小川 甲子(おがわ かつこ、旧姓:井戸、1942年7月8日 … 小川 甲子(おがわ かつこ、旧姓:井戸、1942年7月8日 - )は、元宝塚歌劇団花組主演男役・元女優。 兵庫県神戸市出身。公称身長は162センチ。出身校は親和学園。宝塚歌劇団時代の芸名は甲 にしき(こう にしき)、愛称はコウちゃん。 中学時代、腎炎にかかり長期の療養生活を強いられる。状態が落ち着いた時、気分転換にと宝塚コドモアテネを利用し始めたことが、歌劇団志望のきっかけになる。 1960年、宝塚歌劇団入団。宝塚歌劇団46期生。宝塚入団時の成績は首席。初舞台の公演演目は星組公演『春の踊り(日本の恋の物語)/ビバ・ピノキオ』。同期に山吹まゆみ(女優)、上月晃(女優)、古城都(本郷功次郎夫人)、振付師司このみらがいる。
大前 繁雄(おおまえ しげお、1942年6月28日 - )は… 大前 繁雄(おおまえ しげお、1942年6月28日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。兵庫県尼崎市出身。
土井 正三(どい しょうぞう、1942年6月28日 - 20… 土井 正三(どい しょうぞう、1942年6月28日 - 2009年9月25日)は、プロ野球選手(内野手)・監督、野球解説者。兵庫県出身。
赤岡 功(あかおか いさお、1942年6月24日 - )は、… 赤岡 功(あかおか いさお、1942年6月24日 - )は、日本の経営学者。京都大学名誉教授。経済学博士(京都大学)。兵庫県伊丹市出身。
辻野 欽也(つじの きんや、1942年6月7日 - )は、兵… 辻野 欽也(つじの きんや、1942年6月7日 - )は、兵庫県洲本市出身の元プロ野球選手(投手)。 1961年、洲本実業高校から大毎オリオンズに入団。1963年にはイースタンリーグで最多勝を獲得する。長身から、速球とフォークボールを交える。
合田 栄蔵(ごうだ えいぞう、1942年6月3日 - )は兵… 合田 栄蔵(ごうだ えいぞう、1942年6月3日 - )は兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手。
王 一郎(おう いちろう、1942年5月 14日 - )は、… 王 一郎(おう いちろう、1942年5月 14日 - )は、兵庫県神戸市出身 の実業家。北海道函館市を中心としたハンバーガーショップチェーン・ラッキーピエロの創業者である。 両親は神戸市で呉服商や化粧品店を営んでいた華僑。兵庫県立神戸商業高等学校卒業後、千葉で叔父の仕事を手伝う。21歳で独立して中華料理店を経営した後、27歳より函館に移住。パブを数店経営したのち、1987年にラッキーピエロ1号店・函館ベイエリア本店を開店した。看板メニューの「チャイニーズチキンバーガー」は年間55万食を超える人気を誇り、ご当地バーガーとして認知されている。経営理念は「愛を込めた社員教育とお客様主導の顧客満足型経営」。
小室 豊允(こむろ とよちか、1942年4月27日 - 20… 小室 豊允(こむろ とよちか、1942年4月27日 - 2013年6月13日)は、日本の法学者・政治評論家・政治学者。姫路獨協大学名誉教授・社団法人国際経済労働研究所常任理事。神戸市出身。 兵庫県神戸市出身。1965年中央大学法学部卒業、1969年立命館大学大学院法学研究科修士課程修了。1974年大阪社会事業短期大学専任講師。1979年コーネル大学客員研究員、1981年大阪府立大学社会福祉学部助教授。1989年姫路獨協大学経営情報学部教授、同地域センター長。1997年同経営情報学部長、1998年同大学院経営情報研究科長。1999年同学長。2002年同名誉教授、大手前大学社会文化学部教授。2007年同退職。
外村 彰(とのむら あきら、1942年4月25日 - 201… 外村 彰(とのむら あきら、1942年4月25日 - 2012年5月2日)は、日本の物理学者・工学者。工学博士、理学博士。 日立製作所で電子顕微鏡、電子線ホログラフィーの研究開発に従事。アハラノフ=ボーム効果を実験的に検証することに成功した。 日本学士院賞恩賜賞受賞。文化功労者。日本学士院会員。米国科学アカデミー外国人会員。 1942年、兵庫県西宮市生まれ。東京都立新宿高等学校を経て1965年東京大学理学部物理学科を卒業、日立製作所に入社した。同社中央研究所で電子顕微鏡開発に携わる。 電子線の干渉による顕微鏡像を得る「電子線ホログラフィ」で先駆的な業績を挙げ、世界で初めて実用化に成功した。1975年学位論文「電子線ホログラフィーに関する研究」で名古屋大学より工学博士の学位を取得。
