有本 国蔵(ありもと くにぞう、有本 國蔵とも。1860年 … 有本 国蔵(ありもと くにぞう、有本 國蔵とも。1860年 - 1944年1月10日)は、丹後国加佐郡舞鶴(現・京都府舞鶴市)出身の実業家・篤志家・政治家。1908年(明治41年)から1912年(大正元年)まで衆議院議員を1期務めた。1927年(昭和2年)に紺綬褒章を受章し、1929年(昭和4年)に緑綬褒章を受章。 生家は丹後国加佐郡舞鶴(現・京都府舞鶴市)にあった平野屋。1860年(万延元年)に四男として生まれた。父親は嘉助、母親は京子。12歳だった1871年(明治4年)には丹後田辺藩の元藩主である牧野弼成が経営する審致舎に丁稚奉公したが、審致舎が解散すると1877年(明治10年)に大阪に出て、長兄の賀三が経営する洋酒店兼洋服店に勤めた。
喜多川 孝経(孝經、きたがわ たかつね、1859年5月7日(… 喜多川 孝経(孝經、きたがわ たかつね、1859年5月7日(安政6年4月5日)- 1930年(昭和5年)11月2日)は、明治から大正期の農業経営者・実業家・政治家。衆議院議員。幼名・奈良蔵。 山城国綴喜郡田辺村沓脱(京都府綴喜郡田辺村大字田辺小字沓脱、田辺町を経て現京田辺市田辺沓脱)で、南山郷士、庄屋、農業・喜多川喜右衛門の長男として生まれる。沢辺正脩、大亦俊に師事し、皇学、漢学、詩文を修めた。農業を営む。 1881年(明治14年)7月、有志と南山義塾を設立し、同年10月、初代副社長となり、1883年(明治16年)4月、伊東熊夫の後継社長に就任し1884年(明治17年)3月まで在任。のち同塾の組織を改編して京都府立三山木中学校を設立する際にも尽力した。
芦田 鹿之助(あしだ しかのすけ、1857年8月7日(安政4… 芦田 鹿之助(あしだ しかのすけ、1857年8月7日(安政4年6月18日)- 1928年(昭和3年)4月30日)は、明治期の地主・銀行家・政治家。衆議院議員、京都府天田郡初代中六人部村長。号・光月。元首相の芦田均の父。 丹波国天田郡宮村(京都府天田郡中六人部村字宮を経て現福知山市)で、大地主、大庄屋・芦田治左衛門の長男として生まれる。綾部藩の近藤寡斎、沢井広重などに師事し、綾部藩郷学校・広畔堂で修学。その後、京阪に遊学した。 1875年(明治8年)3月、豊岡県の天田郡宮村用掛に就任し、さらに同県第十七大区四小区副戸長を務めた。1876年(明治9年)天田郡が京都府に編入され、同年10月、天田郡第一区副区長兼学区取締となる。
7代 羽室 嘉右衛門(嘉右衞門、はむろ かうえもん / かえ… 7代 羽室 嘉右衛門(嘉右衞門、はむろ かうえもん / かえもん、1856年12月26日(安政3年11月29日)- 1924年(大正13年)8月25日)は、明治から大正期の地主・農業経営者・酒造家・実業家・政治家。京都府多額納税者、第一期及び第二期貴族院多額納税者議員互選人。衆議院議員、京都府何鹿郡中筋村長。幼名・逸郎、松逸郎。 郡是製絲株式会社(現・グンゼ株式会社)初代社長、明瞭銀行頭取。郡是製絲株式会社の第2代社長波多野鶴吉は次弟。比叡山鉄道株式会社初代社長、愛宕山鉄道株式会社取締役で京都法政学校(現・立命館大学)設立評議員・理事の羽室亀太郎は末弟。羽室亀太郎の妻ゆうは衆議院議員河原林義雄の妹。
石黒 涵一郎(いしぐろ かんいちろう、嘉永7年1月3日(18… 石黒 涵一郎(いしぐろ かんいちろう、嘉永7年1月3日(1854年1月31日) - 大正6年(1917年)10月2日)は、日本の衆議院議員(憲政党→立憲政友会)、弁護士、教育者。 丹後国加佐郡舞鶴出身。丹後田辺藩士の家に生まれ、藩校明倫館に学んだ後、大阪兵学寮に入った。その後、法律を学び、1876年(明治9年)に代言規則が発布されると、免許を得て代言人となった。豊岡、大阪で開業した後、1879年(明治12年)に岡山に移住した。 1882年(明治15年)に山陽自由党を結成して自由民権を唱え、1885年(明治18年)には大阪事件の被告の弁護にあたった。その後、大同団結運動がおきると積極的に参加して、岡山に大同倶楽部を組織した。
