川人 洋二(かわひと ようじ、1939年(昭和14年)11月… 川人 洋二(かわひと ようじ、1939年(昭和14年)11月15日 - )は、日本のフルート奏者。東京フィルハーモニー交響楽団所属。 国立音楽大学音楽学部器楽科卒業。徳島県阿波市出身。父は作曲家の川人利夫。兄弟は同じくフルート奏者の川人昭夫の川人伸二。 徳島県阿波市出身。作曲科・川人利夫の長男として生まれ、阿波町立久勝中学校を卒業し、1958年(昭和33年)に徳島県立阿波高等学校を卒業。1964年(昭和39年)、国立音楽大学音楽学部器楽科を卒業。 大学在学中であった1963年(昭和38年)8月に東京フィルハーモニー交響楽団へフルート奏者として入団し、1973年(昭和48年)10月の香港、マニラ、シンガポール、クアラルンプールの公演に参加する。
小島 章司(こじま しょうじ、1939年(昭和14年)10月… 小島 章司(こじま しょうじ、1939年(昭和14年)10月1日 - )は、日本のフラメンコダンサー。日本フラメンコ協会理事長。徳島県海部郡牟岐町出身。武蔵野音楽大学声楽学科卒業。 1966年 スペインに渡り、マドリードの稽古場「アモール・デ・ディオス」で修業。1976年 十年に及ぶ修業を終えて帰国。2009年 6月14日、高野山真言宗総本山金剛峯寺壇上伽藍金堂にてフラメンコ奉納公演『聖なるいのち ~空海に捧ぐ~』を行う。2011年 2月27日、第15回フェスティバル・デ・ヘレスにて『ラ・セレスティーナ』招聘公演を行う。(会場:ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ市ビジャマルタ劇場/演出・振付:ハビエル・ラトーレ/音楽監督:チクエロ) 1986年 『瞋恚の炎』で第18回舞踊批評家協会賞、芸術祭賞を受賞。
延廣 眞治(のぶひろ しんじ、1939年9月26日 - )は… 延廣 眞治(のぶひろ しんじ、1939年9月26日 - )は、日本の日本文学研究者。東京大学名誉教授。専門は近世文学、落語。 1939年9月、徳島県徳島市に生まれる。1955年、徳島大学学芸学部(現・鳴門教育大学学校教育学部)附属中学校卒業、1958年、徳島県立城南高等学校卒、1963年、東京大学文学部国語国文科卒業、1968年、同大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。 1968年、獨協大学講師、1969年、名古屋大学教養部講師、1975年、東京大学教養学部助教授、1988年、同学部教授、2000年に定年退官、東京大学から名誉教授号授与。退任後は帝京大学教授を務め、2010年に同大学を定年退任。
山本 幸男(やまもと ゆきお、1939年(昭和14年)9月2… 山本 幸男(やまもと ゆきお、1939年(昭和14年)9月21日 - 2019年(平成31年)1月4日)は、日本の政治家。警察官。鳴門市長。徳島県鳴門市出身。 1965年、京都大学法学部卒業。同年に警察庁入庁。大阪府警察・警察庁公安第一課・北海道警察・福井県警察・警視庁公安部を経て1973年に退官。1974年、サンカラー代表取締役社長に就任。 1995年、鳴門市長選に当選し1999年まで務める。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
菊地 美智子(きくち みちこ、1939年8月21日 - )は… 菊地 美智子(きくち みちこ、1939年8月21日 - )は、元ラジオ大阪のアナウンサー。 徳島県徳島市出身。関西学院大学卒業後にラジオ大阪に入社。1962年から1985年まで23年間続いた「ハイ赤ちゃん相談室」など数々の番組に出演。また、子育ての経験を生かして番組にも出演し、著書も出版していた。 1985年には「李順子・望郷の唄・アリラン」で取材とナレーションを手掛け、その年の民放祭コンクールのラジオ教養部門で最優秀賞を受賞。 現在は別部署に所属。
