中本 柚朱(なかもと ゆず、2002年11月13日 - )は… 中本 柚朱(なかもと ゆず、2002年11月13日 - )は、日本の女子バレーボール選手。 広島県廿日市市出身。 地元・広島県の中学校在学途中に大阪国際大和田中学校へ転入。 2017年12月25〜28日に渡り大阪府立体育会館および大阪市中央体育館の2会場で開催された第31回全国都道府県対抗中学バレーボール大会に大阪北選抜代表として出場し、優勝を経験。 2018年、大阪国際滝井高等学校に進学。 2020年12月18日、岡山シーガルズ公式サイトにて入団内定が発表。同期入団は松本舞佳。同月24日、V.LEAGUEに選手登録された。 2021年1月10日、東京体育館にて開催された第73回全日本バレーボール高等学校選手権の準決勝(東九州龍谷高等学校戦)で、中本を擁する大阪国際滝井高等学校はストレートの勝利を収めた。
周田 夏紀(すだ なつき、2002年8月21日 - )は、日… 周田 夏紀(すだ なつき、2002年8月21日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 広島県呉市出身。両親に勧められて小学4年生からバレーボールを始めた。 就実高等学校2年でインターハイで優勝を果たした。3年の春高バレーでは優勝を果たした。2020-21シーズン、トヨタ車体クインシーズの内定選手となった。同期入団は原幸歩、黒須咲良、舟根綾菜、大川愛海、加地春花、小出雛。内定選手としてV1女子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2021年、高校卒業後に、トヨタ車体クインシーズに入団した。同年7月、背番号が「25」から「5」に変更された。 2025年4月、2024-25シーズン限りでの現役引退と社業専念が発表された。
門田 湖都(もんた こと、2002年4月3日 - )は、日本… 門田 湖都(もんた こと、2002年4月3日 - )は、日本の女子バレーボール選手である。 広島市立可部中学校から父が監督を務める広島桜が丘高等学校に進学。在籍中はエース兼セッターとして2年連続でインターハイと春高バレーに出場。 筑波大学ではオポジットとして1年生から試合に出場。3年生で全日本大学選手権(全日本インカレ)での優勝を経験。2024年の全日本インカレでは同じく1年生から試合に出場していた主将の中村悠とともに連覇に貢献した。 2024年12月6日、SVリーグの群馬グリーンウイングスの内定選手として発表された。同月28日に追加登録選手として公示され、2025年1月18日のデンソーエアリービーズ戦でデビューとなった。
閑田 千尋(かんだ ちひろ、2001年11月20日 - )は… 閑田 千尋(かんだ ちひろ、2001年11月20日 - )は、日本の女子バレーボール選手である。 広島市立可部中学校では2016年に全日本中学校選手権で優秀選手を受賞、全国都道府県対抗中学大会(JOCカップ)で広島県選抜を優勝に導いた。 広島市立沼田高等学校では2019年に第71回全日本高等学校選手権(春高バレー)に出場している。 都留文科大学では4年時に主将を務めた。 2023年12月、V.LEAGUE DIVISION2所属の群馬グリーンウイングスの内定選手となった。 2024年10月14日の2024-25シーズンチーム開幕戦・Astemoリヴァーレ茨城戦に出場しSVリーグデビューを果たした。
高木 啓士郎(たかき けいしろう、2001年9月3日 - )… 高木 啓士郎(たかき けいしろう、2001年9月3日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 広島県広島市出身。母と姉の影響で小学1年生からバレーボールを始めた。しかし、入学当初は野球が好きだった。入部希望者多数で野球部に入部出来なかったためバレーボールを始め、次第にバレーボールに熱中していった。中学1年生のときにリベロに転向した。 2017年、広島の強豪である崇徳高等学校に進学し、1年時から出場機会を得た。1学年修了後、ユース日本代表(U-18)の合宿に召集された。3年時の2019年、第16回U19世界選手権に出場。 2020年、東海大学に進学。3年時の2022年、関東大学春季リーグと東日本大学選手権大会(東日本インカレ)で優勝。