田中 源太郎(たなか げんたろう、嘉永6年1月3日(1853… 田中 源太郎(たなか げんたろう、嘉永6年1月3日(1853年2月10日) - 大正11年(1922年)4月3日)は、京都府旧桑田郡亀山北町生まれの政治家、実業家。1869年亀岡陸運を創業、のちに京都株式取引所、京都商工銀行、亀岡銀行の各頭取などを務めた。衆議院議員当選3回(1、2、3回総選挙)、貴族院多額納税者議員。 丹波国桑田郡亀山北町(現在の京都府亀岡市)に、田中蔵一の次男として生まれたが、兄が早くに亡くなったため田中家の家督を継ぐべく英才教育を受けて育った。北村龍象の私塾学半堂や横井忠直、山本覚馬らにも師事し、儒学、政治経済など幅広い分野を成績優秀で修めたとされる。田中家は代々亀山藩の御用商人として取り立てられた商家として栄え、父・蔵一は櫓奉行格に取り立てられ、会計方として亀山藩に仕えていた人物であったため、源太郎も経済界で活躍することを期待されて育った。
13代 上野 弥一郎(彌一郎、うえの やいちろう、1850年… 13代 上野 弥一郎(彌一郎、うえの やいちろう、1850年9月10日(嘉永3年8月5日)- 1929年(昭和4年)6月4日)は、明治から大正期の農業経営者・政治家・実業家。衆議院議員、京都府会議長。幼名・弥寿次郎、諱・宗愛。号・舟陵、玉裁、青藍。 丹後国加佐郡西方寺村(京都府加佐郡岡田中村字西方寺、加佐町を経て現舞鶴市西方寺)で、代々当主が弥一郎を襲名し大庄屋を務めた上野家の12代上野弥一郎(隠居名・一良)、増子の二男として生まれる。兄が夭折し慶応4年1月(1868年)家督を相続し13代弥一郎を襲名。梅垣秀和の塾で学び、さらに親族・岸本玄甫宅に住み込み漢籍・習字・算術を修め、その他、山口道一などに師事して漢籍を学んだ。
田尻 稲次郎(たじり いなじろう、嘉永3年6月29日(185… 田尻 稲次郎(たじり いなじろう、嘉永3年6月29日(1850年8月6日) - 大正12年(1923年)8月15日)は、日本の経済学者・政治家・官僚。元東京市長。専修学校(専修大学の前身)の創始者の一人である。子爵。
芦原 甫(あしはら はじめ、嘉永3年1月30日(1850年3… 芦原 甫(あしはら はじめ、嘉永3年1月30日(1850年3月13日) - 大正7年(1918年)9月25日)は大日本帝国陸軍の軍人。陸軍中佐。乃木希典大将の副官、日露戦争で人事管理部長。 西南戦争にて当時軍曹だった芦原甫は負傷した乃木希典少佐を介助したことにより、命の恩人と称される。 副官時、乃木に面会に来た静子夫人を返した「乃木大将妻返しの松」が香川県善通寺市金倉寺にある。 養子芦原信之(医師)の四男がシャンソン評論家の芦原敏信(英了)、五男が建築家の芦原義信、その長男が芦原太郎、長男芦原勝(耳鼻科医)の孫が心療内科医の芦原睦、甫の孫が旅行作家の芦原伸。 この項目は、軍事上の人物に関連した書きかけの項目です。
伊東 熊夫(いとう くまお、1850年1月22日(嘉永2年1… 伊東 熊夫(いとう くまお、1850年1月22日(嘉永2年12月10日)- 1913年(大正2年)5月7日)は、明治時代の政治家・実業家・銀行家。新聞編集者。製茶業者。衆議院議員(1期)。 山城国綴喜郡上村(京都府綴喜郡普賢寺村 、田辺町を経て現京田辺市)で、庄屋、素封家・伊東喜蔵、チカの長男として生まれる。村塾で漢学を学び、その後は和漢の典籍を独学した。1868年(明治元年1月)に家督を相続。1876年(明治9年)ころ 沢辺正脩の田辺校に寄寓し、西川義延や喜多川孝経と共に地方民権や政治について議論を交わした。1878年(明治11年)儒者・山口正養を京都から招聘し田辺町に盍簪家塾を創立し、さらに1881年(明治14年)8月、三山木村に南山義塾を設立し、初代社長に就任した(1881年10月-1883年3月在任)。
