木村 知義(きむら ともよし、1948年1月28日 - )は… 木村 知義(きむら ともよし、1948年1月28日 - )は、21世紀社会動態研究所主宰、元多摩大学経営情報学部客員教授(-2019年3月)東北学院大学教養学部非常勤講師(-2018年3月)。元NHKアナウンサー。
和歌山県:822人
木村 知義(きむら ともよし、1948年1月28日 - )は… 木村 知義(きむら ともよし、1948年1月28日 - )は、21世紀社会動態研究所主宰、元多摩大学経営情報学部客員教授(-2019年3月)東北学院大学教養学部非常勤講師(-2018年3月)。元NHKアナウンサー。
谷口 維紹(たにぐち ただつぐ、1948年1月1日 - )は… 谷口 維紹(たにぐち ただつぐ、1948年1月1日 - )は日本の分子免疫学者。東京大学教授。和歌山県出身。
小黒 世茂(おぐろ よも、1948年 - )は、日本の歌人… 小黒 世茂(おぐろ よも、1948年 - )は、日本の歌人。 大阪市在住。玲瓏編集委員。大阪歌人クラブ理事。現代歌人協会、現代歌人集会、日本文藝家協会会員。 1948年和歌山市加太生まれ。1989年玲瓏入会、塚本邦雄に師事。 1999年に「隠国(こもりく)30首で第10回「歌壇賞」を受賞。以降、高野山や熊野を主題とし、独特のアニミズム感覚にもとづく作歌活動をつづける。 歌集に『隠国』『猿女』『雨たたす村落(むら)』『やつとこどつこ』『小黒世茂歌集』『舟はゆりかご』、エッセイ集に『熊野の森だより』『記紀に游ぶ―日本のわすれもの』などがある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
藤田 平(ふじた たいら、1947年10月19日 - )は、… 藤田 平(ふじた たいら、1947年10月19日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
中川 智子(なかがわ ともこ、1947年(昭和22年)9月2… 中川 智子(なかがわ ともこ、1947年(昭和22年)9月28日 - )は、日本の政治家。兵庫県宝塚市長(3期)、衆議院議員(2期)を務めた。 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町生まれ。中学2年生まで大阪府貝塚市で育ち、横浜市へ転居。鶴見女子短期大学国文科卒業後、海運会社に就職。社内報を担当した。後の夫となる一目ぼれした人を追いかけて結婚。兵庫県川西市の夫の社宅に住んだあと、宝塚市に移住。子育てをしながら、3年かけて保育士の国家試験に合格した。 宝塚市にて、未就学児の保育施設を開設し、市民団体「宝塚学校給食を考える会」を立ち上げた。夫の転勤に伴い熊本県へ転居。 1995年1月、宝塚市で阪神・淡路大震災を経験。
清月 輝(きよづき てる、1947年9月23日 - 1970… 清月 輝(きよづき てる、1947年9月23日 - 1970年8月12日)は、かつて宝塚歌劇団花組に在籍していたタカラジェンヌ(両役・53期生)。本名、越川 長子。後述の航空禍により在団のまま死去。
道浦 母都子(みちうら もとこ、1947年9月9日 - )は… 道浦 母都子(みちうら もとこ、1947年9月9日 - )は、日本の歌人。『未来』選者。 全共闘世代の心情を歌った歌集『無援の抒情』(1980年)で現代歌人協会賞受賞。他の歌集に『水憂』(1986年)、『夕駅』(1997年)、『はやぶさ』(2013年)など。 和歌山県和歌山市生まれ。大阪府吹田市在住。祖父・道浦若八は、部落解放運動にも縁のあった和歌山県議会議員。父は大阪工業大学土木工学科卒の土木技師で、日本窒素(後のチッソ)の関連会社・朝鮮窒素に勤務して、戦後に日本に引き揚げた。 中学まで和歌山で暮らした後、父が千里ニュータウン開発に携わることになり大阪に移住。大阪府立北野高等学校を経て、早稲田大学第一文学部演劇学科に進学。
