池元 友樹(いけもと ともき、1985年3月27日 - )は… 池元 友樹(いけもと ともき、1985年3月27日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。 東福岡高校時代は2年時から全国高等学校サッカー選手権大会で活躍。高校卒業後はアルゼンチンのCAリーベル・プレートに入団し、当地で4軍(アマチュア)まで昇格し、U-19日本代表にも選ばれた。U-19代表に選ばれてから日本に帰国し、福岡、大分、東京V、清水の練習に参加したが、プロ契約に至らず、当時九州サッカーリーグ所属のニューウェーブ北九州に入団し、2年間で26試合27得点と高い得点力でチームを牽引した。なお北九州加入1年目はアマチュア選手で、朝から時給約800円でマンションの工事現場で資材を運び、夜に練習する毎日を送っていたため「あの生活は、もう一生したくない」と語る。
前田 悠佑(まえだ ゆうすけ、1984年11月23日 - )… 前田 悠佑(まえだ ゆうすけ、1984年11月23日 - )は、福岡県出身で、V・ファーレン長崎所属のサッカー選手。ポジションは、MF。
古賀 宗樹(こが かずき、1984年9月26日 - )は、福… 古賀 宗樹(こが かずき、1984年9月26日 - )は、福岡県出身のサッカー選手。
金井 龍生(かない りょういち、1984年9月8日 - )は… 金井 龍生(かない りょういち、1984年9月8日 - )は、大阪府出身のサッカー選手。四国サッカーリーグ・FC今治所属。
木本 敬介(きもと けいすけ、1984年8月23日 - )は… 木本 敬介(きもと けいすけ、1984年8月23日 - )は、大分県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW、MF。 東福岡高校を卒業後、関西大学に進学。大学3年次には安藤淳らと共に第29回総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで優勝した。大学卒業後、JFLのアローズ北陸に入団し、主力選手として活躍したことで、リーグ新人王に選出された。 2008年、所属クラブとYKK APが統合し誕生したカターレ富山に加入。クラブのJリーグ昇格により、2009年の開幕戦でJリーグ初出場を果たした。 2017年11月25日引退を発表。 2018年、カターレ富山普及コーチに就任。 2020年、富山新庄クラブのU-15コーチに就任。
小川 久範(おがわ ひさのり、1984年5月22日 - )は… 小川 久範(おがわ ひさのり、1984年5月22日 - )は、福岡県福岡市早良区出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。現在は福岡の少年サッカースクール、フクオカーナ アカデミー、ジュニアユースのコーチ。 小学校時代からサッカーを始め、脇山FC時代にはCMFとしてキャプテンを務めた。中学在籍時にアビスパ福岡のジュニアユースにスカウトされ、高校時代もユースに所属。ユース時代から状況判断に優れており、DF最終ラインのポジショニングの指示と相手攻撃陣へのマークが的確と評判であった。U-15を皮切りにU-16、U-17と日本代表に選ばれる。2001年FIFA U-17世界選手権トリニダード・トバゴ大会に出場し活躍した。
赤星 拓(あかほし たく、1984年4月21日 - )は、福… 赤星 拓(あかほし たく、1984年4月21日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。 福岡大学2年時から大学選抜に選出され、2004年1月にはカタール国際ユーストーナメントに参戦。3年時の2005年にはユニバーシアード・イズミル大会の優勝に貢献。時久省吾と正GKの座を争った。4年時の2006年には、特別指定選手として大分トリニータに選手登録された。 2007年にJ2・サガン鳥栖に加入。新人ながら開幕戦にスタメン出場するなど、正GKとして活躍。その後、2008年に室拓哉が移籍加入し、浅井俊光も含めて激しい正GK争いを繰り広げた。 2011年から鳥栖の最古参選手となった。