森木 かれん(もりき かれん、1999年9月11日 - )は… 森木 かれん(もりき かれん、1999年9月11日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 広島県東広島市出身。 広島市立沼田高等学校、岐阜協立大学を経て2022年4月、V.LEAGUE DIVISION2所属のブレス浜松に入団。 2024年7月、SV.LEAGUE所属のヴィクトリーナ姫路への期限付き移籍が発表された。同年10月19日、SV.LEAGUE第2節のSAGA久光スプリングス戦で初出場を果たした。 2025年5月、2024-25シーズン限りでの現役引退が発表された。6月30日に引退選手として公示。7月にブレス浜松の事業部スタッフに就任。 ブレス在籍時は株式会社サンヨークリーニングで勤務していた。
西本 圭吾(にしもと けいご、1998年10月27日 - )… 西本 圭吾(にしもと けいご、1998年10月27日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 2014年、尾道高等学校に進学。高校1年生のときに友人から部活に誘われて本格的にバレーボールを始める。高校2年のときに長身選手を集めた広島県代表合宿に招集された。部活の引退時には、Vリーガーを目指すと宣言していた。 2017年、福山平成大学に進学。2018年、全日本インカレで準優勝を果たした。2020年、V.LEAGUE DIVISION1(V1)に所属する東レアローズの内定選手となった。大学生活を振り返り、「自主性を重んじるチームのおかげで成長できた。」と話した。 2021年、大学卒業後、東レアローズに入団。
勝岡 将斗(かつおか まさと、1996年7月3日 - )は、… 勝岡 将斗(かつおか まさと、1996年7月3日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 広島県福山市出身。兄の影響を受けて小学1年生の頃バレーボールを始める。 崇徳高等学校を経て、2015年、大阪産業大学に進学。2017年、U23日本代表に選出され、アジアU-23選手権に出場。チームの準優勝に貢献し、自身もベストアタッカー賞を受賞した。同年の世界U-23選手権にも出場した。 2018年、ウルフドッグス名古屋の入団内定となる(内定当時のチーム名は豊田合成トレフェルサ)。内定選手として2018-19シーズンのリーグ戦にも出場した。 2019年、大学卒業後、ウルフドッグス名古屋に入団。同年、ユニバーシアード日本代表としてユニバーシアード競技大会に出場した。
平田 亮介(ひらた りょうすけ、1995年5月18日 - )… 平田 亮介(ひらた りょうすけ、1995年5月18日 - )は、日本の元男子プロバレーボール選手である。 広島県福山市出身。小学6年生のときに、親の影響でバレーボールを始める。 崇徳高等学校、中央大学を経て、2017年、V・プレミアリーグ(当時のVリーグ1部リーグ)に所属するFC東京の内定選手となった。 2018年、大学卒業後に、FC東京に入団。2018-19シーズン、V1リーグ戦デビューを果たす。 2022年6月、FC東京のチーム譲渡により誕生したプロクラブ・東京グレートベアーズに全体移籍。 2023年、2022-23シーズンをもって現役を引退し、同チームのクラブスタッフに就任した。
金本 望(かねもと のぞみ、1994年8月25日 - )は、… 金本 望(かねもと のぞみ、1994年8月25日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 広島県広島市出身。4人兄妹の長女(兄が2人、妹が1人いる)。小学3年生のときにバレーボールを始めた。 2016年12月8日、トヨタ車体クインシーズへの入団内定が発表された。同期入団は安井由香子、中屋夏澄、山上有紀。 2020年6月3日、チーム公式サイトにて現役引退が発表された。 V.LEAGUEの個人成績は下記の通り。 V.LEAGUE Official Channel
井上 航(いのうえ わたる、1994年7月5日 - )は、日… 井上 航(いのうえ わたる、1994年7月5日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 広島県広島市出身。小2の頃、友人の誘いがきっかけでバレーボールを始める。 崇徳高等学校、東海大学を経て、2016年12月に、JTサンダーズ(現・JTサンダーズ広島)に内定選手として入団。リーグ戦終了後の第66回黒鷲旗大会でチームの優勝に貢献し、自身も若鷲賞(最優秀新人賞)を受賞した。 2017/18シーズン、V・プレミアリーグにて最優秀新人賞を受賞。 2024年5月、JTを退団。7月に9人制のJT東京ブラスターズへの加入が発表された。
