横山 聖哉(よこやま せいや、2005年10月28日 - )… 横山 聖哉(よこやま せいや、2005年10月28日 - )は、長野県上田市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 上田市立第四中学校在学時はクラブチームの上田シニアに所属していた。 上田西高等学校に進学し、1年春からベンチ入り。2年春から遊撃手のレギュラーを務め、投手も兼任した。3年夏の第105回全国高等学校野球選手権大会に出場し、開幕戦となった土浦日大との初戦で1安打を記録したが、チームは延長10回タイブレークの末に敗れた。高校通算30本塁打。9月4日にプロ志望届を提出した。 2023年10月26日のドラフト会議でオリックス・バファローズから1巡目で指名された。
上條 優奈(かみじょう ゆうな、2005年6月21日 - )… 上條 優奈(かみじょう ゆうな、2005年6月21日 - )は、長野県塩尻市出身の女子野球選手(外野手)、コーチ。右投左打。読売ジャイアンツ女子チーム所属。 父や4歳年上の兄の影響で、小学2年時に吉田スポーツ少年団に入団し野球を始めた。当初のポジションは投手。塩尻市立丘中学校では男子選手とともに練習を積み、全国大会にも出場した。 父の勧めにより女子硬式野球部のある岐阜第一高等学校へ進学。2年時の第26回 夏の大会では準決勝で開志学園に敗れ、甲子園での決勝出場を逃したが、翌年の第27回 夏の大会では準決勝で福井工業大学附属福井に勝利し、甲子園出場を果たした。2023年8月1日に甲子園で行われた決勝では神戸弘陵学園と対戦し、試合は1-8で敗れたものの、2番手投手として2回無失点の好投を見せ、安打も記録した。
内田 湘大(うちだ しょうだい、2004年9月22日 - )… 内田 湘大(うちだ しょうだい、2004年9月22日 - )は、長野県南佐久郡小海町出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 小海町立小海小学校時代に野球を始める。 小海町北相木村南相木村中学校組合立小海中学校在学時は、硬式野球のクラブチームである群馬西毛ボーイズでプレーしていた。群馬西毛ボーイズ時代の内田はスタメンに入るか入らないかの選手で、中学時代の通算本塁打は0だった。そのため、高校進学の際に野球推薦の話は皆無だった。 高校は、群馬県の利根沼田学校組合立利根商業高等学校に進学。2年時から一塁手のレギュラーに定着して中軸を担った。3年夏は4番兼救援投手の二刀流として活躍し、群馬県大会準決勝の健大高崎戦では自己最速を更新する149km/hを記録したが、チームはこの試合で敗れた。
今野 瑠斗(こんの りゅうと、2004年7月13日 - )は… 今野 瑠斗(こんの りゅうと、2004年7月13日 - )は、東京都中央区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 小学校1年生の時に兄の影響で野球を始め、中央フェニックス所属後北砂リトルリーグに所属。中央区立晴海中学校時代は新宿シニアでプレーした。高校は、生まれ育った東京を離れ、長野県の東京都市大学塩尻高等学校に進学。1年秋から主力となり、2年秋から主将を務めた。3年夏の長野県大会では、延長戦を含め準決勝まで3試合を完投し、同校を11年ぶりに決勝進出まで導くが、佐久長聖高校に敗れ甲子園出場はならなかった。 2022年10月20日、プロ野球ドラフト会議が行われ、横浜DeNAベイスターズから育成3位指名を受けた。
池上 桃花(いけがみ ももか、2004年2月13日 - )は… 池上 桃花(いけがみ ももか、2004年2月13日 - )は、長野県伊那市出身の女子ソフトボール選手(捕手)。豊田自動織機シャイニングベガ所属。 8歳の時にソフトボールを始める。2019年に東海学園高等学校に進学すると、1年生の時にインターハイに出場してホームランを2本放った。2年進級時に、この年にソフトボール部が新設された神村学園高等部伊賀に転入。主将に任命されると、同部として初の公式戦となった2020年10月の三重県高体連ソフトボール競技新人大会(全国選抜大会県予選)で優勝し、2021年3月の全国高校選抜大会への出場権を獲得した。本戦では兵庫大附属須磨ノ浦相手に1回戦敗退だった。 2022年、JDリーグの豊田自動織機シャイニングベガに入団。