時久 省吾(ときひさ しょうご、1984年4月15日 - )… 時久 省吾(ときひさ しょうご、1984年4月15日 - )は、福岡県行橋市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。 小学校2年でサッカーを始め、行橋FC、リミットレスFCを経て、大津高校に入学。1年時にU-16日本代表に選出され、3年時の全国高等学校サッカー選手権大会では、大会優秀選手に選ばれた。その後日本高校選抜として、デュッセルドルフ国際ユースサッカー大会に出場した。 2003年、早稲田大学に進学。同年5月、特別指定選手として東京ヴェルディ1969に登録された。2005年8月、ユニバーシアード・イズミル大会では正GKとして優勝に貢献。その帰りに徳永悠平、兵藤慎剛とともに、1週間バレンシアCFの練習に参加した。
衛藤 裕(えとう ゆう、1983年10月17日 - )は、福… 衛藤 裕(えとう ゆう、1983年10月17日 - )は、福岡県出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 東福岡高校から福岡大学に進学し、ともに背番号10を付け常にトッププレーヤーとして活躍。2005年にはユニバーシアード夏季大会(イズミル)の日本代表に選出され、全試合スタメン出場を果たし、チームの優勝に貢献した。 2006年に複数のJクラブのオファーから、サガン鳥栖に加入。ボランチとして活躍した。 2011年よりJ1昇格を目指す徳島ヴォルティスへ完全移籍。開幕スタメンをトップ下で飾った。 2013年は2度の負傷などもあり、出場は7試合にとどまった。 2015年シーズンをもって契約を満了、退団した。
山形 辰徳(やまがた たつのり、1983年10月4日 - )… 山形 辰徳(やまがた たつのり、1983年10月4日 - )は、福岡県北九州市若松区出身の元プロサッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。 元サッカー選手の山形恭平は実兄。 東福岡高校時代に衛藤裕、池元友樹、木本敬介らと共に参加した2001年のインターハイでは主将を務めた。 高校卒業後、2002年にアルビレックス新潟に入団。8月7日、J2第23節のモンテディオ山形戦で途中出場しプロデビュー。2003年4月20日、J2第7節の湘南ベルマーレ戦でプロ初ゴールを決めた。2004シーズンはアルビレックス新潟シンガポールに期限付き移籍した。 2005年、アビスパ福岡に移籍。2010シーズンは右サイドバックのレギュラーとして31試合に出場し、クラブのJ1昇格に大きく貢献した。
高橋 大輔(たかはし だいすけ、1983年9月18日 - )… 高橋 大輔(たかはし だいすけ、1983年9月18日 - )は、福岡県八女市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代の登録ポジションはミッドフィールダー。 実弟の高橋祐太郎も元プロサッカー選手。 2006年、福岡大学から大分トリニータに加入。フォワードとして入団したが、監督のペリクレス・シャムスカに右ウィングバックとして抜擢される。4月22日のJ1第9節・大宮アルディージャ戦でプロデビューを果たし、7月22日のJ1第14節・アルビレックス新潟戦では初得点を記録。2006年天皇杯でのザスパ草津戦にてハットトリックを達成した。 2007年シーズンは前年と同じ右WBというポジションながらチーム得点王、自己最高となるリーグ10得点(そのうち4得点はヴィッセル神戸戦で記録)を挙げるが、10月27日のJ1第30節鹿島アントラーズ戦で負傷、左ひざ内側側副じん帯を損傷[要出典]し、全治2カ月と診断されシーズンを終えた。
重光 貴葵(しげみつ たかき、1983年7月31日 - )は… 重光 貴葵(しげみつ たかき、1983年7月31日 - )は、福岡県出身の元サッカー選手。ポジションは、DF。
吉瀬 広志(きちせ ひろし、1983年7月10日 - )は、… 吉瀬 広志(きちせ ひろし、1983年7月10日 - )は、福岡県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。左サイドバック、センターバックの他、ボランチも務める。[要出典] 筑陽学園高校から2002年にコンサドーレ札幌へ入団。しかし、出場機会に恵まれず、2003年末には新居辰基とともにブラジル留学の話も持ち上がったが怪我のため断念。2004年は若手育成というチーム方針もあって[要出典]15試合に出場したが定位置確保には至らず、2005年は水戸ホーリーホックへ、さらに翌2006年はアルビレックス新潟シンガポールへと相次いで期限付き移籍した。アルビレックス新潟シンガポールでは開幕戦で左足首を骨折。
