田中 濯(1976年 - )は、歌人。福岡県福岡市出身。 福… 田中 濯(1976年 - )は、歌人。福岡県福岡市出身。 福岡県立筑紫丘高等学校、京都大学農学部卒業。「塔」所属。2007年に作品「フォトグラフ」で第18回歌壇賞次席、作品「プラットホーム」で第53回角川短歌賞佳作。2011年、第1歌集『地球光』で第17回日本歌人クラブ新人賞を受賞。
福岡県:20人
田中 濯(1976年 - )は、歌人。福岡県福岡市出身。 福… 田中 濯(1976年 - )は、歌人。福岡県福岡市出身。 福岡県立筑紫丘高等学校、京都大学農学部卒業。「塔」所属。2007年に作品「フォトグラフ」で第18回歌壇賞次席、作品「プラットホーム」で第53回角川短歌賞佳作。2011年、第1歌集『地球光』で第17回日本歌人クラブ新人賞を受賞。
中沢 直人(なかざわ なおと、1969年11月22日 - )… 中沢 直人(なかざわ なおと、1969年11月22日 - )は、日本の歌人、憲法学者。専門は英米法、憲法。成蹊大学法学部法律学科教授。本名、安部圭介。 福岡県福岡市出身。久留米大学附設高等学校、東京大学法学部卒業、ハーバード大学法科大学院修了。博士(法学)。 1999年に歌誌「未来」「かばん」に入会し、岡井隆に師事。2002年より「未来」編集委員。2003年に作品「極圏の光」で第14回歌壇賞、未来年間賞を受賞。2010年、第1歌集『極圏の光』で第16回日本歌人クラブ新人賞を受賞。
千野 帽子(ちの ぼうし、男性、1965年 - )は日本の文… 千野 帽子(ちの ぼうし、男性、1965年 - )は日本の文芸評論家、エッセイスト、俳人。本名・岩松 正洋、フランス文学者、関西学院大学商学部教授。探偵小説研究会会員。 福岡市生まれ。九州大学文学部文学科卒、同大学院修士課程修了(仏文学専攻)、パリ第4大学博士課程修了、博士号取得。関西学院大学商学部助教授、2007年准教授、2010年教授。2004年から「休日だけの趣味」として、『ユリイカ』『ミステリマガジン』などに、少女文学についての評論、文芸時評などを多く執筆している。 文筆業開始以前から句作を行なっており、「帽子」はもともと俳号として使っていたものであった。2011年に俳人の堀本裕樹とともに俳句ユニット「千堀」を結成し、『日経ビジネスアソシエ』『日経ビジネスオンライン』で投句コーナー「飛び込め! かわずくん」の連載を開始。
松村 由利子(まつむら ゆりこ、1960年9月14日 - )… 松村 由利子(まつむら ゆりこ、1960年9月14日 - )は、日本の歌人、新聞記者、著作家、翻訳家。まつむら ゆりこ名義で、科学関係の児童書の翻訳も手がける。 1960年、福岡県福岡市生まれ。福岡県立筑紫丘高等学校、東洋英和女学院短期大学、西南学院大学文学部英文科卒。同大学院中退。 朝日新聞社を経て、毎日新聞社に入社。千葉支局、生活家庭部、学芸部、科学環境部の記者をつとめる。 2006年よりフリーとなる。2010年より沖縄県石垣島在住。
藤原 龍一郎(ふじわら りゅういちろう、1952年1月18日… 藤原 龍一郎(ふじわら りゅういちろう、1952年1月18日 - )は、歌人、俳人。福岡県出身。歌誌「短歌人」元編集人。「駄句駄句会」同人、俳号は「媚庵(びあん)」。日本歌人クラブ名誉会長。石岡市図書館文化アドバイザー。 福岡県生まれで、3歳のとき東京に移住。大阪府立池田高等学校を卒業。浪人中の1970年に中井英夫の『黒衣の短歌史』を読み、塚本邦雄、春日井建、寺山修司などの前衛短歌に衝撃を受ける。慶應義塾大学に入学するが、寺山と早稲田大学短歌会に憧れて再受験し、早稲田大学第一文学部文芸科を卒業。学生時代は早稲田大学短歌会およびワセダミステリクラブに所属し、仙波龍英や康珍化、北村薫、高千穂遙らと交友を持った。