半田 美永(はんだ よしなが、1947年8月23日 - )は… 半田 美永(はんだ よしなが、1947年8月23日 - )は、日本の国文学者。近代文学が専門。皇學館大学名誉教授。 和歌山県出身。和歌山県立那賀高等学校を経て、1971年に皇學館大學文学部国文学科を卒業。1978年、同大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。講談社『子規全集』の編纂に従事。智辯学園和歌山中学校・高等学校教諭を経て、1984年に皇學館大學専任講師となる。2003年に「佐藤春夫研究」で博士(文学)の学位を取得。助教授、教授を経て、2013年に定年退職。その間、学生部長、文学部長、評議員、理事などを務めた。2018年3月まで皇學館大学特別教授、同年4月より名誉教授。 その後、河南大学客座教授、河南師範大学客座教授。
田 次朗 (うえだ じろう、1947年7月6日 - )は、和… 田 次朗 (うえだ じろう、1947年7月6日 - )は、和歌山県田辺市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
田村 さと子(たむら さとこ、1947年3月26日 - 20… 田村 さと子(たむら さとこ、1947年3月26日 - 2020年1月19日)は、日本のラテンアメリカ文学研究者、詩人、元帝京大学教授。 和歌山県新宮市生まれ。本姓・川村。夫は新潟県副知事・立教大学教授を務めた自治省官僚の川村仁弘。小学校から和歌山県立新宮高等学校まで、中上健次と同級だった。1978年お茶の水女子大学家政学部卒業。メキシコ国立自治大学でラテンアメリカ文学を、スペイン国立マドリード大学で詩論を学ぶ。1989年お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士課程中退。1991年、「ガブリエラ・ミストラルの「死のソネット」研究」(川村さと子)で同大学術博士。1992年帝京大学助教授、のち教授。
広畑 良次(ひろはた よしつぐ、1947年 - )は、日本の… 広畑 良次(ひろはた よしつぐ、1947年 - )は、日本の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 橋本高等学校では、3年生時に1965年夏の甲子園県予選でエースとして活躍。140kmのストレートを武器としていた。しかし、体調不良により、思うような投球ができずに、準々決勝で県立和歌山商業高等学校に敗退し、甲子園への出場は実現しなかった。同年のドラフト会議で東映フライヤーズから2位指名されたが入団を拒否し、立教大学に進学する。 大学卒業後は帰郷し、家業の生花店を手伝いながら、1970年夏から30年間に亘って、母校の橋本高校の野球部監督を務めた。2008年をもって勇退し、翌年には育成功労賞を受賞した。
小川 茂仁(おがわ しげひと、1946年10月16日 - )… 小川 茂仁(おがわ しげひと、1946年10月16日 - )は、和歌山県海南市出身の元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者。 海南高等学校では遊撃手として活躍し、同期のエース・山下慶徳らと甲子園に3度出場した。高校卒業後に東海大学に進学して硬式野球部に所属し、全日本大学野球選手権で優勝した経験もある。同期のエースに渡辺孝博がいた。 大学卒業後は、社会人野球の日立製作所のチームでプレーし、東海大学でコーチ、監督を務めた。1992年10月に宮崎県の日南学園高等学校の監督に就任。2007年まで務め、春4回、夏5回で甲子園への出場に導き、1998年秋の明治神宮野球大会で全国優勝を果たし、寺原隼人、赤田将吾、井手正太郎などを育成した。
神野志 隆光(こうのし たかみつ、1946年9月19日 - … 神野志 隆光(こうのし たかみつ、1946年9月19日 - )は、日本の日本文学研究者。学位は文学博士(東京大学・論文博士・1994年)。東京大学名誉教授、明治大学特任教授。 和歌山県海南市に生まれる。和歌山県立桐蔭高等学校、1970年に東京大学文学部国文科卒、1974年に同大学大学院博士課程中退。 名古屋大学助教授、1986年に東京大学教養学部助教授、1991年に教授。1994年に「柿本人麻呂研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。2001年に三島海雲財団記念学術奨励金を授与される。2010年に定年退任、明治大学特任教授。 『古事記』など上代文学を専門とするが、特に天皇制を相対化し捉えた研究をしている。
