林 謙作(はやし けんさく、1937年11月8日 - 201… 林 謙作(はやし けんさく、1937年11月8日 - 2010年3月15日)は日本の考古学者。元北海道大学教授。
東北大学:1,595人
林 謙作(はやし けんさく、1937年11月8日 - 201… 林 謙作(はやし けんさく、1937年11月8日 - 2010年3月15日)は日本の考古学者。元北海道大学教授。
手島 忠(てしま ただし、1937年10月28日 - )は日… 手島 忠(てしま ただし、1937年10月28日 - )は日本の実業家。ニチレイ代表取締役社長や、日本冷蔵倉庫協会会長を務めた。 1960年東北大学農学部水産学科卒業、日本冷蔵(現ニチレイ)入社。1985年取締役。1993年から代表取締役社長を務め、創業以来初となった赤字への対応などを行った。1997年には浦野光人を経営企画部長に登用。不採算事業の整理を進め、1999年度及び2000年度にそれぞれ200億円を超える特別損失を計上し、2001年に相談役に退いた。2007年顧問。日本冷蔵倉庫協会会長も務めた。
佐藤 亮一(さとう りょういち、1937年10月18日 - … 佐藤 亮一(さとう りょういち、1937年10月18日 - 2020年11月11日)は、日本の日本語学者。専門は方言学。山形県山形市出身。 山形県立山形東高等学校を経て、1960年東北大学文学部国語学科卒業、1963年同大学院文学研究科国語学専攻課程修士課程修了(文学修士)、1966年同博士課程単位取得退学。1966年聖和学園短期大学助教授、1968年国立国語研究所第一研究部地方言語研究室に入室、1975年同室長、1989年フェリス女学院大学文学部教授、1994年東京女子大学現代文化学部教授、2006年退職。 国立国語研究所では、「日本言語地図(LAJ)」「方言文法全国地図(GAJ)」、「日本方言大辞典」などの編纂にあたった。
曽根 中生(そね ちゅうせい、1937年〈昭和12年〉10月… 曽根 中生(そね ちゅうせい、1937年〈昭和12年〉10月1日 - 2014年〈平成26年〉8月26日)は、日本の映画監督、脚本家。本名:曽根 義忠(よしただ)。 群馬県北群馬郡子持村(現在の渋川市)出身。群馬県立渋川高等学校を経て、東北大学文学部を卒業した1962年に日活に入社。蔵原惟繕、牛原陽一らに師事する。 若松孝二監督の問題作『壁の中の秘事』(1965年)の脚本を担当して注目を集める。 また脚本家集団具流八郎の中心的メンバーとして、鈴木清順監督の日活最後の作品『殺しの烙印』(1967年)の脚本を手がける。 その後、監督デビューと時を同じくして日活がロマンポルノ路線に転じたため、多くのロマンポルノ作品を監督することとなった。
上野 矗(うえの ひとし、1937年9月26日 - 2022… 上野 矗(うえの ひとし、1937年9月26日 - 2022年6月13日)は、日本の心理学者。大阪教育大学名誉教授。 長野県長野市出身。東北大学文学部心理学科卒業、1967年、同大学院文学研究科心理学専攻博士課程単位取得退学、白梅学園短期大学講師。1969年、弘前大学養護教諭養成所助教授。1973年、大阪教育大学助教授。1983年、教授。1992年「病気との和解実現の方途を探って-体験学習におけるグループ受容体験をモデルとして」で久留米大学医学博士。2003年定年退官、名誉教授、大阪樟蔭女子大学教授。2008年退職。2017年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
前田 富祺(まえだ とみよし、1937年8月26日 - 20… 前田 富祺(まえだ とみよし、1937年8月26日 - 2025年11月12日)は、日本の国語学者。大阪大学名誉教授、神戸女子大学名誉教授。 北海道生まれ。1965年に東北大学大学院文学研究科博士課程満期退学。宮城学院女子短期大学助教授、東北大学教養部助教授、大阪大学文学部助教授、同教授。1986年に「国語語彙史研究」で文学博士。2001年に定年退官、名誉教授、神戸女子大学教授、2008年に退職、名誉教授。
玉懸 博之(たまかけ ひろゆき、1937年4月23日 - )… 玉懸 博之(たまかけ ひろゆき、1937年4月23日 - )は、日本思想史学者。文学博士(東北大学・論文博士・2000年)(学位論文「日本中世思想史研究」)。東北大学名誉教授。 岩手県二戸郡金田一村(現・二戸市)生まれ。1963年東北大学文学部日本思想史専攻卒業。68年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学、東北大学文学部助手、73年講師、77年助教授、1986年教授(日本思想史)。2000年、「日本中世思想史研究」で、東北大学より文学博士の学位を取得。2001年定年退官、名誉教授、いわき明星大学教授、図書館長。2004年退職。日本思想史学会会長を務めた。
