竹下 徠空(たけした らいあ、2006年11月12日 - )… 竹下 徠空(たけした らいあ、2006年11月12日 - )は、島根県大田市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 島根県大田市に生まれ、小学校3年生の時に野球を始めた。大田市立第二中学校時代には第43回全国中学校軟式野球大会に出場し優勝した。高校は高知県の明徳義塾高等学校に進学し、 1年生の秋から4番を務め、3年夏の甲子園では、4番としてチームのベスト16入りに貢献した。高校通算18本塁打。2024年10月24日に行われたドラフト会議で読売ジャイアンツから育成6位で指名を受け、入団した。 2025年は三軍の試合に主に出場し、11本塁打を放った。また、9月11日にオイシックス新潟アルビレックスBC戦(Gタウン)で代打として出場し、この試合で初打席初安打に打点も記録し、イースタンリーグでの公式戦デビューを飾った。
髙野 颯太(たかの そうた、2005年7月28日 - )は、… 髙野 颯太(たかの そうた、2005年7月28日 - )は、島根県出雲市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、東京ヤクルトスワローズから育成2位指名を受けた。11月14日に支度金320万円、年俸280万円で仮契約した。背番号は026。 2024年3月10日に、イースタン・リーグで本塁打を放った。同年は同リーグで51試合に出場。打率.142、2本塁打、6打点という成績を残した。 2025年はイースタン・リーグで77試合に出場。打率.130、0本塁打、10打点という成績を残した。 高校通算29本塁打の長打力を誇り、メディアからは「山陰の浅野(翔吾)」と称されている。
谷川 唯人(たにがわ ゆいと、2002年5月27日 - )は… 谷川 唯人(たにがわ ゆいと、2002年5月27日 - )は、島根県安来市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。NPB加盟球団では育成選手であった。 小学校1年時から野球を始め、4年時から捕手を務める。安来市立第二中学校では軟式野球部に所属。引退後はKボールの島根県選抜に選ばれ、全国大会でベスト4入りを果たした。 高校は立正大淞南高校に進学。1年春からベンチ入りし、2年夏までは遊撃手や投手としても出場した。2年秋からは正捕手に任命され、主将も務めた。3年夏に開催予定だった第102回全国高等学校野球選手権島根大会は、新型コロナウイルス感染症の流行により中止となったが、その代替として開催された令和2年度島根県高等学校夏季野球大会では、決勝で益田東高校に敗れて準優勝だった。
田部 隼人(たなべ はやと、2001年12月22日 - )は… 田部 隼人(たなべ はやと、2001年12月22日 - )は、島根県松江市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 小学1年生の時に野球を始める。松江市立湖北中学校時代は、硬式野球チームの出雲ひらたボーイズに所属。 高校は開星高校に進学。開星高校には寮がないため、家から通いで通学していた。2019年夏の島根大会では決勝の石見智翠館高校戦で本塁打を放つなど活躍したが、試合には敗れて甲子園出場を逃す。高校通算本塁打は20本(15本とする記事もある)、公式戦通算打率は.409を記録した。1学年下に山本大斗がいる。 同年のドラフト会議にて、横浜DeNAベイスターズから5位で指名された。契約金3080万円、年俸520万円(金額は推定)という条件で入団した。
友杉 篤輝(ともすぎ あつき、2000年11月7日 - )は… 友杉 篤輝(ともすぎ あつき、2000年11月7日 - )は、大阪府大阪市住之江区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 大阪市立南港桜小学校で1年生の時に野球を始め、大阪市立南港北中学校在学時は硬式野球のクラブチームである和泉ボーイズでプレーしていた。 立正大学淞南高等学校に進学し、1年秋から遊撃手のレギュラーを務めた。高校時代を通して甲子園大会への出場はなく、3年夏は島根県大会準決勝で益田東高校に敗れた。2学年下に谷川唯人がいる。 天理大学に進学し、2年秋から遊撃手のレギュラーに定着し、首位打者。4年春のリーグ戦では首位打者、MVPを受賞し、ハーレムベースボールウィークの日本代表に選出されたが、同年秋のリーグ戦は体調不良に苦しみ打率.194と苦しんだ。
