谷村 剛(たにむら つよし、2006年9月15日 - )は、… 谷村 剛(たにむら つよし、2006年9月15日 - )は、和歌山県有田郡有田川町出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 有田川町立田殿小学校で2年時に野球を始める。有田川町立吉備中学校在学時は2年時まで有田リトルシニアでプレーし、それ以降は軟式野球部に所属した。 和歌山東高等学校に進学し、1年時に背番号15で第104回全国高等学校野球選手権大会に出場。三塁手として全4戦中3試合の先発出場し、打率.429、5打点の活躍でベスト4進出を貢献。1回戦の紀北農芸高等学校戦で適時三塁打2本、2回戦の耐久高等学校戦で適時三塁打1本を記録。続く、1年時秋の新チームから背番号5を背負い、先頭打者として秋季近畿地区高等学校野球大会においてベスト8進出に貢献した。
野中 天翔(のなか てんと、2005年2月5日 - )は、和… 野中 天翔(のなか てんと、2005年2月5日 - )は、和歌山県新宮市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 新宮市立三輪崎小学校1年時に、みさきストロングスで野球を始め、2年時から投手を務める。新宮市立光洋中学校では、和歌山南紀ボーイズでプレーした。 ノースアジア大学明桜高等学校では2年時秋からベンチ入りし、3年時春からエースとして、チームを春の秋田県大会準優勝及び夏の秋田県大会4強入りへ導いた。風間球打は1学年上の先輩で、3年時は風間から背番号1を受け継いで活躍した。 2022年のプロ野球ドラフト会議では、中日ドラゴンズから育成2位指名を受け、11月19日に支度金300万円、年俸300万円で仮契約を結んだ。
新家 颯(しんや そう、2003年8月14日 - )は、和歌… 新家 颯(しんや そう、2003年8月14日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 田辺市立会津小学校1年時にあいづクラブで野球を始め、田辺市立衣笠中学校では軟式野球部に所属した。 和歌山県立田辺高等学校では1年冬に左肘を手術。2年時はリハビリのため公式戦未登板だったが、リハビリ中に大竹耕太郎の投球フォームを参考にした新フォームを習得し、変化球のキレとコントロールが大きく向上した。3年夏の和歌山県大会は初戦敗退したものの、和歌山工を相手に9回3失点完投し、12三振を奪った。その試合を小園健太(市和歌山)の視察に訪れていた広島東洋カープスカウトの鞘師智也の目に留まり、ドラフト指名に繋がった。
西川 史礁(にしかわ みしょう、2003年3月25日 - )… 西川 史礁(にしかわ みしょう、2003年3月25日 - )は、和歌山県日高郡日高川町出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 小学校1年生の時に川辺ウィンスターズで野球を始め、日高川町立丹生中学校在学時は硬式野球クラブチームの和歌山日高ボーイズでプレーしていた。3学年上には泉口友汰がおり、西川の兄を通じて面識があった(泉口とは青山学院大学でも一緒になった)。 龍谷大学付属平安高等学校に進学し、2年春の第91回選抜高等学校野球大会で公式戦初出場。背番号16ながら遊撃手で先発出場し、ベスト8進出に貢献した。3年夏は新型コロナウイルスの影響で公式戦が中止となったが、京都府で行われた独自大会に出場し、ブロック決勝で京都成章に勝利した。
居谷 匠真(いたに しょうま、2002年12月30日 - )… 居谷 匠真(いたに しょうま、2002年12月30日 - )は、和歌山県岩出市出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 岩出市立山崎北小学校から「山北フェニックス」で軟式野球を始め、岩出市立岩出第二中学校では「岩出ボーイズ」に所属する。 高校は大分県別府市の明豊高等学校に進学。2年生春の第91回選抜高等学校野球大会において、チームは準決勝に進出するも出場機会を得られなかった。2年生の秋の新チームから正捕手となる。秋季九州大会準々決勝、対沖縄尚学高等学校戦において、9回表二死満塁の状況から逆転の3点適時打となる三塁打を放つ活躍をみせる。決勝戦では2安打1打点の活躍で、夏の選手権大分大会決勝で敗れた川瀬堅斗擁する大分商業高等学校に勝利し、第92回選抜高等学校野球大会の出場権を手にした。