中村 祐造(なかむら ゆうぞう、1942年4月24日 - 2… 中村 祐造(なかむら ゆうぞう、1942年4月24日 - 2010年7月20日)は、日本の元男子バレーボール選手、元バレーボール日本男子代表監督。現役時代は、渾身のドライブサーブと熱血プレーでチームを引っ張った。 1942年4月24日、兵庫県姫路市出身。 兵庫県立姫路工業大学附属高等学校(現・兵庫県立姫路工業高等学校)から八幡製鐵に入社。同社所属のバレーボール選手としてプレーした。 オリンピックには第18回東京大会、第20回ミュンヘン大会の2回出場。特にミュンヘン大会では日本代表主将としてチームを支え、準決勝のブルガリア戦に途中出場してセットカウント0-2と追い込まれた状況から逆転勝ちを呼び込む立役者のひとりとなるなど、日本の金メダル獲得に力を尽くした。
児玉 弘義(こだま ひろよし、1942年3月13日 - 20… 児玉 弘義(こだま ひろよし、1942年3月13日 - 2009年2月5日)は、兵庫県津名郡津名町出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ。 津名高校卒業後、1960年に近鉄バファローへ入団。 1961年10月14日の阪急戦(藤井寺)に8番・捕手で一軍初出場を果たし、初安打も記録。 1963年から試合出場数が増えたが、吉沢岳男の存在もあって2番手の起用が続いた。 1964年8月6日の東映戦(日生)では途中から吉沢に替わってマスクを被り、嵯峨健四郎から初本塁打を放つ。三原脩が監督に就任した1968年に初めて正捕手の地位を獲得した。 1969年には岩木康郎にその座を奪われて再び2番手となる。 1970年には辻佳紀の加入で3番手となる。
田中 成明(たなか しげあき、1942年2月24日 - )は… 田中 成明(たなか しげあき、1942年2月24日 - )は、日本の法学者(法哲学・法理学)。京都大学名誉教授。法学博士(京都大学・論文博士・1980年)(学位論文「裁判をめぐる法と政治」)。兵庫県三田市出身。 法の構造を普遍主義型法、管理型法、自律型法に分けて解明する。法科大学院制度の立役者の一人。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 法概念論 - 法価値論 - 法学方法論 - 正義論 - 自然法論 - 歴史法学 - 法実証主義 - 分析法学 - 自由法学 - 利益法学 - 法と経済 法制史 - 法解釈学 ベンサム - ジョン・スチュアート・ミル - サヴィニー - ハンス・ケルゼン - グスタフ・ラートブルフ - ハーバート・ハート 穂積陳重 - 尾高朝雄 - 碧海純一 - 長尾龍一 - 井上達夫 - 田中成明 - 矢崎光圀 - 加藤新平 - 恒藤恭 - 井上茂 - 深田三徳 - 陶久利彦 - 大屋雄裕
友久久雄(ともひさ ひさお、1942年2月21日- )は、日… 友久久雄(ともひさ ひさお、1942年2月21日- )は、日本の浄土真宗僧侶・医師。京都教育大学名誉教授。 兵庫県姫路市生まれ。神戸医科大学(現神戸大学医学部医学科)卒業。神戸大学大学院医学研究科博士課程(精神神経科)修了、1972年に「ゲスタルト認知と心的態度との関連」で医学博士。兵庫県立こども病院、重症心身障害児施設枚方療育園医長を経て、1974年に京都教育大学助教授、教授、2002年に名誉教授、龍谷大学教授、2013年に退職。 浄土真宗本願寺派(西本願寺)の日曜学校や仏教青年会に属す。京都大学医学部附属病院医師、本願寺派布教師。
河島 幸夫(かわしま さちお、1942年2月16日 - )は… 河島 幸夫(かわしま さちお、1942年2月16日 - )は、日本の政治学者、西南学院大学名誉教授。専門はドイツの政治、戦争と平和、賀川豊彦研究。博士(法学)。 兵庫県小野市生まれ。東北大学法学部卒業後、神戸大学大学院で学ぶ。西南学院大学法学部法律学科講師、同助教授、法律学科教授、法学部国際関係法学科教授を経て、名誉教授。
