中田 乙一(なかた おとかず、1910年(明治43年)8月2… 中田 乙一(なかた おとかず、1910年(明治43年)8月29日 - 1999年(平成11年)12月28日)は、日本の実業家。元三菱地所社長。位階は正四位。 北海道小樽市出身。庁立小樽商業学校を経て、1932年に小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒業。 大蔵省勤務を経て、1939年三菱地所に転じる。総務部長・取締役・常務・副社長などを経て、1969年に社長に就任。在任中は、数多くのニュータウン事業を手がけた他、横浜市の「みなとみらい21」構想を策定するなど、宅地開発・都市再開発事業を積極に推し進め、それまで東京・丸の内の貸ビル事業が主体であった同社を、総合デベロッパーとして発展させる基を築いた。
石河 英夫(いしかわ ひでお、1910年5月12日 - 19… 石河 英夫(いしかわ ひでお、1910年5月12日 - 1998年5月29日)は、日本の会計学者。小樽商科大学名誉教授。元札幌学院大学学長。 日本会計学会理事や北海道経済学会代表理事なども務めた他、北海道大学、北見工業大学、北海学園大学、札幌大学、専修大学北海道短期大学、札幌短期大学など多くの非常勤講師も務めた。 『札幌学院 商経論集 第2巻第3号』(札幌学院大学商経学会、1986年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
渡辺 勘吉(わたなべ かんきち、1910年(明治43年)1月… 渡辺 勘吉(わたなべ かんきち、1910年(明治43年)1月2日 - 1988年(昭和63年)10月31日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、日本社会党)。 岩手県花巻市出身。1927年盛岡中学卒、1950年小樽高等商業学校卒。岩手県産業組合連合会に入り、同県信連、同県中央会各参事、全国農業会企画部長、全国農協中央会農政部長などを歴任する。1962年の参院選で日本社会党公認で岩手地方区から立候補し、現職の千田正らを破って当選する。参議院議員は1期務め、1968年の参院選で落選した。落選後の1971年の花巻市長選挙に無所属で立候補したが、現職の八重樫利康に敗れた。1980年春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。
北村 正司(きたむら しょうじ、1910年(明治43年) -… 北村 正司(きたむら しょうじ、1910年(明治43年) - 1989年(平成元年))は、日本の英語学者。専門は英語教育。英米文化。
和田 徹三(わだ てつぞう、1909年(明治42年)8月4日… 和田 徹三(わだ てつぞう、1909年(明治42年)8月4日 - 1999年6月27日)は日本の詩人・英文学者。北海道余市町出身。小樽高等商業学校卒。龍木煌(たつき あきら)のペンネームを持つ。 北海道薬科大学教授をつとめ英語を教える傍ら、詩人として活動。1930年頃伊藤整と同時に百田宗治主催の「椎の木」に参加し、文学活動に専念する。英詩の翻訳(ハーバート・リードの研究者としての実績)からモダニズムへと変貌。1997年「湾」で和田自身が《「湾」を形而上詩の研究とと実作の場にしよう》という沢村光博の提案を受け、私は《長編形而上詩の実験作品を連載することにした。》と述べている。また1970年頃《沢村光博はカソリシズムとコミュニズムの結合を企てていたし、私は親鸞思想へ激しく傾斜していった。
吉田 重春(よしだ しげはる、1908年(明治41年)11月… 吉田 重春(よしだ しげはる、1908年(明治41年)11月8日 - 没年不明)は、日本の実業家。北海道小型自動車販売協会、札幌地区軽自動車協会各専務理事。衆議院議員・立憲民主党代表の泉健太は外孫。 北海道出身。吉田重貞(札幌毎日新聞社社長)・キミの長男として生まれる。1930年(昭和5年)小樽高等商業学校卒業。高商卒業後、住友本社鴻之舞鉱業所、住友鉱業(現・住友金属鉱山)、住友石炭鉱業(現・住石マテリアルズ)、北海道マツダ販売を経て北海道小型自動車販売協会、札幌地区軽自動車協会各専務理事に就いた。 趣味は読書、麻雀、将棋、酒。 娘婿に元石狩市議の泉訓雄がいる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
