杉本準一郎(すぎもと じゅんいちろう、1948年 - )は、… 杉本準一郎(すぎもと じゅんいちろう、1948年 - )は、滋賀県出身の彫刻家。新制作協会彫刻部に所属。近年は彫刻を通じた国際交流に主軸を置いた活動を行っている。
滋賀県:1,038人
杉本準一郎(すぎもと じゅんいちろう、1948年 - )は、… 杉本準一郎(すぎもと じゅんいちろう、1948年 - )は、滋賀県出身の彫刻家。新制作協会彫刻部に所属。近年は彫刻を通じた国際交流に主軸を置いた活動を行っている。
小島 健司(こじま けんじ、1948年 - )は、日本の経営… 小島 健司(こじま けんじ、1948年 - )は、日本の経営学者。神戸大学経済経営研究所特命教授。 主な研究領域は企業ガバナンス。現在の研究課題は企業統治に関する理論的・実証的研究。 滋賀県出身。1966年(昭和41年)3月 - 滋賀県立膳所高等学校卒業。1970年(昭和45年)3月 - 神戸大学経営学部卒業。 1975年(昭和50年)6月 - ノースウェスタン大学経営大学院修士課程修了(M.M.取得)。1979年(昭和54年)3月 - 神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程単位修得退学。1970年(昭和45年)4月 - 松下電器産業株式会社。 1977年(昭和52年)4月 - 南山大学経営学部助手。
松田 保(まつだ たもつ、1948年 - )は、滋賀県近江八… 松田 保(まつだ たもつ、1948年 - )は、滋賀県近江八幡市出身のサッカー指導者。学校法人ヴォーリズ学園副学園長。 滋賀県立彦根東高等学校ではアメリカンフットボール部に所属。金沢大学教育学部特別体育学科にてサッカー指導者としての教育を受ける。教師として初赴任先の甲南高校では初年度からサッカー部監督に就任。その後は守山高校サッカー部、守山北高校サッカー部監督を歴任。1982年度には守山高校を率いて全国高校選手権ベスト4進出、1994年度には守山北高校でもベスト4進出を果たす。 1993年から1995年までは小野伸二、稲本潤一ら「黄金世代」を擁したU-17日本代表監督を務め、FIFA U-17世界選手権に出場した。
加川 良(かがわ りょう、本名:小斎 喜弘、1947年11月… 加川 良(かがわ りょう、本名:小斎 喜弘、1947年11月21日 - 2017年4月5日)は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター。 芸名は、加山雄三の「加」、長谷川一夫の「川」、池部良の「良」を組み合わせたものと言われる。 滋賀県彦根市出身。1970年代、アート音楽出版(URCの版権管理会社)に入社する。高田渡、岩井宏、岡林信康、高石ともやらの影響でフォーク・ソングを唄い始め、1970年の「第2回中津川フォークジャンボリー」では飛び入りで「教訓I」を発表し、一躍人気者に(後に、なぎらけんいち「教訓II」や、三上寛「教訓110番」などパロディー作品も発表された)。1971年6月発売のオリジナル盤『教訓』でURCからデビュー。
ポール岡田(又は岡田ポール、本名・長岡和彦、1947年8月1… ポール岡田(又は岡田ポール、本名・長岡和彦、1947年8月13日 - )は、日本のミュージシャン。 滋賀県大津市出身。1969年5月、グループ・サウンズバンド、ザ・カーナビーツの2代目ボーカリストとして加入するが5ヶ月でグループは解散する。解散後、1969年12月から翌1970年2月末まで渋谷東横劇場で上演された日本初のロック・ミュージカル「ヘアー」にウーフ役で出演。その後は再びボーカリストとしてソロ、男女デュオなどで数枚のレコードをリリースした。 1970年代末、偶然紹介された伊集院静の誘いで、音楽活動を諦め、本名の長岡和彦として広告業界へ転身。広告代理店・株式会社JMSクリエイティブセンターに入社、伊集院が小説家への転身で退社するまで約1年間は伊集院の下でスタッフを務め、その後本体の株式会社ジャパン・マーケティング・サービスに移る。
初宿 正典(しやけ まさのり、1947年6月10日 - )は… 初宿 正典(しやけ まさのり、1947年6月10日 - )は、日本の法学者(憲法学)。博士(法学)。京都大学名誉教授。出身は滋賀県。