大西 容平(おおにし ようへい、1982年10月30日 - … 大西 容平(おおにし ようへい、1982年10月30日 - )は、岡山県出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF、FW。 FWから中盤まで多くのポジションをこなす。[要出典]2005年シーズンは全て途中起用で第4クールの4試合に出場、2006年シーズン第5節対アビスパ福岡戦で初の先発出場を果たす。2008シーズン、初ゴールを挙げるとその後は活躍をつづけ、シーズン終盤には2007年まで同チームに在籍していたFC岐阜の奈須伸也選手に「甲府は大西のチームになっている」と評価された。[要出典] 2010年シーズン終了をもって6年間プレーした甲府を離れ、2011年シーズンよりカターレ富山に完全移籍した。
真子 秀徳(まご ひでのり、1982年8月3日 - )は、福… 真子 秀徳(まご ひでのり、1982年8月3日 - )は、福岡県福岡市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー(GK)。 東福岡高校卒業後福岡教育大学に進学、卒業後2005年佐川急便大阪SCに加入。 2008年SAGAWA SHIGA FCを退団後、2009年からJ2に参入したファジアーノ岡山に移籍。岡山でのチームメートの廣永遼太郎は、真子のことを瞬発力抜群でカシージャスみたいなGKだと自身のブログに記している。2014年限りで現役を引退し、岡山の育成コーチに就任。
長野 聡(ながの さとし、1982年8月2日 - )は、福岡… 長野 聡(ながの さとし、1982年8月2日 - )は、福岡県みやこ町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー、フォワード。 2010年までディフェンダーとしてプレイしていたが、2011年よりフォワードにコンバートされる。しかし翌年からは本人の申し出によりディフェンダーに再転向した。 2013年からはタイのナコーンラーチャシーマーFCに所属。2012年シーズン8位だったチームに安定感もたらし、チームも5位と躍進した。2014年シーズンは、約1ヵ月間、週に2試合行う超過密日程もあった中で34試合中32試合に出場し、圧倒的な強さでタイディビジョン1優勝。国内1部リーグであるTPLへの昇格に大きく貢献。
永冨 裕也(ながとみ ゆうや、1982年7月30日 - )は… 永冨 裕也(ながとみ ゆうや、1982年7月30日 - )は、福岡県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。サッカー選手の永冨裕尚は弟。 福岡県北九州市出身。大学卒業後、当時JFL所属でJリーグ準加盟クラブであった愛媛FCに入団。ルーキーながらチーム最多得点となる10ゴールを記録し、愛媛FCのJFL優勝とJリーグ(J2)昇格に貢献。2006年末まで在籍。 2006年末のJリーグ合同トライアウトを経て、2007年はJFL所属のアローズ北陸に移籍。2008年に所属クラブがYKK APと合併し誕生したカターレ富山に加入。2009年にクラブがJリーグに昇格したことに伴い、再びJ2に復帰した。
田代 有三(たしろ ゆうぞう、1982年7月22日 - )は… 田代 有三(たしろ ゆうぞう、1982年7月22日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。 福岡大学時代は、大学No.1FWとの評価が高く、3年時に大分トリニータ、4年時にサガン鳥栖に特別指定選手として登録され計公式戦11試合に出場。2005年に鹿島アントラーズに加入。2006年から出場機会を増やし、2008年には巻誠一郎らの負傷により、東アジア選手権2008(中国・重慶)の追加メンバーで日本代表に初招集され、2月17日の北朝鮮戦で代表デビュー。2月20日の中国代表戦では、前半17分に駒野友一のクロスボールに反応し、潰れ役となる形で決勝点となる山瀬功治のゴールを生んだ。
川田 和宏(かわた かずひろ、1982年6月11日 - )は… 川田 和宏(かわた かずひろ、1982年6月11日 - )は、福岡県中間市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。 国見高校時代は3年時の2000年、松橋章太・大久保嘉人らとともにインターハイ、国体(この時の少年男子長崎県選抜チームの選手は全員が国見高校サッカー部から選出されていた)、選手権を優勝し、高校三冠を達成した。 福岡大学を経て、2005年に大分トリニータに加入。2007年にはガイナーレ鳥取、2008年には松本山雅に期限付き移籍をする。 2011年には秋田FCカンビアーレからブラウブリッツ秋田に期限付き移籍。移籍1年目より中心選手として活躍し、翌年完全移籍を果たす。
