照内 創(てるうち そう、1980年 - )は、日本の建築家… 照内 創(てるうち そう、1980年 - )は、日本の建築家、一級建築士、株式会社SO&CO.主宰である。
工学院大学:26人
照内 創(てるうち そう、1980年 - )は、日本の建築家… 照内 創(てるうち そう、1980年 - )は、日本の建築家、一級建築士、株式会社SO&CO.主宰である。
山﨑 健太郎(やまざき けんたろう、1976年 - )は、日… 山﨑 健太郎(やまざき けんたろう、1976年 - )は、日本の建築家。山﨑健太郎デザインワークショップ代表取締役。工学院大学建築学部建築デザイン学科教授。 千葉県佐倉市出身。千葉県立佐倉高等学校卒業。2002年、工学院大学大学院修士課程を修了後に株式会社入江三宅設計事務所入所。その後独立し、現在山﨑健太郎デザインワークショップ主宰。 国内外で多数の受賞歴があり、地域みんなの居場所である高齢者デイサービス「52間の縁側」では、グッドデザイン賞大賞(内閣総理大臣賞)、2023年度JIA日本建築大賞、2024年日本建築学会賞(作品)の三賞の史上初、同作品における受賞を達成した。 その他主要な受賞歴として、日常を感じるコモン型の「新富士のホスピス」ではJIA優秀建築賞、日事連建築賞60周年記念賞、グッドデザイン賞ベスト100を受賞、斜面を活かした階段状の「はくすい保育園」では、グッドデザイン・未来づくりデザイン賞、AR Emerging Architecture Awardsのほか、iF design award 建築部門での金賞を日本人で初めて受賞した。
平井 充(ひらい みつる、1974年 - )は、日本の建築家… 平井 充(ひらい みつる、1974年 - )は、日本の建築家(一級建築士)。 メグロ建築研究所代表取締役。北海道函館市出身。 2004年、工学院大学工学部建築学科卒業。 2004年、東京工科専門学校非常勤講師(-2005年) 2006年、工学院大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了(初田亨研究室在籍)、同大学院博士課程進学。 2006年、東京工科専門学校常勤講師(-2010) 2009年、一級建築士事務所「Drawing notes」設立。 2012年、工学院大学非常勤講師(-2018) 2014年、株式会社メグロ建築研究所 一級建築士事務所に改組。 2015年、実践女子大学非常勤講師。 2020年、京都工芸繊維大学ヘリテージ・アーキテクト養成講座非常勤講師。
新海 俊一(しんかい しゅんいち、1966年 - )は、日本… 新海 俊一(しんかい しゅんいち、1966年 - )は、日本の建築家、建築計画学者、一級建築士。京都美術工芸大学教授。有限会社マイクロデザインスタジオ代表取締役。 建築、都市、インテリア、プロダクト、ディスプレイなどの環境デザイン業務に従事する他、大学の教員として1997年頃より、コンピュータを用いた建築・都市の設計手法、デジタルデザインに関する研究・教育に従事する。現在は、広くデザイン全般についての教育・研究に取り組んでいる。 東京都生まれ。桐蔭学園小学校・中学校・高等学校を卒業後、工学院大学工学部建築学科を経て、東京大学大学院工学系研究科で建築学を学ぶ。大学院在籍中に慶應義塾大学の助手となる。
山本 理顕(やまもと りけん、本名は"みちあき"、1945年… 山本 理顕(やまもと りけん、本名は"みちあき"、1945年(昭和20年)4月15日 - )は、日本の建築家。工学院大学教授、横浜国立大学大学院教授を経て、2011年より日本大学大学院特任教授。2018年より2022年まで名古屋造形大学学長。2022年より東京芸術大学客員教授。公益社団法人日本建築家協会(JIA)登録建築家。 中国北京生まれ、神奈川県横浜市育ち。1964年、関東学院中学校高等学校卒業。1968年、日本大学理工学部建築学科卒業(小林文次研究室)。1971年、東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了。その後、東京大学生産技術研究所原広司研究室に研究生として在籍する。 1973年、山本理顕設計工場を設立。