板垣 與一(いたがき よいち、1908年 <明治41年> 1… 板垣 與一(いたがき よいち、1908年 <明治41年> 10月15日 - 2003年 <平成15年> 8月28日)は、日本の経済学者、国際政治学者。1932年に旧制東京商科大学を卒業。以後同大学(のち一橋大学)を研究拠点とし、戦前は植民地政策を研究領域として南方軍占領地の軍政に関与。戦後はアジア政治経済を研究領域とし、アジア経済研究所の設立を提言した。1972年亜細亜大学教授、経済学部長。1988年八千代国際大学初代学長。1972年一橋大学名誉教授。1980年勲二等瑞宝章受章。1984年経済社会学会会長。位階は正四位。 1908年、富山県射水郡新湊町(現射水市)の漁師の家に生まれた。1921年に富山県立高岡甲種商業学校(現富山県立高岡商業高等学校入学。
小野 正則(おの まさのり、1907年1月20日 - 198… 小野 正則(おの まさのり、1907年1月20日 - 1989年12月7日)は、日本の経営者。明治乳業社長を務めた。北海道出身。 1926年に小樽高等商業学校を卒業し、同年に明治製菓に入社。1944年に明治乳業に転じ、1959年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1973年5月に社長に就任。1977年6月に会長に就任し、1979年6月には相談役に就任。 1989年12月7日急性心不全のために死去。82歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
手嶋 恒三郎(てしま つねさぶろう、1906年2月12日 -… 手嶋 恒三郎(てしま つねさぶろう、1906年2月12日 - 1993年11月2日)は、日本の経営者。千代田火災海上保険社長、会長を務めた。宮城県出身。 1927年に小樽高等商業学校を卒業し、1928年8月に千代田火災海上保険に入社。1948年8月に取締役に就任し、1954年4月に常務、1958年6月に専務を経て、同年9月には社長に就任。1977年7月に会長に就任し、1980年7月に取締役相談役を経て、1983年7月には相談役に就任。 1969年6月に藍綬褒章を受章し、1976年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1993年11月2日心不全のために死去。87歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
實方 正雄(さねかた まさお、1905年6月20日 - 19… 實方 正雄(さねかた まさお、1905年6月20日 - 1986年10月10日)は、日本の法学者。専門は、商法・国際私法。学位は、法学博士(東北帝国大学)。大阪市立大学名誉教授、小樽商科大学名誉教授。千葉県生まれ。「実方正雄」とも表記される この他、関西学院大学法学部兼任講師(1946年 - 1966年)や北海学園大学法学部非常勤講師(1964年 - 1967年)、札幌商科大学商学部非常勤講師(1978年 - 1981年)も務めた。 子に北海道大学名誉教授の實方謙二がいる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
木曽 栄作(きそ えいさく、1905年1月19日 - 198… 木曽 栄作(きそ えいさく、1905年1月19日 - 1984年)は、日本の英語学者。専門は商業英語。 北海道小樽市出身。1927年(昭和2年)小樽高等商業学校卒業。1931年(昭和6年)小樽高等商業学校助教授。1937年、アメリカペンシルベニア大学経営学部大学院に入学し、商業英語と国際貿易の研究のため、文部省在外研究員として在留。1939年、同大学修士課程修了。1943年、正六位に叙される。1944年、小樽経済専門学校教授。翌年、勲六等に叙せられ瑞宝章を授与される。1950年、小樽商科大学教授と小樽経済専門学校教授を兼務。1960年、再びアメリカへの出張を命じられ、ミシガン大学大学院言語学科において、英語学と外国語教授法を学ぶ。
伊藤 整(いとう せい、1905年(明治38年)1月16日 … 伊藤 整(いとう せい、1905年(明治38年)1月16日 - 1969年(昭和44年)11月15日)は、日本の小説家、詩人、文芸評論家、翻訳家。位階は正五位。勲等は勲三等。 本名は伊藤整(いとう ひとし)。社団法人日本文藝家協会理事、東京工業大学教授、社団法人日本ペンクラブ副会長、財団法人日本近代文学館理事長などを歴任した。日本芸術院会員。 抒情派詩人として出発したが、その後詩作を離れて小説・評論に重心を移し、ジェイムズ・ジョイスらの影響を受けて「新心理主義」を提言。戦後は旺盛な著作活動に加え、ベストセラーや裁判の影響もあり、もっとも著名な評論家の一人となった。私小説的文学の理論化をめざすとともに自身も創作を行い、評論では『小説の方法』「近代日本人の発想の諸形式」「近代日本における『愛』の虚偽」『日本文壇史』などがあり、『氾濫』『変容』『発掘』は、夏目漱石の衣鉢を継ぐ近代小説三部作である。
