幸田 奈々(こうた なな、1997年9月27日 - )は、鹿… 幸田 奈々(こうた なな、1997年9月27日 - )は、鹿児島県出身の日本の柔道家。階級は63kg級。身長162cm。組み手は右組み。得意技は大内刈、寝技。 柔道は8歳の時に末吉柔道スポーツ少年団で始めた。小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会40kg級、6年の時に45kg級に出場するも、ともに予選リーグで敗れた。 末吉中学から鹿児島南高校へ進むと、3年の時にインターハイ63kg級で5位だった。国体少年女子の部では2位となった。 2016年には帝京科学大学へ進学した。3年の時には学生体重別で決勝まで進むも、山梨学院大学4年の佐藤史織にGSに入ってから反則負けを喫して2位だった。講道館杯では決勝でJR東日本の土井雅子に技ありで敗れて2位だった。
青柳 麗美(あおやぎ れみ、1997年6月9日 - )は、鹿… 青柳 麗美(あおやぎ れみ、1997年6月9日 - )は、鹿児島県出身の、日本の柔道選手である。階級は70kg級。身長168cm。組み手は左組み。得意技は内股。現在は環太平洋大学に在学。2011年の世界ジュニア66kg級で優勝した竪山将はいとこ。 柔道は10歳の時に国分西柔道クラブで始めた。舞鶴中学2年と3年の時に全国中学校柔道大会70kg級に出場するが、どちらも2回戦で文京第一中学の浜未悠に一本負けを喫した。鹿児島情報高校へ進むと、2年の時には全国高校選手権の決勝で大成高校2年の中江美裕を崩上四方固で破るなど、伏兵ながら5試合オール一本勝ちで優勝を成し遂げた。3年の時にはインターハイに出場するも、初戦で修徳高校3年の杉山歌嶺に指導2で敗れた。
前田 千島(まえだ ちしま、1997年3月4日 - )は、鹿… 前田 千島(まえだ ちしま、1997年3月4日 - )は、鹿児島県志布志市出身の、日本人の女子柔道家である。階級は52 kg級。身長157 cm。柔道弐段を取得。組み手は右組み。得意技は背負投。2019年に片手絞の珍しい絞技片手巻を国際試合で2回以上極めている。 5人兄弟の末っ子で、柔道は7歳の時に志布志柔道スポーツ少年団で始めた。小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会40 kg級に出場するが、予選リーグで敗れた。財部中学3年の時には全国中学校柔道大会44 kg級に出場するも、3回戦で敗れた。国分中央高校へ進むと、1年の時にはインターハイ52 kg級で5位となった。全国高校選手権52 kg級では3回戦で48 kg級の選手である大成高校2年の近藤亜美に袈裟固で敗れた。
稲森 奈見(いなもり なみ、1993年10月15日 - )は… 稲森 奈見(いなもり なみ、1993年10月15日 - )は、鹿児島県曽於市出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は78kg超級。身長165cm。体重110kg。血液型はA型。段位は弐段。組み手は右組み。得意技は大内刈。現在は三井住友海上女子柔道部に所属している。 柔道は父親の影響で5歳の時に末吉柔道スポーツ団で始めた。末吉中学校から鹿児島南高校に進むと、1年の時に金鷲旗で3位となった。3年の時には金鷲旗で3位、インターハイ78kg超級ではオール一本勝ちの優勝を果たした。全日本ジュニアでは2位となった。 2012年には三井住友海上所属となると、2013年の実業団体ではチームの優勝に大きく貢献した。
竪山 将(たてやま しょう、1993年7月12日 - )は、… 竪山 将(たてやま しょう、1993年7月12日 - )は、日本の柔道家。鹿児島県出身。階級は66kg級。身長160cm。得意技は背負投。血液型はO型。 柔道は5歳の時に隼人柔道スポーツ少年団で始めた。舞鶴中学3年の時に全国中学校柔道大会66kg級で3位となった。鹿児島情報高校3年の時に出場したインターハイでは3位にとどまったものの、全日本ジュニアでは優勝した。世界ジュニアでも優勝を果たした。2012年には鹿屋体育大学に入学すると、ロシアジュニア国際、ドイツジュニア国際、アジアジュニアで優勝を飾った。2013年には全日本ジュニアで2年ぶり2度目の優勝を飾ったが、世界ジュニア決勝では明治大学1年の橋口祐葵に敗れて2連覇はならなかった。
濵田 尚里(はまだ しょうり、1990年(平成2年)9月25… 濵田 尚里(はまだ しょうり、1990年(平成2年)9月25日 - )は、日本の女子柔道家、サンボ選手。2021年開催の東京オリンピック柔道78kg級金メダリスト。2018年世界柔道選手権大会78kg級金メダリスト。鹿児島県霧島市出身。山梨学院大学卒業。自衛隊体育学校所属の幹部自衛官(2023年12月現在、1等陸尉)。名字は報道等では浜田と表記されることもある。 握力は右59kg、左64kg。組み手は右組み。得意技は内股。趣味はコーヒータイムとケーキ作り。血液型はB型。 寝技の名手として知られる(後述)。試合に勝っても負けても畳の上では一切表情を変えない武道家らしい所作でも知られている。 柔道は霧島市立国分西小学校に在籍していた10歳の時に、兄と一緒に近所の陸上自衛隊国分駐屯地内の国分西柔道クラブで始めた。
