田岡 和也(たおか かずや、1983年 - )は、日本の画家… 田岡 和也(たおか かずや、1983年 - )は、日本の画家、イラストレーター。香川県仲多度郡琴平町出身。 1983年 香川県に生まれる。2005年 大阪芸術大学芸術学部美術学科卒業。2006年に大阪のラジオ局FM802が主催するdigmeoutアーティストオーディションを通過し、NISSAN WINGROAD×digmeout JAPAN TOUR、docomo×ミーツ×digmeout、FM802 「エコ考え中。」のイラストレーションを制作。2015年に神戸市・和田岬に鎮座する和田神社の拝殿天井画80枚を夫婦共同で制作する。
たいぞう(本名:横山 泰三〈よこやま たいぞう〉、1974年… たいぞう(本名:横山 泰三〈よこやま たいぞう〉、1974年1月12日 - )は、日本のお笑いタレント、画家。吉本興業所属。香川県観音寺市出身。香川県観音寺市ふるさと応援大使、大阪府障害者芸術文化大使でもある。 尽誠学園高等学校卒業。マッシュルームカットが特徴。 アホキャラクターで活動する一方で、画才も認められており個展を開催している。 大阪NSC11期生。同期には陣内智則、たむらけんじ、ケンドーコバヤシ、中川家、ハリガネロック、烏川耕一がいた。他事務所では児嶋一哉(アンジャッシュ)と同期にあたる。 田野島秀和と「ギャグガスバクハツ」というコンビを結成する。当時、ぜんじろうのテレビ番組によく出演していた。
狩野裕子(かの ゆうこ、1955年- )は、日本の洋画家。日… 狩野裕子(かの ゆうこ、1955年- )は、日本の洋画家。日本美術家連盟会員。 1955年(昭和30年)香川県三豊郡豊中村(現・三豊市)に生まれる。1974年(昭和49年)香川県立観音寺第一高等学校卒業。1976年(昭和51年)東京立正短期大学英米語学科卒業。1991年(平成3年)画家を志し、独学で制作を開始。1996年(平成8年)武蔵野美術学園油絵科本科(2年)を修了。1997年(平成9年)二紀展(二紀会主催)初出品初入選、以降2002年まで同展に出展した。 2002年(平成14年)個展中心の活動を決意、試行錯誤をくりかえす。2006年(平成18年)紀伊國屋画廊の個展で『テーマ生きる 裸婦シリーズとさくら』を発表、重層する曲線で渦巻きと波打つような動きの独特の表現。
池原 昭治(いけはら しょうじ、1939年 - )は、日本の… 池原 昭治(いけはら しょうじ、1939年 - )は、日本の画家。童絵作家を名乗って活動している。日本漫画家協会会員。 高松短期大学客員教授、香川県「子育て心配無用教え隊」、埼玉県川越市「小江戸川越大使」、埼玉県狭山市「狭山観光大使」も務めている。 読売新聞、朝日新聞、神奈川新聞、上毛新聞、四国新聞、日本農業新聞などに、童絵や民話、連載漫画などを掲載。 日本各地の民話を訪ね歩き、『童絵』という独自の画風を確立。観音霊場や祭りに関する多くの著書がある。 香川県高松市出身。高校卒業後、会社勤めを経て1963年に東映動画に入社し、アニメーターとして働く。1983年から、テレビ「まんが日本昔ばなし」の演出・作画・美術を担当する。
岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 201… 岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 2018年10月11日)は、日本画家。元日本藝術院会員。元日展常務理事。京都市立芸術大学名誉教授。 香川県三豊郡山本町(現 三豊市山本町)出身。香川県立観音寺第一高等学校、京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)日本画科卒業。同大学専攻科修了。 風景や花鳥などの題材を淡い色彩で描く。京都市立美術大学在学中に日展への初入選を果たす。1959年(昭和34年)同大学卒業後、晨鳥社に入り、山口華楊に師事。日展を中心に活躍する一方、大学に残り、後進の指導に当たってきた。1961年(昭和36年)同大学専攻科修了。1962年(昭和37年)同大学教授に就任。