西野 嘉一郎(にしの かいちろう、1904年8月21日 - … 西野 嘉一郎(にしの かいちろう、1904年8月21日 - 2003年1月14日)は、日本の実業家、経営学者。学位は、商学博士(早稲田大学・論文博士・1957年)(学位論文「経営分析 その理論と方法に関する研究」)。国鉄監査委員、健保組合連会長、東洋英和女学院理事長を歴任。藍綬褒章、勲三等旭日中綬章、勲二等瑞宝章受章。 福井県敦賀市出身。1926年小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒。三機工業、東京建鉄を経て、1934年芝浦製作所に入社。芝浦マツダ工業経理部長、芝浦製作所経理部長を経て、1945年取締役。のち常務、専務、副社長を歴任。1957年「経営分析 その理論と方法に関する研究」で商学博士(早稲田大学)の学位を取得。
小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12… 小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12月1日[注釈 1] - 1933年(昭和8年)2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家、小説家である。
田中 修吾(たなか しゅうご、1903年8月1日 - 199… 田中 修吾(たなか しゅうご、1903年8月1日 - 1996年12月16日)は、日本の経営者。共栄火災海上保険社長を務めた。福井県出身。 1924年に小樽高等商業学校を卒業し、同年に大福海上火災保険に入社。1942年に共栄火災海上保険に転じ、1949年5月に取締役に就任し、1958年2月に常務、1965年6月に専務を経て、1970年に副社長に就任し、1973年6月には社長に昇格。1977年7月に会長を経て、1979年7月から相談役を務めた。 1975年11月に勲四等旭日小綬章を受章した。 1996年12月15日老衰のために死去。93歳没。
朝倉 和夫(あさくら かずお、1903年6月15日 - 19… 朝倉 和夫(あさくら かずお、1903年6月15日 - 1986年)は、日本の会計学者・公認会計士・高校教員。札幌商科大学名誉教授。北海道札幌啓北商業高等学校元校長。 『朝倉和夫教授略歴・著作目録(朝倉和夫教授喜寿記念論文集)』(札幌商科大学学会論集、商経編 1981年) この項目は、会計に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト 会計)。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
進藤 孝二(しんどう こうじ、1902年9月25日 - 19… 進藤 孝二(しんどう こうじ、1902年9月25日 - 1973年9月23日)は、日本の実業家。大阪商船三井船舶(現商船三井)代表取締役社長や、日本船主協会会長を務めた。 兵庫県出身。神港商業学校(現神戸市立神港高等学校)を経て、1925年小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒業。三井物産船舶部入社後、船舶部が三井船舶として独立すると、同社企画課長、営業部長、常務取締役、専務取締役を歴任。1960年から代表取締役社長を務め、大阪商船との合併を行い、合併後の大阪商船三井船舶初代代表取締役社長に就任した。この間、日本船主協会会長も務めた。
森 武臣(もり たけとみ、1902年8月9日 - 1971年… 森 武臣(もり たけとみ、1902年8月9日 - 1971年3月23日)は、日本の経営者。富国生命保険社長を務めた。 山梨県出身。1927年に東北帝国大学法文学部を卒業し、1936年8月に富国生命保険に入社。1947年10月に取締役に就任し、1951年4月に常務、1953年5月に専務を経て、同年9月には社長に就任した。 日本航空、富士急行各取締役、東武鉄道、後楽園スタジアム、昭和電工各監査役も歴任した。 1971年3月23日、腎臓炎のために死去。68歳没。
野又 貞夫(のまた さだお、1901年(明治34年)12月2… 野又 貞夫(のまた さだお、1901年(明治34年)12月23日 - 1976年(昭和51年)10月15日)は、日本の商学者・学校経営者・政治家だった人物。 学校法人野又学園初代理事長。数多くの学校長を務めた。北海道旭川市出身。子に野又肇がいる。
