森 陽樹(もり はるき、2007年8月1日 - )は、宮崎県… 森 陽樹(もり はるき、2007年8月1日 - )は、宮崎県延岡市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 延岡市立川島小学校で1年生の時に東海東少年野球クラブで野球を始める。聖心ウルスラ学園聡明中学校では軟式野球部の一期生だった。 大阪桐蔭高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り。最速151km/hを記録するなど注目を集めた。2年夏の第96回選抜高等学校野球大会に出場し、神村学園との2回戦に先発登板して4回1失点だった。同年夏の第106回全国高等学校野球選手権大会にも出場し、小松大谷との2回戦で大会初登板・初先発して7回2失点と好投したが、試合は敗れた。3年夏は大阪府大会決勝で東大阪大柏原に敗れた。
河野 伸一朗(かわの しんいちろう、2006年8月20日 -… 河野 伸一朗(かわの しんいちろう、2006年8月20日 - )は、宮崎県児湯郡都農町出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学校3年生のときに野球を始めた。 宮崎学園高校では1年春の九州大会1回戦で公式戦デビューを果たした。2年夏の宮崎大会では背番号11で全5試合に登板。4完投1完封、計42回7失点(自責点6)の活躍で、春夏通じて創部21年目で初となる甲子園大会出場に貢献した。甲子園大会では背番号1を付け、文星芸大付との初戦に先発したが、試合中盤以降に制球を乱し、被安打15・9失点で完投負け。2年秋の県大会でも宮崎日大との3回戦に先発するも、2点リードの6回から制球難に陥り、7回には自身のフィールディングのミスを皮切りに、4四球で逆転を許してイニング途中から一塁の守備に回り、チームも敗れた。
中村 奈一輝(なかむら ないき、2006年8月16日 - )… 中村 奈一輝(なかむら ないき、2006年8月16日 - )は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 小学校3年時に「小戸第二レッドソックス」でソフトボールを始め、宮崎市立宮崎西中学校時代は「県央宮崎ボーイズ」でプレーをした。 宮崎県立宮崎商業高等学校では1年時夏よりベンチ入りし、遊撃手として活躍する一方で投手としても最速146km/hを記録するなど、二刀流の選手として話題になる。3年時夏の宮崎県大会では、決勝戦の富島高戦において4回よりリリーフ登板し、4回2/3を1安打無失点に抑える活躍で勝利に貢献し胴上げ投手となった。甲子園では初戦の中京大中京高戦にて「1番・遊撃手」で先発出場するも、5打数1安打の結果でありチームも4-3で敗退した。
日髙 暖己(ひだか あつみ、2004年9月16日 - )は、… 日髙 暖己(ひだか あつみ、2004年9月16日 - )は、宮崎県日向市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。広島東洋カープ所属。 長崎県で生まれ、生後4か月で宮崎県に転居する。日向市立細島小学校1年生の時に細島スポーツ少年団でソフトボールを始める。日向市立富島中学校時代は軟式野球部に所属し、遊撃手としてプレーした。 宮崎県立富島高等学校では、投手兼遊撃手として1年秋からベンチ入り。2年になると、山本由伸のフォームを参考にして急成長し、秋から本格的に投手に転向する。3年夏の宮崎大会では5試合を投げ抜き自責点はわずか2で、決勝の宮崎西戦では、91球で完封勝利と、100球未満で完封する「マダックス」を達成し、同校を2度目の夏の甲子園出場に導いた。
廣池 康志郎(ひろいけ こうしろう、2002年9月16日 -… 廣池 康志郎(ひろいけ こうしろう、2002年9月16日 - )は、宮崎県都城市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 小学校3年生のときに野球を始めた。 都城農業高校では2年時に遊撃手から投手へ転向した。2年夏の宮崎大会では全3試合に登板したが、都城東との3回戦で敗退。3年夏は新型コロナウイルスの影響で甲子園大会およびその出場権を懸けた地方大会が中止となり、独自代替大会(宮崎)では1回戦敗退であったが、最速142km/hを計測した。高校卒業後は、小学生の頃から憧れを抱いていた畜産業(詳細後述)を専門的に学ぶため、東海大学農学部応用動物科学科に入学した。 東海大学では九州キャンパス硬式野球部で野球を続け、農学部の実習も多かったが、野球と両立した。