大倉 元(おおくら げん、1939年 - )は、日本の詩人。… 大倉 元(おおくら げん、1939年 - )は、日本の詩人。 徳島県西祖谷山村(現三好市)生まれ。 大倉元は2008年に第一詩集『石を蹴る』を出版、収録の詩「石を蹴る」は2007年の滋賀県芸術文化祭の現代詩の部芸術文化祭賞を受賞、同じく詩「おつる」は同年の第二十二回国民文化祭(とくしま2007)の現代詩で入選した。また第二詩集『祖谷』収録の詩「思い出の家」(「旅人」を改題。)は国民文化祭かながわ旅の詩人賞を受賞した。大倉元には作詞集もあり、作詞「五十年前のラブレター」は2006年滋賀県芸術文化祭作詞の部特選も受賞している。日本詩人クラブ会員。関西詩人協会会員。近江詩人会会員。詩誌「風鐸」「ふーが」同人。
山川 偉也(やまかわ ひでや、1938年11月30日- )は… 山川 偉也(やまかわ ひでや、1938年11月30日- )は、日本の哲学研究者、桃山学院大学名誉教授。専攻はギリシア哲学。 徳島市生まれ。1962年同志社大学文学部文化学科哲学専攻卒業。1967年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1975年桃山学院大学経済学部助教授。1977年教授。1989年文学部教授。1991年から1993年まで文学部長。2002年法学部教授。2004年から2006年まで文学研究科長。2009年定年退任、名誉教授。1997年アテネ大学名誉哲学博士。
三浦 宏文(みうら ひろふみ、1938年 <昭和13年> 3… 三浦 宏文(みうら ひろふみ、1938年 <昭和13年> 3月17日 - 2020年 <令和2年> 3月5日)は、日本の工学者。位階は従四位。 東京大学名誉教授。元工学院大学学長。元日本ロボット学会会長。専門はロボティクス、マイクロ技術、スペーステクノロジー、メカトロニクス。 徳島県徳島市出身。東京大学工学部機械工学科卒業。同大学院数物系研究科機械工学専攻博士課程修了。 東京大学助教授、NASA客員研究員、東京大学工学部教授を経て、2003年~2009年工学院大学学長。1993年~1995年日本ロボット学会会長。2017年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。現在は昆虫の動きを研究し、それを真似て虫型ロボットを研究する。
中山 美保(なかやま みほ、1938年〈昭和13年〉2月13… 中山 美保(なかやま みほ、1938年〈昭和13年〉2月13日 - 2017年〈平成29年〉2月7日)は、日本のお笑いタレントである。本名(結婚後):石田 美保子(いしだ みほこ)。 徳島県徳島市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー大阪本部所属。 プール学院高等学校卒。 幼年期は、父親の仕事の都合でオランダ領東インド(第二次世界大戦後独立してインドネシア共和国)・ジャワ島に育ったため、日本語がほとんどしゃべれなかったという。 最初アカデミー芸術学院から中田プロダクションに入る。千日前にあった大阪劇場の専属女優として活躍の後、千土地興行(のちの日本ドリーム観光)の所属で千日劇場にコメディアンで出演し美貌女優で人気を得る、1967年5月、梅田コマ劇場「宮城まり子自叙伝」で吉本新喜劇にデビュー。
立木 義浩(たつき よしひろ、1937年10月25日 - )… 立木 義浩(たつき よしひろ、1937年10月25日 - )は日本の写真家。徳島県徳島市出身。東京写真短期大学卒業。女優写真の第一人者。
安崎 暁(あんざき さとる、1937年3月3日 - 2018… 安崎 暁(あんざき さとる、1937年3月3日 - 2018年5月26日)は、日本の実業家。小松製作所代表取締役社長や、日本建設機械工業会会長、国家公安委員会委員などを務めた。 1937年に陸軍大学校学生安崎操(のちに陸軍中佐・第6方面軍参謀や、自衛隊陸将・東北方面総監を歴任)の長男として、東京で生まれ、徳島県吉野川市鴨島町で育つ。1959年3月一橋大学社会学部卒業。中国経済史専攻。1961年3月一橋大学経済学部を卒業。理論経済学専攻。大学時代は小笠原流の弓道部に所属。後年には、私費を投じて大学の弓道場の建て直しを行った。 1961年4月小松製作所入社。同社では主に国際部門を担当し、海外事業展開を進めた。