永田 和宏(ながた かずひろ、1947年5月12日 -)は、… 永田 和宏(ながた かずひろ、1947年5月12日 -)は、日本の歌人・細胞生物学者。京都大学名誉教授、京都産業大学名誉教授。短歌結社「塔」前主宰。妻は歌人の河野裕子。長男永田淳、長女永田紅も歌人。滋賀県出身。 細胞内タンパク質の品質管理を研究。アメリカ国立がん研究所客員助教授在任中だった1986年には、コラーゲン生成に特異的な機能を持つ熱ショックタンパク"HSP47"を発見した。京都大学胸部疾患研究所(現:医生物学研究所)教授になってからは、小胞体における変性タンパク質の品質管理機構に関する新規遺伝子を次々と発見し、この分野に貢献をした。変性タンパク質を見分けて分解経路に回すEDEM1(Science, 2003など)、変性タンパク質のジスルフィド結合を還元して、小胞体からサイトゾルへ逆輸送しやすくする還元酵素ERdj5 (Science, 2008, Mol. Cell, 2012) などが代表的なものである。
宮村 治雄(みやむら はるお、1947年3月22日 - )は… 宮村 治雄(みやむら はるお、1947年3月22日 - )は、日本の政治学者。旧・東京都立大学名誉教授。日本思想史専攻。丸山眞男に師事し、評伝を著した。 滋賀県長浜市生まれ。滋賀県立虎姫高等学校を経て、1969年東京大学法学部卒業。1974年同大学院政治学研究科博士課程修了。法学博士の学位を取得。同年、立教大学法学部助手、1975年東京都立大学法学部助教授、1989年同教授、2001-2003年法学部長、2005年定年退官、名誉教授、成蹊大学法学部教授。2012年、同大学特任教授、2015年特任教授を退職する。
若林 盛亮(わかばやし もりあき、1947年2月26日 - … 若林 盛亮(わかばやし もりあき、1947年2月26日 - )は、よど号グループのメンバー。 滋賀県草津市生まれ。滋賀県立膳所高等学校を経て同志社大学経済学部に入学。在学中、1970年によど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。 1976年に結婚し、妻である若林佐喜子と平壌に在住している。 現在も警察庁により指名手配されていると同時に国際刑事警察機構より国際手配されている。
冨士谷 英正(ふじたに えいしょう、1947年(昭和22年)… 冨士谷 英正(ふじたに えいしょう、1947年(昭和22年)1月29日 - )は、日本の政治家。近江八幡市議会議員(通算2期)。元近江八幡市長。元滋賀県議会議員(4期)。 生家は近江八幡市内の寺院であり、冨士谷自身も真宗佛光寺派の僧籍を持っている。
加藤 進(かとう すすむ、1947年1月21日 - )は、フ… 加藤 進(かとう すすむ、1947年1月21日 - )は、フリーアナウンサー。元広島テレビ(HTV)アナウンサー。滋賀県大津市出身。 中学2年の時に広島市へ転居。広島大学を卒業後、1969年に広島テレビへ入社。プロ野球などスポーツ中継を担当した。また、報道制作局アナウンス部長を務めた。 広島東洋カープの地元広島でリーグ優勝した試合のテレビ中継実況を2回やっている(昭和54年(1979年)10月6日 阪神戦 広島市民球場 / 平成3年(1991年)10月13日 阪神戦 広島市民球場)。 広島東洋カープがチームで新幹線で移動中に優勝を迎えた時にその瞬間を同乗していた加藤がリポートした。 日本シリーズ第8戦をテレビ中継実況したのは2018年11月現在、加藤だけである。
廣岡 義隆(ひろおか よしたか、1947年1月18日 - )… 廣岡 義隆(ひろおか よしたか、1947年1月18日 - )は、日本の国文学者。三重大学名誉教授。『万葉集』など上代文学が専門。 福井県大飯郡大飯町(現・おおい町)生まれ。1965年滋賀県立彦根東高等学校卒業、1969年三重大学教育学部中学校教員養成課程卒業、1973年大阪大学大学院文学研究科修士課程修了、追手門学院高等学校教諭。1975年園田学園女子大学講師、1977年4月三重大学教育学部助手、10月講師、1978年助教授、1983年同人文学部助教授、1989年教授、2010年定年退任、名誉教授。 2004年「上代の言語に関する動態論的考察」で大阪大学より博士(文学)の学位を取得。