合田 心平(ごうだ しんぺい、1992年9月23日 - )は… 合田 心平(ごうだ しんぺい、1992年9月23日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者である。 広島県神石郡出身。父親が監督をしていた影響や兄がプレーしていた影響を受けて、小学校に入った頃からバレーボールを始めた。学生時代、小学5年の頃から下宿をしてのバレーボール人生が続いた。 崇徳高等学校、大阪産業大学でのプレーを経て、大学卒業前に、パナソニックパンサーズから練習生としてプレーする機会が与えられた。練習生としての3ヶ月間のプレーを経て2015年4月にパナソニックに正式入団。パナソニックでは、日本代表セッターの深津英臣と関田誠大がいたため出場機会に恵まれなかった。 2018年5月、黒鷲旗が終わった頃に移籍の話が出て、長く悩んだ末に、地元のチームでもあるJTサンダーズ広島への移籍を決断。
瀬尾 有耶(せお あや、1991年2月25日 - )は、日本… 瀬尾 有耶(せお あや、1991年2月25日 - )は、日本の女子バレーボール選手。広島県福山市出身。ニックネームはセイヤ。Vプレミアリーグ・岡山シーガルズに所属していた。
ベゼラ・ダシルバ・サムエル・ジュニオル(英: BEZERA … ベゼラ・ダシルバ・サムエル・ジュニオル(英: BEZERA DA SHIRUBA SAMUERU JUNIOR 、1987年7月23日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。Vリーグ登録名はベゼラ・ジュニオル。 本名表記およびラテン表記はJT公式に準拠する。なおブラジルポルトガル語ではサムエル・ベセーラ・ダ・シウヴァ・ジュニオル(Samuel Bezerra da Silva Júnior)。 父親がブラジル人で、母親が日系三世ブラジル人で、ベゼラ自身は現在日本に帰化している。ブラジル・サンパウロ市で生まれ、父親の自動車関連企業での仕事のため、9歳から広島県安芸郡府中町で暮らす。 幼い頃からサッカーをしており、府中町立府中緑ヶ丘中学校入学後も当初はサッカーをしていたが足を痛め断念した。
筧本 翔昂(といもと しょうご、1987年6月25日 - )… 筧本 翔昂(といもと しょうご、1987年6月25日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 広島県江田島市出身。切串中でバレーボールを始める。3年時2002年にトップス広島が開校したトップス広島バレーボール学校(JTサンダーズジュニアチーム)に1期生として入団。神辺旭高校時代は2005年岡山国体の広島県選抜に選ばれ優勝を経験。高校卒業後に東亜大学へ進学し、2006年にイランで開催された第13回アジアジュニアで準優勝をした。2008年西日本インカレでは3年ぶりの優勝に貢献し、ブロック賞とサーブ賞を受賞した。 大学在学中の2009年12月にJTサンダーズ(現・JTサンダーズ広島)の内定選手となり、卒業後の2010年に入団。
内藤 絵莉香(ないとう えりか、1984年8月15日 - )… 内藤 絵莉香(ないとう えりか、1984年8月15日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
内冨 寛法(うちとみ ひろのり、1980年4月5日 - )は… 内冨 寛法(うちとみ ひろのり、1980年4月5日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。当初は内富姓登録であった。 広島県広島市出身。実姉の影響で古市小学校4年次よりバレーボールを始める。安佐南中学校卒業後、名門崇徳高校へ入学、樋内明から指導を受けた。 1999年、東亜大学に進学し、オポジットとして活躍した。同級生に日高誠。2002年4年次の全日本インカレで3位になった。また大学選抜としてアジア東部地区バレーボール選手権大会に出場した。 2003年大学卒業後、日高と共にJTサンダーズへ入団。1年目から出場機会を得て、プレミアリーグ準優勝に貢献している。しかし、直弘龍治がオポジットのポジションを掴んで以降、出番を減らしていくこととなった。
田辺 修(たなべ おさむ、1979年4月10日 - )は、日… 田辺 修(たなべ おさむ、1979年4月10日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 広島県広島市出身。実兄の影響で安北小学4年(安北スポーツ少年団)よりバレーボールを始める。 崇徳高校を経て、東亜大学を卒業後、2002年にVリーグの東レアローズへ入団した。 第11回Vリーグでベストリベロ賞を獲得、全日本代表入りを果たし、2005年ワールドリーグに出場。 2009年にはVプレミアリーグでレシーブ賞、黒鷲旗大会でベストリベロ賞を獲得し、全日本代表に再選出。2009年ワールドグランドチャンピオンズカップに出場し、日本の銅メダル獲得に貢献した。 2010年4月2日の堺戦で左足小指を骨折し、全治3ヶ月の怪我を負った。