岩本 由輝(いわもと よしてる、1937年4月8日 - )は… 岩本 由輝(いわもと よしてる、1937年4月8日 - )は、日本の経済学者・歴史学者、東北学院大学名誉教授。専門は歴史経済学。 東京府東京市中野区東中野(現・東京都中野区)に生れる。1961年東北大学経済学部卒業。1967年同大学院経済学研究科博士課程修了、「近世漁村の共同体の変遷 商品経済の進展と村落共同体」で経済学博士の学位を取得。同年山形大学講師、助教授、教授、1988年東北学院大学教授。2005年比較家族史学会会長。2011年退任、名誉教授。
針生 雄吉(はりう ゆうきち、1937年2月25日 - 20… 針生 雄吉(はりう ゆうきち、1937年2月25日 - 2025年3月27日)は、日本の政治家、医師。元公明党参議院議員(1期)。医学博士。 宮城県仙台市出身。1963年東北大学医学部卒。1968年東北大学大学院医学研究科修了。修了後は国立水戸病院や仙台市立病院などに産婦人科医として勤務する。1986年の第14回参議院議員通常選挙に比例区から公明党公認で立候補したが次点に終わる。1990年塩出啓典の衆院選立候補(落選)に伴い繰り上げ当選、1期務めた。1992年引退。 2025年3月27日午前1時18分、肺炎のため仙台市の病院で死去。88歳没。
矢嶋 聰(やじま あきら、1937年2月8日 - )は、日本… 矢嶋 聰(やじま あきら、1937年2月8日 - )は、日本の医学者。専門は産科学・婦人科学。 長野県出身。1955年長野県諏訪清陵高等学校卒業。1962年東北大学医学部卒業。1967年同大学大学院医学研究科修了。同大学医学部産婦人科研究生。1970年同大学医学部助手。1974年シカゴ大学産婦人科・細胞病理学研究室留学。1978年東北大学医学部病理学第二講座で笹野伸昭に師事。同大学医学部講師。1980年東北労災病院産婦人科部長。同病院産婦人科副科長。東北大学医学部助教授。1982年東北労災病院産婦人科医局長。1985年東北大学医学部教授。東北労災病院産科婦人科科長、分娩部長併任。1994年同病院周産母子センター部長併任。
兒島 伊佐美(こじま いさみ、1937年1月16日 - )は… 兒島 伊佐美(こじま いさみ、1937年1月16日 - )は、日本の実業家。東京電力取締役副社長や、日本原燃代表取締役社長、電気事業連合会副会長等を歴任した。 長野県出身。1960年東北大学法学部卒業、東京電力入社。1997年東京電力常務取締役立地環境本部長。1999年東京電力取締役副社長立地環境本部長。2000年東京電力取締役、電気事業連合会副会長。2004年から日本原燃代表取締役社長を務め、2009年に長期入院に伴い退任し、相談役に就任した。現在東京都在住。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
齋藤 寛(さいとう ひろし、Hiroshi SAITO、19… 齋藤 寛(さいとう ひろし、Hiroshi SAITO、1937年1月5日 - 2019年8月14日)は、日本の医師、医学者。学位は医学博士(東北大学大学院・1968年)。長崎大学 名誉教授。長崎大学 第13代学長。専門は衛生学。旧姓は林。 長野県上伊那郡朝日村(現 辰野町)出身。
渡邊 洋(わたなべ ひろし、1937年1月2日- )は、日本… 渡邊 洋(わたなべ ひろし、1937年1月2日- )は、日本のフランス文学者・比較文学者。富山大学名誉教授。 仙台市生まれ。1965年東北大学文学部仏文科卒。67年同大学院修士課程修了、東北大学文学部助手、1968年岩手大学教養部講師、71年助教授、77年人文社会科学部教授、1987年富山大学人文学部教授。2001年定年退官、名誉教授。
岩崎 鐵志(いわさき てつし、1937年 - )は、日本の歴… 岩崎 鐵志(いわさき てつし、1937年 - )は、日本の歴史学者(洋学史・国学史)。学位は文学修士。静岡県立大学名誉教授。名の「鐵」は「鉄」の旧字体であるため、新字体で岩崎 鉄志(いわさき てつし)と表記されることもある。 静岡女子短期大学文学科教授、静岡県立大学短期大学部教授、静岡県立大学短期大学部附属図書館館長、静岡県立大学短期大学部部長、静岡文化芸術大学文化政策学部教授などを歴任した。 洋学史や国学史を専攻する歴史学者である。洋学や国学の歴史的な展開と背景の研究で知られている。静岡女子短期大学、静岡県立大学、静岡文化芸術大学などで教鞭を執った。 1937年(昭和12年)に生まれた。国が設置・運営する東北大学に進学し、1961年(昭和36年)まで文学部の国史学科にて学んだ。