阿木津 英(あきつ えい、1950年1月25日 - )は、日… 阿木津 英(あきつ えい、1950年1月25日 - )は、日本の歌人。短歌結社「八雁(やかり)」主宰。本名は末永英美子(すえなが えみこ)。現代短歌にフェミニズム思想を導入し、女歌運動に影響を与える。 福岡県行橋市生まれ。福岡県立京都高等学校卒業。九州大学文学部哲学科心理学専攻卒業。 出版社、児童相談所の心理判定員、塾の教師などの職歴を重ねながら、作歌活動を続ける。石田比呂志に師事し、1974年、石田が主宰する短歌結社「牙」に参加。後に石田と結婚(その後、協議離婚)。この時、筆名を阿木津とする。 1979年、「紫木蓮まで」30首にて短歌研究新人賞を受賞。同年、短歌結社「未来」に所属するが後に退会。
荒木 正見(あらき まさみ、1946年11月23日 - )は… 荒木 正見(あらき まさみ、1946年11月23日 - )は、日本の哲学者・歌人・評論家。哲学・論理学・倫理学を軸として、心理学・医学・文学・スポーツ科学等との学際的研究、講義と著述、評論、実践指導。短歌、エセー等創作。尾道学の提唱者である。 福岡県生まれ。福岡県立小倉高等学校卒、1971年名古屋大学文学部哲学科卒業。1977年九州大学大学院文学研究科哲学・哲学史専攻科博士課程単位取得退学。1978年梅光女学院大学専任講師、84年助教授、1990年福岡女学院大学助教授、94年教授、2001年日本赤十字九州国際看護大学教授、福岡歯科大学教授、文京学院大学教授。文学博士(ph.d.)。名誉博士(フィリピン国立サマール大学)
千々和 久幸(ちぢわ ひさゆき、1937年3月14日 - )… 千々和 久幸(ちぢわ ひさゆき、1937年3月14日 - )は、日本の歌人、詩人。 福岡県北九州市生まれ。福岡県立東筑高等学校、明治大学法学部英法科卒業。大学時代は、思想・評論を中心とした雑誌「駿台論潮」編集部に籍を置く。 1956年、作歌を始め、歌誌「香蘭」に入会、村野次郎に師事。1961年、詩誌「沙漠」に入会。1964年、山本哲也と詩誌「砦」を創刊。1965年、第一詩集『恋唄』を刊行。1975年、佃学と詩誌「アポクチファ」を創刊(1978年、「邯鄲」に改組)。1981年、第一歌集『壜と思慕』を刊行。1988年、「現代短歌を評論する会」に参加。 2001年、「香蘭」代表に就任。2010年、横浜歌人会代表委員に就任(2013年退任)。
石田 比呂志(いしだ ひろし、1930年10月27日 - 2… 石田 比呂志(いしだ ひろし、1930年10月27日 - 2011年2月24日)は、日本の歌人。福岡県出身。本名は裕志。 福岡県京都郡小波瀬村二崎(現苅田町)に父嘉平次、母清香の長男として生まれる。1944年、福岡県立豊津中学校(旧制)を素行不良によって退学処分となる。1945年、国家総動員法によって筑豊の炭鉱に徴用されて採炭に従事させられる。乙種飛行練習生(海軍)に合格するも8月敗戦。 1946年、石川啄木の『一握の砂』を読んで歌人を志す。水道工事人夫、キャバレーの支配人など40以上の職を転々とする。1954年、山口県宇部市の土方飯場からの投稿歌が「毎日歌壇」(窪田空穂選)に採用され、自作が初めて活字となる。
神尾 久美子(かみお くみこ、1923年1月28日 - 20… 神尾 久美子(かみお くみこ、1923年1月28日 - 2014年10月26日)は、日本の俳人。 福岡県出身。本名・洋子。福岡県京都郡立京都高等女学校(現・福岡県立京都高等学校)卒。野見山朱鳥に師事し、1953年『菜殻火(ながらび)』同人。神尾季羊と結婚し、季羊主宰の『椎の実』に参加する。97年季羊没後『椎の実』主宰。飯田龍太に師事し『雲母』同人。俳人協会顧問。