坂東 國男(ばんどう くにお、1947年1月10日 - )は… 坂東 國男(ばんどう くにお、1947年1月10日 - )は、日本のテロリスト、新左翼活動家。共産主義者同盟赤軍派兵士を経て連合赤軍に合流。あさま山荘事件で逮捕後、クアラルンプール事件によって日本赤軍に参加した。 滋賀県大津市生まれ。生家は東海道本線(琵琶湖線)石山駅前で旅館を営んでいた。滋賀県立膳所高等学校卒業。防衛大学校を志望したが色覚異常のため断念。 1966年に京都大学農学部林学科に入学するがのちに退学。1971年代に赤軍派の坂東隊として、植垣康博、山崎順らを率いてM作戦(金融機関強盗)を行った。赤軍派が京浜安保共闘と統一し連合赤軍となると、連合赤軍中央委員に就任。連合赤軍での序列は5位。
野本 博(のもと ひろし、1947年1月 - )は、日本の俳… 野本 博(のもと ひろし、1947年1月 - )は、日本の俳優。本名同じ。 滋賀県彦根市生まれ。劇団東芸に所属していた。 父親は長野県、母親は熊本県出身。3歳の時に北海道へ移住し、1965年、北海道立天塩高校卒業。千葉工業大学工業化学科入学。1969年卒業。在学中、1968年に劇団東芸に入団して研究生となり、1970年、日本テレビのホームドラマ『うちのおとうさん』に、板前のサブ役でレギュラー出演。 趣味はギター、歌唱。1971年当時は森山周一郎が在籍する草野球チーム「東京ライターズ」に所属していた。 子供を田舎で育てたいとの一念で1975年、杉並区荻窪から春日部市へ移住。祭友会会長を務め、町会の理事になり、2012年より副会長、事務局長を務める。
加藤 吉治郎(かとう きちじろう、1947年1月 - )は、… 加藤 吉治郎(かとう きちじろう、1947年1月 - )は、日本のラジオ番組・テレビ番組制作ディレクター、作曲家、音楽プロデューサー、著作家、メディアコーディネーター、実業家。 滋賀県出身。別名 弟子 吉治郎(でし きちじろう)。 「吉」の正確な表記は「」(「土」の下に「口」、つちよし)である。 生家は米原市でまんじゅう店を営んでいた。彦根東高校、関西学院大学卒業。中部日本放送 (CBC) 入社後、ラジオ番組のディレクターなどとして活動。1974年、自身がディレクターを担当していた番組『ばつぐんジョッキー』の企画より、地元名古屋市を本拠地とするプロ野球球団・中日ドラゴンズの応援歌『燃えよドラゴンズ!』(作詞・作曲:山本正之。
高田 信良(たかだ しんりょう、1947年 - )は、日本の… 高田 信良(たかだ しんりょう、1947年 - )は、日本の宗教哲学者。龍谷大学名誉教授。博士(文学)。 滋賀県守山市出身。同市の真宗木辺派西蓮寺の長男として生まれる。
宮城美智子(みやぎ みちこ、1947年 - )は、収納コーデ… 宮城美智子(みやぎ みちこ、1947年 - )は、収納コーディネーター・スッキリ生活アドバイザー。滋賀県長浜市出身。元アート引越センターエプロンサービス担当部長。 引っ越し時の整理整頓や収納に関して、現場に何度も足を運ぶことで顧客のニーズを掴み、「片付けサービス業として確立させた。」一万人以上ノモデルケースを知る。現在は収納講師としての育成と優良企業と提携しモデルルーム収納アドバイザー、公演活動を中心にTV・雑誌に活躍中。 アート引越しセンターを60歳で退職した後、独立。ハート引越しセンターにて収納コーディネーター サポートレディ講師をつとめている。講演会や執筆活動、若返り片付け術(朝日新聞出版)片付けスイッチがONになる本(主婦の友社)「ため込む」と「老け込む」は一緒。
シュウゾウ・アヅチ・ガリバー(Shuzo Azuchi Gu… シュウゾウ・アヅチ・ガリバー(Shuzo Azuchi Gulliver, 1947年 - )は、日本の現代アート作家・芸術家。オブジェ、版画、写真、パフォーマンス、インスタレーションによる表現活動を主体とする。本名安土修三。 滋賀県大津市出身。滋賀県立膳所高等学校卒業。1967年立命館大学文学部哲学科中退。同年に作家集団「PLAY」に参加。彼のロジカルな作風は、国内よりも海外での評価の方が高く、作品の発表もオランダ、イタリア、ドイツなどヨーロッパで行われる場合が多い。 1990年代からは、ヨーロッパの大学を始め、国内でも慶應義塾大学、東京大学、立命館大学で講師を務めている。
