坊西 浩嗣(ぼうにし こうじ、1968年12月30日 - )… 坊西 浩嗣(ぼうにし こうじ、1968年12月30日 - )は、岡山県玉野市出身の元プロ野球選手(捕手)。
岡山県:112人
坊西 浩嗣(ぼうにし こうじ、1968年12月30日 - )… 坊西 浩嗣(ぼうにし こうじ、1968年12月30日 - )は、岡山県玉野市出身の元プロ野球選手(捕手)。
水本 勝己(みずもと かつみ、1968年10月1日 - )は… 水本 勝己(みずもと かつみ、1968年10月1日 - )は、岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球コーチ。
岡本 圭治(おかもと けいじ、1967年7月9日 - )は、… 岡本 圭治(おかもと けいじ、1967年7月9日 - )は、岡山県赤磐郡山陽町(現:赤磐市)出身の元プロ野球選手。 小学生の時にソフトボールの選手となり、中学生の時に野球を始める。 岡山東商業高から近畿大学に進み、100m11秒という俊足が売りのスイッチヒッターとして活躍。3、4年次は大学選手権連覇を経験。1989年には関西学生野球秋季リーグのベストナインに選出。チームの明治神宮大会優勝に貢献し、日米大学野球代表にも名を連ねた。同期にエースの酒井光次郎、内匠政博がいた。 1989年のプロ野球ドラフト会議において阪神タイガースに2位で指名され入団。契約金5500万円・年俸600万円(金額は推定)と決まった。
横谷 総一(よこたに そういち 1965年9月2日 - )は… 横谷 総一(よこたに そういち 1965年9月2日 - )は日本の元プロ野球選手。鉄道会社社員。
石本 龍臣(いしもと りゅうしん、1965年7月29日 - … 石本 龍臣(いしもと りゅうしん、1965年7月29日 - )は、岡山県津山市出身の元プロ野球選手(投手)、元競輪選手。競輪選手としては、現役時代は日本競輪選手会岡山支部所属、ホームバンクは玉野競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第60期生。弟子は、同じく広島東洋カープの元投手であった塚本善之。 倉吉北高では同期の加藤伸一に次ぐ投手であり、3年次はチームが対外試合禁止のため実績は残せなかったが1983年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから5位指名を受け入団。 一軍登板機会がないまま、1985年限りで現役を引退。目の焦点が合わないことがあり、投球に支障をきたすようになっていたためと言われている。
八木 裕(やぎ ひろし、1965年6月8日 - )は、岡山県… 八木 裕(やぎ ひろし、1965年6月8日 - )は、岡山県玉野市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)。愛称は「代打の神様」、「ハチキ」。
川相 昌弘(かわい まさひろ、1964年9月27日 - )は… 川相 昌弘(かわい まさひろ、1964年9月27日 - )は、岡山県岡山市南区出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ、プロ野球三軍監督。
本間 立彦(ほんま たつひこ、1964年5月26日 - )は… 本間 立彦(ほんま たつひこ、1964年5月26日 - )は、岡山県岡山市出身の元プロ野球選手(内野手)。左投左打。
中藤 義雄(なかとう よしお、1963年5月23日 - )は… 中藤 義雄(なかとう よしお、1963年5月23日 - )は、岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手(内野手)。
大倉 孝一(おおくら こういち、1962年9月17日 - )… 大倉 孝一(おおくら こういち、1962年9月17日 - )は、岡山県倉敷市出身の元社会人野球選手(捕手)、アマチュア野球コーチ、倉敷ピーチジャックス監督、女子野球日本代表監督、実業家。 岡山県立玉島商業高等学校では3年夏の県大会準優勝、駒澤大学に進学し硬式野球部では同期に河野博文、横田真之がいて4年秋の明治神宮大会で優勝したが控えであった。 大学卒業後は、社会人野球の日本鋼管福山(後にNKK)で捕手を務める。 現役引退後は、1996年からNKKで兼任コーチとなり、専任の後2000年から駒大コーチ、2014年から環太平洋大学女子硬式野球部の監督を歴任した。2001年に女子野球日本代表のコーチとなり、2006年に代表監督に就任し2010年に退任したが、2014年に監督に復帰した。