塚本 哲夫(つかもと てつお、1942年2月13日 - )は… 塚本 哲夫(つかもと てつお、1942年2月13日 - )は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1964年に関西学院大学商学部を卒業し、同年に六甲バターに入社。1974年2月に取締役を就任し、1977年3月に常務、1979年3月に副社長を経て、1985年3月には社長に就任。2015年1月から2021年3月までに会長を務めた。
涌井 紀夫(わくい のりお、1942年2月11日 - 200… 涌井 紀夫(わくい のりお、1942年2月11日 - 2009年12月17日)は、日本の元裁判官。最高裁判所判事を務めた。 六甲高等学校、京都大学法学部卒業後は1964年(昭和39年)4月に第18期司法修習生、1966年(昭和41年)4月8日に東京地方裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。 2009年(平成21年)8月30日に行われた最高裁裁判官国民審査において、罷免すべきという投票が有効投票の7.73パーセント、517万6090票となり審査対象9人の中で罷免票が最も多い判事となった。ただし、有効投票の半数以上でないと罷免されないため、結果として信任された。
山本 廣一(やまもと ひろいち、1942年(昭和17年)2月… 山本 廣一(やまもと ひろいち、1942年(昭和17年)2月7日 - )は、日本の政治家。元加東市長(1期)。 兵庫県出身。1960年(昭和35年)に旧滝野町役場に職員として入る。町助役を9年務めたのち、1997年(平成9年)に滝野町長に初当選して3期を務めた。 旧加東郡の社町、東条町との合併協議を進め、2006年(平成18年)3月20日に兵庫県加東市が誕生。同年4月30日に行われた市長選で旧・社町長の高橋修一を破り初当選した。 2010年4月の市長選には立候補せず、1期のみで退任した。
鈴木 寛(すずき ひろし、1942年2月1日 - 2026年… 鈴木 寛(すずき ひろし、1942年2月1日 - 2026年4月25日)は、日本のハイテク音楽教育家、音楽教育学者。国立大学法人兵庫教育大学大学院名誉教授。神戸市生まれ。 1983年より兵庫教育大学実技教育研究指導センターで24年間、ピアノ等の鍵盤実技を指導すると共にハイテクによる音楽指導を研究。 オーディオ機器とピアノに頼る従来の音楽教育にとらわれることなく、70年代にはシンセサイザーを、80年代にはコンピュータを導入。「DTM」という和製英語を最初に使った。現在は“連れオケ”なる自動伴奏ソフトの利用を提案するなど、常に音楽教育界に新風を吹き込んでいる。 神戸市立高羽小学校→私立六甲学院 中高卒業。
中村 哲夫(なかむら てつお、1942年2月 - )は、日本… 中村 哲夫(なかむら てつお、1942年2月 - )は、日本の近現代中国史学者。中国・華東師範大学歴史系客座教授。 兵庫県神戸市生まれ。1967年神戸大学文学部史学科東洋史専攻卒業。1970年7月大阪大学大学院文学研究科史学東洋史専攻博士課程中退。大阪大学文学部助手、富山大学教養部助教授を経て、神戸学院大学教養部助教授、1984年教授。1994年「同盟の時代-:中国同盟会の成立過程の研究」で大阪大学より博士(文学)の学位を取得。1996年同人文学部・人間文化学研究科教授(後期博士課程)。2007年、学校法人・神戸学院を退職。日本孫文研究会代表理事、社会経済史学会評議員を経歴。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