中田 惟斗(なかた ゆいと、2001年9月13日 - )は、… 中田 惟斗(なかた ゆいと、2001年9月13日 - )は、和歌山県御坊市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。マツゲン箕島硬式野球部所属。NPBでは育成選手であった。 小学校3年生の時に御坊少年野球クラブで野球を始め、中学校時代は和歌山御坊ボーイズに所属し、3年時にはジャイアンツカップで4強入り。U-15の野球日本代表に選出される。 大阪桐蔭高等学校では、1年時から背番号を貰い、2年の新チームからは一時エースナンバーも託されたが右肩を痛め、春夏連覇をした第90回記念選抜高等学校野球大会と第100回全国高等学校野球選手権記念大会ではベンチ入りメンバーから外れた。2年秋からエースとなるが、3年夏は大阪府大会の準々決勝で敗退したため、自身の甲子園出場経験はない。
落合 秀市(おちあい しゅういち、2001年7月10日 - … 落合 秀市(おちあい しゅういち、2001年7月10日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。ハヤテベンチャーズ静岡所属。 和歌山市立紀之川中学校時代は「和歌山ビクトリーズ」に所属。和歌山県立和歌山東高校進学後は2年夏に背番号11でベンチ入りし、同秋から背番号1を背負いエースとなる。3年夏は和歌山大会3回戦で敗退し、甲子園大会への出場はなかったものの、日米のプロ野球スカウトが注目する選手であった。プロ志望届を提出するが、NPBドラフト会議では指名漏れとなった。 一時は野球を辞め、一般企業に就職するとしたが周囲の引き止めなどもあり、関西独立リーグの兵庫ブルーサンダーズにてプレーを継続することとなった。
東妻 純平(あづま じゅんぺい、2001年7月3日 - )は… 東妻 純平(あづま じゅんぺい、2001年7月3日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(捕手、外野手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 兄は千葉ロッテマリーンズ所属の東妻勇輔。 小学校1年の時から野球を始め、紀伊中学校時代は紀州ボーイズに所属。智弁和歌山では遊撃手から捕手に転向。1年夏からベンチ入りし甲子園には5期連続出場。1学年上に林晃汰、同学年に黒川史陽がいる。2年の時に元プロ野球選手で捕手の中谷仁が監督となり、同じ捕手の中谷から捕手に関する指導を受けた。高校通算34本塁打。 2019年10月17日に行われたドラフト会議では、横浜DeNAベイスターズから4位指名を受け、契約金4180万円、年俸615万円で入団した(金額は推定)。
中島 大輔(なかしま だいすけ、2001年6月4日 - )は… 中島 大輔(なかしま だいすけ、2001年6月4日 - )は、和歌山県日高郡川辺町(現:日高川町)出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 日本プロ野球における、連続試合三塁打数日本記録(4試合)保持者。 和歌山県川辺町(現:日高川町)出身。川辺西小学校および早蘇中学校時代は和歌山御坊ボーイズに在籍していた。 龍谷大学付属平安高等学校では入学後すぐに左膝を手術、同年秋には左足首を痛め、2年春から通常の練習ができるようになった。同年秋からベンチ入りして1番打者を務める。3年春の第91回選抜高等学校野球大会に出場し、ベスト8に進出した。同年夏は京都大会準決勝で立命館宇治に敗れた。
林 晃汰(はやし こうた、2000年11月16日 - )は、… 林 晃汰(はやし こうた、2000年11月16日 - )は、和歌山県岩出市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。広島東洋カープ所属。 岩出小学校1年から岩出ヤンキースで野球を始め、6年時にタイガースジュニアに選出される。岩出中学校に進学後は紀州ボーイズでプレー。小中時代は主に捕手として出場した。中学時代は通算32本塁打を記録する。 智辯和歌山高校に進学すると、三塁手に転向し1年春の県大会から出場する。1年夏は「5番・三塁手」で起用され、地方予選ベスト8。1年秋から3番を任され、2年夏に甲子園初出場。初戦の興南戦で中堅左に本塁打を打つ。大会中に右肘を疲労骨折し、大会後に手術を行ったため秋季大会及び近畿大会に出場できずリハビリに専念する。
黒原 拓未(くろはら たくみ、1999年11月29日 - )… 黒原 拓未(くろはら たくみ、1999年11月29日 - )は、和歌山県海南市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。広島東洋カープ所属。 海南市立日方小学校1年生の時に軟式野球を始め、海南市立海南中学校では軟式野球部に所属していた。 高校は智辯学園和歌山高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り。2年秋からエースとなった。3年夏は左肘を痛め、登板が制限された。チームは和歌山県大会で優勝し第99回全国高等学校野球選手権大会に出場。興南との1回戦では登板がなく、続く大阪桐蔭との2回戦で先発して大会初登板を果たし、6回途中1失点と好投したが敗れた。1学年下には林晃汰、2学年下に東妻純平、黒川史陽がいた。 卒業後は関西学院大学社会学部に進学し、1年春からベンチ入りを果たす。
