中村 八大(なかむら はちだい、1931年1月20日 - 1… 中村 八大(なかむら はちだい、1931年1月20日 - 1992年6月10日)は、日本の作曲家、ジャズピアニスト。 『上を向いて歩こう』、『こんにちは赤ちゃん』、『遠くへ行きたい』、『明日があるさ』など、1950年代末から1960年代にかけての数々のヒット曲を作曲した。 兄の中村二大(1921年 - 生死不明)はクラリネット奏者。妹の夫は漫画家の寺田ヒロオ。 1931年、青島にて誕生。父親は青島の日本人学校で校長を務めており、自宅にはピアノや蓄音機、レコードなどがあるという恵まれた音楽環境であった。音楽的素養を認めた父の勧めで1940年春、小学4年生に進級すると同時に日本へ単身留学、新宿の国民学校へ転校。
福嶋 一雄(ふくしま かずお、1931年1月6日 - )は、… 福嶋 一雄(ふくしま かずお、1931年1月6日 - )は、日本の野球選手(投手)。1940年代から1950年代にかけてアマチュア野球でプレーした。
塚脇 伸作(つかわき しんさく、1931年1月3日 - 19… 塚脇 伸作(つかわき しんさく、1931年1月3日 - 1993年9月15日)は、福岡県大牟田市出身の元体操選手。1956年メルボルンオリンピック体操男子団体銀メダリスト。 三池中学校、福岡県立三池高等学校を経て、1953年東京教育大学体育学部卒業。東京都立新宿高等学校教諭、早稲田大学教育学部・人間科学部教授を歴任。 1956年(昭和31年)のメルボルンオリンピックに出場、団体で銀メダルを獲得、個人総合で12位、吊り輪7位、平行棒8位だった。1958年(昭和33年)の世界選手権団体で銀メダル、個人総合9位。全日本選手権で個人総合2位。1962年(昭和37年)欧州遠征監督、日ソ対抗コーチ、1963年(昭和38年)欧州遠征監督、1964年(昭和39年)欧州遠征コーチ、同年の東京オリンピック、1968年(昭和43年)のメキシコシティーオリンピック、1966年(昭和41年)世界選手権各チームリーダー、1970年(昭和45年)世界選手権、1972年(昭和47年)ミュンヘンオリンピック各審判員、1974年(昭和49年)世界選手権コーチ、1978年(昭和53年)アジア大会本部役員を務める。
品川 洋子(しながわ ひろこ、1931年 - )は、日本の教… 品川 洋子(しながわ ひろこ、1931年 - )は、日本の教育者。東京都出身。福岡県にて育つ。「女性校長の草分け的存在」と紹介されることがある。 1931年、東京府に生まれる。12歳のとき、戦時疎開で、現在の福岡県みやこ町へ移住。京都高等女学校(現・福岡県立京都高等学校)を経て、1953年に福岡学芸大学(現・福岡教育大学)中学校教育課程社会科を卒業する。 教職に就き、1992年に北九州市の公立中学校校長をもって定年退職する。同年より福岡教育大学教育学部講師となる。 2001年、九州産業大学大学院国際文化研究科国際文化専攻で修士号を取得した。 2002年、九州女子大学文学部教授を定年退職する。 2007年、北九州森鷗外記念会会長に就任。
藤井 哲(ふじい てつ、1931年 - 2011年3月21日… 藤井 哲(ふじい てつ、1931年 - 2011年3月21日) は、日本の機械工学者。九州大学名誉教授。元日本伝熱学会会長。元日本熱物性学会会長。 1931年、福岡県生まれ。1947年に福岡県立朝倉中学校(現福岡県立朝倉高等学校)を卒業。1950年、山口高等学校卒業。九州大学工学部機械工学科に進み、大学では山縣清に師事した。1953年に卒業。卒業後は九州大学大学院に進み、1956年に研究奨学生前期修了すると、電力中央研究所技術研究所研究員となった。 1960年、九州大学に『自由対流熱伝達に関する研究』を提出して工学博士の学位を取得。1961年、九州大学生産科学研究所助教授。1967年、九州大学生産科学研究所教授に昇進。
新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年1… 新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年11月21日)は、国際問題研究者、ジャーナリスト、政治活動家。 福岡市生まれ。九州大学に進み、1952年日本共産党に入党、1954年3月文学部(心理学)卒業。 同年長崎放送に記者として入社、ビキニ事件や1956年の第2回原水爆禁止世界大会の取材や番組制作もおこなった。 1961年赤旗編集局に入局。党中央機関紙編集委員、1973年准中央委員、1977年中央委員、1981年幹部会委員等を経て、1994年-2000年、常任幹部会員を務めた。この間、平和問題対策委員会責任者、国際委員会責任者、書記局員などを併任した。 非核の政府を求める会世話人、日本平和委員会理事。
寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985… 寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985年10月23日)は、洋画家。福岡県福岡市出身。西南学院大学卒業。明るい原色がうねる生命力あふれる抽象画を描いた。 1951年(昭和26年)二科展初入選。1959年(昭和34年)二科特選。その後会友となるが、1977年(昭和52年)退会。 一時期、西南学院中学校の美術担当講師をつとめ、1950年代谷川雁らの文学運動“サークル村”に参加。「午前」同人。食通で、西日本新聞に「昭和一ケタのくいしんぼ日記」「エカキの小休止」を連載するなど、随筆やテレビで幅広く活動。またがん手術の体験記「直腸切断」を出版。 長男は造形作家の寺田太郎、次男はTHE GOGGLESのギタリストでアトリエてらたの店主である瀬下黄太。
高岩 淡(たかいわ たん、1930年11月13日 - )は、… 高岩 淡(たかいわ たん、1930年11月13日 - )は、日本の映画プロデューサー、実業家。東映代表取締役社長、会長、相談役を歴任した。
水尾 比呂志(みずお ひろし、本名・博、1930年11月7日… 水尾 比呂志(みずお ひろし、本名・博、1930年11月7日 - 2022年1月3日)は、日本の美術史家、民藝運動家、武蔵野美術大学名誉教授・元学長。 大阪府出身。高校時代から詩を書き、詩誌「櫂」同人。柳宗悦に師事し、旧制福岡高等学校を経て東京大学文学部卒業、1955年(昭和30年)同大学院美術史学科修士課程修了。舞台・放送作家でもあった。 日本民藝館館員を経て、1963年(昭和38年)武蔵野美術大学助教授、1970年(昭和40年)に教授、1986年(昭和61年)学長、1994年(平成6年)退任し名誉教授。2003年(平成15年)5月に日本民藝協会会長(2011年6月まで)。講師として晩年まで、毎年各地で行われた日本民藝協会の全国大会・講座、また柳宗悦をめぐる講演・シンポジウムに多く参加していた。
清水 晃(しみず ひかる、1930年11月5日 - 2016… 清水 晃(しみず ひかる、1930年11月5日 - 2016年7月20日)は、日本の経営者。西日本新聞社社長を務めた。 福岡県田川市出身。1954年に九州大学法学部を卒業し、同年に西日本新聞社に入社。1985年に取締役に就任し、1987年に常務、1989年6月に専務を経て、1995年6月に社長に就任。2001年6月に会長に就任し、2007年6月から1年間相談役を務めた。 テレビ西日本会長、共同通信社理事なども歴任。 2016年7月20日心不全のために死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
石田 比呂志(いしだ ひろし、1930年10月27日 - 2… 石田 比呂志(いしだ ひろし、1930年10月27日 - 2011年2月24日)は、日本の歌人。福岡県出身。本名は裕志。 福岡県京都郡小波瀬村二崎(現苅田町)に父嘉平次、母清香の長男として生まれる。1944年、福岡県立豊津中学校(旧制)を素行不良によって退学処分となる。1945年、国家総動員法によって筑豊の炭鉱に徴用されて採炭に従事させられる。乙種飛行練習生(海軍)に合格するも8月敗戦。 1946年、石川啄木の『一握の砂』を読んで歌人を志す。水道工事人夫、キャバレーの支配人など40以上の職を転々とする。1954年、山口県宇部市の土方飯場からの投稿歌が「毎日歌壇」(窪田空穂選)に採用され、自作が初めて活字となる。
河野 昭修(こうの あきのぶ、1930年8月22日 - 20… 河野 昭修(こうの あきのぶ、1930年8月22日 - 2011年8月8日)は、福岡県出身のプロ野球選手(内野手)。
柏木 駿(かしわぎ たかし、1930年6月23日 - )は、… 柏木 駿(かしわぎ たかし、1930年6月23日 - )は、日本の法学者。専門は経済法。 大阪府泉北郡北上神村(現・堺市西区)に生まれる。1950年福岡県立修猷館高等学校を経て、1954年九州大学法学部法律学科を卒業。1956年九州大学大学院法学研究科修士課程(私法学専攻)を修了、1959年同博士課程を満了退学。 1961年4月九州大学法学部助手を経て、同年11月名城大学法商学部法学科専任講師(労働法担当)に転じ、1963年11月法商学部が分離した法学部の助教授となる。1969年4月同教授(経済法担当)に就任。1975年4月同大学院法学研究科修士課程で英米法、1978年4月社会法を担当。1985年4月同博士課程で社会法を担当。