深草 駿哉(ふかくさ ゆうや、2001年8月10日 - )は… 深草 駿哉(ふかくさ ゆうや、2001年8月10日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手(捕手)。 小学1年生の時に野球を始め、投手や遊撃手を経験。日章学園中学校では強肩を買われて捕手に転向した。中学3年生のときには2016年度全日本少年夏季軟式野球大会でベスト8に入る。 日章学園高等学校時代は監督からの指示で一度は投手としてプレーしていたが、1年冬に捕手への再転向を直訴し、2年夏から正捕手となった。すると、監督から「走られたのをほとんど見たことない」といわれる強肩で活躍を見せる他、打撃面でも2018年の秋季九州大会では打てる2番打者として11打数8安打を記録した。3年生時の2019年に、第91回選抜高等学校野球大会に出場した。
平野 大和(ひらの やまと、2001年8月7日 - )は、 … 平野 大和(ひらの やまと、2001年8月7日 - )は、 宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 兄の影響から小学2年生から軟式野球を始め、中学から中高一貫校である日章学園中学校・高等学校に進学し、同校の野球部の1期生として入部した。 高校では1年生の夏から左翼手のスターティングメンバーとして出場。2年生の秋には、秋季宮崎大会の準決勝において、左膝に自打球を当てて剥離骨折と診断されるも、秋季九州大会では痛み止めの薬を飲みながら出場し、春の選抜出場を果たした。3年生春の第91回選抜高等学校野球大会に4番・中堅手として出場するが、習志野高等学校に敗れた。3年生の夏の第101回全国高等学校野球選手権宮崎大会では、2回戦で都城工業高等学校に敗退し、2季連続の甲子園出場はならなかった。
戸郷 翔征(とごう しょうせい、2000年4月4日 - )は… 戸郷 翔征(とごう しょうせい、2000年4月4日 - )は、宮崎県都城市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 2023年シーズンからは同チームの投手キャプテンを、2024年シーズンからは選手会副会長を務める。 三股町立三股西小学校1年生の時に三股西ファイターズで野球を始め、都城市立妻ケ丘中学校では同校の軟式野球部に所属し、1年生は捕手、2年生から投手としてプレーした。 高校は延岡市の聖心ウルスラ学園高等学校に進学し、1年生の秋からベンチ入りを果たす。エースピッチャーとなった2年夏には第99回全国高等学校野球選手権大会に出場。対早稲田佐賀高校戦では、完投勝利で初戦突破するが、2回戦で聖光学院高校に4対5で敗れた。
森 遼大朗(もり りょうたろう、1999年4月22日 - )… 森 遼大朗(もり りょうたろう、1999年4月22日 - )は、宮崎県都城市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 宮崎県立都城商業高等学校では2年秋からエースを務めた。3年夏は県大会4強に終わり甲子園出場はならず、また3年の8月には練習中に左膝を損傷し、全治6か月の大怪我を負った。 2017年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議において千葉ロッテマリーンズから育成2位指名を受け、12月1日に支度金300万円、年俸240万円で契約を結んだ(金額は推定)。背番号は123。 2018年、シーズン前半は左膝のリハビリと体作りを行い、9月19日のイースタン・リーグの東北楽天ゴールデンイーグルス戦で公式戦初登板を果たし、1回を無失点に抑えた。
笠谷 俊介(かさや しゅんすけ、1997年3月17日 - )… 笠谷 俊介(かさや しゅんすけ、1997年3月17日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)。
山﨑 剛(やまさき つよし、1995年12月29日 - )は… 山﨑 剛(やまさき つよし、1995年12月29日 - )は、福岡県福岡市早良区出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 2020年のみ登録名を山﨑 幹史(読み同じ)としていた。 福岡市立飯倉小学校では3年から野球を始め、「田隈ジュニア」に所属。田隈ジュニアでは1番ピッチャーでキャプテンを務めた。 福岡市立原中学校時代は「城南サンボーイズ」に所属し二塁手を務めた。 日章学園高等学校時代は、1年秋から二塁手のレギュラーで活躍するものの甲子園出場はなかった。 國學院大學時代は、2年時は二塁手のレギュラーを獲得した春季に打率.400で首位打者と二塁手のベストナイン獲得。