泉口 友汰(いずぐち ゆうた、1999年5月17日 - )は… 泉口 友汰(いずぐち ゆうた、1999年5月17日 - )は、和歌山県御坊市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 中学時代は和歌山日高ボーイズに所属。3学年下には西川史礁がおり、西川の兄を通じて面識があった(西川とは青山学院大学でも一緒になった)。 大阪桐蔭高等学校では2年秋からベンチ入りし、遊撃手のレギュラーを務めた。3年春の第89回選抜高等学校野球大会では優勝を果たした。同年夏の第99回全国高等学校野球選手権大会では3回戦で仙台育英にサヨナラ負けを喫した。2度の甲子園出場で通算打率は.538(13打数7安打)を記録した。高校時代は2学年上に青柳昴樹、福田光輝、1学年上に高山優希、同学年に徳山壮磨、1学年下に藤原恭大、根尾昂、柿木蓮、横川凱、2学年下に中田惟斗がいた。
森浦 大輔(もりうら だいすけ、1998年6月15日 - )… 森浦 大輔(もりうら だいすけ、1998年6月15日 - )は、和歌山県新宮市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。広島東洋カープ所属。 新宮市立丹鶴小学校1年次に新宮パワーウエーブに入団して野球を始め、新宮市立緑丘中学校では軟式野球部に所属した。 天理高校に進学し、2年時に第87回選抜高等学校野球大会、第97回全国高等学校野球選手権大会に出場する。3年の夏の奈良県大会決勝では村上頌樹と投げ合うも敗れた。2学年後輩に太田椋がいる。 高校卒業後は天理大学に進学する。1年春には3勝負け無しで防御率0.92の好成績を記録し、全日本大学野球選手権では2回戦の対大阪商業大学戦に登板し16奪三振と好投した。
津森 宥紀(つもり ゆうき、1998年1月21日 - )は、… 津森 宥紀(つもり ゆうき、1998年1月21日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 和歌山市立楠見小学校3年から野球を始め、楠見中学時代は硬式野球の和歌山ビクトリーズに所属。2年から投手になり、3年夏には全国大会に出場する。高校は和歌山東高校に進学し、1年秋に上手投げからサイドスローに転向する。2年秋からエースになるものの、高校時代は甲子園出場経験はなかった。 高校卒業後は東北福祉大学に進学し、3年の第67回全日本大学野球選手権大会ではリリーフ投手として同大学の14年ぶりの優勝に貢献し、最優秀選手に輝く。また2年と3年に大学野球日本代表に選出され、ドラフト上位候補に挙がっていたが4年の春にフォームを崩してしまい、第68回全日本大学野球選手権では準々決勝の対佛教大学戦で3点差をリードしている7回に登板するものの、制球難に苦しんだ上にサヨナラスクイズにより敗退した結果、3年連続の大学野球日本代表入りを逃した。
八木 彬(やぎ あきら、1997年5月26日 - )は、和歌… 八木 彬(やぎ あきら、1997年5月26日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 中学時代は、和歌山ボーイズでプレー。 高校時代は、青森県の八戸学院光星高校に進学。同期には呉屋開斗がいた。 大学時代は、東北福祉大学に進学。1年次から登板機会を得たものの、4年次は怪我の影響のためリーグ戦での登板はなかった。 東北福祉大学卒業後は、三菱重工名古屋に入社。1年目から公式戦で登板機会を得る。同年で野球部が統合したため、三菱重工Westに移籍。同い年の森翔平の2枚看板でチームを引っ張った。 2021年10月11日に行われたプロ野球ドラフト会議において、千葉ロッテマリーンズから5位指名を受け、12月7日に契約金4000万円、年俸960万円で入団に合意した(金額は推定)。
東妻 勇輔(あづま ゆうすけ、1996年4月4日 - )は、… 東妻 勇輔(あづま ゆうすけ、1996年4月4日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 弟は横浜DeNAベイスターズ所属の東妻純平。 小学2年生のときに野球を始めた。中学時代は和歌山興紀ボーイズに所属し、投手として活躍。3年次にはNOMOJAPANに選出された。 智辯学園和歌山高等学校では2年秋からエースとなり、3年春には選抜大会に出場したが、初戦は自らの暴投で延長15回サヨナラ負けした。同年夏の和歌山大会の市立和歌山との決勝戦では、リリーフ登板したが延長11回裏に同点を許し、12回にサヨナラ打を浴びて甲子園出場を逃した。智辯和歌山は1987年に初めて和歌山大会決勝に進出して以来、決勝20連勝中だったが、初の決勝敗退となった。
