長谷川 琢真(はせがわ たくま、1993年12月5日 - )… 長谷川 琢真(はせがわ たくま、1993年12月5日 - )は、日本の京都府京都市出身のドラマ・映画脚本家、ドラマ演出家、映画監督。福田雄一作品に演出補として参加。映画監督・三原光尋の甥にあたる。 京都市立上鳥羽小学校、京都市立洛南中学校、京都府立鳥羽高等学校スポーツ総合専攻コース、京都両洋高等学校へ編入。ビジュアルアーツ専門学校大阪を卒業。 2021年、フジテレビ連続ドラマ『全っっっっっ然知らない街を歩いてみたものの』第7話で監督を務める。 その後、俳優ムロツヨシの勧めで舞台「muro式.がくげいかい」の記録映像を務める(参照:Twitter)。 2026年2月1日、ドラフトキング2の監督が発表
工藤 将亮(くどう まさあき、1983年10月31日 - )… 工藤 将亮(くどう まさあき、1983年10月31日 - ) は、日本の映画監督・脚本家。 ビジュアルアーツ専門学校大阪、放送映画学科卒業。専門学校在籍中に京都の撮影所でエキストラや美術のバイトなどで働き出す。卒業後、松竹京都撮影所に演出部として入社。時代劇からファンタジー作品など数多くの作品に携わる。その後、東京に移り活動の場を広げる。主に師事した監督として森田芳光、行定勲、石井岳龍、東陽一などがいる。 2017年初監督作品『アイムクレイジー』を製作。同作は2018年第22回プチョン国際ファンタスティック映画祭に出品され、最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)を受賞する。 2020年コロナ禍の中で製作した『未曾有』が2021年第25回タリンブラックナイト映画祭に正式出品される。
酒井 善史(さかい よしふみ、1981年2月12日 - )は… 酒井 善史(さかい よしふみ、1981年2月12日 - )は、日本の俳優、タレント、脚本家である。京都府京都市出身。京都を拠点に活動する劇団「ヨーロッパ企画」に所属。 同志社高等学校時代より演劇を始める。1999年、同志社大学商学部大学入学とともに同志社小劇場に入団するも、2000年に退団[要出典]。同年の第5回公演『苦悩のピラミッダー』よりヨーロッパ企画に参加。以降、ほぼ全作品に出演。また、外部作品への出演のほか、公演の舞台美術や、事務所のリフォームを手がけたり、WEBコンテンツの製作や、DVDオーサリングなど、多方面で活躍している。ショートショートムービーフェスティバルでは司会を務めている。
桑原 亮子(くわはら りょうこ、1980年 - )は、日本の… 桑原 亮子(くわはら りょうこ、1980年 - )は、日本の脚本家、歌人。 京都府京都市出身、在住。早稲田大学第一文学部卒業。シナリオ・センター大阪校出身(60期)。中途失聴による重度の聴覚障害を持つ。 小学6年生の頃よりだんだん耳が聞こえにくくなり、中学進学後に原因不明の感音性難聴と診断される。兵庫県西宮市の私立中学に進学し同市内の祖母宅に下宿して学校に通い、中学2年時には阪神・淡路大震災で被災している。 大学進学後はハンディキャップを補いたいとして弁護士資格の取得を目指すものの、難聴がさらに悪化して20歳を迎える頃には人の声が全く聞き取れなくなる。弁護士の夢を諦めかけた時に書店の店頭で一般の人が投稿した詩・童話を掲載する文芸雑誌に出会い、「もしかしたら、書けるのではないかな」と大学在学中より童話や詩を書いて出版社へ投稿を始め、童話が雑誌に掲載されたことで「書く仕事をしたい」と決心する。
上田 誠(うえだ まこと、1979年11月4日- )は、日本… 上田 誠(うえだ まこと、1979年11月4日- )は、日本の劇作家・演出家・脚本家・構成作家。劇団ヨーロッパ企画主宰。京都府京都市出身。同志社大学工学部知識工学科中退。 高校生の時、級友から頼まれて学園祭用の芝居『鳥が鳴くとき』を執筆。それまでゲーム・プログラミングを趣味としていたため、初めて他人との共同作業の楽しさを知り、演劇にはまる。実家は京都・二条城近くにある創業80年の焼菓子製造「上田製菓本舗」(2016年6月閉業)。 1998年、同志社大学の演劇サークル「同志社小劇場」に参加。同年、サークル内で「ヨーロッパ企画」旗揚げ。一貫してコメディにこだわりながら、全公演の作・演出を手掛けている。