高野 脩汰(たかの しゅうた、1998年8月13日 - )は… 高野 脩汰(たかの しゅうた、1998年8月13日 - )は、島根県出雲市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 出雲市立高松小学校2年生のときに高松野球スポーツ少年団で野球を始め、出雲市立浜山中学校では軟式野球部に所属した。 出雲商業高校では1年夏からベンチ入りし、1年秋からはエースを務めた。2年夏は島根大会準決勝で大東に0-1で完投負け。3年夏も島根大会1回戦で邇摩に0-3で完投負けを喫した。2年夏の県ベスト4が最高戦績であり、甲子園出場経験はなし。 関西大学商学部に進学し、関西学生リーグ所属の野球部に入部。2年春からリーグ戦に登板すると、3年秋は8試合の登板で3完投1完封・4勝0敗、53回2/3を投げて56奪三振・防御率1.01と先発の柱としてフル回転し、MVP・最優秀投手・ベストナインを獲得した。
岩田 きく(いわた きく、1995年12月10日 - )は、… 岩田 きく(いわた きく、1995年12月10日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手。 愛称(ニックネーム)は「きく」。 プロ入り前は、履正社レクトヴィーナス (Recto venus) という女子の硬式野球チームでプレイしていた。2014年からはフローラに入団し、プロデビューを果たしたが、22試合の出場で打率.161・2打点・2盗塁という成績に終わった。 2014年まで所属していたフローラでは、チーム最年少の選手であった。 2015年からは、育成チームとしての位置付けにある東北レイアに移籍。新人選手の加入もあって、最年少ではなくなった。同年、レイアでは8試合の出場で打率.263・2打点・1盗塁という成績を記録。
東方 伸友(とうぼう しんすけ、1995年9月17日 - )… 東方 伸友(とうぼう しんすけ、1995年9月17日 - )は、島根県浜田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。プロでは育成選手であった。苗字の「東方」は、「とうほう」ではなく「とうぼう」が正しい。 小学3年から野球を始め、三隅中時代は三隅少年野球クラブに所属していた。浜田商時代は、1年からベンチ入り。2年時に頭角を現し、秋大会からエースとして登板した。3年夏の県大会はベスト8で敗退するも4試合すべてで完投し、32イニングで36奪三振の力投を見せた。 2013年10月24日、プロ野球ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから育成2位指名を受けた。 2014年は、二軍戦での登板は無かったが、三軍戦では、10試合に登板し、15回を投げ、1勝1敗、防御率4.20の成績だった。
西川 龍馬(にしかわ りょうま、1994年12月10日 - … 西川 龍馬(にしかわ りょうま、1994年12月10日 - )は、島根県出雲市生まれ大阪府大阪市港区育ちのプロ野球選手(内野手)。右投左打。広島東洋カープに所属。
白根 尚貴(しらね なおき、1993年4月28日 - )は、… 白根 尚貴(しらね なおき、1993年4月28日 - )は、島根県松江市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、野球指導者。右投右打。 松江市立乃木小学校3年生の時に、「乃木ライオンズ」で野球を始める。松江市立湖南中学校時代に所属した「乃木ライオンズシニア」では、2年時に西日本大会優勝、3年時にベスト8という実績を残した。 開星高校に進学後は、投手として1年時の春から公式戦に出場。1年秋以降から3年夏までは、エースとしてほぼ全ての公式戦に登板した。 2年時には、1年先輩の糸原健斗らと共に春夏連続で甲子園球場での全国大会に出場。春の選抜大会では向陽高校との初戦に1-2で敗退。夏の選手権大会では、初戦の仙台育英高校戦で5-6と惜敗したが、木村謙吾から本塁打を記録した。
糸原 健斗(いとはら けんと、1992年11月11日 - )… 糸原 健斗(いとはら けんと、1992年11月11日 - )は、島根県雲南市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。阪神タイガース所属。 小学2年時から野球を始める。 開星高校へ進学後は、1年時からベンチ入りを果たすと、秋の中国大会で9打席連続安打を記録した。一方でこの頃、潰瘍性大腸炎を発症した。2年春と3年春夏には、甲子園球場の全国大会に出場。1番打者として出場した3年夏の選手権大会1回戦・仙台育英高戦では、1点ビハインドの9回裏二死一・二塁で迎えた打席で左中間に大飛球を放ったが、左翼手のダイビングキャッチによって試合終了となり、サヨナラ勝利を逃した。1年後輩に白根尚貴がいた。 明治大学への進学後は、1年秋から東京六大学リーグの公式戦に出場。
