荘司 宏太(しょうじ こうた、2000年5月22日 - )は… 荘司 宏太(しょうじ こうた、2000年5月22日 - )は、東京都八王子市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 小学校2年生の時に軟式野球を始めた。八王子市立ひよどり山中学校在学時は硬式野球のクラブチームである昭島リトルシニアでプレーした。駿台甲府高等学校に進学し、1年夏からベンチ入り。在学中、甲子園出場はなかった。 高校卒業後は国士舘大学へ進学。1年春からベンチ入りし、東都2部で通算1勝1敗、防御率3.65の成績を残した。 大学卒業後はセガサミーへ入社。1年目の都市対抗では、2死二三塁のピンチで登板し、三菱自動車岡崎の荒井海斗をショートゴロに打ち取った。2年目は活躍が評価され、東京ガスの補強選手として出場。
芦田 丈飛(あしだ たけと、2000年2月9日 - )は、千… 芦田 丈飛(あしだ たけと、2000年2月9日 - )は、千葉県八千代市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。オリックス・バファローズ所属。 八千代市立大和田西小学校2年生のときに野球を始め、八千代市立大和田中学校を経て、千葉英和高校へ進学。2年秋に芦田が故障し、控え内野手であった山﨑凪が投手に転向したが、3年夏にはエースの座を奪い返した。甲子園出場経験はなし。 国士舘大学へ進学し、1年時から登板機会を得たが、2年夏に疲労骨折で右肘を手術。公式戦に復帰できたのは4年時であり、プロや強豪チームからは声がかからず、社会人野球のオールフロンティアに入社した。 NPBを目指してオールフロンティアを入社1年で退社し、2022年度のBCリーグ特別合格選手として埼玉武蔵ヒートベアーズに入団した。
和辻 大輝(わつじ だいき、1999年7月3日 - )は、大… 和辻 大輝(わつじ だいき、1999年7月3日 - )は、大阪府八尾市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。ハヤテベンチャーズ静岡所属。 八尾市立大正中学校では大阪加美ボーイズでプレーした。三重高等学校では2年生の秋より試合に出場し3年夏の県大会では決勝で負け3年間で甲子園出場はなかった。[要出典] 国士舘大学 に進学し2年生の春季リーグより主に代打、一塁手として試合に出場した。2学年上に高部瑛斗、同級生に芦田丈飛,池田来翔、1学年下に荘司宏太がいた。[要出典] ジェイプロジェクトでは1年目より一塁手として試合に出場した[要出典]。 ベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の信濃グランセローズでは初年度の2023年から主に二塁手として起用され、中軸打者となる。
稲村 亜美(いなむら あみ、1996年〈平成8年〉1月13日… 稲村 亜美(いなむら あみ、1996年〈平成8年〉1月13日 - )は、日本のタレント、ベースボール5選手。東京都出身。浅井企画所属。 当初は、ジャスティスジャパンエンターテイメント(旧:ジャスティスプロダクション)に所属していた。 2013年9月20日発売のFRIDAYで発表された「ミスiD2014」にて、準グランプリに相当する「ミスiD(アイドル)2014」に選出された。 2014年3月13日、日出高等学校を卒業し、同年4月1日に国士舘大学21世紀アジア学部に入学、4月14日には『週刊プレイボーイ』×グラドル自画撮り部「第1回ジガドル・グランプリ」吉田豪賞を受賞する。 2015年3月26日
森口 壽樹 (もりぐち としき、1995年2月7日 - )は… 森口 壽樹 (もりぐち としき、1995年2月7日 - )は、日本のプロ野球審判員。審判員袖番号は2022年までは56、2023年からは27。 奈良県出身。磐田東高等学校から国士舘大学を経て2018年1月1日に日本野球機構審判部に入局。高校時代は身長186cm、体重90kgと恵まれた体格の内野手で、左の強打者として活躍。高校3年時には投手も務め、投打を牽引する存在であった[要出典]。 大学卒業後にNPBアンパイア・スクールを受講し、研修審判員として契約。四国アイランドリーグplusで経験を積んだのち、2017年12月13日に日本野球機構より育成審判員として2018年1月1日に契約することが発表された。
