木原正博(きはらまさひろ、1953年(昭和28年) - )は… 木原正博(きはらまさひろ、1953年(昭和28年) - )は、日本の医師、医学者(公衆衛生学、社会疫学(socio-epidemiology))、翻訳家。1984年に京都大学より医学博士の学位を取得。京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻国際保健学講座社会疫学分野の初代教授・第4代専攻長、前京都大学理事補(国際担当)、前・京都大学学際融合教育研究推進センター・グローバルヘルス学際融合ユニット長、京都大学名誉教授 生涯獲得事業費総額約2億1000万円 research map木原正博
間崎 ルリ子(まさき るりこ、1937年2月 - )は、日本… 間崎 ルリ子(まさき るりこ、1937年2月 - )は、日本の児童文学翻訳家、文芸評論家。本姓(夫姓)は"大月"であり、学会への参加や公的な図書館活動は大月 ルリ子(おおつき るりこ)として行っている。神戸市立図書館協議会委員(副会長)を務めた。 長崎県長崎市生まれ1937年2月。1959年慶應義塾大学図書館学科卒業。その後渡米し、ボストンのシモンズ・カレッジ(英語版)大学院で図書館学を学ぶ。図書館学修士課程修了後、ニューヨーク公共図書館児童室に勤務。1961年帰国後アメリカンスクールの図書館に勤務。1963年に翻訳した『もりのなか』がロングセラーとなる。1968年から2015年まで47年間にわたり、神戸市東灘区で毎週土曜午後1時から5時まで私設の児童図書館(子ども文庫)「鴨の子文庫」を主宰し開いていた。
大津 栄一郎(おおつ えいいちろう、1931年2月18日 -… 大津 栄一郎(おおつ えいいちろう、1931年2月18日 - 2013年1月17日)は、アメリカ文学者、翻訳家。明治学院大学名誉教授であった。 長崎県島原市生まれ。東京大学教養学部卒、同英文科大学院修了、東海大学助教授、明治学院大学教授を務め、ウラジーミル・ナボコフ、ヘンリー・ジェイムズなどを翻訳、研究した。晩年になって日本語に関心を深め『古事記』の現代語訳を刊行した。 ナボコフの『賜物』の翻訳については翻訳家の若島正から『翻訳の世界』誌の「改訳したい小説ベスト10」で多数の誤訳を指摘されたため、「若島正氏に反論する」を同誌に寄稿し反駁した。これに対する若島正の反論は『乱視読者の冒険 - 奇妙キテレツ現代文学ランドク講座』におさめられている。
有田 忠郎(ありた ただお、1928年(昭和3年)6月19日… 有田 忠郎(ありた ただお、1928年(昭和3年)6月19日 - 2012年3月11日)は、日本の詩人、翻訳家、仏文学者。専門はフランス詩。西南学院大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 長崎県佐世保市出身。海軍主計将校だった父の転勤に従って鎌倉、台湾、再び佐世保と転々とした。長崎県立佐世保中学校、第五高等学校を経て、1953年九州大学文学部仏文科卒業。1958年九州大学大学院第二期修了、九州大学文学部助手。1963年北九州大学講師、1964年同助教授、1968年同教授。1975年西南学院大学教授。1999年同大学を退職。 シャルル・ボードレールらの詩が専門だが、ヴィクトル・セガレンの全訳やサン=ジョン・ペルスの翻訳でも知られる。
喜多 迅鷹(きた としたか、1926年1月11日 - 201… 喜多 迅鷹(きた としたか、1926年1月11日 - 2015年9月12日)は、日本の翻訳家、画家。 長崎市生まれ。埼玉県立浦和中学校、第一高等学校を経て、1948年東京大学法学部卒。埼玉県立浦和高等学校、東京都立大学附属高等学校教諭のほか、東京都立大学 、横浜市立大学講師を務めたが、1971年、学園紛争を機に画業に転向。 1992年「東京を描く市民の会」創立に参加。1994年「彩の国を描く会」を創立、主宰。2001年読売・日本テレビ文化センターで「ペン水彩」講座開講。2002年読売・日本テレビ文化センターで「模写による西洋美術史」講座開講。
草間 平作(くさま へいさく、1892年7月 - 1985年… 草間 平作(くさま へいさく、1892年7月 - 1985年)は、翻訳家、作家。 長崎県平戸出身。本名・牧山 正彦。北九州の東筑中学校卒、鹿児島の第七高等学校造士館をへて、1919年東京帝国大学法学部卒、この間海老名弾正によってキリスト教に出会う。その後有島武郎の援助で京都帝国大学哲学科に学ぶが、父の病気のため両親を京都に引き取り、22-23年同志社大学予科講師を務めていたが、二番目の妻が重度の神経症となり三重県各地を療養のため転々とし、その間女中に子を産ませる。敗戦直前に長崎県田平町に帰る。1958年妻が死去し再婚するがこれも三年目に病死し、女中だった女と四度目の結婚をする(『夢と燕』)。兎を飼って生活の資とした。
神近 市子(かみちか いちこ、出生名:神近 イチ、1888年… 神近 市子(かみちか いちこ、出生名:神近 イチ、1888年6月6日 - 1981年8月1日)は、日本のジャーナリスト、婦人運動家、作家、翻訳家、評論家。ペンネームは榊 纓(さかき おう/えい)。1916年の日蔭茶屋事件で一躍著名になり、大杉栄に対する殺人未遂罪で2年間服役した。戦後に政治家になり、左派社会党および再統一後の日本社会党から出馬して衆議院議員を5期務めた。 長崎県北松浦郡佐々村(現在の佐々町)生まれ。漢方医の神近養斉とハナ夫妻の子で、出生当時父は47歳、母は43歳になっていた。夫妻はすでに二男二女をもうけていて、彼女は末の子であった。 父は幼い末娘を「チコ」と呼んで可愛がっていたが、1891年、彼女が3歳のときに死去した。
何 礼之(何 禮之、が のりゆき/れいし、天保11年7月13… 何 礼之(何 禮之、が のりゆき/れいし、天保11年7月13日(1840年8月10日) - 大正12年(1923年)3月2日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて活躍した日本の翻訳家、幕臣、官僚、裁判官、教育者、唐通事。通称は礼之助。姓は「か」ではなく「が」と読む。 英語稽古所学頭を務めたほか、長崎で創設した塾は、塾生が300名を越え、維新後に活躍する多くの英才を輩出したが、その実績は幕末蘭学における緒方洪庵の適塾、伊東玄朴の象先堂、佐倉の順天堂と対比すべく、同じ英学においては福澤諭吉の慶應義塾に匹敵するものであった。開成所(現・東京大学)教授も務め、大阪洋学校(現・京都大学)の創設者でもある。