ケムナ 誠(ケムナ まこと、本名:ケムナ ブラッド 誠、英:… ケムナ 誠(ケムナ まこと、本名:ケムナ ブラッド 誠、英: Brad Makoto Kemna、1995年6月5日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 アメリカ人の父と日本人の母を両親に持ち、アメリカ合衆国ハワイ州で生まれ、3歳から日本に移り住み5歳から高校卒業までを宮崎県日南市で過ごした。 小学校6年から野球を始め、日南市立油津中学校では軟式野球部に所属。日南高校の硬式野球部に入ったのは2年から。3年春から本格的に投手に転向するも最後の夏は地方大会で初戦敗退。 日本文理大学では2年春からリーグ戦に登板。大学では先発、中継ぎ、抑えと全てのポジションを経験。
村田 詩歩(むらた しほ、1994年6月6日 - )は、日本… 村田 詩歩(むらた しほ、1994年6月6日 - )は、日本の元女子プロ野球選手。宮崎県小林市出身。サイドスローの投手。 小学校2年生から野球を始め、中学校まで野球部に所属。高校は小林西高校のソフトボール部に所属し、インターハイに出場。2013年サウス・ディオーネ(2015年より兵庫ディオーネに組織変更)に所属する。同年12月5日、右野球肘(後方障害)のために鏡視下肘頭部分切除術を受けるが、翌シーズンの2014年4月18日に、右肘手術後初登板。2014年5月3日、フローラ戦でプロ初勝利。2016年シーズンを最後に引退。
柳 裕也(やなぎ ゆうや、1994年4月22日 - )は、宮… 柳 裕也(やなぎ ゆうや、1994年4月22日 - )は、宮崎県都城市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 宮崎県都城市生まれで、都城市立大王小学校・都城市立小松原中学校出身。小学3年から都城市の志比田スポーツ少年団で野球を始め、小学6年時には主戦で四番打者として軟式の全国大会に出場した。なお同年(2006年)に父親を交通事故で亡くしており、当時12歳の柳が喪主を務めた。中学時代は都城リトルシニアに所属し、3年生だった2009年にはシニアの日本代表に選ばれ、アメリカで開かれた少年野球全米選手権大会で優勝し、最も優れた投手に贈られるサイ・ヤング賞を受賞した。 中学卒業後の2010年、横浜高校に進学し、地元に母親・妹・祖母を残して単身で横浜へ渡った。
武田 翔太(たけだ しょうた、1993年4月3日 - )は、… 武田 翔太(たけだ しょうた、1993年4月3日 - )は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。KBO・SSGランダース所属。 大分県別府市生まれ。6歳で宮崎市に転居し、小学校でソフトボールを始める。宮崎市立住吉中学校時代は、軟式野球部に所属。3年夏には県大会決勝戦で延岡市立西階中学校に判定戦の末、勝利し優勝、続く九州大会では初戦で三好匠を擁する北九州市立大谷中学校に敗れる。その後、Kボールの宮崎県選抜チームに選出されて全国大会に出場し、近藤健介を擁する千葉県選抜チームと対戦した。当時から球速は142kmあった。 宮崎日大高等学校では1年秋からエースとなり、長身を活かした投球スタイルから「九州のダルビッシュ」と呼ばれる。
浜田 智博(はまだ ともひろ、1992年10月1日 - )は… 浜田 智博(はまだ ともひろ、1992年10月1日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 「チーム内に(濱田達郎と)浜田が2人いる」という事で、「九州の浜田」という理由から、現役時代のニックネームは「ハマ九(ハマキュウ)」だった。 宮崎工業高等学校では3年の選抜大会で甲子園に出場。1回戦では前橋工業を相手に2安打完封勝利。2回戦では広陵高等学校の有原航平と投げ合い、0-1でサヨナラ負けを喫した。 九州産業大学に進学後、3年春の九州工業大学戦で無安打無得点試合を達成。4年春の全日本大学野球選手権大会ではベスト8入りし、秋には明治神宮野球大会にも出場した。大学通算24勝8敗。
横山 弘樹(よこやま ひろき、1992年3月12日 - )は… 横山 弘樹(よこやま ひろき、1992年3月12日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 実父は高校野球の経験者。小学生時代から軟式野球を始めると、宮崎市立赤江東中学校時代には宮崎リトルシニアに所属した。宮崎日大高への進学後は、九州大会で準々決勝にまで残ったものの、甲子園球場との全国大会と縁がなかった。 桐蔭横浜大学への進学後は、神奈川大学野球リーグ戦へのデビューが3年時の春にまで持ち越されるほど、制球難の克服に時間を要した。3年秋にはチームが明治神宮大会で優勝するが同級生の右投手・小野和博(SUBARU)がフル回転して本大会での登板はなし。4年時に頭角を現すと、チームの春秋連覇に貢献して大学選手権では2回戦の愛知大戦では先発7回1/3を無失点に抑えるも準々決勝・亜大戦で延長10回から救援登板するもサヨナラ負け。