岩崎 優(いわざき すぐる、1991年6月19日 - )は、… 岩崎 優(いわざき すぐる、1991年6月19日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。阪神タイガース所属。 2021年開催の東京オリンピック 野球 金メダリスト。 NPBの左投げ投手としては史上初となる、100ホールド・100セーブの達成者。 静岡市立清水第四中学校の軟式野球部で野球を始める(後述)と、サッカーの名門で進学校の静岡県立清水東高等学校に進学したが、甲子園球場の全国大会とは縁がなかった。 国士舘大学への進学後は、チームが東都大学野球の1部リーグに所属していた1年時からベンチ入りを果たすと、2部リーグに所属した2年時以降は救援投手として活躍した。
坂寄 晴一(さかより せいいち、1990年4月5日 - )は… 坂寄 晴一(さかより せいいち、1990年4月5日 - )は、茨城県鉾田市出身の元プロ野球選手(投手)、警察官。左投左打。 茨城県立鉾田第一高校から国士舘大学へ進学。2年生の時に東都大学野球リーグ・春季リーグでの国学院大戦(4月7日)で先発登板し、8回2/3を投げ無失点の成績で、チームに15年ぶりの同リーグ1部での勝利をもたらした。3年春の入替戦初戦で先発するも敗戦投手となり、結局降格。秋以降は2部リーグで4年秋は最下位となるが3部との入替戦では2戦とも先発して勝利投手で2戦目は完封。1部リーグ通算、17試合1勝5敗、防御率2.94。 JR東日本での2年目の2014年、5月10日に行われた巨人の二軍との交流戦に先発、5回を投げて1人のランナーも出さなかった(パーフェクトピッチング)。
屋宜 照悟(やぎ しょうご、1989年3月29日 - )は、… 屋宜 照悟(やぎ しょうご、1989年3月29日 - )は、沖縄県うるま市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 中部商業高校時代には甲子園球場の全国大会と無縁で、3年夏の選手権沖縄大会決勝では、大嶺祐太擁する八重山商工高校に3 - 7というスコアで敗れた。 国士舘大学への進学後は、1年時の春から、東都大学野球の2部リーグ戦に登板。3年時には、春季に2部で最下位を経験しながら、秋季には2部優勝と入れ替え戦での勝利により、チームが30季ぶりの1部昇格を果たした。4年時には、春季に1部で5位にとどまったものの秋季の最下位と入れ替え戦での敗北により、チームは1年で2部へ降格。1部リーグ通算、10試合1勝4敗、防御率3.29。
入野 貴大(いりの たかひろ、1988年11月26日 - )… 入野 貴大(いりの たかひろ、1988年11月26日 - )は、高知県香美郡野市町(現・香南市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 小学4年生の時に「桜ヶ丘スポーツ少年団」で野球を始めた。野市中学校では二塁手、三塁手、遊撃手などでプレー。岡豊高校入学後も内野手としてプレーしていたが、3年生時の春から投手としてもプレーするようになった。6月には日米親善高校野球大会の高知県選抜チームに選出された。高校通算では10本塁打を放った。 高校卒業後に一度は国士舘大学への進学を決めるも実際には入学せず、広島県にあったプロ育成野球専門学院に進んだが、同学院は1年で閉校した。 2008年に四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)の愛媛マンダリンパイレーツに入団し、5年間で183試合に登板、17勝9敗14セーブの成績を残した。
長川 真也 (ながかわ しんや、1987年10月6日 - )… 長川 真也 (ながかわ しんや、1987年10月6日 - )は、日本のプロ野球審判員。 樹徳高等学校から国士舘大学を経て2013年3月1日に日本野球機構審判部に入局。審判員袖番号は入局から2015年までは60、2016年からは31。 2024年にはオールスター初出場を果たし、第2戦(7月24日、神宮)で球審を務めた。 2026年3月14日に行われたDeNA対ソフトバンクのオープン戦(横浜スタジアム)で球審を務めた長川は、3回裏2死三塁の場面で、栗原陵矢が打った打球を二ゴロに打ち取ったが、ボールを持たなかった投手の東克樹が、打者走者の走塁を妨げた事により、走塁妨害と判定し、三塁走者の正木智也は得点となり、自ら場内説明を行った。