原 勝彦(はら かつひこ、1930年6月3日 - )は、福岡… 原 勝彦(はら かつひこ、1930年6月3日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(捕手)。
川崎 浹(かわさき とおる、1930年5月5日 - )は、日… 川崎 浹(かわさき とおる、1930年5月5日 - )は、日本のロシア文学者、著述家。早稲田大学名誉教授。 福岡県に生まれる。1948年福岡県中学修猷館、1954年早稲田大学第一文学部露文学科卒業、1964年同大学大学院文学研究科露文学専攻博士課程単位取得満期退学。同年同大学教育学部非常勤講師となり、1965年同大学第一、第二文学部、法学部非常勤講師、1967年同大学教育学部専任講師、1970年同大学教育学部助教授。1971年9月から1973年3月にかけてパリ大学・早稲田大学交換制度による在外研究の後、1974年早稲田大学大学院文学部露文学専攻を兼担。1975年同大学教育学部教授に就任。1984年9月から1985年7月にかけてモスクワ大学・早稲田大学交換制度による在外研究を行う。
松永 伍一(まつなが ごいち、1930年4月22日 - 20… 松永 伍一(まつなが ごいち、1930年4月22日 - 2008年3月3日)は、日本の詩人、文学・美術関係の評論家、作家。 福岡県大木町出身。福岡県立八女高等学校卒。詩人の丸山豊と出会い、詩誌「母音」に参加した。中学教師を経て、1957年に上京して文筆活動に入る。1955年に詩集を刊行し、農民や切支丹、落人などの敗者や弱者への共感を叙情的に歌い上げる作風で知られる。このほか、児童文学、美術関係の評論、いわさきちひろの画集編纂、五木寛之との対談、小説など多岐にわたる著述を残した。子守歌の研究でも知られた。1970年『日本農民詩史』で毎日出版文化賞特別賞を受賞した。 2008年3月3日午前0時7分、心不全のため東京都練馬区の病院で死去。
多田 智満子(ただ ちまこ、1930年4月1日 - 2003… 多田 智満子(ただ ちまこ、1930年4月1日 - 2003年1月23日)は、日本の詩人・随筆家・翻訳家・フランス文学者。福岡県福岡市の博多(現・博多区)出身。本名、加藤智満子。 銀行員だった父の転勤に伴い、幼少期を京都、東京などで過ごす。小学校5、6年で『プルタルコス英雄伝』や『平家物語』を愛読し、15歳で滋賀県愛知川沿いに戦争疎開した際にプラトン、エピクテトス、セネカなどを携えるなど、少女時代から異才を放っていた。また、謡曲や歌舞伎にも親しんだ。桜蔭高等女学校を卒業後、東京女子大学外国語科で学び、矢川澄子と親交を結ぶ。卒業後に慶應義塾大学文学部英文科に編入学するも、結核に罹り半年間休学。病床での思索が自らの文学的出発点となった。
大野 正隆(おおの まさたか、1930年3月31日 - )は… 大野 正隆(おおの まさたか、1930年3月31日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球審判員(パシフィック・リーグ)。 1947年福岡県中学修猷館を卒業。在学中は野球部に所属し、同期には、同じくパ・リーグ審判員となる吉田正雄、名古屋ドラゴンズ(現・中日ドラゴンズ)内野手の菅野武雄、一年後輩には、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の内野手として黄金期を支えた河野昭修がいる。その後、福岡第一師範学校(現・福岡教育大学)本科を卒業し、福岡県の公立学校の教員となる。 1959年、福岡県高野連・九州六大学・社会人野球の審判員を経て、菅野武雄からプロ野球審判員になることを勧められたことにより、1961年に教員を退職し、パ・リーグ審判員に就任。
権藤 恒夫(ごんどう つねお、1930年〈昭和5年〉3月23… 権藤 恒夫(ごんどう つねお、1930年〈昭和5年〉3月23日 - 2001年〈平成13年〉5月29日)は、日本の政治家。 福岡県議会議員(2期)、衆議院議員(7期)、公明党国会対策委員長などを歴任した。 福岡県出身。専売公社で働きながら、1957年に夜学を卒業。1955年に創価学会に入会し、九州青年部長を経験。1963年より福岡市議会議員、1967年より福岡県議会議員(2期)を務め、1976年の第34回衆議院議員総選挙で公明党から初当選。 1985年、公明党国会対策委員長の大久保直彦の公明党副書記長就任にともない、後任の公明党国会対策委員長に就任する。 1986年12月、竹入義勝が公明党委員長を退任することにともない、公明党国会対策委員長を退任する。
