定食王(ていしょくおう、本名: 岡澤 創人(おかざわ はじめ… 定食王(ていしょくおう、本名: 岡澤 創人(おかざわ はじめ)、1979年8月15日 - 2023年8月26日)は、日本の編集者、フードインスタグラマー、フードライター、デジタルマーケター。Hajimedia名義でも活動をしている。JSFA認定お米ソムリエ。 愛知県名古屋市生まれ。名古屋市立榎小学校、桑名市立陵成中学校、高校ではイギリスWhickham Schoolへ留学。帰国後、三重県立四日市高等学校・国際科学コースを卒業。2003年に慶應義塾大学環境情報学部を卒業。株式会社光文社に入社。 光文社では「JJ」、「Gainer」編集部で、雑誌とウェブの編集を担当。その後、日本マイクロソフトでは「MSN」のエディター、「Windowsアプリ」に携わる。
幅 允孝(はば よしたか、1976年8月7日 - )は、日本… 幅 允孝(はば よしたか、1976年8月7日 - )は、日本の選書家・ブックディレクター・編集者・執筆家。有限会社BACH(バッハ)代表。愛知県立芸術大学非常勤講師。神奈川県教育委員会顧問。京都「鈍考/喫茶 芳」主宰。 愛知県津島市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。青山ブックセンター六本木店、建築・デザイン書の担当を経て、株式会社ジェイ・アイ入社。石川次郎に編集を学ぶ。その後独立し、2005年10月に選書集団・BACH(バッハ)を設立。社名は自分の名前と音楽家に由来する。選書、編集、執筆、企画、ディストリビューション、また展覧会のキュレーションなど、本をツールに幅広い分野で活動する。アーセナルFCのファンを公言している。
稲田 豊史(いなだ とよし、1974年9月13日 - )は、… 稲田 豊史(いなだ とよし、1974年9月13日 - )は、日本のライター、コラムニスト、編集者、漫画原作者。愛知県春日井市出身。愛知県立明和高等学校、横浜国立大学経済学部卒業。 1997年、映画配給会社ギャガ・コミュニケーションズ(現・ギャガ)に新卒で入社し、洋画買い付けの支援部署に配属。1998年、出版部門へ異動。ゲームショップ向け業界誌の編集記者、DVDセル店向け業界誌の編集記者、同誌編集長を経て、2008年よりキネマ旬報社所属。2010年より同社出版部で一般書籍・ムックを企画・編集。2013年に独立する。2019年より産業能率大学「エンターテイメントビジネス講座」『出版ビジネス』回のゲスト講師。
大山 くまお(おおやま くまお、1972年 - )は、日本の… 大山 くまお(おおやま くまお、1972年 - )は、日本の著作家、編集者。 愛知県出身。愛知県立松蔭高等学校、静岡県立大学に学ぶ。 映画雑誌や書籍の編集に携わった後、フリーランスのライター、編集者となり、雑誌記事の執筆のかたわら、中日ドラゴンズや『クレヨンしんちゃん』などに関する著書を出している。また、「名言」を切り口とした著書も複数あり、「名言ハンター」とも称される。
はら まさかず(原 正和、1972年 - )は、日本の児童文… はら まさかず(原 正和、1972年 - )は、日本の児童文学作家、編集者。日本児童文学者協会理事。 1972年愛知県一宮市生まれ。 愛知県立一宮高等学校 、東京都立大学経済学部卒業後、1996年に公益財団法人矢野恒太記念会に入職。以降、統計書「日本国勢図会」や子ども向けの社会科資料集「日本のすがた」の編集に携わる。高校生の時、安房直子に影響を受け、幼年童話を書き始める。2020年、コロナ禍をきっかけに、児童文学作家の木村研と著作権フリーのお話のサイト「よむよんで」をはじめる。2022年、『うさぎとハリネズミ きょうもいいひ』(ひだまり舎)で第55回日本児童文学者協会新人賞を受賞。2023年3月、矢野恒太記念会を退職、同年4月、一般社団法人日本児童文学者協会に入社、24年4月より同事務局長。