真鍋 呉夫(まなべ くれお、1920年1月25日 - 201… 真鍋 呉夫(まなべ くれお、1920年1月25日 - 2012年6月5日)は日本の作家・文筆家・俳人。 福岡県遠賀郡岡垣村(現・岡垣町)生まれの父甚兵衛、母オリとも俳人で父は天門(てんもん)、母は織女(おりじょ)と号していた。 福岡商業学校卒業後、1939年阿川弘之、島尾敏雄、那珂太郎らと同人誌「こをろ」を創刊。1941年、文化学院文学部に入学。句集『花火』(こをろ発行所)を自費出版。1946年復員後、北川晃二と一緒に文芸誌「午前」の編集に携わり、同郷の檀一雄を頼って1949年上京。檀一雄との交流は長く、その後30年にわたり兄事した。1949年、第一創作集『サフォ追慕』にて第21回芥川賞候補となり、新進作家として注目された。
野見山 朱鳥(のみやま あすか、1917年(大正6年)4月3… 野見山 朱鳥(のみやま あすか、1917年(大正6年)4月30日 - 1970年(昭和45年)2月26日)は福岡県出身の俳人。高浜虚子に師事、「菜殻火」主宰。本名は正男(まさお)。
小谷 心太郎(こたに しんたろう、1909年(明治42年)1… 小谷 心太郎(こたに しんたろう、1909年(明治42年)1月18日 - 1985年(昭和60年)6月18日)は、昭和期の歌人。 岡山県出身(大阪市北区出身とも)。福岡中学(現・福岡県立福岡高等学校)卒業後、東京帝国大学へ進み、東大在学中の1932年(昭和7年)に「アララギ」に入会、斎藤茂吉に師事。1936年、サイパンに赴任。戦時中は海軍に従軍し戦場詠を詠んだ。 終戦の後は「新泉」、「アザミ」に入り活動する。1958年、「童牛」創刊。1977年に「宝珠」で第4回日本歌人クラブ賞を受賞。1985年死去、享年76。
渋田 黎明花(しぶた れいめいか、1902年11月12日 -… 渋田 黎明花(しぶた れいめいか、1902年11月12日 - 1978年10月10日)は、昭和時代日本の小説家、作詞家、俳人。本名は渋田 喜久雄(しぶた きくお)で、作詞家としては戦前・戦後を通じて多数のペンネームを使い分けていた。 1902年(明治35年)、福岡県糟屋郡席内村(現在の古賀市)庄に生まれる。吏員だった父親の転勤により、新潟県西蒲原郡赤塚村(現在の新潟市西区赤塚)で幼少の一時期を過ごした。 福岡へ戻った後は官営八幡製鐵所付属の幼年職工養成所を卒業し、旋盤工を務めていたが文芸を志して上京、1930年(昭和5年)に『サンデー毎日』誌の大衆文芸へ応募した時代小説『変幻花鳥図』が佳作を受賞、同年5月1日号に掲載される。
棚橋 影草(たなはし えいそう、1899年12月1日 - 1… 棚橋 影草(たなはし えいそう、1899年12月1日 - 1970年9月9日)は、日本の俳人、医学者。福岡県福岡市出身。本名は棚橋陽吉。 1918年福岡県立中学修猷館を経て、九州帝国大学医学部を卒業し、同大医学部教授に就任。貝の血液研究でも知られる。 昭和の初めから、吉岡禅寺洞に師事し、俳誌「天の川」幹部同人となり、新興俳句の隆盛期に評論などで活躍した。一時横山白虹の後を継ぎ「天の川」を編集している。1938年以後目を病み、句作から離れた。