長浜 博之(ながはま ひろゆき、1946年9月19日 - )… 長浜 博之(ながはま ひろゆき、1946年9月19日 - )は、日本の調教師。調教師引退まで日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属していた。中京商業高等学校(現在の中京大学附属中京高等学校)、中京大学卒業。父は調教師の長浜彦三郎。戸籍上は長濱博之。 騎手であった父・彦三郎が中京競馬場所属厩舎に移籍したため、幼少時に同競馬場がある愛知県豊明市に移住。博之は子供の頃から運動好きで、中学時代の担任の勧めで中京商業に進学し、当初は陸上部に所属。しかし同じグランドで練習していたラグビー部の様子を見て「ボールを持って走るほうが面白そう」との理由でラグビー部に転部した。そのまま大学もラグビーやりたさに中京大学に進学する(ラグビー部の特待生だった)。
岡林 信康(おかばやし のぶやす、1946年〈昭和21年〉7… 岡林 信康(おかばやし のぶやす、1946年〈昭和21年〉7月22日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター。血液型はO型(本人はA型に近いO型と語っている)。滋賀県近江八幡市出身。 実家は教会で、父親は牧師。現在は京都府亀岡市在住。 父の岡林勝治は新潟県の出身で、30歳まで新潟で農業をしていた。しかし、閉鎖的な村社会が嫌になって故郷を飛び出し、滋賀県の紡績工場に就職。その時期に宣教師のウィリアム・メレル・ヴォーリズに出会い、牧師となるため大阪の神学校に通った後、近江八幡市の田んぼのど真ん中に西洋建築の教会を建てた(近江金田教会の礼拝堂は現存し、2012年(平成20年)に国の登録有形文化財に登録されている)。
鵜飼 康東(うかい やすはる、1946年6月20日 - )は… 鵜飼 康東(うかい やすはる、1946年6月20日 - )は、日本の経済学者、歌人。関西大学名誉教授。President, The Society of Socionetwork Strategies。現代歌人協会会員。日本文藝家協会会員。滋賀県出身。
古谷 道生(ふるたに みちお、1946年(昭和21年)2月1… 古谷 道生(ふるたに みちお、1946年(昭和21年)2月16日 - 2000年(平成12年)7月19日)は信楽焼の陶芸家。滋賀県出身。内田邦夫に師事。信楽と伊賀に生涯30基以上の窯を築き、窯の改造など焼き物作りを探求、初めての築窯は、滋賀・三重県境にある「五位の木」古窯を参考にした。 日本伝統工芸展・日本陶芸展・中日国際陶芸展 等多数入選。秀明文化財団より秀明文化基金賞受賞。 絵画 - 彫刻 - 塑像 - 工芸 - デザイン - イラストレーション - 絵本 - 漫画 - 書道 - 版画 - 写真 - 映像・映画・アニメ - 舞台芸術 - 建築 - 庭園 - コンピュータアート - デジタルアート ウィキポータル:美術 - デザイン - 写真 - 漫画 - 映画 - アニメ - 舞台芸術 - ファッション - 建築
猪木 武徳(いのき たけのり、1945年9月22日 - )は… 猪木 武徳(いのき たけのり、1945年9月22日 - )は、日本の経済学者。国際日本文化研究センター名誉教授、大阪大学名誉教授。専門は、労働経済学・経済思想・経済史。サントリー学芸賞(政治・経済部門)、読売・吉野作造賞選考委員。
木村 皓一(きむら こういち、1945年2月23日 - )は… 木村 皓一(きむら こういち、1945年2月23日 - )は、ベビー・子供服メーカーであるミキハウスグループとして知られる三起商行の創業者である。滋賀県彦根市出身。 関西大学経済学部に進学するも、1965年に大学二年時で中退した後、高校時代からアルバイトをしていた野村証券に入社。1970年に父の経営する大阪の婦人服メーカーに入社し、アパレル事業の実務を学ぶ。1971年に大阪府八尾市でベビー・子供服製造卸「三起産業」として創業。7年後の1978年に三起商行を設立。
川端 達夫(かわばた たつお、1945年〈昭和20年〉1月2… 川端 達夫(かわばた たつお、1945年〈昭和20年〉1月24日 - )は、日本の政治家。国民民主党顧問。 衆議院議員(10期)、民主党国会対策委員長、民主党幹事長(第6代)、文部科学大臣(第12・13代)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策)、総務大臣(第15代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)、内閣府特命担当大臣(地域主権推進)、民社協会理事長、衆議院副議長(第66代)などを歴任、国民民主党顧問。 滋賀県蒲生郡(現・近江八幡市)生まれ。生家は薬局を営んでいた。滋賀県立彦根東高等学校、京都大学工学部卒業。京都大学大学院工学研究科修士課程修了後、東レに入社した。開発研究に携わる傍ら、労働組合運動にも取り組んだ。