寿原 九郎(すはら くろう、1901年(明治34年)3月23… 寿原 九郎(すはら くろう、1901年(明治34年)3月23日 - 1983年(昭和58年)5月21日)は、日本の実業家、銀行家。寿原産業、北洋相互銀行(現在の北洋銀行)社長を務めた。 石川県出身。1924年に小樽高等商業学校を卒業。1925年に三井銀行に入行。 1947年に寿原産業社長に就任し、1957年から1971年まで北洋相互銀行社長を務めた。 1983年5月21日、心不全のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高浜 年尾(たかはま としお、1900年12月16日 - 1… 高浜 年尾(たかはま としお、1900年12月16日 - 1979年10月26日)は、俳人。ホトトギス代表。俳人高浜虚子の長男。「年尾」の名は正岡子規の命名による。 東京市神田区猿楽町に虚子・いと夫妻の長男として生まれる。開成中学校から小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)に進む。小樽高商時代は同期に小林多喜二、1期下に伊藤整がおり、全員でフランス語劇に出演したこともある。卒業後、旭シルクに入社する。のち転勤により兵庫県芦屋に転居する。句作は父虚子の手ほどきを受けて中学時代から始めていたが、この時期に一時中断、1938年に『俳諧』を発行し連句をはじめる。「俳諧」は俳句、連句、俳文、俳詩、俳論などのほか俳句の英・仏・独訳を載せるなど意欲的な俳誌であった。
杉山 昌作(すぎやま しょうさく、1900年(明治33年)1… 杉山 昌作(すぎやま しょうさく、1900年(明治33年)10月18日 – 1994年(平成6年)3月1日)は、昭和期の大蔵官僚、政治家。参議院議員(2期)、専売局長官。 静岡県静岡市出身。小樽高等商業学校を卒業。1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格。1925年(大正14年)京都帝国大学経済学部を卒業した。同年、大蔵省に入省し専売局書記となる。 以後、専売局参事、大蔵省調査官、専売局長官などを歴任。その他、東北興業(のち東北開発)副総裁、専売事業協会会長、全国たばこ耕作組合中央会理事などを務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して初当選し、1956年(昭和31年)7月の第4回通常選挙に全国区から緑風会公認で出馬して再選され、参議院議員に連続2期在任した。
田上 束稲(たがみ つかね、1900年 <明治33年> 3月… 田上 束稲(たがみ つかね、1900年 <明治33年> 3月11日 - 1972年 <昭和47年> 7月11日)は、日本の経営者。日魯漁業 (現・Umios) 社長を務めた。 高知県長岡郡本山町出身。1923年に小樽高等商業学校を卒業。共同水産販売所での勤務を経て、日魯漁業に転じ、1947年4月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1960年4月に副社長に就任し、1964年1月には社長に昇格。1968年1月には会長に就任。 1971年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1972年7月11日、肺ガンのために死去。72歳没。
佐藤 一村(さとう いっそん、明治32年(1899年)10月… 佐藤 一村(さとう いっそん、明治32年(1899年)10月18日 - 1991年11月、本名: 佐藤 武市(さとう たけいち))は、日本の銀行員、大学教員、俳人である。ホトトギスの同人であった。 明治32年、青森市に生まれる。弘前中学校に通う。大正9年に小樽高等商業学校を卒業した後、太平洋戦争終結による解体まで台湾銀行に勤める。台南勤務、スラバヤへの駐在を経て、蘇州支店長、漢口支店長を歴任する。佐藤は武漢での勤務は「文字どうりの滅私奉公の四年であった」と振り返っている。戦後は日本に引き揚げ、GHQ大阪軍政部の技術顧問となった。後に大阪工業高等専門学校および大阪工業大学短期大学部で講師を務めた。
君島 興一(きみじま こういち、1898年10月10日 - … 君島 興一(きみじま こういち、1898年10月10日 - 1971年1月3日)は、日本の経営者。茨城県出身。 1922年に小樽高等商業学校を卒業し、同年に川崎汽船に入社。1946年11月に取締役に就任し、専務を経て、同年12月に社長に就任。1950年8月に川崎重工業専務に就任し、1963年6月から1965年2月まで副社長を務めた。 1964年11月に藍綬褒章を受章し、1967年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1971年1月3日心筋梗塞のために死去。72歳没。