田中 数之助(數之助、たなか かずのすけ、1849年9月10… 田中 数之助(數之助、たなか かずのすけ、1849年9月10日(嘉永元年8月13日)- 1924年(大正13年)4月7日)は、明治から大正期の酒造家、実業家、政治家。衆議院議員、京都府南桑田郡亀岡町長。旧姓・原田。 丹波国桑田郡西条村(京都府南桑田郡曽我部村字西条を経て現亀岡市曽我部町西条)で、大地主、農業・原田八六の二男として生まれる。1869年(明治2年4月)桑田郡亀岡北町(現:亀岡市北町)の田中蔵一の養子となり、1872年(明治5年2月)分家して安町(現:亀岡市安町)に一家を構えた。 その後、通称「新酒屋」と称される酒造業を営み、銘酒「天狗」の販売で知られた。1888年(明治21年)南桑田郡酒造組合長に就任し31年間在任。
石原 半右衛門(半右衞門、いしはら はんうえもん、1847年… 石原 半右衛門(半右衞門、いしはら はんうえもん、1847年3月25日(弘化4年2月9日)- 1930年(昭和5年)2月20日)は、明治期の文部官僚・政治家。衆議院議員。 丹波国船井郡大戸村(京都府船井郡川辺村字大戸、園部町を経て現南丹市園部町大戸)で、江戸幕府旗本滝川氏家臣、地役人・石原三左衛門の二男として生まれた。 明治維新後、文部属、大阪専門学校雇、岩手県尋常師範学校長、京都師範学校幹事、京都府船井郡長などを歴任。 また、川辺村会議員、京都府会議員、同常置委員、平安遷都千百年記念祭協賛会評議員、第4回内国勧業博覧会評議員を務めた。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙(京都府第5区、1890年7月、大成会)で初当選し、その後、第6回総選挙まで4回再選され、最後は三四倶楽部に所属して衆議院議員に通算5期在任した。
吉田 三右衛門(よしだ さんえもん、1847年(弘化4年9月… 吉田 三右衛門(よしだ さんえもん、1847年(弘化4年9月) - 1943年(昭和18年)8月23日)は、明治から昭和時代前期の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。京都府天田郡福知山町長。 丹波国天田郡福知山菱屋町(現京都府福知山市菱屋)に生まれる。先代の兄三右衛門の早逝により家督を相続する。1886年(明治19年)福知山銀行頭取に就任。ほか、福知山町会議員、同町長、京都府会議員を歴任した。 1890年(明治23年)京都府多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1897年(明治30年)9月28日まで在任した。
田宮 勇(たみや いさむ、1846年11月5日(弘化3年9月… 田宮 勇(たみや いさむ、1846年11月5日(弘化3年9月17日)- 1895年(明治28年)11月13日)は、明治期の農業経営者・政治家。衆議院議員。幼名・千太郎。号・松雨。 山城国綴喜郡上村(京都府綴喜郡普賢寺村大字上小字小田垣内、田辺町大字普賢寺を経て現京田辺市普賢寺)で、南山郷士、組頭、農業・田宮喜平次の長男として生まれる。相楽郡木津町の沢井石芸に師事し漢学を修めた。 1872年(明治5年9月)大区小区制の設置に伴い副区長に就任し1874年(明治7年)まで在任。1876年(明治9年)6月、西川義延の後任として地租改正事件郡総代人となり、事業終了の1877年(明治10年)7月まで務めた。
田村 宗立(たむら そうりゅう、弘化3年8月20日(1846… 田村 宗立(たむら そうりゅう、弘化3年8月20日(1846年10月10日) - 大正7年(1918年)7月10日)は、明治期の洋画家、画僧。別号に月樵、十方明。京都において浅井忠に先立って洋画普及の礎を築いた。 丹波国船井郡上河内村(現在の京都府南丹市園部町船岡)に田村宗貫と佐野忠左衛門の次女尚子との間に生まれる。宗立は僧名とする説もあるが、師・憲海は弟子に法諱を授ける際に「憲」の字を与えるのが基本で、父の名が宗貫な事や遺族の証言から戸籍名で、本名を法諱に転用した可能性が高い。公卿中山家に仕えた父に従い、幼時を京都、亀岡で過ごした。3歳ではじめて絵筆を持ち、9歳の時百人一首を模写して周囲を驚かせたという。
