髙畑 貴良志(たかはた きよし、1984年9月 - )は日本… 髙畑 貴良志(たかはた きよし、1984年9月 - )は日本の建築家。大阪府箕面市生まれ。2010年京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科建築設計学専攻修了、同年日建設計入社。同社設計監理部門兼テックデザイングループDDL。2026年日建設計を退社、同年株式会社 STUDIO TAKSAN設立。代表取締役。 共著に「組織設計・ゼネコンで設計者になる」
大阪府:28人
髙畑 貴良志(たかはた きよし、1984年9月 - )は日本… 髙畑 貴良志(たかはた きよし、1984年9月 - )は日本の建築家。大阪府箕面市生まれ。2010年京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科建築設計学専攻修了、同年日建設計入社。同社設計監理部門兼テックデザイングループDDL。2026年日建設計を退社、同年株式会社 STUDIO TAKSAN設立。代表取締役。 共著に「組織設計・ゼネコンで設計者になる」
早川 慶朗(はやかわ よしあき、1983年3月25日 - )… 早川 慶朗(はやかわ よしあき、1983年3月25日 - )は、日本の工学博士、一級建築士、起業家である。 株式会社Andeco代表取締役。一般社団法人スマートビルディング共創機構発起人理事。 スマートビルディングおよび空間価値創造、木材循環型設計、IoT/AIによる建築環境制御の分野において研究・事業を横断的に展開している。 大阪府大阪市出身。大阪府立北野高等学校を経て、京都大学工学部建築学科に進学。学生時代は建築学を専攻しつつ、サッカーサークルなど課外活動にも参加した。 2005年に京都大学工学部建築学科を卒業し、卒業論文は優秀論文として選出された。 2007年、京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程を修了。
塚本高正(つかもと たかまさ 1973年2月18日-)は、日… 塚本高正(つかもと たかまさ 1973年2月18日-)は、日本の建築家。ティーサイズ代表。大阪市生まれ。北海道を拠点に活躍する若手建築家のひとり。一級建築士。
平田 晃久(ひらた あきひさ、1971年 - )は、大阪府出… 平田 晃久(ひらた あきひさ、1971年 - )は、大阪府出身の日本の建築家。株式会社平田晃久建築設計事務所を主宰。JIA新人賞、空間デザインコンペティションなど多数受賞。
添田 直輝(そえだ なおき、1971年 - )は、日本の建築… 添田 直輝(そえだ なおき、1971年 - )は、日本の建築家。一級建築士。2004年に一級建築士事務所「AE」(東京都台東区)を設立し、代表に就任する。大阪府大阪市生まれ。 1971年、大阪市に生まれる。1995年、東京理科大学理工学部建築学科卒業(担当教官は小嶋一浩)。1997年、東京理科大学大学院小嶋研究室卒業。1998年、建築研究室高安重一事務所に就職し、2003年に同事務所の法人化に伴い、設立された有限会社アーキテクチャー・ラボ取締役に就任。2004年、一級建築士事務所「AE」を設立し、同事務所代表。2011年、株式会社 一級建築士事務所AEに改組し、代表取締役に就任した。
大薮 義章(おおやぶ よしあき、1970年8月 - )は日本… 大薮 義章(おおやぶ よしあき、1970年8月 - )は日本の建築家、都市計画家。一級建築士。 大阪府生まれ。1989年(平成元年)大阪府立高津高等学校卒業。1996年に関西大学工学部を卒業後、歌一洋建築研究所に入所した。2002年に大薮義章建築計画所設立。