信樂 晃史(しがらき あきふみ、1991年12月26日 - … 信樂 晃史(しがらき あきふみ、1991年12月26日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属する宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(投手)。
加治屋 蓮(かじや れん、1991年11月25日 - )は、… 加治屋 蓮(かじや れん、1991年11月25日 - )は、宮崎県串間市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 串間市立大束小学校3年生の時に同小学校の野球クラブで野球を始め、大束中学校では三塁手としてプレーした。 宮崎県立福島高校では1年生の秋に背番号18でベンチ入りし、2年生の秋にエースになったが、甲子園出場経験は無い。 JR九州3年目の第38回社会人野球日本選手権大会の2回戦において2番手で5回を投げ、被安打2、自責点0だった。4年目に第84回都市対抗野球大会の1回戦で先発登板し、4回を投げ被安打5、与四死球1、奪三振4、自責点2の成績だった。 2013年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議において、ドラフト1巡目で松井裕樹、杉浦稔大をそれぞれ重複抽選で外した福岡ソフトバンクホークスに指名され、契約金9000万円、年俸1500万円(金額は推定)で入団に合意した。
赤川 克紀(あかがわ かつき、1990年7月31日 - )は… 赤川 克紀(あかがわ かつき、1990年7月31日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。2008年度のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから1位指名を受け入団、2012年にはオールスターゲームに監督推薦で出場した。2015年限りで引退。
有馬 翔(ありま しょう、1990年6月5日 - )は、宮崎… 有馬 翔(ありま しょう、1990年6月5日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、社会人野球のクラブチーム・新波に所属する。
田原 誠次(たはら せいじ、1989年9月2日 - )は、宮… 田原 誠次(たはら せいじ、1989年9月2日 - )は、宮崎県延岡市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。現在は読売ジャイアンツに所属。
安田 圭佑(やすだ けいすけ、1987年10月6日 - )は… 安田 圭佑(やすだ けいすけ、1987年10月6日 - )は、宮崎県延岡市出身の元プロ野球選手(外野手)。
大田原 隆太(おおたはら りゅうた、1987年7月30日 -… 大田原 隆太(おおたはら りゅうた、1987年7月30日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 都城市立今町小学校1年時に野球を始め、都城市立五十市中学校では軟式野球部に所属。同部在籍時の3年時に市内大会で準優勝。 宮崎県立都城工業高等学校に進学し、3年時に全国高校野球選手権大会宮崎県大会3回戦・宮崎県立延岡西高等学校戦に於いてノーヒットノーランを達成。チームのベスト8入りに貢献した。 2005年のドラフト会議にて、高校生の部ドラフト4巡目で福岡ソフトバンクホークスに入団。 一軍昇格は果たせず、2009年もウエスタン・リーグで4試合に登板、10イニングで20失点と散々だった。
金丸 将也(かねまる まさや、1987年3月19日 - )は… 金丸 将也(かねまる まさや、1987年3月19日 - )は、宮崎県宮崎郡清武町(現:宮崎市)出身の元プロ野球選手(投手)・監督。左投左打。 小学4年生から野球を始め、中学野球部を経て、佐土原高の野球部に入る。監督から体力不足を指摘され、走り込みに徹底して取り組んだ。3年夏の県大会では全試合に登板し、同高初の甲子園大会出場に貢献。本戦でも初戦で競り勝ち、チームに甲子園初勝利をもたらした。 その後、中部大学に進学。大学1年からリーグ戦に登板するも球速も130km/h前後であり、2年秋には左肩を故障。しかしこの故障を機に1日5食を課し10kg以上の増量を行い球速も140km/h台に上昇、大学4年時には先発投手として中部大初の全国大会進出の原動力となる。