上田 利治(うえだ としはる、1937年1月18日 - 20… 上田 利治(うえだ としはる、1937年1月18日 - 2017年7月1日)は、徳島県海部郡宍喰町(現:海陽町)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 鮮魚店を営む家に5人兄弟の長男として生まれ、叔父は徳島県弁護士会の副会長であった。 上田の徳島の実家のすぐ近くには、高校の後輩となる元西鉄選手でプロゴルファーの尾崎将司、その実弟でゴルファーの健夫・直道の実家があった。 海南高校時代から捕手で、3年次の1954年には夏の甲子園県予選で準々決勝に進出するが、撫養高に惜敗。学業成績も優秀で、高校時代は野球の練習と生徒会の活動を同時に行いつつ、毎朝しっかりと勉強していたため、睡眠時間は4時間程度であったという。
高田 豊輝(たかた とよてる、1937年 - )は、日本の郷… 高田 豊輝(たかた とよてる、1937年 - )は、日本の郷土史家。阿波郷土会会員。徳島県徳島市出身。 1964年、日本電信電話公社(現NTTグループ)在職中に郷土史研究家・飯田義資に師事。2002年、徳島市勝占中部文化財保勝会会長に就任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
政弘(まさひろ、1936年(昭和11年)11月8日 - 19… 政弘(まさひろ、1936年(昭和11年)11月8日 - 1999年(平成11年)12月29日)は、大相撲の三役呼出。本名は佐藤 正博。徳島県美馬郡脇町(現・美馬市)出身。二所ノ関部屋所属。 政博→正博→政弘→正弘→政弘
鈴木 漠(すずき ばく、本名:鈴木 鉄治郎、1936年(昭和… 鈴木 漠(すずき ばく、本名:鈴木 鉄治郎、1936年(昭和11年)10月12日 - )は、日本の詩人。徳島県徳島市出身。 徳島県徳島市に生まれ、戦時疎開により剣山の麓、かずら橋と落人伝説で知られる祖谷郷に幼少年時を過ごす。1957年(昭和32年)に神戸市に移り海運会社に奉職した。1959年(昭和34年)に岡田兆功、平岡史郎、藤村壮と共に詩誌「海」を創刊。 1980年(昭和55年)に詩集『投影風雅』で第14回日本詩人クラブ賞を受賞し、1989年(平成元年)に連句集『海市帖』で第2回連句協会推薦図書表彰、1994年(平成6年)に第18回井植文化賞受賞、2002年(平成14年)に第28回徳島県文化賞を受賞。
八田 正(はった ただし、1936年10月5日 - )は徳島… 八田 正(はった ただし、1936年10月5日 - )は徳島県出身のプロ野球選手。当時は珍しい右投左打の内野手で、二塁手、遊撃手として活躍した。引退後はスカウトとして新人発掘に尽力した。
由水 常雄(よしみず つねお、1936年8月2日 - )は、… 由水 常雄(よしみず つねお、1936年8月2日 - )は、日本の歴史研究者、ガラス工芸家。徳島県生まれ。東京都立新宿高等学校を経て早稲田大学大学院博士課程修了。1968年より1970年までチェコ政府招聘留学生としてプラハ大学でガラス工芸史、東西美術交渉史を専攻。
三浦 敏明(みうら としあき、1936年7月28日 - 20… 三浦 敏明(みうら としあき、1936年7月28日 - 2019年2月13日)は、日本の英文学者・英語学者・歌人。東洋大学名誉教授。 父の任地東京府(現・稲城市)生まれ。徳島県阿波市出身。1961年東洋大学文学部英米文学科卒業。67年同大学院文学研究科博士課程修了。東洋大学工学部助教授、教授、文学部教授。2007年定年退任、名誉教授。R・L・スティーヴンスンの研究、日本文体論学会、日本英語学会、国際異文化学会。湖笛会会員。