八田武志(はった たけし、1945年- )は、日本の心理学者… 八田武志(はった たけし、1945年- )は、日本の心理学者、名古屋大学名誉教授、関西福祉科学大学学長。専門は神経心理学。長年にわたり左右脳研究の第一線で活躍してきた。2013年の著書『「左脳・右脳神話」の誤解を解く』では、脳研究の歴史的な流れを解説。2つの神話「右脳神話」「日本人の脳神話」が生まれた要因を分析し、誤った科学情報を生み出さないために必要なことを考察した。 1945年滋賀県小谷村生まれ。滋賀県立虎姫高等学校卒、1968年大阪市立大学哲学科心理学専攻卒業。1981年「大脳半球機能差に関する研究」で文学博士。1990年に大阪教育大学心理学教室教授、1994年に名古屋大学情報文化学部教授、2008年に名古屋大学名誉教授、関西福祉科学大学教授。
夏原 平和(なつはら ひらかず、1944年9月15日 - 2… 夏原 平和(なつはら ひらかず、1944年9月15日 - 2021年12月20日)は、日本の実業家。平和堂代表取締役会長、日本チェーンストア協会副会長、日本スーパーマーケット協会副会長。 「平和堂」という商号の由来となった人物でもある。 滋賀県彦根市出身。のちに平和堂を創業する夏原平次郎の長男として生まれる。滋賀県立彦根東高等学校を経て、1968年3月同志社大学法学部卒業。1968年4月平和堂入社。1970年取締役、1975年専務取締役、1983年副社長に就任。1989年に代表取締役社長、2017年に代表取締役会長に就任。この他、平和堂も出資・加盟する日本流通産業の代表取締役社長や、日本チェーンストア協会副会長、日本スーパーマーケット協会副会長も務めた。
奥村 展三(おくむら てんぞう、1944年(昭和19年)8月… 奥村 展三(おくむら てんぞう、1944年(昭和19年)8月10日 - )は、日本の元政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、新党さきがけ幹事長、民主党総務委員長、(旧)国民民主党滋賀県連顧問、文部科学副大臣(スポーツ、科学技術担当)(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、滋賀県議会議員(4期)などを歴任。 滋賀県甲賀郡(現・湖南市)生まれ。1973年(昭和38年)3月、滋賀県立甲賀高等学校(現滋賀県立水口高等学校)卒業。1976年(昭和41年)3月、立命館大学文学部中退。 1968年に甲賀高校野球部監督として第40回選抜高等学校野球大会に出場。水口青年会議所理事長を経て、1976年に甲西町議会議員に初当選。
三品 昌美(みしな まさよし、1944年7月24日 - )は… 三品 昌美(みしな まさよし、1944年7月24日 - )は、日本の医化学者、神経生理学者。 主な業績はシナプス分子と記憶・学習に関する研究で、グルタミン酸受容体の仕組みの発見など、脳の記憶や学習機能の解明に貢献した。 滋賀県守山市出身。工学博士(京都大学、1977年)。 滋賀県立膳所高等学校卒業。1971年、京都大学工学部工業化学科卒業。1976年、京都大学大学院工学研究科博士課程単位修得退学。 1978年、ドイツ・エアランゲン=ニュルンベルク大学生化学研究所 研究員。1980年、スイス・チューリッヒ大学分子生物学研究所 研究員。 1981年、京都大学医学部 助教授。1990年、新潟大学脳研究所 教授。
土川 健之(つちかわ けんじ、1944年6月28日 - )は… 土川 健之(つちかわ けんじ、1944年6月28日 - )は、日本の獣医師。日本中央競馬会(JRA)理事長(第14代)。
小林 敬生(こばやし けいせい、本名読み:たかお、1944年… 小林 敬生(こばやし けいせい、本名読み:たかお、1944年1月26日 - )は、日本の版画家。 極薄で半透明の雁皮紙(和紙)に、木口木版で作成した精密な複数の版木を組み合わせた、空間表現が特徴。「鏡貼り」の手法等を駆使することにより、書籍の挿絵や絵本の印刷に用いられていた「木口木版」の作品の大型化を実現した。 と続き、一貫して、多様な生命と文明の調和への壮大なストーリーを描き出している。