中上 健次(なかがみ けんじ、1946年〈昭和21年〉8月2… 中上 健次(なかがみ けんじ、1946年〈昭和21年〉8月2日 - 1992年〈平成4年〉8月12日)は、日本の小説家。妻は作家の紀和鏡、長女は作家の中上紀。 和歌山県新宮市生まれ。和歌山県立新宮高等学校卒業。新宿でのフーテン生活の後、羽田空港などで肉体労働に従事しながら作家修行をする。1976年『岬』で第74回芥川賞を受賞、戦後生まれで初めての芥川賞作家となった。 紀伊半島(紀伊)を舞台にした数々の小説を描き、ひとつの血族と「路地」(中上は被差別部落の出身で、自らの生まれた部落を「路地」と名付けた)のなかの共同体を中心にした「紀州熊野サーガ」とよばれる独特の土着的な作品世界を作り上げた。 主要作品に『枯木灘』(毎日出版文化賞、芸術選奨新人賞)『千年の愉楽』『地の果て 至上の時』『奇蹟』などがある。
大橋 建一(おおはし けんいち、1946年〈昭和21年〉6月… 大橋 建一(おおはし けんいち、1946年〈昭和21年〉6月22日 - 2022年〈令和4年〉11月8日)は、日本の政治家。位階は正五位。 元和歌山市長。和歌山県東牟婁郡下里町(現那智勝浦町)出身。父は元和歌山県知事の大橋正雄。お茶の水女子大学名誉教授の原ひろ子は従姉。「健一」は誤記(名前の由来については後述)。 1946年(昭和21年)6月22日、大橋正雄の長男として和歌山県東牟婁郡下里町(現那智勝浦町)にある母の実家で生まれる。「建一」という名前には、姓の「大橋」と掛けて「廃墟となった戦後の日本に、復興の大きな橋を一番に建てる」という父の願いが込められている。 父が和歌山県庁に入庁したため、1949年(昭和24年)12月に和歌山市に転居。
東野 光生(とうの こうせい、1946年5月21日 - )は… 東野 光生(とうの こうせい、1946年5月21日 - )は、日本の水墨画家、小説家。
山下 慶徳(やました けいとく、1946年4月20日 - )… 山下 慶徳(やました けいとく、1946年4月20日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(外野手、三塁手)。
辻原 登(つじはら のぼる、1945年12月15日 - )は… 辻原 登(つじはら のぼる、1945年12月15日 - )は、日本の小説家。和歌山県印南町出身。日本芸術院会員、文化功労者。神奈川近代文学館前館長。 十代から小説を書きはじめ、文化学院で桂芳久に学ぶ。21歳で文藝賞(河出書房)佳作に選ばれるが、その後は中国貿易の仕事に就きたびたび現地に赴く。1985年、「文學界」に発表した「犬かけて」で作家デビューを果たし、1990年、44歳の時に「村の名前」で芥川賞を受賞する。主な作品は、『翔べ麒麟』(読売文学賞)、『遊動亭円木』(谷崎潤一郎賞)、『枯葉の中の青い炎』(川端康成文学賞)、『許されざる者』(毎日芸術賞)、『闇の奥』(芸術選奨)、『冬の旅』(伊藤整文学賞受賞)。
富司 純子(ふじ すみこ、1945年〈昭和20年〉12月1日… 富司 純子(ふじ すみこ、1945年〈昭和20年〉12月1日- )は、日本の女優・司会者。血液型O型。和歌山県御坊市出身。旧芸名は藤 純子(ふじ じゅんこ)。本名は寺嶋 純子(てらじま じゅんこ)、旧姓は俊藤(しゅんどう)。2007年(平成19年)に紫綬褒章受章。2016年(平成28年)春の叙勲で旭日小綬章を受章。 疎開先の御坊市で生まれ、5歳のときに大阪市東成区へ移り、7歳から日本舞踊を習う。大阪市立中道小学校、大阪市立本庄中学校卒業。父親・俊藤浩滋は家にはほとんど帰ってこない火宅の人で、母と祖母に苦労して育てられる。中学のときに宝塚歌劇のファンになり、中学卒業時に宝塚音楽学校を受験しようと考えて、宝塚コドモアテネに通っていたことがあった。
旅田 卓宗(たびた たくそう、1945年〈昭和20年〉4月4… 旅田 卓宗(たびた たくそう、1945年〈昭和20年〉4月4日 - )は、日本の政治家、元警察官。和歌山市議会議員(3期)、和歌山市長(4期)、和歌山県議会議員(3期)を歴任した。 1945年4月4日、稲荷永一と花子の子として生まれる(4人兄弟の3人目)。幼名は卓三、しかし1948年に両親が離婚し、母方の姓となる。 1964年、和歌山県立和歌山工業高等学校を卒業後、和歌山県警察の巡査となり、和歌山県警察学校に入校。1965年4月に警察学校を首席卒業して海南警察署に配属されたが、同年7月に警察官を辞職し、小学校教員を目指したが果たせなかったため、同年12月に復職して白浜警察署に配属された。 1969年10月、政治家を目指して再び警察官を辞職、1971年の統一地方選挙に無所属で立候補し和歌山市議会議員に初当選して政界入りを果たした。