福山 博之(ふくやま ひろゆき、1989年3月27日 - )… 福山 博之(ふくやま ひろゆき、1989年3月27日 - )は、島根県雲南市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 雲南市立大東中学校時代に、野球部の二塁手として島根県大会での優勝を経験。島根県立大東高等学校への進学後も、二塁手として1年春からレギュラーの座を確保すると、2年秋に県大会3位で中国大会へ出場している。しかし、高校在学中は、春夏とも甲子園球場の全国大会へ出場できなかった。 大阪商業大学に一般入試で進学すると、二塁手から投手へ転向。「高校時代は投手だった」と嘘をついた末の転向ながら、1年時の秋から関西六大学野球のリーグ戦で登板した。3年時には、春季リーグ戦を3勝無敗で終えると、秋季リーグ戦ではエースとして6勝3敗を記録。
梶谷 隆幸(かじたに たかゆき、1988年8月28日 - )… 梶谷 隆幸(かじたに たかゆき、1988年8月28日 - )は、島根県松江市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。 松江市立持田小学校4年生の時に「持田ボンバーズ」で軟式野球を始める。松江市立第二中学校野球部を経てクラブチームの乃木ライオンズシニアに所属。開星高等学校への進学後は、3年夏の第88回全国高校野球選手権大会に「1番・遊撃手」として日大山形高校との初戦に臨んだが、2-6で敗れた。 2006年9月25日に行われた高校生ドラフト会議では、横浜ベイスターズから3巡目で指名を受け、契約金4500万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で、内野手として入団。背番号は63。 2007年は、一軍公式戦の出場機会はなく、イースタン・リーグ公式戦でも、52試合の出場で打率.136に終わった。
杉原 洋(すぎはら よう、1985年5月31日 - )は、島… 杉原 洋(すぎはら よう、1985年5月31日 - )は、島根県簸川郡斐川町(現:出雲市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 開星高等学校時代は2001年夏、2002年夏の甲子園に出場。2003年のプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから3巡目指名を受け入団。 二軍では、球威を高めるフォーム改造にも成功し大いに注目されたが、縫い目が高い新公式球への対応に苦しみ、高校時代の右肩痛の再発など、度重なる故障にも見舞われた。一軍登板がないまま2006年10月2日に戦力外通告を受け12月1日に自由契約選手公示された。その後、社会人野球チームのNOMOベースボールクラブのウェブサイトを見てトライアウトに応募し合格、入団。
山本 一徳(やまもと かずのり、1983年6月13日 - )… 山本 一徳(やまもと かずのり、1983年6月13日 - )は、島根県安来市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 島根県安来市出身。小学校1年生の頃から野球を始め、安来高校では2年夏の県大会2回戦で7回コールドながらノーヒットノーランを達成し、ベスト4進出に貢献。3年生の5月に腰を痛め、同年夏は外野手として7安打3打点を挙げたが、ベスト8で出雲工業高に敗れた。高校卒業後は上京し浪人生活を送る。一浪の末、一般入試で早稲田大学に入学。 東京六大学では宮本賢、大谷智久の左右のエースの存在もあり未勝利に終わった。リーグ通算12試合に登板、0勝0敗、防御率4.70、20奪三振を記録。独特のスリー・クォーターから繰り出す最速144km/hの動く速球と184cm、90kgという恵まれた体格を買われ、2006年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムから5巡目で指名された。