リトルエルヴィスリュウタ(1965年 - )は、日本の歌手、… リトルエルヴィスリュウタ(1965年 - )は、日本の歌手、著作家、編集者、俳優。リトル・エルヴィス竜太(りとる・えるびすりゅうた)とも表記される。LITTLE ELVIS RYUTA & THE S.R.P.ボーカル、『グリースアップマガジン』編集長。 愛知県出身のロカビリーのボーカリストであり、ロカビリー雑誌の編集者である。ロカビリー雑誌『アップビート』で記事を書いていたが、のちにロックバンドである「ガムカムズ」を結成しメジャー・デビューを果たした。ガムカムズ解散後も、テレビにてタレント活動を続けた。その後、ロカビリー雑誌である『グリースアップマガジン』を創刊し、編集長となった。 1965年(昭和40年)生まれ、愛知県豊川市出身。
谷川 貞治(たにかわ さだはる、1961年9月27日 - )… 谷川 貞治(たにかわ さだはる、1961年9月27日 - )は、日本の格闘技プロモーター、プロデューサー、元雑誌編集者、元スポーツライター。イベント興行会社FEG社長、元K-1イベントプロデューサー。愛知県名古屋市出身。 名古屋市立八王子中学校、愛知県立旭丘高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒業。中学、高校とハンドボールに打ち込み、主将を務めた。大学時代には、アメリカンフットボールで活躍した。 大学卒業後、ベースボール・マガジン社入社、空手専門誌『近代空手』編集部に配属。『格闘技通信』には創刊号から記事を執筆し、所属していた『近代空手』が『格闘技通信』に合併されたのに伴い、1987年から正式に同編集部へ配属され、1990年から2代目編集長に就任した。
七北 数人(ななきた かずと、1961年9月23日 - )は… 七北 数人(ななきた かずと、1961年9月23日 - )は、日本の文芸評論家、小説家、編集者である。愛知県名古屋市出身。 名古屋市生まれ。大阪大学文学部を卒業後、出版社勤務を経て、独立する。1990年ごろより、文芸評論を発表、書籍等の編集をする。 小説家坂口安吾に関わり、1997年から2000年まで『坂口安吾全集』決定版の編集に携わる。2000年から安吾を偲ぶ「安吾忌」の事務局を木村立哉らとつとめる(安吾忌は2016年以降は、坂口家主催となるが2024年まで世話人として残る)。 2002年、『評伝坂口安吾 魂の事件簿』を上梓、「こんなに面白くスリリングな評伝読んだことがない!」と安原顕から絶賛され、この年の本ベスト3に安原(本の雑誌)と井口時男(東京新聞)が選定。
水野 次郎(みずの じろう、1957年 - )は、日本の編集… 水野 次郎(みずの じろう、1957年 - )は、日本の編集者、教育者。 愛知県で生まれる。愛知県立時習館高等学校から慶應義塾大学文学部卒業後、福武書店(後のベネッセコーポレーション)に入社して、10年間にわたり幼児雑誌『こどもちゃれんじ』の初代編集長を務め、「「しまじろう」の生みの親」として知られるようになる。ベネッセでは、幼児通信教育部長、大阪支社長などを歴任した。 2003年にベネッセを退社して、伊東市でプチホテル経営に転じた。 2007年、第11回伊豆文学賞に応募した「海師(うみし)の子」が優秀賞に入賞した。 2008年、千葉県教育委員会が行なった県立高校の民間人校長採用選考に応募し、全国から27人の応募があった中からただひとり採用された。
干場 弓子(ほしば ゆみこ、1955年3月15日 - )は、… 干場 弓子(ほしば ゆみこ、1955年3月15日 - )は、日本の編集者、文筆家、実業家。ディスカヴァー・トゥエンティワン取締役社長。
高橋 良平(たかはし りょうへい、1951年12月8日- )… 高橋 良平(たかはし りょうへい、1951年12月8日- )は、日本のSF小説及びSF映画評論家、翻訳家、フリー編集者。日本SF作家クラブ会員。 愛知県豊橋市出身。高校時代からSFファン活動を開始。1976年中央大学文学部哲学科を卒業し、すばる書房に入社。のち、SFヴィジュアル雑誌『スターログ』副編集長を経て、フリーに。 『本の雑誌』に「戦後日本SF出版史」を長期連載していたが、2021年5月号で終了。この連載は2025年4月現在、単行本化がされていない。 『本の雑誌』1997年3月号において、日本のSFが商業的に成功していない当時の状況へのいらだちから、「ここ十年のSFはみんなクズだ!」と題して鏡明と対談し、いわゆる「SFクズ論争」の口火を切った。