大潮 英雄(おおしお えいお、1930年3月11日 - 没年… 大潮 英雄(おおしお えいお、1930年3月11日 - 没年不明)は、陸奥部屋に所属した元力士。本名は廣松 英夫(ひろまつ えいお)。現在の福岡県柳川市出身。176cm、79kg。最高位は東十両9枚目。得意技は左四つ、上手投げ。 1948年5月場所に初土俵、1956年3月場所に十両昇進し連続8場所務めた。1958年1月場所限りで廃業。
菅野 武雄(かんの たけお、1930年3月7日 - )は、福… 菅野 武雄(かんの たけお、1930年3月7日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。 修猷館中学から1948年に明治大学に入学。主に守備固めとして活躍した。同期には樽井清一、加藤一昭などがいる。 明大OBである天知俊一の誘いで、木下育彦とともに1951年に名古屋ドラゴンズに入団。しかし児玉利一の壁を崩せず、1952年限りで退団。 その後は、東海電通でプレーした。
高石 邦男(たかいし くにお、1930年(昭和5年)3月3日… 高石 邦男(たかいし くにお、1930年(昭和5年)3月3日 - 2021年(令和3年)1月3日)は、日本の官僚。元文部事務次官。福田淳一元財務事務次官は娘婿。 福岡県生まれ。福岡県立伝習館高等学校を経て、1953年に九州大学法学部卒業、同大学院法学研究科修了。 1989年リクルート事件に関する収賄罪容疑で逮捕。2002年最高裁判所で、「積極的な便宜供与行為をしていなかったとしても,文部省が私人の事業の遂行に不利益となるような行政措置を採らずにいたことに対する謝礼等の趣旨で利益を収受したときは、収賄罪における職務関連性が認められる。 」として懲役2年6月、執行猶予4年、追徴金2270万円が確定。
桑原 潤(くわはら じゅん、1930年3月1日 - 2003… 桑原 潤(くわはら じゅん、1930年3月1日 - 2003年2月26日)は、日本の実業家。ヤクルト本社社長、ヤクルトスワローズのオーナーを務めた。 熊本県出身(出生地は福岡県大牟田市)。三池高校、熊本大学工学部を卒業後、ヤクルト本社に入社。副社長時代の1987年7月に社長の松園尚巳が病に倒れると本社の業務を任され、1988年4月にヤクルト本社社長に就任した。 ヤクルトはプロ野球球団(ヤクルトスワローズ)を保有しており、松園がオーナーを務めていたが、球団については球団社長の相馬和夫がオーナー代行を兼任する形で運営を任されており、当初は桑原は球団運営には関わっていなかった。ところが自身が他球団のオーナーであるにもかかわらず大の巨人ファンとして有名だった松園は、この年に長嶋茂雄の息子・一茂の獲得に成功していたこともあり、一刻も早く長嶋監督就任を実現しようと、まだリーグ優勝チームすら決まっていないシーズン途中の10月3日に、桑原に命令して記者会見を開かせ、現監督関根潤三の任期中にもかかわらず(1989年までの3年契約)、現場の相馬の頭越しに「長嶋氏に来年度からの監督就任をお願いする」と表明させ、翌日には相馬が慌ててこれを取消す事態に発展した。
中村 爲昭(なかむら ためあき、1930年2月5日 - )は… 中村 爲昭(なかむら ためあき、1930年2月5日 - )は、日本の経営者。住友金属工業社長を務めた。 福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)出身。1947年に旧制小倉中学校卒業。熊本大学工学部を経て、1955年に京都大学大学院工学部を修了し、同年に住友金属工業に入社。 小倉製鉄所所長、取締役、常務、鹿島製鉄所所長、専務を経て、1992年6月から1996年6月までに社長を務め、1996年6月から1998年6月までに副会長を務めた。社長在任時には、円高に対応して、人員削減を中心としたリストラを実施した。また、鹿島製鉄所所長在任時には新宮康男とともに住友金属工業蹴球団をJリーグに参加するために地域自治体への陳情活動を行っていた。
川崎 洋(かわさき ひろし、1930年1月26日 - 200… 川崎 洋(かわさき ひろし、1930年1月26日 - 2004年10月21日)は、日本の詩人、放送作家。東京都出身。 茨木のり子と「櫂」を創刊。明るい存在感溢れる詩風で、戦後詩に新鮮な叙情詩の世界を開いた。作品に詩集『はくちょう』(1955年)、『食物小屋』(1980年)、放送詩劇『魚と走る時』(1956年)など。 名前の洋は、『詩経』の「河川洋々」から取って、母方の祖父が名付けた。1944年福岡県八女郡に疎開。福岡県立八女中学校(現:福岡県立八女高等学校)卒業、父が急死した1951年に西南学院専門学校英文科(現:西南学院大学)中退。上京後は横須賀の米軍キャンプなどに勤務した。 1948年頃より詩作を始め、1953年5月茨木のり子と詩誌「櫂」を創刊。