三久保 角男(みくぼ すみお、1943年10月6日 - )は… 三久保 角男(みくぼ すみお、1943年10月6日 - )は、中部日本放送の元アナウンサー。
小堀 泰巖(こぼり たいがん、1943年4月13日 - )は… 小堀 泰巖(こぼり たいがん、1943年4月13日 - )は、日本の臨済宗の僧。俗姓は小堀。法諱は宗運(そううん)。 師の例にならい、室号は用いない。2024年時点では臨済宗建仁寺派管長を務める。 滋賀県長浜市出身。滋賀県長浜市に近江孤峰庵住職の小堀定泰の長男として生まれた。 大徳寺派の廣徳寺(東京都練馬区)住職、福富以清のもとに預けられ、小僧生活を送る。同年同時期、後に大徳寺派第15代管長となる高田明浦も廣徳寺の門を叩いて入門しており、ともに幼少期を過ごす。大正大学仏教学部を卒業した。 1966年、鎌倉の建長僧堂に掛搭する。湊素堂に師事し、参禅弁道の修行生活を過ごす。 1980年、素堂が京都建仁寺へと移るにあたり、その付人として建仁僧堂へ転錫。
三條 正人(さんじょう まさと、1943年〈昭和18年〉1月… 三條 正人(さんじょう まさと、1943年〈昭和18年〉1月30日 - 2017年〈平成29年〉10月5日)は日本の歌手である。本名は渡辺正好(わたなべ まさよし)。滋賀県大津市出身。 鶴岡雅義と東京ロマンチカのメインボーカリスト。妻は女優の香山美子。 1943年(昭和18年)1月30日、滋賀県大津市に生まれる。滋賀県立膳所高等学校卒業。法政大学在学中にコーラスグループを結成し、ダンスホールでプロ歌手として活動を始める。山下洋治とムーディスターズに所属する。 1967年(昭和42年)、鶴岡雅義に請われ、男性歌謡コーラスグループ「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」のリードボーカルとして迎え入れられた。『小樽のひとよ』でレコードデビューし、大ヒットとなる。
中村 義博(なかむら よしひろ, 1942年 - )は、日本… 中村 義博(なかむら よしひろ, 1942年 - )は、日本の外交官。 ザンビア駐箚特命全権大使、ウルグアイ駐箚特命全権大使を歴任した。 滋賀県大津市出身。1966年、外務省入省に伴い、京都大学法学部中退。外務省派遣で米国ダートマス大学 (経済学専攻)卒業。外務省官房査察室長、欧亜局大洋州課長、在ロサンゼルス総領事館首席領事、その他, オーストラリア大使館、ジュネーブ軍縮代表部、イラク大使館勤務の後、ユーゴスラビア公使・代理大使を経て、1997年から2000年までザンビア大使、2002年から2005年までウルグアイ大使等を歴任した。その間、原子力問題(2年)、資源・エネルギー問題(2年)、中東産油国問題(2年)、軍縮問題(2年)等担当。
西村 光人(にしむら こうじん、1942年 - )は、日本画… 西村 光人(にしむら こうじん、1942年 - )は、日本画家。滋賀県大津市生まれ。晨鳥社に入塾し、山口華楊に師事する。風景画を得意とする。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
大原 康男(おおはら やすお、1942年 - )は、日本の宗… 大原 康男(おおはら やすお、1942年 - )は、日本の宗教学者。國學院大學名誉教授。専門は宗教行政・政教問題。博士(神道学)。
目片 信(めかた まこと、1941年(昭和16年)11月1日… 目片 信(めかた まこと、1941年(昭和16年)11月1日 - 2020年(令和2年)12月8日)は、日本の政治家。大津市長(2期)、衆議院議員(1期)、滋賀県議会議員(2期)などを歴任した。 市長在任中に志賀町との合併を果たした。栗東新駅問題には反対の立場をとった。二級建築士。 滋賀県大津市で生まれ育つ。同市北大路在住。実母を生まれてすぐに亡くし、「育ててくれた母とか『母』と名のつく人が、3・4人」いたという。1960年3月、比叡山高等学校卒業。同年、父・目片四郎が経営する目片工務店へ入社し、1965年に専務となる。1986年5月1日、父に代わって代表取締役社長へ就任。1991年3月28日からは妻の目片淑子に社長職を譲り、相談役となった。