鈴木 敏夫(すずき としお、1948年〈昭和23年〉8月19… 鈴木 敏夫(すずき としお、1948年〈昭和23年〉8月19日 - )は、日本の映画プロデューサー、編集者。株式会社スタジオジブリ代表取締役議長、徳間記念アニメーション文化財団副理事長。 徳間書店取締役、徳間書店スタジオジブリ・カンパニープレジデント、徳間書店スタジオジブリ事業本部本部長、東京大学大学院情報学環特任教授、スタジオジブリ代表取締役社長などを歴任した。 愛知県名古屋市生まれ。名古屋市立金城小学校、東海中学校・高等学校を経て、慶應義塾大学文学部社会・心理・教育学科社会学専攻を卒業。 大学在学中は執筆作業など多くのアルバイトを経験した。就職活動では執筆作業の経験があることから知人の助言もあって新聞社や出版社を志す。
芦原 伸(あしはら しん、1946年 – )は、日本の紀行作… 芦原 伸(あしはら しん、1946年 – )は、日本の紀行作家、ノンフィクション作家で、元雑誌編集者。 三重県生まれ、本籍は京都府京丹後市峰山町、育ちは名古屋市。名古屋市立菊里高等学校を経て、1966年北海道大学に入学する。1970年、北海道大学文学部(露文科)を卒業。上京後、週刊誌記者などを経て、1972年、鉄道ジャーナル社編集部入社、『旅と鉄道』の創刊期デスクを勤める。 1976年、フリーランスライターとして独立。1979年、創作集団「グループ・ルパン」を主宰。1982年、株式会社ルパンを設立、代表取締役社長に就任。2007年、株式会社天夢人Temjinを設立し、代表取締役社長に就任。復刊「旅と鉄道』、『SINRA』の編集長を務める。
小出 宣昭(こいで のぶあき、1944年(昭和19年)9月1… 小出 宣昭(こいで のぶあき、1944年(昭和19年)9月12日 - )は、日本の新聞編集者、経営者。中日新聞社副会長、前社長。 2004年5月22日、小泉再訪朝当日の朝刊「編集局デスク」に、中日新聞名古屋本社編集局長として「首相訪朝に想う」と題する署名記事を掲載。その中で『5人の人々(注:拉致被害者)も、1年8カ月前の本紙報道にあるように「本人たちの希望もあり」、10日前後で家族のいる平壌にいったん帰るつもりだったと考える方が、人間の心情からいって自然である。それを言えなくしてしまった「何か」が、いまの日本にはある。拉致という国家犯罪に怒り、憎むことは当然の国民感情だ。しかし、それも度が過ぎるとかえって第三者の共感を呼ばないのは、北朝鮮をめぐる6カ国協議でなかなかこの問題が取り上げられなかったことでも分かる。
角南 攻(すなみ おさむ、1944年1月1日 - 2014年… 角南 攻(すなみ おさむ、1944年1月1日 - 2014年8月7日)は、漫画編集者。愛知県名古屋市出身。早稲田大学卒業。『週刊ヤングジャンプ』2代目編集長、『ビジネスジャンプ』初代編集長。『トイレット博士』のスナミ先生のモデルとして知られる。 生家は古くから続く医者の家系で、9代前の先祖は杉田玄白とも面識があったという。叔父は長崎大学医学部で形成外科として名を馳せた。母親は岡山県鏡野町の豪農の家系で6世紀からたたら製鉄と薬師の秘宝が伝わっていた。父親の先祖は同県の児島の出身で、材木屋と塩田経営を行う豪商であったという。[要出典]また父親は京都帝国大学経済学部を卒業するが就職難に遭い、倉敷市役所に勤めていた際に先輩から誘われて名古屋市役所に務め、定年になるまで出世していった。
各務 三郎(かがみ さぶろう、1936年10月20日 - 2… 各務 三郎(かがみ さぶろう、1936年10月20日 - 2025年8月27日)は、日本の海外ミステリ編集者、翻訳家、評論家、アンソロジスト。 本名は太田博(おおた ひろし)。日本推理作家協会会員。 愛知県岡崎市出身。愛知県立岡崎高等学校卒業。早稲田大学商学部在学中は歌人として知られた。歌人としての名義は太田比呂史であり、結社「未来」に参加していた。 同大学卒業後、早川書房に入社し、『ミステリマガジン』の編集に携わる。常盤新平の後を受け、1969年8月号から編集長になり、1973年6月号まで務める。その後フリーとなり、海外ミステリの翻訳(ジュニア向け多数)、評論執筆、アンソロジー編纂に携わる。 1995年に編著『チャンドラー人物事典』で、第48回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)を受賞した。