濱田 尚里(はまだ しょうり、1990年9月25日 - )は… 濱田 尚里(はまだ しょうり、1990年9月25日 - )は、鹿児島県霧島市出身の、日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長167cm。組み手は右組み。血液型はB型。得意技は内股、寝技。現在は自衛隊体育学校に所属。
西田 優香(にしだ ゆか、1985年12月27日(40歳) … 西田 優香(にしだ ゆか、1985年12月27日(40歳) - )は、鹿児島県 出身の女子柔道家。階級は52 kg級。身長154 cm。得意技は背負投。組み手は左組み。血液型はA型。父親は世界柔道選手権代表経験のある西田孝宏。母も日本体育大学柔道部出身の柔道経験者である。弟の泰悟は2008年の学生体重別90 kg級で優勝している。 柔道は5歳の時に始めた。淑徳中学校に入学後、1年の時には早くも全国中学校柔道大会48 kg級で優勝した。2年の時は5位だったが、3年の時には52 kg級に階級を上げて2階級制覇を果たした。淑徳高等学校では全国高等学校柔道選手権大会で2連覇を達成した。 淑徳大学に進学後、2004年の世界ジュニアでは準決勝でロシアのアナ・ハリトノーワから技ありを先取するも、終盤に相手の腕挫十字固で左肘を負傷するが何とか凌いだ。
妹尾 ひでみ(せお ひでみ、1975年8月8日 - )は鹿児… 妹尾 ひでみ(せお ひでみ、1975年8月8日 - )は鹿児島県阿久根市出身の日本の柔道家。72kg超級の選手。現役時代は身長185cm。体重120kg。足のサイズは30cm。兄は伊勢ノ海部屋の元力士であった。 阿久根小学校5年の時に兄の影響で三笠少年柔道団で柔道を始めた。阿久根中学時代は九州大会で3位になるが、その当時の体重は実に173kgもあったという。私立柳川高校に入学すると体重は120~130kgで落ち着くことになったが、2年までは巨体をもてあまして練習も捗らず、また部内の層が厚いこともあって控えだった。3年になってようやくレギュラー選手になり、金鷲旗とインターハイ団体戦では同級生の全国高校選手権72kg級チャンピオンの佐藤和恵や、1年後輩で超高校級の全日本選手権チャンピオンの阿武教子らとともに活躍して優勝に貢献した。
繁昌 久哲(はんじょう ひさのり、1974年6月15日 -)… 繁昌 久哲(はんじょう ひさのり、1974年6月15日 -)は鹿児島県出身の日本の柔道家。95kg級の選手。身長175cm。 小学校5年の時には田崎柔道スポーツ少年団の一員として全国少年柔道大会の団体戦に出場すると、決勝で東福岡柔道教室の深川幸太郎に袈裟固で一本勝ちするも、他のメンバーが敗れて2位にとどまった6年の時には全国少年柔道大会の団体戦決勝で石川県の岩井柔道塾を破って優勝すると、個人戦でも決勝で東福岡柔道教室の深川を判定で破って2冠を達成した。 田崎中学2年の時には全国中学校柔道大会の個人戦78kg超級決勝で、古蔵中学3年の真喜志慶治を破って優勝を飾った。団体戦は3位だった。3年の時には全国中学校柔道大会の個人戦78kg超級決勝で八代第三中学3年の上水研一朗を破って2連覇を達成したが、団体戦では昨年に続いて3位だった。
岩川 武久(いわかわ たけひさ、1972年7月22日 -)は… 岩川 武久(いわかわ たけひさ、1972年7月22日 -)は鹿児島県出身の日本の柔道家。現役時代は71kg級の選手。身長165cm。 鹿屋第一中学から都城商業高校へ進むと、3年の時にはインターハイの軽中量級で優勝を飾った。 1991年に東海大学へ進学すると、1年の時に新人体重別71kg級で3位になった。ブルガリア国際ではシニアの国際大会で初優勝を飾った。2年の時には世界ジュニアの決勝でオーストリアのパトリック・ライターに敗れるも2位となった。4年の時には正力杯で2位にとどまるが、講道館杯では決勝で警視庁の阿武貴宏を破って優勝を成し遂げた。さらには、フランス国際でも優勝を飾った。 1995年にはフジ&トライオーシャンの所属となった。