中谷 俊治(なかたに しゅんじ、1964年3月15日 - )… 中谷 俊治(なかたに しゅんじ、1964年3月15日 - )は、日本の建築家。 大阪府生まれ。大阪府立岸和田高等学校卒業。京都大学工学部建築学科卒業。 原広司+アトリエ・ファイ建築研究所で梅田スカイビル、JR京都駅ビル、札幌ドームの設計を担当。JR京都駅ビル新築工事 設計室長2000年、「中谷俊治ステューディオ」を設立し、建築設計活動を行っている。
小嶋 一浩(こじま かずひろ、1958年〈昭和33年〉12月… 小嶋 一浩(こじま かずひろ、1958年〈昭和33年〉12月1日 - 2016年〈平成28年〉10月13日)は、日本の建築家。横浜国立大学大学院Y-GSA教授。元東京理科大学大学院教授。元東京大学、東京藝術大学、東京工業大学、東北大学、広島工業大学、日本女子大学非常勤講師。(株)CAt(シーラカンスアンドアソシエイツトウキョウ)共同主宰。日本建築学会賞、吉岡賞、村野藤吾賞など多数受賞。原広司門下。学校建築の分野で特に優れた作品が多い。
竹山 聖(たけやま きよし〈筆名:たけやま せい〉、1954… 竹山 聖(たけやま きよし〈筆名:たけやま せい〉、1954年12月24日 - )は、日本の建築家。京都大学名誉教授。一般社団法人日本建築設計学会名誉会長。 大阪府出身。1973年大阪府立北野高等学校を卒業、京都大学工学部建築学科に入学。1977年京都大学を卒業し、東京大学大学院に進学。 原広司の下で修士課程、博士課程を修める。同級生に隈研吾らがおり、大学院在学中の1979年に宇野求、小林克弘らと設計組織アモルフを創設して設計活動を始める。並行してさまざまなメディアで批評活動を展開。 1992年より京都大学助教授(のち准教授)。世界中の古代都市遺跡を訪れ、都市の原型を辿る旅を続けるとともに都市発生論を探求、現代都市のヴィジョンを構想し、提案もしている。
山形 政昭(やまがた まさあき、1949年 - )は、建築史… 山形 政昭(やまがた まさあき、1949年 - )は、建築史家、建築家。大阪芸術大学芸術学部建築学科教授。工学博士。専門分野は、建築史、建築計画学。 大阪府大阪市に生まれる。大阪府立住吉高等学校卒業、京都工芸繊維大学工芸学部建築学科卒業、同大学院修士課程修了。大学院では、建築史学教室にて中村昌生に学ぶ。東京大学にて工学博士の学位を取得。1974年、大阪芸術大学芸術学部建築学科助手。助教授を経て、1998年、教授。主な研究分野は、日本の近代建築および和洋の住宅建築、とくにウィリアム・メレル・ヴォーリズの建築。 ヴォーリズ建築文化全国ネットワーク幹事を務める。また、住宅の設計も行う。
桝田 佳寛(ますだ よしひろ、1947年(昭和22年) - … 桝田 佳寛(ますだ よしひろ、1947年(昭和22年) - )は、日本の建築学者、建設技官。 大阪府に生まれる。大阪府立天王寺高等学校、東京工業大学(のちの東京科学大学)理学部数学科、同大学工学部建築学科を経て、1975年(昭和50年)同大学大学院理工学研究科修士課程を修了する。同年、建設省建築研究所に入省し、総理府科学技術庁併任・フランス建築土木試験研究センター派遣を経て、1995年(平成7年)宇都宮大学工学部教授に転じる。2014年(平成26年)日本大学理工学部建築学科特任教授となった。ほか、2010年(平成22年)第24代日本コンクリート工学会会長に就任した。 構造体コンクリート、高強度コンクリート、環境配慮型コンクリート、鉄筋コンクリート構造建築物の耐久性を主な研究分野とする。
陶器 二三雄(とうき ふみお、1947年 - )は、日本の建… 陶器 二三雄(とうき ふみお、1947年 - )は、日本の建築家。大阪府豊中市生まれ。国立国会図書館関西館の設計者として知られ、文京区立森鷗外記念館の設計により日本藝術院賞を受賞した。 1947年、大阪府豊中市生まれ。イタリア国立ヴェネツィア建築大学修復課程を修了した。1988年、陶器二三雄建築研究所を設立した。 2015年度の岡山県立大学大学院デザイン学研究科デザイン工学専攻で、建築デザイン学演習を担当した。
