小林 敏男(こばやし としお、1944年 - )は、日本史学… 小林 敏男(こばやし としお、1944年 - )は、日本史学者、大東文化大学名誉教授。日本古代史が専門。 長野県長野市生まれ。1978年東京教育大学大学院文学研究科(日本史学)博士課程単位取得退学。1995年「古代王権と県・県主制の研究」で國學院大學より博士(歴史学)の学位を取得。大東文化大学文学部教授。2015年定年退任、名誉教授。
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小林 敏男(こばやし としお、1944年 - )は、日本史学… 小林 敏男(こばやし としお、1944年 - )は、日本史学者、大東文化大学名誉教授。日本古代史が専門。 長野県長野市生まれ。1978年東京教育大学大学院文学研究科(日本史学)博士課程単位取得退学。1995年「古代王権と県・県主制の研究」で國學院大學より博士(歴史学)の学位を取得。大東文化大学文学部教授。2015年定年退任、名誉教授。
中嶋 大道(なかじま だいどう、1944年 - )は、日本の… 中嶋 大道(なかじま だいどう、1944年 - )は、日本の彫刻家、造形作家。長野県安曇野市出身。出身地である安曇野市に工房を構え、おもに昆虫などをモチーフとして、ステンレス彫刻作品を制作している。 中島大道と記される場合もある。 長野県南安曇郡穂高町(現在の安曇野市穂高)に生まれた。最初は木彫に取り組んだが、後に金属溶接を学んで、様々な金属素材による造形を試行錯誤し、最終的にステンレスを素材に溶接によって造形する技法を編み出した。 1980年代はじめから、ステンレスによる巨大彫刻制作に取り組みはじめた。巨大な作品では、厚さ4mm〜5mmほどのステンレス鋼板などを使用し、溶接や研磨によって作品が造形される。
吉岡 攻(よしおか こう、1944年 - )は、日本のテレビ… 吉岡 攻(よしおか こう、1944年 - )は、日本のテレビディレクター、写真家、オルタスジャパン相談役兼ディレクター・プロデューサー。弟はノンフィクション作家・日本ペンクラブ前会長の吉岡忍。 長野県佐久市出身。1968年3月、東京写真大学卒業。フリーの写真家として1969年から1972年の復帰まで沖縄県に転居。コザ暴動など、沖縄が日本に復帰するまで激動の4年間を取材する、1971年11月10日に発生した沖縄ゼネスト警察官殺害事件では、現場に居合わせた吉岡は、火炎瓶の炎に包まれ倒れた機動隊員の姿を撮影、そのことを知った琉球警察(当時)は、証拠写真の押収を目的に「殺人及び公務執行妨害」という容疑で自宅に踏み込み、押収したため、沖縄だけではなく本土のマスコミや、メディアで活躍する人たち、日本社会党の国会議員や市民活動家らが『押収は報道の自由を侵すもの』として反対運動を展開。
岡田 弘(おかだ ひろむ、1943年12月27日 - )は、… 岡田 弘(おかだ ひろむ、1943年12月27日 - )は、日本の地球科学者。北海道大学名誉教授。専門は火山物理学、火山噴火予知、火山災害。理学博士(北海道大学、1977年)。長野県長野市出身。 十勝岳、有珠山噴火の際にテレビ、新聞に現れ、俗世にまみれぬ真っ白な長髪の風体が、いかにも学者然として注目を集めた。また、2000年有珠山噴火を的確に予想した事から「有珠山の主治医」とも評された。同年には「長年の有珠山研究に基づく火山噴火予知と防災活動への貢献」の功績により北海道新聞文化賞特別賞を受賞。 しかし、有珠山は有史時代の噴火でほぼ例外なく体に感じるような地震を伴うことなどから噴火は予知しやすい火山とされており、有珠山の噴火を予知したことだけでなく火山の静穏な時期から地元に密着した住民への啓発活動等によってスムーズな事前避難をうながしたこと、自治体職員など防災機関の人たちと常に連携した活動をして有珠山の噴火期に的確な災害対策について助言をした功績により、平成13年(2001年)度防災功労者内閣総理大臣表彰を受賞した。
丸山 健二(まるやま けんじ、1943年12月23日 - )… 丸山 健二(まるやま けんじ、1943年12月23日 - )は、日本の小説家。 高校を卒業後、通信士として商社に勤務。傍ら創作をはじめ、生と死の主題を冷静な筆致で描いた『夏の流れ』(1966年)で芥川賞受賞。『正午なり』(1968年)、『朝日のあたる家』(1970年)などで帰郷と定着の問題を扱い、一層の社会性を加える。 国語教師の息子として長野県飯山市で生まれ、父の転勤に伴い各地を転々とし、大町市に育ち、長野市篠ノ井で中学校を卒業。1964年、国立仙台電波高等学校(現在の仙台高等専門学校広瀬キャンパス)を卒業後、1967年まで株式会社江商東京支社総務部通信課にテレックス・オペレーターとして勤務。
