AshuPine(アシュパイン、 1994年〈平成6年〉- … AshuPine(アシュパイン、 1994年〈平成6年〉- )は、日本のアーティスト、デザイナー、モデル、経営者。長野県長野市出身。アシュパイン株式会社代表取締役。 2013年にWeb デザイン会社を起業。2018年頃から展示やコンペティションへの参加を開始し、2019年にアーティスト活動を本格化し、社名をアシュパイン株式会社と改める。
長野県:28人
AshuPine(アシュパイン、 1994年〈平成6年〉- … AshuPine(アシュパイン、 1994年〈平成6年〉- )は、日本のアーティスト、デザイナー、モデル、経営者。長野県長野市出身。アシュパイン株式会社代表取締役。 2013年にWeb デザイン会社を起業。2018年頃から展示やコンペティションへの参加を開始し、2019年にアーティスト活動を本格化し、社名をアシュパイン株式会社と改める。
清水 貴栄(しみず たかはる、1987年 - )は、日本のデ… 清水 貴栄(しみず たかはる、1987年 - )は、日本のデザイナー、アートディレクター、コラージュ作家、映像作家。 長野県松本市出身。2005年に長野県松本蟻ヶ崎高等学校を、2009年に武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科を卒業後、Drawing and Manualを経て、Let's go 株式会社を設立。現在はCEKAIに所属。。
黒河内 真衣子(くろごうち まいこ、1985年 - )は、日… 黒河内 真衣子(くろごうち まいこ、1985年 - )は、日本のファッションデザイナー。 長野県生まれ。文化服装学院卒業後、三宅一生が設立した三宅デザイン事務所入社。 2010年 黒河内デザイン事務所設立、自身のブランド「mame(マメ)」を立ち上げる。 2017年 自身のブランドであるmameが2018-19年秋冬、パリ・ファッション・ウィークにおいてパリ・コレクション初参加。
江草 天仁(えくさ たかひと、1978年11月26日 – )… 江草 天仁(えくさ たかひと、1978年11月26日 – )は、日本のキャラクターデザイナー、漫画家、同人作家。長野県中野市出身。男性。 電気通信大学在学時代に美術部に所属して、その時は写実的な絵を描いていたが、SF研究会の先輩から依頼を受け挿絵を描いたことをきっかけに世界が広がり、同人作家としてコミックマーケットにも参加するようになる。そして同人サークルに参加していたところをコンピュータゲーム会社のアルケミストからスカウトされアルバイトとして働くようになり、後に腕を買われ同社に入社。 代表作であるびんちょうタンは和歌山県日高郡みなべ町のみなべ川森林組合のマスコットとして起用されているほか、美少女イラストで町おこしを行っている秋田県雄勝郡羽後町では重要文化財鈴木家住宅のイラストを描いたことをきっかけに、数多くのイラストを手掛けている。
北沢 直樹(きたざわ なおき、1978年7月1日 - )は、… 北沢 直樹(きたざわ なおき、1978年7月1日 - )は、日本のキャラクターデザイナー、イラストレーター、アートディレクター。 長野県上田市出身。2000年デジタルハリウッド大阪校卒業、ポリゴン・ピクチュアズを経て独立。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
ハラヒロシ(本名:原 弘始、1975年8月26日-)は、日本… ハラヒロシ(本名:原 弘始、1975年8月26日-)は、日本のウェブディレクター・ウェブデザイナー。長野県須坂市出身、現在同県長野市在住。
寄藤 文平(よりふじ ぶんぺい、1973年7月21日 - )… 寄藤 文平(よりふじ ぶんぺい、1973年7月21日 - )は日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー、イラストレーター。 長野県箕輪町生まれ。子供の頃はどちらかというと引いた子供だった。 中学までは教師や新聞記者に憧れていて、絵の道は考えていなかったが図工には自信があった。父の知り合いで早稲田大学出身の報知新聞の記者がいたことから自分も同じ道を進もうとするも勉強ができず、高校では勉学より水彩画にのめり込み、2年生の夏休みに父の勧めで美術大学を目指すために予備校に通った。 長野県伊那北高等学校卒業後、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科へ進学。絵のジャンルは何でもよかったが、教わった先生がグラフィックデザイナーだったためデザイン学科を選び、その頃からグラフィックデザイナーを目指すようになる。