遠藤 博也(えんどう ひろや、1936年6月10日 - 19… 遠藤 博也(えんどう ひろや、1936年6月10日 - 1992年4月6日)は、日本の法学者。専門は行政法。学位は、法学博士(東京大学・1966年)。元北海道大学教授。指導教授は当初田中二郎だったが、田中が指導途上で最高裁判事になった後は、雄川一郎に師事した。徳島市生まれ。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
高津 住男(たかつ すみお、1936年1月9日 - 2010… 高津 住男(たかつ すみお、1936年1月9日 - 2010年7月31日)は、日本の俳優。
竹田 美文(たけだ よしふみ、1935年〈昭和10年〉11月… 竹田 美文(たけだ よしふみ、1935年〈昭和10年〉11月 - )は、日本の医師・医学者。学位は医学博士(大阪大学・1965年)。国立感染症研究所名誉所員。専門は細菌学、感染症学など。2006年瑞宝重光章受章。 東京大学医科学研究所教授、京都大学医学部教授、日本細菌学会理事長、日本熱帯医学会理事長、野口英世記念会理事長等を歴任した。息子は大阪大学大学院医学研究科免疫制御学教授の竹田潔、東京大学大学院医学系研究科微生物学教授の竹田誠。
岡本 芳信(おかもと よしのぶ、1935年4月25日 - )… 岡本 芳信(おかもと よしのぶ、1935年4月25日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。
武市 好古(たけいち よしふる、1935年3月20日 - 1… 武市 好古(たけいち よしふる、1935年3月20日 - 1992年8月6日)は、日本の評論家・演出家。日本文芸家協会、日本アカデミー賞協会、日本音楽執筆者協議会、各会員。 徳島県徳島市出身。明治大学を中退。1956年- 1961年の間、劇団四季演出部に在籍した。1969年に渡米して、ラスベガスでショービジネスの演出に従事する。1967年に帰国し、フリーの演出家としてステージの演出および記録映画の監督をつとめる。 また、映画評論、競馬評論、音楽評論、エッセイ、翻訳など大衆文化をテーマに幅広く文筆活動を行う。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
笹田 伸二(ささだ しんじ、1934年11月10日 - 19… 笹田 伸二(ささだ しんじ、1934年11月10日 - 1996年5月12日)は、徳島県那賀郡羽ノ浦町出身で、日本競輪選手会徳島支部に所属(1956年~1988年)していた元競輪選手。登録番号6764。 日本競輪学校第12期生として1956年にデビュー。 マーク一本槍の競走スタイルでトップスターに上り詰め、マークについた先行選手の番手を絶対に離さなかったことから、スッポンという異名を取った。したがって地区に関係なく、メンバー中最も強いと目される先行選手の番手に入るレースも少なくなく、また笹田がつくのならば仕方ない、といった選手間における「暗黙の了解」もよくあったという。福島正幸によれば笹田のマーク技術、ハンドル捌きは神業の域に達していて先行選手の後輪とマークする笹田の前輪は1センチと開くことはなくまさに吸い付くようだったという。
乾 晴美(いぬい はるみ、1934年〈昭和9年〉10月18日… 乾 晴美(いぬい はるみ、1934年〈昭和9年〉10月18日 - 2025年〈令和7年〉2月26日)は、日本の政治家。位階は正五位。 科学技術政務次官(第45代)、参議院議員(1期)、AWA女性問題研究所代表などを務めた。遠縁に工学者の佐藤大記がいる。 徳島県石井町出身。1957年(昭和32年)、徳島大学学芸学部を卒業。教員を務め、1982年(昭和57年)、徳島県青少年婦人室長補佐を経て、1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙に連合の会から徳島県選挙区から立候補して自由民主党の亀長友義を破り当選。 1993年(平成5年)に誕生した細川内閣では科学技術政務次官を務めた。1995年(平成7年)の第17回参議院議員通常選挙で落選した。