笹原 操希(ささはら みさき、2004年2月9日 - )は、… 笹原 操希(ささはら みさき、2004年2月9日 - )は、長野県長野市出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 長野市立裾花小学校3年生の時に長野南リトルで野球を始め、長野市立裾花中学校時代は長野南リトルシニアに所属。 上田西高等学校では1年春から非凡な打撃を見せ4番打者に抜擢される。2年秋の東信地区大会決勝からは積極性と対応力を見込まれ1番に固定され、北信越大会は12試合で打率.442を記録して準優勝。3年春は第93回選抜高等学校野球大会に出場。1回戦で花田侑樹擁する広島新庄と対戦し、「1番・中堅手」として2安打を放つも、延長12回、0-1でサヨナラ負けを喫した。
髙寺 望夢(たかてら のぞむ、2002年10月17日 - )… 髙寺 望夢(たかてら のぞむ、2002年10月17日 - )は、長野県上田市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。阪神タイガース所属。 上田市立本原小学校1年で「上田リトル」に入団し野球を始め、上田市立真田中学校時代は「上田シニア」でプレー。 上田西高等学校へ進学後、1年春からベンチ入り。主に三塁手を務めたが2年秋からは遊撃手として出場を重ねた。甲子園大会出場はなしに終わったものの、3年秋に参加した「プロ志望高校生合同練習会」(東京ドーム)では、シート打撃で6打数5安打2四球を記録するなど存在感を見せた。 2020年10月26日に行われたドラフト会議では、阪神タイガースから7位指名を受け、契約金2000万円、年俸480万円で仮契約した(金額は推定)。
赤羽 由紘(あかはね よしひろ、2000年6月29日 - )… 赤羽 由紘(あかはね よしひろ、2000年6月29日 - )は、長野県松本市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 松本市立筑摩野中学校では松本南シニアに所属。中学時代は体が細く、9番打者での起用だった。日本ウェルネス信州筑北高等学校に1期生として入学。進学後にウエイトトレーニングや食事の工夫で体格を大きくし、打球の飛距離を伸ばす。高校2年生の秋季長野県大会でチームは優勝。3年生の2018年には4番を打ったが、全国高等学校野球選手権長野大会はベスト8で敗退。高校時代の同期には速水将大がいる。 2018年11月に、ベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)と四国アイランドリーグplusの合同トライアウトに参加し、11月22日の両リーグ合同ドラフト会議で希望入団先としていた地元球団の信濃グランセローズに特別合格、2019年に入団。
権田 琉成(ごんだ りゅうせい、2000年1月28日 - )… 権田 琉成(ごんだ りゅうせい、2000年1月28日 - )は、東京都世田谷区生まれ、長野県長野市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 東京都世田谷区生まれ。長野市立共和小学校時代に野球を始め、長野市立川中島中学校では『長野南シニア』でプレー。中学時代は宮澤太成とチームメイトであった。 上田西高校では故障もあり、最速147km/hは計測していたが、3年夏の県大会では背番号11であった。 明星大学に進学すると、主戦になったのは4年時からであったものの、春の首都大学野球二部リーグ戦でチームを優勝に導き、武蔵大との入れ替え戦では完封勝利も挙げた。秋の開幕戦では二部リーグながらプロ5球団のスカウトが視察するなど、注目度が高く、プロ志望届を提出したが、指名漏れとなった。
宮澤 太成(みやざわ たいせい、1999年4月15日 - )… 宮澤 太成(みやざわ たいせい、1999年4月15日 - )は、長野県長野市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 長野市立昭和小学校3年生のときに野球を始め、長野市立川中島中学校では長野南リトルシニアに所属。中学時代は権田琉成とチームメイトであった。 長野県長野高校では外野手であったが、2年時に投手が足りないチーム事情から、投手へ転向。高校時代の最速は140km/hであった。 北海道大学法学部に1年浪人して入学。3年秋のリーグ戦では開幕直前に右太ももの肉離れ、期間中には右肩痛と万全ではない状態ながらも4勝を挙げ、MVP・ベストナイン・最優秀投手賞を獲得し、3年3月には最速151km/hを計測した。