岡本 洋介(おかもと ようすけ、1985年9月27日 - )… 岡本 洋介(おかもと ようすけ、1985年9月27日 - )は、和歌山県西牟婁郡すさみ町出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。叔父は元プロ野球選手の岡本光。
野原 祐也(のはら ゆうや、1985年1月7日 - )は、埼… 野原 祐也(のはら ゆうや、1985年1月7日 - )は、埼玉県越谷市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手、右投左打)、野球指導者。 現役時代には、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の富山サンダーバーズ→富山GRNサンダーバーズとNPBの阪神タイガースに所属。富山時代には、「富山のおかわり君」と呼ばれていた。 2016年の現役引退後は、2017年から2020年まで社会人クラブチームのOBC高島、2021年から2022年まで阪神タイガース Women(阪神タイガースが運営する女子硬式野球クラブチーム)の監督を務めた。 大宮東高校から国士舘大学に進学。4年時は主将。大学時代には股関節を故障しNPBのドラフトにはかからなかったが、プロ入りの夢を追い求めて2007年に創設された北信越ベースボール・チャレンジ・リーグの富山サンダーバーズに入団。
岩﨑 哲也(いわさき てつや、1982年10月13日 - )… 岩﨑 哲也(いわさき てつや、1982年10月13日 - )は、埼玉県深谷市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 埼玉県立行田工業高等学校時代は、春日部共栄高等学校とともに夏の埼玉大会優勝候補だったが、埼玉栄高等学校と初戦で対戦して惜敗。その後、国士舘大学では小島紳二郎が同期のエースで4年春の2部開幕戦で先発し初勝利を挙げたが主にリリーフであった。三菱重工横浜硬式野球クラブに入部した。 2005年の第76回都市対抗野球大会神奈川2次予選で好投し、三菱ふそう川崎の補強選手として出場した。5試合中4試合に登板して三菱ふそう川崎の優勝に大きく貢献、新人賞に当たる若獅子賞を受賞した。2006年は東芝に補強されて第77回都市対抗野球大会に出場。
岩﨑 哲也(いわさき てつや、1982年10月13日 - )… 岩﨑 哲也(いわさき てつや、1982年10月13日 - )は、埼玉県深谷市出身の元プロ野球選手(投手)。
小松 聖(こまつ さとし、1981年10月29日 - )は、… 小松 聖(こまつ さとし、1981年10月29日 - )は、福島県いわき市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ、プロスカウト。 いわき市立小名浜第一中学校から福島県立勿来工業高等学校に入学。3年夏は福島大会ベスト16。その後、東都大学野球リーグの国士舘大学に進学し、下級生の頃からベンチ入りしたものの在学中は2部リーグで優勝もなく、1学年下の小島紳二郎らに隠れて通算4勝に留まったが、西武のスカウトにはマークされていた。 2004年に社会人野球のJR九州に入社。都市対抗野球大会九州地区二次予選準決勝の日産自動車九州戦で先発したが序盤で打ち込まれて降板。秋の社会人野球日本選手権大会九州地区
紺田 敏正(こんた としまさ、1980年8月12日 - )は… 紺田 敏正(こんた としまさ、1980年8月12日 - )は、富山県砺波市出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)、コーチ。2013年シーズンより北海道日本ハムファイターズでコーチを務めている。
辻 俊哉(つじ としや、1979年7月14日 - )は、山梨… 辻 俊哉(つじ としや、1979年7月14日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロ野球選手(捕手)。アマチュア野球指導者。現在は国士舘大学硬式野球部監督。