増井武士(ますい たけし、1945年2月11日 - )は、日… 増井武士(ますい たけし、1945年2月11日 - )は、日本の精神療法家。 和歌山県和歌山市生まれ。1967年神戸大学教育学部教育心理学科卒、1967年京都大学大学院修士課程特別研究生を経て、1973年九州大学大学院教育学研究科博士課程修了。93年「症状への「間」の努力を中心とした治療方法論の展開 患者体験に視座を据えた治療論」で教育学博士。1977年産業医科大学医学部助教授、教授、同大学病院精神・神経科および産業医実務研修センターを併任。2007年退官後、九州産業大学国際研究学部臨床心理学専攻教授。東亜大学客員教授。専門は精神療法学、治療面接学、メンタルヘルス論及びメンタルヘルスマネージメント。
宮本 勝浩(みやもと かつひろ、1945年1月12日 - )… 宮本 勝浩(みやもと かつひろ、1945年1月12日 - )は、日本の経済学者、大阪府立大学名誉教授、関西大学名誉教授。博士(経済学)(神戸大学)(2004年)。専門分野は、ロシア経済学、数理経済学。大阪府立大学副学長、ロシア・東欧学会副代表理事などを歴任。和歌山県和歌山市出身。2024年、瑞宝小綬章受章。 阪神タイガースの優勝をはじめ、様々な事象が起こることによって生じる経済効果の分析をテレビ、ラジオなどのマスコミで発表している。 主な学術論文として以下のものがある。 以下はレギュラーで出演経験のあるテレビ・ラジオ番組。
東 隆明(あずま りゅうめい、1944年9月28日 - )は… 東 隆明(あずま りゅうめい、1944年9月28日 - )は、日本の男性作家、脚本家、演出家、作詞家、俳優、コミュニティネットワーク自然会会長。和歌山県和歌山市出身。旧芸名は東 龍明。 近衛文隆の庶子を称する。隆明の生年に文隆は大谷正子と結婚し、隆明の生母とは婚姻を結ばなかったという。 和歌山県立和歌山商業高等学校卒業後、19歳で上京。俳優、演出、脚本、企画制作などに携わる。また、情操教育を通じて青少年の健全育成に尽力すべく、学校演劇も手がける。 1983年、自然会(現コミュニティネットワーク自然会)発足、主宰。愛と究極の平和を説き続けている。講演会多数。 1992年より始められた島原復興支援活動では、復興ビルを創設して運営しながら常駐者を置き、地域のコミュニケーションに尽力する。
柴田 猛(しばた たけし、1944年8月11日 - )は、和… 柴田 猛(しばた たけし、1944年8月11日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)・コーチ・監督。
土橋 修(つちはし おさむ、1944年6月3日 - 1966… 土橋 修(つちはし おさむ、1944年6月3日 - 1966年12月21日)は、和歌山県那賀郡出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 粉河高校、日本新薬(在籍中に、第35回都市対抗野球大会に出場した。)を経て、1965年に阪神タイガースに入団。179cmの長身を生かしたソツのない投法は高く評価されていた。 しかし、一軍公式戦の出場がないまま1966年12月19日に和歌山市六十谷の六十谷橋で乗用車にはねられ頭部打撲と両足骨折の重傷を負った。土橋はすぐに同市本町の堀口外科に入院したが、頭を強く打ったのが致命傷となり2日後の12月21日午後10時20分、同病院で死去した。22歳没。オフを利用して同市内の自動車学校に通い、学校からの帰宅途中に事故に遭ったと伝わる。
谷内 達(たにうち とおる、1944年(昭和19年)5月11… 谷内 達(たにうち とおる、1944年(昭和19年)5月11日 - )は、日本の地理学者、東京大学名誉教授、帝京大学教授。