菅谷 昭(すげのや あきら、1943年(昭和18年)11月2… 菅谷 昭(すげのや あきら、1943年(昭和18年)11月22日 - )は、日本の医師・医学博士、元政治家(松本市長 4期)、松本大学学長なども務めた。 長野県更埴市(現:千曲市)生まれ。稲荷山町立稲荷山中学校(現:千曲市立更埴西中学校)長野県上田高等学校を経て、信州大学医学部卒業・医学博士取得。聖路加国際病院での研修を経て信州大学医学部第二外科学教室に入局。1976年トロント大学に留学して甲状腺疾患の基礎研究を学ぶ。1991年から松本市のNGOによるチェルノブイリ原子力発電所事故の医療支援活動に参加する。1993年信州大学医学部助教授に就任。その後教授選考から漏れたことをきっかけに退局。 鎌田實らの勧めにより、1996年からベラルーシ共和国の首都ミンスクの国立甲状腺がんセンターにて小児甲状腺癌の外科治療を中心に医療支援活動に従事した。
井出 亜夫(いで つぎお、1943年(昭和18年)11月20… 井出 亜夫(いで つぎお、1943年(昭和18年)11月20日 - )は、日本の通産官僚。経済企画庁国民生活局長、経済企画審議官などを歴任。長野県出身。
竹花 光範(たけはな みつのり、1943年10月4日 - 2… 竹花 光範(たけはな みつのり、1943年10月4日 - 2008年2月12日)は、日本の法学者。駒澤大学法学部教授。専門は憲法。長野県佐久市出身。 早稲田大学政治経済学部卒業後、同大学院政治学研究科修了。大西邦敏に師事する。 駒澤大学副学長を歴任(2002年4月-2006年3月)。第9代憲法学会理事長。 同僚の西修と並び、改憲派の急先鋒として知られた。 2月12日午前9時45分、急性呼吸不全のため東京都内の自宅で死去。64歳。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
塩沢由典(しおざわ よしのり、1943年10月1日 - )は… 塩沢由典(しおざわ よしのり、1943年10月1日 - )は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授、前中央大学商学部教授。長野県塩尻市生まれ。
大泉 光一(おおいずみ こういち、1943年9月2日 - )… 大泉 光一(おおいずみ こういち、1943年9月2日 - )は、日本の国際関係論学者、青森中央学院大学名誉教授。 長野県諏訪市生まれ。宮城県柴田郡大河原町で育つ。メキシコのインスティテュート・デ・エストゥディオス・ウニベルシタリオス経営大学院修了。1999年国際関係学博士(日本大学)。 危機管理、国際テロなどが専門だが、支倉常長について長く研究をしており、田中英道の『支倉常長』を捏造だと批判して、田中と論争になった。「支倉は徳川幕府打倒のために派遣された」という説を唱えているが、歴史学界では荒唐無稽の説と無視されている。[要出典]
五明 公男(ごみょう・きみお、1943年〈昭和18年〉8月2… 五明 公男(ごみょう・きみお、1943年〈昭和18年〉8月21日 - 2019年〈平成31年〉3月1日)は、日本の体育学者、アマチュア野球指導者。 1943年(昭和18年)に東京都で生まれるが、太平洋戦争激化の影響により一家で長野県更級郡篠ノ井町(現在の長野市篠ノ井地区)へ疎開し、幼年時代を過ごす。小学校入学の際に東京へ戻り、大田区立羽田小学校へ入学。小学校・中学校と野球に熱中する。 中学校3年時に進学先を決める際に、東京都と神奈川県の高等学校をリサーチし、「高校で野球をやるんなら甲子園へ行きたい」と思い、「法政二高の田丸仁監督は素晴らしい指導者であると言うので、ここへ行こう」と思い法政大学第二高等学校への進学を決めたという。
清水 透(しみず とおる、1943年7月30日 - )は、日… 清水 透(しみず とおる、1943年7月30日 - )は、日本の歴史学者。慶應義塾大学名誉教授。研究領域は、ラテンアメリカ社会史、オーラル・ヒストリーなど。 長野県松本市出身。1966年、東京外国語大学スペイン語学科卒。1968年、同学大学院ロマンス系言語専攻修士修了。1976年、メキシコ大学院大学のエル・コレヒオ・デ・メヒコ歴史学研究科博士課程修了。東京外国語大学スペイン語学科教授、獨協大学外国語学部教授、フェリス女学院大学国際交流学部教授をへて、慶應義塾大学経済学部教授。2009年定年退職。 1978年NHKラジオスペイン語講座応用編担当、1979年NHK教育テレビスペイン語講座を担当した。