末長 敬司(すえなが けいし、Keishi Suenaga、… 末長 敬司(すえなが けいし、Keishi Suenaga、1976年10月11日 - )は、日本の映画監督、脚本家、プロデューサーであり、俳優でもある。 京都府京都市出身、1976年10月11日生まれ。 曾祖父は日本統治時代に台湾で刑務官を務めた末長忠次郎。祖父は大阪府警察学校交野市移転後の初代校長・末長繁警視長。 高校卒業後、1999~2003年まで韓国・ソウル特別市、2003~2006年まで中国・遼寧省大連市で海外勤務を経験する。 また2004年には約半年間、タイを拠点にベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーと東南アジア各国を放浪している。 2007年に完全帰国し、日本郵政公社(現日本郵政)に務める傍ら、2011年にインディペンデント映画制作団体・星海電影制作公司(STARSEA FILMS PRODUCTION)を設立、制作・監督・脚本・編集を担当する。
池田 久輝(いけだ ひさき、1972年12月12日 - )は… 池田 久輝(いけだ ひさき、1972年12月12日 - )は、日本の小説家、脚本家。脚本家としては池田 長十(いけだ ちょうじゅう)名義で活動している。 京都府乙訓郡大山崎町生まれ、在住。1998年、同志社大学法学部政治学科卒業。卒業後、ウェブデザインに携わる。 2013年、初の長編小説『晩夏光』で第五回角川春樹小説賞を受賞し、小説家デビュー。代表作である『晩夏光』『枯野光』は、ともに香港の裏社会を舞台にしたハードボイルド小説である。 2014年6月、日本推理作家協会に入会。作家活動の傍ら、池田長十名義で朗読ユニット「グラス・マーケッツ」(1999年、京都にて結成)の脚本・演出家としても活動している。
安田 淳一(やすだ じゅんいち、1967年2月16日 - )… 安田 淳一(やすだ じゅんいち、1967年2月16日 - )は、日本の映画監督、プロデューサー、脚本家、米農家。 大阪経済大学在学中から映像制作業を開始し、卒業後は様々な仕事を経て、映画製作を実施。 『拳銃と目玉焼』で、オリジナル映画作品監督デビュー。それ以前から企画・イベントムービー等の制作を行っていた。 2017年、米作りを取り巻く問題点にも触れた2作目『ごはん』は、日本映画史上最も美しく水田風景を描き、最もリアルに現代の米作農家を描いた米作りエンタテイメントムービーとしてリリース。38か月続くロングヒット作となった。 2023年、父の逝去により、米作り農家を継ぎ、米農家と映画監督の兼業の生活をしている。
瀧本 智行(たきもと ともゆき、1966年10月23日 - … 瀧本 智行(たきもと ともゆき、1966年10月23日 - )は、日本の映画監督、脚本家。京都府綾部市出身。 京都府立綾部高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部に在学中から自主映画や演劇活動に没頭。1993年頃からフリーの助監督として様々な作品に参加。TVドラマの脚本やプロットプランナーとしての仕事も手掛ける。映画『樹の海』で監督デビュー。
塩田 明彦(しおた あきひこ、1961年9月11日 - )は… 塩田 明彦(しおた あきひこ、1961年9月11日 - )は日本の映画監督、脚本家、映画批評家、教師である。
林 海象(はやし かいぞう、1957年7月15日 - )は、… 林 海象(はやし かいぞう、1957年7月15日 - )は、日本の映画監督・映画プロデューサー・脚本家。男性。株式会社映像探偵社代表取締役社長、元京都造形芸術大学芸術学部映画学科教授、元東北芸術工科大学デザイン工学部映像学科教授。 1986年にモノクロサイレント映画という異色の作品『夢見るように眠りたい』でデビューした。代表作は永瀬正敏主演の『私立探偵 濱マイク』シリーズなど。 京都府京都市生まれ。立命館中学校・高等学校を経て1977年立命館大学経済学部を中退。。 19歳で上京。27歳までの間、20数種のアルバイトをし、10数回の引っ越しをした。毎日500円以上使わないと決め、社会の底辺をその日暮らしの生活で徘徊していた。