直弘 龍治(なおひろ りゅうじ、1978年10月1日 - )… 直弘 龍治(なおひろ りゅうじ、1978年10月1日 - )は、日本の男子ビーチバレーボール選手、元インドアバレーボール選手。グランビーズ広島所属。 広島県広島市出身。広島市立落合中学校卒業。広島県立広島工業高等学校入学後、野球部に入部するもすぐに退部する。その後、バレーボール部に入部した。バレーを始めたのはこのときからである。 1997年、東亜大学へ進学。1999年3年の時、ユニバーシアード(パルマ・デ・マヨルカ大会)に出場し、準優勝に貢献した。 2001年、JTサンダーズに入団。同期に宮下雅寛。同年のワールドリーグ広島大会で初の全日本代表入り。2006年、全日本代表に選出され、2006年世界選手権に出場。
増野 彰(ますの あきら、1978年7月6日 - )は、日本… 増野 彰(ますの あきら、1978年7月6日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 広島県広島市出身。実兄の影響で、川内小学校4年よりバレーボールを始める。 広島大学を卒業後、2001年に堺ブレイザーズに入団。2006年の第12回Vリーグの堺ブレイザーズの優勝に貢献し、ベストリベロ賞を受賞。同年全日本代表に初選出され、2006年ワールドリーグに出場した。 2010年3月19日、2009/10Vプレミアリーグをもって現役を引退することが発表され、4月1日付で和歌山県の県立高校の教員に赴任した。
向井 久子(むかい ひさこ、1978年3月1日 - )は、日… 向井 久子(むかい ひさこ、1978年3月1日 - )は、日本の元バレーボール選手、指導者。 広島県廿日市市(旧・佐伯郡宮島町)出身。 高校を卒業後、名門バレーボールチーム「ユニチカ・フェニックス」へ入団。 2000年7月、ユニチカの廃部が決まり、9月にチームを引き継いで結成された東レアローズへ入団。同時に東レ株式会社に入社。 高いジャンプ力とパワーあふれるスパイクを武器に、主将・エースとして若手選手の多いチームを牽引する。 2008年天皇杯・皇后杯全日本選手権優勝、2007-08プレミアリーグ初優勝の2冠などチームに貢献。日本代表選手としても活躍する。 2008年5月、現役引退を発表。東レアローズ事務局に籍を置き、バレーボール教室やコーチングキャラバンで後進の指導を行った。
西畑 美希(にしはた みき、1977年4月27日 - )は、… 西畑 美希(にしはた みき、1977年4月27日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、現バレーボール指導者である。 広島県福山市出身。1989年に日本で開催されたワールドカップの影響を受けて、中学3年時に福山市立向丘中学校から岡山県のバレーボール強豪校である就実中学校に転学して本格的にバレーボールを始める。1992年夏の全中に出場、同年暮れのさわやか杯では全国中学強化選手に選出された。 1993年に就実高校に進学。同期に向井久子(元全日本、石川島播磨呉→ユニチカ)がいる。同年夏のインターハイではいきなり準優勝を果たす。3年次となった1995年にはインターハイで優勝し、自らも優秀選手賞及びベスト6に耀く。
臺 光章(うてな みつあき、1976年1月1日 - )は、日… 臺 光章(うてな みつあき、1976年1月1日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 広島県広島市出身。小学校5年の時に地元のスポーツクラブ・八木スポーツ少年団に入り[要出典]、バレーボールを始める。高校は地元名門の崇徳高等学校へ進学し、3年次には教育実習で来ていた本多洋から影響を受けた[要出典]。その後、中央大学へ進学する。 1998年、日本たばこ産業 (JT) に入社し、JTサンダーズに入団。同期に苅谷淳司、河野裕輔、下田悟、齋藤学。順調に試合出場を重ね、1999年2年目からチームキャプテンを務めた。2001年、黒鷲旗で優勝しベスト6。同年のアジア選手権で全日本に選出されて金メダルを獲得し、2002年釜山アジア大会では銅メダル獲得に貢献した。