三家 和真(みけ かずま、1993年8月13日 - )は、和… 三家 和真(みけ かずま、1993年8月13日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手・外野手)。右投両打。千葉ロッテマリーンズ所属。
山崎 晃大朗(やまさき こうたろう、1993年8月11日 -… 山崎 晃大朗(やまさき こうたろう、1993年8月11日 - )は、和歌山県那賀郡貴志川町(現:紀の川市)出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球コーチ。左投左打。現在は東京ヤクルトスワローズで二軍外野守備走塁コーチを務める。 西貴志ドリームスで野球を始める。同じ西貴志小学校の1学年上に西川遥輝、4学年上に益田直也がいた。 中学時代には地元の和歌山北ボーイズで投手兼外野手としてプレー。 中学卒業後は青森山田高校へと進学し、2年秋から中堅手レギュラーを獲得。3年の春に控え投手を務め、3年春の準々決勝、準決勝と連続完封も記録。3年夏予選は両チーム合計41安打の打撃戦の末、光星学院高校に敗れるも個人としては決勝で2ラン含む3安打など4戦15打数9安打8打点と好成績を残す(甲子園出場経験はなし)。
西村 天裕(にしむら たかひろ、1993年5月6日 - )は… 西村 天裕(にしむら たかひろ、1993年5月6日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。北海道日本ハムファイターズに所属。
濱矢 廣大(はまや こうだい、1993年2月27日 - )は… 濱矢 廣大(はまや こうだい、1993年2月27日 - )は、奈良県吉野郡十津川村七色出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。 「濱」と「廣」が旧字体であることから、メディアによっては「浜矢広大」の表記もみられる。 小学校2年の時に野球を始め、中学校時代は硬式野球チーム「熊野ベースボールクラブ」に所属していた。当時のポジションは主に一塁手。高校は和歌山県立日高高等学校中津分校に進学。2年秋に同期に投手が少なかったことと、身長が185cmと高かったことを理由に監督(当時)の細峪規良によって一塁手から投手にコンバートされ、エースとして迎えた3年夏の和歌山県大会では、初戦の近畿大学附属新宮高等学校戦で敗退した。
西川 遥輝(にしかわ はるき、1992年4月16日 - )は… 西川 遥輝(にしかわ はるき、1992年4月16日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属する和歌山県紀の川市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。
岡田 俊哉(おかだ としや、1991年12月5日 - )は、… 岡田 俊哉(おかだ としや、1991年12月5日 - )は、和歌山県日高郡美浜町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。
平井 諒(ひらい りょう、1991年4月23日 - )は、和… 平井 諒(ひらい りょう、1991年4月23日 - )は、和歌山県那賀郡粉河町(現・紀の川市)出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 小学校2年生のときに野球を始める。中学校では粉河シニアに所属した。帝京五高に入学後、投手へ転向。2年夏に愛媛大会決勝に進出。2回戦の対新居浜東高戦ではノーヒットノーランを記録。準々決勝の今治西高戦では延長10回1失点完投勝利。決勝は左太もも肉離れもあり[要出典]、済美高に大敗を喫した。 3年夏は2回戦の対北条高戦で13奪三振を記録するなど力投した。準々決勝で秋山拓巳を擁する西条高と対戦し、被安打12、7四球、8失点で敗退した。 2009年10月29日に行われたプロ野球ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから4位指名を受ける。
坂口 真規(さかぐち まさき、1990年9月29日 - )は… 坂口 真規(さかぐち まさき、1990年9月29日 - )は、和歌山県那賀郡打田町(現・紀の川市)出身の元プロ野球選手(内野手)。