山崎 健一(やまざき けんいち、1941年 - )は、日本の… 山崎 健一(やまざき けんいち、1941年 - )は、日本の建築家。アトリエ系建築設計事務所「山崎・榎本建築研究室」主宰。新潟県生まれ。
北澤 興一(きたざわ こういち、1937年(昭和12年) -… 北澤 興一(きたざわ こういち、1937年(昭和12年) -2024年(令和6年))は、日本の建築家。長野県生まれ。 1955年(昭和30年)、長野県飯田長姫高等学校建築科卒。1960年(昭和35年)、工学院大学工学部建築学科卒。1961年(昭和36年)、工学院大学建築計画専攻課程修了(天野太郎研究室)。1961年(昭和36年) - 1971年(昭和46年)、レーモンド建築設計事務所に勤務、アントニン・レーモンドに師事。 軽井沢分室(アントニン・レーモンド新スタジオ)現在の所有者。 校舎建築に際しては、「児童が喜ぶ施設を造る」を心がけている。 2024年7月21日死去享年87歳 妻が宮城県河北町(現・石巻市)出身だった縁で、河北町内で16の建築物の建築・改修に携わった。
天野 太郎(あまの たろう、1918年7月27日 - 199… 天野 太郎(あまの たろう、1918年7月27日 - 1990年11月15日)は、日本の建築家。フランク・ロイド・ライトに学び、工学院大学助教授、東京芸術大学教授で教鞭を歴任する中、吉原正、武藤章らと設計活動を行った。1990年従四位勲三等瑞宝章。 1918年広島県呉市生れ。第一早稲田高等学院を経て、1942年早稲田大学理工学部建築学科入学。在学中会津八一に師事し、大竹十一、小堀鐸二、円堂政嘉らと親交を持つ。卒業後に鹿島建設設計部に入社し、目白ヶ丘教会の設計のため遠藤新建築創作所に樋口清、吉原正らと出向する。遠藤新の薫陶を受け、1952年に遠藤の師であるライトの下に遊学する。その他に、鹿島建設に顧問でいた吉田鉄郎の影響も受ける。
今泉善一(いまいずみぜんいち、1911年-1985年)は、日… 今泉善一(いまいずみぜんいち、1911年-1985年)は、日本の建築家。 愛知県新城市出身。戦前期は建築運動体として知られる創宇社建築会のメンバーとして、また当時非合法化されていた日本共産党の活動家として警察に追われて地下に潜伏し、共産党の活動資金を得ようと実行した赤色ギャング事件の首謀者として、また戦後は防火帯建築の設計で知られる。小説「貧乏物語 (河上肇)」では作中で書生として登場する人物。[要検証 – ノート] 以下、経歴は建築雑誌1985年1月号による実家は建築請負業をしており、建築を目指すきっかけは小学校6年生で東京・大井町に住んでいたころに遭遇した関東大震災であった。1928年(昭和3年)に工手学校(現・工学院大学)を卒業後、当時の大蔵省営繕管財局に入局。
蔵田 周忠(くらた ちかただ、1895年2月26日 - 19… 蔵田 周忠(くらた ちかただ、1895年2月26日 - 1966年3月7日)は日本の建築家。分離派建築会に参加し、表現主義からモダニズムの作品を手掛けた。海外の建築作品を精力的に紹介し、建築史関係の著作も多い。また、東京高等工芸学校、武蔵工業大学で後進を指導した。 1895年(明治28年)、山口県萩に濱岡某の子として生まれる。1913年(大正2年)、工手学校(新制工学院大学の前身)を卒業。同年、三橋四郎の設計事務所に入所。三橋の逝去後、曽禰達蔵・中條精一郎らの曽禰中條建築事務所に移る。ここで海上ビルの建設に関わり、所員の高松政雄から美学の話を聞いたという。1920年、早稲田大学に選科生として入学。