轟 貴弘(とどろき たかひろ、1971年 - )は、日本の空… 轟 貴弘(とどろき たかひろ、1971年 - )は、日本の空間デザイナー、実業家である。 1971年、長野県生まれ。中央大学法学部法律学科を卒業。在学中は音楽活動に関心を持ち、休学して北米へ渡航した。カナダ、アメリカ、メキシコなどを巡り、シカゴやニューオーリンズを拠点に路上演奏を行いながら生活していた。 滞在中、テキサス州の国立公園でレンジャーのアルバイトに従事した際、同僚と訪れたアリゾナ州の砂漠地帯にある洞窟を利用したバーの空間をきっかけに、空間デザインの分野へ進むことを志すようになったとされる。 帰国後はインテリアデザイン会社に勤務し、その後独立。2000年にE/g SPACE LABOを設立し、2004年に株式会社engineを設立した。
神谷 英樹(かみや ひでき、1970年12月19日 - )は… 神谷 英樹(かみや ひでき、1970年12月19日 - )は、日本のゲームデザイナー。代表作は『バイオハザード2』、『デビルメイクライ』、『ビューティフル ジョー』、『大神』、『ベヨネッタ』シリーズ。 長野県松本市出身。1994年、杏林大学外国語学部英米語学科を卒業後、株式会社カプコンに入社。『アーサーとアスタロトの謎魔界村』の開発を手伝った後、『バイオハザード』の開発に企画として参加する。 1998年、初めてディレクターを務めた『バイオハザード2』は、496万本(国内200万本)の大ヒットとなる。その後、『デビルメイクライ』、『ビューティフルジョー』などのアクションゲームも開発している。 2004年、カプコン子会社(当時)クローバースタジオ株式会社に移籍。
倉島 一幸(くらしま かずゆき、1970年10月21日 - … 倉島 一幸(くらしま かずゆき、1970年10月21日 - )は、ゲームグラフィックデザイナー、アニメーター。長野県松本市出身。御茶の水美術専門学校卒業。 株式会社スクウェア、ラブデリック、有限会社バンプールに在籍した後、現在は株式会社Onion Games所属アートディレクター。 妻は同じくフリーのイラストレーター・アニメーターのhikarin(ヒカリン)。2010年9月には長女をもうけている。妻と2人で組んだユニット「Kurarindo」(クラリンドー)という活動も行っている(ユニット名の由来は「倉島」(kurashima)+「hikarin」+ロゴのモデルとなった「任天堂(Nintendo)」)。
須田 剛一(すだ ごういち、1968年1月2日 - )は、ゲ… 須田 剛一(すだ ごういち、1968年1月2日 - )は、ゲームデザイナー、ゲームディレクター、シナリオライター。株式会社グラスホッパー・マニファクチュアCEO。SUDA51という名前もたびたび使う。 難解で陰鬱なストーリー、残虐表現などのショッキングな描写、その一方で人を食った荒唐無稽なギャグ、様々なサブカルチャーのパロディ、ユニークな表現方法などが盛り込む尖った作風を特徴とする。作品は「須田ゲー」とも称される。既存の概念を覆すという意味を込めた「パンク」なゲーム作りを標榜し、ルールやリミッターを設けず、それでいて表現規制の中で実現できる表現を研究し、よりよい演出の手法や難易度を探っていく事を旨としている。
宮坂 淳(みやさか あつし、1968年 - )は、日本のクリ… 宮坂 淳(みやさか あつし、1968年 - )は、日本のクリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナー。 長野県諏訪市出身。武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業後、株式会社博報堂入社。 博報堂在籍中はグラフィック媒体のデザイン以外に、CMの企画・演出やwebサイトのクリエイティブディレクションも行い、印刷物、映像、オンラインメディア等のデザインワークを担当。 デザインスタジオsnowfall代表。
滝沢 伸介(たきざわ しんすけ、1967年2月1日 - )は… 滝沢 伸介(たきざわ しんすけ、1967年2月1日 - )は、日本のファッションデザイナー。 長野県千曲市出身。実家は蕎麦屋の「一松亭」。上京後、DJやスタイリストなどをしながらぶらぶらしていたが、1988年、日本初のクラブ・ミュージック・レーベル、メジャーフォースの立ち上げに際してスタッフを探していた高木完、藤原ヒロシから森俊二を通して声をかけられ、森と共にファイルレコードへ入社。メジャーフォースの担当となる。 レコード会社時代は一人しかいない部署のため、部長の役職を得る。そのため古い友人達からは社長になった今でも部長のあだ名で呼ばれている。 退社後の1994年、自身のブランドNEIGHBORHOODをスタート。