宮本 武文(みやもと たけふみ、1990年8月11日 - )… 宮本 武文(みやもと たけふみ、1990年8月11日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)。 小学2年の時に大新白鳩少年野球クラブで右翼手として野球を始め、小学5年の時に投手に転向。城東中時代は和歌山シニアに所属。エースとして二度の全国大会出場を果たし、世界大会の代表にも選出される。 倉敷高に進学後は、1年春から公式戦に出場し、1学年先輩の津田大樹が引退した後を受け、2年秋からエースとして活躍。3年春はベスト4、3年夏も岡山県予選準決勝まで進むも、優勝した倉敷商業高に敗れ甲子園出場は果たせなかった。 2008年10月30日に開かれた、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから2位指名を受け、同年11月18日に契約金6000万、年俸600万(金額は推定)で仮契約を結んだ。
木本 幸広(きもと ゆきひろ、1990年7月31日 - )は… 木本 幸広(きもと ゆきひろ、1990年7月31日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。右投左打。プロでは育成選手であった。 和歌山県和歌山市生まれ。小学校1年から野球を始め、「野崎西若葉クラブ」に所属。2年から投手となったが、当時は練習嫌いで5年時には休部したこともある。中学時代はボーイズリーグの「和歌山黒潮」で主に投手を務めた。 県立日高高校中津分校では2年時から左翼手でレギュラーとなっていたが、2年秋の新チームから投手に転向。3年夏からエースに就き、第90回選手権和歌山大会の2回戦の伊都高校戦でノーヒットノーランを達成し一躍注目の的となった。エースで4番として県和歌山商や和歌山高専、市和歌山商に勝って決勝を迎えたが、智弁和歌山に3-5で惜敗し夏の甲子園初出場はならなかった。
益田 直也(ますだ なおや、1989年10月25日 - )は… 益田 直也(ますだ なおや、1989年10月25日 - )は、和歌山県紀の川市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。
津田 大樹(つだ たいき、1989年6月16日 - )は、和… 津田 大樹(つだ たいき、1989年6月16日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 甲子園には未出場で全国的には無名だが、高校での通算防御率は2.20。また一試合に21奪三振の記録も持つ。MAX147km/hのストレートと高速スライダーで三振をとれるピッチングが武器で、高校時代から本格派投手として評価は高かった。 2007年10月3日の高校生ドラフトで北海道日本ハムファイターズから3巡目で指名を受けて入団(推定年俸500万)。しかし、故障している報道はなかったものの2008年の出場機会は二軍のイースタンリーグ2試合にとどまった。シーズンオフ後に減俸を受け、背番号も48から70に変更されたがその理由についてスポーツ報知での選手名鑑では、自らの素行不良によるものと報道された。
南 昌輝(みなみ まさき、1989年1月18日 - )は、千… 南 昌輝(みなみ まさき、1989年1月18日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属する和歌山県海南市出身のプロ野球選手(投手)。妻は歌手の柴田あゆみ[2]。
伊奈 龍哉(いな りゅうや、1988年5月9日 - )は、兵… 伊奈 龍哉(いな りゅうや、1988年5月9日 - )は、兵庫県洲本市由良町出身の元プロ野球選手(外野手)。
庄司 龍二(しょうじ りゅうじ、1987年2月1日 - )は… 庄司 龍二(しょうじ りゅうじ、1987年2月1日 - )は、和歌山県海南市出身の元プロ野球選手(捕手)、大阪府警警察官。
巽 真悟(たつみ しんご、1987年1月10日 - )は、和… 巽 真悟(たつみ しんご、1987年1月10日 - )は、和歌山県東牟婁郡古座川町出身の元プロ野球選手(投手)。
玉置 隆(たまき ゆたか、1986年9月11日 - )は、和… 玉置 隆(たまき ゆたか、1986年9月11日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手)。歌手の玉置成実は従妹に当たる。
西本 泰承(にしもと やすつぐ、1986年4月19日 - )… 西本 泰承(にしもと やすつぐ、1986年4月19日 - )は、和歌山県橋本市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 日南学園高時代は、1年春から遊撃手のレギュラーをつかむ。2年時の第85回全国高等学校野球選手権大会、3年時の第76回選抜高等学校野球大会に出場。同学年の蕭一傑とは、高校・大学とチームメイトになっている。 奈良産業大学に進学すると、1年時の春から遊撃手のレギュラーをつかみ1年時の春、4年時の春と2度ベストナインを受賞。プロを志望し、3球団が獲得の意思を示したというが実際には指名されず、独立リーグである四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスに入団。 1年目の2009年は、遊撃手のレギュラーとなり、全80試合に出場し優勝に貢献。