井口 昭彦(いぐち あきひこ、1943年6月29日 - )は… 井口 昭彦(いぐち あきひこ、1943年6月29日 - )は日本のデザイナー、美術監督。特殊美術GAM主宰。かつて、本名の高橋昭彦名義で活動していた時期もあった。また亜㐂比古というサインも用いている。 長男は映画カメラマンの高橋創。長女はCGデザイナーの高橋玲香。 長野県松本市出身。長野県松本深志高等学校卒業後、武蔵野美術大学で美術を学ぶ。同時期の在校生には、のちに円谷プロ作品などで仕事を共にする池谷仙克がいた。舞台美術の世界を志していたが、大学在学中にTBSテレビの美術スタッフを経て、円谷プロで『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などの特撮美術スタッフに加わる。『マイティジャック』よりデザイナーを務める。
原輝史(はら てるし、1943年5月3日 - 2011年8月… 原輝史(はら てるし、1943年5月3日 - 2011年8月18日)は、日本の経済学者。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て早稲田大学商学部卒業、1975年同大学院商学研究科博士課程満期退学。フランス・ディジョン大学に学ぶ。1986年「フランス資本主義 成立と展開」で商学博士(早大)。早稲田大学商学部助教授、教授。
北澤 宏一(きたざわ こういち、1943年4月17日 - 2… 北澤 宏一(きたざわ こういち、1943年4月17日 - 2014年9月26日)は、日本の化学者。1986年末から1987年に起きた高温超伝導研究フィーバーの火付け役として知られる。東京大学名誉教授。元東京都市大学学長・独立行政法人科学技術振興機構顧問。第20期日本学術会議会員、朝日賞の選考委員も務めた。2002年 紫綬褒章、2014年従四位瑞宝中綬章。長野県飯山市出身。
鎌原 正直(かんばら まさなお、1943年3月26日 - )… 鎌原 正直(かんばら まさなお、1943年3月26日 - )は、日本の経営者。三菱レイヨン(現在の三菱ケミカル)社長を務めた。 長野県長野市出身。1965年に東京外国語大学を卒業し、同年に三菱レイヨンに入社。1997年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、2006年6月に社長に就任。2012年4月に取締役に就任し、2016年4月に相談役を退く。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田中 宏巳(たなか ひろみ、1943年(昭和18年)3月24… 田中 宏巳(たなか ひろみ、1943年(昭和18年)3月24日- )は、日本の日本近代史学者。専門は近代日本軍事史。防衛大学校名誉教授。 長野県松本市出身。1968年早稲田大学文学部史学科卒。1974年同大学院博士課程満期退学。 明治大学・東海大学講師を経て、1977年防衛大学校専任講師。1993年教授、2008年定年退職、2011年名誉教授。2012年帝京大学文学部教授。
北原 武(きたはら たけし、1943年3月 -)は日本の化学… 北原 武(きたはら たけし、1943年3月 -)は日本の化学者。専門は有機合成化学、天然物化学。東京大学名誉教授。帝京平成大学薬学部教授。 長野県駒ヶ根市出身。1965年東京大学農学部農芸化学科卒業。同大学院農学系研究科農芸化学専攻博士課程修了。農学博士。 理化学研究所研究員を経て、1974年に渡米しピッツバーグ大学化学科博士研究員(サミュエル・ダニシェフスキー研究室)となり、1979年東大農学部助教授、1994年同教授、2004年退官、帝京平成大学教授、北里大学客員教授。世界に先駆けて革新的な生物機能性物質創製に成功し、有機化学、生体分析化学、植物生理学等広汎な学際領域における顕著な成果を通じて生命科学の発展に貢献した。
茂原 信生(しげはら のぶお、1943年2月26日 - )は… 茂原 信生(しげはら のぶお、1943年2月26日 - )は、日本の自然人類学者。京都大学霊長類研究所教授を経て、京都大学名誉教授。 神奈川県で出生後、長野県に戦時疎開(プロフィール上、出身地を長野県とする)。1961年長野県長野高等学校卒、1966年京都大学理学部動物学科卒、同大学院理学研究科を修了。 1971年9月より12月にかけて、インド半島北部にあるシワリク丘陵のシワリク層およびカシミール地方のカレワ層、アフガニスタン・イラン・トルコの各地のシワリク層相当層において地質学的および古生物学的調査を行った。その後、1977年から1995年まで、南米のコロンビア、ボリビアで古い時代の霊長類の化石の発掘調査を行う。