梅澤 捨次郎(うめざわ すてじろう、新字体:梅沢 捨次郎、1… 梅澤 捨次郎(うめざわ すてじろう、新字体:梅沢 捨次郎、1890年〈明治23年〉12月1日 - 1958年〈昭和33年〉4月29日)は、石川県出身の建築家。位階は正五位。 日本統治時代の台湾で数々の公共建築物の設計を手がけ、多くは文化資産として現在も活用されている。2000年代以降にアニメーション作家、アニメ監督として活躍している吉浦康裕の曾祖父にあたる。 1890年(明治23年)12月1日、石川県石川郡鶴来町(現・白山市)の士族のもとで出生。元は秋田姓だった。本籍は同県金沢市広阪通。 1907年(明治40年)、測量人員として県に就職するが、翌年東京の私立工手学校(現・工学院大学)建築科入学のため離職。
松本 與作(まつもと よさく、1890年9月24日 - 19… 松本 與作(まつもと よさく、1890年9月24日 - 1990年3月9日)は、近代日本の建築家。 東京築地にあった工手学校卒業後、辰野葛西事務所所員として東京駅や東京京橋の第一相互館の設計を担当し、第一相互館竣工後、クライアントの第一生命創業者矢野恒太に誘われて第一生命保険初代営繕課長となり、代表作となる第一生命館を設計した。 その後も90歳を超えて第一生命の顧問技師として勤務した。 中央停車場の設計担当者として多くの証言を残しており、松本の半生は伊藤ていじが『谷間の花が見えなかった時』(彰国社、1982年)としてまとめている。 1890年9月24日、宮内省で京都御所の修繕などに携わっていた松本源次郎の長男として、現在の京都市上京区に生まれる。
小林 正紹(こばやし まさつぐ、1890年 - 1980年)… 小林 正紹(こばやし まさつぐ、1890年 - 1980年)は、明治末期から昭和初期にかけて官庁営繕で活躍した建築家。聖徳記念絵画館(原案)の設計者として知られる。 1890年(明治23年)、東京市麹町区紀尾井町に生まれる。1909年(明治42年)に工手学校(現在の工学院大学)建築科を卒業。 在学中から大蔵省臨時建築部に勤務。その後、内務省、文部省と生涯の大半を官庁営繕に捧げた建築家である。副業として、堀商店のほか、若槻礼次郎邸や円地文子邸なども手がけている。 1980年(昭和55年)に死去。
竹田 米吉(たけだ よねきち、1889年 - 1976年)は… 竹田 米吉(たけだ よねきち、1889年 - 1976年)は、日本の建築家、実業家、著作家。 東京市神田区で生まれる。父親は棟梁。大工職人として修行し、築地の工手学校(現工学院大学)を卒業。横河工務所(現横河建築設計事務所)に勤務し、横河民輔に師事。同所では鐘紡東京工場、王子製紙苫小牧工場などの建設を担当。 その後、横河民輔の学費援助により早稲田大学建築学科で近代建築学を学ぶ。1947年竹田建設工業を設立。56年著書『職人』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
矢部 又吉(やべ またきち、1888年(明治21年)2月 -… 矢部 又吉(やべ またきち、1888年(明治21年)2月 - 1941年(昭和16年)3月24日)は、明治末期から昭和初期にかけて横浜で活躍した建築家。川崎銀行をはじめとした銀行建築を多く手がけたことで知られる。 1888年建築請負人の矢部国太郎の子として横浜市元町に生まれる。立教中学、工手学校(現在の工学院大学)建築科を卒業後、妻木頼黄のもとで設計に携わる。その後、1906年にドイツに渡り、シャルロッテンブルク工科大学(現在のベルリン工科大学)建築科で学びながら、日本でも活躍したドイツ人建築家ゼールに師事した。 1911年(明治44年)に帰国し、父・国太郎の跡を継ぎ、横浜市内に建築設計事務所(日本庭園会社)を開設した。