安藤 忠雄(あんどう ただお、1941年(昭和16年)9月1… 安藤 忠雄(あんどう ただお、1941年(昭和16年)9月13日 - )は、日本の建築家。一級建築士(登録番号第79912号)。安藤忠雄建築研究所代表。東京大学特別栄誉教授。文化功労者。文化勲章、フランスレジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章。21世紀臨調特別顧問、東日本大震災復興構想会議議長代理、大阪府・大阪市特別顧問。コンクリート打ちっ放し建築を主に住宅や教会、ホテルなど国内外に数々の作品を発表。「住吉の長屋」(1976年)、「光の教会」(1989年)、「ベネッセアートサイト直島」(1992年 - )、「淡路夢舞台」(2000年)、「こども本の森 中之島」(2020年)などの代表作が知られる。
永田 祐三(ながた ゆうぞう、1941年9月4日 - )は、… 永田 祐三(ながた ゆうぞう、1941年9月4日 - )は、大阪府豊中市出身の日本の建築家。株式会社永田建築研究所代表。関西や九州、北陸を中心にオフィスやホテル、住宅などの建築を手掛ける。代表作に、村野藤吾賞を受賞したホテル川久や、BCS賞を受賞したますのすし製造会社源の工場がある。 1941年9月4日、大阪府池田市で三越に勤める父親と専業主婦の母親の間に4きょうだいの末っ子として生まれる。第二次世界大戦の戦況悪化のため、1944年の暮れに鳥取県西伯郡大高村の母方の実家に疎開。戦後に大阪の豊中市に戻る。小学生の頃に『少年朝日年鑑』に載っていた、ル・コルビュジエのユニテ・ダビタシオンのドローイングに感銘を受ける。
延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2… 延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2018年2月8日)は、日本の建築家、都市研究者、都市計画家、教育者、地域プランナー、地域活動家。専攻は生活空間計画学。工学博士。 まち育ての研究と実践、人材育成のほかに各地で「幻燈会」を開いて啓蒙に努める自称「まち育ての語り部」。大阪府大阪市生まれ。 その他、まちの縁側GOGO、神戸市真野地区まち育て、武蔵野市公団緑町団地共同建替、高知赤岡町まち育て等、各地で数多くの地域づくり、まちづくり実践に努める。
東 孝光(あずま たかみつ、1933年9月20日 - 201… 東 孝光(あずま たかみつ、1933年9月20日 - 2015年6月18日)は、日本の建築家。大阪大学名誉教授。 「打ち放しコンクリート」「狭小住宅」の先駆けで建築史に残る「塔の家」をはじめ、「都市型住宅」を多く手がけ、1995年に日本建築学会賞作品賞を受賞した。日本万国博覧会では三井グループ館を設計している。 大阪市出身。出世作となった「塔の家」は、坂倉準三建築研究所時代に新宿駅西口地下広場の設計担当として上京した際、自宅として東京都渋谷区に建てられた(1966年)。都心のわずか6坪弱(20平方メートル)という狭い敷地に、地上5階・地下1階を塔状に積み立てた鉄筋コンクリート造。玄関を除けば、トイレも浴室も含め扉が一切なく、間仕切りもない。
二川 幸夫(ふたがわ ゆきお、1932年11月4日 - 20… 二川 幸夫(ふたがわ ゆきお、1932年11月4日 - 2013年3月5日)は、日本の建築写真家、建築批評家。 大阪市出身。1951年大阪市立都島工業高等学校建築科卒業、1956年に早稲田大学文学部を卒業。在学中、建築史教授・田辺泰の勧めで民家の撮影を開始。 1957 - 59年、美術出版社から『日本の民家』全10巻(文:伊藤ていじ)を発表。1959年、同著によって毎日出版文化賞を受賞する。 1970年、建築書籍専門の出版社「A.D.A.EDITA Tokyo」を設立。建築デザイン専門誌「GA JAPAN」などを発行した。 安藤忠雄、妹島和世、ザハ・ハディドら、建築家の才能をいち早く見い出し、紹介した。
