塩出 翔太(しおで しょうた、2003年9月11日 - )は… 塩出 翔太(しおで しょうた、2003年9月11日 - )は、広島県尾道市出身の陸上競技選手。専門は中距離走・長距離走。広島県立世羅高等学校、青山学院大学教育人間科学部・教育学科卒業。旭化成陸上部所属。
広島県:42人
塩出 翔太(しおで しょうた、2003年9月11日 - )は… 塩出 翔太(しおで しょうた、2003年9月11日 - )は、広島県尾道市出身の陸上競技選手。専門は中距離走・長距離走。広島県立世羅高等学校、青山学院大学教育人間科学部・教育学科卒業。旭化成陸上部所属。
山本 匠真(やまもと しょうま、2002年6月20日 - )… 山本 匠真(やまもと しょうま、2002年6月20日 - )は、日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走。100mで10.16の自己ベストを持つ。 廿日市市立野坂中学校、広島県立広島国泰寺高等学校を卒業。広島大学陸上競技部所属。 2024年世界リレー4×100mリレーの日本代表。 2024年に日本陸上競技選手権大会で10.31を記録し、8位入賞。 小学生時代はサッカーをしており、その時から足が速かったため、廿日市市立野坂中学校への進学を転機に陸上部に入り、短距離に取り組んでいた。それでも中学、高校と全国大会出場経験はなし。加えて、高校3年生の時は、コロナ禍で大会が中止になった。 2019年9月、高校2年生の時に出場した広島県高等学校新人陸上競技大会では男子100m決勝で、県8位に入賞した。
樫原 沙紀(かたぎはら さき、2001年11月12日 - )… 樫原 沙紀(かたぎはら さき、2001年11月12日 - )は、日本の陸上競技選手。中距離走と長距離走の大会に出場している。 広島県呉市立昭和中学校、広島県立呉三津田高等学校、筑波大学体育専門学群卒業。 昭和中では第43回全日本中学校陸上競技選手権大会において1500mで初優勝を果たし、呉三津田高校1年の時の全国高等学校総合体育大会陸上競技大会1500mが全国大会初出場である。 2020年より4年連続で日本陸上競技選手権大会に1500mで出場、2022年と2023年には800mでも出場している。 2023年には日本学生陸上競技個人選手権大会女子1500mにて優勝を果たした。同年のワールドユニバーシティゲームズ日本代表に女子1500mで選出され、5位に入った。
倉本 玄太(くらもと げんた、2001年8月23日 - )は… 倉本 玄太(くらもと げんた、2001年8月23日 - )は、日本の陸上競技選手。広島県三原市出身。青山学院大学コミュニティ人間科学部卒業。中電工陸上競技部所属。 三原市立第二中学校、広島県立世羅高等学校、青山学院大学出身。 全国高校駅伝には3年連続で出場。1年時は2区で区間32位だったが、2年時は7区で区間3位となり、総合2位でフィニッシュした。しかし、3年時は1区で区間35位に終わった。 3年目までは三大駅伝に出場することはできず。4年時も出雲駅伝と全日本大学駅伝には出場できなかったが、11月の世田谷246ハーフマラソンとMARCH対抗戦でチーム上位の成績を残し、第100回箱根駅伝では9区を任される。
中野 翔太(なかの しょうた、2001年6月12日 - )は… 中野 翔太(なかの しょうた、2001年6月12日 - )は、日本の陸上競技選手。広島県広島市出身。中央大学法学部卒業。 中学校は広島市立五日市中学校、高校は広島県立世羅高等学校出身。 全国高等学校駅伝競走大会には3年連続で出場し、1年時は7区で区間18位。2年時は各校のエース級が集まる3区を区間5位で走り、3年時は3区で区間3位だった。天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会には2度出場し、3年時は1区を区間2位で走っている。3年時の3月に行われた第4回中央大学記録会で28分58秒80の自己ベスト(当時)をマークした。 中央大学陸上競技部に入部。大学三大駅伝での出走はなかった。 6月の全日本大学駅伝対校選手権大会関東学生陸上競技連盟推薦校選考会では3組で11位だった。