稲垣 英夫(いながき ひでお、1887年(明治20年)4月1… 稲垣 英夫(いながき ひでお、1887年(明治20年)4月1日 - 1937年(昭和12年)2月12日)は、日本の建築家。内務省造神宮使庁に勤務した後独立して稲垣建築事務所を設立し、数多くの神社建築等を手掛けた。 東京出身。郁文館中学校を卒業したのち、工学院建築科を卒業。 1910年(明治43年)東京税務監督局新築工事現場監督拝命(1913年(大正2年)まで)。 以後横浜電気工業株式会社、株式会社東陽銀行、同保土ケ谷支店、横浜市開港記念館、茂木佐平次東京別邸、金光教青生会、キッコーマン宮内省御用醸造場など工事設計や監督に携わる。 1916年(大正5年)10月、内務省造神宮使庁に入省し、翌年4月明治神宮造営局に勤務。
木田 保造(きだ やすぞう、1885年1月13日 - 194… 木田 保造(きだ やすぞう、1885年1月13日 - 1940年4月16日)は、明治から昭和にかけて活躍した建築家、建設業者。木田組(後の木田建業)の創始者。深礎工法の発明者。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
二本松 孝蔵(にほんまつ こうぞう、1884年(明治17年)… 二本松 孝蔵(にほんまつ こうぞう、1884年(明治17年)3月26日 - 1972年(昭和47年)9月9日)は、日本の建築家、文化財修理技師。多数の社寺の保存修理や新築設計を手掛けた。 福島県出身。1908年(明治41年)工手学校(現工学院大学)卒業。1911年(明治44年)、国宝建造物修理工事主任。延命寺地蔵堂修理などを手掛ける。1917年(大正6年)に造神宮技手兼明治神宮造営技手となったのち、1927年(昭和2年)国粋建築研究所を開設。1925年(大正14年)大正大震災記念建造物競技設計佳作。角南隆を中心とした神祇院造営課と連動し、神社では11府県社の護国神社や官国幣社の社務所、齋館などの設計のほか、寺院でも比叡山修理、身延山祖廟設営など社寺ともに多くの設計を手掛けた。
小林 福太郎(こばやし ふくたろう、1882年(明治15年)… 小林 福太郎(こばやし ふくたろう、1882年(明治15年)11月 - 1938年(昭和13年)3月26日)は、日本の修理大工、建築家。社寺を中心に和風建築作品を多数設計した。 東京出身。工手学校(現工学院大学)を卒業。もともとは内務省に奉職したのち、宮内省内匠寮に入り、特別保護建造物の修繕に従事。 1913年(大正2年)、御料車内部装飾設計を鉄道院から嘱託され両陛下御同乗車(皇室用客車 § 7号御料車)、賢所奉安御車(賢所乗御車)を担当する。 1919年(大正8年)、日光廟大修理工事の主任技師となる。 1925年(大正14年)には小林建築設計事務所を設立。没後は息子の小林謙一が継ぎ、大物忌神社吹浦宮や浅草寺雷門などを設計している。
鵜飼 長三郎(うかい ちょうざぶろう、1874年(明治7年)… 鵜飼 長三郎(うかい ちょうざぶろう、1874年(明治7年)7月 - 没年不明)は、日本の建築家である。本願寺技師として、伊東忠太とともに旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院)および二楽荘の建設に携わり、東京府内務部営繕局長を務めた。旧姓は越本。 1874年(明治7年)7月、奈良県奈良市転害門内東入ル雑司町に生まれる。東京府市政通信社編 (1926)によれば、鵜飼家は「父祖十二代連綿として建設業を受け継ぎ、代々斯界に名声を馳せていた」家系であり、先代の鵜飼源三郎は東大寺大仏殿の大修繕や築地本願寺・西本願寺の建立にも携わった。工手学校卒業後、明治神宮神楽殿建築監督などを務める。 1898年(明治31年)から1901年(明治34年)にかけて渡米し、「ハムボルド・ドローイング・スクール」を卒業する。
新山 平四郎(にいやま へいしろう、1869年7月17日 -… 新山 平四郎(にいやま へいしろう、1869年7月17日 - 不明)は、明治から昭和初期にかけて文部省技師として活躍した建築家。明治期の新設された学校建築を多く手がけた。