柴原 実(しばはら みのる、1960年8月6日 - )は、岡… 柴原 実(しばはら みのる、1960年8月6日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手(外野手)。 金山学園高(現:岡山学芸館高)から社会人野球の常石鉄工を経て、1982年のドラフト4位で阪急ブレーブスに入団。 1986年は一軍で80試合に出場。4月9日に行われたウエスタン・リーグの南海戦で3打席連続三塁打の新記録を作る。 当時のチームの外野陣は層が厚く、なかなか一軍定着ができなかった。 しかし、1992年にはレギュラー右翼手の藤井康雄が故障したため、藤井復帰までスタメン出場の機会が増えていた。1996年限りで現役引退。 1997年から1998年にかけてオリックスでコーチを務め、オリックス退団後は常石鉄工に戻りコーチを務めた。
下田 充利(しもだ みつとし、1958年11月10日 - )… 下田 充利(しもだ みつとし、1958年11月10日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手(投手・捕手)。 岡山県立東岡山工業高等学校から1976年ドラフト6位で日本ハムファイターズに入団。高校では投手も、その後は捕手へ転向。プロ入り後に腰痛に苦しみ、1981年に引退。 引退後は、地元で一般企業に勤務しながら日本ハム球団への新人発掘アドバイザーとして近県の有力な高校生、大学生、社会人を推薦して多くの選手を輩出している。その後は転勤により滋賀県を中心に少年野球チームの監督を務める傍ら、高校の外部コーチ、また近年はプロ野球OBクラブの活動も行っている。
山﨑 慶一(やまさき けいいち、1957年5月3日 - )は… 山﨑 慶一(やまさき けいいち、1957年5月3日 - )は、岡山県瀬戸内市牛窓町出身の高校野球指導者。 邑久高校、日本体育大学でプレー。 大学卒業後の1984年に倉敷市立工業高校に赴任。軟式野球部の指導にあたり、翌1985年には全国高等学校定時制通信制軟式野球大会の東中国代表に導いている。 1987年に開校した、岡山城東高校に赴任。開校時から野球部の監督に就任し、2期生が3年生になった1990年夏には開校から僅か4年で岡山県大会を制し、第72回全国高等学校野球選手権大会に初出場。1996年春開催の第68回選抜高等学校野球大会に初出場し、ベスト4に進出。その後も1998年夏、2003年春、2004年春にそれぞれ甲子園大会に出場。
兼光 保明(かねみつ やすあき、1957年4月21日 - )… 兼光 保明(かねみつ やすあき、1957年4月21日 - )は、岡山県和気郡吉永町(現・備前市吉永町)出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
土居 正史(どい まさし、1956年6月20日 - )は、岡… 土居 正史(どい まさし、1956年6月20日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手(投手)。
居郷 肇(いごう はじめ、1956年4月11日 - )は、岡… 居郷 肇(いごう はじめ、1956年4月11日 - )は、岡山県岡山市出身の元社会人野球の選手(内野手)。
山根 和夫(やまね かずお、1955年8月2日 - )は、岡… 山根 和夫(やまね かずお、1955年8月2日 - )は、岡山県真庭郡勝山町(現・真庭市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 実兄は都市対抗に20年連続出場を果たした鈴木政明投手。 勝山高校では2年秋の県大会ベスト4、卒業後は日本鋼管福山に入社し、エース・田村忠義の控え投手であったが、右の本格派として早くから注目されていた。1975年のドラフトで広島東洋カープから2位指名されるも、会社に慰留されたこともあり、1976年の都市対抗に出場。 1977年に入団し、入団当時はチームで一番球が速く150km/hほど出ていたが、コントロールが悪く投球を問題視されていた。しかし投手コーチに選手生命をかけてフォーム改造を直訴すると、フォームをノーワインドアップのスリー・クォーターにしてコントロールが安定した。
岡 義朗(おか よしあき、1953年11月22日 - )は、… 岡 義朗(おか よしあき、1953年11月22日 - )は、岡山県玉野市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者、野球解説者。
