琴勇輝 一巖(ことゆうき かずよし、1991年4月2日 - … 琴勇輝 一巖(ことゆうき かずよし、1991年4月2日 - )は、香川県小豆郡小豆島町出身(出生地は丸亀市)で佐渡ヶ嶽部屋所属の現役大相撲力士。本名は榎本勇起(えのもと ゆうき)。身長176cm、体重172kg。得意手は突き・押し。最高位は東関脇(2016年5月場所)、血液型はB型。2016年より小豆島夢応援大使。
香川県:19人
琴勇輝 一巖(ことゆうき かずよし、1991年4月2日 - … 琴勇輝 一巖(ことゆうき かずよし、1991年4月2日 - )は、香川県小豆郡小豆島町出身(出生地は丸亀市)で佐渡ヶ嶽部屋所属の現役大相撲力士。本名は榎本勇起(えのもと ゆうき)。身長176cm、体重172kg。得意手は突き・押し。最高位は東関脇(2016年5月場所)、血液型はB型。2016年より小豆島夢応援大使。
希善龍 貴司(きぜんりゅう たかし、1985年4月30日 -… 希善龍 貴司(きぜんりゅう たかし、1985年4月30日 - )は、香川県善通寺市与北町出身で木瀬部屋(閉鎖処分中は北の湖部屋)に所属した元大相撲力士。本名は亀井 貴司(かめい たかし)。身長195cm、体重160kg。最高位は東十両11枚目(2013年5月場所)。 善通寺市立与北小学校4年次に、当時の担任教諭の勧めで与北相撲クラブ(現在の香川相撲クラブ)に入り、相撲を始めた。小学生時代は香川県の小学生横綱に輝き、善通寺市立東中学校3年次は柔道部に所属しながら相撲の大会にも出場して県大会で優勝。香川県立高松南高校入学後は相撲一本に絞り、3年次に出場した選抜高校相撲内大会では個人3位に入賞している(このときの優勝はのちの関脇・栃煌山)。
合田 正和(ごうだ まさかず、1977年12月22日 - )… 合田 正和(ごうだ まさかず、1977年12月22日 - )は、香川県観音寺市(伊吹島)出身でXリーグの相模原ライズ所属のアメリカンフットボールプレイヤー、二子山部屋所属の元大相撲力士。ポジションはOL(オフェンスライン)、身長191cm、体重135kg。大相撲時代の四股名は貴伊吹(たかいぶき)、最高位は序二段80枚目。 伊吹中学校在籍時は陸上部に所属し、砲丸投げで県大会優勝。 中学時代から巨漢であったため大相撲の二子山親方(元大関貴ノ花)にスカウトされ角界入り。1993年3月場所、貴伊吹の四股名で初土俵。1994年5月場所で自己最高位の序二段西80枚目。1995年3月場所限りで引退、帰郷。 その後尽誠学園高等学校に入学し、再び陸上部砲丸投げ選手となる。
五剣山 博之(ごけんざん ひろゆき、1973年7月12日 -… 五剣山 博之(ごけんざん ひろゆき、1973年7月12日 - )は、香川県高松市出身で貴乃花部屋(最終所属、入門時は藤島部屋、後に二子山部屋)所属の元大相撲力士。本名は五藤 博之(ごとう ひろゆき)。得意手は右四つ、寄り。身長194cm、体重195kg。最高位は東十両6枚目(2003年3月場所)。 中学卒業後に藤島部屋に入門し、1989年3月場所初土俵。1991年5月場所には17歳の若さで幕下に昇進、194cmの長身で豪快な右四つ相撲で早くから期待されていた。幕下上位でやや苦労したが1994年11月場所には、西幕下23枚目で幕下優勝を果たした。その勢いで1995年1月場所も勝ち越し、1995年3月場所には十両に昇進した。
朝風 新一郎(あさかぜ しんいちろう、1941年6月23日 … 朝風 新一郎(あさかぜ しんいちろう、1941年6月23日 - 没年不明)は、現在の香川県善通寺市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は石川 旻(いしかわ たかし)。183cm、98kg。最高位は西十両2枚目。得意技は右四つ、吊り。 1958年3月場所初土俵、1967年11月場所十両昇進、1971年7月場所限りで廃業。