秋吉 久紀夫(あきよし くきお、1930年1月7日 - )は… 秋吉 久紀夫(あきよし くきお、1930年1月7日 - )は、日本の詩人・中国文学者。九州大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。本名・勝廣。九州大学文学部卒。1977年「近代中国における文学運動の展開」で九大文学博士。近畿大学第二教養部(福岡)助教授、福岡女子大学教授、九大文学部教授。1993年定年退官、名誉教授。1993年翻訳特別功労賞(日本翻訳家協会)。1998年福岡県詩人会特別賞。2001年第一回詩界賞(日本詩人クラブ)。2011年福岡県詩人会先達詩人顕彰。
高田 駒次郎(たかだ こまじろう、1930年1月3日 -19… 高田 駒次郎(たかだ こまじろう、1930年1月3日 -1992年9月18日)は、日本の会計学者、西南学院大学教授。福岡県太宰府市に生まれる。 その他、九州六大学野球連盟理事・理事長を歴任。全日本大学野球連盟評議員。
岡 照雄(おか てるお、1930年1月2日 - 2024年6… 岡 照雄(おか てるお、1930年1月2日 - 2024年6月26日)は、日本の英文学者。京都大学名誉教授、福岡女子大学名誉教授。専門は18世紀イギリス文学。 福岡市生まれ。福岡県立修猷館高等学校を経て、1953年京都大学文学部卒業。大阪市立大学講師、助教授、京大教養部助教授、文学部助教授、1979年教授、1990年学部長、1993年定年退官、名誉教授、県立福岡女子大学学長、名誉教授。2008年、瑞宝中綬章受章。2024年6月26日死去。叙正四位。
織坂 幸治(おざか こうじ、1930年1月1日 - )は、日… 織坂 幸治(おざか こうじ、1930年1月1日 - )は、日本の詩人。本名・中村靖 福岡中学(現・福岡県立福岡高等学校)に入学後、最後の海軍予科練生として15歳で終戦を迎える。福岡中学4年生に復学し卒業。西南学院大学中退後、映画会社、電通を経て、1974年(昭和49年)コピーライターを辞め喫茶店主に。会社員の時から詩集の発行を手掛け、詩人としても活動。1987年(昭和62年)文芸同人誌「海」の編集責任者となる。1991年(平成3年)から同誌に評論「言語風景論」を執筆。2003年(平成15年)一行詩一行句集「詩句発句」を刊行。1995年(平成7年)に福岡市文学賞受賞。
中山 和久(なかやま かずひさ、1930年1月 - 2016… 中山 和久(なかやま かずひさ、1930年1月 - 2016年11月24日)は、日本の法学者。早稲田大学名誉教授。専門は労働法。
秋山 余思(あきやま よし、1929年11月7日 - 200… 秋山 余思(あきやま よし、1929年11月7日 - 2006年5月14日)は、日本のイタリア語学者。元東京外国語大学外国語学部教授。元イタリア学会会長。 1929年、ドイツ文学者の秋山六郎兵衛の次男として父の赴任地であった福岡県で生まれた。福岡県中学修猷館を経て、1954年、東京外国語大学イタリア語学科を卒業。1956年京都大学大学院文学研究科修士課程を修了。イタリア政府奨学生としてミラノ大学文哲学部に留学した。 帰国後、1965年に京都大学文学部助手となる。その後、京都外国語大学講師、1972年に東京外国語大学助教授、1975年に同教授に昇進。学界では、1990年から1992年までイタリア学会会長を務めた。
久野 浩平(ひさの こうへい、1929年11月2日 - 20… 久野 浩平(ひさの こうへい、1929年11月2日 - 2010年1月1日)は、日本のテレビドラマおよびラジオドラマの演出家、ディレクター。福岡県北九州市出身。 九州大学卒業後、ラジオ九州(現:RKB毎日放送)に入社し、ラジオドラマのディレクターとして活躍。『魚と走る時』などを担当した。また、『中村一郎』で、劇作家として駆け出しだった寺山修司を見出した人物でもある。 その後、テレビドラマでも活躍し、特に「東芝日曜劇場」や「近鉄金曜劇場」など、TBS系列に全国放送されたRKB制作の単発ドラマを数多く演出。『死ぬほど逢いたい』、『ひとりっ子』(放送中止)、『山ほととぎす ほしいまま』、『海より深き』、『目撃者』といったテレビ創生期の名作を生み出した。