中司 得三(なかつかさ とくぞう、1953年5月18日 - … 中司 得三(なかつかさ とくぞう、1953年5月18日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
劔持 節雄(けんもつ たかお、1953年5月16日 - )は… 劔持 節雄(けんもつ たかお、1953年5月16日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手(内野手→外野手)。1980年途中から1985年までの登録名は「劔持 貴寛」(けんもつ たかひろ)。 岡山日大高(現・倉敷高)では遊撃手、控え投手として1年秋の県大会決勝で完投勝利したが中国地区大会では広陵高に初戦コールド負け。1970年夏の甲子園予選東中国大会決勝に進出するが、岡義朗、守岡茂樹のいた岡山東商に敗退。翌年も県大会で敗れ甲子園には届かなかった。 1971年ドラフト2位で広島入団。 1974年より外野手に転向するが、二軍暮らしが長かった。 1977年ウエスタン・リーグで首位打者を獲得。 1978年11月望月卓也、平田英之と共に金田留広、渡辺秀武との3対2の交換でロッテに移籍。
北原 光広(きたはら みつひろ、1953年4月15日 - )… 北原 光広(きたはら みつひろ、1953年4月15日 - )は、岡山県出身の高校野球指導者。現神港学園高野球部監督。同校地歴公民科教諭。
守岡 茂樹(もりおか しげき、1953年3月5日 - )は、… 守岡 茂樹(もりおか しげき、1953年3月5日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
福井 保夫(ふくい やすお、1952年11月12日 - )は… 福井 保夫(ふくい やすお、1952年11月12日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 津山商業高校では、エースとして1969年秋季中国大会県予選で準決勝に進むが興譲館高に敗退。翌1970年春季中国大会県予選でも準決勝に進出するが、岡義朗、守岡茂樹のいた岡山東商に惜敗した。卒業後は松下電器に入社。しかしエース福間納に加え、1973年には山口高志、長谷部優が入社。あまり活躍の機会はなかった。 1974年のドラフト会議で近鉄バファローズに1位指名され入団。この年のドラフトでは同僚である山口高志の去就が注目され、ドラフトで最初に指名権を得ていたバファローズが当然山口を1位指名するものとみられていた。
仁科 時成(にしな ときなり、1951年6月2日 - )は、… 仁科 時成(にしな ときなり、1951年6月2日 - )は、岡山県浅口郡寄島町(現:浅口市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
奥江 英幸(おくえ ひでゆき、1950年8月11日 - )は… 奥江 英幸(おくえ ひでゆき、1950年8月11日 - )は、岡山県岡山市出身の元プロ野球選手(投手)。
加藤 安雄(かとう やすお、1950年4月6日 - )は、岡… 加藤 安雄(かとう やすお、1950年4月6日 - )は、岡山県総社市出身の元プロ野球選手(捕手)。
山根 政明(やまね まさあき、1950年2月25日 - )は… 山根 政明(やまね まさあき、1950年2月25日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(投手)。実弟はプロ野球の広島・西武で投手として活躍した山根和夫。1978年からの社会人野球での登録名は鈴木 政明。 岡山県真庭郡勝山町(現:真庭市)出身。勝山高等学校では、1966年秋季中国大会県予選準々決勝に進むが倉敷工に大敗。翌1967年夏の甲子園県予選は、2回戦で中室幹雄らがいた津山商に敗退し、甲子園への出場を果たすことができなかった。その年のドラフト会議で後に弟が入団することになる広島カープから9位指名を受けたが、入団を拒否した。 高校卒業後は大昭和製紙に入社。1969年のドラフト会議でアトムズから12位指名を受けたが、入団を拒否しチームに残留。
中室 幹雄(なかむろ みきお、1950年1月10日 - )は… 中室 幹雄(なかむろ みきお、1950年1月10日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 津山商業高校では、1966年秋季中国大会で準決勝に進出。尾道商のエース大田垣耕造に抑えられ惜敗するが、翌1967年春の選抜出場を決める。しかしその後の学内不祥事で出場辞退。同年夏は東中国大会準決勝で米子工に敗退。同年ドラフト13位で巨人に入団。担当スカウトは木戸美摸。 俊足、巧打、長打力のある外野手として期待されたが、選手層の厚い中、二軍でもほとんど出場機会がなく、1969年限りで現役引退。 退団後は電気店の経営者養成専門学校に入学。その後家業の家庭電気店を継ぐ。