濱田 義弘(はまだ よしひろ、1972年4月22日 - )は… 濱田 義弘(はまだ よしひろ、1972年4月22日 - )は、日本のバレーボール指導者である。 崇徳高等学校、大阪商業大学を経て、1995年、ユニチカ・フェニックスのコーチに就任し、5シーズン在籍した。2001年からパイオニアレッドウィングスのコーチを4年間務め、2005年に久光製薬スプリングス(現・久光スプリングス)に移籍し眞鍋政義監督の下でコーチを務めた。コーチとして在籍した3チームでそれぞれリーグ優勝も経験する。2009年、眞鍋の日本女子代表監督就任に伴い久光製薬の監督に昇格する。 2009/10シーズン、久光製薬の監督として、2年ぶりの優勝を目標に掲げ、長所であるレシーブとつなぎの強化をそのまま続け、パワーとスピードの改革を行う方針を打ち出した。
内田 役子(うちだ ゆきこ、1971年7月18日 - )は、… 内田 役子(うちだ ゆきこ、1971年7月18日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、指導者。 広島県廿日市市友田出身。実姉がバレーボールをしていた影響で、小学校3年生からバレーを始める。佐伯中で県大会ベスト4、進徳女子高校では春高バレー・インターハイに出場した。 1990年、イトーヨーカドーに入部。主将を務めるなど活躍したが、1998年引退。その後現役復帰し、熊本選抜(熊本日産自動車)で1999年熊本国体優勝に貢献。国体選抜チーム解散後の同年、当時V1チームの東北パイオニアに入部。Vリーグ昇格に貢献した後、2002年二度目の引退。故郷に戻り一般の仕事をしていたが、チームからの復帰要請で半年後、三たび現役復帰。
本多 洋(ほんだ ひろし、1971年6月26日 - )は、日… 本多 洋(ほんだ ひろし、1971年6月26日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 現崇徳高等学校バレーボール部監督。 広島県広島市出身。崇徳高校、東海大学出身。1993年大学4年次にはキャプテンを務め、大学四冠を達成した。 1994年4月、日本たばこ産業(JT)入社、JTサンダーズへ入団した。オールラウンダーなエースとして活躍するも、肩の故障の影響から1999年に引退、その後は社業に専念していた。 その後退社し、崇徳高校教諭へ転身し、同校バレー部を指導している。2012年には全日本男子ユース代表監督に就任しアジアユース3位、翌2013年ユース世界選手権出場を獲得した。
津雲 博子(つくも ひろこ、現姓:吉川、1970年9月11日… 津雲 博子(つくも ひろこ、現姓:吉川、1970年9月11日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。広島県広島市安佐南区出身。ニックネームはリン。
安保 澄(あぼ きよし、1970年8月4日 - )は、日本の… 安保 澄(あぼ きよし、1970年8月4日 - )は、日本のバレーボール指導者である。 広島県広島市出身。明治大学卒業後、筑波大学大学院修了。 1998年より、筑波大学女子バレーボール部のアシスタントコーチを務める。2年間チームを指導した。 2000年、イトーヨーカドープリオールのアシスタントコーチに就任。2001年、チームの廃部により、武富士バンブーに全体移籍。2002/03シーズンにチームは準優勝を果たす。 2009年、武富士バンブーが廃部となる。同年、女子日本代表アシスタントコーチに就任。女子日本代表は2010年から快進撃を続け、2010年世界選手権で銅メダル、2011年ワールドカップで4位、ロンドンオリンピックで銅メダルを獲得した。
山本 健之(やまもと けんじ、1970年2月12日 - )は… 山本 健之(やまもと けんじ、1970年2月12日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者。元全日本代表。 広島県広島市安佐南区出身。小学校4年次からバレーボールを始める。1985年、県バレーの強豪・広島工業大学附属工業高校(現広島工業大学高等学校)に入学。1988年、日本体育大学に進学、1990年インカレ優勝に貢献。 その後日本たばこ産業に入社、JTバレーボール部(JTサンダーズ)に入部。小柄ながらレシーブ全般が得意で、リベロ制度ができる前からレシーバーとして活躍した。1994年Vリーグ開幕以降も、リベロとして引き続きチームに在籍した。 一方、1994年全日本に選ばれ、同年ワールドリーグ、同年世界選手権に出場。