下園 辰哉(しもぞの たつや、1984年11月22日 - )… 下園 辰哉(しもぞの たつや、1984年11月22日 - )は、宮崎県宮崎郡佐土原町(現・宮崎市)出身の元プロ野球選手(外野手)。愛称は「ゾノ」。 2025年から東北楽天ゴールデンイーグルス打撃コーチを務める。 宮崎日本大学高等学校では1年生から外野手の定位置を獲得し、2年生では九州地区の春季大会で優勝を果たす。高校のチームメイトに藤岡好明がいた。 九州国際大学に進学後は1年春からレギュラーとなり、秋は明治神宮大会出場。九州六大学リーグでベストナイン4回、打点王2回、首位打者1回、優秀選手賞1回を獲得したほか、リーグ通算114安打で当時の連盟新記録も樹立した。 2006年の大学生・社会人ドラフトで、横浜ベイスターズから4位指名を受け、入団。
七條 祐樹(しちじょう ゆうき、1984年7月10日 - )… 七條 祐樹(しちじょう ゆうき、1984年7月10日 - )は、宮崎県東臼杵郡北浦町(現:延岡市)出身の元プロ野球選手(投手)。
井手 正太郎(いで しょうたろう、1983年10月10日 -… 井手 正太郎(いで しょうたろう、1983年10月10日 - )は、宮崎県西諸県郡野尻町(現・小林市)出身の元プロ野球選手(外野手)。現在は横浜DeNAベイスターズの球団職員を務める。
寺原 隼人(てらはら はやと、1983年10月9日 - )は… 寺原 隼人(てらはら はやと、1983年10月9日 - )は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属。
甲斐 雅人(かい まさひと、1982年4月12日 - )は、… 甲斐 雅人(かい まさひと、1982年4月12日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(内野手)。 高鍋高では2年秋に九州大会初戦で本塁打を放つが同期でプロ入りする石橋尚登のいた波佐見高に敗れる。3年夏の県大会は準々決勝で敗退した。2000年のドラフト4位で広島東洋カープに入団。入団前は強肩好打で守備範囲も広い大型遊撃手との評価を受け、また東出輝裕や新井貴浩と並ぶほどの素材と評された。 プロ1年目の2001年は二軍で66試合に出場し、打率.233、0本、17打点をマークし51安打を放った。守備面では三塁手として53試合に出場、遊撃手として21試合に出場した。 プロ2年目の2002年は二軍で71試合に出場し、打撃面では打率.252、3本、24打点をマークした。
川﨑 雄介(かわさき ゆうすけ、1982年2月17日 - )… 川﨑 雄介(かわさき ゆうすけ、1982年2月17日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は千葉ロッテマリーンズの打撃投手。 宮崎県宮崎市出身。宮崎県立宮崎南高等学校時代は内野手兼投手。投手として目立った成績はなかったものの、3年時にはエースとして君臨し、登板しない時もパンチ力のある打撃で中軸打線に名を連ねるなど、攻守ともに主力選手であった。人柄は非常に明るく、後輩の面倒見も良かったという。九州東海大学(現東海大学九州キャンパス)時代も一時期内野手をしていたが、上級生になって投手に専念するものの、全国大会とは縁がなく目立った実績はなかった。 2004年に社会人野球のホンダ熊本に入社。
川﨑 雄介(かわさき ゆうすけ、1982年2月17日 - )… 川﨑 雄介(かわさき ゆうすけ、1982年2月17日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。
青木 宣親(あおき のりちか、1982年1月5日 - )は、… 青木 宣親(あおき のりちか、1982年1月5日 - )は、宮崎県日向市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 愛称は「ノリ」(英: Nori)、「ノリさん」 NPB史上唯一の2度のシーズン200安打達成者(2005年、2010年)であり、大卒入団選手としては日本で歴代最多となる日米通算2730安打(NPB15年 1956安打、MLB6年 774安打)を記録している。また、NPB歴代4位のシーズン安打記録(209安打)を保持する。 日向市立日知屋小学校に入学した後に兄の影響で1年生時から正式に全日知屋スポーツ少年団の一員となり、6年生時には投手として県大会優勝を果たす。しかし日向市立富島中学校ではチームがそれほど強くなく、県大会の上位進出は果たせなかった。