松井 今朝子(まつい けさこ、1953年9月28日 - )は… 松井 今朝子(まつい けさこ、1953年9月28日 - )は、日本の小説家、脚本家、演出家、評論家。 1953年、京都・祇園にある料亭の娘として生まれる。聖母学院中学高等学校、早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。早稲田大学大学院文学研究科(演劇学)修士課程修了後、松竹株式会社に入社。歌舞伎の企画・制作に携わる。 松竹を退職後フリーとなり、武智鉄二に師事して、歌舞伎の脚色・演出・評論などを手がけるようになる。 1997年、『東洲しゃらくさし』で小説家としてデビュー。同年に『仲蔵狂乱』で第8回時代小説大賞を受賞。この作品は2000年に、市川團十郎、新之助の出演でTV化された
葉方 丹(はかた たん、1944年7月8日 - )は、演出家… 葉方 丹(はかた たん、1944年7月8日 - )は、演出家、脚本家、作家、作詞家。 日本アカデミー賞協会、日本音楽著作権協会、日本シナリオ作家協会、日本放送作家協会に所属する。東京都在住。別名、「はがたたん」。 京都市出身。大将軍(白梅町)で生まれる。父は西陣の職人。京都府立山城高等学校卒業後、日本大学芸術学部在学中から映像関係の仕事に携わる。後に大学中退。 アルバイトで日本劇場で働いていた時に叡南覚照と知り合い、「ごぜんさま」と呼ぶようになり、世話になる。ある時、叡南に将棋で勝ち、叡南に「おまえには歯が立たない。おまえ、はがたたん、にせえ」と言われる。また、叡南に「八百屋で行け」と言われ、「来るもの拒まず」で種々の仕事をするようになった。
関本 郁夫(せきもと いくお、1942年7月18日 - )は… 関本 郁夫(せきもと いくお、1942年7月18日 - )は、日本の脚本家・映画監督。京都府京都市出身。日本映画監督協会会員。日本画家の木村了子は長女。 京都の工務店の長男に生まれる。家では工務店の後継にするつもりだったが、本人は継ぐのを嫌ったという。 京都市立伏見工業高等学校建築科を卒業後1961年、東映京都撮影所製作部美術課に入社。美術課では本人が嫌だったという大工仕事ばかりで異動を希望し、製作部に異動、製作事務を担当。そこで多くの台本に目を通すうち「これなら自分にも書けそう」と思って脚本を書き始め、その脚本を当時京都撮影所所長だった岡田茂に読んでもらっていたという。 その後京都撮影所では映画業界斜陽化のこともあって、助監督を大量にNET(現・テレビ朝日)に出向させた影響で助監督不足になり、その穴埋めのような形で演出部に転属し、1973年に監督デビュー。
中島 丈博(なかじま たけひろ、1935年〈昭和10年〉11… 中島 丈博(なかじま たけひろ、1935年〈昭和10年〉11月12日 - )は、日本の脚本家・小説家・映画監督。京都府生まれ、高知県中村市(現・四万十市)育ち。 父は日本画家の中島敬朝。京都で生まれ、太平洋戦争の影響で1945年10歳のとき、高知県中村市へ疎開。そこでプライバシーが筒抜けな地元住民の生活に衝撃を受け、それが作風にも影響を与えたと語っている。この頃のことは『野蛮な詩』(疎開後の小学生時代)、『郷愁』(中学時代)、『祭りの準備』(20代、上京まで)で小説・映画化している。1954年に高知県立中村高等学校を卒業。家はずっと貧乏で、父が胃潰瘍で入院して金がかかり大学進学を断念し、高知相互銀行に就職し三年ほど勤務する。
小川 欽也(おがわ きんや、1934年12月28日 - 20… 小川 欽也(おがわ きんや、1934年12月28日 - 2024年12月10日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優、映画プロデューサーである。監督としての別名に三川 和久(みかわ かずひさ)、小川 卓寛(おかわ たかひろ)、小川 和久(おかわ かずひさ)、上田 光生(うえだ みつお)があり、俳優としては姿 良三(すがた りょうぞう)、脚本家としては水谷 一二三(みずたに ひふみ)と名乗る。成人映画の黎明期からの映画作家として知られ、異分野で活躍する山本晋也を除けば、成人映画の世界で長く現役として作品を発表し続けた人物であった。監督作は400本を超える。 1934年(昭和9年)12月28日、京都府京都市下京区烏丸通綾小路下ルに生まれる。