雑賀 幸男(さいが ゆきお、1944年4月7日- )は、和歌… 雑賀 幸男(さいが ゆきお、1944年4月7日- )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手/外野手・右投右打)である。
関 佳哉(せき よしや、1943年10月21日 - 2014… 関 佳哉(せき よしや、1943年10月21日 - 2014年2月14日)は、日本の政治家。元和歌山市議会議員(1期)。
阪田 雅裕(さかた まさひろ、1943年〈昭和18年〉9月2… 阪田 雅裕(さかた まさひろ、1943年〈昭和18年〉9月20日 - )は、日本の大蔵官僚、弁護士。勲等は瑞宝大綬章。アンダーソン・毛利・友常法律事務所顧問、第一東京弁護士会所属。 大蔵省大臣官房審議官、内閣法制局総務主幹、内閣法制局第三部部長、内閣法制局第一部部長、内閣法制次長、内閣法制局長官などを歴任した。 和歌山県出身の大蔵官僚である。大蔵省においては、大臣官房参事官を経て審議官を務めた。のちに内閣法制局に出向し、総務主幹を経て、第三部や第一部の部長を務めるなど、要職を歴任した。2002年には内閣法制次長に就任した。2004年には秋山收の後任として内閣法制局長官に就任し、第2次小泉内閣から第3次小泉改造内閣にかけて同職を務めた。
杉谷 昭子(すぎたに しょうこ、1943年2月25日 - 2… 杉谷 昭子(すぎたに しょうこ、1943年2月25日 - 2019年5月8日)は、日本のピアノ奏者。本姓・岡田。 和歌山県和歌山市出身。東京芸術大学卒業後、1976年ケルン音楽大学大学院修了。矢田暎子、井口秋子、デートレフ・クラウス、エリーザ・ハンゼン、ブルーノ・レオナルド・ゲルバー、アレクシス・ワイセンベルク、クラウディオ・アラウ等に師事。旧西独演奏家国家試験で1等賞を獲得することになるブラームスのピアノ協奏曲第1番の演奏が、大手マネージャーに認められ、デュッセルドルフでデビューする。 1971年エッセンフォルクヴァングコンクール優勝。72年マリア・カナルス国際コンクール2位。ミラノ音楽祭出演。
松山 恒昭(まつやま つねあき、1942年 <昭和17年> … 松山 恒昭(まつやま つねあき、1942年 <昭和17年> 12月7日 - )は、日本の裁判官、弁護士。神戸地方裁判所長や、大阪高等裁判所部総括判事を務めた。瑞宝重光章受章。 1961年和歌山県立橋本高等学校卒業。1965年東京都立大学法経学部法学科卒業。参議院法制局参事を経て、1966年旧司法試験に合格。大阪地方裁判所部総括判事、釧路地方裁判所長、司法研修所第1部上席教官を経て、2001年神戸地方裁判所長。2004年大阪高等裁判所部総括判事。2008年大阪弁護士会弁護士登録。2013年瑞宝重光章受章。法務省難民審査参与員、近畿大学法科大学院教授等も歴任した。
尾藤 公(びとう ただし、1942年10月23日 - 201… 尾藤 公(びとう ただし、1942年10月23日 - 2011年3月6日)は、日本の高校野球元指導者で、高校野球の解説者を務めた。元和歌山県立箕島高等学校野球部監督。長男である尾藤強も同高校OBであり、現在同高校野球部監督を務めている[1]。
木原 義隆(きはら よしたか、1942年7月12日 - )は… 木原 義隆(きはら よしたか、1942年7月12日 - )は、和歌山県海南市出身の元プロ野球選手。選手時代のポジションは投手で、投法はアンダースロー。
井口 洋(いぐち ひろし、1942年6月22日 - 2023… 井口 洋(いぐち ひろし、1942年6月22日 - 2023年2月26日)は、日本文学者、奈良女子大学名誉教授。位階は従四位。 学歴: 和歌山市立本町小学校、同伏虎中学校、和歌山県立桐蔭高等学校 和歌山市生まれ。1965年京都大学文学部国文科卒、1971年同大学院文学研究科博士課程満期退学。96年「西鶴試論」で京大文学博士。帝塚山短期大学講師、奈良女子大学助教授、教授、副学長。2006年定年退官、名誉教授。 2023年2月26日、急性心臓死のため死去。80歳没。死没日付をもって従四位に叙され、瑞宝小綬章を追贈された。
