原田裕子(はらだ ゆうこ、1981年 - )は、日本の版画家… 原田裕子(はらだ ゆうこ、1981年 - )は、日本の版画家、木版画職人、摺師、木版デザイナー。鹿児島県鹿児島市出身。京都府京都市在住。老舗手摺匠「竹中木版」の六代目。京都教育大学教育学部美術科教育学科卒業。 大学在学中に竹中木版に弟子入り、竹中健司に師事。職人として技術を研鑽するとともに、竹笹堂アートディレクターとして、木版アートステーショナリーの作品を制作発表。数々のメディアから注目を集める。2006年(平成18年)にアメリカ合衆国ペンシルベニア州・マサチューセッツ州ボストンで、翌年にはハワイ州でワークショップを竹中健司と開催。原田の作品はギメ東洋美術館、フランス国立図書館(ともにフランス)に所蔵されている。
もっと読む
桑水流みき(くわずる みき、英語: Miki Kuwazur… 桑水流みき(くわずる みき、英語: Miki Kuwazuru、1969年〈昭和44年〉7月3日 - )は、日本の洋画家。鹿児島県鹿児島市出身。福岡県在住。女性。 鹿児島県鹿児島市に生まれ鹿児島市立伊敷小学校、鹿児島市立河頭中学校、鹿児島県立鹿児島中央高等学校を経て、久留米大学医学部附属臨床検査技師専門学校に入学。卒業後、日本赤十字社福岡県血液センターにて臨床検査技師として働き1994年退職、渡米。en:Montgomery Collegeおよびen:Maryland Institute College of Artにて習学中にナショナル・ギャラリー・オブ・アートで感銘を受け画家を志す。海外受賞歴多数。
もっと読む
田島 直樹(たじま なおき、1968年 - )は、日本の版画… 田島 直樹(たじま なおき、1968年 - )は、日本の版画家。学位は博士(芸術学)(筑波大学・2012年)。筑波大学芸術系教授。 筑波大学大学院人間総合科学研究科准教授、筑波大学芸術系准教授などを歴任した。 鹿児島県生まれ。鹿児島県立甲南高等学校卒業。1992年福岡教育大学教育学部中学校教員養成課程美術科卒業。1997年筑波大学大学院芸術研究科美術専攻洋画分野修了。なお、2012年3月、論文「シャルル・メリヨンのステートに関する研究」で筑波大学より博士(芸術学)授与。 1997年より筑波大学助手、講師を経て、2009年4月に准教授に就任し、後に教授。2007年、スウェーデン王立美術大学にて5ヶ月間文部科学省在外研修。
もっと読む
榎木 孝明(えのき たかあき、1956年1月5日 - )は、… 榎木 孝明(えのき たかあき、1956年1月5日 - )は、日本の俳優、水彩画家。鹿児島県伊佐郡菱刈町(現:伊佐市)出身。
もっと読む
山下 三千夫(やました みちお、1948年〈昭和23年〉7月… 山下 三千夫(やました みちお、1948年〈昭和23年〉7月25日[要出典] - )は鹿児島県出身の日本の画家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
もっと読む
吉永 邦治(よしなが くにはる、1944年 - )は、日本の… 吉永 邦治(よしなが くにはる、1944年 - )は、日本の画家、建築家。元大阪大谷大学教授。飛天の研究者。 鹿児島県川内市生まれ。桑沢デザイン研究所で学び、ドイツに遊学。西洋美術や建築などをロッテ・ロッシェリに学び、その後、高野山大学に入学し、山本智教に東洋美術や仏教美術などを学ぶ。高野山大学文学部仏教科卒業。絵画は山口長男に師事し、東洋各地の風土や人物を描き続ける。 一方、「気まぐれ美術館」(新潮社)の著者である洲之内徹と出会い、彼の主催する現代画廊にてインド・シルクロード・中国・日本各地を描いた作品の個展を開き、その度に多大なる影響を受けた。過去には国画会などに出品したが、現在は国内外各地での個展に重点をおいて発表し続けている。