若三杉 彰晃(わかみすぎ あきてる、1937年(昭和12年)… 若三杉 彰晃(わかみすぎ あきてる、1937年(昭和12年)9月24日 - 1983年(昭和58年)11月2日)は、香川県丸亀市土居町出身で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は杉山 昇(すぎやま のぼる)。最高位は東関脇(1963年(昭和38年)5月場所、同年7月場所など)。現役時代の体格は188cm、133kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。若乃花幹士 (初代)の義弟であり、貴ノ花利彰の義兄である。 香川県立丸亀高等学校では柔道部に所属していたが、花籠親方(元前頭3・大ノ海)に勧誘され、高校を2年で中退して花籠部屋へ入門。1955年(昭和30年)3月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同じ「杉山」。
神生山 清(かみおいやま きよし、1931年5月24日 - … 神生山 清(かみおいやま きよし、1931年5月24日 - 1982年1月19日)は、香川県高松市仏生山町出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は村川 清(むらかわ きよし)。最高位は西前頭15枚目(1957年3月場所)。現役時代の体格は173cm、90kg。得意手は右四つ、寄り、足癖、小股掬い、投げ。 父・佐吉は、仏生山町で袋を作る工場を経営していた。小学生の頃から郷土が生んだ人気力士・神風に憧れており、1946年暮れに巡業で高松市内を訪れた当人と地元の素人相撲で活躍していた野口という人物の紹介で会った事がきっかけで、二所ノ関部屋へ入門。1947年11月場所にて、16歳で初土俵を踏んだ。
琴ヶ濵 貞雄(ことがはま さだお、1927年10月10日 -… 琴ヶ濵 貞雄(ことがはま さだお、1927年10月10日 - 1981年6月7日)は、香川県三豊郡(現在の同県観音寺市)出身(出生地は宮崎県)で佐渡ヶ嶽部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。本名は宇草 貞雄(うくさ さだお)。最高位は東大関。現役時代の体格は177cm、117kg。得意手は左四つ、内掛け、上手投げ。 宮崎県で馬の仲買人の長男として生まれ、後に香川県へ移った。幼い頃から大柄な体格で17歳の時には身長169cmに達した。 高等小学校を卒業すると父親が早世した影響で1944年9月に海軍に志願、その体格から上官に見出され海軍相撲に参加することになった。敗戦により軍が解散すると故郷に帰ったが食うに困らないとの理由で力士になろうと思い、同郷の初代・琴錦を紹介してもらい、二所ノ関部屋に入門した。
琴錦登(ことにしき のぼる、本名:藤村登、1922年3月7日… 琴錦登(ことにしき のぼる、本名:藤村登、1922年3月7日 - 1974年7月14日 )は、香川県観音寺市出身で二所ノ関部屋所属の大相撲力士。身長177cm、体重120kg。得意手は右四つ、寄り、とったり。最高位は東小結。現役引退後は佐渡ヶ嶽部屋を興し、横綱琴櫻たちを育てた。
神風 正一(かみかぜ しょういち、1921年10月19日 -… 神風 正一(かみかぜ しょういち、1921年10月19日 - 1990年5月15日)は、香川県大川郡三本松町(のちの東かがわ市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。相撲解説者。本名は赤沢 正一(あかざわ しょういち)。最高位は東関脇。身長179cm、体重98kg。得意手は左四つ、上手投げ、外掛け。 小学校時代は朝日新聞社の健康優良児に選ばれたという経歴をもち、運動神経抜群にして頭脳明晰、噂を聞きつけた横綱玉錦の熱心な勧誘に折れて1937年(昭和12年)5月場所に初土俵を踏む。福住(のちの玉乃海)と同期だった。入門に当たって玉錦には「勉強がしたければ大学だって行かせてやる」とも言われていたが、その玉錦の死後流石に大学は諦めた。