井上 員男(いのうえ かずお、1932年 - )は、日本の版… 井上 員男(いのうえ かずお、1932年 - )は、日本の版画家。ペーパー・ドライポイント(紙凹版画)において独自の技法を開発した。 香川県観音寺市出身。1950年(昭和25年)香川県立観音寺第一高等学校卒業。1954年(昭和29年)香川大学教育学部美術科卒業、地方公務員として公立高校の教員となり兵庫県立高校美術教諭となる。1970年(昭和45年)紙凹版画独創技法開拓。1979年(昭和54年)香川県立高校美術教諭を辞め、東京都羽村市に転居。1988年(昭和63年)在仏日本大使館主催ユネスコ日本週間展覧会に招待出品(『版画平家物語』、『雪国』、『アヤメ』)。2003年(平成15年)8月、香川県中学校美術教育研究会の活動の一環として、香川県の中学の美術教員に対して紙凹版画の技法を教えるなど、技法の普及にも力を入れている。
田中 岑(たなか たかし、1921年4月4日 - 2014年… 田中 岑(たなか たかし、1921年4月4日 - 2014年4月12日)は、日本の洋画家。春陽会会員。 香川県三豊郡和田村(現 観音寺市豊浜町)出身。旧制香川県立三豊中学校、日本大学芸術科卒業。 1937年(昭和12年)三豊中学4年生の時に美術部を創る。1939年(昭和14年)東京美術学校油絵科に入学、小林万吾が保証人であった。その後、海老原喜之助に出会い日本大学芸術科に転校を薦められて入学した。在学中、独立美術協会展などに出展する。 兵役に就き復員後、第15回独立美術展に出品する。1947年(昭和22年)自由美術協会展に出品、同年4月に上京して以後出展を続けた。1950年(昭和25年)春陽会の出展して研究賞を受賞。
大森 朔衞(おおもり さくえ、1919年(大正8年)4月16… 大森 朔衞(おおもり さくえ、1919年(大正8年)4月16日 - 2001年(平成13年)6月9日)は、日本の洋画家。風景を幻想的に描く作風で知られた。 大森朔衞 (おおもりさくえ) 1919年香川県小豆島、高松市で育つ。幼少期より絵に親しみ、石井柏亭が審査員の中国四国少年水彩画展で金賞受賞。12歳で画家になる決意をする。13歳の夏休みの早暁、屋島で五剣山の日の出を描く藤島武二に遭遇。14歳で大原美術館を訪問した。 親は画家になることを反対したが、17歳で上京、日本美術学校に入学。親の援助がないため、学費や生活費を稼ぎながらでは続かず中退する。1940年の独立展をはじめとして、次々と団体展に入選する。
門脇俊一(かどわき しゅんいち、1913年6月23日 - 2… 門脇俊一(かどわき しゅんいち、1913年6月23日 - 2006年)は、日本の画家、版画家。「現代の浮世絵師」とも呼ばれる。 1913年6月23日に、香川県三豊郡観音寺(現在の観音寺市八幡町)で門脇百太郎とみねの六男として生まれる。家は代々木材彫を営んでいた。 1994年にフランス国立高等美術学校(パリ)にて開催した個展がきっかけとなって、1995年8月、セントビンセント・グレナディーンから木版画「不動明王」の郵便切手が発行された。
中原 淳一(なかはら じゅんいち、1913年〈大正2年〉2月… 中原 淳一(なかはら じゅんいち、1913年〈大正2年〉2月16日 - 1983年〈昭和58年〉4月19日)は、日本の画家、ファッションデザイナー、編集者、イラストレーター、人形作家。 妻は宝塚歌劇団元男役トップスターの葦原邦子。長女芙蓉、長男洲一、次男蒼二、次女すみれの二男二女があり、長男は画家。姪はシャンソン歌手の中原美紗緒。俳優・声優の加古臨王は孫。 先祖は物部姓中原氏といわれる。 幼少の時より絵や造形に才能を示し、18歳の時、趣味で作ったフランス人形が認められて東京の百貨店で個展を開催。それがきっかけで雑誌『少女の友』の挿絵、口絵、表紙絵、付録等を手掛けるようになり、一世を風靡する人気画家となる。
合田 好道(ごうだ よしみち、別呼称・こうどう、1910年〈… 合田 好道(ごうだ よしみち、別呼称・こうどう、1910年〈明治43年〉 - 2000年〈平成12年〉2月6日)は、日本の画家・陶芸家。 益子焼の窯元や陶芸家志望の若者たちを指導し、「民芸の町・益子」「陶芸の町・益子」を作り上げた、戦後の益子の歴史における象徴的な人物の一人であり、「益子のお目付役」と呼ばれ、濱田庄司を益子焼の中興の祖とするならば、同じ益子焼の陶芸家であった島岡達三から「濱田の精神の伝導者」と呼ばれ、益子の陶芸家たちへの思想的影響力が強かった人物である。 1910年(明治43年)、香川県三豊郡豊濱町(現・観音寺市)に、味噌醤油醸造業であった父・合田辧治、母・まつの4人兄弟の次男として生まれる。