酒井 順也(さかい じゅんや、本名:酒井 純也(読み同じ)、… 酒井 順也(さかい じゅんや、本名:酒井 純也(読み同じ)、1981年3月4日 - )は、島根県邑智郡邑南町出身の元プロ野球選手(中継ぎ)。 小学3年の時に野球を始め、中学では2年秋からエースで4番打者を務めた。矢上高校時代は2年夏の島根大会決勝で浜田高校の和田毅に惜敗し、甲子園出場を逃した。当時は控え投手であった(3年夏はエースとして登板するも初戦敗退)。 1998年のドラフト会議で巨人から5位指名され入団。登録名を変更した2001年にファームのエース格に成長し一軍初登板すると、2002年4月23日の対ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では初勝利を挙げている。 投球スタイルは技巧派に近いが、球の球威とキレがあり、2004年に監督の堀内恒夫が新守護神候補に酒井の名を挙げるなど期待されていたが思うような結果が残せなかったため、夏頃からフォーム改造(オーバースローからサイドスローへ転向)なども試みていた。
和田 毅(わだ つよし、1981年2月21日 - )は、島根… 和田 毅(わだ つよし、1981年2月21日 - )は、島根県出雲市出身のプロ野球選手(投手)。福岡ソフトバンクホークスに所属。左投左打。
石飛 文太(いしとび ぶんた、1981年 - )は、島根県出… 石飛 文太(いしとび ぶんた、1981年 - )は、島根県出雲市湖陵町出身の高校野球指導者。島根県立大社高等学校国語科教諭。 小学校3年時に地元の「湖陵スポーツ少年団」で野球を始める。小学校5年時に第74回全国高等学校野球選手権大会に大社高校が出場し、地元の先輩がメンバーで名を連ねていた事から大社高校野球部に憧れを持つようになった。 湖陵中学校を経て、大社高校に入学。3年夏は主将として背番号4を背負いプレーし、島根県大会準々決勝まで勝ち進むも石飛は同試合には出場せずにランナーコーチャーとしてグラウンドに立った。試合は江の川高校に敗退し、甲子園の出場は叶わなかった。 高校卒業後は、兵庫県姫路市の姫路獨協大学教育学部に進学。
入野 久彦(いりの ひさひこ、1980年9月20日 - )は… 入野 久彦(いりの ひさひこ、1980年9月20日 - )は、島根県江津市出身の元プロ野球選手(捕手)。
清水 清人(しみず きよひと、1979年6月24日 - )は… 清水 清人(しみず きよひと、1979年6月24日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手(捕手)。 小学三年より野球を始める。邇摩高等学校時代は2年秋に中国大会ベスト8まで進む。3年夏はチーム事情もあり投手として登板したが初戦敗退した。通算打率.510、40本塁打を記録した。 1997年のドラフト8位で中日ドラゴンズに入団。 現役時代は、次世代の正捕手の座を争う若手捕手だった。二軍ではファーストも守り、頻繁に四番を打つ強打が持ち味であった。2003年には二軍で62試合に出場し46安打、打率.331の好成績をマークした。 何度か一軍昇格するもののチャンスを掴めず、2005年オフに球団から戦力外通告を受けた。
三東 洋(さんとう ひろし、1978年10月7日 - )は、… 三東 洋(さんとう ひろし、1978年10月7日 - )は、島根県鹿足郡津和野町出身の元プロ野球選手(投手)。 現在は柔道整復師の資格を取得し、パーソナルトレーナーとして活動。神戸市中央区にある「日常鍼灸整骨院」院長及び「パーソナルトレーニングジムBASE for」代表。 小学5年の時に野球を始め、津和野中学校時代は外野手兼任。私立益田東高校では1年の時からベンチ入りし、3年次は夏の島根大会でノーヒットノーラン達成、53奪三振を記録し、それまでの奪三振記録を塗り替えた。第78回全国高等学校野球選手権大会に出場。 高校卒業後駒澤大学に進学するも肩と肘を相次いで手術し、通算2勝に止まる。同期に武田久がいる。
山根 伸志(やまね しんじ、1974年3月11日 - )は、… 山根 伸志(やまね しんじ、1974年3月11日 - )は、山陰放送(BSS)のアナウンサー(番組制作兼務)、野球選手。島根県浜田市生まれ、松江市育ち。 島根県立松江南高等学校、鳥取大学工学部卒業。1997年BSSに入社。血液型はA型、星座はうお座。「山根 しんじ」という表記をすることが多い。野球と格闘技(特にプロレス)が好きである。パ・リーグは千葉ロッテマリーンズ、セ・リーグは広島東洋カープのファンである。また、自身も社会人野球チーム「鳥取Pear Kings」(休部中)の一員で背番号は44番。ただし仕事が多忙なこともあり、練習にはほとんど参加できていない。 2006年に結婚した。2006年12月31日~2007年1月1日放送の『年越ししんじないと倶楽部』にて、(実際はドッキリ企画ではあったものの)夫婦共演を果たした。