12代 稲葉 市郎右衛門(稻葉 市郎右衞門、いなば いちろう… 12代 稲葉 市郎右衛門(稻葉 市郎右衞門、いなば いちろうえもん、1846年9月14日(弘化3年7月24日)- 1915年(大正4年)7月8日)は、丹後国熊野郡久美浜村(現・京都府京丹後市)出身の地主・銀行家・政治家。衆議院議員。幼名・正吉、元服後は新一郎。稲葉市郎右衛門英裕(いなば いちろうえもんひでひろ)とも呼ばれる。 弘化3年7月24日(1846年9月14日)、丹後国熊野郡久美浜村(京都府熊野郡久美浜村、久美浜町を経て現京丹後市)に生まれた。父は地主である11代稲葉市郎右衛門太訓(餘庵)、母はりうであり、二男だった。稲葉家は糀屋を屋号とし、廻船業や金融業で富を成した豪商である。幼少期から出石藩の儒学者である島村弘輔と土岐新之丞に漢学を学んだ。
堀内 利国(ほりうち としくに、1844年8月19日(天保1… 堀内 利国(ほりうち としくに、1844年8月19日(天保15年7月6日) - 1895年(明治28年)6月18日)は日本陸軍の軍医。明治前半に熊本や大阪鎮台病院長などを務めた。当時の日本は脚気の流行が問題になっていたが、堀内利国は大阪鎮台において兵食を白米から麦飯に変えることで兵士の脚気をほとんどゼロになるまで減らし、脚気が麦飯で予防できることを日本で初めて実験的に証明した。 明治3年(1870年)に日本で初めての陸軍病院が大阪に設置され、堀内利国は軍事病院医官となった。堀内は軍事病院の外人教師・オランダ人医師ブッケンから医学を学んだ。日本に徴兵制が敷かれて地方から大阪に集まってくる兵が増えるにつれて、軍隊の中で脚気患者が目に見えて増大するようになった。
正木 安左衛門(安左衞門、まさき やすざえもん、1840年9… 正木 安左衛門(安左衞門、まさき やすざえもん、1840年9月27日(天保11年9月2日)- 1913年(大正2年)6月18日)は、明治期の地主、農業経営者、政治家。衆議院議員。幼名・徳三郎、徳次郎。 山城国乙訓郡今里村(京都府乙訓郡乙訓村字今里、長岡町を経て現長岡京市)で、地主、農業・正木安兵衛(旧姓・山脇)、りう(祖父・安兵衛長女)の長男として生まれる。漢学、詩文、法学、政経学を修めた。 1876年(明治9年)5月、乙訓郡第三区長に就任。兼学区取締、同郡第四組戸長兼学区取締、乙訓郡書記を歴任。1882年(明治15年)7月、京都府会議員に選出され、通算3期在任して、1892年(明治25年)2月に辞任。
伊藤 雋吉(いとう しゅんきち、1840年4月30日〈天保1… 伊藤 雋吉(いとう しゅんきち、1840年4月30日〈天保11年3月28日〉- 1921年〈大正10年〉4月10日)は、日本の海軍軍人、茶人、政治家。海軍中将正二位勲一等功三級男爵。 丹後田辺藩の下士、伊藤勝介の長男。丹後国加佐郡田辺城下(現在の京都府舞鶴市)に生まれる。幼少より学問に優れ、藩命により江戸に遊学して大村益次郎に師事し、兵学や数学を学ぶ。 明治維新の後、兵部省出仕、海軍操練所出仕、海軍兵学寮中教授(以上は文官)を経て、1871年(明治4年)、海軍少佐(武官)に任官すると同時に「春日」艦長。 「日進」副長を経て、1872年(明治5年)に海軍中佐に進級すると同時に「筑波 」艦長。その後、海軍兵学校監学課長、海軍兵学校長代理、海軍兵学校次長、「金剛」艦長を歴任し、1878年(明治11年)に海軍大佐に進級。
池坊 専正 (いけのぼう せんしょう、1840年2月17日〈… 池坊 専正 (いけのぼう せんしょう、1840年2月17日〈天保11年1月15日〉 - 1908年〈明治41年〉4月23日)は、華道池坊第42世家元。六角堂頂法寺 住職。名は正麿、号は長春館柳外。京都生まれ。 明治維新と東京奠都は、京都に本拠を置き、朝廷や武家と深い関係を築いてきた池坊に大きな変革を迫ることになる。京都では、奠都による衰退を防ぐために1872年(明治5年)から京都博覧会が開催されるようになり、門弟を引き連れて出瓶した。1877年(明治10年)には、内国勧業博覧会に立花・生花を出品した。 明治政府の学校令により、1879年(明治12年)から京都府女学校の華道教授に就任、女性に対するいけばな教育に力を注いだ。