大野 純一(おおの じゅんいち、1898年8月5日 - 19… 大野 純一(おおの じゅんいち、1898年8月5日 - 1982年1月31日)は、日本の経済学者。専門は財政学。初代小樽商科大学学長。 北海道滝川町出身。1919年小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒業。1922年東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部卒業。同年小樽高等商業学校講師。同年小樽高等商業学校助教授。 1924年小樽高等商業学校教授。1927年から1931年までドイツに留学。1945年小樽経済専門学校図書館主幹。1946年から校長を務め、1947年には男女共学制度を施行。1949年から初代小樽商科大学学長。1950年小樽セーリング協会会長。 1952年に小樽商科大学短期大学部を設置。1962年定年退官、小樽商科大学名誉教授。
松原 地蔵尊(まつばら じぞうそん、 本名:重造、 明治30… 松原 地蔵尊(まつばら じぞうそん、 本名:重造、 明治30年(1897年)10月10日 - 昭和48年(1973年)10月7日)は、日本の俳人。 富山県氷見郡阿尾村(現・氷見市)阿尾生まれ。学生時代からホトトギスに投句し、1917年樺太庁中学校卒業。1920年小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒業。1923年東京商科大学(現・一橋大学)卒業。 新興俳句運動の俳人として活動した。また、小池銀行営業部長、小池証券取締役、山一証券大阪支店長、山一証券取締役、山一証券監査役幹事長、小柳証券参与等を歴任した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
糸魚川 祐三郎(いといがわ ゆうざぶろう、1897年8月22… 糸魚川 祐三郎(いといがわ ゆうざぶろう、1897年8月22日 - 1967年11月17日)は、日本の商学者、教育者。横浜高等商業学校(後の横浜国立大学の前身のひとつ)校長、和歌山大学学長、松商学園短期大学(後の松本大学松商短期大学部)学長などを歴任した。 岐阜県恵那郡坂下町に生まれ、1915年に松本商業学校(後の松商学園高等学校)、1918年に小樽高等商業学校(後の小樽商科大学)、1922年に東京高等商業学校(後の一橋大学)専攻部を、それぞれ卒業した。 1923年に、小樽高等商業学校教授となり、1924年から1928年まで、簿記・商業学研究を目的として留学し、イギリス、ドイツ、アメリカ合衆国を回り、帰国後は、小樽高等商業学校に戻ったが、後には文部省督学官、さらに1942年の制度改正により教学官となった。
南 亮三郎(みなみ りょうざぶろう、明治29年(1896年)… 南 亮三郎(みなみ りょうざぶろう、明治29年(1896年)10月28日 – 昭和60年(1985年)5月24日)は、日本の人口学者。小樽高等商業学校(現小樽商科大学)教授、北海道立労働科学研究所(現北海道立総合研究機構)初代所長、中央大学教授、日本人口学会会長等を歴任した。藍綬褒章受章。 小樽高等商業学校(現小樽商科大学)入学、大西猪之介に師事、1918年(大正7)9月20日『小樽毎夕新聞』に「社会主義者を検挙する前に」と題する米騒動に関する意見を発表し、筆禍事件に発展、1920年(大正9)同大学卒業卒業。東京植民貿易語学校(現保善高等学校)教諭を経て、1923年(大正12)東京商科大学(現一橋大学)卒業。
栗林 徳一(くりばやし とくいち、1896年(明治29年)3… 栗林 徳一(くりばやし とくいち、1896年(明治29年)3月9日 - 1981年(昭和56年)12月27日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、室蘭市名誉市民。 北海道室蘭で、栗林五朔、カス夫妻の長男として生まれる。1918年(大正7年)小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を卒業し、父の事業を継いで海運業を営む。栗林 (名) 社員、栗林商会社長、栗林商船社長、室蘭船渠取締役、南洋興発取締役、室蘭商工会議所会頭、胆振縦貫鉄道会長、北海道地方電力調整委員などを務めた。1932年(昭和7年)2月、欧米の温泉場、港湾の視察で外遊し、同年11月に帰国した。 1939年(昭和14年)9月29日、貴族院多額納税者議員に就任。
浅野 義夫(あさの よしお、1895年(明治28年)10月 … 浅野 義夫(あさの よしお、1895年(明治28年)10月 - 1976年(昭和51年)5月15日)は、日本の実業家で、浅野総一郎の四男、浅野財閥の各社の重役を歴任した。 浅野義夫は明治28年 (1895年) 10月に浅野総一郎の四男として生まれた。最初は龍蔵という名前だったが、義夫に改名した。大正8年 (1919年) に小樽高商を卒業すると、すぐに渡米し、ニューヨークのグレース商会 (W. R. Grace Co., New York) に三年間勤務した。大正10年に帰国してからは、浅野財閥の多数の会社の重役を同時に務めた。昭和12年頃は、小倉製鋼の東京出張所に毎日出勤して社務を統べた。戦後の財閥解体後は、東都製鋼相談役やトピー工業最高顧問を務め、尼崎築港の大株主でもあった。