新迫 志希(しんさこ しき、1997年(平成9年)4月28日… 新迫 志希(しんさこ しき、1997年(平成9年)4月28日 - )は、日本の陸上競技選手、長距離走専門、早稲田大学卒業、Team Nitro所属。 広島県東広島市出身。兄の影響で地元志和中学で1年から陸上を始めた。3年次に、全日中陸上3000m3位、ジュニアオリンピックA男子3000mでは、太田智樹(静岡・浜松浜名中、早稲田大学でチームメイトとなる)、羽生拓矢(千葉・印西中)についで、8分25秒65で3位 に入り、翌13年1月の全国都道府県対抗男子駅伝では、2区8分29秒で区間新記録 を樹立、中学生部門のMVPを獲得。中学時代の同級生にお笑いタレントの藤澤ひろがいる。 2013年世羅高校に進学。
工藤 有生(くどう なおき、1995年9月5日 - )は、日… 工藤 有生(くどう なおき、1995年9月5日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は長距離走。東広島市立高屋中学校・広島県立世羅高等学校・駒澤大学卒業。コニカミノルタに所属した 。
高山 峻野(たかやま しゅんや、1994年9月3日 - )は… 高山 峻野(たかやま しゅんや、1994年9月3日 - )は、広島県広島市西区出身の陸上競技選手。専門は110mハードルで、自己ベストは13秒10で元日本記録保持者。所属はゼンリン。2018年ジャカルタ・アジア大会・2022年杭州・アジア大会、2019年世界選手権ドーハ大会、2020年東京オリンピック代表。身長182cm、体重73kg。血液型はAB型。趣味は読書、お絵かき。 広島市立中広中学校入学後は野球をするなど陸上競技は二の次であったが、中学1年生のとき、広島県中学校陸上競技選手権で予選落ちしたことをきっかけに、兄と同じように陸上に専念、上級生の影響を受けてハードル競走を始める。中学3年生のときには、全日本中学体育大会で4位となる。
古川 敬祐(ふるかわ けいすけ、1993年6月17日 - )… 古川 敬祐(ふるかわ けいすけ、1993年6月17日 - )は福岡県大野城市出身の陸上競技選手。専門は長距離走。広島国際学院高校、関東学院大学卒業。日清食品グループ陸上競技部退社。 第91回箱根駅伝では関東学生連合チームとして6区を走った(区間21位相当)。
西塔 拓己(さいとう たくみ、1993年3月23日 -)は、… 西塔 拓己(さいとう たくみ、1993年3月23日 -)は、日本の競歩選手である。 広島県安芸郡海田町出身。2012年ロンドンオリンピックに20km競歩で出場し、25位になった。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
藤川 拓也(ふじかわ たくや、1992年12月17日 - )… 藤川 拓也(ふじかわ たくや、1992年12月17日 - )は日本の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。広島県庄原市出身。三次市立十日市中学校・広島県立世羅高等学校・青山学院大学国際政治経済学部卒業。中国電力陸上競技部所属・同陸上部主将。
佐藤 友佳(さとう ゆか、1992年7月21日 - )は、日… 佐藤 友佳(さとう ゆか、1992年7月21日 - )は、日本の元女子陸上競技選手。現役時代の専門種目はやり投、砲丸投。 砲丸投、走幅跳なども活躍したが、最も顕著なやり投について記載する。 広島県福山市出身。中学時代は四種競技に出場しており、全国中学校体育大会7位の成績を残す。高校進学時に地元を離れ、陸上競技に実績を持つ大阪の東大阪大学敬愛高等学校へ進学。2009年にイタリアで行われた世界ユース陸上競技選手権大会で9位になるなど活躍し、インターハイでは57m31という当時の高校記録で優勝。2010年にベトナムで行われたアジアジュニア陸上競技選手権大会、2011年に神戸市で行われたアジア陸上競技選手権大会に出場し、どちらも銅メダルを獲得した。