岡本 洋介(おかもと ようすけ、1985年9月27日 - )… 岡本 洋介(おかもと ようすけ、1985年9月27日 - )は、和歌山県西牟婁郡すさみ町出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。叔父は元プロ野球選手の岡本光。
山本 哲哉(やまもと てつや、 1985年9月4日 - )は… 山本 哲哉(やまもと てつや、 1985年9月4日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手)。
土屋 朋弘(つちや ともひろ、1985年8月18日 - )は… 土屋 朋弘(つちや ともひろ、1985年8月18日 - )は、和歌山県海南市出身の元プロ野球選手(投手)。
春日 伸介(かすが しんすけ、1984年5月18日 - )は… 春日 伸介(かすが しんすけ、1984年5月18日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(内野手)。 和歌山県立田辺高等学校時代は、主にキャッチャーとして出場していたが、肩を脱臼したためにファーストへコンバートするも、第84回全国高等学校野球選手権大会・和歌山県大会では最終的にキャッチャーとして出場。4番・キャプテンとして県ベスト4の原動力となった。2002年のドラフト会議で西武ライオンズから5巡目に指名され、内野手として入団。高校通算28本塁打。 プロ入り後は、伸び悩み、2軍でも本塁打を打つことが出来ずに退団。 引退後は関西の専門学校に入学。理学療法士の資格を取得し、卒業後に就職。
田村 領平(たむら りょうへい、1984年5月3日 - )は… 田村 領平(たむら りょうへい、1984年5月3日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手)。
山本 芳彦(やまもと よしひこ、1983年11月6日 - )… 山本 芳彦(やまもと よしひこ、1983年11月6日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)。 和歌山工高では投手として活躍し、高校3年時の夏には和歌山予選1回戦で前年度夏の甲子園優勝校の智辯和歌山高校と対戦。投打に活躍を見せ武内晋一が主将を務めていた同校を1回戦敗退に追い込む。2回戦の県立和歌山商高戦では2本塁打を放ち勝利するが、3回戦の日高高戦で0-5で敗退する。 通算21本塁打。またエースで4番でありながら高校通算60盗塁以上を走る俊足と走塁センスをもっていた。 2001年のプロ野球ドラフト会議で、広島東洋カープに打力を見込まれて野手として7巡目指名を受け入団した。 二軍では毎年60試合以上に出場して主力選手として活躍。
宮本 裕司(みやもと ひろし、1983年1月7日 - )は、… 宮本 裕司(みやもと ひろし、1983年1月7日 - )は、和歌山県日高郡日高町出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。 御坊商工高校時代は内野手。摂南大学2年の時に捕手に転向。阪神リーグ(2,3部)のベストナインに選出されたが、目立った選手ではなかった。 一般企業への内定が決まっていたが、四国アイランドリーグ創設の話を知り、その年に行われたトライアウトに受験して合格。2005年に高知ファイティングドッグスに入団した。入団後は当時コーチだった坊西浩嗣に見込まれ、マンツーマンでの指導を受け、メキメキと頭角を顕した。入団1年目は打率2割8分(リーグ4位)、5本塁打(同2位)、36打点(同4位)をマーク。
池邉 啓二(いけべ けいじ、1982年8月23日 - )は、… 池邉 啓二(いけべ けいじ、1982年8月23日 - )は、日本の元社会人野球選手(外野手)。左投げ左打ち。JX-ENEOS野球部に所属していた。背番号10。和歌山県出身。
中本 和希(なかもと かずき、1981年4月18日 - )は… 中本 和希(なかもと かずき、1981年4月18日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)。 和歌山工業高では、2年次から遊撃手のレギュラーとなる。3年時には夏の県大会でベスト4に進んだ。 高校卒業後は、近畿大学工学部に進学し硬式野球部でプレー。1年次から遊撃手のレギュラーになり、大学選手権では初打席で先頭打者本塁打。広島六大学野球で春3回、秋1回の優勝を経験した。また、ベストナインにも3回選ばれている。 2003年、プロ野球ドラフト会議で大阪近鉄バファローズから6巡目指名を受け入団。 2004年オフ、分配ドラフトでオリックス・バファローズに移籍。 入団以降故障が続き、一軍出場はないまま2006年10月5日に戦力外通告を受けた。