佐々木 周一(ささき しゅういち、1893年 - 1982年… 佐々木 周一(ささき しゅういち、1893年 - 1982年)は、日本の実業家。三井船舶代表取締役社長や、日本船主協会会長、日本海難防止協会会長等を歴任した。 1893年小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒業、三井物産入社。イギリス駐在等を経て、1942年三井船舶専務取締役。1944年三井本社代表取締役常務理事。日本の降伏後1945年三井船舶代表取締役社長に就任。1946年には日本船主協会会長も兼務したが、同年公職追放となり退任。1962年三井ライン興業取締役。1968年から日本原子力船開発事業団理事長を務め、むつの開発などを進めた。日本海難防止協会会長、海上安全審議会会長なども歴任した。
苫米地 英俊(とまべち ひでとし、1884年(明治17年)1… 苫米地 英俊(とまべち ひでとし、1884年(明治17年)12月1日 - 1966年(昭和41年)5月5日)は、日本の言語学者(英語学)、国際法学者、政治家、衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)。 小樽高等商業学校(現小樽商科大学)、札幌短期大学、北海道自動車短期大学(現北海道科学大学短期大学部)などの校長や学長を歴任。 1884年現在の福井県大野市に生まれる。その後長野県長野市に移り、旧制長野中学(長野県長野高等学校)を卒業後、1904年に東京外国語学校英語科に入学。 長野時代から柔道で頭角をあらわし、東京外国語学校在学中に講道館に入門、嘉納治五郎の主催する嘉納塾の塾監として嘉納塾の子弟の指導にあたる。
伴 房次郎(ばん ふさじろう、1874年9月20日 - 19… 伴 房次郎(ばん ふさじろう、1874年9月20日 - 1956年11月19日)は日本の法学者、教育者。専門は民法。小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)第二代校長。長男伴素彦はサンモリッツオリンピックスキージャンプ日本代表で日本製粉株式会社の会長も務めた。 1874年(明治7年)京都市伏見区生まれ。京都府尋常中学校、第四高等学校 (旧制)を経て1902年(明治35年)東京帝国大学法科大学法律学科を卒業し京都帝国大学法科大学講師となる。翌1903年(明治36年)助教授となり、1908年(明治41年)からイギリス、フランス、ドイツへ留学。1912年(明治45年)帰国し7月より北海道の小樽高等商業学校に教授として赴任する。
堀越 哲二 は、日本の元・学校経営者。群馬県に本部を持つ学校… 堀越 哲二 は、日本の元・学校経営者。群馬県に本部を持つ学校法人堀越学園の元理事長、創造学園大学の元学長。高崎保育専門学校元学校長、高崎医療技術福祉専門学校元学校長、元堀越幼稚園長、創造学園大学附属高等学校元校長。なお、小池哲二 、小池大哲 、堀越大哲とも名乗っていた。
柴垣 譲(しばがき ゆずる)は、日本の実業家。三菱地所リアル… 柴垣 譲(しばがき ゆずる)は、日本の実業家。三菱地所リアルエステートサービス代表取締役社長や、不動産流通経営協会副理事長を務めた。 1972年小樽商科大学商学部卒業、三菱地所入社。住宅開発事業本部住宅事業部長を経て、2003年執行役員住宅開発事業本部住宅事業部長に昇格。2008年には常務執行役員として、三菱地所が良品計画との間で、分譲マンション事業で共同企画を展開することを発表した。2009年から三菱地所リアルエステートサービス代表取締役社長を務め、2010年には住宅分譲事業の三菱地所レジデンスへの統合にあたった。不動産流通経営協会副理事長も務めた。
森 裕(もり ゆたか)は、日本の官僚。会計検査院事務総長官房… 森 裕(もり ゆたか)は、日本の官僚。会計検査院事務総長官房審議官、会計検査院第3局長、第5局長を経て、静岡県代表監査委員。 静岡県生まれ。1982年小樽商科大学商学部商学科卒業。会社法の青竹正一ゼミ出身。損害保険会社入社後、1987年に会計検査院に入り、人事課人事企画官、厚生労働検査第2課長、能力開発官、農林水産検査第2課長、厚生労働検査第1課長、会計課長、官房審議官(第5局、第1局)を経て、2019年第3局長。同年第5局長。2020年退官、静岡県監査委員(代表)。