もっと読む
バロン 吉元(バロン よしもと、1940年〈昭和15年〉11… バロン 吉元(バロン よしもと、1940年〈昭和15年〉11月11日 -)は、日本の漫画家、画家。本名、吉元 正(よしもとただし)。1960〜1970年代にかけて巻き起こった劇画ブームの全盛期を築いた漫画家のひとり。代表作に『柔俠伝』シリーズ、『どん亀野郎』、『黒い鷲』、『賭博師たち』など。 満洲奉天市(現・中華人民共和国瀋陽市)生まれ、鹿児島県指宿市育ち。鹿児島県立指宿高等学校卒業後、武蔵野美術大学西洋画科へ入学。柔道は黒帯を保有。 公益社団法人日本漫画家協会理事。2005年から2012年までは大阪芸術大学キャラクター造形学科にて教授を務めた。妻は日劇ミュージックホールでトップダンサーとして活躍し、2022年には第25回岡本太郎現代芸術賞で岡本太郎賞を受賞した、刺繍家・吉元れい花。
もっと読む
伊牟田 經正(いむた つねまさ、1934年11月5日-201… 伊牟田 經正(いむた つねまさ、1934年11月5日-2018年5月18日)は、日本の洋画家。光風会名誉会員、日展会員。日展評議員、光風会理事を歴任。 鹿児島県喜入村中名(現・鹿児島市喜入中名町)生まれ。小学生の頃から図画が得意だった。鹿児島県立甲南高等学校では美術部に所属し油絵を描き始め2年生の頃に画家を志す。高校時代、南日本美術展に出品。また、彼が3年生の時に、同校文学部が機関誌『深海魚族』を創刊した際、頼まれて表紙絵を提供している。甲南高校卒業後に上京し、新橋の光風会美術研究所で学ぶ。デザイン会社、映画看板屋、ペンキ屋などを遍歴した後、レーシングカーのサインペインターをしながら絵画制作を続ける。
もっと読む
児浦 純大(こうら すみなが、1934年-)は、日本の洋画家… 児浦 純大(こうら すみなが、1934年-)は、日本の洋画家。鹿児島県を中心に活動。 鹿児島県鹿児島市出身。1950年に鹿児島県立甲南高等学校へ入学し、美術部に所属。同年秋に鹿児島県甲南高校美術部と鹿児島玉龍高等学校美術部で鹿児島県高校美術展を旗揚げし、2年後の第3回展で児浦は最高賞を受賞。1953年、鹿児島県甲南高校を卒業。美大進学を親に反対されて鹿児島大学農学部に進学し、農業化学を専攻。1957年に鹿児島大学を卒業し、一度は化学教師になったが、夢を捨てきれず28歳のときに決心して絵画へ転向。教壇に立ちながら武蔵野美術短期大学の公開講座(通信教育)を受けて美術教員の資格を得た。 鹿屋市立百引中学校、鹿児島県立串木野高等学校、鹿児島県立鹿児島南高等学校で美術教諭を務める。
もっと読む
大嵩 禮造(おおたけ れいぞう、1934年-2003年1月7… 大嵩 禮造(おおたけ れいぞう、1934年-2003年1月7日)は、日本の洋画家。独立美術協会会員、鹿児島市立美術館館長、鹿児島大学名誉教授。同大教授のほか、鹿児島県美術協会会長、南日本美術展審査員を務め、地元の美術振興と後進の育成に貢献。 鹿児島県鹿児島市出身。1954年鹿児島県立甲南高等学校卒業。高校では鮫島梓が指導する美術部に所属。高校2年生で南日本美術展に初入選。 1958年鹿児島大学教育学部美術科卒業。1959年の第14回南日本美術展で「花の碑」が県知事賞(最高賞)を受賞。初の鹿児島県海外美術派遣留学生となり翌年渡仏しパリ留学。審査委員長海老原喜之助の紹介状を持って藤田嗣治のもとを訪ね、時代の潮流でなやむ姿を目の当たりにして、巨匠がこうなのだから自分は自分なりの絵を描くしかないと感じる。
もっと読む