森山 一人(もりやま かずと、1973年12月19日 - )… 森山 一人(もりやま かずと、1973年12月19日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手(外野手)、指導者、監督。 邇摩高ではエースで2年秋に県大会優勝すると中国大会では岡山・山陽高を相手に2投手で延長16回を戦ってサヨナラ勝ち、3年次の1991年にエースとして春の選抜に出場。 1991年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから6位指名を受け入団。高卒の同期入団に中村紀洋がおり、自主トレも共に行ったことがある。 俊足強肩の選手だったが打撃が弱く、一軍デビューはプロ6年目の1997年であった。 1998年オフに自由契約。 1999年に福岡ダイエーホークスへテスト入団する。 2000年にはプロ初安打を本塁打で記録するが、これがプロでの最初で最後の安打だった。
佐々岡 真司(ささおか しんじ、1967年8月26日 - )… 佐々岡 真司(ささおか しんじ、1967年8月26日 - )は、島根県浜田市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球指導者・監督、野球解説者、野球評論家。2022年まで広島東洋カープの監督を務めていた。2025年から三次ブラックパールズのGMおよび指導者を務める。 島根県那賀郡金城町(現・浜田市)に生まれる。小学3年生の頃に野球を始め、金城中学校ではサードが定位置の内野手であった。 島根県立浜田商業高等学校でも当初は内野手だったが、3年生が抜けてからは投手がいなくなったため、監督の指名により2年秋に投手に転向する。2年秋の県大会では準決勝で延長15回を投げるも惜敗、1985年夏の島根県大会準決勝に進むが、大社高に敗退。
小沢 浩一(おざわ こういち、1967年1月14日 - )は… 小沢 浩一(おざわ こういち、1967年1月14日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手(内野手)。 松江農林高から社会人野球の三菱自動車水島を経て、1987年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名され入団。契約金、年俸はそれぞれ5,500万円、550万円(いずれも推定)だった。 2年目の1989年に四條稔らとともにカリフォルニアリーグに派遣され、バイセイリア・オークスで24試合に出場し打率.286の成績を残した。1993年は開幕一軍入りを果たし4月13日の対中日戦で一軍初出場を果たしたが、4月20日に登録を抹消された。一軍出場はこの1試合のみで、翌1994年に現役を引退した。 2020年6月27日、巨人とOBスカウトとしての契約を締結。
渡辺 伸彦(わたなべ のぶひこ、1966年3月22日 - )… 渡辺 伸彦(わたなべ のぶひこ、1966年3月22日 - )は、島根県邑智郡石見町(現:邑南町)出身の元プロ野球選手(投手)。阪神時代の愛称はコイト(後述)。 兵庫県尼崎市で生まれ、4歳まで過ごす。島根県の私立益田東高時代は捕手だったが、地肩の強さを見込まれて3年から投手に転向。1983年夏の甲子園県予選で準決勝に進むが、大田高に敗退し甲子園出場はならなかった。 高校野球引退後、王子製紙米子の社会人野球のテストを受けるも不合格であった。 高校卒業後は、広島県の社会人野球チームでもある常石鉄工に入団。 1988年、都市対抗野球大会県予選では強豪のNKKに完投勝利すると中国2次予選でのチーム初勝利にも貢献。
清水 雅治(しみず まさじ、1964年7月7日 - )は、島… 清水 雅治(しみず まさじ、1964年7月7日 - )は、島根県浜田市出身の元プロ野球選手(外野手)。現在は千葉ロッテマリーンズ外野守備走塁コーチ。
三井 康浩(みつい やすひろ、1961年1月19日 - )は… 三井 康浩(みつい やすひろ、1961年1月19日 - )は、日本の元プロ野球選手、球団職員。スタークレスとマネジメント契約。 読売ジャイアンツにおいて長年スコアラーを務めていた。 滋賀県で生まれ、中学時代から島根県で過ごす。出雲西高等学校時代に強打で鳴らし、1978年にドラフト外で読売ジャイアンツに入団(同年、巨人はドラフト会議を欠席)。同期は江川卓(阪神より移籍)、鹿取義隆など。しかし巨人入団後は伸び悩み、二軍暮らしが続いた。1984年に定期健康診断で腎臓疾患が見つかり、再検査でドクターストップをかけられたため現役を引退。本人いわく「自覚症状は全くなかった」ため、いきなりの宣告だったという。