喜多 隆志(きた たかし、1980年2月6日 - )は、奈良… 喜多 隆志(きた たかし、1980年2月6日 - )は、奈良県出身の元プロ野球選手(外野手)。2019年現在は興国高等学校で硬式野球部監督を務める。 智辯和歌山高校時代は中堅手として活躍、甲子園に3回出場している。1996年、2年生の時、同期の高塚信幸、中谷仁のバッテリーを擁し、春の選抜に出場。決勝に進むが鹿児島実の下窪陽介に抑えられ準優勝にとどまる。同年夏の選手権では1回戦で水戸短大付に敗退。この時の控え投手に宮崎充登がいた。翌1997年夏の選手権にも出場。決勝では平安高の川口知哉を打ち崩し優勝。 卒業後は慶應義塾大学総合政策学部(SFC)へ進学。1年春から東京六大学野球リーグに出場し、2000年、2001年と2度の秋季リーグ戦の優勝に貢献した。
髙塚 信幸(たかつか のぶゆき、1979年8月2日[… 髙塚 信幸(たかつか のぶゆき、1979年8月2日[1] - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)。
髙塚 信幸(たかつか のぶゆき、1979年8月2日 - )は… 髙塚 信幸(たかつか のぶゆき、1979年8月2日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)。 小学校1年生の頃から野球を始め、当初は捕手だった。中学時代は和歌山シニアに所属し、その頃より投手に転向する。 智辯和歌山高では2年からエースとして活躍。1996年春の第68回選抜では合計5試合に登板し、140km/hを超えるストレートと、カーブのみでチームを準優勝に導く。しかし、そのうち2回戦からの4試合は4日4連投(特に3試合目の準々決勝は延長13回完封)という過酷なものだった。決勝戦で打ち込まれ、準優勝に終わった。その直後に開催された第2回AAAアジア野球選手権大会では中国戦に完投、台湾戦にも登板した結果右肩を痛め、同年夏の第78回全国選手権に出場したものの登板はなかった。
藤井 了(ふじい さとる、1979年5月5日 - )は、和歌… 藤井 了(ふじい さとる、1979年5月5日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(投手)。 和歌山県立田辺高等学校から法政大学に進学。2学年上に安藤優也、1学年下に土居龍太郎らがおりリーグ戦登板は少なかったが、3年秋の対明大2回戦で救援登板すると、主将の廣瀬純のサヨナラ安打で勝利投手となった。 大学卒業後の2003年に渡米し、独立リーグであるセントラル・ベースボール・リーグのサンアンジェロ・コルツと契約するも、1試合(1イニング)のみの登板で自由契約となった。 その後、2005年にオランダに渡り、現地のプロ野球リーグであるホーフトクラッセのスパルタ・フェイエノールト(英語版)と契約。2シーズン在籍した。
中谷 仁(なかたに じん、1979年5月5日 - )は、和歌… 中谷 仁(なかたに じん、1979年5月5日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(捕手)。
宮﨑 充登(みやざき みちと、1978年9月6日 - )は、… 宮﨑 充登(みやざき みちと、1978年9月6日 - )は、和歌山県岩出市根来出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現在は永和商事ウィング硬式野球部で投手コーチを務める。
宮﨑 充登(みやざき みちと、1978年9月6日 - )は、… 宮﨑 充登(みやざき みちと、1978年9月6日 - )は、和歌山県岩出市根来出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 智弁和歌山高時代、1996年には春・夏連続して甲子園に出場。春はチームは準優勝するも2年の髙塚信幸がエースで登板機会が無く、夏は初戦にリリーフ登板するも敗退。高校時代のMAXは142km/h。その後本田技研工業に入社して鈴鹿野球部に所属。1999年にシドニーオリンピック代表候補選手としてプロキャンプに派遣され、広島東洋カープのキャンプに参加した。 広島にも在籍していた吉本亮コーチの助言のもと、フォームをスリークォーターに変更してから球速が150km/h以上を記録するようになり、キレも増したことから遅咲きながらプロ入りへの道が拓けた。