神崎 昌久(こうざき まさひさ、1929年10月12日 - … 神崎 昌久(こうざき まさひさ、1929年10月12日 - 2019年10月7日)は、日本の経営者。中山製鋼所社長を務めた。 福岡県行橋市出身。1954年に九州工業大学工学部機械工学科を卒業し、同年に富士製鉄(のちの新日本製鐵)に入社。1985年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1993年6月に副社長、1995年6月に常任顧問を経て、1997年3月に中山製鋼所最高顧問に就任し、同年6月には社長に昇格。2006年6月には取締役相談役に就任。 2019年10月7日に心不全のために死去。89歳没。
椎窓 猛(しいまど たけし、1929年9月28日 - 202… 椎窓 猛(しいまど たけし、1929年9月28日 - 2022年1月27日)は、日本の詩人・作家。 福岡県生まれ。父均の小学校教師勤務の都合、矢部村、日出小へ転校後、1942年県立八女中学へ。そのあと福岡第一師範学校本科卒業、小学校教師として勤務、この間、福岡教育センター歌はじめ、福岡県下幼稚園、小、中、高校あわせて15校の校歌も作詞。詩、童話、小説などの創作活動も行う。矢部村教育長時代、“ふるさと創生”の一部を基に「世界子ども愛樹祭コンクール」を創始、回を重ね、のち特別相談役。福岡県詩人会会員。「九州文学」同人。
簑原 宏(みのはら ひろし、1929年9月25日 - 199… 簑原 宏(みのはら ひろし、1929年9月25日 - 1999年12月28日)は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。 旧制福岡県筑紫中学校から西日本鉄道、国鉄志免鉱業所を経て、1950年に南海ホークスへ入団。1年目からいきなり中堅手のレギュラーポジションを獲得し、1番打者として活躍。翌年以降も笠原和夫が不調の際には代わりを頼まれるなど南海の主力打者として3度のリーグ優勝を経験した。 1955年に東映フライヤーズへ移籍。4番打者として活躍した。1956年も4番打者として活躍するが、この年に引退した。 引退後は九州朝日放送やRKB毎日放送で長きにわたって野球解説者を務めた。 1999年12月28日に心筋梗塞のため死去(享年70歳)。
中西 睦(なかにし ちかし、1929年(昭和4年)6月13日… 中西 睦(なかにし ちかし、1929年(昭和4年)6月13日 - 1995年(平成7年)12月9日)は、日本の経済学者、元早稲田大学商学部教授。交通経済学専攻。 福岡県北九州市出身。早稲田大学商学部卒、早稲田大学大学院商学研究科修了。早稲田大学助教授を経て教授に就任。他に、港湾審議会委員(1973年~)、運輸政策審議会委員(1980年~)などの要職を歴任した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
藤田 吉香(ふじた よしか、1929年(昭和4年2月16日)… 藤田 吉香(ふじた よしか、1929年(昭和4年2月16日)- 1999年(平成11年5月25日))は、福岡県久留米市櫛原町生まれの洋画家。 県立中学明善校(現福岡県立明善高等学校)卒 九州大学工学部造船科(専門部)卒 (1948年) 松田塾にて松田実に洋画の指導を受ける(1949年) 東京芸術大学美術学部芸術学科卒(1955年) スペインの王立サン・フェルナンド美術アカデミーヘ留学(1962年-1966年) 国画会会員。京都造形芸術大学名誉教授。群を抜く描写力と清澄な色彩で「静」でありながら、圧倒する存在感をもつ静物画が多数。また、中央にモチーフを配し単色の背景というシンプルな画面構成であり、抽象画的な感覚も持ちあわせながらも、古典的な技法にもすぐれ各所でその力量を窺うことができる。
岩佐 幹三(いわさ みきそう、1929年1月28日 - 20… 岩佐 幹三(いわさ みきそう、1929年1月28日 - 2020年9月7日)は 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)顧問で、金沢大学名誉教授。 福岡県福岡市出身。富士見町 (広島市)修道中学校在学中であった1945年(昭和20年)8月6日16歳の時、爆心地から1・2キロの広島市富士見町(現同市中区)の自宅の庭で被爆し、母と妹を亡くして「原爆孤児」となった。 1960年に石川県原爆被災者友の会を設立。金沢大学で法学部長を務めた後、2000年から日本原水爆被害者団体協議会]の事務局次長、11年から代表委員、17年から顧問を務め、被爆者救済などに取り組んだ。 2016年には、オバマ米大統領(当時)の広島訪問に立ち会った。