新田 昌玄(にった しょうげん、本名での読み:にった まさは… 新田 昌玄(にった しょうげん、本名での読み:にった まさはる、1934年〈昭和9年〉8月13日 - 2004年〈平成16年〉11月18日)は、徳島県海部郡木頭村(現:那賀郡那賀町)出身の日本の俳優、声優。旧芸名:新田 昌(にった あきら)。 徳島県立城東高等学校卒業。慶應義塾大学法学部中退。 劇団文化座を経て、1960年から劇団民藝に所属。舞台活動の傍ら、映画、テレビでも主に脇役・敵役として活躍。 2004年11月18日、食道癌のため東京都渋谷区の病院で死去。70歳没。
丁子 惇(ちょうし あつし、1934年8月11日 -2026… 丁子 惇(ちょうし あつし、1934年8月11日 -2026年2月18日 )は、日本の経営者。東京書籍社長、会長を務めた。徳島県徳島市出身。 1957年に東北大学理学部生物学科を卒業し、同年4月に東京書籍に入社。1984年に取締役に就任し、1988年に常務、1990年に専務、1991年に副社長を経て、1992年12月に社長に就任。2000年10月に会長に就任し、2004年から取締役相談役を務めた。 2007年4月に旭日中綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤倉 皓一郎(ふじくら こういちろう、1934年5月18日 … 藤倉 皓一郎(ふじくら こういちろう、1934年5月18日 - 2024年5月)は、日本の法学者(英米法・民法)。東京大学名誉教授。アマースト大学名誉法学博士。純粋の私立大学出身者としては初めての東京大学法学部教授。 大阪府出身。東京大学教授、早稲田大学教授、同志社大学法学研究科教授、帝塚山大学法政策学部教授などを歴任。1980年の伊藤正己教授の最高裁判事就任により、その後任に招かれ、純粋の私立大学出身者(学部は私学出身で大学院のみ東大出身の前例としては経済法の松下満雄教授がいる)としては初めての東京大学法学部教授となった。 なおアメリカ留学時代に環境法を学び、それが後に東京大学教授に招かれる一因となったと言われる。
岡 利定(おか としさだ、1934年5月10日 - 2000… 岡 利定(おか としさだ、1934年5月10日 - 2000年10月2日)は、日本の政治家。位階は従四位勲三等。勲章は旭日中綬章。自由民主党所属の元参議院議員(2期)。 和歌山県那賀郡那賀町出身。和歌山県立粉河高等学校を経て、1959年、東京大学法学部卒業。 国家公務員上級職試験合格後、1962年、郵政省入省。同期に水町弘道元九州郵政監察局長。北海道郵政局長を経て、1990年、郵政大臣官房審議官を最後に退官。 1992年の第16回参議院議員通常選挙で、自由民主党から比例区に立候補して当選。1996年、第2次橋本内閣科学技術政務次官。 2000年10月、参議院議員在任中に、肝不全のため東京逓信病院で死去した。
水野 修孝(みずの しゅうこう、1934年2月24日 - )… 水野 修孝(みずの しゅうこう、1934年2月24日 - )は、徳島県生まれの作曲家。
杵屋 佐篠(きねや さしの、本名:東條 淑恵、1934年(昭… 杵屋 佐篠(きねや さしの、本名:東條 淑恵、1934年(昭和9年)1月27日 - )は、日本の三味線奏者。徳島県立高等女学校(現在の徳島県立城東高等学校)卒業。徳島県徳島市出身。徳島県邦楽協会会長。 徳島県徳島市で生まれる。徳島県立高等女学校(現在の徳島県立城東高等学校)卒業。長唄グループの徳島佐苗会を主宰。 2005年(平成17年)に文部科学大臣表彰(地域文化功労者)を受賞。2007年(平成19年)には徳島県文化賞を受賞する。2008年(平成20年)、徳島県邦楽協会の会長(2代目)に就任。2021年(令和3年)、長唄の佐門会家元である5代目杵屋佐吉が制作した「ぞめき」の編曲を担当し、阿波おどり会館で披露した。