宮本 大輔(みやもと だいすけ、1981年10月2日 - )… 宮本 大輔(みやもと だいすけ、1981年10月2日 - )は、宮崎県日向市出身の元プロ野球選手(投手)、実業家。妻は漫才コンビ海原やすよ・ともこの海原やすよ。また、元男闘呼組の前田耕陽は相婿(≒義兄)である(やすよの姉、相方の海原ともこの夫)。 長崎県南松浦郡新魚目町(現・新上五島町)で生まれ、小学校3年生から野球を始めた。6年生の時に愛知県から財光寺南小学校に転入し、スポーツ少年団では捕手を務めていた。財光寺中学で投手に転向し、監督の強い誘いを受けて延岡学園に進学。3年夏の県大会では2回戦で敗退したものの、最速143km/hの速球やキレのある変化球が評価され、1999年のドラフト会議で大阪近鉄バファローズから1位指名を受けた。
堤内 健(つつみうち たけし、1980年7月20日 - )は… 堤内 健(つつみうち たけし、1980年7月20日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。 宮崎日大高2年夏に甲子園に出場し、登板するも敗退。日大では、大野隆治とバッテリーを組み、同期の館山昌平がエースであった。東都大学リーグで通算45試合に登板し5勝11敗、防御率2.84。4年生秋の専修大戦で当時のリーグタイの1試合18奪三振を記録した。ドラフト9巡目で横浜ベイスターズに入団。同年自由獲得枠で共に入団した村田修一は大学のチームメイト。 8月7日の巨人戦で初登板、8月16日の広島戦でプロ初勝利。 肘の手術を受けたこともあって一軍登板はなし。二軍の湘南シーレックスでもわずか2試合の登板に終わった。
梶原 康司(かじわら こうじ、1978年4月20日 - )は… 梶原 康司(かじわら こうじ、1978年4月20日 - )は、宮崎県東臼杵郡門川町出身の元プロ野球選手(内野手)。
平下 晃司(ひらした こうじ、1978年2月1日 - )は、… 平下 晃司(ひらした こうじ、1978年2月1日 - )は、宮崎県日南市出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)・コーチ。
草野 大輔(くさの だいすけ、1976年12月4日 - )は… 草野 大輔(くさの だいすけ、1976年12月4日 - )は、宮崎県延岡市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、プロ野球コーチ。
福盛 和男(ふくもり かずお、1976年8月4日 - )は、… 福盛 和男(ふくもり かずお、1976年8月4日 - )は、宮崎県北諸県郡高崎町(現:都城市)出身の元プロ野球選手(投手)。
笹山 洋一(ささやま よういち、1975年5月7日 - )は… 笹山 洋一(ささやま よういち、1975年5月7日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手(投手)。140km/hの速球にカーブやスライダーを加えて三振を奪う、本格派右腕だった。 小学3年の時に野球を始める。中学時代に宮崎県で初となる全中優勝を果たし、そのメンバーのほとんどが進学した小林西高では1年秋に県大会ベスト4、2年秋も県大会ベスト4となり3位決定戦で完封勝利したが九州大会は1回戦で敗退。3年生になるとエースで4番を務め、宮崎県大会では1人で6試合を投げ抜くとともに打率.500を記録し、1993年の夏の選手権に同校は初出場を果たした。選手権大会では学法石川との1回戦で逆転サヨナラとなる二塁打を放ち、長崎日大との2回戦では1失点完投で中村隼人に投げ勝っている。
黒木 純司(くろぎ じゅんじ、1974年6月20日 - )は… 黒木 純司(くろぎ じゅんじ、1974年6月20日 - )は、宮崎県延岡市出身の元プロ野球選手(投手)。
東 政敏(ひがし まさとし、1974年4月29日 - )は、… 東 政敏(ひがし まさとし、1974年4月29日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手(捕手)。 日章学園高から、1992年のドラフト5位でオリックス・ブルーウェーブに入団。 一軍出場のないまま、2000年に現役引退。 引退後は、横浜DeNAベイスターズでチームスタッフ(ブルペン捕手)を務めている。 後にスコアラーへ転身。
黒木 知宏(くろき ともひろ、1973年12月13日 - )… 黒木 知宏(くろき ともひろ、1973年12月13日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ。宮崎県日向市出身。