齋藤 尊志(さいとう たかし、1999年3月17日 - )は… 齋藤 尊志(さいとう たかし、1999年3月17日 - )は、長野県上田市出身の日本の元プロ野球選手(内野手)。 上田西高校では1年生の春からレギュラー。2年時には県大会で9盗塁する快足を武器に第97回全国高等学校野球選手権大会への出場に貢献。2番セカンドで出場し、熱闘甲子園にも取り上げられている。しかし最後の夏は甲子園出場を逃した。 高校卒業後、東都大学野球の亜細亜大学に進学。リーグ戦にもスタメン出場するが、大学を中退。 その後、2019年11月にベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の栃木ゴールデンブレーブスに特別合格した。初年度の2020年シーズンは打率.352を記録し、チームメイトのルーカス・ホジョとともに東地区の首位打者となった。
立松 由宇(たてまつ ゆう、1999年2月5日 - )は、長… 立松 由宇(たてまつ ゆう、1999年2月5日 - )は、長野県小諸市生まれ、千葉県松戸市出身のプロ野球選手(内野手、捕手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 小学校1年生から松戸カージナルスで野球を始め、中学時代は柏リトルシニアでプレーした。 茨城県立藤代高等学校では1年秋から内野手のレギュラーとして試合に出場した。2年秋の新チームから、主将・正捕手を務め、双子の弟の峻とともに打線の中軸を担ったが、夏の県大会では3回戦敗退に終わった。 高校卒業後は立正大学へ進学した。1年春から東都大学野球二部リーグでベンチ入りした。3年春から下位打線で正捕手を担う。秋から5番打者を務め、打率.410、1本塁打、2打点を記録し敢闘賞を受賞した。
西沢 一希(にしざわ かずき、1998年9月13日 - )は… 西沢 一希(にしざわ かずき、1998年9月13日 - )は、長野県上田市出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は46。 小学4年生のときに塩川少年野球スポーツ少年団に所属し、丸子北中時代は野球部と丸子北クラブスポーツ少年団に所属。中学2年生のときにはスポーツ少年団が第29回全国少年軟式野球北信越大会優勝を果たしており、3年生のときにはキャプテンを務めた。中学卒業後は上田東高校に進学。高校まで野球をプレー。高校卒業後、海上保安庁を目指していたが、野球部の練習試合の審判を頼まれたことをきっかけに野球審判員を目指すようになる。 2017年、高校卒業と同時にプロ野球独立リーグ・四国アイランドリーグplusの審判部に入部。
百瀬 大騎(ももせ ひろき、1997年3月11日 - )は、… 百瀬 大騎(ももせ ひろき、1997年3月11日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(内野手)。 小学生時代に長野県松本市で剣道を始めていたが、野球に興味を持ったことがきっかけで、4年時に剣道を辞め、軟式野球の「蟻西ファイターズ」に入団。投手や遊撃手として実戦経験を積んでいた。松本市立旭町中学校では、軟式野球部に所属して主に捕手を務めた。 松本第一高等学校への進学後は、2年夏の全国高等学校野球選手権長野大会からベンチ入りを果たすと、秋には遊撃手としてレギュラーに定着。50m走で最速5.9秒を記録した俊足と、遠投100mを計測した強肩の持ち主で、対外試合では通算5本塁打中4本がランニングホームランであった。
青木 昴(あおき すばる、1993年12月4日 - )は、長… 青木 昴(あおき すばる、1993年12月4日 - )は、長野県出身の日本のプロ野球審判員。審判員袖番号は12(2020年までは62)。 松本県ヶ丘高校から大分県の専門学校九州総合スポーツカレッジに進み、在学中に四国アイランドリーグplusの審判員となる。 2013年の第1回NPBアンパイア・スクールに派遣され、2014年3月7日に日本野球機構審判部に入局、同年4月に育成審判員として採用された。このときスクール卒業生から育成審判員・研修審判員には4人が採用されたが、その中で1軍公式戦出場可能な審判員に最初に昇格したのは青木で、2016年だった。 2019年4月10日の埼玉西武ライオンズ対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(メットライフドーム)で1軍公式戦初出場(三塁塁審)。
柿田 裕太(かきた ゆうた、1992年8月27日 - )は、… 柿田 裕太(かきた ゆうた、1992年8月27日 - )は、長野県松本市出身のプロ野球選手(投手)。横浜DeNAベイスターズ所属。