井上 謙(いのうえ ゆずる、1963年2月15日 - )は、… 井上 謙(いのうえ ゆずる、1963年2月15日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 広島県広島市生まれ。大手製紙会社に勤務した父親の転勤が多く、長野県岡谷市や静岡県由比町(現・静岡市清水区)などで育つ。 岡谷工業高等学校、順天堂大学を経て1985年日本鋼管(現JFE)に入社。同年全日本代表入りし、1985年神戸ユニバーシアード優勝に貢献。 サウスポーの高い打点からの重いスパイクを武器に、1985年のワールドカップや1988年のソウル五輪などで大車輪の活躍を見せた。しかし、自身の試合中の怪我もあり、ソウルでの順位は全日本バレーのオリンピック史上最悪(当時)の10位に終わった。 1990年、椎間板ヘルニアを手術。
寺廻 太(てらまわり ふとし、1958年1月22日 - )は… 寺廻 太(てらまわり ふとし、1958年1月22日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。広島県安芸郡坂町出身。元バレーボール全日本男子監督。明治大学政経学部政治学科卒業。マネジメント契約先はスポーツビズ。 崇徳高のエースプレーヤーとして、1975年、春高バレー・高校総体・国体の高校三冠を達成。明治大学ではセンタープレーヤーとして活躍し、1980年日本電気(現NEC)男子バレーボール部に入部。日本リーグでオールラウンドプレーヤーとして活躍した。 1987年コーチに専任し、翌1988年、監督に昇格するとチームをVリーグ3度、全日本選手権4度の優勝に導き、若き名将としてその名を馳せる。 1996年アトランタ五輪後、全日本男子の復活を期す切り札として、抜群の統率力と斬新さが評価され全日本監督に招聘される。
村上 情次(むらかみ じょうじ、1957年5月20日 - )… 村上 情次(むらかみ じょうじ、1957年5月20日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。広島県広島市出身。 小学校時にバレーボールを始める。県立広島工業高校に進み、バレーボールをやめ、野球部に入部。しかし肩を痛めて野球を断念し再びバレーボール始める。 猫田勝敏にスカウトされ、高校卒業後に地元、日本専売公社広島地方局(現日本たばこ産業株式会社広島支店)に入社、専売広島(現JTサンダーズ)に入部した。1977年から1989年までエースとして、晩年は兼任コーチとして活躍した。 現在は、広島市内で飲食店『Mrジョー』を経営している[要出典]。
佐藤 裕子(さとう ひろこ、1957年1月12日 - )は、… 佐藤 裕子(さとう ひろこ、1957年1月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 広島県福山市出身。高校1年よりバレーボールを始める。松永高校を経て、1975年に実業団リーグの東洋紡守口(当時)に入部。 日本リーグ昇格後の1981年、第14回日本リーグでのチーム準優勝に大きく貢献し、敢闘賞とベスト6賞を獲得した。またチーム主将を2シーズン務めている。東洋紡監督の石川春樹は「冷静沈着で包容力がある、誰もが親しみを感じる」と評している。 1981年、全日本入りを果たし、ワールドカップに出場、銀メダル獲得に貢献した。 67 高山鈴江 / 68-69 松村勝美 / 69-70 浜恵子 70-71 浜恵子 / 71-72 飯田高子 / 72-73 岩原豊子 / 73-74 飯田高子 / 74-75 白井貴子 / 75-76 横山樹理 / 76-77 前田悦智子 / 77-78 横山樹理 / 78-79 江上由美 / 79-80 清水睦子 80-81 佐藤裕子 / 81-82 小川かず子 / 82-83 水原理枝子 / 83-84 田渕良子 / 84-85 松並早苗 / 85-86 梅津一美 / 86-87 ローズ・メジャーズ / 87-88 大林素子 / 88-89 中西千枝子 / 89-90 松下晃子 90-91 石掛美知代 / 91-92 高山佳代 / 92-93 中西千枝子 / 93-94 山内美加 94-95 中西千枝子 / 95-96 エレーナ・チューリナ / 96-97 大林素子 / 97-98 大懸郁久美 / 98-99 リュボフ・シャチコワ / 99-00 吉原知子 00-01 関井陽子 / 01-02 高橋みゆき / 02-03 エフゲーニャ・アルタモノワ / 03-04 アダムス・モニーク / 04-05 フランシーヌ・フールマン / 05-06 ケニア・カルカセス