文田 哲雄(ふみた てつお、1933年12月31日 - 20… 文田 哲雄(ふみた てつお、1933年12月31日 - 2022年12月12日)は、日本の洋画家。鹿児島県立短期大学名誉教授。鹿児島市立美術館第12代館長。二科会会員・参与だった。 奄美群島の徳之島にある鹿児島県大島郡天城町兼久生まれ。京都府立京都第二中学校(旧制)から鹿児島県立第二鹿児島中学校(旧制)に転校し、学制改革で鹿児島県甲南高等学校となった同校を1955年3月に卒業。在学中に結核を発症して療養のため休学したので、旧制鹿児島二中・新制鹿児島県甲南高校に通算で約9年間在籍し、本来は鹿児島県甲南高校3期生だったが6期生として卒業した。高校在学中は美術部に在籍し、南日本美術展に1953年奨励賞、1954年県教育委員会賞で連続受賞。
もっと読む
小森園 綾子(こもりその あやこ、神保 綾子〈じんぼう あや… 小森園 綾子(こもりその あやこ、神保 綾子〈じんぼう あやこ〉、1930年 - 1994年1月)は、日本の洋画家。鹿児島県とパリで活動。 鹿児島県出身。鹿児島県立甲南高等学校で美術部に所属。同高校から東京都の女子美術大学に進学。東京では春田安喜子のアパートに住み込みで師事。また、海老原喜之助、吉井淳二の知遇も得て師事する。1954年に女子美術大学を卒業し、教師となる。 1953年と1954年に独立展入選。1954年の第9回南日本美術展で奨励賞受賞。1955年から1962年まで二科展入選。1958年の第13回南日本美術展で県知事賞(最高賞)受賞。1961年、二科会のパリ留学生に選ばれ、1962年にフランスへ渡る。
もっと読む
春田 安喜子(はるた あきこ、1921年 - 2006年4月… 春田 安喜子(はるた あきこ、1921年 - 2006年4月6日)は、日本の洋画家。二科会理事。海老原喜之助、吉井淳二に学び、二科会で活躍したほか、地元鹿児島県の女流洋画壇振興に大きく貢献した。 鹿児島県鹿児島市加治屋町出身。実家は鹿児島市の老舗である春田屋呉服店で、父・吉次郎と伯父・宗次郎は鹿児島のアマチュア画家の草分け。1939年、鹿児島県立第二高等女学校卒業。女子美術専門学校高等科西洋画部を首席卒業。1943年から母校の鹿児島二高女および併設されている鹿児島女子師範学校で教える。加治屋町の自宅が戦災で焼け、アトリエがないので城山に登って桜島ばかり写生した後、鹿児島二高女のバラック校舎にこもって絵の具を使って暗くなるまで描いていた。
もっと読む
八島 太郎(やしま たろう、1908年9月21日 - 199… 八島 太郎(やしま たろう、1908年9月21日 - 1994年6月30日)は、日本とアメリカとで活躍した日本人画家、絵本作家である。本名 : 岩松 淳(いわまつ じゅん)。鹿児島県肝属郡小根占村出身。作家の伊佐千尋、俳優のマコ岩松は息子。
もっと読む
留岡 彬(とめおか あきら、旧姓・池畑、1908年-2002… 留岡 彬(とめおか あきら、旧姓・池畑、1908年-2002年)は、日本の洋画家。光風会会員、鹿児島市立美術館顧問。戦後光風会展や日展で活動し、京都画壇で活躍。重厚で色彩豊かな風景作品を発表した。 鹿児島県日置郡伊集院町(現日置市)生まれ。大牟礼南島が指導する鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、1928年に東京美術学校 (旧制)西洋画科へ進学し藤島武二に師事。1933年に同校を卒業。教員となり滋賀県立大津高等女学校に赴任。1941年京都市へ移る。京都市立美術工芸学校の後身京都市立日吉ヶ丘高等学校西洋画科(後の京都市立銅駝美術工芸高等学校)で教諭を務める。 1954年第40回光風会展でK氏賞を受賞。
もっと読む