甲斐 拓哉(かい たくや、1990年12月18日 - )は、… 甲斐 拓哉(かい たくや、1990年12月18日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校3年時に松本北リトルリーグ城東フェニックスで野球を始め、投手・捕手として活躍、中学時代は松本南シニアに所属。エースとして、2005年のジャイアンツカップ全国大会優勝に貢献した。当時既に140km/hの直球を投げ、プロのスカウトからも注目されていた。 その後東海大三高校へ進学し、1年秋からエースを任された。3年春の南信予選1回戦では17奪三振でノーヒットノーランを記録し準優勝。夏の長野大会では準々決勝で151km/hを計測し、準決勝ではレギュラーの約半数が中学時代のチームメイトの松商学園と対戦し、9回を3安打に抑えたが失策絡みで4失点し、3-4で敗退した。
笠原 優子(かさはら ゆうこ、1990年9月29日 - )は… 笠原 優子(かさはら ゆうこ、1990年9月29日 - )は、長野県諏訪市出身の女子野球選手。ポジションは投手。
藤澤 亨明(ふじさわ こうめい、1989年11月11日 - … 藤澤 亨明(ふじさわ こうめい、1989年11月11日 - )は、長野県上田市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。 上田西高時代は外野手であり、3年生夏の長野大会ベスト4。 松本大学に進学し、捕手に転向。1年春から正捕手。4年生の秋に関甲新学生野球連盟の2部リーグで優勝し、チーム史上初の1部昇格に貢献した。 2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから育成1位指名を受け入団。松本大学から初のドラフト指名となった。また、埼玉西武ライオンズは2011年まで育成制度を利用していなかったため、西武初の育成ドラフト指名選手となった。 2012年シーズンはイースタン・リーグに6試合出場し、2打数1安打、打率.500の成績であった。
聖澤 諒(ひじりさわ りょう、1985年11月3日 - )は… 聖澤 諒(ひじりさわ りょう、1985年11月3日 - )は、長野県更埴市(現・千曲市)出身の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者。右投左打。 小学校2年から「森スポーツ少年団」で野球を始める。小学時代は剣道クラブにも所属し、4年時に地区大会で優勝した。中学校では軟式野球部に所属し、「4番・投手」を務める。地元の公立校である松代高校に進学。1年春からベンチ入りし、3年時には「4番・遊撃手」として活躍する。最高成績は2年夏の長野大会3回戦。同期入部で最後まで野球部に所属していたのは自身を含めて二人だけというチーム事情の中プレーした。 國學院大學に進学し硬式野球部に入部。2年春からレギュラーに定着する。
呉本 成徳(くれもと しげのり、1981年4月8日 - )は… 呉本 成徳(くれもと しげのり、1981年4月8日 - )は、長野県諏訪市出身の元プロ野球選手(内野手)。
宮澤 健太郎(みやざわ けんたろう、1980年7月26日 -… 宮澤 健太郎(みやざわ けんたろう、1980年7月26日 - )は、長野県出身の元社会人野球選手(内野手)である。 戦後、社会人野球で唯一の都市対抗野球、日本選手権、スポニチ大会と3大大会で首位打者を獲得している選手である。 岡谷南高時代、3年次の夏は県予選ベスト16で敗退。 高校卒業後は、明治大学に進学し野球部に入部するが当初は出場機会に恵まれなかった。徐々に力をつけ、4年次シーズンに主将に就任すると、春季リーグ戦でベストナインと首位打者を獲得した。 大学卒業後、2003年に社会人野球の新日本石油に入団。選手層の厚いチームで出場機会を増やしながら、2005年に東芝の補強選手としてではあるが初めて都市対抗野球に出場した。
雄太(ゆうだい、本名:川井 進〈かわい すすむ〉、1980年… 雄太(ゆうだい、本名:川井 進〈かわい すすむ〉、1980年6月17日 - )は、長野県佐久市出身の日本の元プロ野球選手(投手)。 プロ入りから2008年までの登録名は本名と同じ「川井 進」であったが、2009年に「川井 雄太」に改め、さらに2012年からは「雄太」としていた。 上田西高等学校では2年秋に北信越大会へ進み、準々決勝では延長11回を完投勝利するが準決勝では富樫和大 - 加藤健のバッテリーを擁する新発田農に6回コールド負け、3年夏は県大会ベスト8。進学した大東文化大学では2年春に主戦となるもそのシーズンで首都大学リーグ2部に降格し、4年秋の入替戦で自身が2勝して復帰に貢献。大学卒業後は日本通運へ入社し、変則左腕として都市対抗野球に2年連続で出場し救援登板、その活躍が即戦力と評価され、2004年のドラフト会議において中日ドラゴンズから4巡目で指名され、入団。