村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年(昭和4年)1月1… 村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年(昭和4年)1月17日 - 2002年(平成14年)6月13日)は、日本の演歌歌手、俳優。佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)出身。出生は福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)である。本名:梶山 勇。血液型はAB型。新栄プロダクションに所属していた。愛称は、ムッチー。 浪曲で鍛え上げた歌声と男らしい風貌、世界観を持ち味に、戦後歌謡界の黄金期をリードした演歌界を代表する歌手の一人である。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)に、二代目広沢虎吉の弟子であった実父・広沢仙遊(本名・近藤官七)、やはり浪曲師であった実母・矢野ツタ子の子として生まれる。生後まもなくツタ子の姉弟子である出利葉スミ子の養子となる。
下川 辰平(しもかわ たっぺい、本名;下川 辰典<しも… 下川 辰平(しもかわ たっぺい、本名;下川 辰典<しもかわ ときふみ>、1928年12月11日 - 2004年3月25日)は、日本の俳優。福岡県福岡市出身。武蔵野美術大学中退。
禿河 徹映(とくがわ てつえい、1928年10月13日 - … 禿河 徹映(とくがわ てつえい、1928年10月13日 - )は日本の大蔵官僚。 北九州市出身。1952年、東京大学法学部卒業後、大蔵省に入省。 1974年大臣官房秘書課長、1977年主計局次長、1980年経済企画庁官房長、1981年証券局長。内閣官房内閣審議室長をへて、総理府次長、1985年退官。国民金融公庫副総裁、日本証券業協会副会長。事務次官候補だったが総理府に転じた。同期には越智通雄、福田幸弘などがいる。1950年組、51年組、53年組の影響もあってか事務次官は出ていない。
西園 昌久(にしぞの まさひさ、1928年9月25日 - 2… 西園 昌久(にしぞの まさひさ、1928年9月25日 - 2022年4月19日)は、日本の医学者・精神科医。福岡大学名誉教授。学位は、医学博士(論文博士・1959年)(学位論文「神経症に関する臨床的研究」)。 福岡県生まれ。1953年九州大学医学部卒業。1959年論文「神経症に関する臨床的研究」で医学博士の学位の取得。 1971年九州大学医学部助教授。1973年福岡大学医学部教授。医学部学部長。1993-2001年WHO協力センター(福岡大学)所長。1999年定年退任、名誉教授。 1999年、福岡市博多区に心理社会的精神医学研究所を開設して活動の拠点としたが、2019年に自ら閉鎖。 長いキャリアの間に、日本精神神経学会、日本精神分析学会、西太平洋地域医学教育連合、環太平洋精神科医会議、アジア児童思春期精神医学会、多文化間精神医学会、日本精神分析協会の会長などを歴任した。
村上 尚文(むらかみ なおふみ、1928年9月17日 - 2… 村上 尚文(むらかみ なおふみ、1928年9月17日 - 2000年12月25日)は、日本の検察官。広島高等検察庁検事長などを務めた。位階は正三位。勲等は勲二等。 福岡県北九州市出身。1952年東京大学法学部卒業。大学3年の在学中に司法試験合格を果たす。 著書は約30冊におよび、警察官向けのテキストが多く、中には東京地方検察庁特別捜査部長などを歴任した河上和雄や藤永幸治との分担執筆や共著の書籍もある。 元最高裁判所裁判官である団藤重光を支持する。 1998年、勲二等旭日重光章を受章。2000年12月25日、肝臓疾患のため死去。 刑法を研究する。刑事責任について、精神科医に精神医学は未知の分野であることを告げられ、また、道路交通の実務体験では、目撃証言や裁判官の見解次第で過失か否かが次々と覆ることなどから、責任能力や過失については運が良いか悪いかが決め手であるとし、これを「運天主義」と呼んだ。
髙松 康生(たかまつ やすお、1928年9月12日 - 20… 髙松 康生(たかまつ やすお、1928年9月12日 - 2019年9月29日)は、日本の流体工学者。九州大学名誉教授。元有明工業高等専門学校校長。元久留米工業大学学長。 福岡県福岡市出身。福岡県中学修猷館を経て、1958年九州大学大学院修了。1962年九州大学より工学博士の学位を取得。九州大学助手、九州大学講師、九州大学助教授を経て、1972年九州大学教授に昇格。1988年から九州大学工学部長を務め、ベビーブーム期の学生への対応を行うなどした。1992年有明工業高等専門学校校長。1998年久留米工業大学学長。2001年勲二等瑞宝章受章。2019年9月29日、福岡市城南区の病院で急性肺炎のため死去。
