。本名は同じ。
木村 佳代子(きむら かよこ、11月19日 - )は、日本の… 木村 佳代子(きむら かよこ、11月19日 - )は、日本の女性サクソフォーン奏者、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家(ホーンアレンジ)、イベントオーガナイザー、著作家、リミキサー。 Monday満ちる、大沢伸一との出逢いを機に、1990年代末、30歳前より本格的に奏者としてプロ活動をスタートする。国内外のアーティストのレコーディング、海外ツアー、教則本著作、イベントオーガナイズ、音楽プロデューサー、リミキサー、スタジオ・ミュージシャンとして、多岐に渡り精力的に活動する女性管楽器奏者である。 幼少の頃より母と共に郷土民謡会『美松民謡会/子雀会』で唄い、踊り、横笛を演奏 小中高校吹奏楽部ではトランペット、クラリネットを演奏 土岐英史氏・藤陵雅裕氏・小池修氏にサックスを師事 録音参加作品・共演/斑尾ジャズフェスティバル(with Maceo Parker, Michael Brecker、島健、小曽根真)、CX「僕らの音楽」安全地帯『じれったい』、桑田佳祐PV、平井堅TVプロモーション、KinKiKidsドームツアー(京セラ・東京ドーム)・TVアニメ『ちびまる子ちゃん』『KinKiのやる気まんまんソング』、aiko『ボーイフレンド』、山崎育三郎1stシングル『Congraturations』、Nissy『トリコ』、中島美嘉、倖田來未、村上隆アニメ『6hp』、WOWOW『眼の壁』(小泉孝太郎主演、Jazztronikヨーロッパツアー、ラフォルジュルネ『遠tone音』、InitialTalk 作編曲・サウンドプロデュース・著作/Jackson5Remixes『ABC~Lovestream Mix~』(Motown)、YAMAHA DM2000 5.1ch デモ楽曲『Once Upon A Time』、篠山紀信『digiKISHIN』、『めちゃ吹け☆アルト・サックス・コレクション(RittohMusic)』、『味の手帖』、『JazzLife(立東社)』 ※『小松おどり』(小松市制80周年記念)、『小松鉱山ブルース』、『能登舟漕唄』(石川県モダン郷土民謡・狛江市文化芸術活動支援)イベント・出張ライブ企画演奏 / KIRIN SVB生麦『Beer Meets Music』、ARIMINO Manabu(海野学)セミナー、SABON Beach House Party、club2001(Blue Note)、
石川 和之(いしかわ かずゆき、8月18日 - )は、日本の… 石川 和之(いしかわ かずゆき、8月18日 - )は、日本の男性声優。アミュレート所属。石川県出身。 勝田声優教室5期生。 以前は劇団ムーンライト、オフィス野沢、メディアフォース、ディーカラーに所属していた。 2024年8月1日、ディーカラーとアミュレートとの事業統合によりアミュレートへ移籍。 趣味はダーツ、ウォーキング、読書、ビリヤード。
平山 貴人(ひらやま たかひと、7月6日 - 、生年は非公表… 平山 貴人(ひらやま たかひと、7月6日 - 、生年は非公表)は、日本のフリーアナウンサー。 主に北陸地方でテレビ・ラジオのパーソナリティやCMナレーターとして活動している。 石川県七尾市(旧能登島町)出身。血液型はA型。 埼玉県川越市の結婚式場の司会業でキャリアをスタートさせた。Jターン後は1995年のラジオかなざわ開局当初や、後のラジオななおではほぼ局専属で活動していた時期があるほか、現在に至るまで北國新聞系列の放送メディアでの活動がメイン。他に、石川県内での演歌歌手の公演の司会、富山県や福井県でも特別番組のナレーションなどで起用されることも多い。 なお、実家は民宿。調理師免許を持っており料理はプロ並み。