野崎 勝義(のざき かつよし、1942年1月27日 - )は… 野崎 勝義(のざき かつよし、1942年1月27日 - )は、日本の実業家。元阪神タイガース球団社長。 兵庫県西宮市出身。神戸市外国語大学外国語学部英米語学科を卒業して、1965年に阪神電気鉄道に入社した。入社後は同社航空営業部(現・阪急阪神ビジネストラベル)に配属され、航空営業一筋に歩む。 1996年同社航空営業部本部旅行部長から阪神タイガースへ出向、同球団の常務取締役に就任した。以降、選手の給与査定改善や球団フロント改革に務める。「タイガースなんてちっちゃい会社。強い、弱いと騒がんでええ」と成績を気にしなかったオーナーの久万俊二郎を説得し、野崎が役員に就任した1996年、球団が赤字になったことを契機に久万は電鉄本社からの資金提供を認めた。
渡辺 康二 (わたなべ こうじ、1942年1月19日 - )… 渡辺 康二 (わたなべ こうじ、1942年1月19日 - )は、日本のプロテニスプレーヤー。 兵庫県芦屋市出身。1960年、全日本ジュニアテニス選手権、1963年全国高等学校総合体育大会(インターハイ)それぞれシングルスに優勝。甲南大学在学中の1963年からデビスカップの日本代表として活躍する傍ら、プロテニス選手として活動し、1964年・1965年・1968年に全日本テニス選手権大会シングルス優勝、1965年-1968年はダブルスも制覇。特に1967年・1968年はシングルス・ダブルスの二冠を達成した。 1970年に競技者の第一線を退き、デビスカップ日本代表の監督に就任(1974年退任)。特に、1971年の大会において、オーストラリアを50年ぶりに破る時の監督として知られた。
川道麟太郎(かわみち りんたろう、1942年- )は、日本の… 川道麟太郎(かわみち りんたろう、1942年- )は、日本の建築学者、歴史学者。 神戸市生まれ。1966年京都工芸繊維大学卒、大阪大学大学院工学研究科修士課程修了。1980年「高密度生活空間における集団密度の影響に関する研究」で工学博士。関西大学工学部助教授、教授を務める。2006年依願退職。建築論・建築計画学専攻。退職後は西郷隆盛について調べ著作をなしている。
田端 泰子(たばた やすこ、1941年12月20日 - )は… 田端 泰子(たばた やすこ、1941年12月20日 - )は、日本の歴史学者。文学博士(京都大学・論文博士・1989年)(学位論文「中世村落の構造と領主制」)。京都橘大学名誉教授、同学長。専門は日本中世史(中世後期の村落構造)・女性史。 兵庫県神戸市生まれ。1964年京都大学文学部卒業、同大学院博士課程中退、橘女子大学助教授、1980年教授、校名変更で1988年京都橘女子大学教授、1989年「中世村落の構造と領主制」で文学博士(京都大学)の学位を取得。2004年より学長、2005年校名変更で京都橘大学学長。2010年退任、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
岩井宜子(いわい よしこ、1941年12月18日- )は、日… 岩井宜子(いわい よしこ、1941年12月18日- )は、日本の法学者、弁護士、専修大学名誉教授。 神戸市生まれ。1960年兵庫県立神戸高等学校卒業、1964年東京大学法学部卒業、東京大学法学部助手、1967年法務総合研究所研究官補、1972年弁護士登録、1977年神奈川大学短期大学部助教授、1982年金沢大学法学部助教授、1984年教授、1994年専修大学法学部教授、2004年同法務研究科教授。2012年定年退任、名誉教授。
上村 忠男(うえむら ただお、1941年12月7日- )は、… 上村 忠男(うえむら ただお、1941年12月7日- )は、日本の歴史学者。東京外国語大学名誉教授。ルネサンス、近世哲学期から20世紀イタリア現代思想までのイタリア思想史の原典訳・研究を多く刊行している。 1941年、兵庫県尼崎市生まれ。東京大学教養学部国際関係論分科を卒業し、同大学院社会学研究科修士課程を修了。 東京外国語大学外国語学部助教授となり、後に教授昇進。大学では、イタリア語学科、総合文化講座を担当した。2003年より大学院地域文化研究科教授。2005年に東京外国語大学を定年退職し、名誉教授となった。 2018年に第三回須賀敦子翻訳賞を受賞した。