池田 和歌子(いけだ わかこ、1942年6月19日 - )は… 池田 和歌子(いけだ わかこ、1942年6月19日 - )は、日本の女優、声優。 和歌山県伊都郡かつらぎ町出身。出生は大阪市西成区。 和歌山県立伊都高等学校卒業。 高校在学中にNHK大阪放送劇団ORTに入団し、高校卒業後の1961年、浪花千栄子の推薦でNHK大阪演技研究所に入所する。卒業後、同期生と「テアトル・ラディー」を結成し、その後は、大宝芸能、東京俳優生活協同組合、オフィス・ほうせいなどに所属していた。 『華岡青洲の妻』(NTV)では水谷八重子と南田洋子に対する名手弁の指導役も兼ねて役を貰っている。 1974年にアニメ作画監督のアベ正己と結婚。結婚後の1975年、「群六舎プロ」を設立して役員となった。
東 力(ひがし ちから、1941年11月21日 - 2022… 東 力(ひがし ちから、1941年11月21日 - 2022年9月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。企業家、ヒューロン国際大学ロンドン校総長。 和歌山県新宮市出身。東京大学教養学部教養学科卒業。GWUジョージ・ワシントン大学大学院博士課程修了。1989年、GWU卒業生に贈られる最高栄誉賞(5名選出)を、先輩であるコーリン・パウエルとともに授与された。 1965年、大蔵省に入省。入省同期に薄井信明、榊原英資、竹島一彦らがいる。国際金融局総務課に配属。課長は渡辺誠、筆頭課長補佐は渡辺喜一、次席(末席)補佐は藤野公毅。係長も含めて一丸となって東に英語を教えていたという。 名古屋国税局調査査察部国税調査官、銀行局特別金融課特別銀行係長心得、諏訪税務署長、理財局国有財産第一課長補佐(総括)、アジア開発銀行予算企画担当官、大臣官房企画官、大臣秘書官などを経て、1983年の第37回衆議院議員総選挙に旧和歌山2区から無所属で立候補し、衆議院議員初当選(選挙後、自由民主党に追加公認された。
照の花 謙二(てるのはな けんじ、1941年10月26日 -… 照の花 謙二(てるのはな けんじ、1941年10月26日 - 没年不明 )は、荒磯部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元力士。本名は道脇 謙二(みちわき けんじ)。現在の和歌山県海南市出身。173cm、140kg。最高位は東十両6枚目。得意技は左四つ、上手出し投げ。 母の知人が横綱・照國を贔屓にしていて伊勢ヶ濱部屋が和歌山で泊まりつけにしている旅館「米栄楼」を経営していたのが縁で勧誘され、自身は遊びたい一心で相撲は嫌だったので入門を拒んだが、母に「絶対帰って来てはいかん」と言われて入門した。しかし、身長が足りなかったこともあって4年間も新弟子検査に合格できなかった。1956年9月場所に初土俵。明朗で素直な性格であったが、気の小ささから大事な一番を落とすことが多かったので出世は早くなかったが、1964年1月場所に十両昇進。
松澤 佑次(まつざわ ゆうじ、1941年10月18日 - )… 松澤 佑次(まつざわ ゆうじ、1941年10月18日 - )は、日本の医学者。住友病院名誉院長・最高顧問。元大阪大学医学部附属病院 病院長、大阪大学名誉教授。アディポネクチンの発見者であり、「メタボリックシンドローム」の提言者としても知られる。和歌山県田辺市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
山本 秀一(やまもと ひでかず[1]/ひでい… 山本 秀一(やまもと ひでかず[1]/ひでいち[2]、1941年6月18日 - )は、和歌山県出身の陶芸家、元プロ野球選手。プロ野球選手時代のポジションは内野手。陶芸家としては雷山陶秀の名義で活動している。
和田 勇(わだ いさみ、1941年4月29日 - )は、日本… 和田 勇(わだ いさみ、1941年4月29日 - )は、日本の実業家。積水ハウス元代表取締役会長兼CEO、同社元相談役。 和歌山県橋本市の第一生命保険職員の家に生まれる。父が従軍のため、父の実家のある那賀郡上名手村(現紀の川市)に2歳のとき転居。村立上名手小学校卒業、紀の川市立那賀中学校(当時:応神中学校)卒業。叔父の養子となり、野球部が強かった和歌山県立伊都高等学校に進学。和歌山県立粉河高等学校に転校し、同校卒業。 中学・高校では野球部に所属したが、肩をケガして退部し、受験勉強を開始。1961年、1年間の浪人を経て第二志望の関西学院大学法学部に入学。大阪府泉佐野市に転居した父の家から大学に通ったものの、学業には力を入れず、麻雀や旅行をして過ごした。