川上 忠雄(かわかみ ただお、1933年5月10日 - )は… 川上 忠雄(かわかみ ただお、1933年5月10日 - )は、マルクス経済学者。法政大学名誉教授。宇野派。 徳島県小松島市生まれ。1956年東京大学経済学部卒。1959年同大学大学院修士課程修了、法政大学経済学部助手。1962年法政大学大学院社会科学研究科経済学専攻博士課程満期退学、同大学経済学部専任講師。1965年助教授、1971年教授。2003年退職、名誉教授。
森西 栄一(もりにし えいいち、1933年(昭和8年)1月1… 森西 栄一(もりにし えいいち、1933年(昭和8年)1月10日 - 1970年(昭和45年)2月13日)は、1964年東京オリンピック開催時の「東京オリンピック組織委員会」の職員。 そして1964年東京オリンピック開催準備の一貫として企画組織された「聖火リレーコース踏査隊」の一員であった。 1933年(昭和8年)1月10日、徳島県木屋平林(現:美馬市)に生まれた。 木屋平村立三ツ木小学校、三ツ木中学校、徳島県立城東高等学校と在学進学し卒業後上京し、タクシー会社「帝産オート」永田町営業所でタクシー運転手として働きながら、法政大学二部(夜間学部)法学部に通っていた。 ある日、森西が運転するタクシーに、1964年東京オリンピック開催準備に関わっていた亀倉雄策と丹下健三が乗り合わせた。
岩井 清(いわい きよし、1933年 - )は日本の牧師。新… 岩井 清(いわい きよし、1933年 - )は日本の牧師。新改訳聖書『歴代誌』を翻訳した。 東京府で生まれる。少年時代を主に千葉県船橋市で過ごす。1952年徳島県立脇町高等学校卒業。1957年京都大学教育学部卒業。東京神学塾を経て1961年聖書神学舎卒業、その間の1959年から1960年に、聖書同盟視察のため、8ヵ月間オーストラリアに滞在した。1961年聖書同盟主事に就任。1962年田中博子と結婚、三男二女を授かる。平塚福音キリスト教会副牧師を兼務。1970年平塚福音キリスト教会牧師に就任。1983年同教会内に活水聖書学院が設立され、教務主任を兼務。1986年同学院学院長に就任。1994年、「燃え尽き症候群」らしきものを感じ、カナダのリージェント・カレッジに留学。
阿部 永(あべ ひさし、1933年 - )は、日本の哺乳類学… 阿部 永(あべ ひさし、1933年 - )は、日本の哺乳類学者。学位は、農学博士(北海道大学・1960年)。北海道大学名誉教授。北海道大学農学部教授などを歴任。 元日本哺乳類学会会長。日本哺乳類学会特別会員。哺乳類研究グループと日本哺乳動物学会の初期からの会員であった。 1933年、徳島県吉野川市生まれ。父は徳島県における自然史研究の大家の阿部近一。北海道大学農学部農業生物学科卒。1961年北海道大学大学院農学研究科博士課程修了、北海道大学農学部付属博物館助手、1969年北海道大学農学部応用動物学講座助教授、1992年北海道大学農学部応用動物学講座教授、1996年北海道大学農学部農林生態学講座教授、1997年3月北海道大学農学部を定年退職。
上田 博章(うえだ ひろあき、1933年 - )は朝日放送の… 上田 博章(うえだ ひろあき、1933年 - )は朝日放送の元アナウンサー。
中川 君子(なかがわ きみこ、1932年〈昭和7年〉11月2… 中川 君子(なかがわ きみこ、1932年〈昭和7年〉11月21日 - )は、日本の宗教家。幸福の科学名誉秘書長。徳島県徳島市出身。徳島女子職業学校(現:徳島文理中学校・高等学校)卒業。 徳島県徳島市で生まれ、徳島女子職業学校(現:徳島文理中学校・高等学校)を卒業。理容師の資格を得て徳島市内で理容業を営む。 18歳で針の製造会社を経営する中川忠義と結婚し、理容業を続ける。忠義との間には1952年(昭和27年)に長男の力と1956年(昭和31年)に次男の隆(後の大川隆法)を出産する。 また理容師を営みながら、管理理容師の資格も得て、自宅の1階を理容店に改装して経営していた。 1986年(昭和61年)10月に次男の大川隆法が、幸福の科学を設立。
横田 滋(よこた しげる、1932年11月14日 - )は、… 横田 滋(よこた しげる、1932年11月14日 - )は、日本の元銀行員。