蛇口 浩敬(へびぐち ひろたか、1937年 - )は、八戸大… 蛇口 浩敬(へびぐち ひろたか、1937年 - )は、八戸大学前学長、八戸短期大学学長、学校法人光星学院理事、元東京銀行取締役、ドイツ連邦勲一級功績十字勲章受章、日本国外務大臣賞受賞。 1937年(昭和12年)青森県八戸市出身、八戸高校-東北大学法学部卒業後、東京銀行入行。ドイツ・マールブルク大学留学。スイス東京銀行総支配人、八重洲通支店長、取締役東京銀行ドイツ総支配人兼デュッセルドルフ支店長などを歴任。海外勤務は通算18年。ドイツ滞在中はデュッセルドルフ日本商工会議所・日独円卓会議の創設で尽力し、外国人では最高位となるドイツ連邦勲一級功績十字勲章を受章した。 東京銀行退職後は横河電機顧問を経て2002年(平成14年)~2008年(平成20年)八戸大学学長、2004年(平成16年)八戸短期大学学長。
山口 浩一郎(やまぐち こういちろう、1936年12月28日… 山口 浩一郎(やまぐち こういちろう、1936年12月28日 - )は、日本の法学者。専門は民法・労働法、特に労働契約論・労働契約法。上智大学名誉教授。元厚生労働省中央労働委員会会長。 大阪府出身。1960年、東北大学法学部卒業。東北大学法学部助手。 東北学院大学文経学部非常勤講師。1962年、東京大学社会科学研究所助手。1966年、横浜国立大学経済学部助教授(担当:民法・労働法)。1970年、上智大学法学部助教授(担当:労働法)。1976年同法学部教授(担当:労働法)。1994年イタリア・バーリ大学法学部客員教授(担当:比較労働法)。1995年放送大学教養学部客員教授(担当:労働法)。2000年中央労働委員会会長。
熊本 昌弘(くまもと まさひろ、1936年(昭和11年)12… 熊本 昌弘(くまもと まさひろ、1936年(昭和11年)12月16日 - )は、日本の実業家。 神戸製鋼元社長。大阪府出身。大阪府立高津高等学校を経て、1960年に東北大学法学部を卒業。同年神戸製鋼に入社した。 原料購買や労務のほか、1970年の加古川製鉄所建設にも携わった。管理職以降は広報、総務、秘書など管理部門を主に歴任。1996年に社長となり、阪神・淡路大震災で被った大損害からの業績回復、累積損失の解消に努めるが、折りしもアジア通貨危機による鉄鋼需要激減が加わり、苦しい経営を強いられた。 1998年には事業部制を改めて社内カンパニー制を導入し、神戸製鋼の複合経営色を強めた。 社長退任後の1999年11月には総会屋への利益供与事件が発生し、会長報酬を半年間、全額返上した。
林 典夫(はやし のりお、1936年12月4日 - )は、日… 林 典夫(はやし のりお、1936年12月4日 - )は、日本の医師、生化学者。東北大学名誉教授。医学博士(東北大学)。 1936年、千葉県生まれ。本籍地、静岡県。1955年、静岡県立静岡高等学校卒業。1961年、東北大学医学部医学科卒業。1966年、東北大学大学院医学研究科生理系専攻博士課程修了。 1966年、日本学術振興会奨励研究員。1967年、東北大学医学部医化学第一講座助手。1971年、ノースウェスタン大学客員助教授(1973年年7月まで)。1973年年8月、東北大学医学部医化学第一講座講師。1977年2月、東北大学医学部医化学第一講座助教授。1985年8月、東北大学医学部医化学第二講座教授。
平田 隆一(ひらた りゅういち、1936年11月27日 - … 平田 隆一(ひらた りゅういち、1936年11月27日 - )は、日本の西洋史学者。東北大学名誉教授。 宮城県生まれ。東北大学文学部史学科卒、同大学院博士課程中退。1961-1964年 ローマ大学留学(イタリア政府給費留学生)。1982年「エトルスキ国制の研究」で文学博士。東北学院大学助教授、東北大学教養部助教授、国際文化研究科教授、2000年定年退官、名誉教授、東北学院大学教授、2010年退任。 1982年『エトルスキ国制の研究』でマルコ・ポーロ賞受賞。