出口 なお(でぐち なお、出口 直、1837年1月22日〈天… 出口 なお(でぐち なお、出口 直、1837年1月22日〈天保7年12月16日〉 - 1918年〈大正7年〉11月6日)は、新宗教「大本」の二大教祖の一人。大本での呼称は開祖。 出口なお(以下、なおと表記)は、江戸時代末期から明治時代中期の極貧の生活の中で日本神話における高級神「国常立尊(艮の金神)」の神憑り現象を起こした。当時、天理教の中山みきなどの神憑りが相次いでおり、なおの身に起ったことも日本の伝統的な巫女やシャーマニズムに属する。当初は京都丹波地方の小さな民間宗教の教祖にすぎなかったが、カリスマ的指導者で霊能力者である出口王仁三郎を娘婿としたことで、なおの設立した教団である「大本」は全国及び海外に拡大した。
有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう、天保… 有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう、天保6年2月19日〈1835年3月17日〉- 明治28年〈1895年〉1月15日)は、江戸時代後期・明治時代の日本の皇族、政治家、軍人。雅号は初め泰山、後に霞堂。階級勲等功級は陸軍大将大勲位功二級。世襲親王家の有栖川宮第9代当主。 有栖川宮幟仁親王(霊元天皇玄孫)の第一王子で、幼名は歓宮(よしのみや)。生母は家女房の佐伯祐子。官職は任命順に、大宰帥、国事御用掛、政府総裁、明治政府総裁、東征大総督、兵部卿、福岡藩知事(後に県知事、県令)、元老院議官(後に議長)、鹿児島県逆徒征討総督、左大臣、陸軍参謀本部長、参謀総長、神宮祭主。 和宮親子内親王と婚約していたことで知られるが、徳川幕府の権力失墜に伴い、公武合体を余儀なくされた幕府が公武合体を国内外に誇示するための実績として和宮は降嫁し、徳川将軍第14代徳川家茂と結婚した。
伊丹 重賢(いたみ しげかた、文政13年11月17日(183… 伊丹 重賢(いたみ しげかた、文政13年11月17日(1830年12月31日) - 明治33年(1900年)7月15日)は、日本の男爵。志士、貴族院議員、大審院判事、錦鶏間祗候、従五位。通称、蔵人、右近大進。子に伊丹春雄、伊丹二郎。 京都(山城国)粟田(現京都市東山区)生まれ。伊丹家は代々粟田青蓮院宮に仕えた。幼き頃から神童と呼ばれ、徳川幕府が衰退するにいたって尊皇攘夷派の志士となり東奔西走する。安政5年(1858年)に橋本左内、梅田雲浜らと共に幕府に捕らわれ彦根城に幽閉される。その後、放免となり明治維新を迎える。 維新後、大阪府判事に命ぜられて同地に赴任。その後、長崎・東京府へ赴任し、大審院に入り元老院議官に転ず。
川勝 寛治(かわかつ かんじ、文政12年(1829年) - … 川勝 寛治(かわかつ かんじ、文政12年(1829年) - 元治元年7月20日(1864年8月21日))は、幕末の尊攘派志士。三条家家士。 丹波国船井郡園部(現・南丹市)の出身。京都に出て三条家の家士となり、開国により国内が騒然とした時期に、三条実美の内命を受けて諸藩の尊攘派志士との間を奔走した。文久3年(1863年)8月18日の八月十八日の政変の後、三条実美・澤宣嘉らの攘夷派の公家7人は長州藩兵と共に京都から追放された(七卿落ち)。その際、寛治は三条実美の護衛の役を務め、三条実美に従って長州藩の三田尻御茶屋に下向した。その後、三条実美の密旨を同志に伝えるため京都に潜入したが、幕府の役人に捕らえられ京都所司代の管理する六角獄舎に収容された。
由理 滴水(ゆり てきすい、文政5年4月8日〈1822年5月… 由理 滴水(ゆり てきすい、文政5年4月8日〈1822年5月28日〉 - 1899年〈明治32年〉1月20日)は日本の江戸末期から明治初期にかけての臨済宗の僧侶。宜牧は諱、号は滴水、無異室、雲母庵とも称する。姓は由利、由里とも。また滴水宜牧ともいう。 丹波国何鹿郡白道路村(現・京都府綾部市)に上田彦兵衛、母絹の三男として生まれる。父は文政8年(1825年)早くに没したので、親類の京都府加佐郡河守村の酒造家である由理清左衛門宅に引き取られ、養子となる。そして父の遺言に従い、9歳の時に出家をして、加佐郡行永村にあった龍勝寺の住職・大法和尚について出家得度する。この時僧名を宜牧と名づけられる。大和和尚は病身で経文祖録は進まず、もっぱら湯薬の世話に明け暮れた。