猪熊 弦一郎(いのくま げんいちろう、1902年〈明治35年… 猪熊 弦一郎(いのくま げんいちろう、1902年〈明治35年〉12月14日 - 1993年〈平成5年〉5月17日)は、昭和期の洋画家。新制作協会創立会員。 「絵を描くには勇気がいる」とよく口にし、新しいものへ挑戦し続けた彼の画業は多くの人の心を捉えている。 丸亀市にある猪熊弦一郎現代美術館(設計:谷口吉生)には、猪熊の作品が常設展示されている。また、猪熊の死後、丸亀コミュニティバスにいのくまバスが登場した。建築家・丹下健三が設計した香川県庁舎の壁画は、猪熊の作である。
斎田 喬(さいだ たかし、1895年7月15日 - 1976… 斎田 喬(さいだ たかし、1895年7月15日 - 1976年5月1日)は、日本の児童劇作家・画家。 香川県那珂郡丸亀町(現丸亀市)出身。1916年香川県師範学校卒、京都高等工芸学校卒。1920年小原国芳の招きで成城小学校の教師となり、学校劇運動、自由画教育運動を指導。1933年退職。1934-1947年児童劇団テアトロ・ピッコロで劇作、演出。1948年児童劇作家協会を設立、委員長となる(のち日本児童演劇協会)。1955年「斎田喬児童劇選集」で芸能選奨文部大臣賞受賞。児童文学の挿画も描いた。演劇教育研究所理事長、児童演劇協会名誉会長。
田中 万吉(たなか まんきち、1895年4月1日 - 194… 田中 万吉(たなか まんきち、1895年4月1日 - 1945年10月15日)は日本の洋画家。
野生司 香雪(のーす こうせつ、明治18年(1885年)11… 野生司 香雪(のーす こうせつ、明治18年(1885年)11月5日 - 昭和48年(1973年)3月28日)は、日本の仏教画家、仏画家である。 「野生司」の読み方は「のーす」。香雪の残した資料等の紙の上にカタカナで「ノース」と書いてあり、本人もそれが正しいと言っていたとのこと。 香川県香川郡檀紙村(現・香川県高松市檀紙町)に僧侶の長男として生まれる。本名は述太(のぶた)。父・義問、母・シカ。その後、檀紙尋常小学校(現・高松市立檀紙小学校)、堂山高等小学校を経て、香川県工芸学校(現在の香川県立高松工芸高等学校)金属工芸科に入学。卒業後、東京美術学校(現在の東京藝術大学)予備課程の金属工芸科に入る。
山下 紅畝(やました こうほ、1884年〈明治17年〉4月2… 山下 紅畝(やました こうほ、1884年〈明治17年〉4月20日 - 1977年〈昭和52年〉10月25日)は、女流日本画家。日本画会会員。多くの日本画を描き残すと共に、多くの弟子を育成することで、郷里の香川県の日本画壇に貢献した人物である。本名は山下くら、または山下久良子。旧姓は中田。 香川県那珂郡丸亀葭町(現・丸亀市葭町)で誕生した。高松高等女学校(現・香川県立高松高等学校)を卒業後、女子高等教育への進学率が0.1%という時代にあって、東京女子高等師範学校へ進学。1906年(明治39年)に同校を卒業後に、奈良女子高等師範学校で教員として勤めた。 1907年(明治40年)、東京女子高等師範学校の研究課程技芸科に入学した。
小林 萬吾(こばやし まんご、1870年5月31日(明治3年… 小林 萬吾(こばやし まんご、1870年5月31日(明治3年5月2日) - 1947年(昭和22年)12月6日)は、日本の洋画家。アナウンサーの小林完吾(南日本放送→日本テレビ→フリー)は孫。 作品は、外光表現を取り入れた明るい色彩で、穏健な画風の日本洋画の正統派といえる。主題は日本的情趣のある風俗や風景が中心となっている。 庄屋の長男として讃岐国三野郡詫間村(現・香川県三豊市)に生まれる。漢学を修めた後、松山の官立中学に入学、はじめは安藤仲太郎、原田直次郎に師事し。1889年(明治22年)に内国勧業博覧会に「芝東照宮図」が入選。1895年(明治28年)、黒田清輝主宰の天真道場に入門する。1898年(明治31年)、東京美術学校西洋画科選科修了。
岡田 修二(おかだ しゅうじ)は、日本の画家、アートディレク… 岡田 修二(おかだ しゅうじ)は、日本の画家、アートディレクター。学位は博士(美術)(京都市立芸術大学・2007年)。成安造形大学学長。 株式会社電通での勤務を経て、成安造形短期大学造形芸術科助教授、成安造形大学芸術学部教授、成安造形大学学長補佐などを歴任した。 香川県高松市生まれ。1985年(昭和60年)、愛知県立芸術大学美術学部美術科絵画油画専攻卒業、芸術学士。1987年(昭和62年)、愛知県立大学大学院美術研究科絵画油画専攻修了、芸術学修士。 1987年(昭和62年)に電通に入社し、アートディレクターとして勤務した。1994年(平成6年)、電通を退職した。なお、1994年(平成6年)から1999年(平成11年)まで、ニューヨークアートディレクターズクラブの国際会員であった。