大久保 英男(おおくぼ ひでお、1932年9月13日 - )… 大久保 英男(おおくぼ ひでお、1932年9月13日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
山川 雄巳(やまかわ かつみ、1932年7月9日 - 200… 山川 雄巳(やまかわ かつみ、1932年7月9日 - 2002年11月24日)は、日本の政治学者。
山下 博之(やました ひろゆき、1932年(昭和7年)5月2… 山下 博之(やました ひろゆき、1932年(昭和7年)5月20日 - 2016年(平成28年)9月2日)は、日本の国文学者。元四国大学短期大学部教授。早稲田大学第一文学部卒業。徳島県三好市出身。 早稲田大学第一文学部卒業。徳島新聞の記者や雑誌編集を経て高校の国語教師、徳島県立阿南工業高等学校校長を務めた。 1990年に徳島県文化の森総合公園へ移転オープンした徳島県立図書館の初代館長に就任。その後、四国大学で国文学史などを教え、2008年に顧問教授を最後に退職した。また高校教師の頃から徳島ペンクラブで活動しており、2007年から6年間、同クラブの会長を務めた。 長年にわたり阿波人形浄瑠璃や海野十三の研究を行っており、1992年に発足した「海野十三の会」の会長として文学碑の建立や企画展など海野の再評価に尽力した。
三木 俊治(みき としじ、1932年(昭和7年)1月29日 … 三木 俊治(みき としじ、1932年(昭和7年)1月29日 - 2009年(平成21年)11月24日)は、日本の政治家、実業家。徳島市長、阿波製紙会長。慶應義塾大学経済学部卒業。孫(次男の娘)は女優の三木理紗子。徳島県板野郡松茂町出身。 三木産業社長・13代三木與吉郎の二男として生まれる。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
上田 和子(うえた かずこ、1932年(昭和7年)1月2日 … 上田 和子(うえた かずこ、1932年(昭和7年)1月2日 - )は、日本のピアニスト。元徳島文理大学音楽学部教授。姉は鳴門教育大学名誉教授である石井永子。 徳島県徳島市出身。1953年、東京藝術大学音楽学部別科を卒業。1960年、徳島女子高等学校講師、1961年、徳島女子短期大学(現在の徳島文理大学短期大学部)専任講師、1963年、助教授、1991年、徳島文理大学短期大学部教授に就任。 2010年、日本私立短期大学協会より短期大学教育60周年を記念して、短期大学教育功労者表彰を受賞。また、これまでに全日本ピアノ指導者協会徳島支部長やピティナ淡路中央ステーション代表などを歴任。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
大久保 そりや(おおくぼ そりや、1932年 - 2016年… 大久保 そりや(おおくぼ そりや、1932年 - 2016年12月)は、日本の在野研究者(言語学、マルクス主義)。英米SF翻訳家。 別名義に、小堀 靖生、おおくぼそりやがある。徳島市生まれ、1955年に京都大学文学部言語学科卒業。 大学卒業後も『早稲田大学新聞』(早稲田大学新聞会)、『情況』第1期(情況出版)等の左派系媒体にソシュール言語学や現代思想に関する論考を数多く発表していた。大学在学時からカール・マルクスや梯明秀の影響を受け、疎外論を重視する立場であった大久保は、やがてその立場から人間存在と言語との関係性を考究するようになり、「言語共産学」と称する独自の言語思想を提起するに至っていく。 また戦後日本SFの論者としても、1962年『悪魔運動』誌に小堀名義で発表した「SF論序」において、SFを「サイエンス・フィクション」ではなく「スペキュレイティヴ・フィクション」として位置付けていた。