山縣 亮太(やまがた りょうた、1992年6月10日 - )… 山縣 亮太(やまがた りょうた、1992年6月10日 - )は、日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走。「縣」が旧字体のため、「山県亮太」の表記もみられる。
新宮 美歩(しんぐう みほ、1991年11月29日 - )は… 新宮 美歩(しんぐう みほ、1991年11月29日 - )は、広島県広島市出身の陸上競技選手。専門は主に400mと800mの短・中距離走。2009年ベルリン世界選手権女子4×400mリレーの日本代表。 広島県広島市出身。A型。広島市立五月が丘小学校、広島市立五日市中学校、東大阪大学敬愛高等学校、東大阪大学卒業。福島大学大学院修了。東邦銀行陸上競技部所属。 陸上競技は小学4年時から始める。昔は外で遊ばない子供だったが、たまたま出場した市内の記録会で2位に入ったことがきっかけとなり、陸上教室に通いだした。 中学時代は100mと200mが専門で、全日本中学校選手権、国民体育大会、ジュニアオリンピックといった全国大会に出場しているが、決勝の舞台には立てなかった。
鎧坂 哲哉(よろいざか てつや、1990年3月20日 - )… 鎧坂 哲哉(よろいざか てつや、1990年3月20日 - )は、広島県広島市出身の陸上競技選手。専門は長距離種目。広島県立世羅高等学校、明治大学経営学部経営学科卒業。旭化成所属。2015年世界陸上北京男子10000m日本代表。また、2017年~2020年の4度、ニューイヤー駅伝優勝メンバーに名を連ねている。 中学1年時に友人から誘われて陸上競技を始めた。2005年に世羅高校に進学。高校1年生から主力として活躍し、全国高校駅伝ではアンカーを務めた。翌2006年には2度目の全国高校駅伝に出場、3区の鎧坂が仙台育英高校を抜いてチームを先頭に立たせて、32年ぶりの全国優勝に貢献した。3年時は主将を任されて2007年度5000m高校日本人ランク1位となる14分00秒80を記録したが、故障に悩まされた。
木村 文子(きむら あやこ、1988年6月11日 - )は、… 木村 文子(きむら あやこ、1988年6月11日 - )は、日本の陸上競技選手、陸上競技指導者。専門は100mハードル、走幅跳。エディオン所属、テレビ出演等のマネジメントは三桂が行っている。陸上界屈指の美女ランナーとして知られる。広島東洋カープの大ファン。 広島県広島市安佐北区可部出身。広島市立可部南小学校~広島市立可部中学校~広島県立祇園北高等学校を経て、横浜国立大学教育人間科学部卒業。 横国大時代は日本学生陸上競技対校選手権大会の100mハードルや走幅跳に4年連続出場した。2009年の第78回大会は100mハードルで2位。大学4年の2010年9月、第79回大会の100mハードルで大会新記録となる13秒28をマークして初優勝を飾った。
ジョセフ・ギタウ(Joseph Gitau、1988年1月3… ジョセフ・ギタウ(Joseph Gitau、1988年1月3日 - )は、日本国内で活躍しているケニア出身の男子陸上競技選手(長距離種目)。身長167cm、体重49kg。血液型AB型。 ケニア中央州マラグア県出身。広島県立世羅高等学校に留学し、同校の全国高等学校駅伝競走大会優勝に貢献した。高校卒業後は実業団のJFEスチールに就職し、競走部に所属し競技を続けている。2012年福岡国際マラソン優勝。2013年同2位。