宝月 誠(ほうげつ まこと 寳月誠 1941年9月26日 -… 宝月 誠(ほうげつ まこと 寳月誠 1941年9月26日 - )は、日本の社会学者。京都大学名誉教授。逸脱研究、シカゴ学派の社会理論研究で知られる。 滋賀県生まれ。滋賀県立彦根東高等学校、1966年京都大学教育学部卒業。高校教員を経て、1969年京都大学大学院文学研究科修士課程修了。大阪府立大学に着任後、京都大学文学部助教授、教授、2005年定年退官、京都大学名誉教授。1990年「逸脱論の研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。京都大学を退職後、立命館大学産業社会学部教授、2007年3月同大学を退職。
岩永 峯一(いわなが みねいち、1941年〈昭和16年〉9月… 岩永 峯一(いわなが みねいち、1941年〈昭和16年〉9月5日 - )は、日本の政治家。 農林水産大臣(第38・39代)、農林水産副大臣(第2次小泉改造内閣)、総務大臣政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、農林水産大臣政務官(第1次小泉内閣)、衆議院議員(4期)、滋賀県議会議長、滋賀県議会副議長、滋賀県議会議員(5期)、信楽町議会議員(1期)などを歴任。 滋賀県立甲賀高等学校(現在の滋賀県立水口高等学校)卒業。中央大学法学部中退。1971年、滋賀県信楽町(現在の甲賀市)町議となる。1975年、滋賀県議会議員となり、5期務める。この間、1988年から1989年に同議会副議長、1990年から1991年に同議長を務めた。
林 勝(はやし まさる、1941年7月16日 ‐ 2025年… 林 勝(はやし まさる、1941年7月16日 ‐ 2025年9月14日)は、日本の高校野球指導者。滋賀県出身。現役時代は捕手、外野手。 滋賀県立伊香高等学校では春季近畿大会でベスト4まで進出した経験はあるが、甲子園大会とは無縁だった。中京大学に進学したが1年で退学し、日本大学に再入学した。日大野球部では外野手として1試合しか出場できなかった。 1965年に卒業して帰郷、創立4年目の滋賀県立能登川高等学校に保健体育教師として赴任。翌年から野球部監督に就任し、1975年の第47回選抜高等学校野球大会に同校を甲子園初出場させた。 1978年に開校3年目の滋賀県立長浜高等学校に転じ、野球部監督に就任。1年目は練習試合を含めて18戦全敗に終わったが、1984年の第66回全国高等学校野球選手権大会に同校を導き、初戦の岩手県立大船渡高等学校戦で自身甲子園初勝利も記録した。
西村 吉正(にしむら よしまさ、1940年(昭和15年)12… 西村 吉正(にしむら よしまさ、1940年(昭和15年)12月15日 - 2019年(令和元年)9月8日)は、日本の官僚。元大蔵省銀行局長。早稲田大学教授。博士(学術)。滋賀県大津市出身。瑞宝中綬章受章者。
獅山 向洋(ししやま こうよう、1940年(昭和15年)11… 獅山 向洋(ししやま こうよう、1940年(昭和15年)11月2日 - 2024年(令和6年)8月3日)は、日本の政治家、弁護士、検察官。滋賀県彦根市長(通算3期)、彦根市議会議員(通算4期)、聖泉大学・聖泉短期大学理事長を務めた。 滋賀県彦根市出身。彦根市立城西小学校、彦根市立西中学校、滋賀県立彦根東高等学校を経て、1964年3月、京都大学法学部卒業。司法試験に合格し、神戸地方検察庁検事を経て、1969年に弁護士登録した。日本弁護士連合会理事を務める。 1979年、彦根市議会議員選挙に立候補し、初当選する。1985年、彦根市長選挙に立候補したが、現職の井伊直愛に敗れ、落選する。1989年の市長選に再出馬し、10期目を目指していた井伊を下して当選した。
井上 隆雄(いのうえ たかお、1940年(昭和15年)7月2… 井上 隆雄(いのうえ たかお、1940年(昭和15年)7月21日 - 2016年(平成28年)7月21日)は、日本の写真家。日本写真家協会・日本ペンクラブ・民族芸術学会・日本写真学会、各会員。滋賀県大津市出身。 1965年(昭和40年)京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)卒業、1973年(昭和48年)写真家として独立。 2016年(平成28年)7月21日、肺炎のため京都市内の病院で死去、享年76歳。 主に民族芸術・仏教美術・生活などを企画撮影し、アジアを中心に世界各地を撮影した後、京都を中心に取材を重ねた。自然の撮影もライフワークの一つだった。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