入来 祐作(いりき ゆうさく、1972年8月13日 - )は… 入来 祐作(いりき ゆうさく、1972年8月13日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。現在は横浜DeNAベイスターズのコーチを務める。 兄は元プロ野球選手の入来智。弟・入来博之も元野球選手で、TDK硬式野球部に所属していた。 実父は元自衛官。小学校2年生の時に、兄・智が所属していた少年野球チーム「五十市タイガース」で野球を始めた。 中学進学後に野球部へ所属してからは、投手として完全試合を2,3回、ノーヒットノーランを6回記録。3年生の時には、全国26の高校から進学の誘いを受けるほど注目された。しかし、夏季休暇中に、兄・智が所属していた三菱自動車水島硬式野球部(現・三菱自動車倉敷オーシャンズ)の練習へ参加。
織田 淳哉(おりた じゅんや、1972年8月8日 - )は、… 織田 淳哉(おりた じゅんや、1972年8月8日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手(投手、一時捕手に転向)。 日向高校2年時に夏の甲子園に出場(初戦敗退)。 早稲田大学に進学し、東京六大学リーグでは1年春から出場。初登板初勝利を収めると、開幕時点でリーグ戦で勝利した投手がいないほど投手陣の不足していた早大でたちまちエースの座に就き、1年春の投手としては1927年の宮武三郎(慶応義塾大学)以来の5勝を挙げた。1学年上には仁志敏久が、1学年下にはバッテリーを組んだ荒井修光がいた。 当時は1990年代前半の東京六大学野球を代表する選手だった。チームの投手事情から入学以来「織田・織田また織田、1週挟んでまた織田」といわれるほどに毎試合のようにマウンドに上がった。
後藤 隆之(ごとう たかゆき、1970年6月4日 - )は、… 後藤 隆之(ごとう たかゆき、1970年6月4日 - )は、元社会人野球選手(投手)。宮崎県延岡市出身。 小学校、中学校では、元福岡ダイエーホークスの柳田聖人とチームメイト(柳田が1つ先輩にあたる)。宮崎県立延岡高等学校から九州東海大学を経て、1993年に社会人野球の三菱重工長崎に入社。 2001年、第28回社会人野球日本選手権大会の優勝に貢献した。年齢に劣らず、10年連続で都市対抗野球に出場(補強選手として他チームからも参加)する実力を持つ。 2008年に現役を引退し、翌2009年からコーチとなった。2010年末に退団したが、監督として復帰し、2017年から統合された三菱日立パワーシステムズ(横浜市)へ選手と共に移籍し、第88回都市対抗野球大会でチームをベスト4に導いた。
日高 博之(ひだか ひろゆき、1970年5月6日 - )は、… 日高 博之(ひだか ひろゆき、1970年5月6日 - )は、宮崎県日向市出身の元プロ野球選手(外野手)、政治家。宮崎県議会議員(3期)。元日向市議会議員(2期)。 日向市の大王谷小、大王谷中を卒業。 高鍋高から、1988年オフにドラフト外で読売ジャイアンツに入団。 一軍公式戦への出場がないまま、1990年限りで現役を引退した。 1999年から代議士秘書となり、2003年4月に宮崎県日向市議会議員に初当選。 2007年4月、宮崎県日向市議会議員2期目当選。 2011年4月、宮崎県議会議員選挙(日向市選挙区より)に自民党から立候補したが落選。 2015年4月、宮崎県議会議員選挙(日向市選挙区より)に自民党から立候補し、無投票で初当選。
柳田 聖人(やなぎた しかと、1969年5月28日 - )は… 柳田 聖人(やなぎた しかと、1969年5月28日 - )は、宮崎県延岡市出身の元プロ野球選手(内野手)。
加世田 美智久(かせだ みちひさ、1969年4月24日 - … 加世田 美智久(かせだ みちひさ、1969年4月24日 - )は、宮崎県北諸県郡高崎町(現:都城市)出身の元プロ野球選手(投手)。
山尾 伸一(やまお しんいち、1968年8月6日 - )は、… 山尾 伸一(やまお しんいち、1968年8月6日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(外野手)。 現在は、個人でトレーナー業を営む。 都城西高から、1986年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから6位指名を受け入団。 一軍出場のないまま、1990年限りで現役を引退。 引退後はトレーナーに転身。清原和博、石毛宏典、小久保裕紀、斉藤和巳らのトレーナーを歴任したのち、2005年秋より寺原隼人と個人契約しスランプに陥っていた寺原の筋力を強化させ復活への目途をつけた。2007年シーズンより。再び小久保の個人トレーナーとして再契約した。