加藤 昌男(かとう まさお、1943年2月25日 - )は、… 加藤 昌男(かとう まさお、1943年2月25日 - )は、元NHKアナウンサー。現在は日本語センター専属。 長野県出身。長野県長野高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業後、1966年入局。初任地は鳥取。FMリクエストアワーを担当。その後東京アナウンス室、札幌、福岡、名古屋などでニュース、報道番組、教育問題、ことば番組などを担当。1996年徳島放送局長、1998年アナウンス室エグゼクティブアナウンサー、1999年7月日本語センターエグゼクティブアナウンサー。2006年日本語センター専門委員。日本国語教育学会会員。
荒井 賢一(あらい けんいち、1943年2月23日 - )は… 荒井 賢一(あらい けんいち、1943年2月23日 - )は、日本の工学者・物理学者。専門は磁気工学。東北大学名誉教授。学位は工学博士。公益財団法人電磁材料研究所評議員。 長野県長野市出身。1971年東北大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士(学位論文「磁気共鳴法を用いたスピネル型強磁性単結晶の磁気弾性結合に関する研究」)。東北大学電気通信研究所助手、同助教授を経て、1986年に同所電気通信材料学研究部門の教授に就任。2004年東北大学評議員、2005年東北大学総長候補者選考管理委員会委員長を務めた。 2005年、(独)情報通信研究機構の連携研究部門内に仙台リサーチセンターを立ち上げ、プロジェクトリーダーに就任。
松本 礼児(まつもと れいじ、1943年2月17日 - 20… 松本 礼児(まつもと れいじ、1943年2月17日 - 2011年12月19日)は、日本の作詞家。本名:今福正。 長野県松本市出身。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て上智大学卒業後、日本航空に入社。 国際線のチーフパーサーとして勤務していたが、30代前半の頃、たまたま機内でレコード会社キャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)の社長と知り合い、引き抜かれる形で1976年に入社。以後、制作部の責任者として森昌子、前川清、夏川りみなどを手掛けた異色の経歴を持つ。 在職中の1979年に石野真子の「ジュリーがライバル」で作詞家デビュー。1988年には大月みやこの「乱れ花」で第21回日本作詩大賞の優秀作品賞、第9回古賀政男記念音楽大賞を受賞した。
母袋 夏生(もたい なつう、1943年 - )は、日本のヘブ… 母袋 夏生(もたい なつう、1943年 - )は、日本のヘブライ語イスラエル文学の翻訳家。 長野県生まれ。長野県上田高等学校、東京学芸大学卒業。小学校教員時代にキブツに関心を持ち、イスラエル政府招聘留学生として、1974年ヘブライ大学大学院修士課程実用言語コースを修了。 初の翻訳作品は1989年に雑誌『暮しの手帖』に2回に渡って掲載された「一夜の宿を」(マーニャ・ハレーヴィ作)というホロコーストの短編。1996年、ウーリー・オルレブの作品を多く翻訳している(Uri Orlev)。『壁のむこうから来た男』の翻訳で産経児童出版文化賞。1998年、ヘブライ文学翻訳奨励賞受賞。
桐山 昇(きりやま のぼる、1943年 - )は、日本の経済… 桐山 昇(きりやま のぼる、1943年 - )は、日本の経済史学者。専門は、国際関係論・東南アジア経済史。 東京都出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京教育大学(現・筑波大学)卒業。法政大学大学院修了。中央大学商学部教授。定年退官後、同大学名誉教授。
白川 浩司(しらかわ ひろし、1943年 -2024年 )は… 白川 浩司(しらかわ ひろし、1943年 -2024年 )は、日本の編集者。 長野県出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1965年東京大学文学部卒業(指導教授は林健太郎)、文藝春秋新社(現・文藝春秋)入社。『週刊文春』、『月刊 文藝春秋』編集部、出版部等を経て、1988年から91年まで『諸君!』編集長。1991年から94年まで『文藝春秋』編集長。1998年出版企画局長として「文春新書」の創刊に携わる。1999年同社取締役。2003年常務取締役。2006年常任監査役を経て、2007年に退社。