大久保 嘉人(おおくぼ よしと、1982年6月9日 - )は… 大久保 嘉人(おおくぼ よしと、1982年6月9日 - )は、福岡県京都郡苅田町出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。現在はタレントとして活動している。 史上初の3年連続Jリーグ得点王(2013年 - 2015年)であり、J1通算最多得点記録保持者(191得点)。 その他J1通算最多イエローカード記録(104枚)、レッドカード日本人1位(12枚)、J1通算最多シュート本数記録保持者(1141本)。J1リーグ戦3試合連続得点の日本人最年長記録保持者(38歳8カ月25日)。 幼少時は父親が購入したペレやディエゴ・マラドーナのビデオを繰り返し見たり、父親と一緒に釣りに行ったり野球に親しんでいた。
田上 渉(たがみ わたる、1982年5月7日 - )は、福岡… 田上 渉(たがみ わたる、1982年5月7日 - )は、福岡県北九州市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー (ボランチ)。 小学3年次よりサッカーを始める。大久保嘉人は小学生時代からの友人であり、後U-12福岡県トレセンチームでも共にプレーした。1995年大久保ともども長崎県に渡り、国見町立国見中学校へ入学。中学時代には九州選抜にも選ばれた。その後進学した長崎県立国見高等学校では2年生から試合に出場し、3年次に主将を務め、第35回全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会・2000年とやま国体サッカー競技・第79回全国高等学校サッカー選手権大会の3大会で優勝し三冠を経験した。後日本高等学校選抜チームに選出され、2001年4月開催のデュッセルドルフ国際ユースサッカー大会で大会3位の成績を修めた。
八田 康介(やつだ こうすけ、1982年3月17日 - )は… 八田 康介(やつだ こうすけ、1982年3月17日 - )は、福岡県大川市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(センターバック)。 小学校4年生の時にサッカーを始める。中学生時は隣県のJFLクラブ・鳥栖フューチャーズの下部組織でプレーした。1997年にスポーツ特待生として柳川高等学校に進学。目立った実績は挙げられなかったが、1999年には国体に出場し、Jリーグ・アビスパ福岡の強化指定選手として登録されたことで注目を集めた。 2000年、サンフレッチェ広島へ入団。プロ同期入団は、森崎和幸・浩司兄弟、駒野友一、松下裕樹、山形恭平、中山元気。高いポテンシャルを見せたが、公式戦ではそれを発揮できなかった。
中山 英樹(なかやま ひでき、1981年12月4日 - )は… 中山 英樹(なかやま ひでき、1981年12月4日 - )は、日本の元サッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。福岡県出身。
小井手 翔太(こいで しょうた、1981年9月29日 -)は… 小井手 翔太(こいで しょうた、1981年9月29日 -)は、福岡県出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。
山形 恭平(やまがた きょうへい、1981年9月7日 - )… 山形 恭平(やまがた きょうへい、1981年9月7日 - )は、福岡県北九州市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。現役引退後は地元の福岡で少年サッカースクールのコーチとして後進の指導にあたる。リーフラス株式会社所属。 実弟にアビスパ福岡でチームメイトだった山形辰徳。 二島小学校、二島中学校、東福岡高等学校卒業。高校1年次に高校三冠(インターハイ・全日本ユース選手権・高校選手権)を達成、1999年の全国高校選手権決勝で連覇を決めるハットトリックを決めている。 2000年に広島に入団するも、出場機会はほとんど得られず、広島から戦力外通告されたのち、2004年に福岡に練習生として加入。