渡邊 裕子(わたなべ ゆうこ、1987年11月3日 - )は… 渡邊 裕子(わたなべ ゆうこ、1987年11月3日 - )は、日本女子の元陸上競技選手。専門は長距離走(主にマラソン・ハーフマラソン)。現役時代はエディオン所属。151cm、39kg。 広島県賀茂郡黒瀬町(現・東広島市)出身。東広島市立黒瀬中学校、広島県立西条農業高等学校卒業。黒瀬中1年から陸上を始める。高校時代は無名に近い存在だったが2006年エディオン入社以降、着実に力を付け始めた。 マラソン初挑戦だった2012年3月11日の名古屋ウィメンズマラソン(ロンドンオリンピック選考レース)では13位ながらも2時間29分台のゴールタイムでフィニッシュ、表彰式では新人賞を獲得した。 翌2013年1月27日の大阪国際女子マラソンで2時間25分台をマーク、マラソン自己記録を3分以上更新し日本人2番手の2位でゴール。
松田 亮(まつだ りょう、1979年12月26日 - )は、… 松田 亮(まつだ りょう、1979年12月26日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。2001年世界陸上選手権、2003年世界陸上選手権、アテネオリンピック日本代表。広島経済大学所属。広島県広島市出身。広島市立沼田高等学校、広島経済大学卒業、広島経済大学大学院修了。 2001年世界陸上選手権で400mリレーに出場。5位入賞を果たす。 2003年世界陸上選手権で400mリレーに出場。7位入賞を果たす。 2004年、アテネオリンピックで200mに出場。直前に脚を故障した影響で予選落ちした。400mリレーのメンバーからも漏れた。 中国放送の「寺内優のおはようラジオ」に出演した経験がある。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。
徳本一善(とくもと かずよし、1979年6月22日 - )は… 徳本一善(とくもと かずよし、1979年6月22日 - )は、広島県広島市佐伯区(出生当時は佐伯郡五日市町)美鈴が丘生まれの陸上競技選手。駿河台大学コーチ、駅伝監督を歴任し、現在は芝浦工業大学駅伝部監督。ニックネームは「徳さん」。血液型:O型。 父親が陸上競技好きで、父親との親交を深めるために陸上部入部を決意。小学校のマラソン大会で1位になったことも陸上部入部の要因となった。しかし、当時は走ることは余り好きではなく、『SLAM DUNK』の影響からバスケットボール部への入部と迷う場面もあった。 美鈴が丘中1年時は100m、走り幅跳びを専門種目としていた。中学1年の秋に1500mに出場し、2年時から本格的に長距離に転向。
為末 大(ためすえ だい、1978年5月3日 - )は、広島… 為末 大(ためすえ だい、1978年5月3日 - )は、広島市佐伯区出身の男子元陸上競技選手。400mハードル日本記録保持者で、現在はスポーツコメンテーター・タレント・指導者などで活動中。株式会社R.project取締役。株式会社侍 代表取締役。東京大学先端科学技術研究センター教授。 2001年世界陸上エドモントン大会・2005年世界陸上ヘルシンキ大会の男子400mハードルにおいて、世界陸上選手権の2大会で銅メダルを獲得。またオリンピックには、2000年シドニー・2004年アテネ・2008年北京と、3大会連続で出場した。身長170cm、体重66kg。 広島市立五日市中学校から広島県立広島皆実高等学校を経て法政大学経済学部卒。
小鳥田 貴子(ことりだ たかこ、1977年4月2日 - )は… 小鳥田 貴子(ことりだ たかこ、1977年4月2日 - )は、元陸上競技選手。長距離走。デオデオに所属し、ハーフマラソン、10000mや駅伝競走等で活躍した。広島県立熊野高等学校卒業。広島市立沼田高等学校コーチ。現在の姓は山田。