平井 英一(ひらい えいいち、1978年10月4日 - )は… 平井 英一(ひらい えいいち、1978年10月4日 - )は、香川県出身の元社会人野球選手(投手)、コーチ。 香川中央高から国士舘大学を経て、2001年に朝日生命に入社し野球部に入部。同期に金剛弘樹がいた。同年の都市対抗野球への出場を果たしたものの、チームはこの年限りで廃部となり富士重工業に移籍した。 移籍1年目の2002年はプロ注目選手として期待されたが、シーズン開始直後に突然投球イップスを発症して投球ができなくなった。平井の場合はボールが握れなくなるという深刻なもので、一時はチームに引退を申し出たものの、当時の監督・コーチが懸命に説得し、どうにか引退を思いとどまらせた。 その後は、毎年のように投球フォームを変える試行錯誤を繰り返した。
筒井 正也(つつい まさや、1976年4月11日 - )は、… 筒井 正也(つつい まさや、1976年4月11日 - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手(投手)。現在は中日ドラゴンズでスコアラーを務めている。 中学時代は墨田リトルシニア。国士舘高校で1993年に2年でセンバツに出場し、2回戦の市立船橋高戦では9回表から延長15回まで1安打に抑える好投でベスト4進出に大きく貢献した。1994年、3年夏の西東京大会では3回戦、都立東大和高戦で9回ノーヒットノーランを記録。この大会では打撃でも3本塁打を放ち、決勝進出の原動力となる。 その後、国士舘大学に進学すると1年春のみ東都大学野球1部リーグで1試合に登板、以降は2部で2年生からエースとして活躍。2部リーグながら通算15勝、MVP・最優秀投手賞を各2回受賞している。
古城 茂幸(ふるき しげゆき、1976年1月12日 - )は… 古城 茂幸(ふるき しげゆき、1976年1月12日 - )は、千葉県柏市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、プロ野球コーチ。 愛称は「茂ちゃん」。 父親は子供の頃からキャッチボールや打撃を教えたが、本格的に野球をするのは高校に入ってからと言いつけていた。茂幸は小学校で体操や陸上に熱中し運動神経のよさを発揮していたが、一時こっそり少年野球チームの練習に加わったりしていた。中学では体操部に入ろうとしたが、進学した年に体操部が廃部し、代わりに野球部に入部した。 中央学院高校へ進むと野球部に所属。3年生のとき、夏の県大会準決勝へ進出して成田高校に2-3で惜敗。国士舘大学時代は東都大学野球連盟2部リーグにおいて、3度の打率3割を記録。
佐々木 洋(ささき ひろし、1975年7月27日 - )は、… 佐々木 洋(ささき ひろし、1975年7月27日 - )は、日本の高等学校教諭、高校野球指導者。メジャーリーグで活動する菊池雄星や大谷翔平らを育成した。 農家の次男として生まれる。幼少期はプロ野球選手を目指して、野球に打ち込む。 岩手県立黒沢尻北高等学校時代には甲子園大会などの全国大会への出場はない。 高校卒業後は国士舘大学に進学。同期に古城茂幸がいた。教育実習は、大学の先輩でもある、水谷哲也が監督を務める、横浜隼人高等学校にて行っていた。 大学卒業後はその縁から横浜隼人高等学校にて、コーチを務める。 2000年に岩手県の花巻東高等学校の教員として赴任。当初はバドミントン部や女子ソフトボール部の顧問を務めていた。
庄司 大介(しょうじ だいすけ、1974年6月18日 - )… 庄司 大介(しょうじ だいすけ、1974年6月18日 - )は、東京都生まれ静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(外野手)。 小学4年の時に野球を始める。静清工業高校では投手を務め、エースとして1992年の夏の静岡県予選でチームを準優勝に導いた。東都大学野球連盟の国士舘大学に進学後、2年次からは外野手に転向。1部リーグ通算2季で、11試合に出場、28打数5安打、打率.179、本塁打、打点はなし。 卒業後の1997年より河合楽器でプレー。主に4番として都市対抗野球大会に2度出場した。1999年には6月13日の都市対抗静岡代表決定戦で顎に死球を受け、意識を失い複雑骨折する重傷を負ったが医者を説得して早期復帰し、本大会にも出場している。