星野 八千穂(ほしの やちほ、1980年5月8日 - )は、… 星野 八千穂(ほしの やちほ、1980年5月8日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。2023年から北海道日本ハムファイターズの広報を務める。 丸子実業高時代は、3年時の春に不祥事が発覚し、大会出場辞退という経験を味わった。夏の大会の1回戦で長野商業高に敗れた。 高校卒業後に社会人野球を目指したが、セレクションで落選し、当時野球部を強化して間もない岐阜聖徳学園大学に入学。同期である衣川篤史とバッテリーを組み、大学3年時に全日本大学野球選手権大会に出場し、2回戦で敗退。4年時には同大会と明治神宮野球大会に出場、神宮大会では先発したがともに1回戦で敗れた。 大学卒業後は、社会人野球のJR北海道に入団。
金谷 剛(かなや たけし、1978年7月30日 - )は、長… 金谷 剛(かなや たけし、1978年7月30日 - )は、長野県中野市出身の元プロ野球選手(捕手)。 中野実業高校時代は無名であったが、卒業後単身渡米してフロリダのベースボールアカデミーで力をつけた。1999年には持ち味のパワーを認められ、ボストン・レッドソックス傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・レッドソックスと契約し、打率3割1分3厘と好成績を残した。 日本でプロの夢を捨てられず、2000年のドラフト会議で大阪近鉄バファローズから6位指名を受け入団。入団発表の際は「乱闘の時は、梨田監督を守るので任せて欲しい」と記者団の笑いを誘ったエピソードがある。 二軍でも打率1割台0本塁打と売りであった打撃が不振だったこともあり、一軍出場はなく同年シーズン終了後に戦力外通告を受け退団。
加藤 貴昭(かとう たかあき、1974年5月1日 - )は、… 加藤 貴昭(かとう たかあき、1974年5月1日 - )は、日本の人間工学者、スポーツ心理学者、元野球選手(捕手)。慶應義塾大学環境情報学部教授、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科委員、慶應義塾大学SFC研究所ベースボール・ラボ代表。 学生時代は強打の捕手として野球をプレー。野沢北高校では4番・捕手として主将を務め、3年夏の県大会4強に貢献。高校通算25本塁打。早慶戦に憧れを抱き、慶應義塾大学環境情報学部にAO入試を経て入学した。野球部では2年秋からベンチ入りし、3年秋には3番・左翼手としてレギュラーの座をつかんだ。髙木大成が卒業した4年時には元のポジションである正捕手となり、主将も務めた。
桜井 堅一朗(さくらい けんいちろう、1974年1月24日 … 桜井 堅一朗(さくらい けんいちろう、1974年1月24日 - )は、日本の元アマチュア野球選手、フジテレビスポーツ局スポーツ制作プロデューサー、元アナウンサー。
上田 佳範(うえだ よしのり、1973年11月18日 - )… 上田 佳範(うえだ よしのり、1973年11月18日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(外野手)。
柳沢 裕一(やなぎさわ ゆういち、1971年8月2日 - )… 柳沢 裕一(やなぎさわ ゆういち、1971年8月2日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(捕手)。
斎藤 充弘(さいとう みつひろ、1968年12月17日 - … 斎藤 充弘(さいとう みつひろ、1968年12月17日 - )は、長野県伊那市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は東京ヤクルトスワローズのチーム運営球団職員。 小学4年の時に野球を始める。伊那北高では1年秋から登板するも県大会ベスト8が最高で甲子園に出場はできなかった。首都大学野球の日体大に進学。1年上に有倉雅史がいた。4年秋の明治神宮大会では初戦完封勝利。リーグ通算成績は6勝4敗。 その後、日立製作所では都市対抗野球に補強を含めて3年連続出場、諸積兼司との活躍で1993年の東京スポニチ大会優勝に貢献した同年のプロ野球ドラフト会議前に逆指名制度を利用してヤクルトスワローズを逆指名し、同会議で2位指名を受けて入団。
川村 正太郎(かわむら しょうたろう、1968年4月10日 … 川村 正太郎(かわむら しょうたろう、1968年4月10日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手。