神崎 縷々(かんざき るる、 明治32年(1899年)2月1… 神崎 縷々(かんざき るる、 明治32年(1899年)2月11日 - 昭和11年(1936年)2月28日)は、日本の俳人。本名は神崎 主計。 福岡県宗像郡神興村津丸(現・福津市)生まれ。旧制小倉中学校(現・福岡県立小倉高等学校)を経て、1922年東京高等商業学校(現・一橋大学)本科卒業。吉岡禅寺洞に師事した。 藤本ビルブローカー銀行、久原商事、貝島商事を経て、1932年、小倉市京町に火薬商の神崎商店を設立し、同社支配人に就任。ジー・ワインベルゲン商会小倉支店長も務めていたが、1936年に37歳で死去した。 井筒屋設立者の神崎慶次郎元小倉市長は叔父で養父。倉田主税元日立製作所社長は兄。倉田興人元三井鉱山社長は弟。
川上 小夜子(かわかみ さよこ、1896年〈明治29年〉4月… 川上 小夜子(かわかみ さよこ、1896年〈明治29年〉4月27日 - 1951年〈昭和26年〉4月24日)は日本の女性歌人。本名、小西 慶子(旧姓、久城)。覇王樹同人の小西憲三は夫。 1898年(明治31年)、福岡県八女郡三河村(現在の八女市)に生まれ、大牟田市で育つ。熊本尚絅女学校卒業後、1916年(大正5年)に白日社の『詩歌』に参加。詩歌の廃刊後は1918年(大正7年)『覇王樹』の創刊と共に参加、同人として出詠。1925年(大正14年)に水町京子、北見志保子らと共に『草の実』を創刊、覇王樹を退いた。1935年(昭和10年)、北原白秋が『多磨』を創刊するとともに同誌に参加する。なお、草の実は戦時中に解散の命で解散している。
泉 甲二(いずみ こうじ、1894年8月31日 - 1980… 泉 甲二(いずみ こうじ、1894年8月31日 - 1980年11月10日)は、日本の歌人、美術評論家。本名は山田 邦祐。 福岡県福岡市田島に生まれる。1915年福岡県立中学修猷館を経て、1920年早稲田大学文学部英文科を卒業し、研究社に入社。在学中の1917年から北原白秋に師事している。 戦後、「婦人画報」編集局に移り、1935年白秋の歌誌「多磨」創刊に参加、のち編集に従事。1953年に同誌が終刊後、中村正爾の歌誌「中央線」創刊に参加。 本名名義で美術書も出版した。
牛島 滕六(うしじま とうろく、1872年〈明治5年6月24… 牛島 滕六(うしじま とうろく、1872年〈明治5年6月24日〉 - 1952年〈昭和27年〉9月11日)は、明治から昭和にかけての日本の俳人。本名は虎之助。 俳誌『時雨』の主宰として、戦前の北海道俳壇における重鎮の地位にあった。 1872年(明治5年)、福岡県久留米市に生まれる。 1891年(明治24年)、屯田兵として東永山兵村へ移住する。 1897年(明治30年)、北海道庁の鉄道敷設事業手として旭川へ赴任する。このころから雪村の雅号で河東碧梧桐選の俳誌『活文壇』に投稿していた。 1900年(明治33年)、札幌の吉見香漣・祝鱸江らとともに俳誌『白雪』を発行するが、8号で廃刊となる。 1902年(明治35年)、俳句結社「若葉吟社」を興し、俳誌『若葉』を4号まで発行する。
井上 微笑(いのうえ びしょう、1867年8月1日(慶応3年… 井上 微笑(いのうえ びしょう、1867年8月1日(慶応3年7月2日) - 1936年(昭和11年)6月12日)は熊本県を拠点として働いた俳人。 1867年(慶応3年)、筑前国秋月(現・福岡県朝倉市)生まれ。本名藤太郎。福岡中学、東京英吉利法律学校(現・中央大学)を卒業し、佐賀県庁に入庁した。1892年(明治25年)父親の仕事の関係で、熊本県人吉市に移り住み、球磨郡湯前町役場に勤務する。傍ら句作に励み、夏目漱石を主宰に寺田寅彦ら五高生が中心となっておこした俳句結社紫溟吟社の銀杏に投句し、漱石より称賛された。 のち俳句結社白扇会を主宰し「白扇会報」を発刊する。1909年(明治42年)、九州日日新聞(現・熊本日日新聞)俳壇の選者となる。