奈良﨑 寛(ならざき ひろし、1981年6月1日 - )は、… 奈良﨑 寛(ならざき ひろし、1981年6月1日 - )は、日本の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。現在は、福岡大学サッカー部コンディショニングコーチを務めている。 2005年は、右サイドバックにコンバートされ、持ち前の俊足を活かした積極的な攻撃参加により活躍し、一時はスタメンの座を獲得した。しかし慣れない守備のためたびたび相手攻撃を許して失点に繋がることが多くなり、シーズン終盤には出場機会が大幅に減った。 2006年は、本来の攻撃的な位置で起用されたが、結果が残せず、オフに戦力外となった。 引退後は、サガン鳥栖の運営会社サガン・ドリームスの社員となり営業やサッカースクールのコーチとして活動した。
有光 亮太(ありみつ りょうた、1981年4月21日 - )… 有光 亮太(ありみつ りょうた、1981年4月21日 - )は、福岡県飯塚市の元サッカー選手。ポジションはFW。
吉田 賢太郎(よしだ けんたろう、1980年10月5日 - … 吉田 賢太郎(よしだ けんたろう、1980年10月5日 - )は、福岡県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィルダー、フォワード。現役引退後は、栃木SCコーチを経て、2016年、ベガルタ仙台アカデミーコーチに就任。
宮原 裕司(みやはら ゆうじ、1980年7月19日 - )は… 宮原 裕司(みやはら ゆうじ、1980年7月19日 - )は、福岡県北九州市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィルダー。 兄の影響で4歳からサッカーを始める。二島スポーツ少年団、北九州市立二島中学校では、同じ北九州市若松区出身で1歳上の本山雅志とともにプレーし、東福岡高校に進んだのも本山の存在があった。1997年、高校2年時に、インターハイ、全日本ユース選手権、高校選手権で優勝し、3冠を達成した。1999年1月、高校選手権で優勝し、連覇を達成した。 1999年、名古屋グランパスエイトに入団。チームの選手層の厚さとプロ入り前の怪我の影響もあって出場機会を得られず。2000年7月1日のJリーグ ディビジョン1 2ndステージ第2節ジュビロ磐田戦にて公式戦初出場。
千代反田 充(ちよたんだ みつる、1980年6月1日 - )… 千代反田 充(ちよたんだ みつる、1980年6月1日 - )は、福岡県福岡市南区出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(センターバック)。 東福岡高校2年生の時には、手島和希・本山雅志・古賀誠史・金古聖司らと共にインターハイ、全日本ユース選手権、高校選手権の制覇に貢献。高校サッカー史上初の3冠を経験した。 高校卒業後は筑波大学に進学。大学時代は関東選手権大会、関東大学サッカーリーグ優勝など、数々のタイトルを獲得した。2001年、全日本大学選抜に選出。2002年は全日本大学サッカー選手権大会に出場し、全日本大学サッカー選手権大会ベストDF賞を受賞した。 2003年、地元のアビスパ福岡に入団。
金古 聖司(かねこ せいじ、1980年5月27日 - )は、… 金古 聖司(かねこ せいじ、1980年5月27日 - )は、福岡県三潴郡(現:久留米市)出身の元サッカー選手。ポジションはセンターバック。 1997年、東福岡高校2年生の時に、史上初の高校3冠を達成。当時の東福岡には、本山雅志や古賀誠史、古賀大三などの豊富な攻撃陣に加え、金古と千代反田充という二人の2年生が守備を固めていた。そんな中、第76回全国高校選手権ではDFながら得点王を獲得し、高校サッカーの特集雑誌の記事では「スペースと人を同時にケアできる希有な才能を持つ国際級のDF」と、最高レベルの評価を受けた。高校3年時には、アジアユース選手権にレギュラーとして出場。その1ヶ月後に行われたアジア大会のU-21代表にも高校生ながら選出された。
富永 康博(とみなが やすひろ、1980年5月22日 - )… 富永 康博(とみなが やすひろ、1980年5月22日 - )は元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー(GK)。 東福岡高校出身で、金古聖司、千代反田充、宮原裕司らが同学年である。高校卒業後の1999年に名古屋グランパスエイトに入団。しかし、同年、日本代表GK・楢﨑正剛が移籍加入したこともあって、出場機会を掴むことができず、2001年にJFLのデンソーへ期限付き移籍。 シーズン途中に名古屋に復帰するが、結局、名古屋では1試合も出場できないまま2003年シーズン終了後に退団。サガン鳥栖への移籍が決定した。移籍初年度の2004年はシュナイダー潤之介とポジションを争ったが、2005年以降は出場機会が減少。