丑山 努(うしやま つとむ、1965年7月3日 - )は、長… 丑山 努(うしやま つとむ、1965年7月3日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 松本工業高時代は1年秋に遊撃手として1学年上のエース御子柴進を擁して北信越大会に出場。捕手となって3年次の1983年夏の県大会でベスト4に進出し、その後は神奈川県川崎市の橘高(定時制)へ転校して日本ハムファイターズの練習生となり、1984年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムから6位指名を受け入団。プロ7年目の1991年に一軍初出場を果たすが、1997年限りで現役を引退。 引退後は日本ハムで一軍バッテリーコーチ補佐(1998年)→一軍バッテリーコーチ(1999年 - 2002年)を務めた。
御子柴 進(みこしば すすむ、1964年6月29日 - )は… 御子柴 進(みこしば すすむ、1964年6月29日 - )は長野県塩尻市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。
小池 均(こいけ ひとし、1963年11月4日 - )は、長… 小池 均(こいけ ひとし、1963年11月4日 - )は、長野県中野市出身の元プロ野球選手(投手)。 長野工業高時代から、当時のコーチ、板東里視がスカウト時代からオーソドックスな本格派と密かに目をつけていた。 1981年オフに、ドラフト外で近鉄バファローズに入団。一軍公式戦の出場がないまま、1984年限りで現役を引退。 引退後も球団に残り、1985年から打撃投手兼スコアラー、1996年からはスコアラーに専念。 2005年からは、東北楽天ゴールデンイーグルスのスコアラーをつとめる。
伊藤 優(いとう まさる、1963年7月15日 - )は、長… 伊藤 優(いとう まさる、1963年7月15日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(投手)。 南松ファイタース(リトルリーグ)、松本南シニアで投手として活躍。当時は右バッターであった。松本市立鎌田小学校ではソフトボールクラブ、鎌田中学校では軟式テニス部に所属していた。 信州工業高では3年春の北信越大会で3番手として登板するが6回コールドで敗退。社会人野球の東芝府中へ入団。東芝府中では1983年の日本選手権の初戦で2番手として延長10回から登板したが優勝した住友金属に12回サヨナラ負け。社会人通算34勝17敗。 1984年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから6位指名を受け、翌1985年シーズン終了後に入団。
金丸 久夫(かねまる ひさお、1963年4月6日 ‐ 199… 金丸 久夫(かねまる ひさお、1963年4月6日 ‐ 1990年2月27日)は、長野県出身のプロ野球選手。175cm、72kg、右投右打、内野手。 岡谷工では投手で、七色の変化球といわれるほど多彩な球種を持ち、打撃でも3番打者を務めていた。1981年、高3の夏、長野県大会では、佐久高相手に5‐0で無安打無得点試合を達成、準決勝では6年連続で甲子園出場中であった松商学園を1安打完封2‐0で下し、決勝も上田高を5‐0で完封し甲子園出場を決めた。本大会では、1回戦の津久見高相手に15奪三振5‐2で勝利し、同校史上51年ぶりの甲子園勝利を上げた。この試合は、初回にカーブを狙われていると気付き、速球主体に切り替え勝負球にナックルを投じた。
桃井 進(ももい すすむ、1959年8月18日 - )は、長… 桃井 進(ももい すすむ、1959年8月18日 - )は、長野県佐久市出身の元プロ野球選手、元プロ野球審判員。元長野県議会議員。 佐久市立佐久東中学校から1975年に丸子実業高に入学。4番・捕手として1976年の秋季北信越大会で当時小松辰雄(のち中日)がエースの星稜高等学校と決勝で対するも敗退。1977年の選抜出場の原動力となった。夏の選手権出場の期待もかけられたが長野県大会決勝で松商学園に敗れた。 高校卒業後、社会人野球の電電信越では都市対抗野球に出場、1980年のドラフト4位指名を受けロッテに入団するが、出場機会に恵まれないまま1988年引退。ブルペン捕手としてチームに残った。 1989年オフ、パ・リーグ審判部長となる村田康一の誘いを受け、パ・リーグの審判テストに応募し合格。
川島 正幸(かわしま まさゆき、1959年6月14日 - )… 川島 正幸(かわしま まさゆき、1959年6月14日 - )は、長野県駒ヶ根市出身の元プロ野球選手(内野手)。左投左打。