竹内 良幸(たけうち よしゆき、1961年 - )は、長野県… 竹内 良幸(たけうち よしゆき、1961年 - )は、長野県安曇野市(旧穂高町)出身のデザイナー、ブランドプロデューサー、空間デザイナーである。 長野県松本深志高等学校、多摩美術大学美術学部卒業。在学時からデザイナーとしての仕事を開始する。造形のミニマリズムがあらゆる事象の回答を持つと考え、簡明なデザインを実践している。 大和朝廷初期、景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5代の天皇に棟梁之臣・大臣として仕え、国政を補佐したとされる伝説的人物、高良玉垂命=武内宿禰(たけうちのすくね)を始祖とする武内家(建内、竹内とも)から分かれ、筑紫洲(つくしのしま=九州)、越(こし=北陸)を経由して安曇野に定住したとされる。
柘植 伊佐夫(つげ いさお、1960年1月27日 - )は、… 柘植 伊佐夫(つげ いさお、1960年1月27日 - )は、日本のビューティーディレクターおよび人物デザイナー。長野県伊那市出身。 1979年より美容界へ入りヴィダルサスーンの技術を習得する。1982年にモッズヘアへ入社。ヘアメイクアーティストとして活動する。 1990年、「第一回日本ヘアデザイナー大賞」(Japan Hairdressing Award) を受賞、1991年同アワードで「セッションスタイリスト優秀賞」を受賞。1999年、手塚眞監督『白痴』で映画全体のヘアメイク監督を担当する。 2003年、庵野秀明監督『キューティーハニー』の担当よりヘアメイク監督から「ビューティーディレクター」へ改称する。
清水 正己(しみず まさみ、1953年1月17日 - )は日… 清水 正己(しみず まさみ、1953年1月17日 - )は日本のクリエイティブディレクター・アートディレクター・グラフィックデザイナー。長野県佐久市出身。広告・雑誌・書籍・ロゴ制作などの第一人者。清水正己デザイン事務所代表。 1975年、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン科卒業。 1979年、流行通信社に入社し、デザインチームを率いる。 1985年に『STUDIO VOICE(スタジオ・ボイス)』でエディトリアルデザインADC賞を受賞。 1986年に独立し清水正己デザイン事務所を設立。広告・エディトリアルデザイン・ポスター・ロゴ制作などで数々の賞を受賞。その後もクリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナーとして、数多くの作品を生み出す。
太田 和彦(おおた かずひこ、1946年3月3日 - )は、… 太田 和彦(おおた かずひこ、1946年3月3日 - )は、日本のグラフィックデザイナー。居酒屋探訪家の活動で知られる。日本グラフィックデザイナー協会、東京アートディレクターズクラブ所属。 1946年に終戦直後の中華民国北平市で出生し、すぐに佐世保へ引き揚げた。教職の親は転勤が多く、長野県の木曽郡や松本市で育つ。中学と高校時代に美術に関心を深め、長野県松本深志高等学校を経て東京教育大学教育学部芸術学科構成専攻でグラフィックデザインを学ぶ。 1968年に大学を卒業してデザイナーとして資生堂へ入社する。宣伝制作室のアートディレクターとして写真家の十文字美信と組んで製作した「シフォネット」シリーズなど前衛的広告が社内で賛否となる。
山口 修(やまぐち しゅう、1946年 - )は日本の映画美… 山口 修(やまぐち しゅう、1946年 - )は日本の映画美術監督、デザイナー。
井口 昭彦(いぐち あきひこ、1943年6月29日 - )は… 井口 昭彦(いぐち あきひこ、1943年6月29日 - )は日本のデザイナー、美術監督。特殊美術GAM主宰。かつて、本名の高橋昭彦名義で活動していた時期もあった。また亜㐂比古というサインも用いている。 長男は映画カメラマンの高橋創。長女はCGデザイナーの高橋玲香。 長野県松本市出身。長野県松本深志高等学校卒業後、武蔵野美術大学で美術を学ぶ。同時期の在校生には、のちに円谷プロ作品などで仕事を共にする池谷仙克がいた。舞台美術の世界を志していたが、大学在学中にTBSテレビの美術スタッフを経て、円谷プロで『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などの特撮美術スタッフに加わる。『マイティジャック』よりデザイナーを務める。
竹内 大三(たけうち だいぞう、1943年 - )は、日本の… 竹内 大三(たけうち だいぞう、1943年 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、演出家。長野県塩尻町(現・塩尻市)出身。 テレビ番組『笑点』のオープニング・アニメーションやイラストを手掛けていることで知られる。 小学生の頃より、通信教育で大人向け漫画を学び描いていた。その一方で、落語にも傾倒していたという。 長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。卒業と同時に上京し絵本出版社に就職したのち、美術大学の通信学生にもなる。 1963年、20歳の時に東映動画へ入社。同期には宮崎駿がいる。 東映動画退社後は放送動画制作を経て、フリーで活動。アニメのほか、絵本や漫画、似顔絵など様々な仕事をこなす。