安部井 櫟堂(あべい れきどう、男性、文化2年(1805年)… 安部井 櫟堂(あべい れきどう、男性、文化2年(1805年) – 明治16年(1883年)9月16日)は、近代日本の篆刻家である。 名はカイ?(大+介)、字は大介、号は芥舟。通称音門のちに音人。はじめの姓は岡氏。近江彦根の人。 近江国に生まれたが京都富小路押小路北・南に住む。篆刻の師は不明。明治元年(1868年)、印司に任命される。60代半ばにして明治政府から天皇御璽・大日本国璽の刻印を命じられ1年がかりで明治7年(1874年)に拝刻した。2つの金印は強度を保つため合金製で、櫟堂が繆篆(びゅうてん)を用いて拝刻して秦藏六が鋳造した。重さは4.5kgあり、現在でも公文書に用いられている。
円山 応挙(まるやま おうきょ、旧字体: 圓山 應擧、享保1… 円山 応挙(まるやま おうきょ、旧字体: 圓山 應擧、享保18年5月1日(1733年6月12日)- 寛政7年7月17日(1795年8月31日))は、江戸時代中期~後期の絵師。 近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した画風が特色である。 諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われている。 本姓は藤原、後に源、姓は円山、名は岩次郎、後に主水。夏雲、雪汀、一嘯、仙嶺、僊斎、星聚館、鴨水漁史、攘雲、洛陽仙人と号す。石田幽汀の門人。享保18年(1733年)、丹波国桑田郡穴太(あなお)村(現在の京都府亀岡市曽我部町穴太)に農家の次男として生まれた。穴太は、西国三十三所の札所寺院である穴太寺があることで知られる。
麻木未穂(あさぎ みほ、12月29日 - )は日本の小説家。… 麻木未穂(あさぎ みほ、12月29日 - )は日本の小説家。京都府京都市出身。『黄金の魔女が棲む森』が第1回上半期トクマ・ノベルズEdge新人賞にて最優秀新人作品に選ばれ、デビュー。主にトクマ・ノベルズEdgeで活動し、詳細な調査に基づく歴史ファンタジーを得意とする。 徳間書店 トクマ・ノベルズEdge 幻冬舎コミックス 幻狼ファンタジアノベルス 三笠書房 f-Clan文庫 コスミック出版 コスミック文庫 KADOKAWA ジュエル文庫 KADOKAWA 富士見L文庫 朝日新聞出版 朝日エアロ文庫 プランタン出版 ティアラ文庫 コスミック出版 マリーローズ文庫 インフォレスト ジュリエット文庫 リブレ出版 乙蜜ミルキィ文庫 三交社 ガブリエラ文庫 メディアファクトリー フルール文庫ルージュライン アスキー・メディアワークス ジュエルブックス アスキー・メディアワークス ジュエル文庫 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
五藤 めぐみ(ごとう めぐみ、11月28日 - )は、日本の… 五藤 めぐみ(ごとう めぐみ、11月28日 - )は、日本のフリーアナウンサー。オフィスキイワード大阪本社所属。 京都府京都市出身。明治大学経営学部卒業。 大学を卒業後、2003年にラジオ福島 (rfc) に入社。同期に同局アナウンサーの渡邉美香がいる。 ラジオ福島を退社後、テレビ山梨 (UTY) のアナウンサーを経てフリーアナウンサーへ転向した。フリー転向直後はジョイスタッフに所属していたが、後にオフィスキイワードへ移籍した。それに伴い、活動拠点を関東地方から近畿地方へと移している。 18歳で夫になる男性と出会い、10年の遠距離恋愛を経て結婚し、2児をもうける。123社の入社試験で落ち、大学4年の12月にラジオ福島に内定。