奥山 玲子(おくやま れいこ、1936年10月26日 - 2… 奥山 玲子(おくやま れいこ、1936年10月26日 - 2007年5月6日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、版画作家である。別名、おくやま れいこ。 宮城県仙台市にて出生。小学生高学年ですでに大人の文学を読み、中学生にかけての時期には兄弟を役者にして、ストーリーと衣装を自作した舞台を毎年2回自宅で開いていた。 宮城学院中学校・高等学校から東北大学教育学部に進学。日本の敗戦で社会の価値観が変わったことから大人に対して反抗的な態度を取るようになり、高校でも変わらなかったという。東北大学への進学は父親の意向だった。 大学卒業後、上京。上京の経緯について、雑誌『週刊文春』1963年7月22日号をデジタル化した文春アーカイブスでは「外国語大学への入学を目指した」としているが、叶精二は「どうしても教員になる気にはなれず、家出同然」だったと著述しており、ニュースサイト「リアルサウンド」の記事でも「家出同然で上京」と記述されている。
阿部 博之(あべ ひろゆき、1936年10月9日 - )は、… 阿部 博之(あべ ひろゆき、1936年10月9日 - )は、日本の工学者。東北大学名誉教授。専門は機械工学(材料力学、固体力学)。東北大学工学博士。 東北大学総長、日本機械学会会長、知的財産戦略会議座長、全米技術アカデミー外国人会員、日本工学アカデミー会長等を歴任した。 1955年、宮城県仙台第二高等学校卒業。1959年、東北大学工学部機械工学科を卒業して日本電気へ入社。1967年、東北大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程修了。「薄肉および厚肉殻の弾性変形に関する理論的研究」で工学博士。同年、東北大学工学部講師となる。1968年、東北大学工学部助教授。1975年、ノースウェスタン大学客員研究員。
青木 美智男(あおき みちお、1936年〈昭和11年〉10月… 青木 美智男(あおき みちお、1936年〈昭和11年〉10月7日 - 2013年〈平成25年〉7月11日 )は、日本の歴史学者。元専修大学文学部教授。専門は日本近世社会史・文化史。近世史研究の第一人者と評された。 1936年10月7日、福島県東白川郡棚倉町に生まれる。明治大学文学部史学地理学科卒業。東北大学大学院文学研究科修士課程修了。日本福祉大学社会福祉学部助教授、同大学経済学部教授を経て、1997年4月より専修大学文学部教授。2007年3月専修大学を定年退職。 専修大学校史の編纂やミシェル・ベルンシュタイン文庫の研究に尽力した。 2013年7月11日、調査先の金沢で誤嚥性肺炎により死去。
川村 恒明(かわむら つねあき、1936年9月3日 - )は… 川村 恒明(かわむら つねあき、1936年9月3日 - )は、日本の文部官僚。元文化庁長官。 京都府生まれ。東北大学法学部卒業。文部省入省(調査局企画課)。大臣官房審議官(教育助成局担当)、総務審議官、学術国際局長、文化庁長官、国立科学博物館館長、日本育英会理事長、神奈川県立外語短期大学学長、財団法人神奈川芸術文化財団理事長、財団法人毎日書道会理事、財団法人文化財建造物保存技術協会会長、財団法人似鳥国際奨学財団理事、国立大学法人横浜国立大学経営協議会委員、国立大学法人東京外国語大学経営協議会委員、国立大学法人筑波技術大学経営協議会委員等を歴任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宮﨑 亨(みやざき とおる、1936年 <昭和11年> 7月… 宮﨑 亨(みやざき とおる、1936年 <昭和11年> 7月27日 - 2023年 <令和5年> 12月14日)は、日本の材料科学者。学位は、工学博士(東北大学・課程博士・1966年)。名古屋工業大学名誉教授・元副学長。元日本金属学会会長。正四位。 1960年名古屋工業大学工学部金属工学科卒業。1962年東北大学大学院工学研究科修士課程修了。1965年東北大学大学院工学研究科博士課程修了。1966年東北大学より課程博士として工学博士の学位を取得。東北大学金属材料研究所助手、名古屋工業大学金属工学科助教授、名古屋工業大学金属工学科教授、名古屋工業大学副学長を経て、1999年日本金属学会会長。2000年名古屋工業大学名誉教授。
本間 基文(ほんま もとふみ、1936年6月13日 - 20… 本間 基文(ほんま もとふみ、1936年6月13日 - 2020年10月4日)は、日本の材料科学者。東北大学名誉教授。元東北職業能力開発大学校長。元日本金属学会会長。 長野県大町市出身。1959年東北大学工学部金属工学科卒業。1964年東北大学大学院工学研究科金属工学専攻博士課程単位取得退学、東北大学工学部助手。1966年東北大学工学博士。1968年東北大学工学部講師。1969年東北大学工学部助教授。1970年服部公報会服部賞受賞。1979年日本金属学会功績賞受賞、日本鉄鋼協会西山記念賞受賞。1980年東北大学工学部教授。同年アメリカ泌尿科学会 1st Prize Exibition Lab. Research。