曽田 康二(そた やすじ、1957年11月10日 - )は、… 曽田 康二(そた やすじ、1957年11月10日 - )は、島根県出雲市出身の元プロ野球選手(投手)。
石橋 貢(いしばし みつぐ、1957年5月5日 - )は、日… 石橋 貢(いしばし みつぐ、1957年5月5日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。島根県出雲市出身。
梨田 昌孝(なしだ まさたか、本名:梨田 昌崇(読み同じ)、… 梨田 昌孝(なしだ まさたか、本名:梨田 昌崇(読み同じ)、1953年8月4日 - )は、島根県浜田市出身の元プロ野球選手(捕手)、監督、野球評論家。1984年より登録名を「昌孝」としている。
三沢 淳(みさわ じゅん、1952年〈昭和27年〉10月1日… 三沢 淳(みさわ じゅん、1952年〈昭和27年〉10月1日 - 2022年〈令和4年〉3月3日)は、島根県浜田市出身のプロ野球選手(投手)・解説者、政治家、元衆議院議員(1期)。 浜田市立第一中学校で野球を始める。主に三塁手を務め、投手もこなしたが、中学当時は上手投げだった。野球部の1年後輩に梨田昌孝がいる。島根県立江津工業高等学校へ進学後、下手投げ投手に転向。同校では1年秋に高橋寛とのバッテリーで県大会決勝へ進み、大田高の福間納と投げ合うも1失点で惜敗。2年夏は西中国大会へ進むが有田修三が4番を打つ宇部商に敗れた。2年秋も県大会決勝で前年に続いて大田高に敗れたが中国地区大会では準決勝へ進出、広陵高の佐伯和司と延長11回を投げ合って敗れた。
高橋 寛(たかはし ひろし、1951年12月20日 - 20… 高橋 寛(たかはし ひろし、1951年12月20日 - 2025年2月10日)は、島根県邑智郡桜江町(現・江津市)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ。 江津工高では2年秋に1学年下の三沢淳とバッテリーを組んで県大会決勝へ進むが大田高の福間納に完投されて惜敗。3年次の1969年、2年生エースとなった三沢と夏の西中国大会準決勝に進出するが、有田修三捕手がいた宇部商に敗れて甲子園出場を逸する。卒業後は松下電器へ入社し、高校時代に対戦した福間や山口高志とバッテリーを組んだ。 1973年のドラフトで阪神タイガースから5位指名され翌年入団するつもりが入団できず、木原弘人の加入後は控えであったが、1976年のドラフト5位でヤクルトスワローズに入団。
野々村 直通(ののむら なおみち、1951年12月14日 -… 野々村 直通(ののむら なおみち、1951年12月14日 - )は、島根県出身の教育評論家、画家、野球指導者。元高等学校教員(美術科教諭)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属(マネジメント契約)。 島根県立大東高等学校(第22期卒)から広島大学(学校教育学部美術科)に進学。 硬式野球部では2年時に広島六大学の首位打者を獲得。4年時は主将として全日本大学野球選手権大会に初出場。四番・一塁手で出場した初戦で同志社大学に0-11で敗れた。 大学卒業後に広島県立府中東高校に美術教師として赴任。また、野球部監督ともなり、1978年秋の中国大会で準優勝し、翌年の第51回選抜高等学校野球大会の出場校に選出され監督として甲子園初出場を果たした。
福間 納(ふくま おさむ、1951年7月13日 - )は、島… 福間 納(ふくま おさむ、1951年7月13日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 現役時代には、阪神へ在籍していた時期に一時、福間 納一(読み方は本名と同じ)を登録名に使用していた。 2009年からは株式会社アイランドプロモーションに所属。2021年からはカナフレックスで投手コーチ、2022年に監督就任。 大田高校では2年次の1968年からエースとなり、同年夏の甲子園県予選準決勝に進出するが、浜田高に敗退。3年次の1969年には春の選抜に出場し、1回戦で丸亀商の井原慎一朗と投げ合うが4-9で敗れる。同年夏は県予選準決勝で三沢淳、高橋寛のバッテリーを擁する江津工に抑えられ1-4で敗退、甲子園には届かなかった。