小尾 淳美(おび あつみ、1959年 - )は、長野県松本市… 小尾 淳美(おび あつみ、1959年 - )は、長野県松本市出身の元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者。 松商学園高校では遊撃手として活躍し、1977年の夏の甲子園に出場した経験がある。高校卒業後に玉川大学に進学した。 大学卒業後は、母校の松商学園高校の英語の教諭として勤務しながら、野球部のコーチを務めた。1983年から1985年と2004年から2011年の2度に監督を務めた。 監督勇退後は松商学園高校の教頭を務めている。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
森山 正義(もりやま まさよし、1950年9月14日 - )… 森山 正義(もりやま まさよし、1950年9月14日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手(外野手)、大学野球監督である。 佼成学園高校ではエース猪狩志郎(駒大-本田技研)を擁し、右翼手として1968年春の選抜に出場。1回戦でこの大会に準優勝した尾道商の井上幸信に抑えられ1-2で惜敗。高校同期に遊撃手の清水透がいた。 高校卒業後、明治学院大学に進学。首都大学野球リーグでは、1年上のエース平石幸夫(電電関東)の好投もあり1970年春季リーグで初優勝を経験。同大学では、首都大学野球連盟を含む全大学野球リーグを通じ、最多本塁打記録である通算26本塁打を放つ。リーグ通算100試合出場、367打数110安打、打率.300、82打点。
清水 透(しみず とおる、1950年7月4日 - )は、富山… 清水 透(しみず とおる、1950年7月4日 - )は、富山県出身の元プロ野球選手である。1978年から1983年までの登録名は、清水 宏悦(しみず ひろよし)。 佼成学園高校在学時の1968年、同期のエース猪狩志郎(駒大)を擁し、遊撃手として第40回選抜高等学校野球大会に出場。しかし1回戦で、この大会に準優勝した尾道商の井上幸信に抑えられ、1-2で敗れる。他の高校同期に右翼手の森山正義がいた。 卒業後は河合楽器でプレー、都市対抗の常連として活躍。1970年のプロ野球ドラフト会議で大洋ホエールズから3位指名を受けるも、入団を拒否。2年後の1972年ドラフト会議で再び大洋ホエールズから指名(7位)を受け、入団。
大島 郁将(おおしま いくまさ、1950年6月24日 - )… 大島 郁将(おおしま いくまさ、1950年6月24日 - )は、長野県伊那市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 名商大附属高校では捕手。神奈川大学へ進学し内野手に転向。神奈川五大学野球リーグでは在学中6回優勝。ベストナイン1回。1972年の全日本大学野球選手権大会では2回戦で中京大に敗退。 1972年ドラフト会議で阪急ブレーブスから2位指名を受け入団。1974年から一軍に上がり、シーズン終盤の4試合に三塁手、遊撃手として先発出場。1975年には張本勲が中心になって計画されていたプロ野球選抜チームの韓国遠征メンバーに選出され、その後は伸び悩むが、1977年7月には4試合に二塁手として先発。
寺沢 高栄(てらさわ たかえ、1949年10月29日 - )… 寺沢 高栄(てらさわ たかえ、1949年10月29日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手(投手)、指導者。 長野中央高ではエースを務める。 1967年、サンケイアトムズに入団。1970年オフ、球団からフロント入りを要請されたが辞退し、自由契約選手としてヤクルトアトムズからロッテオリオンズに移籍。1972年、怪我のため一軍公式戦に出場がないまま任意引退となった。 2011年、東京ヤクルトスワローズジュニアのコーチを務めた。 2013年、中学女子硬式クラブチーム「モンスターレディース」の初代監督に就任し、1年間務めた。
杉山 重雄(すぎやま しげお、1949年7月9日 - )は、… 杉山 重雄(すぎやま しげお、1949年7月9日 - )は、長野県小諸市出身の元プロ野球選手(投手) 野沢北高校では1967年夏の甲子園長野県予選で準々決勝に進出するが、辰野高に敗退。この大会では屋代高との対戦で、完全試合を記録した。駒澤大学へ進学。東都大学野球リーグでは1968年春季リーグで優勝を経験するが、自身の活躍の場はなかった。1年生からベンチ入りし、4年時の1971年にはエースとして春秋季リーグとも7勝をあげた。秋季リーグでは日大に優勝を譲るが最優秀投手、ベストナインに選出される。リーグ通算31試合登板、15勝5敗。同じ年齢の左腕投手である亜大の山本和行とは格好のライバルであり、リーグ戦で何度も投げ合っている。