志垣 良(しがきりょう、1980年5月9日 - )は、福岡県… 志垣 良(しがきりょう、1980年5月9日 - )は、福岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 小学校1年からサッカーを始め、東福岡高校卒業後、イングランドへ渡った。高校時代の同級生には宮原裕司、金古聖司、千代反田充、富永康博らがいる。 2004年にBritish Councilが選んだイギリスに留学する生徒を対象とするInternational student awardsを受賞。2005年にリヴァプール・ジョン・ムーア大学サッカー科学学科卒業。留学中は、フットボールリーグ1(3部に相当)に所属するトレンメア・ローヴァーズFCの下部組織とマンチェスター・ユナイテッドFCのサッカースクールなどでコーチを務めた。
萩尾 麻衣子(はぎお まいこ、1979年12月26日 - )… 萩尾 麻衣子(はぎお まいこ、1979年12月26日 - )は、福岡県北九州市出身のサッカー審判員(元国際副審)。田辺三菱製薬勤務。 中学時代は放送部、北九州工業高等専門学校時代は陸上競技部(中距離専門)、編入学した筑波大学でも陸上競技部と、サッカーとは無縁な学生生活を送るが、筑波大学大学院進学時にサッカーに興味を持ち始める。2004年に修士課程を卒業後、茨城県神栖市で研究職の傍ら、地元のサッカー協会の紹介でサッカー審判員の資格取得を目指し、2006年までに女子2級審判員の資格を取得。関西に転居後の2011年11月20日付けで女子1級審判員の資格を取得した。 女子1級審判員資格取得後は国民体育大会やなでしこリーグで活動し、2015年に日本サッカー協会 (JFA) の推薦で国際サッカー連盟(FIFA)の国際審判員リストに登録された。
大坪 博和(おおつぼ ひろかず、1979年12月7日 - )… 大坪 博和(おおつぼ ひろかず、1979年12月7日 - )は、福岡県大川市出身のサッカー審判員、元サッカー選手。VARおよびAVAR担当審判員。現役時代のポジションはFW。 福山大学卒業後、2002年に当時日本フットボールリーグ (JFL) 所属だった大塚製薬(現・徳島ヴォルティス)に入団、2003年・2004年にはJFL連覇も経験した。2005年に佐川急便大阪SCに移籍するとエースストライカーとして18得点を挙げ、得点王となる。翌2006年、J2に昇格した愛媛FCに入団するが結果が残せず1年で退団となり、JFLの佐川印刷SCに移籍。佐川印刷では社業の傍らサッカーを続け、将来は指導者への道を模索していたが、Jリーグで審判員を務めていた上川徹に出会ったことで審判員の道を目指すことになる。
古賀 誠史(こが せいじ、1979年8月7日 - )は、福岡… 古賀 誠史(こが せいじ、1979年8月7日 - )は、福岡県大川市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。元サッカー選手の古賀正紘は実兄。 1996年全日本ユースサッカー選手権準優勝(2年生)。1997年インターハイ優勝。1997年全日本ユースサッカー選手権優勝。第76回全国高校サッカー選手権大会の優勝メンバー。 AFCユース選手権1998の日本代表としても活躍した。フィリップ・トルシエ監督就任後のユース代表にも選ばれていたが、1999 FIFAワールドユース選手権のメンバーには選ばれなかった。 高校卒業後、横浜マリノス(当時)に入団。1年目から出場機会は得ていたものの、守備に難があったことや負傷もあってレギュラー定着はならなかった。
本山 雅志(もとやま まさし、1979年6月20日 - )は… 本山 雅志(もとやま まさし、1979年6月20日 - )は、福岡県北九州市若松区出身の元プロサッカー選手。 現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。元日本代表。現鹿島アントラーズアカデミースカウト。 1979年6月20日、北九州市若松区で鮮魚店を営む一家に4人兄弟の末子として生まれる。3つ上の兄の影響で幼稚園の頃からサッカーを始め、地元の二島小学校に入学後1年生からサッカー少年団に所属、本格的に打ち込む。5年生の頃には、指導者から「お前は自由にやっていい。パスはやんないでどんどんドリブルで好きなように仕掛けろ」と言われていた。二島中学校時代には、1年後輩で後に高校の後輩にもなる宮原裕司、同じく2年後輩の山形恭平らと一緒だったが、全国大会には出場出来なかった。