落合 莞爾(おちあい かんじ、1941年〈昭和16年〉4月2… 落合 莞爾(おちあい かんじ、1941年〈昭和16年〉4月26日 - )は、日本の投資家、経営コンサルタント、歴史研究家。 一色 崇美(いっしき たかよし)・成行庵主人の筆名がある。 和歌山県和歌山市生まれ。 和歌山県立桐蔭高等学校を経て東京大学法学部卒業後、住友軽金属を経て経済企画庁調査局へ出向、住宅経済と社会資本の分析に従事し、1968-69年の『経済白書』の作成に携わる。その後、中途入社第1号として野村證券に入社、商法および証券取引法に精通し事業法人部業務課長に就任。債務超過に陥った日活の第三者割当増資や、流通卸センターによる横浜メリヤスへのM&Aで仕掛人として動いたと言われている。1978年に野村證券を退社し、株式会社新事業開発本部(現・落合莞爾事務所)を設立。
小林 稔侍(こばやし ねんじ、1941年〈昭和16年〉2月7… 小林 稔侍(こばやし ねんじ、1941年〈昭和16年〉2月7日 - )は、日本の俳優である。本名は、「こばやし としじ」。 身長180cm、血液型はA型。鈍牛倶楽部所属。かつらぎ町観光大使。和歌山県伊都郡かつらぎ町出身。和歌山県立笠田高等学校卒業。 長男に小林健、長女に小林千晴。 父親は洋服の仕立て職人。母親と10歳年上の兄が居た。猛勉強をし、国立の和歌山大学教育学部附属中学校に入り、1時間かけて通学していた。この学校を受験した理由は、当時恋愛に憧れを持っていた小林に友達が「あのな、和歌山大学(学芸学部)附属中学に通う女の子はかわいいらしいで」と耳打ちしたことにより、心底行きたいと思ったからで、通学時も歩きながら勉強していたという。
中西 啓介(なかにし けいすけ、1941年〈昭和16年〉2月… 中西 啓介(なかにし けいすけ、1941年〈昭和16年〉2月6日 - 2002年〈平成14年〉1月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)、防衛庁長官(第53代)を歴任した。 和歌山県和歌山市生まれ。和歌山県立桐蔭高等学校を経て、1965年、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、山口喜久一郎事務所に就職した。 1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧和歌山1区から無所属で立候補するも最下位で落選。以後、4年間地道な政治活動を続けて支援者を増やした。 1976年の第34回衆議院議員総選挙では、旧和歌山1区から自由民主党公認で立候補。35歳の若さをアピールするとともに、東京から芸能人を応援に呼ぶなどの積極的な選挙活動が功を奏して初当選を果たした(当選同期に中村喜四郎・鳩山邦夫・中島衛・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正など)。
浦西 美治(うらにし よしはる、1941年1月24日 - )… 浦西 美治(うらにし よしはる、1941年1月24日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。 伊都高校から1959年に中日ドラゴンズへ入団。 1961年シーズンオフに近鉄バファローズへトレード。1962年引退。
竹田 利秋(たけだ としあき、1941年1月5日 - )は、… 竹田 利秋(たけだ としあき、1941年1月5日 - )は、和歌山県出身の学生野球指導者。社会科教諭。和歌山県立和歌山工業高等学校→國學院大學卒業。東北高等学校、仙台育英学園高等学校野球部監督、國學院大學硬式野球部監督を経て現在は國學院大學硬式野球部総監督。 和歌山工高3年春に三塁手として甲子園出場。大学卒業後銀行員として勤めていたが、当時東北高校野球部を指導していた同じく國學院大學野球部OBの松尾勝栄監督の後任者として招聘され、東北高野球部コーチに就任。 1968年、監督に就任し同年7年ぶりに夏の甲子園出場。これを最後に帰郷しようと考えるも、抽選会で自校を含む東北・北海道勢のチームとの対戦が決まった西日本のチームが、戦わずして勝ったといわんばかりの拍手歓声を挙げて喜ぶのに対し、東北・北海道勢の学校の生徒は下をうつむいている様子を見て、この状況をなんとか変えたいと思うようになり、以後、東北高を甲子園で勝てる強豪校へと育て上げる。