24代 式守 伊之助(にじゅうよんだい しきもり いのすけ、… 24代 式守 伊之助(にじゅうよんだい しきもり いのすけ、1919年(大正8年)4月15日 - 2013年(平成25年)2月1日)は、大相撲の立行司。式守伊之助としての在位期間は1977年11月~1984年3月。朝日山部屋所属。香川県大川郡志度町(現さぬき市)出身。本名は尾崎信雄。 父親は高砂部屋の元三段目力士。 23代木村庄之助(2代木村正直)の弟子。1935年1月場所に初代木村正義の名で初土俵。兵役で一時相撲界を離れたが、1947年6月場所に十両格最下位で復帰した。その後、木村正信時代の1961年11月場所、三役格行司に昇進。翌1962年1月場所、3代木村正直を襲名。立行司24代式守伊之助を襲名するまで16年間(96場所)も三役格行司を務めた。
錦洋 慶祐(にしきなだ けいすけ、1888年9月19日 - … 錦洋 慶祐(にしきなだ けいすけ、1888年9月19日 - 1929年6月8日)は、現在の香川県坂出市出身で井筒部屋に所属した力士。本名は野口 慶祐。174cm、112kg。最高位は東前頭11枚目。 角界入門以前には上京して砂糖屋で働いていたが、主人の紹介で井筒部屋に入門。1916年1月幕下付出で初土俵、1918年1月十両昇進、5月に十両優勝し、1919年1月に新入幕を果たした。体格にも恵まれ、上突っ張りを得意として、出足も速く、腰も良いため、早くから将来の三役と期待されていた。しかし新入幕場所の直前に腸チフスに罹り、連続休場し十両に陥落。結局幕内では1日も出場できなかった。その後、2度目の十両優勝を果たすも再入幕はならず、1922年1月廃業した。
平野川 善右エ門(ひらのがわ ぜんえもん、1863年(文久3… 平野川 善右エ門(ひらのがわ ぜんえもん、1863年(文久3年) - 1912年(明治45年)4月19日)は讃岐国大内郡引田村(現・香川県東かがわ市引田)出身の大相撲力士。本名は今出善藏。大阪相撲で活躍し最高位は大関。 10代小野川に入門。1886年(明治19年)11月平野川 鹿藏(1894年(明治27年)4月まで番付では平の川または平ノ川と表記された)で四段目に初見。1890年(明治23年)8月には早くも入幕した。 167cm、103kg。突っ張りを得意とし、闘志に満ちた取り口は調子に乗ると実力以上の活躍を見せた。また立合いの汚い力士が多かった大阪相撲において立合いがきれいなことで知られた。1893年(明治26年)10月には8戦全勝を記録。
淀川 音吉(よどがわ おときち、1842年9月13日(天保1… 淀川 音吉(よどがわ おときち、1842年9月13日(天保13年8月9日) - 1915年(大正4年)2月17日)は、明治時代の大相撲力士。本名:松崎音吉。年寄白玉。讃岐国丸亀(現・香川県丸亀市)出身。 数え21 - 22歳ごろに江戸へ出て雷の弟子となったと伝えられ、数え27歳の1868年5月に讃岐川で序ノ口1871年11月に幕下に昇進と比較的早い出世であったがその後幕下に低迷した。1877年頃和田ノ森との対戦で、40回以上の仕切りとなり審判が預かりとしようとしたが、仕切りの形が和田ノ森のほうが良かったということで和田ノ森の勝ちとなったことがある。1878年5月に幕下二段目12枚目の最高位に昇進。