小山 貞夫(こやま さだお、1936年5月20日 - )は、… 小山 貞夫(こやま さだお、1936年5月20日 - )は、日本の法制史学者(西洋法制史)。東北大学名誉教授。文化功労者。出身は神奈川県横浜市。 略歴は以下のとおり。 指導教官は世良晃志郎。
今野 勉(こんの つとむ、1936年(昭和11年)4月2日 … 今野 勉(こんの つとむ、1936年(昭和11年)4月2日 - )は、日本の演出家、プロデューサー、脚本家、実業家。文化功労者。 株式会社東京放送での勤務を経て、株式会社テレビマンユニオン取締役、武蔵野美術大学造形学部教授などを歴任した。 秋田県河辺郡仁井田村(のちの秋田市)出身。4歳から高校卒業まで北海道夕張市で育つ。今野の小学生時代は終戦直後の混乱期で、教育も大きな変遷の時を迎えていた。特にレコードを使用した国語の授業や、誰かが読んだ詩を皆んなでリフレインしたりする全く新しい形式による教育を自著、今野勉のテレビズム宣言においてこう回想している。『ア、人生っていうのは、相当自由にやって許されるんだなっていうのが突然わかった。
奥平 忠志(おくだいら ただし、1936年3月23日 - 2… 奥平 忠志(おくだいら ただし、1936年3月23日 - 2007年8月24日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学。北海道教育大学名誉教授。兄に憲法学者である奥平康弘(東京大学名誉教授)がいる。
川本 信彦(かわもと のぶひこ、1936年3月3日 - )は… 川本 信彦(かわもと のぶひこ、1936年3月3日 - )は、日本の自動車技術者。本田技研工業(ホンダ)の第4代社長。東京都出身。麻布高等学校から東北大学に進み、大学院精密工学科修了。 ホンダF1の草創期から携わってきた一人で、第2期ホンダF1時代には総責任者を務めた。また、ホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)や、無限ホンダ(現:M-TEC)設立者の一人としても名を連ねている。 1963年に大学院を修了し本田技研工業に入社。入社理由は軽飛行機技術者応募広告を見て応募した。入社当初は後にホンダの3代目社長となる久米是志の助手として、ホンダ初の四輪市販車「型式:AS280(後の商品名;S500)」「型式:AK250(後の商品名;T360)」のエンジン開発に携わる。
佐藤 隆太郎(さとう りゅうたろう、1936年2月4日 - … 佐藤 隆太郎(さとう りゅうたろう、1936年2月4日 - )は、日本の経営者。日産火災海上保険社長を務めた。 岩手県出身。1959年に東北大学法学部を卒業し、同年に日産火災海上保険に入社した。1985年7月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1992年6月に専務を経て、1995年6月には社長に就任した。2002年1月には取締役相談役に退いた。日本水産監査役とホーチキ取締役も務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
黒木 登志夫(くろき としお、1936年1月10日 - 20… 黒木 登志夫(くろき としお、1936年1月10日 - 2025年8月28日)は、日本の医師・医学者。医学博士(1966年)。東京大学名誉教授、岐阜大学名誉教授。 東京生まれ。1960年東北大学医学部卒。1966年医学博士。東北大学抗酸菌病研究所助手、1961年東北大学医学部助教授、1971年東京大学医科学研究所助教授、教授。1996年定年退官、名誉教授、昭和大学教授。2001-2008年岐阜大学学長、同名誉教授。2000年日本癌学会会長。2008年日本学術振興会学術システム研究センター副所長(2012年−同相談役、2016年−同顧問)。専門は、がん細胞・発がん。 2025年8月28日、虚血性心不全のため川崎市の自宅で死去。