東新 昇(とうしん のぼる、1949年9月2日 - )は、岡… 東新 昇(とうしん のぼる、1949年9月2日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
森安 敏明(もりやす としあき、1947年12月18日 - … 森安 敏明(もりやす としあき、1947年12月18日 - 1998年7月29日)は、岡山県玉野市出身のプロ野球選手(投手)。 シーズン最多与死球のNPB記録保持者(22与死球)で、1970年の「黒い霧事件」にて八百長が認定され、池永正明・永易将之らと共に永久追放処分とされた。 関西高等学校在学中には、鋭く変化する「カミソリシュート」を武器に大洋ホエールズで通算201勝を挙げる平松政次(岡山県立岡山東商業高等学校)や、サンケイ・ヤクルト一筋で18年間プレーし、沢村賞も受賞した松岡弘(岡山県立倉敷商業高等学校)と共に「岡山三羽ガラス」と呼ばれた。また同年代には県外に堀内恒夫や鈴木啓示、木樽正明ら速球派投手が名を連ねている。
平松 政次(ひらまつ まさじ、1947年9月19日 - )は… 平松 政次(ひらまつ まさじ、1947年9月19日 - )は、岡山県高梁市出身のプロ野球選手(投手)、野球解説者。
松岡 弘(まつおか ひろむ、1947年7月26日 - )は、… 松岡 弘(まつおか ひろむ、1947年7月26日 - )は、岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
西山 敏明(にしやま としあき、1947年5月22日 - )… 西山 敏明(にしやま としあき、1947年5月22日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手(外野手)。 津山商業高では1965年夏の甲子園県予選準決勝に進出するが、森安敏明を擁する関西高に延長で敗れる。 同年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから7位指名を受けるも、入団を拒否し駒澤大学へ進学。 駒澤大学在学中の1967年にドラフト外で広島東洋カープへの入団が決まり、大学を中退する。 1969年にジュニアオールスターに出場するも、一軍では出場機会が少ないまま1971年に現役を引退した。
星野 仙一(ほしの せんいち、1947年1月22日 - )は… 星野 仙一(ほしの せんいち、1947年1月22日 - )は、日本のプロ野球選手、監督、野球解説者。岡山県倉敷市出身。選手時代のポジションは投手。2015年より株式会社楽天野球団取締役副会長。2011年から2014年まで東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務めた。2008年には北京オリンピック野球日本代表の監督も務めた。
菱川 章(ひしかわ あきら、1947年1月2日 - )は、岡… 菱川 章(ひしかわ あきら、1947年1月2日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
秋山 重雄(あきやま しげお、1946年5月5日 - )は、… 秋山 重雄(あきやま しげお、1946年5月5日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手(内野手)。
羽村 起夫(はむら たつお、1946年4月21日 - )は、… 羽村 起夫(はむら たつお、1946年4月21日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
大杉 勝男(おおすぎ かつお、1945年3月5日 - 199… 大杉 勝男(おおすぎ かつお、1945年3月5日 - 1992年4月30日)は、岡山県勝田郡奈義町出身のプロ野球選手(内野手)。 NPBにおける通算本塁打数・通算打点数ともに歴代9位。 3兄弟の次男として生まれ、4歳年上の兄・正二郎に影響されて野球を始めた。その後、兄と父・二三五郎を病で亡くす。 関西高校に入学し、硬式野球部に入部。1年でありながら真っ先にレギュラー捕手となるが、甲子園に出場することはかなわなかった。卒業後は、1963年に野球部を新設し、高校の先輩である岡田悦哉が監督となった丸井に入社。都市対抗の東京都予選などで活躍するが、創部2年目の1964年に野球部は休部する。 1965年、岡田の勧めもあり東映フライヤーズの入団テストを受け、入団。