原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長… 原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長野県諏訪市出身の画家・グラフィックデザイナー。シンガーソングライターのさだまさしと親交が深く、原田の絵を題材にしたさだの楽曲もある。
小松 敏明(こまつ としあき、1934年 - 2021年3月… 小松 敏明(こまつ としあき、1934年 - 2021年3月29日)は、日本のデザイナー。東京芸術大学名誉教授。長野県出身。 1953年(昭和28年)、長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1959年(昭和34年)、東京芸術大学美術学部デザイン科、同大学院修了。 東京芸術大学美術学部助教授、教授を務めた後、2002年(平成14年)定年退官。東京芸術大学名誉教授。 小松のデザインは、通信機器や登山・スキー用具などのデザインにはじまり、 教育・研究の場においては、"はたらきと美の統合"をテーマとして、工業デザインを軸に幅広いフィールドで展開されてきた。 東京芸術大学大学美術館で開催された退官記念展では、1980年代以降のデザインに関わった製品及び試作的作品を中心に、 その一端を"生活のどうぐ"、"生産のどうぐ"に大別し、「どうぐデザイン展」と題して展示紹介された。
宮坂 博文(みやさか ひろふみ、1925年 - 2013年)… 宮坂 博文(みやさか ひろふみ、1925年 - 2013年)は、日本のテキスタイルデザイナー。 1981年 信州紬伝統工芸士認定。 ふるさと産業だより『岡谷絹工房-専門家育成と岡谷の織を再発見-』 講演会記録"信州の紬作家展"1999.10.23『紬の魅力と岡谷の絹織物の歴史』講師:宮坂博文氏 『絁に夢を託して-ふるさと岡谷に絹の痕跡を残す-』 『染め織り人の視点19 紬織博士 宮坂博文さんの直言』著:富山弘基
望月 桂(もちづき かつら、1887年(明治20)1月11日… 望月 桂(もちづき かつら、1887年(明治20)1月11日 - 1975年(昭和50)12月13日)は、アナキストの画家、デザイナー、漫画家である。漫画家としては筆名を犀川 凡太郎(さいかわ ぼんたろう)とする。
島 欽一(しま きんいち、1877年(明治10年)10月28… 島 欽一(しま きんいち、1877年(明治10年)10月28日 - 1941年(昭和16年)10月28日)は、日本の実業家、グラフィックデザイナー。日本初の図案社とされる島丹誠堂図案社の創業者。 三代続く画人の家系に生まれたが、本格的な美術を捨て広告図案という商業美術の分野に専念し、当時珍しかった「石埭流」の文字を扱い、戦前における多くの新聞広告や図案を考案した。 石埭流は書家・永坂石埭(1845年 - 1924年)の書体だが、欽一が使用した書体はそれに創意工夫を加えたものだった。 欽一は、1934年にいすゞ自動車の初代社章(通称、さざなみマーク)を考案したことでも知られる。社章を考案した当初は自動車工業(いすゞ自動車の前身)の車の商標を制作したに過ぎなかったが、1949年にいすゞ自動車が設立された際に初代社章として採用された。
神田 正宏(かんだ まさひろ)は日本の漫画家、キャラクターデ… 神田 正宏(かんだ まさひろ)は日本の漫画家、キャラクターデザイナー。男性。長野県松本市出身。日本大学文理学部物理学科卒業。
宮尾 佳和(みやお よしかず、生年不詳)は、日本の男性メカニ… 宮尾 佳和(みやお よしかず、生年不詳)は、日本の男性メカニックデザイナー、アニメーション演出家、アニメーション監督。長野県長野市出身。長野県長野南高等学校、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。NHKアートデザイン部、テレビグラフィックデザイナー、アニメスタジオを経てフリー。
小平 陽子(こだいら ようこ)は、日本のグラフィックデザイナ… 小平 陽子(こだいら ようこ)は、日本のグラフィックデザイナー。 長野県諏訪市に生まれる。長野県諏訪清陵高等学校卒、東京芸術大学美術学部デザイン科卒。 G.C.inc デザイナーを経てフリー。オリジナルデザインのステーショナリーを、百貨店、東急ハンズ等で販売。 1998 絵本『ディアママフロムビッグママ - 母になったあなたへ』(文:ばんばりえ/出版:g.c.inc)挿絵。 2003~ アトリエ KODAIRA にて制作開始。テーマパーク・美術館などのグッズ企画。ロゴ・パッケージデザイン等制作。 2005~ 下諏訪町社会福祉協議会グッズ、冊子、送迎バス等、イラスト・デザイン作成。 2013 岡谷美術考古館考古展示イラスト作成。