岸本 光造(きしもと みつぞう、1940年11月14日 - … 岸本 光造(きしもと みつぞう、1940年11月14日 - 2002年1月23日)は、日本の政治家。 自由民主党元衆議院議員(3期)。民主党元衆議院議員・紀の川市市長岸本健の父。 和歌山県那賀郡粉河町(現在の紀の川市粉河町)出身。和歌山県立粉河高等学校、神奈川大学卒業、法政大学大学院修了。京都短期大学政治学講師。 1975年(昭和50年) 和歌山県議会議員。1987年(昭和62年)5月19日 - 和歌山県議会副議長。1988年(昭和63年) -全国みかん生産府県議会議員対策協議会会長。1990年(平成2年)7月11日 - 和歌山県議会議長。 1992年(平成4年) 自由民主党県連議員総会会長。
早田 卓次(はやた たくじ、1940年10月10日 - )は… 早田 卓次(はやた たくじ、1940年10月10日 - )は、和歌山県田辺市出身のオリンピック体操金メダリスト。日本大学名誉教授。元日本大学文理学部体育学科教授。1964年東京オリンピック体操男子つり輪、男子団体の金メダリストで、現在は日本オリンピック委員会理事、日本オリンピアンズ協会の理事長を務める。 1959年 - 和歌山県立田辺高等学校卒業。1963年 - 日本大学文理学部卒業。 1964年 - 東京オリンピック男子団体総合、つり輪で金メダルを獲得した。 1970年 - リュブリャナ世界選手権(ユーゴスラビア)男子団体総合で金メダル、鉄棒で銅メダルを獲得した。 1989年 - 日本大学文理学部教授となった。
川嶋 辰彦(かわしま たつひこ、1940年〈昭和15年〉4月… 川嶋 辰彦(かわしま たつひこ、1940年〈昭和15年〉4月20日 - 2021年〈令和3年〉11月4日)は、日本の経済学者。学習院大学名誉教授。国土交通省専門委員。研究分野は空間経済学、統計学、計量経済学。学位はPh.D.(米国ペンシルベニア大学・1971年)。文仁親王妃紀子の父。 学習院馬術部大学部長であり、皇太子明仁親王一家(当時)とは部の会合で何度か顔を合わせ、面識があった。 日泰間の学生交流やボランティア活動にも力を入れており、講演活動や学校の総合学習などの講師などの活動も盛んに行っている。 秋篠宮文仁親王(礼宮)と長女・紀子の婚約内定の報道がなされた際、メディアでは社内の表記基準に従い標準字体の「川島」と報道した媒体も存在したが、宮内庁関係者などからの強い要望もあり、異体字を使用した戸籍名の「川嶋」に表記を改めた。
寄本 勝美(よりもと かつみ、1940年4月9日 - 201… 寄本 勝美(よりもと かつみ、1940年4月9日 - 2011年3月28日)は、日本の行政学者・環境政策学者。 和歌山県田辺市生まれ。1964年、早稲田大学政治経済学部卒業。1967年、早稲田大学政治経済学部助手。1970年、早稲田大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。1978年、早稲田大学政治経済学部教授。1983年から85年までピッツバーグ大学客員教授。1994年、京都大学博士(法学)。博士論文は「自治の形成と市民:ピッツバーグ市政研究」。 早稲田大学政治経済学部学生担当教務主任、政治経済学部長(1994年~1998年)、常任理事(1998年~2001年)等を歴任。専攻は、行政学、地方自治論、環境政策。
岩本 多代(いわもと ますよ、1940年〈昭和15年〉3月5… 岩本 多代(いわもと ますよ、1940年〈昭和15年〉3月5日 - 2020年〈令和2年〉8月17日)は、日本の女優。血液型はA型。 和歌山県田辺市出身。大阪府立市岡高等学校卒業。最終所属はオフィスPSC。 高校卒業後、俳優座養成所に11期生として入所。勝呂誉、工藤堅太郎らが第11期同期にあたる。 1962年、養成所を卒業して劇団新人会に所属。『おっぺけぺ』『さすらい』などの舞台に出演して注目される。 1961年のテレビドラマ『絶唱』(フジテレビ)でデビュー。1963年の紹介記事では、これからの抱負として「おとなしい娘役ばかりではなく、明るく活動的な役にも取り組みたい」と述べている。この頃、松竹と本数契約して『無宿人別帳』(1963年)などの映画に出演。