尾方 剛(おがた つよし、1973年5月11日 - )は、日… 尾方 剛(おがた つよし、1973年5月11日 - )は、日本の陸上競技(長距離走・マラソン)元選手、現指導者。中国電力陸上競技部所属。広島経済大学准教授(スポーツ経営学科)。 男子マラソン種目では主な実績に、2008年北京オリンピック日本代表(13位)、2005年世界陸上ヘルシンキ大会銅メダリスト、2007年世界陸上大阪大会5位入賞、2003年世界陸上パリ大会日本代表(12位)、2004年福岡国際マラソン優勝など。 恩師である中国電力陸上競技部監督の坂口泰は、尾方を評して「努力の選手」と言い切っていた。 広島県安芸郡熊野町出身。血液型は、B型。身長は、165 cm。体重は、50 kg。 広島県立熊野高校3年生時の1991年の国体1万mで2位となり、当時高校歴代3位の快記録をマークした。
服部 孝宏(はっとり たかひろ、1971年11月27日-20… 服部 孝宏(はっとり たかひろ、1971年11月27日-2000年6月29日)は、広島県世羅郡世羅西町(現在世羅町)出身の陸上(長距離走・マラソン)選手。身長179cm、体重59kg、血液型A型。 男子陸上競技界では名門の広島県立世羅高等学校を卒業後、1989年カネボウに入社。陸上競技部に所属。当時の監督は就任したばかりの伊藤国光。当時の部員に高岡寿成、早田俊幸らがいる。 1995年2月、別府大分毎日マラソンでマラソンデビュー。成績は2時間17分15秒の12位。1996年2月、東京国際マラソンで8位入賞、2時間12分41秒。着々とタイムを上げていく。 1997年2月、東京国際マラソンで、旭化成の川嶋伸次・谷口浩美を抑え、レース後半はトップを独走。
大石 博暁(おおいし ひろあき、1970年3月13日 - )… 大石 博暁(おおいし ひろあき、1970年3月13日 - )は、広島県出身の陸上競技(円盤投)・ボブスレー選手である。現在はスポーツトレーナーをしている。 広島県に生まれ、崇徳高等学校から東海大学体育学部体育学科へ進み卒業する。1996年の広島国体には陸上競技の円盤投げ選手として出場し優勝する。その後、陸上競技とボブスレーの2足のわらじを履きながら、1996年にボブスレー日本代表入りをする。1998年には長野オリンピックのボブスレー日本代表として出場。竹脇直巳と男子2人乗りで結果は17位であった。男子4人乗りは15位。次の2002年ソルトレークシティオリンピックではパイロットとして出場し、三浦伸二との男子2人乗りで結果は29位。
清水 康次(しみず こうじ、1969年10月17日 - )は… 清水 康次(しみず こうじ、1969年10月17日 - )は広島県広島市佐伯区出身の陸上競技元選手・指導者。専門は長距離種目・マラソン。身長176cm、体重52kg(現役当時)。 広島県立西条農業高校、大東文化大学卒。現役時代はNTT西日本陸上競技部(NTT中国→NTT西日本→NTT西日本広島→NTT西日本と改称)現在は同陸上競技部監督。 マラソンで4回のサブテン(2時間10分切り)を達成。国内大会でのサブテン4回という記録は川内優輝に抜かれるまでは日本人最高記録だった。 大東大時代の同期には横田芳則・島嵜貴之、1学年上に実井謙二郎、1学年下に奈良修らがいる。1年次・2年次・4年次に全日本大学駅伝に出場(2年次は優勝)。
原 晋(はら すすむ、1967年〈昭和42年〉3月8日 - … 原 晋(はら すすむ、1967年〈昭和42年〉3月8日 - )は、日本の陸上競技指導者、大学教員、タレント、コメンテーター、評論家、スポーツ解説者、コンサルタント、パネリスト、司会者、元陸上競技選手、元中国電力営業職員。妻は青学大町田寮・寮母の原美穂。 青山学院大学陸上競技部・男子長距離ブロック監督、青山学院大学相模原キャンパス・地球社会共生学部・地球社会共生学科教授、関東学生陸上競技連盟・駅伝対策委員長、GMOアスリーツ・EKIDENダイレクター、三原市・ふるさと大使、埼玉医科大学・客員教授、スポーツ産業化推進議員連盟・アドバイザリーボード、アディダス・キャンペーンアンバサダー、プロ・フィッツ名誉監督、HLBスポーツ・顧問、バディ企画研究所・社外取締役、アスリートキャリアセンター・会長(三重県桑名市と連携協定)、日本トライアスロン連合・理事、ジョリーグッド・社外取締役、神奈川県相模原市・スポーツ宣伝大臣、熊本県球磨郡水上村・アドバイザー、タスキホールディングス・PR大使、鈴廣かまぼこ・魚肉たんぱく戦略アドバイザー、ユニクロ女子陸上部・スペシャルアドバイザー、東北高等学校・教育アドバイザー、株式会社RUNDY・アドバイザー、RUNDY Athlete Club・クラブアドバイザー。