高畠 導宏(たかばたけ みちひろ、1944年1月18日 - … 高畠 導宏(たかばたけ みちひろ、1944年1月18日 - 2004年7月1日)は、岡山県岡山市出身(倉敷市生まれ)の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。
鎌田 豊(かまた ゆたか、1943年8月4日 - )は、岡山… 鎌田 豊(かまた ゆたか、1943年8月4日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
槌田 誠(つちだ まこと、1943年6月12日 - 1999… 槌田 誠(つちだ まこと、1943年6月12日 - 1999年1月7日)は、岡山県出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)。
小橋 優(こばし まさる、1942年7月1日 - )は岡山県… 小橋 優(こばし まさる、1942年7月1日 - )は岡山県出身の元プロ野球選手。
渡辺 博文(わたなべ ひろふみ、1940年7月4日 - )は… 渡辺 博文(わたなべ ひろふみ、1940年7月4日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手(投手)。
石原 碩夫(いしはら せきお、1940年1月1日 - )は、… 石原 碩夫(いしはら せきお、1940年1月1日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。
室山 皓之助 (むろやま こうのすけ、1939年11月16日… 室山 皓之助 (むろやま こうのすけ、1939年11月16日 - )は岡山県出身の元プロ野球選手。
石井 茂雄(いしい しげお、1939年〈昭和14年〉5月6日… 石井 茂雄(いしい しげお、1939年〈昭和14年〉5月6日 - 2005年〈平成17年〉3月28日)は、岡山県真庭郡久世町(現:真庭市)出身のプロ野球選手(投手)。 1957年8月、勝山高定時制を中退し、阪急ブレーブスに入団。高校時代に地元で行われた大学野球部の練習試合に混ざってプレーした際、大学生打者から次々と三振を取り、受けた捕手に「本当に高校生か」と聞かれたという。2年目の1958年から一軍に上がり、1962年には開幕投手に抜擢される。この年は先発陣の一角として起用されるが4勝にとどまる。翌1963年にはチーム最多の17勝を挙げ、初めて規定投球回に達して、リーグ9位の防御率2.92を記録。
河原 主尚(かわはら きみなが、1937年9月1日 - )は… 河原 主尚(かわはら きみなが、1937年9月1日 - )は、岡山県久米郡久米町坪井出身のプロ野球選手(内野手→外野手)。 岡山県立津山高等学校から、1957年に大阪タイガースにテスト入団。当初は打力を買われて、内野手の入団だったが、やがて強肩に注目が集まり、外野手にコンバートされてウエスタン・リーグに出場するようになった。一軍では打席に経つ事はなかったが、4試合代走で出場した事がある。翌1958年に引退。
石井 登(いしい のぼる、1937年7月23日 - )は、岡… 石井 登(いしい のぼる、1937年7月23日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。
浅越 桂一(あさごえ けいいち、1936年7月2日 - 20… 浅越 桂一(あさごえ けいいち、1936年7月2日 - 2011年8月6日)は、岡山県都窪郡妹尾町(現・岡山市南区)出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。 関西高等学校では1954年夏の甲子園予選東中国大会決勝に進むが、米子東高のエース義原武敏に抑えられ、延長10回0-1xでサヨナラ負け、甲子園出場を逸する。高校の1年上に吉岡史郎がいた。 1955年に大阪タイガースに入団。小柄ながら体格がよく期待された。背番号を3に変更した1958年には、開幕からレギュラー二塁手として起用される。シーズン後半は辰市邦輔に定位置を譲るが48試合に先発出場を果たした。翌年も70試合に出場するが、鎌田実が台頭し1960年には出場機会が激減。
安原 達佳(やすはら たつよし、現在の姓は渡邉、1936年3… 安原 達佳(やすはら たつよし、現在の姓は渡邉、1936年3月5日 - 2015年4月1日)は、岡山県出身のプロ野球選手。ポジションは投手、外野手。