梅山 秀幸(うめやま ひでゆき、1950年8月31日 - )… 梅山 秀幸(うめやま ひでゆき、1950年8月31日 - )は、日本の国文学・朝鮮文学者。桃山学院大学国際教養学部教授。 熊本県人吉市生まれ。1974年京都大学文学部国文科卒、同大学院博士後期課程満期退学。大阪城南女子短期大学講師、1986年岐阜経済大学助教授、教授、2002年桃山学院大学国際教養学部教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
内藤 高(ないとう たかし、1949年9月2日 - 2008… 内藤 高(ないとう たかし、1949年9月2日 - 2008年8月14日)は、比較文学者。 熊本市生まれ。1968年熊本県立済々黌高等学校卒業。1974年東京大学教養学部教養学科フランス分科卒業、1978年同大学院比較文学比較文化専攻修士課程修了、1985年パリ第4大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、1986年東大博士課程単位取得退学。 1987年「クローデルと美術」でパリ第4大学文学博士号取得、同志社大学専任講師、助教授、教授を経て、1996年10月より大阪大学文学部に新設された比較文学研究室の初代主任教授となるも、大阪大学教授在任時の2008年、脳梗塞のため死去。
後藤 昭雄(ごとう あきお、1943年 - )は、国文学者、… 後藤 昭雄(ごとう あきお、1943年 - )は、国文学者、漢文学者、大阪大学名誉教授。 熊本市生まれ。1965年九州大学文学部卒、1970年九州大学大学院文学研究科博士課程満期退学(国文学)、1982年「平安朝漢文学論考」で、文学博士(九州大学)の学位を取得。 鹿児島県立短期大学講師、静岡大学教育学部講師、1983年大阪大学教養部助教授、94年同文学研究科教授、2007年定年、名誉教授。2008年成城大学教授、2013年退職。 平安時代漢文学が専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
本田 康典(ほんだ やすのり、1938年 - )は日本の英米… 本田 康典(ほんだ やすのり、1938年 - )は日本の英米文学者、翻訳家。宮城学院女子大学名誉教授。 熊本市出身。1961年早稲田大学教育大学英語英文学科卒、1964年同大学院文学研究科修士課程修了。宮城学院女子大学助教授、1980年教授、2002年退職、名誉教授。20世紀英米小説専攻。 1994年から「日本ヘンリー・ミラー協会」会長として、ヘンリー・ミラーやアナイス・ニンに関する日本での再評価にむけて執筆活動を続けている。 ミラーに関する多くの論文、著書、翻訳、エッセーがある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
羽矢 謙一(はや けんいち、1929年8月22日 - 202… 羽矢 謙一(はや けんいち、1929年8月22日 - 2021年10月6日)は、日本の英文学者。明治大学名誉教授。 熊本市生まれ。東京大学英文科卒。同大学院を経て、青山学院大学助教授、明治大学文学部教授、2000年に定年し名誉教授。 D・H・ロレンスを専門とし、伊藤整が裁判で敗訴し、削除版のままになっていた『チャタレイ夫人の恋人』の完訳を1973年に刊行した。
東 明雅(ひがし あきまさ、1915年3月7日 - 2003… 東 明雅(ひがし あきまさ、1915年3月7日 - 2003年10月20日)は、日本の国文学者、俳人。専門は近世日本文学、特に井原西鶴。俳人としては「めいが」と読む。 熊本市生まれ。旧制第五高等学校を経て、1939年東京帝国大学文学部国文科卒業。同年、文部省宗教局勤務。1942年東京府立第一中学校(現・日比谷高校)教諭。1945年松本高等学校教授、1949年信州大学文理学部助教授、1959年同教授。1980年定年退官、名誉教授。1987年勲三等旭日中綬章を受章。 1961年から根津芦丈に師事し、信州大学連句会を結成した。その後、1982年に猫蓑会発足し、主宰となった。