柳沢 敏幸(やなぎさわ としゆき、1949年 - 2010年… 柳沢 敏幸(やなぎさわ としゆき、1949年 - 2010年9月10日)は、元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 長野県北佐久郡御代田町出身。小諸商業高校を卒業した後に1968年に社会人野球の電電信越に入団する。チームでは投手として活躍し、1976年からコーチを兼任、1980年に現役引退した。翌年から監督に就任し、1982年の都市対抗野球から都市対抗野球に8年連続出場を果たした。その中で1987年の都市対抗野球ではチームをベスト8に導いた。その後、1989年までに監督を務めた後に、2004年~2008年までに母校の小諸商業高校の野球部監督を務めた。 2010年9月10日、大腸癌のため死去。
吉江 喜一(よしえ よしかず、1948年6月14日 - 20… 吉江 喜一(よしえ よしかず、1948年6月14日 - 2018年8月29日)は、長野県塩尻市出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 塚原高校では1966年の夏の甲子園に出場。1回戦で松山商の西本明和投手と投げ合い、延長11回の投手戦の末、0-1xでサヨナラ負けした。松山商はこの大会に準優勝。1966年第1次ドラフト会議でサンケイアトムズから2位指名を受け入団。 がっちりとした体つきで、速球とカーブ、シュートを武器に真向から勝負していくピッチングが持味。しかし、一軍では1年目終盤の10月14日の阪神25回戦(東京)の1試合だけの登板に留まり、この試合では山内一弘に史上2人目の2000本安打を打たれている。
鈴木 一比古(すずき かずひこ、1948年 - )は、長野県… 鈴木 一比古(すずき かずひこ、1948年 - )は、長野県出身の元アマチュア野球選手(内野手)。 伊那北高等学校では、1966年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、エース吉江喜一を擁する塚原高に完封負け。卒業後は明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは一塁手として活躍。1969年春季リーグで8年振りに優勝を飾る。主軸であった星野仙一、池島和彦両投手が卒業し下馬評は高くなかったが、1年上の古屋英雄、同期の今井恒夫が好投、早大、法大を振り切った。同年の全日本大学野球選手権大会では東海大の上田二郎に抑えられ、2回戦敗退。ベストナイン(一塁手)に2回選出されている。大学同期に外野手の辻哲也らがいる。
荒川 尭(あらかわ たかし、1947年5月3日 - )は、長… 荒川 尭(あらかわ たかし、1947年5月3日 - )は、長野県北佐久郡(現・佐久市)出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は実業家。
荒川 堯(あらかわ たかし、1947年5月3日 - )は、長… 荒川 堯(あらかわ たかし、1947年5月3日 - )は、長野県北佐久郡(現・佐久市)出身の元プロ野球選手(内野手)・実業家。右投右打。 プロ野球ドラフト会議での入団拒否をきっかけに、後年のルール改正にもつながる荒川事件の当事者となった。 1947年に長野県北佐久郡岩村田町(のちに近村との合併で浅間町、現:佐久市)の映画館経営者の家に生まれる。幼い頃から母親の実家で田植えの手伝いをしていた。 4歳のころから野球を始め、浅間中学校時代には「長野に出澤あり」と内外で知られるほどの存在となっていた。また通知表はオール5で、両親が常々「東京大学に行かせたい」と言うほど勉学面でも優秀だった。中学3年の時、岩村田町の近くに来ていた読売ジャイアンツコーチの荒川博が実の両親を介して堯を呼び、自らの前で素振り等をさせた。
鈴木 照雄(すずき てるお、1946年9月5日 - )は、長… 鈴木 照雄(すずき てるお、1946年9月5日 - )は、長野県阿智村出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 塚原学園天竜高等学校(現・長野県松川高等学校)から大東文化大学に進学。首都大学野球リーグでは1966年秋季リーグから一部昇格を果たすが、同季の2位が最高順位で優勝には届かなかった。 1967年秋季リーグでベストナイン(遊撃手)に選出される。大学を中退し河合楽器に入社。 1969年から3年連続で都市対抗野球大会に出場。 1971年のドラフト11位で阪神タイガースに指名され入団。大東文化大出身としては、同年ドラフトでロッテオリオンズに入団した鈴木弘とともに初のプロ選手となった。 二軍暮らしが続き、一軍では1試合しか出場できなかった。