松田 寛夫(まつだ ひろお、1933年9月3日 - 2022… 松田 寛夫(まつだ ひろお、1933年9月3日 - 2022年3月24日)は、日本の脚本家。 京都市出身。松田定次と松浦築枝の養子。京都大学文学部卒業。 1958年、東映に入社。早くからチーフ助監督になるが、組合委員長として契約者の組織化などに働き、常にひと言多いクセがたたり、岡田茂プロデューサーと喧嘩し、助監督を棒に振って東映東京撮影所に飛ばされた。 1967年に脚本家デビュー。当初はヤクザ映画やアクション映画の脚本を執筆していたが、次第に時代劇、ドラマと幅を広げていき、テレビドラマにも進出した。東映の脚本家は数名の共作で執筆することが多いが、比較的早くから単独執筆の映画に恵まれている。特に後年には、『花いちもんめ。
伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1… 伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、日本の映画監督・俳優・脚本家・エッセイスト。本名は池内 義弘(いけうち よしひろ)。雑誌編集長・商業デザイナー・イラストレーター・CMプランナー・ドキュメンタリー映像作家としても活動し、料理通としても知られた。 監督デビューは51歳と遅咲きだったが、それまでに表現手段を追究する職を多数経験し、その集大成として映画に挑戦し、ヒットメーカーとなった。 1984年の監督デビュー作である『お葬式』からいきなり数々の映画賞を獲得するなど絶賛を浴びた。その後、『タンポポ』『マルサの女』『マルサの女2』『あげまん』『ミンボーの女』『大病人』『スーパーの女』『マルタイの女』などを演出し、いずれも大ヒットを記録した。
野長瀬 三摩地(のながせ さまじ、1923年8月30日 - … 野長瀬 三摩地(のながせ さまじ、1923年8月30日 - 1996年5月23日)は、日本のテレビ監督、脚本家。京都府京都市出身。別名:南川 竜、南川 龍。 父は大正画壇で活躍した野長瀬晩花。伯父はトピー工業創業者の一人である野長瀬忠男。 野長瀬氏の末裔で、本名の三摩地は仏教用語のサマディー(三昧)にちなんで名付けられた。 幼少より父に連れられてよく映画を観に行き、映画制作の道を志す。 1946年に日本大学芸術学部映画学科を卒業し、東宝に入社。渡辺邦男、青柳信雄、本多猪四郎らの助監督を務め、主に杉江敏男監督作品に従事。黒澤明監督の『蜘蛛巣城』『どん底』(1957年)、『隠し砦の三悪人』(1958年)ではチーフ助監督を務めた。
井上 梅次(いのうえ うめつぐ、1923年5月31日 - 2… 井上 梅次(いのうえ うめつぐ、1923年5月31日 - 2010年2月11日)は、日本の映画監督、脚本家、作詞家である。 京都市生まれ。京都市立第一商業学校を卒業後、慶應義塾大学経済学部に入学するも、1943年応召、1945年に復学して1947年に卒業。在学中から出入りしていた新東宝に正式に入社。自作の脚本を盛んに売り込み、1952年、わずか5年で『恋の応援団長』で監督に昇進。雪村いづみの音楽映画などを手掛けた。 1955年、日活に移籍。当時売り出し中の石原裕次郎の映画を担当し、『嵐を呼ぶ男』が大ヒット。裕次郎は大スターとしての地位を確立した。 1960年フリーになり、新東宝、日活以外の邦画四社で活躍。
大西 秀明(おおにし しゅうめい、1923年5月3日 - 没… 大西 秀明(おおにし しゅうめい、1923年5月3日 - 没年不詳)は、日本の映画監督、脚本家、映画製作者である。当初、本名の大西 三郎(おおにし さぶろう)で俳優として活動、戦後、上記の筆名で助監督から監督へ昇進、のちに大西 孝典(おおにし こうてん)、橋本 忠典(はしもと ちゅうてん)とも名乗る。 1923年(大正12年)5月3日、京都府南桑田郡亀岡町(現在の同府亀岡市)に生まれる。 1938年(昭和13年)3月、旧制・亀岡尋常高等小学校(現在の亀岡市立亀岡小学校)を卒業、その3年後の1941年(昭和16年)、京都・太秦の日活京都撮影所(のちの大映京都撮影所)に入社、俳優課に配属される。「持ち前の明るい人柄」を評価され、前年に自らのプロダクションを解散して日活に入社して当時同社の看板スターだった片岡千恵蔵の内弟子になる。