鷹野 史寿(たかの ふみとし、1973年8月10日 - )は… 鷹野 史寿(たかの ふみとし、1973年8月10日 - )は、東京都東村山市出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ、プロ野球解説者。 浦和学院高校時代は清水隆行と同学年であった。高校卒業後は、東都大学野球リーグの国士舘大学に進学。3年秋、4年春は1部でリーグ通算26試合に出場、94打数26安打、打率.277、4本塁打、10打点、3盗塁の記録を残し、ベストナイン1回(1994年秋)、4年春の入替戦では1敗の2戦目で本塁打を放つも延長15回で亜大に惜敗、2部通算は69試合、306打数90安打、打率.294、13本塁打。卒業後は日産自動車に入団。1998年は都市対抗野球で優勝に貢献。持ち前のパンチ力で全日本メンバーに選ばれ、シドニーオリンピックの予選を兼ねたアジア選手権ではプロアマ混成チームながら外野の一角を担った。
厚澤 和幸(あつざわ かずゆき、1972年8月11日 - )… 厚澤 和幸(あつざわ かずゆき、1972年8月11日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市桜区)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、コーチ。 2001年までの登録名表記は厚沢 和幸。 浦和市立上大久保中学校(現:さいたま市立上大久保中学校)で野球を始め、大宮工業高校では2年秋からエースとなる。3年夏の県大会は4回戦で敗退した。東都大学野球の国士舘大学に進み、1年春からベンチ入り。4年春に2部でMVPとなり、入替戦では初戦で西口文也と投げ合って勝利し、東都大学野球リーグ1部昇格の原動力となる。東都1部通算9試合に登板、3勝3敗、防御率1.88。また2部通算37試合に登板、10勝8敗、防御率2.85。
増田 政行(ますだ まさゆき、1969年4月13日 - )は… 増田 政行(ますだ まさゆき、1969年4月13日 - )は、茨城県北相馬郡利根町出身の元プロ野球選手(投手)。1993年から1996年までの登録名は増田 康栄(ますだ やすひで)。 印旛高では3年時捕手を務め、1学年上にプロでも同僚となる土橋勝征がいた。国士舘大学では東都大学2部リーグで通算12勝。 1991年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから3位指名を受け入団。 1992年から一軍登板を果たした。 1996年には自己最多の22試合に登板する。 1998年以降は一軍登板がなかった。 1999年シーズン終了後に退団。 退団後は、社会人野球の鷺宮製作所に在籍した。
島崎 毅(しまざき たけし、1967年3月3日 - )は、千… 島崎 毅(しまざき たけし、1967年3月3日 - )は、千葉県成田市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。コーチ転身後の2003年から表記を島﨑 毅(読み同じ)としている。 パシフィック・リーグ初の最優秀中継ぎ投手を獲得している。 小学5年の時に野球を始め、中学時代は三塁手だった。 東京学館高等学校で投手に転向。在学中から、千葉県内の高校野球界で好投手として知られていたが、高校時代の夏の県大会は3回戦進出が最高成績(1984年)。高校卒業後は、東都大学野球連盟に所属する国士舘大学に進んだが、在学中はチームの活動停止期間等もあって1部でプレーの夢はかなわなかった。大学通算15勝14敗。 国士舘大学2部政経学部を卒業後、社会人野球のNTT北海道に入部。
角田 満(つのだ みつる、1966年10月11日 - )は、… 角田 満(つのだ みつる、1966年10月11日 - )は、埼玉県さいたま市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 浦和実業学園高から国士舘大学へ進学するが、野球部の公式戦出場停止などもあり中退し、日本ハムファイターズの球団職員となる。 1986年オフ、ドラフト外で日本ハムファイターズの選手となり、1991年に引退した。 引退後の2016年5月、2014年から2015年にかけて足利ホールディングスの株を巡る架空の投資話で兵庫や岡山などに住む高齢者6人から現金計6898万円を詐取したとして、他3人とともに大阪府警と兵庫県警に詐欺などの疑いで逮捕され、2017年4月27日に詐欺と詐欺未遂の罪で、大阪地裁より懲役4年6月の実刑判決を受ける。