浦野 東洋一(うらの とよかず、1943年 - )は、日本の… 浦野 東洋一(うらの とよかず、1943年 - )は、日本の教育学者。元帝京大学教育学部長、東京大学名誉教授。専門分野は、教育行政学・教育法制論・学校経営論。 長野県上伊那郡箕輪町出身。1961年に長野県伊那北高等学校、1965年に東京大学教育学部教育行政学科を卒業し、1970年に東京大学大学院教育学研究科博士課程を単位取得退学して、北海道教育大学の助手となった。1977年に助教授に昇任した後、1981年に東京大学教育学部へ移った。2003年に東京大学を退職して帝京大学文学部教授に転じ、東京大学から名誉教授の称号を贈られ、また、日本教育行政学会から功労賞を贈られた。帝京大学では教育学部創設に尽力し、同学部長に就任した。
石田 瑞穂(いしだ みずほ、1943年 - )は、日本の地球… 石田 瑞穂(いしだ みずほ、1943年 - )は、日本の地球科学者。専門は地震学。元日本地震学会会長。 長野県飯田市出身。長野県飯田高等学校を経て、1966年(昭和41年)お茶の水女子大学理学部物理学科流体力学専攻卒業。1974年(昭和49年)東京大学大学院理学系研究科博士課程修了、理学博士(東京大学)。同年科学技術庁国立防災科学技術センターに入所、1988年(昭和63年)地震活動研究室長、1996年(平成8年)地圏地球科学技術研究部長、2001年(平成13年)防災科学技術研究所研究主監を経て、海洋研究開発機構特任上席研究員、産業技術総合研究所客員研究員などを歴任した。 またカリフォルニア工科大学、カーネギー研究所の研究員も務めた。
稲川 照芳(いながわ てるよし、1943年‐)は、日本の外交… 稲川 照芳(いながわ てるよし、1943年‐)は、日本の外交官 。 駐ウルグアイ、駐ハンガリー特命全権大使を歴任した。 1943年 岐阜県生まれ。中津川市の親元を離れ、長野県の松本深志高等学校(第14回卒業生)に松本市の下宿から通学。高校2年時よりドイツ語学習を始め、大学入試もドイツ語で受験、東京大学在学中に民間の複数の会社が立ち上げたスカラーシップで当時の西ドイツのフライブルク大学に1年間留学。
木内 義勝(きうち よしかつ、1943年(昭和18年) - … 木内 義勝(きうち よしかつ、1943年(昭和18年) - )は、日本の情報社会学研究者、松本短期大学学長。 長野県松本深志高等学校を経て京都大学を卒業。 1970年(昭和45年)に榊田喜四夫、加藤秀俊、川添登らにより設立された株式会社CDI(コミュニケーションデザイン研究所)で、初期の研究員のひとりとなる。 その後、1976年(昭和51年)から、ハワイのイースト・ウエスト・センターに学んだ。 松本市を拠点とする情報関連企業であった株式会社エム・ケー・シー (MKC) (後のソラン株式会社の前身のひとつ)で役員を務めた後、2001年(平成13年)に当時の松商学園短期大学教授となり、翌2002年(平成14年)の松本大学の開学にともない松本大学松商短期大学部教授となり、後には学部長も務めた。
清澤 研道(きよさわ けんどう、1943年 - )は日本の医… 清澤 研道(きよさわ けんどう、1943年 - )は日本の医学者。専門は内科学、肝臓病学。医学博士(信州大学)。元信州大学医学部附属病院院長。現在は相澤病院名誉センター長、長野赤十字病院名誉院長、信州大学名誉教授。長野県出身。 C型肝炎研究で、肝がんとの因果関係を世界で初めて明らかにした。
丸山 忠璋(まるやま ただあき、1943年(昭和18年) -… 丸山 忠璋(まるやま ただあき、1943年(昭和18年) - )は、日本の音楽教育学者、武蔵野音楽大学教授。 長野県松本市生まれ。1969年東京藝術大学音楽学部声楽科卒、1970年新潟大学教育専攻科音楽教育専攻修了、長野県高等学校教諭、1973年東京都高等学校教諭、1984年東京都教育委員会指導主事、1989 - 96年文部省初等中等教育局教科書調査官、1996年横浜国立大学教育学部助教授、教育人間科学部助教授、99年教授、2005年定年退官、武蔵野音楽大学教授。日本音楽療法学会常任理事、NPO音楽療法かながわ理事長、日本音楽教育学会常任理事、全日本音楽教育研究会大学部会理事。