日野 正晴(ひの まさはる、1936年1月9日 - )は、日… 日野 正晴(ひの まさはる、1936年1月9日 - )は、日本の法律家、法学者。初代金融庁長官、初代法務省検察官・公証人特別任用等審査会会長。専門は刑事法、金融法。 宮城県仙台市で生まれる。1959年に東北大学法学部卒業後、同年に司法修習生となり、1961年に大阪地方検察庁検事に任官する。1978年に法務省入国管理局審判課長、1980年に東京地方検察庁総務部副部長、翌年に公判部副部長となる。 1981年5月に国際連合アジア極東犯罪防止研修所次長、1984年には同所長を務める。1986年に法務省大臣官房審議官(刑事局担当)を経て、1988年に最高検察庁(刑事部)検事、翌年に盛岡地方検察庁検事正、1990年に最高検察庁(公安部)検事を務め、1993年に最高検察庁公安部長を歴任した。
加藤 孝義(かとう たかよし、1936年 - )は、日本の心… 加藤 孝義(かとう たかよし、1936年 - )は、日本の心理学者、岩手大学・東北大学名誉教授。 宮城県大崎市に生まれる。大崎市立鳴子小学校、大崎市立鳴子中学校、宮城県古川高等学校卒業、1967年東北大学大学院文学研究科博士課程(心理学専攻)中退。東北大学文学部助手、宮城県技術吏員、岩手大学教養部・人文社会科学部教授、同名誉教授、東北大学情報科学研究科教授、2000年定年退官、名誉教授、宮城学院女子大学教授、尚絅学院大学教授を務めた。1992年「認知の体制化に関する研究」で東北大学博士(文学)。2015年11月瑞宝中綬章受章。
沼田裕之(ぬまた ひろゆき、1936年- )は、日本の教育哲… 沼田裕之(ぬまた ひろゆき、1936年- )は、日本の教育哲学者。教育学博士。東北大学名誉教授。教育哲学、教育史専攻。 東京生まれ。1959年東北大学教育学部卒、1964年同大学院教育学研究科博士課程満期退学。 1973年「ルソーの人間観 「エミール」での人間と市民の対話」で、教育学博士の学位を取得。ストラスブール大学に学び、宗教学博士。1964年上野学園大学講師、1966年助教授、1976年教授、1982年東北大学教育学部助教授、1984年同教授、2000年定年退官、名誉教授、鎌倉女子大学教授。2007年退職。
東山 昭子(ひがしやま あきこ、1936年(昭和11年) -… 東山 昭子(ひがしやま あきこ、1936年(昭和11年) - )は、日本九重流詩吟学会4代目宗家、雅号は穆洲(ぼくしゅう)、致道博物館理事、鶴岡総合研究所研究顧問、東北公益文科大学非常勤講師、コロムビア吟詠音楽会会員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山岸 米二郎(やまぎし よねじろう、1936年- )は、日本… 山岸 米二郎(やまぎし よねじろう、1936年- )は、日本の気象学者。学位は、理学博士(東北大学・論文博士・1982年)。 新潟県生まれ。1959年東北大学理学部地球物理学科卒業。気象庁仙台管区気象台長、気象庁観測部長、気象研究所長等を経て、(財)気象業務支援センター、気象環境教育センター。1982年東北大学より理学博士の学位を取得。2014年岸保賞受賞。
小林 久三(こばやし きゅうぞう、1935年11月15日 -… 小林 久三(こばやし きゅうぞう、1935年11月15日 - 2006年9月1日)は、日本の小説家・推理作家。脚本家、プロデューサーとしても活動した。本名読みは、こばやしひさみ。日本推理作家協会元会員。 茨城県古河市生まれ、県立古河第一高校から東北大学文学部へ進学する。野村芳太郎監督松本清張原作『張込み』を観て映画の道を志し、大学卒業後1961年に松竹大船撮影所に助監督として入社。シノプシス(原作の要約)作成の仕事を経て、喜劇を中心に多数の映画に脚本家としても名を連ねた。中では『吸血鬼ゴケミドロ』が今日でも有名だが、共同脚本の高久進は、後年『映画芸術』誌上で小林は会社のお目付け役で実際には執筆していないと語っている(小林は高久のSFセンスを絶賛している)。
牧 昌見(まき まさみ、1935年10月29日 - 2009… 牧 昌見(まき まさみ、1935年10月29日 - 2009年9月8日)は、学校経営学・教育行政学者。国立教育政策研究所名誉所員。 宮城県白石市出身。1958年東北大学教育学部卒、67年同大学院教育行政学専攻博士課程修了、「教員資格制度の発達に関する研究」で教育学博士。1963年東北大学教育学部助手、1967年国立教育研究所研究員、74年同研究室長、90年研究部長、その後、同研究所次長を経て退官。1996年聖徳大学児童学部教授。国立教育政策研究所名誉所員。晩年は、政策研究大学院大学の講師も務め、病魔に冒されながらも、2009年8月の集中講義を終えて、同年9月に逝去。 研究姿勢はあくまでも学校や教育委員会の現場に根付いたもので、全国の多くの教育長や学校管理職、教育センター職員から親しまれ、特に川崎市の学校管理職と共に学校経営診断カードの作成を試みたことで広く知られる。