森 健次郎(もり けんじろう、1964年(昭和39年)1月2… 森 健次郎(もり けんじろう、1964年(昭和39年)1月22日 - )は、日本のプロ野球審判員。現役引退時の審判員袖番号は27。2023年シーズンよりNPBの審判長を務める。東京都世田谷区出身。 国士舘高等学校では野球部でマネージャーを務め、国士舘大学、森商事、東都大学野球審判員を経て、1988年にセントラル・リーグ審判部に入局 した。審判員袖番号は27(1988年初採用から)、笠原昌春と同様にセ・リーグが審判員に袖番号を採用した初年度に入局した審判員である。 身長はさほど高くなく、がっちりした体型である。全体的にストライクゾーンがかなり広く、特に外角はMLBの審判並みにワイドと言われている。
水谷 哲也(みずたに てつや、1964年 - )は、徳島県出… 水谷 哲也(みずたに てつや、1964年 - )は、徳島県出身の日本の高校野球指導者。 徳島市立高校時代は捕手として活躍し、高校3年夏の県大会はベスト8まで進む。 高校卒業後は東都大学野球所属の国士舘大学に進学。 大学卒業後は国士舘高校でコーチを務め、1991年秋に横浜隼人高校の監督に就任。2009年夏には準々決勝で強豪・横浜高校、準決勝で桐光学園、決勝で桐蔭学園高校を破り、甲子園大会に初出場。2回戦では菊池雄星を擁する、花巻東高校と対戦し、敗退。花巻東の監督はかつて自身の下で横浜隼人のコーチを務めた、佐々木洋であり、師弟対決として注目を集めた。
葛城 弘樹(かつらぎ ひろき、1963年9月21日 - )は… 葛城 弘樹(かつらぎ ひろき、1963年9月21日 - )は日本の野球選手(内野手)。
横谷 彰将 (よこたに あきまさ、1963年4月7日 - )… 横谷 彰将 (よこたに あきまさ、1963年4月7日 - )は、兵庫県三木市宿原出身の元プロ野球選手。現在建築会社「(有)ツースリー」代表取締役、NPO横浜ベイスターズスポーツコミュニティのコーチングスタッフ。
長冨 浩志(ながどみ ひろし、1961年6月10日 - )は… 長冨 浩志(ながどみ ひろし、1961年6月10日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉日大一高ではエース兼四番打者として、1979年夏の甲子園千葉県予選で準決勝に進出するが、習志野高にコールド負け。 高校卒業後は国士舘大に一般入部。東都大学野球リーグでは二部リーグが長く、一部リーグ出場は3シーズンにとどまる。7季連続の入替戦登板も経験。4年次には主将として春季二部リーグに優勝、二部MVP、最優秀投手となる。入替戦で専大を降し、一部リーグに昇格するが、秋季リーグは振るわず最下位で残留を決めた。1983年秋にロッテオリオンズのドラフト3位指名を受けるも入団拒否。 大学卒業後、電電関東(2年目からNTT関東)に入社。
早川 和夫(はやかわ かずお、1960年5月17日 - )は… 早川 和夫(はやかわ かずお、1960年5月17日 - )は、栃木県下都賀郡壬生町出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。 栃木商業では3年次の1978年に夏の甲子園県予選で準々決勝に進むが、真岡高に敗退。 高校卒業後は1979年に国士舘大学へ進学し、東都大学リーグでは1年次の同年秋季で初優勝を経験するが、自身の活躍の場は無かった。その後は二部との降昇格を繰り返すが、4年次の1982年春季には二部でMVPと首位打者を獲得。一部(4季)通算29試合に出場、90打数17安打、打率.189、0本塁打、5打点。 大学卒業後は1983年に三菱重工横浜へ入社し、1984年の都市対抗に日本鋼管の補強選手として出場。
森 厚三(もり こうぞう、1959年3月19日 - )は、愛… 森 厚三(もり こうぞう、1959年3月19日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。