近藤 達夫(こんどう たつお、1940年(昭和15年)6月1… 近藤 達夫(こんどう たつお、1940年(昭和15年)6月13日 - 令和3年8月 )は、日本の言語学者。 大阪外国語大学(現・大阪大学)名誉教授。滋賀県犬上郡多賀町出身。 1959年(昭和34年)、滋賀県立彦根東高等学校卒業。1966年(昭和41年)、大阪外国語大学外国語学部英語学科卒業。1968年(昭和43年)、京都大学大学院文学研究科言語学専攻修士課程修了。1974年(昭和49年)、同博士課程単位取得満期退学。 1974年(昭和49年)、神戸市外国語大学外国語学部講師(言語学、音声学)、1975年(昭和50年)助教授、同時に神戸市外国語大学大学院外国語研究科において授業、研究指導にあたる。
吉居 亨(よしい とおる、1940年1月2日 - 2017年… 吉居 亨(よしい とおる、1940年1月2日 - 2017年1月13日)は、日本の経営者。山善社長を務めた。滋賀県米原市出身。 1963年に金沢大学法文学部を卒業し、同年に山善に入社。 1986年12月に取締役に就任し、1991年4月に常務、1999年5月に専務を経て、2001年6月に副社長に就任し、2003年4月には社長に昇格。2014年10月には会長に就任。 2017年1月13日肺ガンのために死去。77歳没。
国松 俊英(くにまつ としひで、1940年 - )は、日本の… 国松 俊英(くにまつ としひで、1940年 - )は、日本の児童文学作家。 日本児童文学者協会、日本児童文芸家協会、日本野鳥の会、宮沢賢治学会会員。 滋賀県守山市生まれ。滋賀県立八幡商業高等学校、同志社大学商学部を卒業。上京して児童文学同人誌「ピノキオ」に加わり、童話創作を始める。砂田弘に師事し、1979年より文筆生活に入る。古田足日児童文学塾で学ぶ。 童話や児童小説を書く一方、ノンフィクション文学の世界で新しい分野を切り開いて活躍している。1996年に発表した「宮沢賢治 鳥の世界」では、賢治の童話や詩に登場する鳥類を解析し、これまで誰も書かなかった賢治文学の魅力を明らかにした。また1996年出版の「鳥を描き続けた男 - 鳥類画家・小林重三」では、博物画家として大きな仕事を世に残した動物画家・小林重三の生涯と仕事を発掘して注目を集めた。
澤田 軍治郎(さわだ ぐんじろう、1940年 - )は、大阪… 澤田 軍治郎(さわだ ぐんじろう、1940年 - )は、大阪教育大学名誉教授。 滋賀県高島市生まれ。滋賀県立高島高等学校卒業。1964年大阪外国語大学ロシア語学科卒業。1967年京都大学大学院修士課程社会学専攻修了。高野山大学を経て、1972年から2005年まで大阪教育大学にて教鞭を執る。その後、大阪総合保育大学教授を歴任。
鵜飼 武彦(うかい たけひこ、1939年12月21日 - )… 鵜飼 武彦(うかい たけひこ、1939年12月21日 - )は、日本の慈善活動家。男性。 滋賀県甲賀市出身。甲賀忍者甲賀二十一家荘内三家の内の一家鵜飼党本家鵜飼孫六の直系16代目、勝山より7代目、玄達より11代目、鵜飼舎杖より12代目の直系の子孫。生家は代々医家(博天堂医院)を営む。15代鵜飼晃の3男としてに生まれる。滋賀県立膳所高等学校を卒業後、株式会社高島屋に就職。一般社団法人恵水会、株式会社恵水会等を運営し障がい者福祉に尽力している。 高校卒業後、髙島屋に勤務。定年後はユニマットライフ顧問、鵜飼行政法務事務所所長、有限会社ユーアイシー代表取締役、株式会社恵水会取締役社長、特定非営利活動法人あけぼの会理事長、一般社団法人恵水会理事長、特定非営利活動法人健康倶楽部緑の会理事長、株式会社恵水会社長を務める。
西川 恭爾(にしかわ きょうじ、1939年7月12日 - )… 西川 恭爾(にしかわ きょうじ、1939年7月12日 - )は、日本の実業家。阪神電気鉄道相談役・元社長。 滋賀県彦根市出身。滋賀県立彦根東高等学校、京都大学卒業。京都大学大学院工学研究科(土木工学専攻)修了後の1965年に国鉄へ入社した。大阪駅再開発事業や東北新幹線上野乗り入れ事業にあたるなど、国鉄技術部門の中核を担った。1986年3月、阪神電鉄へ入社した。西梅田開発部長、鉄道事業本部長などを歴任し、2004年6月に代表取締役社長に就任した。その他には朝日放送取締役なども務めた。 しかし、村上ファンドによる株主大量取得事件が発生し、当時の代表取締役会長だった手塚昌利とともに引責辞任をし、相談役へ退いた。