投石 菊治郎(なげいし きくじろう、1837年〈天保8年〉 … 投石 菊治郎(なげいし きくじろう、1837年〈天保8年〉 - 1887年〈明治20年〉6月22日)は、讃岐国豊田郡(現在の香川県観音寺市)出身で雷部屋、音羽山部屋、井筒部屋に所属した力士。本名は長田 菊治郎。6代井筒。最高位は西前頭4枚目。身長体重は不明。 1860年3月に雷部屋から初土俵を踏んだ。のちに雷部屋と縁が深い音羽山部屋に転籍し、十両昇進は初土俵から11年が経った1871年3月のことである。十両で4年が経過した1875年4月、東十両筆頭の地位で6勝3敗の成績を上げて同成績の藤田川利助と優勝を分け合い(ただし番付上位の投石が優勝扱い)、1876年1月に新入幕を果たした。1878年に師匠の8代音羽山が亡くなり、1879年1月以降は年寄・井筒として二枚鑑札となった。
寶川 石五郎(たからがわ いしごろう、1816年〈文化13年… 寶川 石五郎(たからがわ いしごろう、1816年〈文化13年〉 - 1858年8月26日〈安政5年7月18日〉)は、雷部屋に所属した力士。大坂相撲時代には朝日山部屋、東京へ移行してからは粂川部屋にも所属していた。本名は佐伯 石五郎。 身長,体重とも不明だが、体格は大きく3尺(約90cm)の入り口では常に体を斜めにして入ったと伝わる。出身地は現在の香川県観音寺市(旧・讃岐国豊田郡。 最高位は西前頭筆頭。丸亀藩の抱え。 最初は4代朝日山(真鸖政吉)の弟子として大坂相撲で取り、その後東上して1840年10月初土俵(序二段附出し)。1848年1月新十両(東二段目10枚目となり十両相当となった)。1849年3月場所では7勝1敗1分の好成績を挙げ、優勝相当成績を挙げた。
黒岩 壽太郎(くろいわ じゅたろう、1814年(文化11年)… 黒岩 壽太郎(くろいわ じゅたろう、1814年(文化11年) - 1857年6月13日(安政4年5月22日))は、讃岐国香川郡(現・香川県高松市錦町)出身の大相撲力士。本名は不明。幕末屈指の強豪でありながら不幸にも三役に登れぬまま現役で亡くなった。最高位西前頭筆頭。 始め大坂相撲の5代押尾川に入門。のち江戸に下り7代雷の弟子となり1845年(弘化2年)10月二段目に付け出される。好成績を残しながら番付はあまり上がらなかったが1849年(嘉永2年)11月相撲会所の英断により二段目11枚目から一躍入幕を果たした。 入幕後も期待に応え大関小柳常吉に3勝1敗4分、のちの大関猪王山森右エ門に4勝2敗3分1預、のちの横綱雲龍久吉に1勝1敗5分と強豪相手に一歩も譲らぬ活躍を見せた。
嚴嶋 関右エ門(いつくしま せきえもん、1810年 - 18… 嚴嶋 関右エ門(いつくしま せきえもん、1810年 - 1854年5月9日(旧暦4月13日))は、香川県丸亀市出身の元大相撲力士。本名は不明。 1810年に香川県丸亀市で生まれる。1834年11月場所において雷部屋から丸亀藩の抱え力士として初土俵を踏む。1844年10月場所で新十両昇進を果たした。現役中の1854年2月場所で二枚鑑札によって2代・稲川を襲名したが、2月場所終了から間もない同年4月13日(旧暦)に入水自殺を遂げた。45歳没。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
嚴嶋 関右エ門(いつくしま せきえもん、1756年(宝暦6年… 嚴嶋 関右エ門(いつくしま せきえもん、1756年(宝暦6年) - 1794年(寛政6年)6月16日(旧暦5月19日))は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)出身の元大相撲力士。本名は三崎と伝わっているが、詳細は不明である。 1756年(宝暦6年)に讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)の筆ノ山(現在の善通寺市内)の麓にある牛飼いの家に生まれる。幼少期より並外れた怪力で、通行人を待ち受けては相撲を取ったり、俵を担いできた人を抱いて弘田川を渡ったりしたと伝えられている。当初は朝日山部屋(大坂相撲)に入門し、丸亀藩の抱え力士として1779年10月場所で初土俵を踏んだ。1781年3月場所で東二段目(現在の十両)10枚目へ昇進するが、その後は不振により勝ち越しが一度も無かった。