諏訪 剛(すわ たけし、1955年6月23日 -)は鹿児島県… 諏訪 剛(すわ たけし、1955年6月23日 -)は鹿児島県出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長172cm。 柔道は小学校3年生の時に始めた。鹿児島実業高校2年の時に地元で開催された国体高校の部で優勝を飾った。明治大学時代は低迷していたが、京葉ガスに入社後頭角を現して、1978年の講道館杯86kg級で優勝を飾った。1979年の選抜体重別では2位だった。その後階級を95kg級に上げると、1981年の講道館杯で2位となった。1982年には嘉納杯で優勝を飾った。1983年には講道館杯で優勝した。選抜体重別では3位だったものの世界選手権代表に選ばれた。しかし、世界選手権では初戦で敗れた。
上口 孝文(うえぐち たかふみ、1948年10月10日 -)… 上口 孝文(うえぐち たかふみ、1948年10月10日 -)は、日本の柔道家。國學院大學人間開発学部名誉教授。現役時代は軽重量級の選手。183cm。100kg。得意技は大外刈。息子は100kg超級で活躍していた上口孝太。 鹿児島県出水郡高尾野町(現・出水市)出身。中学の時に柔道を始めて、出水工業高校から日大に進学した。2年の時には学生優勝大会で日大の優勝に貢献して優秀選手に選ばれた。卒業後は岡野功が主宰する正気塾に参加した。 その後、警視庁に警察官として入庁して、1973年の世界選手権軽重量級の代表に選ばれると決勝まで進むが、東海大学教員の佐藤宣践に釣込腰で敗れた。1976年の全日本選手権でも決勝まで進むものの、日大の後輩である遠藤純男に掬投で敗れて2位にとどまった。
松下 三郎(まつした さぶろう、1935年〈昭和10年〉9月… 松下 三郎(まつした さぶろう、1935年〈昭和10年〉9月1日 - 2020年〈令和2年〉4月19日)は、日本の柔道家。段位は講道館柔道九段。 鹿児島県日置郡吹上町 (現在の鹿児島県日置市吹上町)で生まれる。吹上町立伊作小学校を経て、吹上町立伊作中学校在学中に先輩の誘いで柔道と出会い、稽古に参加するようになった。 鹿児島商業高等学校進学後は野球部に入部したものの、ボール拾いやランニング、古いボールの繕いといったことの連続で練習の機会が無かった。そんな折、母校である伊作中学校に立ち寄った際に剣道の先生から柔道をやるよう勧められたこと、柔道部の顧問から勧誘されたことを理由に柔道部に転部し、県大会やインターハイに出場した。
吉松 義彦(よしまつ よしひこ、1920年11月16日 - … 吉松 義彦(よしまつ よしひこ、1920年11月16日 - 1988年7月5日)は、日本の柔道家(講道館9段)。元・鹿児島県柔道協会理事長。 世界選手権大会準優勝や全日本選手権大会で史上初となる3回優勝等の成績を残し、松本安市や醍醐敏郎、石川隆彦らと共に終戦直後の日本柔道界を代表する選手の1人であった。 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。1934年に旧制鹿児島商業学校(現・市立鹿児島商業高校)に入学し、林岩三(のち講道館9段)から同校柔道部および修道館道場にて指導を受けた。林は白帯時代から吉松の才を見抜き、著書『柔道に生きる』の中で「吉松の柔道は、守勢の時は青竹のようにしなやかで、相手が力のバランスを崩すとすぐにビシっと弾き返す、攻撃と守備の区切りがない理想の動き」と絶賛している。
徳 三宝(とく さんぽう、1887年12月12日 - 194… 徳 三宝(とく さんぽう、1887年12月12日 - 1945年3月10日)は、日本の柔道家。講道館柔道九段。大日本武徳会柔道教士。 鹿児島県の徳之島(大島郡天城町兼久)出身。亀津小学校から鹿児島県立第二鹿児島中学校(現在の鹿児島県立甲南高等学校)へ進学。剣道・柔道に励み、全九州の中学柔道大会を制しその名を知られる。師事した七校の佐村嘉一郎三段(後の十段)の勧めで上京し、東京高等師範学校体育科へ入学後、1906年に講道館へ入門。 一日に100本超える程の猛稽古を積み上達すると、当時の講道館でも最強を誇り、稽古中に姿勢が崩れる事のない強さ故に野中の一本杉とあだ名され、また、“膝つき一本(徳に膝をつかせただけでも、通常の一本に値するという意)”という言葉が生まれた。
大石 康(おおいし やすし)は、東京都出身の、日本の柔道家。… 大石 康(おおいし やすし)は、東京都出身の、日本の柔道家。 鹿児島県立出水高等学校、中部柔整専門学校卒業。 東京で生まれるが、10歳の時に鹿児島県出水市へ移り、そこで柔道を始めた。高校を卒業後に富士製鉄(現・日本製鉄)へ入社した。1964年の東京オリンピック柔道競技の無差別に同僚の神永昭夫が出場したが、決勝でオランダのアントン・ヘーシンクに敗れた際には「泣けて仕方がなかった」という。引退を決意した神永に「小さな時から基礎をしっかり鍛えなければ、日本は体格のいい外国勢に勝てなくなる」と言われたことをきっかけに、少年柔道の指導に取り組む決意をした。32歳の時には愛知県大府市に接骨院を開業するとともに、「基礎の徹底」と「柔道を長く続けたい気持ちにさせる」という指導方針を掲げて大石道場を設立した。