手島 和希(てしま かずき、1979年6月7日 - )は、元… 手島 和希(てしま かずき、1979年6月7日 - )は、元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。 高校時代にキャプテンとしてインターハイ、全日本ユース選手権、高校選手権で優勝し、史上初の3冠を達成。大会優秀選手にも選出された。本山雅志と古賀誠史、古賀大三は同期、金古聖司、千代反田充、宮原裕司は1年後輩である。 1998年に横浜フリューゲルスに入団するがチームは1年で解散する。1999年には京都パープルサンガへ移籍。同年開催のワールドユースに出場し フラットスリーの中央CBとして活躍、チームの準優勝に貢献した。 2003年に日本代表に選出されるが、怪我やチーム状況から辞退し、最終的に国際Aマッチ出場には至らなかった。
吉岡 宏(よしおか ひろし、1979年4月17日 - )は、… 吉岡 宏(よしおか ひろし、1979年4月17日 - )は、福岡県出身のサッカー指導者。 大学時代までは選手としてプレー。母校の筑波大学蹴球部の監督などを経て、2008年水戸ホーリーホックのGKコーチに就任。2011年からは三浦泰年監督の下でギラヴァンツ北九州のGKコーチを務め、2013年に東京ヴェルディへ移った。2014年9月、三浦泰年とともに解任された。
古賀 正紘(こが まさひろ、1978年9月8日 - )は、福… 古賀 正紘(こが まさひろ、1978年9月8日 - )は、福岡県大川市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(センターバック)。元サッカー選手の古賀誠史は実弟。 高校時代、東福岡高校で第74回全国高校サッカー選手権ベスト4メンバー。1996年全日本ユース準優勝メンバー。 私立東福岡高等学校出身。高校1年まではフォワードだったが、その後対人プレーに強いストッパーとして成長し、当時のJリーグ全クラブから誘いを受ける。1997年に激しい争奪戦の末、名古屋グランパスエイトと契約。加入直後から主力として活躍するも、毎回契約更改時に評価を巡ってクラブ側と揉めるなど、年数を重ねるにつれクラブとの関係が悪化した。
星野 真悟(ほしの しんご、1978年5月2日 - )は、福… 星野 真悟(ほしの しんご、1978年5月2日 - )は、福岡県出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。
堤 健吾(つつみ けんご、1978年3月8日 - )は、大分… 堤 健吾(つつみ けんご、1978年3月8日 - )は、大分県出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 東福岡高校時代は山下芳輝、小島宏美(同期)、本山雅志(2年後輩)らと共にプレー。国士舘大学卒業後、当時北信越フットボールリーグ所属だったYKKに入団し、長らくセンターバックの一角として活躍した。 2008年に所属チームとアローズ北陸が合併し誕生したカターレ富山に加入し、チーム最年長選手としてJ昇格に貢献。Jリーグ(J2)に舞台を移した2009年も開幕からレギュラーとして起用された。 2010年は25試合に出場し、4月29日にはザスパ草津戦にてJリーグ初ゴールを決めた。 2011年1月14日、現役引退を発表した。
小島 宏美(こじま ひろみ、1977年12月12日 - )は… 小島 宏美(こじま ひろみ、1977年12月12日 - )は福岡県直方市出身の元サッカー選手である。ポジションはFW、MF(トップ下、ボランチ)。 高校時代は東福岡高校で山下芳輝とのコンビで活躍し、1996年にガンバ大阪に入団する。 1997年、この年のJリーグ得点王を獲得する事になるパトリック・エムボマや松波正信に次ぐFWの選手として徐々に試合に出場するようになる。 1998年は前年の得点王でクラブの上位進出に貢献したエムボマが退団、その後釜として期待されたアント・ドロブニャクがチームになかなかフィットしなかったため、レギュラーに定着。その年、34試合に出場して17得点という自己最高の記録を残す。
山下 芳輝(やました よしてる、1977年11月21日 - … 山下 芳輝(やました よしてる、1977年11月21日 - )は、福岡県福岡市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 福岡県福岡市出身で、東福岡高校サッカー部でプレー。当時の東福岡高校は志波芳則監督の指導で隆盛期にあり、山下が3年生として参加した1995年度の第74回高校選手権では小島宏美とのFWコンビでベスト4に進出した。同期には生津将司、西政治、1学年下に古賀正紘、2学年下に本山雅志・手島和希、古賀大三らがいる。 高校卒業後、山下は1996年にJリーグへ同年昇格したアビスパ福岡へ入団。地元出身の希望の星として注目され、開幕戦 でJリーグデビューを果たした。以後、下位に低迷する苦しいチーム事情の中、上野優作と2トップを組み、1997年のJ1参入決定戦では1回戦(J1参入決定予備戦)の川崎フロンターレ戦で後半途中から出場し、ロスタイムに同点ゴールを決め、クラブを2部(J2)降格の危機から救った。
