岩渕 友(いわぶち とも、1976年10月3日 - )は、… 岩渕 友(いわぶち とも、1976年10月3日 - )は、日本の政治家。日本共産党所属の参議院議員(2期)。 1976年、福島県喜多方市生まれ。公務員の父の転勤により福島市に移住。18歳の時に日本共産党に入党。 1995年、福島県立福島南高等学校卒業。 1999年、福島大学行政社会学部卒業。福島県消費生活センター職員を経て2005年日本民主青年同盟福島県委員長、2010年日本共産党福島県委員会常任委員に就任。 2010年、第22回参議院議員通常選挙に福島県選挙区より出馬するも落選。 2012年、第46回衆議院議員総選挙に比例東北ブロック2位で出馬するも落選。 2013年、第23回参議院議員通常選挙に福島県選挙区から立候補するも落選。
阿部 勝弘(あべ かつひろ、1972年6月14日 - )は、… 阿部 勝弘(あべ かつひろ、1972年6月14日 - )は、日本の政治家。福島県相馬市長(1期)。 相馬市出身。1995年3月、福島大学経済学部経済学科を卒業し、同年4月、相馬市役所に入庁した。2017年4月に企画政策課長、2018年4月に総務課長兼地域防災対策室長、2020年4月に企画政策部長、2021年4月には相馬市副市長にそれぞれ就任した。 2025年9月、相馬市副市長を辞任した。同年10月、当時の相馬市長だった立谷秀清が次期市長選挙への不出馬を表明した。同年12月の相馬市長選挙では無投票で初当選を果たした。 2026年1月19日、相馬市長に正式就任し、相馬市役所に初登庁した。
小見山 幸治(こみやま よしはる、1962年11月8日 - … 小見山 幸治(こみやま よしはる、1962年11月8日 - )は、日本の政治家。公益財団法人『国際人材交流支援機構(IHNO)』理事長。参議院議員(1期)、参議院経済産業委員長、民主党・民進党岐阜県連代表などを務めた。「小宮山」と記載される場合が多いが、誤りである。 岐阜県岐阜市生まれ。1969年ゆりかご幼稚園卒園、岐阜県立岐阜商業高等学校、福島大学経済学部卒業。自民党参議院議員松田岩夫の秘書を経て、松田の政界引退にともない、2010年(平成22年)3月1日に、松田の選挙区であった岐阜県選挙区で当時政権与党であった民主党から立候補することを表明するが、自民党岐阜県連は、小見山が発表の時点でまだ自民党籍を持ったままだったことを非難し、翌2日、小見山が提出した離党届を受理せず、松田と小見山をともに除名処分にした。
遠藤 雄幸(えんどう ゆうこう、1955年〈昭和30年〉1月… 遠藤 雄幸(えんどう ゆうこう、1955年〈昭和30年〉1月9日 - )は、日本の政治家、実業家。福島県川内村長(5期)、元福島県川内村議会議員(1期)。ふくしま市町村支援機構理事長、福島大学経営協議会学外委員。 福島第一原子力発電所事故で避難を余儀なくされた12市町村の首長の一人で、2020年10月に飯舘村の菅野典雄村長が退任して以来、12市町村の中で唯一事故前から首長を務めている人物となった。 1955年(昭和30年)1月9日、福島県双葉郡川内村で出生。1977年(昭和52年)、福島大学教育学部(現・人間発達文化学類)を卒業。卒業後は父が経営する金物建材を販売する有限会社わたやに勤務し、取締役社長を務めた。
下田 京子(しもだ きょうこ、1940年6月29日 - 20… 下田 京子(しもだ きょうこ、1940年6月29日 - 2013年8月27日)は日本共産党の元・参議院議員である。2期、務めた。 福島県東白川郡塙町出身。福島大学 学芸学部 (美術科)を卒業後、中学校教員や石川町議を経て、1977年施行の第11回参議院議員通常選挙にて全国区から日本共産党公認で出馬し15位で初当選。1983年の参院選に比例区から立候補し再選。 その後、衆議院の予定候補者として活動することとなり、1989年の参議院選挙には出馬せず、1990年の総選挙で福島県第2区から出馬し、32,589票獲得するも次々点で落選。 党内では、文教部副部長や農政対策委員長などを歴任した。 2013年8月27日に心不全のため死去。
申 秉鉉(シン ビョンヒョン、1921年2月7日 - 199… 申 秉鉉(シン ビョンヒョン、1921年2月7日 - 1999年4月4日)は、大韓民国の政治家。本貫は平山申氏。日本名平山 榮次郞。 黄海道長淵郡にて誕生。日本内地の福島高等商業学校を卒業。1943年に朝鮮銀行に入り、1956年に韓国銀行調査部長に就任。駐米大使館参事官(1961年)を経て、国際復興開発銀行交換取締役兼顧問(1970年-1975年)を務めた。米国のアメリカン大学卒業および同大学院を修了し、1959年にコロンビア大学大学院で経済学博士号を取得。 1975年、大統領府経済担当特別補佐官に起用され、政界中枢とのコネクションを発展。韓国銀行総裁(1978年)、商工部長官(1980年)、副総理兼経済企画院長官(1980年-1982年、1983年-1986年)を歴任。