岡田 光雄(おかだ みつお、1949年4月2日 - )は、島… 岡田 光雄(おかだ みつお、1949年4月2日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 邇摩高校では1966年、2年生の時、春の選抜にエースとして出場。1回戦で室蘭工業高校に敗退。同年夏は西中国大会の決勝で早鞆高校の坂本義雄と投げ合うが惜敗、翌年も予選で敗れ甲子園出場には届かなかった。 1967年ドラフト会議で東京オリオンズから2位指名されるも拒否し、松下電器へ入社した。1968年の第39回都市対抗野球大会に富士鉄広畑の補強選手として出場。松下電器同僚の加藤秀司、福本豊も同じく富士鉄広畑に補強されている。大会では神部年男投手との二本柱で勝ち進み、河合楽器との決勝戦でも神部をリリーフしてチームを優勝に導く。
池尻 勉(いけじり つとむ、1948年10月16日 - )は… 池尻 勉(いけじり つとむ、1948年10月16日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手(捕手)。 島根農科大附属農林高時代は、4番で捕手。 1966年、捕手に限定して実施した入団テストで合格しドラフト外で南海ホークスへ入団。1軍は偵察メンバーの1試合のみ。 1971年に引退した。
園田 喜則(そのだ よしのり、1948年7月29日-1989… 園田 喜則(そのだ よしのり、1948年7月29日-1989年9月6日)は、大阪府出身(出生地は島根県大田市)で、東京オリオンズ・ロッテオリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)に所属した元プロ野球選手。ポジションは内野手。
岡村 佳典(おかむら よしのり、1948年7月3日 - )は… 岡村 佳典(おかむら よしのり、1948年7月3日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
山内 新一(やまうち しんいち、1947年12月3日 - )… 山内 新一(やまうち しんいち、1947年12月3日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手(投手)。 島根県立邇摩高等学校を経て三菱重工三原に入社。1966年の都市対抗では準々決勝に進出し、大昭和製紙と対戦。リリーフで登板し逆転負けを喫するが、好投手として注目を集める。 1967年のドラフト2位で巨人に入団。 1969年から一軍で起用された。 1970年には主に中継ぎで8勝を記録する。同年のロッテオリオンズとの日本シリーズでも2試合に登板。第3戦では9回途中からリリーフ、延長11回まで無安打に抑える好投でシリーズ初勝利を飾り、チーム日本一に貢献した。 1972年は故障もあって低迷。 1973年に松原明夫と共に富田勝との交換トレードで南海ホークスへ移籍する。
小室 光男(こむろ みつお、1947年4月19日 - )は、… 小室 光男(こむろ みつお、1947年4月19日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは内野手、外野手。 島根県松江商業では遊撃手で主将。1965年春季中国大会では決勝に進出。関西高の森安敏明らに抑えられ準優勝にとどまるが、好選手として注目された。100m走11秒台の足をもち、高校時代の通算打率は3割。 同年の第1回プロ野球ドラフト会議で西鉄ライオンズに13位指名され入団した。2年間は一軍出場がなかったが、1968年8月21日に日生球場で行われた近鉄バファローズ戦に代打で初出場。初打席で加藤英夫の初球を打ち、塩瀬盛道以来当時2人目となる初球でプロ初打席初本塁打を記録した。
佐々木 誠吾(ささき せいご、1946年9月1日 - )は、… 佐々木 誠吾(ささき せいご、1946年9月1日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
新宅 洋志(しんたく ひろし、1943年12月19日 - )… 新宅 洋志(しんたく ひろし、1943年12月19日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手(捕手)。
竹野 吉郎(たけの よしろう、1943年6月18日 - )は… 竹野 吉郎(たけの よしろう、1943年6月18日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手、内野手。1967年から1971年までの登録名は竹野 充曠。