三浦 学(みうら まなぶ、1966年5月19日 ‐ 1995… 三浦 学(みうら まなぶ、1966年5月19日 ‐ 1995年8月17日)は、広島県出身の陸上競技指導者(主として中距離走)、元陸上競技選手。保健体育教師(中学校、高等学校)。 広島県安佐郡可部町(現在の広島市安佐北区)生まれ。父は教員だった。小学校3年から6年まで剣道を習っていたが、運動会のリレーで活躍し、6年の頃には「可部小の三浦は足が速い」と噂されるようになっていた。広島市立可部中学校では、中村高行(世羅高~日体大)が顧問の陸上競技部に所属。2、3年の時、第41回中国中学駅伝、第42回中国中学駅伝に1区走者として出場した。高校は当初、地元の広島県立可部高等学校への進学を考えていたが、駅伝の名門で、恩師の中村の出身校でもある広島県立世羅高等学校への進学を決意。
坂口 泰(さかぐち やすし、1961年9月2日 - )は元陸… 坂口 泰(さかぐち やすし、1961年9月2日 - )は元陸上競技選手(長距離・マラソン)で、陸上長距離指導者。日本陸連男子マラソン強化コーチ。 広島県世羅郡世羅町出身。古くから駅伝競走の盛んな地で、駅伝の名門広島県立世羅高校へは山奥の自宅から走って通った。全国高等学校駅伝競走大会では中心選手として2年時に4位、3年時は1区・区間賞もチームは9位だった。インターハイ1500mと国体5000mで優勝。卒業後は地元の広島大学に入って教師になるつもりだったが、当時早稲田大学競走部の瀬古利彦に声をかけられ、中村清監督が実家まで足を運んでくれたため、早稲田大学に進学した。早稲田では箱根駅伝で2年時に9区区間賞、3年時に9区区間新記録。
新宅 雅也(しんたく まさなり、一時期、永灯至(ひさとし)に… 新宅 雅也(しんたく まさなり、一時期、永灯至(ひさとし)に改名していたが、現在は雅也に復している)、1957年12月20日 - )は、広島県三原市出身の陸上競技、マラソン選手。広島県西条農業高校、日本体育大学卒業。1970年代後半から1980年代にかけて瀬古利彦、宗茂・宗猛兄弟、伊藤国光、中山竹通らとともに日本陸上界をリードした名選手である。 広島県三原市立幸崎中学校で、陸上部に入り陸上をはじめた。中学時代は目立った選手ではなかったが、負けず嫌いで、練習は熱心で、一人で遅くまで走っていることも多かった。高校進学では、駅伝で有名な世羅高校を希望したが、学区が違うため、広島県立西条農業に進学し、約2時間かけて通学していた。
曽根 幹子(そね みきこ、1952年10月24日 - )は、… 曽根 幹子(そね みきこ、1952年10月24日 - )は、日本の陸上競技選手(走高跳)、スポーツ科学・スポーツ史研究者。走高跳の元日本記録保持者であり、1976年モントリオールオリンピックに参加した。広島市立大学名誉教授。姓は「曾根」とも表記される。 現在の三次市甲奴町出身。甲奴中学校を経て広島県立上下高等学校に進み、高校2年生の時に日本選手権を制する。翌年の日本選手権では鈴木久美江(東洋大学)と死闘のすえ1m69cm(高校記録)を出した。東洋大学に進学後、茨城国体で1m83cm(日本記録)、世界室内陸上競技会で1m80cm(室内新記録)の記録を残す。当時のスポーツ界では異色の才女と呼ばれたといい、東洋大学文学部国文学科に提出した卒業論文は「奥の細道-芭蕉と木曾義仲の接点-」であった。