小田 雅志(おだ まさし、1955年6月7日 - )は、日本… 小田 雅志(おだ まさし、1955年6月7日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。広島県広島市出身。 現進徳女子高等学校バレー部監督。 1971年、バレーボールの名門崇徳高校に入学。2年時に全国高等学校バレーボール選抜優勝大会優勝を経験。その後1974年中央大学に進学。 大学を卒業後1978年、日本専売公社広島地方局(現日本たばこ産業広島支社)に入社。専売広島バレー部(現JTサンダーズ)に入部。1980年、第13回日本リーグより猫田勝敏の後を受け、正セッターとなる。 1984年からコーチ兼任選手として活躍、1988年監督に就任。1994年Vリーグ創設後も引き続き監督を務め、1999年に退任。
西本 哲雄(にしもと てつお、1950年12月16日 - )… 西本 哲雄(にしもと てつお、1950年12月16日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。1972年ミュンヘンオリンピック金メダリスト。 広島県広島市宇品(現南区宇品)出身。中学まではサッカー選手で、バレーボールは未経験だったが、崇徳高校入学後にバレーボール部に入部。体の大きさを買われてエースアタッカーとして鍛えられ、3年時の1968年、セッター・主将の米田一典らと高校総体で中大附属高校を降し優勝。同年国体では、柳本晶一がまだアタッカーだった大商大付属高校と当時のライバル校を降し優勝、崇徳初の高校2冠の原動力となった。(春高バレーは1970年から) 1969年、高校卒業後、先輩・猫田勝敏らのいた地元チーム・専売広島(現JTサンダーズ)入りし、猫田と共にチームを牽引した。
米田 一典(よねだ かずのり、1950年6月24日 - 20… 米田 一典(よねだ かずのり、1950年6月24日 - 2012年2月26日)は、日本のバレーボール元選手・指導者。元全日本女子バレーボールチーム監督、チャレンジリーグ・仙台ベルフィーユ監督を歴任。広島県広島市安佐南区出身。 崇徳高校3年生時の1968年高校総体で、セッター・主将として中大附属高校を降し優勝。同年国体では柳本晶一擁する大商大付属高校を降して優勝し、2冠を達成した。 1973年、法政大学在学中に日立女子バレーボール部にコーチとして就任。1975年、監督に昇格し日立を常勝チームに育て上げた。 1974年には全日本女子チームコーチに就任、山田重雄監督の片腕として活躍し、1976年モントリオールオリンピック、1977年W杯の金メダル獲得に貢献した。
岡野 昌弘(おかの まさひろ、1944年7月31日 - )は… 岡野 昌弘(おかの まさひろ、1944年7月31日 - )は、広島県呉市出身の元バレーボール選手。サントリー(現サントリーサンバーズ)初代監督。第4回から第11回Vリーグ実行委員長。 私立呉港高校時代からセッターとして活躍する。家庭の事情で大学進学を断念し1963年富士フイルムに入社。チームは1969年、実業団リーグに降格したが、主将として翌1970年、日本リーグ復帰に導いた。1973年、空前のバレーボール人気に目を付け、チームが創設されたサントリーへ新チーム作りを請われ移籍。選手の引き抜きでバレー界は大揺れしたが、初代監督兼選手として大古誠司らと共に奔走。自ら全国を駈けずり選手を集めるなどで1974年、全日本実業団大会優勝、翌1975年、結成2年目の超スピードでチームを日本リーグ入りさせた。
猫田 勝敏(ねこだ かつとし、1944年2月1日 - 198… 猫田 勝敏(ねこだ かつとし、1944年2月1日 - 1983年9月4日)は、日本の元男子バレーボール選手。広島県広島市安佐南区古市(旧・安佐郡古市町)出身。 1964年東京オリンピックから1976年モントリオールオリンピックまで、4大会連続でオリンピック出場(日本のバレー男子選手で最多)を果たし、金・銀・銅の3個のメダルを獲得、「世界一のセッター」と称された。また、そのトスの正確さから、当時世に知られ始めたばかりのコンピュータから名を取って「日本のコンピュータ猫田」とも呼ばれた。 情報誌『imidas2001』(集英社)の「20世紀を創った人々550」では、バレーボールの分野で前田豊、大松博文と並んで3人のうちの1人に数えられた。
藤本 佑子(ふじもと ゆうこ、現姓:内田、1943年1月14… 藤本 佑子(ふじもと ゆうこ、現姓:内田、1943年1月14日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