永山 勝利(ながやま かつとし、1943年 - )は、日本の… 永山 勝利(ながやま かつとし、1943年 - )は、日本の実業家。ホテルルートイングループ創業者・会長、ルートインジャパン代表取締役会長。 長野県上田市出身。家業の青果店をスーパーマーケットにし、1977年永山興産(現・ルートインジャパン)設立。1985年に上田ロイヤルホテルを1号店として開業。以降、利益率を重視した施設整備を進め、業容を拡大させた。長野県庁への寄付で基金が作られ、2015年度に児童養護施設出身者を対象にした「長野県飛び立て若者!奨学金」が創設された。後任のルートインジャパン代表取締役社長を務める永山泰樹は息子。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
竹内 大三(たけうち だいぞう、1943年 - )は、日本の… 竹内 大三(たけうち だいぞう、1943年 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、演出家。長野県塩尻町(現・塩尻市)出身。 テレビ番組『笑点』のオープニング・アニメーションやイラストを手掛けていることで知られる。 小学生の頃より、通信教育で大人向け漫画を学び描いていた。その一方で、落語にも傾倒していたという。 長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。卒業と同時に上京し絵本出版社に就職したのち、美術大学の通信学生にもなる。 1963年、20歳の時に東映動画へ入社。同期には宮崎駿がいる。 東映動画退社後は放送動画制作を経て、フリーで活動。アニメのほか、絵本や漫画、似顔絵など様々な仕事をこなす。
中野 幹隆(なかの みきたか、1943年 - 2007年1月… 中野 幹隆(なかの みきたか、1943年 - 2007年1月14日)は、日本の書籍・雑誌の編集者である。1970年代に『現代思想』、『エピステーメー』両誌の創刊編集長を歴任、1980年代に「週刊本」を手がけた。哲学書房、セーマ出版創立者・社主。 1943年(昭和18年)、長野県東筑摩郡宗賀村(現塩尻市)に生まれる。 1967年(昭和43年)、日本出版協会に入社、20代半ばで『日本読書新聞』編集長を務め、1970年(昭和45年)前後に竹内書店に移籍、季刊誌『パイデイア』の編集を手がける。1972年(昭和47年)に同社を退社し、青土社に移籍、三浦雅士らとともに1973年(昭和48年)、『現代思想』を創刊、編集長に就任する。
百瀬 二三男(ももせ ふみお、1942年〈昭和17年〉12月… 百瀬 二三男(ももせ ふみお、1942年〈昭和17年〉12月23日 - )は、日本の実業家。長野県塩尻市出身。
岩崎 忠夫(いわさき ただお、1942年12月8日 - )は… 岩崎 忠夫(いわさき ただお、1942年12月8日 - )は、日本の政治家、弁護士(司法修習未修了ながら司法試験合格者として国会議員在職5年以上で100時間の研修経て弁護士資格取得[要出典])。衆議院議員(2期)を務めた。長野県佐久市出身[要出典]。 長野県佐久市に生まれ。岩村田小学校、岩村田中学校、上田高等学校を経る[要出典]。 2003年の衆議院選挙において、運動員が選挙運動に絡んで現金を渡して票の取りまとめを依頼したとして、公職選挙法違反の疑いで岩崎後援会丸子支部会長および運動員ら6人が逮捕された。
有賀 豊文(あるが とよふみ、1942年11月16日 - )… 有賀 豊文(あるが とよふみ、1942年11月16日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県佐久市出身。 立教大学在学時の1964年インスブルックオリンピックに出場、1500m41位、5000m24位、10000m22位だった。 財団法人日本スケート連盟理事。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
加藤 久雄(かとう ひさお、1942年(昭和17年)11月8… 加藤 久雄(かとう ひさお、1942年(昭和17年)11月8日 - )は、日本の政治家、実業家。元長野県長野市長(2期)。現在は日本会議NAGANO会長を務める。 長野県長野市出身。1961年、長野県長野高等学校卒業。1965年、早稲田大学第一政治経済学部卒業。内田産業株式会社を経て、1967年に株式会社本久入社。1985年に同社社長、2009年に本久ホールディングス社長に就任。インフラ整備、外食事業、ホテル国際21等のレジャー事業を手掛ける。 2007年から長野商工会議所会頭・長野県商工会議所連合会会長を務め、2009年には、しなの鉄道取締役会長にも就任した。 2013年10月27日に行われた長野市長選挙に立候補。