川崎 清貴(かわさき きよたか、1950年7月11日 - )… 川崎 清貴(かわさき きよたか、1950年7月11日 - )は、日本の陸上競技選手。男子円盤投元日本記録保持者。中京大学体育学部卒業。身長198cm、体重100kg。 日本選手権6回優勝。日本記録を6回更新した選手で、1979年4月22日に出した60m22cmは、2017年まで陸上競技最古の日本記録として残っていた。 広島県呉市出身。広島県立広高等学校~中京大学卒業。中京大時代の1970年からインカレ3連覇。大学卒業後は大昭和製紙に入社し活躍。1973年から日本選手権2連覇。 1974年には梁川昌三が樹立した52m22の日本記録を10年ぶりに更新する52m86の日本新記録をマーク。1975年、53m18の日本新記録を樹立。
友永 義治(ともなが よしはる、1950年2月18日 - )… 友永 義治(ともなが よしはる、1950年2月18日 - )は、日本の陸上競技選手。日本陸上競技連盟副会長、日本実業団陸上競技連合理事長。 広島県庄原市宮内町出身。 1967年、広島県立三次工業高校(現・広島県立三次青陵高校)卒業後、日立に勤務。1969年 - 1974年、日本選手権400m6連勝。1972年 - 1975年、日本選手権200m4連勝。1970年、第6回アジア競技大会(バンコク)400mで46秒6の日本新記録で優勝。1972年ミュンヘンオリンピック400mに出場した。 日本実業団陸上競技連合理事長(2007年12月の五島哲会長の急死で一時会長代行兼務)を務め、企業チームの縮小問題や小林祐梨子の実業団大会出場問題などの折衝にあたる。
竹内 章(たけうち あきら、1947年3月2日 - )は、日… 竹内 章(たけうち あきら、1947年3月2日 - )は、日本の陸上競技選手。1972年ミュンヘンオリンピックに3000メートル障害で出場した。 広島県比婆郡西城町(現在の庄原市西城町)出身。町立の美古登小学校、西城中学校を経て、盈進高等学校卒業。日立造船に所属。1971年、第11回実業団・学生対抗陸上競技大会の3000メートル障害で優勝。 1972年ミュンヘンオリンピックに3000メートル障害で出場した。記録は1次予選で5着(8分40秒4)で、予選通過はならなかった。
坂井 義則(さかい よしのり、1945年(昭和20年)8月6… 坂井 義則(さかい よしのり、1945年(昭和20年)8月6日 - 2014年(平成26年)9月10日)は、日本の元陸上競技選手。元フジテレビ社員。1964年東京オリンピックの開会式で聖火リレーの最終ランナーを務めた。 坂井は広島市に原子爆弾が投下された1時間半後に、現在の広島県三次市(当時は双三郡三次町)にて出生した。坂井自身は被爆者ではないが、電力会社に勤務していた父は被爆者健康手帳の保有者である。 広島県立三次高等学校在学中の1963年(昭和38年)、第19回国民体育大会400mで優勝、東京オリンピックへの出場を目指し、1964年(昭和39年)早稲田大学に入学した。当初、関西学院大学を目指していたが、同じ広島県出身で早稲田OBの小掛照二の勧誘により、進路を変更したという。
小掛 照二(こがけ てるじ、1932年(昭和7年)12月18… 小掛 照二(こがけ てるじ、1932年(昭和7年)12月18日 - 2010年(平成22年)5月9日)は、広島県甲奴郡上下町(現・広島県府中市上下町)出身の元陸上選手。陸上競技指導者。元三段跳世界記録保持者。日本陸上競技連盟(日本陸連)副会長、名誉副会長。日本オリンピック委員会(JOC)元副会長。日本オリンピアンズ協会元副会長。 中国山地山間の町、上下町の農家の長男として生まれる。叔父、父も甲奴体協のリレーメンバーで、恵まれた体を生かし幼少期から跳躍の素養を発揮した。同郷の先輩・織田幹雄(アムステルダムオリンピック(1928年))、から南部忠平(ロサンゼルスオリンピック(1932年))、田島直人(ベルリンオリンピック(1936年))まで三大会連続で金メダルを獲り、当時は日本のお家芸だった三段跳を教師の勧めで始める。