安達 真太郎(あだち しんたろう、1906年 - 1988年… 安達 真太郎(あだち しんたろう、1906年 - 1988年8月)は、日本の洋画家。元光風会会員(光風会評議員)、元日展(文展)会員。光風会、日展で最も人気の高い作家の一人と言われた。 鹿児島県鹿児島市出身(出生地は兵庫県姫路市)。鹿児島市立松原尋常小学校と大牟礼南島が指導する鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業。 代用教員となるが、画家の夢をあきらめられずに上京して川端画学校に入る。住み込みで清水良雄に師事。清水にデッサンを教わった後東京美術学校も受験予定だったが、清水からもう充分実力がありわざわざ学校に通うのはもったいないといわれて取りやめる。画業のかたわら帝大植物園にて植物標本のスケッチの仕事を手伝う。
もっと読む
坂元 盛愛(さかもと もりよし、1906年-1990年10月… 坂元 盛愛(さかもと もりよし、1906年-1990年10月31日)は、日本の洋画家。光風会会員。鹿児島市立美術館館長や鹿児島県歴史資料センター黎明館専門員を歴任。号は照茂。 鹿児島県鹿児島市出身、鹿児島市立清水尋常小学校と鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業。鹿児島二中では大牟礼南島に師事。 1927年、南國美術展に初出品。1928年に上京して川端画学校で学ぶ。帰郷後、第9回南國美術展で美展賞受賞。この頃から金羊会に参加。以後、黒潮、艸玄社と鹿児島県洋画壇の保守勢力で中心作家として活躍。光風会展にも出品し、1967年会員推挙。山形屋宣伝部長も務めた。 刀剣審査委員など文化財保護にも尽力。
もっと読む
加藤 久幹(かとう ひさもと / ひさとし、1904年(明治… 加藤 久幹(かとう ひさもと / ひさとし、1904年(明治37年)12月8日 - 1976年(昭和51年)11月21日)は、日本の洋画家、華族。光風会会員。旧名・島津 久幹。 鹿児島県出身。重富島津家(薩摩島津氏の主要分家)の男爵・島津壮之助の二男として生まれる。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)で大牟礼南島に、東京美術学校(現:東京芸術大学)西洋画科で藤島武二に師事。1928年に東京美術学校を卒業。加藤子爵家(元近江水口藩主家、加藤嘉明系)の加藤克明の婿養子となる。 1957年、光風会会員となる。橋口康雄(橋口五葉の甥)や山口長男の上杜会に加わったことや、猪熊弦一郎と三春会をつくったこともある。
もっと読む
海老原 喜之助(えびはら きのすけ 1904年9月13日 -… 海老原 喜之助(えびはら きのすけ 1904年9月13日 - 1970年9月19日)は、日本の洋画家。鹿児島県出身。大正末期から昭和にかけてフランスと日本で活躍。「エビハラ・ブルー」と呼ばれた鮮やかな青の色彩を多用し、馬をモチーフとした作品を数多く制作した。1970年にパリで客死。今では郷里の鹿児島市立美術館、児玉美術館をはじめとする各地の美術館に作品が収蔵されている。 鹿児島県鹿児島市に生まれる。県立志布志中を卒業後、上京してアテネ・フランセでフランス語を学びながら有島生馬に師事するかたわら川端画学校でも絵画を学び『自画像』を制作した。1923年(大正12年)に19歳で単身渡仏し、パリで活動をしていた藤田嗣治に師事。
もっと読む