金 聖煥(キム・ソンファン、朝: 김성환、1919年12月2… 金 聖煥(キム・ソンファン、朝: 김성환、1919年12月24日 - 1979年10月8日)は、大韓民国の銀行家、政治家。第11代韓国銀行総裁、第10代韓国国会議員を歴任した。 本貫は慶州金氏。号は蕙山(ヘサン、혜산)、漢字表記は金 聖喚とも。 日本統治時代の平安南道平壌府(現・朝鮮民主主義人民共和国平壌市)倉田里出身。1940年福島高等商業学校卒。その後朝鮮銀行に入行し、1945年時点で同行平壌支店支配人代理を務めた。解放後はしばらく同支店が改組した朝鮮中央銀行外城支店に勤めたが、朝鮮戦争中の韓国軍と国連軍の平壌入城により帰順し、通行証を得て釜山まで南下し韓国銀行に再入行した。1951年から韓国銀行計理課長・文書課長・秘書課長・貿易金融課長・業務課長・業務部次長・銀行監督部管理局長・外換管理部長・業務部長・理事・銀行監督院長・第11代総裁(1970年5月2日~1978年5月1日)を歴任した。
清水 一郎(しみず いちろう、1918年〈大正7年〉9月4日… 清水 一郎(しみず いちろう、1918年〈大正7年〉9月4日 - 1991年〈平成3年〉6月12日)は、日本の政治家。 群馬県知事(公選第9・10・11・12代)、群馬県議会議員(4期)、第47代群馬県議会議長、群馬県議会副議長、前橋市議会議員(1期)を歴任した。 群馬県前橋市出身。1936年、群馬県立前橋中学校(現群馬県立前橋高等学校)卒業。1939年、福島高等商業学校(現福島大学経済経営学類)卒業。同年、日立製作所東京本社勤務となる。1943年、青森県立商業学校(現青森県立青森商業高等学校)教諭となる。1944年、群馬県立前橋工業学校(現群馬県立前橋工業高等学校)教諭となる。1948年、群馬県立前橋商業高等学校講師となる。
河原田 穣(かわらだ じょう、1917年1月3日 - 198… 河原田 穣(かわらだ じょう、1917年1月3日 - 1985年10月27日)は、日本の政治家。福島市長(2期)。 秋田県角館町(現仙北市)出身。1937年に福島高等商業学校を卒業し、横浜正金銀行に入る。1947年、福島県農地部開墾調査課勤務となり、翌年、福島県信用保証協会に入る。1956年福島市役所に入り、商工課長に就任する。その後、企画商工、厚生、総務の各部長を経て、助役に就任する。1979年から福島市長を2期務める。市長在職中の1985年10月27日死去。
唐橋 東(からはし あずま、1912年(大正元年)9月1日 … 唐橋 東(からはし あずま、1912年(大正元年)9月1日 - 2012年(平成24年)4月26日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員(日本社会党、1期)、福島県喜多方市長(4期)。位階は従四位、勲等は勲三等。 孫に俳優・イラストレーターの唐橋充がいる。 福島県耶麻郡高郷村(現喜多方市)出身。1932年(昭和7年)福島師範学校専攻科(福島大学人間発達文化学類の前身)卒業。地元で小学校教員や中学校長などを務め、日本教職員組合の活動を行う。その後、福島県議を4期務める福島県議を4期務める。その後、1967年の総選挙において福島県第2区から日本社会党公認で出馬し初当選するも、再選を期した1969年の総選挙で落選。
吉岡 誠(よしおか まこと、1906年〈明治39年〉9月12… 吉岡 誠(よしおか まこと、1906年〈明治39年〉9月12日 - 1991年〈平成3年〉2月11日)は日本の政治家。岩手県盛岡市長(1期) 。位階は従四位。 盛岡市出身。1929年、福島高等商業学校(現・福島大学経済学部)卒。盛岡銀行、盛岡瓦斯に勤務した。1933年に岩手県庁に入り。商工、秘書の各課長、教育、労働、民生、農地、商工水産、総務の各部長を歴任した。1961年に岩手県副知事に就任した。副知事を2年間務めた後、1965年の盛岡市長選挙で当選した。市長を1期務め、1969年に退任した。1991年に死去。死没日付をもって従六位から従四位に進階した。
蘇 宣奎(ソ・ソンギュ、朝鮮語: 소선규、1903年 - 1… 蘇 宣奎(ソ・ソンギュ、朝鮮語: 소선규、1903年 - 1968年8月17日)は、大韓民国の政治家。大韓民国建国初期の野党政治家で、第2・3・5・6代韓国国会議員(第5代は参議院議員)、初代参議院副議長。 本貫は晋州蘇氏。米軍政期に司法部次長を務めた蘇完奎(朝鮮語版)は兄。 全羅北道益山生まれ。1928年に福島高等商業学校(のちの福島大学)を卒業し、東京商科大学(のちの一橋大学)に進学した。解放後は東大門区長、1946年にソウル特別市副市長を歴任した後、1950年の第2代総選挙では民主国民党候補として益山郡甲選挙区から出馬した。政党制度が確立されず、ほとんどの候補者が無所属で出馬した中、明確に政党の看板を掲げて初当選した。
菅家 喜六(かんけ きろく、1894年〈明治27年〉7月23… 菅家 喜六(かんけ きろく、1894年〈明治27年〉7月23日 - 1967年〈昭和42年〉7月24日)は、日本の政治家、新聞記者。衆議院議員(4期)。福島民友新聞社長。 福島県大沼郡野尻村(現昭和村)出身。1912年福島県教員養成所(後の福島大学教育学部、現:人間発達文化学類)卒。 福島民報記者、郡山町議、(のち郡山市議)、郡山市会副議長、福島県議、福島民友新聞社長、郡山商工会議所副会頭となり、1949年の第24回衆議院議員総選挙において福島2区から民主自由党公認で立候補し初当選し、4期務める。第4次吉田内閣の厚生政務次官、衆議院議院運営委員長、決算委員長を歴任した。1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選、政界を引退した。