本間 三郎(ほんま さぶろう、1935年〈昭和10年〉9月4… 本間 三郎(ほんま さぶろう、1935年〈昭和10年〉9月4日 - 2006年〈平成18年〉12月15日)は、日本の物理学者。 1935年群馬県高崎市生まれ。1954年群馬県立高崎高等学校卒業。1959年東北大学理学部物理学科卒業。東北大学大学院理学研究科修士課程および博士課程を修了し、1964年理学博士号取得。 1967年東北大学理学部助手、米国マサチューセッツ工科大学原子核研究所研究員を経て、1970年東京大学理学部講師、1971年同大原子核研究所助教授、1984年教授。1996年定年退官、名誉教授となる。 1997年学校法人読売理工学院の読売江東理工専門学校校長、同学院理事に就任。1998年6月、読売東京理工専門学校(現・読売理工医療福祉専門学校)校長も兼務する。
佐々木 正(ささき まさし、1935年〈昭和10年〉8月24… 佐々木 正(ささき まさし、1935年〈昭和10年〉8月24日 - 2022年〈令和4年〉3月11日)は、日本の実業家。日本原燃株式会社代表取締役社長を務めた。 山梨県出身。1959年(昭和34年)、東北大学法学部卒業、東京電力入社。1987年(昭和62年)東京電力原子力業務部長兼電気事業連合会事務局派遣。1991年(平成3年)東京電力千葉支店長。1993年(平成5年)東京電力理事千葉支店長。1994年(平成6年)日本原燃常務取締役人事部長事務取扱。1996年(平成8年)日本原燃専務取締役。1999年(平成11年)日本原燃代表取締役副社長。2001年(平成13年)1月から日本原燃代表取締役社長を務め、再処理工場の再開などにあたった。
佐藤 勇(さとう いさむ、1935年6月28日 - 2019… 佐藤 勇(さとう いさむ、1935年6月28日 - 2019年5月23日)は、日本の物理学者。高エネルギー粒子加速器の専門家。大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、日本大学教授を歴任し、電子、陽電子の線形加速器の開発研究ならびに建設に多くの業績を残した。 1960 – 1966年 東北大学 東北大学北垣敏男教授のもとで、素粒子物理学の研究とその実験的研究のための高エネルギー加速器の開発、デザインについて薫陶を受けた。当時、素粒子物理学の研究に使える高エネルギー加速器は、欧米が先進的であり、日本では、東京大学原子核研究所の750MeV電子シンクロトロンのみであった。
岡崎 光治(おかざき みつはる、1935年6月26日 - 2… 岡崎 光治(おかざき みつはる、1935年6月26日 - 2018年12月6日)は、日本の作曲家・指揮者。日本作曲家協議会会員、日本電子音楽協会理事、仙台電子音楽協会代表、仙台作曲家集団所属、宮城県芸術協会参事、NHK仙台放送局合唱団音楽監督。常盤木学園高等学校音楽科講師。
早川 恒雄(はやかわ つねお、1935年(昭和10年)6月2… 早川 恒雄(はやかわ つねお、1935年(昭和10年)6月25日 - )は、日本の銀行家。千葉銀行頭取、会長を歴任した。 千葉銀行レインボー事件以来、実に約40年ぶりにプロパーとして頭取に就任した。 頭取在任時は、3度の最終赤字を計上するなど不良債権処理に追われた。その処理を2003年(平成15年)3月期で完了させ、翌期には過去最高の当期純利益である257億円を達成した。それを期に、自身は相談役に退き、会長には石井俊昭副頭取をあて、頭取には一貫して営業畑を歩んできた竹山正取締役・専務執行役員を昇格させた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
菅野 俊吾(かんの しゅんご、1935年(昭和10年)5月1… 菅野 俊吾(かんの しゅんご、1935年(昭和10年)5月19日 - 2018年(平成30年)3月26日)は、日本の政治家。岩手県陸前高田市長(4期)。岩手県議会議員(2期)。 岩手県陸前高田市出身。1959年(昭和34年)東北大学法学部卒。同年七十七銀行に入る。その後、同銀行を退職し、印刷会社勤務を経て、帰郷し、陸前高田市で家業の印刷会社を経営する。 1979年(昭和54年)岩手県議会議員に当選、2期務めた後、1987年(昭和62年)陸前高田市長選挙に立候補し当選。4期務める。1992年(平成4年)岩手県市町村職員共済組合理事長。 1989年(平成元年)、「さんりく・リアス・リゾート」構想の承認を機に、「里造徒(りぞうと)」の街づくりを推進。