松本 大督(まつもと だいすけ、10月16日 - )は、日本… 松本 大督(まつもと だいすけ、10月16日 - )は、日本の男性司会者、声優。京都府京都市出身。 青二塾大阪校第26期卒業。大阪電気通信大学総合情報学部卒業。 以前は青二プロダクションに所属していた。 TVゲームの企画や求人広告の制作、声優を経て、2020年にジャパネットたかたにMCとして入社し、テレビショッピングのMCを担当している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:芸能人)。
葛谷 亮(くずや りょう、10月7日 - )は、西日本放送に… 葛谷 亮(くずや りょう、10月7日 - )は、西日本放送に所属していた男性アナウンサー。2006年度入社、2009年3月退社。京都市出身。関西大学文学部卒業。血液型A型。2006年大晦日 ~ 元旦にかけての年越し特番も榎本麗美と担当する予定だったが盲腸炎による入院・手術のため急遽降板した。 2010年より三崎薫の芸名でショップチャンネルキャストとして出演している。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
諏訪 さき(すわ さき、10月3日 - )は、宝塚歌劇団雪組… 諏訪 さき(すわ さき、10月3日 - )は、宝塚歌劇団雪組に所属する男役スター。 京都府京都市、ノートルダム女学院高等学校出身。身長172cm。愛称は「すわっち」、「くっすー」。 2011年、宝塚音楽学校入学。 2013年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に99期生として次席入団。雪組公演「ベルサイユのばら」で初舞台。 2014年、組まわりを経て雪組に配属。 2020年の「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」で新人公演初主演。新人公演最終学年となる入団7年目のラストチャンスでの抜擢となった。 母は宝塚OGの諏訪アイ。 幼少期は特に宝塚を意識しなかったが、小学6年の時に観た安蘭けいが演じる悪役に胸を打たれ、タカラジェンヌを志した。
松村秀美(まつむら ひでみ、7月28日 - )は、京都府出身… 松村秀美(まつむら ひでみ、7月28日 - )は、京都府出身の俳優。ALBA所属。 演劇カンパニー黒ヰ乙姫団主宰。2007年までは邑城秀美(ゆうじょう ひでみ)として活動。2008年より改名した。
菅井 秀憲(すがい ひでのり、7月6日 - )は、オペラ歌手… 菅井 秀憲(すがい ひでのり、7月6日 - )は、オペラ歌手(バリトン)、ヴォーカルディレクター、ヴォイストレーナー、ミュージカル歌唱指導、合唱指揮者。 京都府京都市出身。二期会会員。Hi-De Shout International代表取締役。日本モンテッソーリ学会会員旧芸名は菅井英憲、菅井英斗。 京都府京都市左京区出身。小学校時代に仙台に引っ越し、聖ウルスラ学院小学校に転入する。東北学院中学校・高等学校、武蔵野音楽大学音楽学部声楽学科を卒業。二期会オペラスタジオ修了。日本では宮本昭太、横山修司に、イタリアではエッダ・リゲットにオペラ・発声を師事、ニューヨークではJuanita Flemingにゴスペル・ポップスを師事、ロサンゼルスにてHiroki Konnoにポップス発声を遊学で師事。
瑠璃 花夏(るり はなか、7月1日 - )は、宝塚歌劇団星組… 瑠璃 花夏(るり はなか、7月1日 - )は、宝塚歌劇団星組に所属する娘役。 京都府京都市、京都光華高等学校出身。身長160cm。愛称は「ちな」、「るり」。 2015年、宝塚音楽学校入学。 2017年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に103期生として次席入団。雪組公演「幕末太陽傳/Dramatic “S”!」で初舞台。その後、星組に配属。 2021年の「柳生忍法帖」で新人公演初ヒロイン。 2024年の「夜明けの光芒」(ドラマシティ・東京建物 Brillia HALL公演)で、東上公演初ヒロイン。 2025年9月、「アレクサンダー大王 -天上の王国-」(宝塚バウホール・東京建物 Brillia HALL)でも東上公演ヒロインを務める。
