川須 栄彦(かわす はるひこ、1991年11月9日 - )は… 川須 栄彦(かわす はるひこ、1991年11月9日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンター所属の騎手。 2007年4月にJRA競馬学校騎手課程第26期生として入学。2010年2月に卒業して騎手免許を取得した。同期には菅原隆一、平野優、高倉稜らがいる。 競馬学校卒業後は栗東の本田優厩舎に所属。2010年3月13日、第2回中京競馬3日目第1競走のビーンケードで初騎乗(16頭立て13着)。2010年5月23日、第1回新潟競馬8日目第1競走でメイショウクレモナに騎乗して初勝利。 2010年12月9日、本田厩舎を離れ、フリーに転向。本人によれば、この直前に行われた騎手免許更新のための講習会の存在を失念し、講習会に遅刻したことで調教師の本田の逆鱗に触れたことが直接の原因だが、それ以前から「厩舎のことを考えない行動が目立つ」等の理由で本田との関係が悪化していたとのことで、半ば所属厩舎から追放されるような形でフリーにならざるを得なかったという。
坂口 智康(さかぐち ともやす、1990年12月16日 - … 坂口 智康(さかぐち ともやす、1990年12月16日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する騎手。 美浦・尾形和幸厩舎所属。2024年2月29日までは調教助手。 なお、同じJRA所属で栗東トレーニングセンターに所属の調教師である坂口智康とは血縁関係が一切ない、同姓同名の別人である。新聞上の表記は、騎手側が「坂口智」で、調教師側が「坂口」と分かれている。 中学生で騎手を志すが、当時は受験資格が厳しく、裸眼の視力が足りなかったために断念。馬に携わる仕事をするために調教師を目指し、福岡県立八女工業高等学校1年時より乗馬を始め、馬術部の名門・専修大学に進学。副主将を務め全日本学生で団体3位に輝くなど活躍。
新庄 剛志(しんじょう つよし、1972年1月28日 - )… 新庄 剛志(しんじょう つよし、1972年1月28日 - )は、長崎県下県郡美津島町(現:対馬市)生まれ、福岡県福岡市南区出身の元プロ野球選手(外野手・内野手[注 1]、右投右打)、タレント、実業家、クリエイター(商品プロデューサー、画家など)、地方競馬全国協会 (NAR) の馬主。元妻はタレントの大河内志保。紺綬褒章受章(2007年)。愛称は「プリンス」など(こちらを参照)。
内田 博幸(うちだ ひろゆき、1970年7月26日 - )は… 内田 博幸(うちだ ひろゆき、1970年7月26日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) の騎手。 福岡県三潴郡三潴町(現・久留米市)出身。妻は元フリーアナウンサーの鈴木文子。兄の内田秀一も佐賀、川崎に所属し通算527勝を挙げた元騎手で、元プロサッカー選手の内田智也は従弟にあたる。愛称は「ウチパク」。 地方競馬時代には大井競馬場の荒井隆厩舎に所属。2008年にJRAに移籍。移籍時から美浦トレーニングセンターの嶋田潤厩舎に所属し、2011年5月1日付けでフリーとなる。 地方時代の勝負服の柄は胴青・赤山形一文字・袖白(詳細は後述)。 父が体操選手だった影響もあり小学校低学年から体操教室に通う。一緒に通っていた兄が中学卒業時に教室を辞めたため一人で通うのは無理と判断し、同時に体操教室を辞める。
今浪 隆利(いまなみ たかとし、1958年9月20日 - )… 今浪 隆利(いまなみ たかとし、1958年9月20日 - )は、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターの須貝尚介厩舎に所属していた元厩務員。 ゴールドシップやソダシといったGI優勝馬を手がけ、厩務員としてJRA・GI10勝を挙げた。 1958年、福岡県北九州市出身。実家が小倉競馬場の付近にあり、幼い頃から父親に競馬場へ連れて行ってもらったり、中央競馬で厩務員をしていた叔父によく馬を見せてもらったりしていた。中学生の頃に初めて馬に携わる仕事をしようと思うようになり、その後高校中退を経て、1973年に名古屋競馬場で騎手見習いとなった。しかし調教師との折り合いがつかず騎手の道を断念。その後、中央競馬で職に就きたいと考えたことから、北海道にある優駿牧場での1年半ほどの勤務を経てJRAの厩務員となり、1976年より叔父に紹介されていた内藤繁春調教師(当時)のもとで働き始めた。
的場 文男(まとば ふみお、1956年(昭和31年)9月7日… 的場 文男(まとば ふみお、1956年(昭和31年)9月7日 - )は、大井競馬場東京都騎手会に所属していた元騎手。 「鉄人」「大井の帝王」の愛称で親しまれ、地方競馬全国リーディングを2回(2002年、2003年)、大井競馬リーディングを21回(1983年、1985年 - 2004年)獲得し、多くの重賞タイトルを手中に収めた。 大井競馬場所属調教師の的場直之は甥、同厩舎所属厩務員の的場勝之は長男、佐賀競馬の元調教師の的場信弘は兄(直之の父)にあたる。一方、日本中央競馬会(JRA)所属の元騎手で現調教師の的場均、その息子でJRA所属騎手の的場勇人らとは同姓だが血縁関係はない。 家具の一大生産地である大川市で家具運送業を営んでいた家の四男に生まれる(兄2人は運送業を継ぎ、三男が信弘、四男が文男)。