阪田 誠造(さかた せいぞう、1928年(昭和3年)12月2… 阪田 誠造(さかた せいぞう、1928年(昭和3年)12月27日 - 2016年(平成28年)7月21日)は、日本の建築家。 大阪府大阪市出身。1951年(昭和26年)、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同年坂倉準三建築研究所入所。 1969年(昭和44年)の坂倉準三死去に伴い、西沢文隆らと共に坂倉建築研究所を設立し、取締役東京事務所長、1985年(昭和60年)から1999年(平成13年)まで代表取締役、1999年(平成13年)以後は最高顧問を務めた。 1990年(平成2年)から1991年(平成3年)まで新日本建築家協会副会長、1993年(平成5年)から1999年(平成11年)まで明治大学理工学部建築学科教授を務めるなど、建築界の発展や教育にも貢献した。
佐野 正一(さの しょういち、1921年(大正10年)1月1… 佐野 正一(さの しょういち、1921年(大正10年)1月10日 - 2014年(平成26年)3月20日)は、日本の建築家。大阪市生まれ。建築家安井武雄は岳父。 1942年(昭和17年)に東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、鉄道省(当時)に入省、海軍技術将校(建築部門)を経て1945年(昭和20年)に復員、運輸省、国鉄などで勤務。1955年(昭和30年)安井建築設計事務所に入社。1961年(昭和36年)同社社長に就任。その他、日本建築協会名誉会長、大阪府建築士事務所協会会長、日本建築士事務所協会連合会名誉会長、日本建築家協会関西支部顧問、建築審議会委員などを歴任。 2014年3月20日午前8時30分、腎臓疾患のため兵庫県西宮市の病院で死去。
岩本 博行(いわもと ひろゆき、1913年(大正2年)11月… 岩本 博行(いわもと ひろゆき、1913年(大正2年)11月4日 - 1991年(平成3年)10月29日)は、日本の建築家。竹中工務店常務。 大阪府に生まれる(出身地は岡山県勝田郡奈義町)。 1932年(昭和7年)、大阪市立都島工業学校建築科を卒業し、竹中工務店に入る。 竹中入社後に小林三造に指導を受ける。日本建築素材の色彩を用いて統一感を与えることを持論とし、職人(大工・棟梁)の伝統を受け継ぐ人物と目された。 九州支店設計部長(1959年)、大阪本店設計部長(1962年)、取締役技師長(1968年)を経て、1972年に常務取締役に就任した。 竹中工務店の創立80周年記念事業の「竹中大工道具館」創設(1984年)にも関与した。
西山 夘三(にしやま うぞう、1911年3月1日 - 199… 西山 夘三(にしやま うぞう、1911年3月1日 - 1994年4月2日)は日本の建築学者、建築家。都市計画家。住宅問題を科学的に研究する基礎を築いた。
玉置 豊次郎(たまき とよじろう、1899年7月13日 - … 玉置 豊次郎(たまき とよじろう、1899年7月13日 - 1984年10月9日)は、大阪市出身の日本の建築学者・都市計画家。工学博士(東京帝国大学)。大阪工業大学名誉教授。元内閣技官・帝都復興院復興局技師。元大阪府建築監督官・愛知県建築部長。勲四等瑞宝章受章。 専門は建築計画・建築史、都市計画。 1923年(大正12年)、東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、内務省から都市計画地方委員会事務取扱を委嘱される。同年、関東大震災が発生し、帝都復興院の設置により復興局技師に転じ、復興計画にあたる。1925年(大正14年)大阪府警察技師、1927年(昭和2年)地方技師・大阪府建築監督官を勤める。この後、約15年間は土地区画整理事業等の指導に当たる。