福原 正弘(ふくはら まさひろ、1941年11月29日 - … 福原 正弘(ふくはら まさひろ、1941年11月29日 - 2004年8月11日)は、日本の人文地理学研究者、大妻女子大学教授。 兵庫県尼崎市生まれ。1967年、東京大学教養学部を卒業し、三井銀行に入行した。 1974年、東京大学から理学博士を取得した。 三井銀行では、店舗企画部副部長や、業務部調査役などを歴任したが、その後、退職して恵泉女学園大学人文学部教授に転じた。 1992年に大妻女子大社会情報学部教授となった。この間、さくら総合研究所では主席研究員、顧問を歴任した。
井上 芳治(いのうえよしはる、1941年11月23日 - 2… 井上 芳治(いのうえよしはる、1941年11月23日 - 2016年8月9日)は、ランドスケープアーキテクトで環境設計株式会社設立者。ランドスケープコンサルタンツ協会(CLA)関西支部長・副会長、顧問を歴任。技術士建設部門:都市及び地方計画。登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。大阪芸術大学で非常勤講師も務めた。 兵庫県尼崎市生まれ。大阪府立園芸高等学校を経て、1964年東京農業大学卒業後、東京コンサルタンツに入社。その後、近代造園研究所大阪事務所の活動に加わって、千里ニュータウンなどの公園緑地設計に携わる。同研究所閉所を機に1968年に環境設計株式会社を創業し取締役。同時に日本造園設計事務所連合の活動に参加。
井上 竜夫(いのうえ たつお、1941年〈昭和16年〉11月… 井上 竜夫(いのうえ たつお、1941年〈昭和16年〉11月8日 - 2016年〈平成28年〉10月5日)は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優。本名:井上 龍男(いのうえ たつお)。兵庫県尼崎市出身。 吉本新喜劇の座員として吉本興業に所属していた。 尼崎市立尼崎産業高等学校卒業。 キングレコード所属で現役歌手の井上実香は実娘で、代表曲に「大阪恋みれん」「逃げる月」などがある。 尼崎市にスナック「SNACKたっちゃん」を経営。趣味はカメラ収集。実父は奈良県の薬師寺の僧侶であった。 老人に実際ありがちなボケ
梅田 修(うめだ おさむ、1941年10月24日 - )は、… 梅田 修(うめだ おさむ、1941年10月24日 - )は、日本の英語学者。流通科学大学名誉教授。 兵庫県明石市生まれ。京都学芸大学英文科卒業。モンタナ州立大学教育学部修士課程修了。武庫川女子大学助教授、流通科学大学教授、2012年定年、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
泉原 保二(いずはら やすじ、1941年10月6日 - 20… 泉原 保二(いずはら やすじ、1941年10月6日 - 2024年11月15日)は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。泉興業株式会社代表取締役。 尼崎青年会議所理事長、自民党尼崎支部支部長、自民党国会対策委員会委員などを歴任。 兵庫県尼崎市出身。大阪商業大学商経学部を卒業後、産業廃棄物処理会社・泉興業の代表取締役に就任した。尼崎青年会議所の理事長などの役職も務めた。 1976年5月、紺綬褒章を受章する。 1990年2月18日の第39回衆議院議員総選挙で旧兵庫2区より無所属で立候補し、落選した。2003年10月、環境大臣表彰を受ける。 第42回衆議院議員総選挙と第43回衆議院議員総選挙にも立候補したが落選。
生田 暉雄(いくた てるお、1941年〈昭和16年〉10月2… 生田 暉雄(いくた てるお、1941年〈昭和16年〉10月2日 - 2024年〈令和6年〉6月10日)は、日本の弁護士。元裁判官。 1941年、兵庫県神戸市生まれ。関西大学卒業後、高校教師や市役所職員として働きながら司法試験に合格、修習生時代は青法協に所属する。1970年、裁判官任官後、1987年に大阪高等裁判所判事となる。1992年に退官し弁護士登録する。 弁護士としては、高知白バイ衝突死事故、愛媛教科書裁判などの弁護を担う。自らの著書にて裁判所の実態を告発する一方、裁判を「主権実現の手段」と位置付け、市民の手に取り戻す術を提案している。その一方、2020年までに9回の懲戒を受けた経験があり、当時所属していた香川県弁護士会の会長は現役最多記録ではないかとしている。