野村 靖(のむら やすし、1931年(昭和6年)10月1日 … 野村 靖(のむら やすし、1931年(昭和6年)10月1日 - 2017年(平成29年)5月22日)は、日本の政治家。阿南市長。徳島県阿南市出身。徳島県立新野高等学校卒業。位階は正五位。旭日小綬章。 1950年、徳島県立新野高等学校卒業。1952年、旧福井村役場奉職に就任。1955年、旧橘町事務吏、1958年、阿南市事務吏に就任。その後、同市の建設部長・総務部長・企業局長を経て1986年に同市助役に就任。 1987年、阿南市長選に当選し2003年まで4期を務める。また、徳島県市町村職員共済組合理事長・徳島県河川協会会長などを歴任。2006年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2017年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
野村 靖(のむら やすし、1931年(昭和6年)10月1日 … 野村 靖(のむら やすし、1931年(昭和6年)10月1日 - )は、日本の政治家。元阿南市長。徳島県阿南市出身。徳島県立新野高等学校卒業。
篠原 央憲(しのはら ひさのり、1931年6月9日 - )は… 篠原 央憲(しのはら ひさのり、1931年6月9日 - )は、日本の詩人、評論家。本名は篠原 啓介。また作家活動も行っており日本ペンクラブ会員である。 徳島県徳島市生まれ。徳島県立工業学校(現・徳島県立徳島工業高等学校→徳島県立徳島科学技術高等学校)在学中から少年詩人として活躍。卒業後は、徳島民報社(現・徳島新聞)、大阪読売新聞、産経新聞の記者を経て出版社の編集長、社長を歴任する。その後作家活動を始める。
手塚 昌利(てづか まさとし、1931年3月8日 - 202… 手塚 昌利(てづか まさとし、1931年3月8日 - 2020年4月18日)は、日本の実業家。阪神電気鉄道相談役。旭日重光章受賞者。阪神電鉄元会長・社長、阪神タイガース元オーナー、元毎日放送社外取締役。 徳島県鳴門市出身。旧制市岡中学校、第四高等学校を経て、京都大学法学部卒業後、1953年に阪神電鉄へ入社。取締役運輸部長、常務・不動産事業本部長、代表取締役専務などを歴任し、1992年には社長に就任。2004年から2006年まで会長を務めた。 阪神電鉄社長時代に発生した阪神・淡路大震災では自社路線も大きな損害を受け、社長として復旧作業の陣頭指揮を取った。 1998年から阪神タイガースのオーナー代行を務め、オーナーの久万俊二郎を支えていた。
赤松 光夫(あかまつ みつお、1931年3月3日 -)は、日… 赤松 光夫(あかまつ みつお、1931年3月3日 -)は、日本の小説家。青春小説・推理小説・時代小説・官能小説などで知られる。本名は赤松 光雄。 徳島県阿波郡市場町(現・阿波市市場町)で23代つづく浄土真宗尊光寺の僧侶の四男として生まれる。旧制阿波中学校(現・徳島県立阿波高等学校)から京都大学文学部卒。出版社に勤務し、女学生雑誌『高校家庭クラブ』の編集長をしていたが、石上玄一郎の主宰する同人誌『現象』に参加し、菊村到らとも知り合う。1960年から作家活動を始める。初め青春小説を書き、ファンレターに書かれていた経験を基に書いた「ロストラブ」シリーズはベストセラーになった。同時期にジュニア小説を書いていた川上宗薫は「おれと赤松はジュニア小説の柏鵬だ」と語っている。
矢野 茂文(やの しげふみ、1930年〈昭和5年〉11月27… 矢野 茂文(やの しげふみ、1930年〈昭和5年〉11月27日 - 2021年〈令和3年〉1月22日)は、日本の政治家。位階は従四位。 鳴門市長。徳島県鳴門市出身。 1949年、徳島県立鳴門高等学校卒業。1958年、徳島県青年連合会会長に就任。1962年、日本青年館中央理事に就任。1965年、日本青年団協議会会長に就任。 1967年、鳴門市議会議員に初当選。1971年、徳島県議会議員に初当選。1987年、鳴門市長選に当選し1995年まで務める。 2021年1月22日、死去。90歳没。死没日をもって従四位に叙される。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。