柿本 倫明(かきもと みちあき、1977年10月6日 - )… 柿本 倫明(かきもと みちあき、1977年10月6日 - )は、福岡県京都郡みやこ町(旧犀川町)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード (FW)。 大阪体育大学在学中の1999年、ユニバーシアードマヨルカ大会で日本代表に選出され2ゴールをあげるなど活躍し、2000年、J1・アビスパ福岡へ入団。しかし、出場機会を得られないまま1年で戦力外通告を受け退団、シンガポールリーグのクレメンティー・カルサFCに移籍した。そこで29試合に出場し14得点と結果を出すと、福岡在籍時にサテライト監督を務めていた当時の大分トリニータ監督、小林伸二から声がかかり、2002年シーズンからJリーグに復帰。
西 政治(にし まさはる、1977年5月29日 - )は、福… 西 政治(にし まさはる、1977年5月29日 - )は、福岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 東福岡高校では1年よりレギュラーとなり、全国高等学校サッカー選手権大会にも出場した。第72回大会ベスト4。第74回大会ベスト4。1996年にアビスパ福岡に入団。また、U-20サッカー日本代表にも選出され、1997 FIFAワールドユース選手権に出場した。1999年に中京大学に進学して、在学中に教員免許を取得した。 2007年より京都先端科学大学(旧称:京都学園大学)の講師となり、併せて同大学サッカー部のコーチを務めている(後に監督に就任)。
生津 将司(いきつ しょうじ、1977年5月20日 - )は… 生津 将司(いきつ しょうじ、1977年5月20日 - )は、福岡県出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。 東福岡高校では、ボランチや攻撃的なMFとして活躍。同期には、小島宏美、山下芳輝、西政治らがいた。1年時と3年時には全国高校サッカー選手権でベスト4のメンバーだった。3年時には初戦から準決勝までP.Kキッカーであった。
有村 光史(ありむら こうじ、1976年8月25日 - )は… 有村 光史(ありむら こうじ、1976年8月25日 - )は、福岡県出身の元サッカー選手。現高校教諭及びサッカー指導者。現役時代の主なポジションはディフェンダー。 ロアッソ熊本の不動の左サイドバックとして活躍したが、2008年一杯で現役を引退した。 利き足は右足だが、選手時代は左のアウトサイドを主戦場としていた。調子の上下が激しいが、好調時は、前線へオーバーラップし、時には鋭いドリブルでペナルティエリアに侵入する。さらには、浅い位置からの正確なアーリークロスも得意とする選手であった。また、名古屋グランパスエイト時代には数試合のみだが、リベロを務めたこともある。引退後はサッカーコーチとしてロアッソ熊本に1年所属。
久保 竜彦(くぼ たつひこ、1976年6月18日 - )は、… 久保 竜彦(くぼ たつひこ、1976年6月18日 - )は、福岡県朝倉郡筑前町出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(センターフォワード)。元日本代表。 高い跳躍力とスピードを持つフォワード。 派手なプレースタイルとは裏腹に試合中以外は基本的に寡黙・謙虚で、どんな質問でも「よかったです」「嬉しかったです」などと答えることが多くインタビュアー泣かせだが、知名度が上昇するにつれ、その朴訥としたキャラクターも周囲に認知され人気の一因となった。 家族は妻との間に二女がいる。長女の久保柚季もサッカー選手で、日本女子サッカーリーグのアンジュヴィオレ広島に在籍経験がある。次女の久保杏夏はテニスプレイヤーである。
牧野 真二(まきの しんじ、1976年5月29日 - )は、… 牧野 真二(まきの しんじ、1976年5月29日 - )は、福岡県出身の元サッカー選手、現フットサル・ビーチサッカー選手、指導者。ビーチサッカー日本代表選手。ポジションはサッカーではミッドフィールダー、フットサル・ビーチサッカーではフィクソ。