藤縄 祐爾(ふじなわ ゆうじ、1941年(昭和16年)9月2… 藤縄 祐爾(ふじなわ ゆうじ、1941年(昭和16年)9月22日 - )は、日本の陸上自衛官。第26代陸上幕僚長、第23代統合幕僚会議議長。兵庫県出身。
伊藤 正視(いとう まさみ、1941年9月20日 - )は、… 伊藤 正視(いとう まさみ、1941年9月20日 - )は、日本の経営者。伊藤ハム社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1964年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年に伊藤ハムに入社。1970年に取締役に就任し、1977年5月に常務、1986年3月に専務を経て、2002年10月に社長に就任。2006年5月に取締役に降格。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西岡 浩史(にしおか ひろし、1941年9月12日 - )は… 西岡 浩史(にしおか ひろし、1941年9月12日 - )は、兵庫県出身のアマチュア野球選手(一塁手)、実業家。野球選手引退後は東芝グループで要職を務めた。 芦屋高校では一塁手として活躍。1年上のエース藤悟郎を擁し、1958年春の選抜へ出場。1回戦で宇都宮工に敗退。同年夏の甲子園県予選は準々決勝で兵庫工に敗れる。翌1959年も春の選抜に連続出場。1回戦で三浦和美のいた広陵高を降すが、2回戦で浪華商に敗れる。同年夏は県予選準々決勝で滝川高に敗退、甲子園には届かなかった。高校同期には安藤敏雄、広瀬幸司のバッテリーがいた。 卒業後は慶應義塾大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは1962年秋季リーグ、1963年春季リーグに優勝。
江崎 勝久(えざき かつひさ、1941年(昭和16年)8月2… 江崎 勝久(えざき かつひさ、1941年(昭和16年)8月27日 - )は、日本の実業家。江崎グリコの社長。灘中学・灘高等学校同窓会会長。
肥塚 隆(こえづか たかし、1941年8月21日 - 202… 肥塚 隆(こえづか たかし、1941年8月21日 - 2022年9月)は、日本の仏教美術史学者。大阪大学名誉教授。アジアの仏教美術を研究した。 兵庫県姫路市生まれ。1964年京都大学文学部哲学科卒、1973年同大学院博士課程宗教学満期退学。1974年大阪大学文学部助手、1976年講師、1979年助教授、1989年教授。1999年文学部長・文学研究科長。2005年定年退官、名誉教授、大阪人間科学大学学長。
石見 利勝(いわみ としかつ、1941年(昭和16年)8月1… 石見 利勝(いわみ としかつ、1941年(昭和16年)8月14日 - )は、日本の政治家。兵庫県姫路市長(4期)。 父は元姫路市長の石見元秀。 6人きょうだいの第4子として兵庫県飾磨郡余部村(現・姫路市)に生まれる。余部村立余部小学校、姫路市立白鳥中学校、兵庫県立姫路西高等学校を経て、京都大学理学部宇宙物理学科、東洋大学工学部建築学科卒業。東京工業大学大学院に進学し、石原舜介研究室で都市計画を専攻。1973年、東京工業大学大学院理工学研究科博士課程を修了し、工学博士号を取得した。1974年より東京工業大学助手。1979年、建設省建築研究所主任研究員に着任し、1983年には同研究所第六研究部都市防災研究室長に就任した。
西條 笑児(さいじょう しょうじ、 本名:河内弘、1941年… 西條 笑児(さいじょう しょうじ、 本名:河内弘、1941年〈昭和16年〉8月8日 - 1996年〈平成8年〉4月3日)は、元漫才師、タレント。 兵庫県神戸市出身。甲南大学文学部卒業。父は西条凡児。兄は西條遊児。娘は元宝塚歌劇団の西條三恵。 1966年、それまで勤務していた広告代理店をリストラされたことを機に兄とコンビを結成し漫才師デビュー。神戸を中心にラジオのパーソナリティーを長年勤めた。 1996年4月3日、死去。55歳没。 西條の没後、日本映画批評家大賞内の舞台ミュージカル大賞に西條笑児賞の副名称がつけられている。