目野 哲也(めの てつや、1948年2月14日 - )は、福… 目野 哲也(めの てつや、1948年2月14日 - )は、福岡県山門郡三橋町(現・柳川市)出身の元騎手・元調教師。 飲食業を営む一家の次男として生まれ、後に養子に出て藤岡姓となる兄・藤岡範士は太平洋戦争中に戦死した母の先夫の子であり、哲也は異父弟に当たる。中学卒業後に京都・久保道雄厩舎で騎手候補生となった範士にならい、哲也も中学3年時に中央競馬騎手養成長期課程を受験。合格後、長期課程第14期生として馬事公苑に入所した。同期生には小島太、田島良保、安田富男、池上昌弘、平井雄二らがいる。騎手課程修了後は、範士の紹介で京都・鈴木和雄厩舎の所属騎手となった。 1966年3月6日、2回中京6日第7競走でデビュー。
大迫 忍(おおさこ しのぶ、1945年8月13日 - 200… 大迫 忍(おおさこ しのぶ、1945年8月13日 - 2005年6月18日)は、日本の実業家、馬主。 中国・北京市生まれ、大分県宇佐市出身。1968年に中央大学文学部を卒業、すぐに父・大迫正冨が創業した善隣出版社(のちの株式会社ゼンリン)に入社。父が1980年に在職のまま亡くなり、同年に後を継いで代表取締役社長に就任。実地調査を元に地図情報のデータベース化を推し進め、電子地図やカーナビゲーションなど時代を先取りした事業展開を行い住宅地図業界で売り上げ日本一を達成し、カーナビゲーションソフト業界の大手にも育てて国外進出も果たした。1994年に福証、次いで1996年に東証・大証の各2部に株式上場を果たした。
上田 三千夫(うえだ みちお、1926年10月25日-200… 上田 三千夫(うえだ みちお、1926年10月25日-2002年4月14日)は、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会に所属した騎手、競走馬調教師。騎手時代に二冠馬ダイナナホウシユウの主戦騎手を務めたことで知られる。 福岡県小倉市(現・北九州市)出身(出生地は宮崎県)。旧姓は和田。1939年に小倉競馬場所属の調教師、上田武司に弟子入りし、のち養子となる。 1943年に騎手免許を取得し、春季宮崎競馬より騎乗、3日目で初勝利を飾ったが、上田が応召したために渋川久作厩舎に移籍。1944年3月に一旦騎手を廃業した。 戦後、1946年9月に再び騎手免許を取得。高橋直三厩舎の所属となったが、1948年には京都競馬場に厩舎を構えた上田厩舎に復帰し、主戦騎手を務めるようになった。
上田 武司(うえだ たけし、1909年4月4日 - 1979… 上田 武司(うえだ たけし、1909年4月4日 - 1979年2月13日)は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属していた調教師。福岡県出身。養子に上田三千夫がいる。 1909年、福岡県小倉市北方(現・北九州市小倉南区北方)で生まれる。 1923年、福岡県立中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)を中退し、1924年7月、小倉競馬倶楽部(小倉競馬場)の森文一厩舎に入門する。 1927年、騎手兼調教師免許を取得、小倉競馬場に厩舎を構え独立する。 1942年、騎手を引退。騎手成績1066戦160勝。 1946年、調教師免許を取得。 1951年10月14日、チャレンジカップのサチホマレで重賞初制覇。
岡部 平太(おかべ へいた、1891年9月10日 - 196… 岡部 平太(おかべ へいた、1891年9月10日 - 1966年11月6日)は日本のスポーツ指導者、柔道家、日本で最初のアメリカンフットボール紹介者。スポーツ黎明期の日本に科学的トレーニングを導入した事から「近代コーチの祖」と呼ばれている。柔道8段、剣道5段。 福岡県糸島郡芥屋村(現在の糸島市)出身。 1891年(明治24年)養蚕業と櫨ろう業を営む農家の9人兄弟の長男として生まれる。 1908年(明治41年)福岡師範学校(現・福岡教育大学)入学。学校では持前の運動神経を発揮し、柔道、剣道、相撲、軟式テニス、陸上、野球、ボートと多岐にわたり活躍する。 1911年(明治44年)当時の武道界最大の大会で、京都武徳殿(旧武徳殿)で開かれた「青年大演武会」柔術16歳以上20歳未満 選抜勝負の部 で準優勝(金光弥一兵衛、宇土虎雄も出場)。
武田 千代三郎(たけだ ちよさぶろう、1867年5月27日〈… 武田 千代三郎(たけだ ちよさぶろう、1867年5月27日〈慶応3年4月24日〉- 1932年〈昭和7年〉5月26日)は、日本の内務官僚、教育者、スポーツ指導者。官選県知事、神宮皇學館長、大日本体育協会副会長、大阪市立高等商業学校長。駅伝競走の命名者、運動中の水分補給を禁止する風潮を創り上げた人物として知られる。 柳河藩士・武田道夫の二男として筑後国山門郡柳河(現:柳川市)で生まれる。共立学校、第一高等学校を経て、1889年7月、東京帝國大學法科大学法律学科(英法)を卒業。 1889年8月、法制局雇となる。同年12月に徴兵され近衛歩兵第1連隊に入隊。1890年11月、陸軍歩兵二等軍曹で満期除隊となる。