風馬 翔(ふうま かける、2月28日 - )は宝塚歌劇団・宙… 風馬 翔(ふうま かける、2月28日 - )は宝塚歌劇団・宙組に所属する男役。
浅野 りん(あさの りん、2月23日 - ) は、日本の漫画… 浅野 りん(あさの りん、2月23日 - ) は、日本の漫画家。京都府京都市中京区出身。女性。代表作は『であいもん』。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
縣 千(あがた せん、2月10日 - )は、宝塚歌劇団雪組に… 縣 千(あがた せん、2月10日 - )は、宝塚歌劇団雪組に所属する男役スター。 京都府宇治市、府立莵道高等学校出身。身長172cm。血液型O型。愛称は「あがた」。 2013年、宝塚音楽学校入学。 2015年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に101期生として入団。入団時の成績は4番。月組公演「1789」で初舞台。その後、雪組に配属。 舞台映えする容姿と巧みなダンスで早くから注目され、2018年の「凱旋門」で新人公演初主演。その後も3度に渡って新人公演の主演を務める。 2022年の「Sweet Little Rock 'n' Roll」でバウホール公演初主演。 2024年の「FORMOSA!!」(ドラマシティ・KAAT神奈川芸術劇場公演)で、東上公演初主演。
池内 ヨシカツ(いけうち ヨシカツ、2月1日生まれ)日本の作… 池内 ヨシカツ(いけうち ヨシカツ、2月1日生まれ)日本の作曲家、 現代美術家。京都府京都市生まれ。 幼少期より両親の影響で、作曲や絵画制作を始める。ロサンゼルス在住時には、音楽レーベルのSpinnin' Recordsが主催する音楽コンテスト「Talent Pool」において、日本人として初めて世界ランキング2位となり、翌年には1位を記録した。 2017年、映画『怒り』で坂本龍一とともに劇中音楽を担当。同作品は第40回日本アカデミー賞において優秀作品賞を含む12部門を受賞し、同賞で最多受賞作品となった。 2018年にはルイ・ヴィトンが主催する「Americas Cup」に参加したソフトバンクのテレビCM音楽を担当した。
樋口 哲生(ひぐち てつお)は、日本のホルン奏者。
平竹 耕三 は、日本の学者、政治活動家。元京都産業大学文化学… 平竹 耕三 は、日本の学者、政治活動家。元京都産業大学文化学部京都文化学科教授。京都市中京区出身。
京藤 夏樹(きょうどう なつき)は、日本の画家、幻想作家。 … 京藤 夏樹(きょうどう なつき)は、日本の画家、幻想作家。 京都府出身。キョードープロ所属。京都市立日吉ヶ丘高等学校卒業。
本庄 知史 は、日本の政治家。
二階 健(にかい けん)は、日本の映画監督・映像作家・クリエ… 二階 健(にかい けん)は、日本の映画監督・映像作家・クリエイター。京都府出身。
松本 さち は、日本の女性声優。
松田 明子(まつだ あきこ)は日本の元サックス奏者、元キーボ… 松田 明子(まつだ あきこ)は日本の元サックス奏者、元キーボーディスト、元歌手。京都府立商業高校卒業。GIZA studioに所属していた。
島田 紳助 は、日本の元お笑いタレント、漫才師、司会者、歌手… 島田 紳助 は、日本の元お笑いタレント、漫才師、司会者、歌手、俳優、作詞家、プロデューサー。本名は長谷川 公彦。京都府京都市南区出身。
今西 美晴 は、日本の女子プロテニス選手。京都府綴喜郡宇治田… 今西 美晴 は、日本の女子プロテニス選手。京都府綴喜郡宇治田原町出身。WTAランキング自己最高位はシングルス187位。京都外大西高等学校卒業。EMシステムズ所属。
小田 桃香 は、日本の元女子バレーボール選手。
小島 絢野 は、日本の元女子バレーボール選手。旧姓は中大路(… 小島 絢野 は、日本の元女子バレーボール選手。旧姓は中大路(なかおおじ)。