山内 リエ(やまうち リエ、1922年2月15日 - 200… 山内 リエ(やまうち リエ、1922年2月15日 - 2000年10月8日)は、日本の陸上競技選手。女子三段跳、走高跳、走幅跳の三種目の元・日本記録保持者。戦中、戦後に世界的な好記録を連発しながら、戦争によってオリンピック参加の道を閉ざされた悲運の女性アスリートである。広島県呉市出身。 小学校5年の春、陸上競技を始める。呉精華高女に進学するが、当時この学校のグラウンドは狭く、走高跳の助走を取るスペースもなく、近くの小学校で我流で練習を積む。跳躍技についての正式な指導を受けたのは女学校4年の時、郷土の先輩・織田幹雄の講習会に参加したのが最初。 1936年、女学校3年15歳の夏を過ぎると、恵まれたバネで飛躍的に記録が伸び、11月に広島市で行われた大会で、走高跳の当時日本最高記録1m52を楽々と飛び、1m55の日本新記録をマーク。
高田 静雄(たかだ しずお、1909年(明治42年)3月5日… 高田 静雄(たかだ しずお、1909年(明治42年)3月5日 - 1963年(昭和38年)12月10日)は、日本の砲丸投選手、写真家。 広島県広島市出身。旧制広陵中学校中退。日本陸上競技選手権大会では、1927年から1935年までの間に砲丸投げで6回優勝。1934年(昭和9年)に大連で開催された日米対抗陸上競技大会において14m13の日本記録を樹立した。この記録は1953年まで保持された。通称「砲丸王」と呼ばれた。 1936年ベルリンオリンピックに砲丸投げで出場したが予選で失格。 1945年(昭和20年)8月6日、広島市への原子爆弾投下の際、爆心地から約680メートルの中国配電(現中国電力)本店で被爆。
住吉 耕作(すみよし こうさく、1907年10月1日 - 1… 住吉 耕作(すみよし こうさく、1907年10月1日 - 1971年)は、日本の陸上競技(投擲)選手。 1920年代後半から1930年代前半までやり投で活躍した選手で、「槍の住吉」と呼ばれた。オリンピック出場2回(1928年アムステルダム・1932年ロサンゼルス)。姓はのちに岩崎。早稲田大学理工学部卒業。 広島県安芸郡江田島町(現在の江田島市)生まれ。呉一中(現在の広島県立呉三津田高等学校)を卒業。1925年の第7回極東選手権競技大会(マニラ)にやり投と走高跳で出場。 早稲田大学に進学後はやり投選手として活躍。1927年、第8回極東選手権競技大会(上海)ではやり投で優勝。 1928年4月29日に関東選手権で61m08の記録を出して日本記録を更新。
織田 幹雄(おだ みきお、1905年(明治38年)3月30日… 織田 幹雄(おだ みきお、1905年(明治38年)3月30日 - 1998年(平成10年)12月2日)は、日本の陸上選手、指導者。広島県安芸郡海田町出身。1928年アムステルダムオリンピック三段跳金メダリスト。 「日本人初のオリンピック金メダリスト」であり、アジア人初のオリンピック金メダリストでもある。織田の金メダルにより、日本陸上は一躍世界の第一線に躍り出たと言われる。当時英語で「ホップ・ステップ・アンド・ジャンプ」(現在はトリプルジャンプ)と呼ばれた競技名を「三段跳」と訳した。早稲田大学時代に競技会のプログラムを作る際、織田が「三段跳」と訳した。三段跳では、織田(1928年五輪)・南部忠平(1932年五輪)・田島直人(1936年五輪)と3大会連続で金メダルを獲得したことから、当時は、「日本のお家芸」とも言われた。
福部 真子 は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走(ハードル… 福部 真子 は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走(ハードル)。100mハードル日本記録保持者(12秒69)。
谷本 七星 は、日本の陸上競技選手。専門は中距離走、長距離走… 谷本 七星 は、日本の陸上競技選手。専門は中距離走、長距離走。