長井 秀夫(ながい ひでお、1959年2月2日 - )は、埼… 長井 秀夫(ながい ひでお、1959年2月2日 - )は、埼玉県出身の元野球選手(内野手)、野球指導者。 埼玉県の市立川口高校卒業後、国士舘大学政経学部に進学し東都大学野球連盟所属の野球部に入部。内野手としてプレーし、大学3年の秋にチーム唯一の1部リーグ優勝を果たし、一塁手のベストナインに選出された。2学年先輩に高柳秀樹、2学年下に早川和夫がいた。 大学卒業後、社会人野球の電電関東に入社。都市対抗野球大会への10年連続出場に貢献をし、1992年から主将を務めた。1998年にコーチに就任し、同年開催の第25回社会人野球日本選手権大会で優勝を果たす。 1999年、NTT東日本グループの硬式野球部はNTT東日本硬式野球部に再編され、長井は再編後の野球部の初代監督に就任。都市対抗野球大会では、4強1回、8強2回の成績を収める。 2005年、母校の市立川口高校の野球部監督に就任。監督退任後は川口市に再任用され、2019年から総監督に就任。 2023年春季リーグより、国士舘大の野球部監督に就任。監督就任以前から休日等に指導を行なっていた。
永田 昌弘(ながた まさひろ、1958年1月24日 ‐ )は… 永田 昌弘(ながた まさひろ、1958年1月24日 ‐ )は、日本の元社会人野球の選手(内野手)。現在は、学生野球の監督。
片岡 大蔵(かたおか だいぞう、1957年11月23日 - … 片岡 大蔵(かたおか だいぞう、1957年11月23日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 幼少期から兄2人の影響を受け野球を始める、新居浜市立惣開小学校ではソフトボール、新居浜西中では軟式野球部に加入していた。 1973年に新居浜商業高に入学。1974年に春のセンバツへ出場。 1975年に投手兼一塁手として夏の甲子園に出場。愛媛県大会予選では、3回戦の内子高戦で9回2死までノーヒットノーランに抑えたが最後の打者にライト前のポテンヒットを打たれ快挙を逃す。北四国大会決勝では、当時愛媛県で無敵を誇った西条高戦に3回途中からリリーフ、延長10回まで無失点に抑えた(なお、この試合を当時、愛媛・卯之町で夏のキャンプをしていた国士舘大学野球部の畑俊二監督が偶然テレビ観戦していてスカウトされたと言われている)。
浅井 純哉(あさい すみや、1957年7月13日 - )は、… 浅井 純哉(あさい すみや、1957年7月13日 - )は、日本の高校野球指導者。金沢龍谷高等学校の野球部監督を務める。かつては金沢高等学校や鵬学園高等学校の野球部監督を務めた。 石川県輪島市出身。金沢高等学校野球部OB内野手(甲子園出場経験はなし)。国士舘大学準硬式野球部では投手。 輪島市の高校で臨時職員として勤務した後、1981年(昭和56年)に母校・金沢高等学校へ戻り、野球部コーチ。責任教師を経て、1993年(平成5年)秋より野球部監督就任。2011年(平成23年)6月、育成功労賞を受賞。同年10月の山口国体を最後に勇退を発表した。後任は野球部長の岩井大。 金沢高校時代は白山市(旧:美川町)の自宅を下宿として、輪島市など県内の遠隔地および希望する野球部員の面倒をみていた。
高柳 秀樹(たかやなぎ ひでき、1957年3月1日 - )は… 高柳 秀樹(たかやなぎ ひでき、1957年3月1日 - )は、茨城県鹿島郡鉾田町(現:鉾田市)出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ。実兄はヤマハ硬式野球部監督を務めたヤマハ硬式野球部副部長の高柳信英。 鉾田一高では、1973年秋季関東大会県予選準決勝に進むが、土浦日大高の工藤一彦に抑えられ完封負け。 高校卒業後は、国士舘大学に進学。東都大学野球リーグでは、1学年下のエース片岡大蔵を擁し1977年春季リーグ二部優勝。入替戦で日大を破り、2年ぶりの一部昇格を果たす。しかし優勝には届かず、1978年秋季リーグの3位が最高成績であった。1975年には第11回アジア野球選手権大会日本代表に選出された。
武居 邦生(たけすえ くにお、1956年4月27日 - )は… 武居 邦生(たけすえ くにお、1956年4月27日 - )は、福岡県飯塚市出身の元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者、スカウト。右投右打。 九州工業高等学校では投手として活躍していた。1974年の県北部予選3回戦では松浦正らがいた小倉工業高校に敗れ、甲子園への出場を果たすことができなかった。 高校卒業後は国士舘大学に進学し一塁手に転向。東都大学野球リーグでは、1学年下のエース片岡大蔵を擁し1977年春季リーグ二部優勝。入替戦で日大を破り、初の一部昇格を果たす。しかし優勝には届かず、1978年秋季リーグの3位が最高成績であった。ベストナイン(一塁手)2回選出。大学同期に外野手の高柳秀樹らがいた。