高野 巽(たかの たつみ、1907年7月29日 - 没年不明… 高野 巽(たかの たつみ、1907年7月29日 - 没年不明)は昭和期の日本の文学者。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの研究で知られる。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(1925年卒業)、第五高等学校を経て、東京帝国大学文学部を卒業した。 東大卒業後、熊本高等工業学校講師、教授、第五高等学校教授を経て熊本大学教授となる。1961年から熊本大学法文学部長に就任した。定年退官まで母校である第五高等学校の後身の熊本大学の教壇に立ち続けた。 また、学生運動が盛んな頃は学生部長も務めた。退官後は名誉教授となり、熊本工業大学の教授も務めた。
丸山 学(まるやま まなぶ、1904年(明治37年)10月2… 丸山 学(まるやま まなぶ、1904年(明治37年)10月26日 - 1970年(昭和45年)2月27日)は、日本の英文学者、民俗学者。小泉八雲の研究、九州の民俗学の研究において知られる。 熊本県和水町に生まれる。熊本県立中学済々黌に進学し、国文学者の蓮田善明とは親友であった。英語英文学を専攻し、広島文理科大学文学科英語英文学専攻を卒業後、広島文理大学助手、広島高等師範学校教授。広島文理大学在学中よりコンラッド研究に励み、1932年(昭和7年)には『文学研究法』を出版し、研究者・教育者としての地位を確固としたものにする。翌1933年(昭和8年)には柳田國男を訪ね、これ以降は徐々に民俗学に転じ、1936年(昭和11年)に『小泉八雲新考』、『英吉利年中行事の研究』を出版。
永松 定(ながまつ さだむ、1904年4月8日 - 1985… 永松 定(ながまつ さだむ、1904年4月8日 - 1985年2月7日)は、日本の作家、英文学者。熊本女子大学(現・熊本県立大学)名誉教授。熊本県玉名郡出身。 熊本県立玉名中学校、第五高等学校を経て、1928年に東京帝国大学文学部を卒業した。在学中、上林暁らと同人誌『風車』を創刊して創作活動をおこなった。 1930年、伊藤整・辻野久憲とともにジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を初めて邦訳する。三好達治・北川冬彦の『詩・現実』に連載し、単行本として刊行する。このほか『ダブリンの人々』『万有引力』『ロレンス芸術論』などを出版した。 1937年強烈な神経衰弱に陥り、熊本県へ帰郷する。1940年、母の死をきっかけに英語教師として働く。
荒木 俊馬(あらき としま、1897年〈明治30年〉3月20… 荒木 俊馬(あらき としま、1897年〈明治30年〉3月20日 - 1978年〈昭和53年〉7月10日)は、日本の天文学者、物理学者。専門は天体物理学、理論物理学、宇宙論。学位は、理学博士(京都大学・1929年)。京都大学名誉教授、京都産業大学初代総長。 1897年、荒木竹次郎・記寿の長男として熊本県鹿本郡来民町(後の鹿本町、現在の山鹿市)に生まれた。1903年、来民尋常小学校に入学。1906年、熊本市立碩臺尋常小学校に転校し、翌1907年に卒業した。1910年、熊本県立中学済々黌(現:熊本県立済々黌高等学校)に入学。1915年に済々黌を卒業し、広島高等師範学校理科一部に入学。1919年に同校を卒業。
内藤 濯(ないとう あろう、1883年7月7日 - 1977… 内藤 濯(ないとう あろう、1883年7月7日 - 1977年9月19日)は、フランス文学者、評論家、翻訳家、エッセイスト。
戸川 秋骨 (とがわ しゅうこつ、1871年2月7日(明治3… 戸川 秋骨 (とがわ しゅうこつ、1871年2月7日(明治3年12月18日) - 1939年(昭和14年)7月9日)は、日本の評論家、英文学者、教育者、翻訳家、随筆家。別号は秋骨のほか、棲月・早川鴎村、早川漁郎・蒼梧桐・長帆・かげろふなど。 明治3年、等照とジュンの長男として、肥後国玉名郡岩崎村(現:熊本県玉名市)に生まれた。生まれ年から、明三と名付けられた。等照は熊本藩の支藩高瀬藩の藩士で、家老の原家から養子入りしていた。1877年、一族と上京し、東京師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)に入り、巴町の鞆絵小学校(現:港区立御成門小学校)に転じた。 世を捨てた父よりは、その実弟に躾けられ、1883年(12歳)、大阪へ伴われて大阪中学校(旧制三高の前身)に学ぶかたわら、漢訳の聖書や英語を習った。
蓮田 善明 は、日本の国文学者、国学研究者、文芸評論家、国語… 蓮田 善明 は、日本の国文学者、国学研究者、文芸評論家、国語教員、詩人、軍人。出身は熊本県。広島文理科大学国語国文学科卒業。文武両道の人として知られる。