藤井 彰(ふじい あきら、1942年10月 - )は、日本の… 藤井 彰(ふじい あきら、1942年10月 - )は、日本の歯学者、薬理学者。日本大学松戸歯学部薬理学講座(口腔分子薬理学講座)教授、総合科学研究所教授、日本大学松戸歯学部臨床薬理学講座(寄付講座)教授を経て、現在、日本大学名誉教授。 長野県小県郡中塩田村(現上田市)で生まれる。中塩田小学校、中塩田中学校(現上田市立塩田中学校)、上田高等学校を経て、1965年信州大学工学部卒業、1970年 St. Thomas Institute大学院理学系研究科修了し、St. Thomas Institute博士研究員、助教授、准教授、日本大学松戸歯学部専任講師、助教授、教授、日本大学総合科学研究所教授、日本大学松戸歯学部寄附講座臨床薬理学講座教授を経て日本大学名誉教授。
高橋 カネ子(たかはし かねこ、1942年9月26日 - … 高橋 カネ子(たかはし かねこ、1942年9月26日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県軽井沢町出身。長野県軽井沢高等学校-三協精機 1964年インスブルックオリンピックに出場、500m14位、1000m18位、1500m18位、3000m16位だった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
小泉 恒美(こいずみ つねみ、1942年7月5日 - 199… 小泉 恒美(こいずみ つねみ、1942年7月5日 - 1990年6月2日)は、長野県出身のプロ野球選手。ポジションは本来は一塁手だが、外野手もこなした。 長野県岡谷工業高等学校3年時の1960年に春季北信越大会で準決勝に進出。この試合ではリリーフとして登板したが、金沢市立工業高等学校の前に敗れた。夏の甲子園県予選でも敗退したため、甲子園とは縁がなかった。 卒業後の1961年に南海ホークスへ入団。王貞治に似た一本足打法が持ち味で、入団5年目の1965年には、一塁手や右翼手として69試合に出場した。10月13日の対東京オリオンズ戦(東京スタジアム)では、野村克也に代わる4番打者として先圧起用され、4打数1安打1打点という成績を残した。
清水 学(しみず まなぶ、1942年6月22日 - )は、日… 清水 学(しみず まなぶ、1942年6月22日 - )は、日本の経済学者。専門は中東・南アジア・中央アジアの地域研究、途上国経済発展論、比較経済体制論など。有限会社ユーラシア・コンサルタント代表取締役。アジア経済研究所総合研究部長、一橋大学大学院経済学研究科教授等を歴任。発展途上国研究奨励賞受賞。長野県阿智村生まれ。 長野県下伊那郡会地村(現阿智村)生まれ。1966年東京大学教養学部教養学科国際関係論分科卒業。1969年同大学社会学系大学院国際関係論修士課程修了、国際学修士。 ※はいずれも清水学編、アジア経済研究所刊
佐藤 勝久(さとう かつひさ、1942年 (昭和17年) 5… 佐藤 勝久(さとう かつひさ、1942年 (昭和17年) 5月8日 - )は、日本のタウンプロデューサー。株式会社佐藤勝久事務所代表。 長野県諏訪市に生まれ、高校卒業まで過ごす。長野県諏訪清陵高等学校を経て、青山学院大学経済学部を卒業した。[要出典]1965年に森ビルに入社する。 1977年、森ビル観光株式会社(現・森トラスト・ホテルズ&リゾーツ)で、森章が事業化したラフォーレ修善寺の常務取締役兼総支配人に就任して、事業再建に従事した[要出典]。 1979年、ラフォーレ原宿館長に就任する。前年にオープンしたラフォーレ原宿は、佐藤の館長就任後に周辺のマンションの部屋で服を制作していた「マンションメーカー」と呼ばれる独立系ブランドを導入して地域のアパレル業界に「大きな変化」をもたらしたとされる。
中村 僖良(なかむら きよし、1942年4月22日 - ) … 中村 僖良(なかむら きよし、1942年4月22日 - ) は、日本の電子工学者。東北大学名誉教授。元電子情報通信学会基礎・境界ソサイエティ会長。 長野県生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、1966年東北大学工学部通信工学科卒業。1968年東北大学大学院工学研究科電気及通信工学専攻修士課程修了、東北大学助手。清水洋の下で、圧電振動子関連の研究を始める。1975年工学博士。1976年東北大学工学部助教授。1988年東北大学工学部教授。1996年電子情報通信学会超音波研究専門委員会顧問。2000年電子情報通信学会基礎・境界ソサイエティ会長。電気通信工学振興会理事長、半導体研究振興会理事、日本学術振興会弾性波素子技術第150委員会副委員長なども歴任した。