内川 清一郎(うちかわ せいいちろう、1922年7月13日 … 内川 清一郎(うちかわ せいいちろう、1922年7月13日 - 2000年2月22日)は、日本の映画監督、脚本家である。 1922年(大正11年)7月13日、京都府宇治市菟道只川に生まれる。 1947年(昭和22年)に設立された新東宝で助監督を務める。1948年(昭和23年)からは市川崑、清水宏、小津安二郎らのチーフ助監督を務めた。 1950年(昭和25年)公開の『雪夫人絵図』では溝口健二監督のチーフ助監督に就いた。1949年(昭和24年)末にラストシーンを十和田の湖で撮影するという溝口とともにロケハンに出かけたが、既に雪が積もっており、危険だと止められたが溝口が聞き入れなかった。そのため、地元の猟師に案内してもらって雪の中を出掛けたが、積雪で歩行が困難なうえに溝口が谷に落ちるなどして大変な苦労をした。
島田 一男(しまだ かずお、1907年5月15日 - 199… 島田 一男(しまだ かずお、1907年5月15日 - 1996年6月16日)は日本の小説家、脚本家。 京都府京都市出身。明治大学中退。1931年に「満洲日報」に入社し新聞記者となり、敗戦までの約15年間をほぼ従軍記者として過ごす。終戦後は同社の社員たちと「大陸情報通信社」を設立、在満邦人の引揚げ運動に尽力する傍ら執筆活動を続けた。 1946年に短編「殺人演出」が雑誌「宝石」の第1回短編懸賞に入選し、翌年掲載される。 デビュー当初は『古墳殺人事件』や『錦絵殺人事件』のような衒学的な本格推理を得意としていたが、1949年からは自身の経験を生かした新聞記者ものの推理小説を書き始め、1951年に短編「社会部記者」(別題「午前零時の出獄」)「遊軍記者」、「新聞記者」、「風船魔」で第4回探偵作家クラブ賞を受賞する。
金田 繁(かねだ しげる、1906年10月20日 - 196… 金田 繁(かねだ しげる、1906年10月20日 - 1966年3月15日)は、日本の映画監督、脚本家。 1906年(明治39年)、京都府京都市下京区に生まれる。妹・みねは、のちに東亜キネマの助監督時代に金田が師事した広瀬五郎の妻となった。 旧制・京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校・附属中学校)を卒業し、東亜キネマ等持院撮影所助監督部に入社した。仁科熊彦、広瀬五郎の作品におもに助監督として就いた。同社は1931年(昭和6年)に製作部門が崩壊し、同社が新設した東活映画社に移り、同年12月5日に公開されたサイレント映画『閃影双刃録』で、満25歳で監督に昇進した。同社は翌1932年(昭和7年)10月に解散しており、同社が製作し、金田が大伴麟三と共同で監督したサイレント映画『決戦荒神山』は、同年12月31日、新設の宝塚キネマ興行が配給して公開された。
梶本 惠美(かじもと えみ、6月27日 - )は、日本の脚本… 梶本 惠美(かじもと えみ、6月27日 - )は、日本の脚本家(日本脚本家連盟、日本放送作家協会に所属)。元東京フィルムオブアート・スクール講師。チベット体操伝導師。 京都府京都市出身。1980年に同志社大学文学部文化学科国文学専攻を卒業。 専業主婦時代の1987年、シナリオ・センター本科に入学。その後、夫の転勤に伴ったアメリカから、日本のコンクールに応募し続けた。第16回創作テレビドラマ大賞(平成3年度)に、『春むかし』で入選を果たした。 タイトル太字は、単独作品と思われるもの。 中部日本放送「ドラマ30」 東海テレビ「昼の帯ドラマ」 NHK「金曜時代劇」 NHK「土曜時代劇」 NHK「土曜ドラマ」 新型コロナウィルス感染症対策としてのマスクについて「感染予防にはならない」「大人が外さないと子どもたちは外せない」「酸素不足で脳の発育によくない」「免疫力の低下」などを理由に挙げて着用は不要と主張し、自らも実行している。