広瀬 豊(ひろせ ゆたか、1932年(昭和7年)1月18日 … 広瀬 豊(ひろせ ゆたか、1932年(昭和7年)1月18日 - 2006年(平成18年)7月20日)は日本の実業家、編集者。陸上競技社設立者・元社長、元関東学生陸上競技連盟会長。苗字の広は正確には广に黄。 愛知県稲沢市に生まれる。愛知県立一宮高等学校を1950年(昭和25年)に卒業、1954年(昭和29年)に法政大学経済学部を卒業し、ベースボールマガジン社に入社。季刊だった『陸上競技マガジン』の編集長に就任し、月刊化する功績を果たしたものの退社。その頃教科書出版に進出する講談社から、保健体育の編集者として声を掛けられ入社し、同時に1967年(昭和42年)に陸上競技専門誌『月刊陸上競技』を創刊、編集長を務める。
大澤 正道(大沢正道、おおさわ まさみち、1927年9月25… 大澤 正道(大沢正道、おおさわ まさみち、1927年9月25日 - 2022年9月[要出典])は、日本のアナキズム研究家、文筆家、編集者。 名古屋市出身。別名・大原緑峯。1950年東京大学文学部哲学科卒。在学中、日本アナキスト連盟に参加、機関紙の編集に携わる。 卒業後平凡社に入り1966年雑誌『黒の手帖』を創刊。編集局長、出版局長、取締役を歴任し、1986年退社。
山本 悍右(やまもと かんすけ、1914年3月30日 - 1… 山本 悍右(やまもと かんすけ、1914年3月30日 - 1987年4月2日)は、名古屋市を拠点に、戦前から戦後にかけて活動した日本の写真家、詩人、編集者である。 1930年代から1940年代にかけて、名古屋の前衛的な詩・写真・出版のネットワークのなかで、シュルレアリスム写真やフォトモンタージュを制作し、詩誌『夜の噴水』の編集・発行、VOUへの参加、写真グループ青憧社の会報『CARNET BLEU』の編集など、詩・写真・出版をまたぐ活動を展開した。 その活動は戦時下の統制強化と重なり、『夜の噴水』の終刊や警察の取り調べを経験し、ナゴヤ・フォトアバンガルドの改称と解散にも直面した。 没後は2001年の東京ステーションギャラリーにおける回顧展、2013年のJ・ポール・ゲティ美術館での「Japan's Modern Divide」展、2021年・2022年のメトロポリタン美術館・テート・モダン共同企画「Surrealism Beyond Borders」展、名古屋市美術館、東京都写真美術館の展覧会などを通じて再評価が進んだ。
小山 千鶴子(こやま ちづこ、1911年5月 - 2010年… 小山 千鶴子(こやま ちづこ、1911年5月 - 2010年3月29日)は日本の著作家、編集者。元名古屋市教育委員会委員長。 元衆議院議長で、中日新聞の前身の1紙に当たる名古屋新聞を経営した小山松寿の長女。夫は元中日新聞社社主の小山龍三。 1911年(明治44年)、名古屋市で出生。父の松寿は長野県佐久郡小諸町(現在の小諸市)出身で、実業家の山田才吉から譲り受けた中京新報を『名古屋新聞』に改題して発行元の名古屋新聞社を経営する傍ら、名古屋市会議員として政界に進出していた。1915年(大正4年)、父が第12回衆議院議員総選挙で初当選する。 東京府立第三高等女学校(都立駒場高校の前身の1校)を卒業後、父と同郷で名古屋新聞に入社した平井出龍三と結婚し、龍三は松寿の養嗣子となった。
長谷川 鉱平(長谷川鑛平、はせがわ こうへい、1908年12… 長谷川 鉱平(長谷川鑛平、はせがわ こうへい、1908年12月20日 - 1995年7月16日)は、日本の編集者、文筆家。 岐阜県出身、名古屋市生まれ。1924年、私立目白中学校3年編入学、埴谷雄高が同期。1926年、目白中学校4年修了で第一高等学校 (旧制)に入ったが1928年に病気のため退学。1929年、法政大学予科第二部入学。法政大学文学部哲学科卒。岩波書店、1946年中央公論社勤務、『思想の科学』などの編集に当たる。63年中央公論社を定年退職。本州大学教授、改称で長野大学教授、1984年退職。文学、哲学などについて執筆した。