柄谷 行人(からたに こうじん(ゆきと)、本名:柄谷 善男〈… 柄谷 行人(からたに こうじん(ゆきと)、本名:柄谷 善男〈からたに よしお〉、1941年〈昭和16年〉8月6日 - )は、日本の哲学者、文学者、文芸批評家。兵庫県尼崎市出身。戦後日本を代表する批評家である。 筆名は夏目漱石の小説『行人』にちなむとされているが、本人は「kojin」という語感と響きから偶然思いついたと語っている。「国家」「資本」「ネーション」とは区別されるものとして、近年は「アソシエーション」という言葉を強調している。 『意識と自然ー漱石試論』(1969年)で論壇に登場。言葉と人間との関係を追究し、近代を読み直す。著書に『意味という病』(1975年)、『坂口安吾と中上健次』(1996年)、『トランスクリティーク カントとマルクス』(2001年)、『哲学の起源』(2012年)、『帝国の構造』(2014年)、『世界史の構造』(2015年)など。
北川 公一(きたがわ こういち、1941年6月29日 - )… 北川 公一(きたがわ こういち、1941年6月29日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手)。
朝岡 勲(あさおか いさお、1941年6月20日 - 200… 朝岡 勲(あさおか いさお、1941年6月20日 - 2006年6月10日)は、兵庫県洲本市出身(本籍地は、同県尼崎市)で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。最高位は西前頭10枚目(1966年5月場所)。現役時代の体格は174cm、129kg。得意手は押し。 洲本市立青雲中学校在学時より相撲を始め、卒業後、川崎重工業の相撲部を経て1962年に高砂部屋へ入門。同年5月場所、20歳で初土俵を踏んだ。 当時、まだ実業団相撲のレベルが懐疑視されていた中、実業団で5年間鍛えた実力を発揮。足腰の良さを生かした押し相撲を活かし、1964年11月、初土俵から僅か2年半で十両に昇進した。 その後、1966年3月場所にて新入幕(実業団出身力士としては、大龍志郎以来2人目となる、幕内昇進)。
金 義泰(キム・ウィテ、朝: 김의태、英: Kim Ui-T… 金 義泰(キム・ウィテ、朝: 김의태、英: Kim Ui-Tae、1941年6月2日-)は韓国の柔道選手。日本名は山本 義泰(やまもと よしやす)。兵庫県神戸市長田区出身。階級は中量級。身長174cm。 在日韓国人として生まれて、神港学園高校から天理大学に進み、主将を務めるなどして活躍した、1961年の世界選手権(無差別)では韓国代表で出場して、準決勝で曽根康治に判定、3位決定戦で古賀武に払腰で敗れたが4位となった。また、1963年のプレオリンピック大会の中量級では決勝で中央大学の岡野功に敗れた。 その後、1964年には東京オリンピックの中量級代表に選ばれて韓国で練習していたが、コーチがいなかったので何もかも自分でこなさなければならなかった。
倉岡 伸太朗(くらおか しんたろう、1941年5月16日 -… 倉岡 伸太朗(くらおか しんたろう、1941年5月16日 - )は、日本の元俳優。兵庫県神戸市出身。旧芸名:倉丘伸太郎。 兵庫県立兵庫高等学校在学中の1959年に東映ニューフェイスの第6期生に合格、高校を中退して役者となる。1963年4月、日本電波映画に入社。同年10月から放送されたテレビドラマ『姿三四郎』の三四郎役で人気を博し、以降柔道モノのドラマに相次いで出演する。その人気は高く、1965年度のブロマイド売上男性俳優部門で2位となっている。1970年代半ば頃に芸名を「倉丘伸太郎」から「倉岡伸太朗」に改名した。1970年代以降はテレビ時代劇へのゲスト出演が主となり、1981年の映画出演を最後に芸能界を引退する。
倉岡 伸太朗(くらおか しんたろう、1941年5月16日 -… 倉岡 伸太朗(くらおか しんたろう、1941年5月16日 - )は、日本の元俳優。兵庫県神戸市出身。旧芸名:倉丘伸太郎。
児玉 禎彦(こだま よしひこ、1941年4月22日 - )は… 児玉 禎彦(こだま よしひこ、1941年4月22日 - )は兵庫県出身の元プロ野球選手(二塁手、三塁手、遊撃手、外野手)。