西原 吉治郎(にしはら きちじろう、1869年1月8日(明治… 西原 吉治郎(にしはら きちじろう、1869年1月8日(明治元年11月26日) - 1935年(昭和10年)12月27日)は、長門厚狭郡厚南村(現・山口県宇部市)出身の建築家。1897年(明治30年)から1917年(大正6年)までは福岡県営繕係や愛知県営繕係に奉職し、1918年(大正7年)に名古屋市初の個人建築事務所を開設して活動した。 父は西原英治郎、母はノエ。1869年1月8日(明治元年11月26日)、長門厚狭郡厚南村大字東須恵(現・山口県宇部市)に西原家の長男として生まれた。厚狭郡須恵小学校(現・宇部市立厚南小学校)を卒業し、吉敷郡山口町の山口黒城塾で学んだ後、大阪商業学校(現・大阪市立天王寺商業高等学校)に入学した。
設楽 貞雄(したら さだお、1864年8月4日(元治元年7月… 設楽 貞雄(したら さだお、1864年8月4日(元治元年7月3日) - 1943年(昭和18年)12月15日)は、明治時代から昭和初期にかけて関西で活躍した民間建築家。工手学校(現・工学院大学)造家学科の第1期生である。 1912年(明治45年)、大阪市の「新世界」開発において、そのシンボルとなる初代通天閣および隣接する遊園地ルナパークの設計を一手に担ったことで知られる。民間建築家の先駆けとして、山陽鉄道の建築部門の確立や住友関連のプロジェクト、さらに聚楽館や神戸タワー、伏見桃山乃木神社の造営など、近代日本の都市形成とインフラ構築に多大な足跡を残した。 設楽建築工務所は、意匠設計から施工管理までを高度に分業化した近代的な組織体制を有していた。
片山 東熊(かたやま とうくま、嘉永6年12月20日(185… 片山 東熊(かたやま とうくま、嘉永6年12月20日(1854年1月18日)- 1917年(大正6年)10月24日)は、明治期に活躍した建築家。工手学校(現工学院大学)造家学科教務主理。位階および勲等は正三位勲一等。号は晩晴。 山口県生まれ。工部大学校の建築学科第1期生。 宮内省で赤坂離宮など宮廷建築に多く関わる。職務として県庁や博物館、宮内省の諸施設など36件の設計に関わったほか、公務の合間に貴族の私邸を中心に14件の設計を行った。 日本人建築家の養成を行うべく来日した、ジョサイア・コンドルによる最初の学生の一人である。 代表作である旧東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮)は、2009年に明治期以降の建築としては初めて国宝に指定された。
市石 英三郎(いちいし えいざぶろう)は、日本の建築家。長野… 市石 英三郎(いちいし えいざぶろう)は、日本の建築家。長野市信州新町名誉町民第5号。 1911年(明治44年)にヤン・レツル・アンド・ホラ合資会社に入所する。1912年(明治45年)、工手学校建築科(現・工学院大学建築学部)を卒業した。1913年(大正2年)から1914年(大正3年)にかけて、レツルの元で広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム)の設計を担当した。 1915年(大正4年)から宮内省内匠寮督役に就任。1916年(大正5年)、内匠寮生となる。 1921年(大正10年)には宮内技手となり、1931年(昭和6年)より内匠寮臨時帝室博物館造営課兼工務課に勤務した。 この間、1924年(大正13年)に千葉県君津郡金田村立金田尋常高等小学校(現・木更津市立金田小学校)の木造校舎設計図を手がけたが、鉄筋コンクリート製の校舎に変更されたため、日の目を見なかった。
小島 光晴(こじま みつはる、1973年(昭和48年 - )… 小島 光晴(こじま みつはる、1973年(昭和48年 - )は、日本の建築家。一級建築士。工学院大学非常勤講師。