大迫 幸一(おおさこ こういち、1953年7月19日 - )… 大迫 幸一(おおさこ こういち、1953年7月19日 - )は、アスレティックトレーナー、プロ野球コーチ。埼玉県出身。プロ野球選手経験はない。 国士舘大学時代はサッカー部に所属。 大学卒業後は体育教師を目指していたが、後輩の紹介でスポーツジムに就職。警視庁近代五種水泳臨時コーチ、高校サッカーの指導者などを経て、1989年に女子プロゴルファーの日蔭温子のリハビリトレーナーとなり、復帰戦となった同年の日本女子オープンでキャディーを務めた。 1980年、37歳の時にアメリカンフットボールのXリーグの選手として入団。 1994年にスポーツ施設の管理、運営、指導などを行う「(株)クラフトワーク」を設立。西武ライオンズ所属選手のパーソナルトレーナーの道を歩んだ。
高柳 信英(たかやなぎ のぶひで、1952年10月26日 -… 高柳 信英(たかやなぎ のぶひで、1952年10月26日 - )は、元アマチュア野球選手である。ポジションは捕手。字形の異なる髙栁 信英と表記されることもある。実弟は元プロ野球選手の高柳秀樹。 茨城県鉾田市出身。国士舘高校では1年秋に都大会ベスト4。1970年夏の東京都大会で準々決勝に進むが、帝京商工に敗退。卒業後は国士舘大学に入学する。東都大学野球リーグでは在学中二部リーグにとどまるが、1974年秋季リーグで優勝、入替戦で日大を降し翌年からの一部リーグ昇格を決める。 大学卒業後は、社会人野球の日本楽器チームに入団する。チームでは捕手として6年間プレーし、1976年の都市対抗では大昭和製紙の補強選手として、大会初出場を果たす。
加藤 博一(かとう ひろかず、1951年10月9日 - 20… 加藤 博一(かとう ひろかず、1951年10月9日 - 2008年1月21日)は、佐賀県多久市(旧・小城郡)出身のプロ野球選手(外野手、右投両打)、野球解説者、タレント。 多久工業高時代は足の速さを買われ、地元の駅伝大会に陸上部の助っ人として出場した事がある。打撃練習時には隣接する多久警察署(現在の小城警察署多久幹部派出所)に打球が何度も飛んでいったためにネットが増設され、通称「加藤ネット」といわれた。高校の2年後輩に、マラソン選手で現在は天満屋陸上競技部監督を務める武冨豊や、大相撲幕内力士の天ノ山静雄がいた。 国士舘大学や社会人野球チームからも勧誘されていたが、1969年に西鉄ライオンズへドラフト外で入団。
千葉 剛(ちば つよし、1948年4月25日- )は、宮城県… 千葉 剛(ちば つよし、1948年4月25日- )は、宮城県出身の元プロ野球選手(投手)。 東北高では末永幸士投手(国士舘大学)と同期だったが、甲子園には出場できなかった。 1966年のプロ野球第1次ドラフト会議で東映フライヤーズから5位指名を受けたが、入団を拒否し社会人野球の日本鉱業日立へ入団する。 1968年の都市対抗野球に出場し、1回戦でリリーフとして登板するが日本新薬に敗れる。翌1969年の都市対抗野球にはエースとして出場するが、同じく1回戦で三菱重工名古屋に敗退した。 1969年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから1位指名を受け入団。 シュート、カーブが武器の本格派で、スライダーをプロ入り後に習得する。
冨士井 金雪(ふじい かねゆき、1943年10月10日 - … 冨士井 金雪(ふじい かねゆき、1943年10月10日 - 1990年6月13日)は、三重県度会郡二見町(現・伊勢市)出身の元ボクサー、ボクシング指導者、高校野球指導者。 中学卒業後に神鋼電機に勤めながら定時制の伊勢実業高等学校(現・三重県立伊勢まなび高等学校)に通ったが、2年の時に中退し、名古屋市のボクシングジムに入る。だが、わずか2年で伊勢実業に復学し6年かけて高校を卒業した。その後、国士舘大学に進み、元来はボクシング選手であるにもかかわらず陸上競技部にも在籍した。 26歳で大学を卒業後、三重県内の小学校や中学校で教員経験を積み、1974年、三重県内でボクシング部のあった三重県立明野高等学校のボクシング部監督に就任。