井口 武雄(いのくち たけお、1942年4月9日 - )は、… 井口 武雄(いのくち たけお、1942年4月9日 - )は、日本の経営者。三井海上火災保険社長を務めた。 長野県上伊那郡南箕輪村出身。1965年に東京教育大学法律政治学科を卒業し、同年に大正海上火災保険に入社した。1993年6月に取締役に就任し、1994年6月に常務を経て、1996年4月には社長に就任した。2000年6月に最高執行責任者を経て、2001年10月から2006年6月までに三井住友海上火災保険会長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
那須 弘平(なす こうへい、1942年2月11日 - )は、… 那須 弘平(なす こうへい、1942年2月11日 - )は、日本の弁護士、元最高裁判所判事(2006年5月25日 - 2012年2月10日)。あさひ法律事務所顧問。 また、伊那市ふるさと大使も務める。
堀込 征雄(ほりごめ いくお、1942年〈昭和17年〉2月5… 堀込 征雄(ほりごめ いくお、1942年〈昭和17年〉2月5日 ‐ 2025年〈令和7年〉3月6日)は、日本の政治家。位階は従四位。元衆議院議員(5期)。 長野県上田高等学校及び中央大学法学部卒業。1990年(平成2年)2月の第39回衆議院議員総選挙で旧長野2区から社会党公認で初当選。社会党時代は右派に属し、政治改革に取り組んだ。 政治改革関連法が成立し小選挙区が導入され元首相の羽田孜と同じ選挙区となったことや、1994年(平成6年)6月29日首班指名選挙で党議に反し党中央執行委員長村山富市ではなく旧連立与党側の海部俊樹に投票するなど自社さ連立に否定的だったため、日本社会党を離党しようとして逆に除名。
倉本 實(くらもと みのる、1942年1月30日 - )は、… 倉本 實(くらもと みのる、1942年1月30日 - )は、日本の実業家。NTT移動通信網(現・NTTドコモ)常務取締役、パナソニック モバイルコミュニケーションズ(現・パナソニック コネクト)取締役副社長を務めた。 長野県諏訪郡富士見町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、山梨大学工学部卒業。1964年日本電信電話公社(現・日本電信電話)入社。1983年日本電信電話横須賀電気通信研究所(現・NTT横須賀研究開発センタ)移動通信方式研究室長。1987年同社移動体通信事業部システム開発部長。1992年NTT移動通信網(現・NTTドコモ)取締役研究開発部長。1996年同社常務取締役研究開発部長。1998年松下通信工業(のちのパナソニック モバイルコミュニケーションズ)理事移動体通信開発担当。
宮原 安春(みやばら やすはる、1942年1月2日 -201… 宮原 安春(みやばら やすはる、1942年1月2日 -2017年1月20日)は、日本の元政治運動家、ノンフィクション作家。 長野県埴科郡戸倉町(現千曲市)出身。長野県上田高等学校卒業、早稲田大学第二文学部露文科中退。 平岡正明らと政治結社『犯罪者同盟』を結成。1962年に、松田政男、山口健二、川仁宏らが企画した自立学校に、学生として参加し、事務局だった平岡正明と知り合う。平岡ともに、自立学校の講師だった森秀人に師事。 1963年、犯罪者同盟の機関誌の単行本『赤い風船あるいは牝狼の夜』を刊行したところ、猥褻図画頒布の容疑で警視庁から捜査を受ける。なお、この捜査の際、安原の自宅に赤瀬川原平(赤瀬川も自立学校の学生であった)の芸術作品「印刷千円札」があったことから、「千円札裁判」が起きるきっかけになった。
内田 良子(うちだ りょうこ、1942年 - )は、日本の心… 内田 良子(うちだ りょうこ、1942年 - )は、日本の心理カウンセラー。立教大学非常勤講師。主に児童・生徒の不登校問題を対象とする。 1942年、朝鮮慶尚南道生まれ。長野県諏訪郡富士見町育ち。長野県諏訪清陵高等学校を経て東京女子大学を卒業後、1973年より、東京都内の複数の保健所、及び佼成病院小児科で心理相談員を務める。NHKラジオ第1放送電話相談「子どもの心相談」を長年担当。1998年、子ども相談室「モモの部屋」を設立。