星 亮一(ほし りょういち、1935年〈昭和10年〉5月16… 星 亮一(ほし りょういち、1935年〈昭和10年〉5月16日 - 2021年〈令和3年〉12月31日)は、日本の小説家。東北史学会会員、日本文芸家協会会員。福島県郡山市在住。血液型B型。 宮城県仙台市生まれ。岩手県立一関第一高等学校。東北大学文学部国史学科卒業。後に日本大学大学院総合社会情報研究科修士課程修了。専攻は日本近現代史。 大学卒業後、福島民報社に入社。最初の赴任地が会津若松市で「会津若松史」の編纂事業に参加した。 1970年(昭和45年) 1月5日、この年の春に開局する福島中央テレビへ移籍。プロデューサー、制作部長、報道制作局長を歴任後、作家に専念。先祖は仙台藩重臣・佐藤宮内の家中で、戊辰戦争・白河口の戦いにも参戦したこともあり、戊辰戦争は作家としての大きなテーマの一つだった。
保原 喜志夫(ほばら きしお、1935年5月11日 - 20… 保原 喜志夫(ほばら きしお、1935年5月11日 - 2009年2月19日)は、日本の法学者。専門は、労働法・労災補償法・労働安全衛生法・産業医に関する研究。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1966年)。北海道大学名誉教授。宮城県出身。指導学生に加藤智章(北海道大学名誉教授)など。
田中 正之(たなか まさゆき、1935年4月15日 - 20… 田中 正之(たなか まさゆき、1935年4月15日 - 2025年12月21日) は、日本の地球物理学者。大気科学・海洋科学分野を代表する研究者であり、特に大気放射学の分野と二酸化炭素などの観測により地球温暖化の研究に多く貢献した。 学位は、理学博士(1971年)。東北大学名誉教授。元総合地球環境学研究所評議員会長。紫綬褒章受章。 山梨県出身。1959年東北大学理学部天文及び地球物理科第二卒業。1961年東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻修士課程修了、東北大学理学部教務技官。1962年東北大学理学部助手。1971年東北大学理学部助教授、理学博士。山本義一に師事。 1973年東北大学理学部教授。
月原 茂皓(つきはら しげあき、1935年〈昭和10年〉3月… 月原 茂皓(つきはら しげあき、1935年〈昭和10年〉3月2日 - 2019年〈平成31年〉1月19日)は、日本の政治家、防衛官僚。本名:月原 重明。 衆議院議員(通算3期)、参議院議員(1期)、郵政政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣)、国土交通副大臣(第1次小泉内閣)などを歴任した。 香川県観音寺市出身。幼少期を中国の奉天で過ごす。香川県立観音寺第一高等学校、東北大学法学部卒業。学生生活は民法学者である中川善之の私塾冲和寮で送る。 1960年(昭和35年)東北大学卒業後、防衛庁に入庁。1963年(昭和38年)大蔵省主計局、1971年(昭和46年)和歌山県警警務部長、1973年(昭和48年)防衛庁長官秘書、1976年(昭和51年)国連事務総長スタッフ、1978年(昭和53年)防衛庁広報課長を歴任。
佐々木 康之(ささき やすゆき、1935年2月20日 - )… 佐々木 康之(ささき やすゆき、1935年2月20日 - )は、日本の畜産学者・農学者。専門は、畜産学。農学博士(東北大学)。東北大学名誉教授。元帯広畜産大学学長。元三島学園女子短期大学学長。 宮城県仙台市生まれ。1957年(昭和32年)東北大学農学部畜産学科卒業。1963年(昭和38年)同大学院農学研究科畜産学専攻博士課程修了、農学博士。論文名は「反芻動物の唾液及び唾液分泌に関する研究」。 1963年6月、農林水産省東北農業試験場農林技官。1968年(昭和43年)東北大学農学部助手。1982年(昭和57年)同助教授。1987年、同教授。1994年(平成6年)農学部部長。1998年(平成10年)東北大学を停年退官、同名誉教授。
八木正(やぎ ただし、1935年2月19日 - 2009年7… 八木正(やぎ ただし、1935年2月19日 - 2009年7月7日[リンク切れ])は、社会学者。 大阪市生まれ。東北大学文学部卒、同大学院文学研究科博士課程修了。静岡大学教養部講師、助教授、金沢大学教養部助教授、1993年に法文学部教授、名誉教授、大阪市立大学教授、1997年に広島国際大学医療福祉学部教授[要ページ番号]。2005年に退職。