森山 輝久(もりやま てるひさ、 1942年3月17日 - … 森山 輝久(もりやま てるひさ、 1942年3月17日 - )は、日本の元バレーボール選手。元バレーボール全日本選手。 広島県出身。崇徳高等学校3年の時、ジャンプ力のある強打のエースアタッカー兼主将として国体優勝。1960年、中央大学1年時の、第1回日ソ対抗バレーで全日本に初選出された。その後も6人制へ切り替え期の全日本選手として1962年第5回世界選手権(モスクワ)、第4回ジャカルタアジア競技大会(金メダル)などで活躍した。中大4年時には大学王者の勢いで当時の最強チーム・日本鋼管を天皇杯(全日本総合選手権)で破って日本一となるなど中大黄金期の礎を創った。中大を卒業し入団した松下電器(現・大阪ブルテオン)でも1964年、チームの全日本都市対抗、全日本総合、国体、全日本実業団の国内4大タイトル独占の原動力となった。
井原 文之(いはら ふみゆき、1940年9月16日 - )は… 井原 文之(いはら ふみゆき、1940年9月16日 - )は、元日本男子バレーボール選手、バレーボール指導者。元富士フイルムの選手・監督。広島県佐伯郡三高村(現江田島市)出身。崇徳高等学校卒。身長167cm。 高校時代は崇徳高校の九人制のバック選手として活躍。レシーブの名手として知られた。1959年、当時は企業名もほとんど知られていなかった富士フイルムに入社。1964年の九人制全日本総合選手でチーム初優勝に貢献したが、会社が翌1965年度を最後に九人制をやめ、六人制一本に絞ったため167cmのレシーバーに出番はなく1966年引退。大卒のエースだった同期の小山勉部長が監督に就任するのとは対照的にバレー部を去り7年間工場勤務。
前田 豊(まえだ ゆたか、1915年9月25日 - 1997… 前田 豊(まえだ ゆたか、1915年9月25日 - 1997年1月11日)は、日本のバレーボール選手(日本代表)、指導者。バレーボール日本男子代表監督、バレーボール日本女子代表初代監督、日本バレーボール協会副会長、国際バレーボール連盟(FIVB)副会長、アジアバレーボール連盟会長、日本体育協会理事、日本文化出版創業・社長など多くの要職に就き“バレー界の天皇”とも言われた。戦後日本のバレーボールの、国際舞台での活躍と底辺の広がり、両輪の発展に大きな役割を果たしたバレーボール指導者、日本のバレーボール育ての親。広島県佐伯郡廿日市町地御前(現廿日市市)出身。 全国家庭婦人バレーボール連盟(ママさんバレー)名誉会長を務めた前田琴子は妻、JOCマーケティング副委員長などを務めた元電通社員・前田実は長男、イトーヨーカドープリオール監督などを務めた前田健は三男。
長崎 重芳(ながさき しげよし、1914年 - 1997年)… 長崎 重芳(ながさき しげよし、1914年 - 1997年)は、日本のバレーボール選手、バレーボール指導者。元バレーボール全日本選手、元バレーボール日本男子代表監督。元日本バレーボール協会理事。 “重砲“と呼ばれた猛スパイクで、戦前最高の選手と謳われたバレーボーラー。“球神“とも“日本バレーの父“とも呼ばれた。広島県広島市出身。5寸9尺(約180センチ)、21貫(約80キロ)(中学4年時)。 広陵中学(現広陵高校)で野球をするつもりだったが、親の反対に遭い1927年、広島二中(現広島観音高校)に進学。陸上競技で大活躍したことで、排球部(バレーボール部)に勧誘された。多田徳雄下で黄金期を創った神戸高商(現神戸大学)の中心選手・高橋哲雄と鎔米二の指導を受け、中学上級生並みの体格と人並み外れた運動神経で、すぐに当時の9人制バレー、エースポジションである中衛左に入ると、2年時・14歳で早くも全日本候補となる。
高橋 哲雄(たかはし てつお、1906年(明治39年)8月1… 高橋 哲雄(たかはし てつお、1906年(明治39年)8月15日 - 1996年(平成8年)3月6日)は、広島県広島市出身の元日本のバレーボール選手、元バレーボール全日本選手。指導者、元日本バレーボール協会副理事長・名誉副会長。元大阪府バレーボール協会会長。広島高等師範附属中学校(現広島大学附属高校)~神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業(1928年)。「黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会」を創設する等、日本のバレーボールの草分け時代に、選手、指導者として、日本のバレーボール発展の礎を築いた。 多田徳雄監督下で日本バレーの草分けとなった神戸高商の中心選手として最強時代に貢献。在学中の1927年、当時唯一の国際大会だった極東選手権競技大会の第8回上海大会に神戸高商単独チームの主将として参加。
竹田 沙希 は、日本の元女子バレーボール選手。
栗原 恵 は、日本の元女子バレーボール選手、スポーツキャスタ… 栗原 恵 は、日本の元女子バレーボール選手、スポーツキャスター、タレント、モデル。2019年に引退しバレーボール選手生活は17年間。2004アテネ、2008北京のオリンピックに出場した。