柴田 睦夫(しばた むつお、1928年7月28日 - 201… 柴田 睦夫(しばた むつお、1928年7月28日 - 2013年4月26日)は日本の弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、通算5期)。元静岡第一テレビアナウンサーの柴田将平と元NHK福岡放送局キャスターの柴田文子は孫にあたる。 福岡県三井郡立石村(現・小郡市)出身。福岡県立朝倉中学校2年で大阪の陸軍幼年学校に転入、旧制福岡高校、東京大学法学部政治学科卒業後、厚生省勤務を経て、1954年弁護士を開業、東京合同法律事務所に入る。弁護士時代は自由法曹団に所属し、松川事件や藤本事件などの弁護団に加わった。この間、1956年には千葉市中央区に柴田睦夫法律事務所を開設、同法律事務所は後に千葉第一法律事務所と名を変え、現在に至る。
阿武 聰信(あんの としのぶ、1928年7月25日 - 没年… 阿武 聰信(あんの としのぶ、1928年7月25日 - 没年不詳)は、日本の構造化学者。 福岡市中央区に生まれる。1945年3月福岡県中学修猷館、1948年3月旧制福岡高等学校を経て、1951年3月九州大学理学部化学科卒業。1955年3月同大学大学院研究奨学生修了。 1955年4月九州大学講師に採用され、1959年9月から1961年10月まで分子の電子構造研究のためイギリスに出張、その間1959年10月理学博士の学位を取得。1962年5月九州大学助教授、1962年6月から同年9月までパラベンゾキノンの振動スペクトルの研究のためアメリカ合衆国に出張、1963年6月から同年10月までパラベンゾキノンの電子構造の研究のためアメリカ合衆国に出張。
案納 勝(あんのう まさる、1928年〈昭和3年〉7月16日… 案納 勝(あんのう まさる、1928年〈昭和3年〉7月16日 - )は、日本の政治家。日本社会党に所属し、参議院議員(1期)を務めた。 福岡県久留米市生まれ。1945年(昭和20年)、旧制久留米商業学校(現久留米市立久留米商業高等学校)を卒業した。1946年(昭和21年)、拓殖大学専門部経営科を卒業した。同年、郵政省福岡貯金局に入省した。1972年(昭和47年)に退職した。 1974年(昭和49年)の第10回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。1期務める。在任中は、決算委員会委員などを務めた。 1980年(昭和55年)6月の第12回通常選挙にも立候補の予定であったが、病気を理由に公認を取り消された。
森 禮子(もり れいこ 1928年7月7日 - 2014年3… 森 禮子(もり れいこ 1928年7月7日 - 2014年3月28日)は小説家・劇作家。芥川賞作家。 クリスチャンで独身。福岡市大円寺町(現・唐人町)生まれ。福岡県立福岡高等女学校(現・福岡県立福岡中央高等学校)卒業。1947年、西南学院バプテスト教会にて受浸(バプテスマ)。1949年まで西南学院大学図書館に勤務。 1950年、第3期九州文学に参加し、処女作『レエヌのある風景』を発表。NHK福岡放送局作家グループのメンバーとなり、放送作家としても活動する。27歳の時に上京して『文芸首都』に入り、北杜夫、なだいなだ、佐藤愛子らと交際。小説「鎮魂曲」が「婦人朝日」の懸賞小説に入選。1963年、「未完のカルテ」で女流新人賞次席。
正宗 悟(まさむね さとる、1928年7月4日 - 2003… 正宗 悟(まさむね さとる、1928年7月4日 - 2003年11月9日)は、日本出身のアメリカ合衆国の生化学者。マサチューセッツ工科大学名誉教授。専門は生化学。ロバート・バーグマンとともに正宗・バーグマン環化を発見した。 福岡市出身。旧制仙台第二中学校(現・宮城県仙台第二高等学校)を経て、1952年東北大学卒業。フルブライト奨学金でカリフォルニア大学バークレー校に留学し、1957年にPh.D.を取得。ウィスコンシン大学で博士研究員となった後、メロン工業所(現・カーネギーメロン大学)で研究員として勤務する。1964年アルバータ大学に移り、1967年に教授に昇進した。1978年にマサチューセッツ工科大学の教授となり、多くの有機化学者を育てた。
中野 達雄(なかの たつお、1928年6月8日 - 2002… 中野 達雄(なかの たつお、1928年6月8日 - 2002年6月11日)は、よみうりテレビ社長・会長。福岡県出身。