吉井 淳二(よしい じゅんじ、1904年〈明治37年〉3月6… 吉井 淳二(よしい じゅんじ、1904年〈明治37年〉3月6日 - 2004年〈平成16年〉11月23日)は、日本の洋画家、文化勲章受章者。鹿児島市立美術館顧問 鹿児島県曽於郡末吉町(現曽於市)出身。 鹿児島県曽於郡末吉町に生まれる。1922年(大正11年) 鹿児島県立志布志中学校(現在の鹿児島県立志布志高等学校)卒業。1929年(昭和4年) 東京美術学校洋画科卒業。 1940年(昭和15年) 二科会会員就任。1961年(昭和36年) 同会理事就任。1965年(昭和40年) 日本芸術院賞受賞。1972年(昭和47年) 南日本美術展審査委員長就任。1976年(昭和51年) 日本芸術院会員就任。1977年(昭和52年) 勲三等瑞宝章に叙される。
もっと読む
小倉 静三(おぐら せいぞう、1898年-1987年)は、日… 小倉 静三(おぐら せいぞう、1898年-1987年)は、日本の洋画家。谷口午二主宰の金羊会の結成メンバー。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)卒業。在学時期から大牟礼南島の指導を受けたと推定されている。 旧制中学卒業後は東京美術学校や川端画学校で学び、藤島武二、岡田三郎助らに師事したといわれているが定かではない。鹿児島に帰郷後は山下兼秀のすすめで、大嵩双山とともに谷口午二に師事し、金羊会を結成。 南國美術展の創設にも関わったとされる。その後、上京し、松坂屋宣伝部などに勤め、光風会展や日展に出品。また、示現会に所属。 優れた描写力を生かして戦争画も多く残した。
もっと読む
東郷 青児(とうごう せいじ、1897年(明治30年)4月2… 東郷 青児(とうごう せいじ、1897年(明治30年)4月28日 - 1978年(昭和53年)4月25日)は日本の洋画家。本名は東郷 鉄春。夢見るような甘い女性像が人気を博し、本や雑誌、包装紙などに多数使われ、昭和の美人画家として戦後一世を風靡した。派手なパフォーマンスで二科展の宣伝に尽力し、「二科会のドン」と呼ばれた。 1916年 パラソルさせる女 第1回昭和洋画奨励賞 1928年 日本芸術院賞 1957年 日活映画『誘惑』
もっと読む
谷口 午二(たにぐち ごじ、1894年2月8日 - 1987… 谷口 午二(たにぐち ごじ、1894年2月8日 - 1987年1月13日)は、日本の洋画家。戦前に金羊会を主宰して南國美術展を創設し、戦後は鹿児島市立美術館初代館長や顧問として鹿児島県の洋画振興に尽力した。代表的な作品として「自画像」と「琉球風景」が挙げられる。 鹿児島県鹿児島市山之口町出身。旧姓・益山。生年月日(1894年2月8日)が午の年午の日であるのにちなみ午二と名づけられる。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)(鹿児島二中)で大牟礼南島に学び、学外の山下兼秀からも指導をうける。1913年に上京して黒田清輝の葵橋洋画研究所でデッサンを修練し、貴族院議員千頭清臣(元鹿児島県知事)の書生をしながら東京美術学校西洋画科に入学。
もっと読む
和田 英作(わだ えいさく、1874年12月23日 - 19… 和田 英作(わだ えいさく、1874年12月23日 - 1959年1月3日)は、鹿児島県出身の洋画家・教育者。東京美術学校校長(1932年 - 1936年)。文化勲章受章者、文化功労者。父は和田秀豊、弟は和田秀穂。 1874年12月23日、鹿児島県肝属郡垂水村(現・垂水市)に生まれた。父親は牧師の和田秀豊、母親は川上トヨ。鹿児島生まれとするのが定説だが、1997年にフェルケール博物館で開催された「日本近代洋画の重鎮・和田英作展」では、東京生まれだとする新説が提示されている。和田秀豊はトヨの父親川上幸彦と親しかった。英作は三男四女の長男である。 3歳4か月だった1878年3月に家族で上京し、東京府麻布区の麻布仲ノ町に住んだ。
もっと読む