石谷 訓啓(いしたに くにひろ、1942年9月28日 - )… 石谷 訓啓(いしたに くにひろ、1942年9月28日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手。 大田高校では1959年、2年生の時にエース中島広喜(阪神)を擁し、右翼手として夏の甲子園に出場。1回戦で倉敷工の杉本喜久雄に抑えられ大敗。 1961年に大毎オリオンズへ入団。1963年には一軍に定着し、7月には中堅手、一番打者に抜擢される。シーズン後半は失速するが、33試合に先発出場を果たした。同年はイースタン・リーグで打率.381を記録して首位打者を獲得している。しかしその後は故障もあって出場機会に恵まれず、1967年限りで引退。 引退後はデパートに什器をレンタルする株式会社山元に就職し、常務まで勤めた。
佐々木 有三(ささき ゆうぞう、1940年5月8日 - )は… 佐々木 有三(ささき ゆうぞう、1940年5月8日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 中学時代は陸上部で走り高跳びの選手だった。 益田産業高校(現:益田翔陽高校)時代は長距離打者として鳴らし、3年生時の1958年に同期のエース福原勝(近鉄)を擁し、一塁手として夏の甲子園に出場。1回戦で鈴木正のいた松阪商に敗退したが自身は大会第1号となるホームランをレフトスタンドへ打っている。1959年に木庭教からスカウトされ、広島カープに入団。 入団2年目の1960年に一軍出場を果たすが、1962年までは三振の山を築いていた。入団5年目の1963年はやや粗さが消え、プロ初本塁打も放つ。1964年は控え要員ながら自己最多の89試合に出場するものの、低打率にあえぎ本塁打なしに終わる。
竹下 光郎 (たけした みつお、1938年6月9日 - )は… 竹下 光郎 (たけした みつお、1938年6月9日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手)。 大田高校から、1957年に読売ジャイアンツに入団。1958年10月には2試合に先発マスクを被るが、藤尾茂・森昌彦の壁に阻まれて活躍の機会は少なく、1959年限りで自由契約となる。 1960年にかつて巨人の二軍監督であった千葉茂が監督を務めていた近鉄バファローへ移籍。同年は加藤昌利に代って正捕手となり122試合に出場、初の規定打席に達して打率.257(リーグ21位)を記録し、オールスターゲームにも選出された。翌1961年には打力を活かして一塁手に回り、主に五番打者として76試合に先発出場。しかし、1962年には島田光二に定位置を譲って、その後は主に代打として起用された。
義原 武敏(よしはら たけとし、1937年7月29日 - 2… 義原 武敏(よしはら たけとし、1937年7月29日 - 2010年)は、島根県安来市出身の元プロ野球選手(投手)。 安来中学校(現在の安来市立第一中学校)から米子東高校に進学。高校再編に伴って野球部員が分散を余儀なくされ戦力が手薄となっていたため1年春から先発投手として起用される。1953年秋季中国大会県予選決勝で境高の米田哲也に投げ勝ち本大会に進むが、準決勝でエース横溝桂を擁する岡山東商に敗れ春の選抜出場を逸する。2年時の1954年には阪神軍でプレー経験がある監督の大橋棣の下、夏の甲子園に出場。1回戦は滝川高に延長11回サヨナラ勝ち。2回戦に進出するが、榎本喜八らのいた早稲田実に敗れる。1954年は持病の肋間神経痛のため精彩を欠き、夏の県予選は準決勝で倉吉東高に敗退した。
伊藤 光四郎 (いとう こうしろう、1937年7月28日 -… 伊藤 光四郎 (いとう こうしろう、1937年7月28日 - 2011年11月30日)は、島根県簸川郡大社町出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。
長島 康夫(ながしま やすお、1937年 - )は、島根県安… 長島 康夫(ながしま やすお、1937年 - )は、島根県安来市出身(福岡県北九州市生まれ)の野球選手(投手)・監督。 北九州で生まれたが、1945年8月に製鉄会社に勤める父親の仕事の関係で、朝鮮東部の清津に住んでいた。旧ソ連軍の侵攻で残された家族は南を目指したが、旧ソ連占領下の平壌で収容され、小学3年時に当地で終戦を迎えた。終戦の3日前に民間召集で戦地へ行った父親は行方不明となり、母が一家を支えてきた。長島も生計を助けるため、牛乳配達をしていた。 戦後の混乱で、本土に引き揚げるまでに姉を栄養失調で失うなど、過酷な1年間を過ごしながら、母、妹と共に命からがら帰国。1946年7月に長島の家族を含む30 - 40人が収容所を脱出し、命がけで北緯38度線を越えた。