井上 堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - 2… 井上 堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - 2018年5月2日)は、日本のギタリスト・作曲家・歌手・音楽プロデューサー。本名は同じ。別名は井上 孝之。愛称はイノヤン。兵庫県神戸市出身。 兵庫県立星陵高等学校卒業後は、滝の茶屋駅前の「すしひろ」で板前だったが、TVのオーディション番組をきっかけに、歌の世界に入る。 ザ・スパイダース結成時代は、「スリージェット」という3人組のコーラス&ダンスグループの一員として活躍したが、リバプールサウンド編成に伴い、ギターを独学し、ボーカルと、リード・ギターを担当するまでになった。ザ・スパイダース時代は井上 孝之と名乗っていた。 1970年のザ・スパイダース解散後、1971年にPYGに参加し、「花・太陽・雨」「自由に歩いて愛して」などを作曲した。
井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - )は… 井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - )は、日本のミュージシャン・ギタリスト・作曲家・歌手・音楽プロデューサー。兵庫県神戸市出身。本名は同じ。別名は井上 孝之。愛称はイノヤン。
植村 直己(うえむら なおみ、1941年〈昭和16年〉2月1… 植村 直己(うえむら なおみ、1941年〈昭和16年〉2月12日 - 1984年〈昭和59年〉2月13日)は、日本の登山家、冒険家。 兵庫県出身。1970年に世界最高峰エベレストに日本人で初めて登頂した。同年、世界初の五大陸最高峰登頂者となる。1978年に犬ぞり単独行としては世界で初めて北極点に到達した。1984年、冬期のマッキンリー山(デナリ)に世界で初めて単独登頂したが、下山中に消息不明となった。1984年、国民栄誉賞を受賞した。 1941年2月12日、兵庫県城崎郡国府村(現:豊岡市日高町)上郷で、父・植村藤治郎と母・梅の7人兄弟の末子として生まれた。実家は農業とわら縄製造。 藤治郎の3代前の「植村直助」から「直」の字を取り、干支の「巳」と合わせて「直巳」と名付けられたが、村役場の戸籍担当職員が戸籍簿に誤って「直已」と記入したことから、戸籍名は「直已」として登録された。
岩見 武三(いわみ たけぞう、1941年1月29日 - )は… 岩見 武三(いわみ たけぞう、1941年1月29日 - )は、日本の教育者、政治家。元兵庫県神崎郡市川町長(2期)。 市川町出身。神戸大学教育学部卒業。中学校教員を37年間務めたのち、区長6年間を経て2011年の市川町議会議員選挙に立候補し初当選を果たす(日本共産党公認)。 当選後は町議会議長を務めていたが、任期満了に伴う2015年の町長選挙に際して議員を辞職。「市川町 絆の会」の支援を得て無所属で出馬を表明する。選挙戦では子どもや高齢者の福祉の充実などを盛り込んだ「市川町ひまわりプラン2015」を掲げ、投開票の結果、再選を目指していた現職の岡本修平を下し初当選。兵庫県では隣接する嶋田正義福崎町長についで2人目(通算では山田兼三元南光町(現佐用町)長、工藤崇元上郡町長を含め4人目)の日本共産党員首長が誕生した。
岡本 佳男(おかもと よしお、1941年〈昭和16年〉1月1… 岡本 佳男(おかもと よしお、1941年〈昭和16年〉1月10日 - )は、日本の高分子化学者。名古屋大学名誉教授、特別教授、ハルビン工程大学特聘教授。 世界に先駆けて不斉重合によって、選択的に高分子を一方方向のらせん型に合成したことで知られる。また、らせん高分子を使用した鏡像異性体を分離する高速液体クロマトグラフィー用の光学分割カラム充填剤を開発し、その成果は医療や高分子研究に利用されている。 2019年4月には、名古屋大学が岡本若手奨励賞を創設している。これは日本国際賞を受賞した際、賞金の一部を名古屋大学に寄付したためで、若手研究者を支援するために設けられたものである。 1979年、世界初のらせん高分子の合成に成功した。