池田谷 久吉(いけだや ひさきち、1897年(明治30年) … 池田谷 久吉(いけだや ひさきち、1897年(明治30年) - 1956年(昭和31年))は日本の建築家、郷土史家。 大阪、泉州を中心に社寺建築など伝統的な建築作品を多く手掛けた建築家である。また大阪府庁在職中から法隆寺五重塔の調査など古建築の研究調査を行い、退職後も発掘調査や文化財指定に携わるなど、歴史研究においても功績を残した。大阪府泉佐野市出身。 現在の泉佐野市に生まれる。1913年(大正2年)大阪市立大阪工業学校本科建築科入学。 卒業後、いくつかの会社を経て大阪府庁入庁。1922年(大正11年)大阪府建築監督官補となる。 1926年 (大正15年) 大阪府庁退職、池田谷建築事務所設立。1929年 (昭和4年) 大阪府史跡名勝天然記念物調査委員就任。
本間 乙彦(ほんま おとひこ、1892年(明治25年)2月2… 本間 乙彦(ほんま おとひこ、1892年(明治25年)2月24日 - 1937年(昭和12年)8月14日)は、大正期から昭和初期に大阪を中心に活躍した建築家。兵庫県出身。
中村 順平(なかむら じゅんぺい、1887年8月29日 - … 中村 順平(なかむら じゅんぺい、1887年8月29日 - 1977年5月24日)は日本の建築家。建築教育者。 大阪府大阪市生まれ。三男二女の末子。旧制天王寺中学(現・大阪府立天王寺高等学校)に進学。同校を経て、1910年に名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)を卒業。曾禰達蔵・中條精一郎の曾禰中條建築事務所に入所する。1910年12月から大阪高槻工兵第四大隊第一中隊入営。1914年には東京大正博覧会第一会場の設計を委ねられ、また1919年には一ツ橋如水会館の設計を担当。1920年に、岩崎財団の助成をうけ、フランスに渡る。1921年、エコール・デ・ボザールに、33歳にして留学。クロモール&エクスペールのアトリエに所属。
高松 政雄 (たかまつまさお、1885年11月5日 - 19… 高松 政雄 (たかまつまさお、1885年11月5日 - 1934年3月11日)は、日本の建築家。 曾禰達蔵・中條精一郎の曾禰中條建築事務所に入所し、丸の内のオフィスビルなどの設計に従事する。また、東京海上ビルなどの設計を行った。特に病院建築の設計監督に從事する。病院建築は造詣が深く、慶應義塾大学病院などの設計を行った。 文筆にも優れており、多くの建築評論を執筆。中條精一郎が進める建築士法制定運動の中心となって論陣を張った。日本建築士会では、建築士法制定の促進に尽くした。 1885年(明治18年)、父親の転勤先である横浜に生まれる。父親は当時神奈川県庁職員。明治31年には父の転勤にともない大阪に赴く。
久野 節(くの みさお、1882年〈明治15年〉2月21日 … 久野 節(くの みさお、1882年〈明治15年〉2月21日 - 1962年〈昭和37年〉8月7日)は、日本の建築家。鉄道省技師、中部鉄道管理局、鉄道省初代建築課長、逓信省技師を歴任。旧制堺中学校、東京帝国大学建築学科卒。従四位。
森山 松之助(もりやま まつのすけ、明治2年6月7日(186… 森山 松之助(もりやま まつのすけ、明治2年6月7日(1869年7月10日)- 昭和24年(1949年)4月2日)は、日本統治時代の台湾で活躍した建築家。大阪市出身。台湾総督府営繕課在任中、台湾の多くの官庁建築を手がけたことで知られる。 外交官・貴族院議員を務めた森山茂の子として明治2年(1869年)に大阪市東区平野町(現 大阪市中央区平野町)に生まれる(なお、叔父に五代友厚がいる)。学習院、攻玉社を経て、明治26年(1893年)第一高等学校を卒業後、帝国大学工科大学建築学科において辰野金吾のもとで学び、明治30年(1897年)に卒業。大学院、明治31年(1898年)第一銀行建築係嘱託、明治33年(1900年)東京高等工業学校の建築学講座担当を経て、明治39年(1906年)に台湾に渡り、大正10年(1921年)までの間、台湾総督府営繕課技師として多くの官庁建築を手がけた。