菅原 佐平(すがわら さへい、1885年〈明治18年〉3月1… 菅原 佐平(すがわら さへい、1885年〈明治18年〉3月17日 - 1969年〈昭和44年〉7月17日)は、日本の海軍軍人(海軍軍医)、政治家。最終階級は海軍軍医中将。一関市長。正七位。 岩手県西磐井郡真滝村(現・一関市)出身。滝沢小学校、一関中学校を経て、第二高等学校、1911年(明治44年)東京帝国大学医科卒。同年海軍軍医となる。1928年(昭和3年)海軍軍医大佐となり、1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮会議の随員として加わる。帰国後は第二艦隊軍医長などを務めた。1933年(昭和8年)に湊海軍病院長に就任し、翌1934年(昭和9年)に海軍軍医少将に昇進するとともに呉海軍病院長に就任、1935年(昭和10年)に佐世保海軍病院長に就任した。
中井 亮作(なかい りょうさく、1885年3月10日 - 1… 中井 亮作(なかい りょうさく、1885年3月10日 - 1951年8月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 熊本県出身。1911年東京帝国大学造船科卒。鉄道管理局技手、逓信局技師、手野村議、天草郡農会長、熊本県購買販売組合、同信用組合各連合会長、同森林組合連合会理事、産業組合中央金庫評議員、所得税調査委員、人事調停委員、借地借家調停委員、北天草電気(株)監査役、熊本県木材(株)取締役となる。 1942年の第21回衆議院議員総選挙では熊本2区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。戦後は日本自由党に入ったが、推薦議員のため公職追放となった。1951年追放解除。追放解除から間もなく死去した。
川上 嘉市(かわかみ かいち、1885年(明治18年)3月1… 川上 嘉市(かわかみ かいち、1885年(明治18年)3月1日 - 1964年(昭和39年)4月6日)は、大正・昭和期の日本の実業家、政治家。貴族院勅選議員(1期)、参議院議員(1期)。 静岡県浜松市浜北区内野小島出身。1909年(明治42年)東京帝国大学工科大学を首席で卒業。 東京瓦斯へ入社後、1910年(明治43年)に住友電線製造所(現在の住友電工)に転職。1914年(大正3年)にオーストリア・グラーツにゴム化学の研究の為に留学。同年7月に第一次世界大戦が開戦したことからベルリン経由でイギリスに脱出した。1925年(大正14年)から住友電線取締役を務めた。1927年(昭和2年)に労働争議で経営不振となった日本楽器製造(現在のヤマハ)の社長に就任。
倉富 鈞(くらとみ ひとし、1885年〈明治18年〉2月28… 倉富 鈞(くらとみ ひとし、1885年〈明治18年〉2月28日 - 1977年〈昭和52年〉4月5日)は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。位階は従四位。 司法官僚・倉富勇三郎の長男として生まれる。父の隠居に伴い、1936年(昭和11年)6月1日、男爵を襲爵した。 1910年(明治43年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1928年(昭和3年)朝鮮銀行秘書課長兼国庫課長に就任。その後、同検査役、産業組合中央金庫参事・貸付課長、同理事、農地開発営団理事などを務めた。 1941年(昭和16年)9月6日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
西村 茂生(にしむら しげお、1885年2月24日 - 19… 西村 茂生(にしむら しげお、1885年2月24日 - 1966年7月18日)は、日本の政治家、位階は従三位。 衆議院議員(7期)。岩国市長。岩国市名誉市民。 山口県玖珂郡岩国町(現・同県岩国市)出身。農商務省附属水産講習所(現・東京海洋大学)及び東京帝国大学理科大学卒業。20代から岩国町会議員・玖珂郡会議員・山口県会議員を歴任、山口県会においては県会副議長を務めた。1928年の普通選挙による最初の総選挙で旧山口2区から立憲政友会公認で立候補して当選、中央政界に入った。その後通算7回衆議院議員総選挙に当選した。1931年犬養内閣の海軍参与官に就任。政友会内では同じく山口県出身・選出の久原房之助と行動をともにし、1939年の政友会分裂に際しては久原や鳩山一郎とともに正統派に所属した。
中島 鵬六(なかじま ほうろく、1885年(明治18年)2月… 中島 鵬六(なかじま ほうろく、1885年(明治18年)2月17日 - 1931年(昭和6年)2月17日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 宮城県加美郡中新田村(現在の加美町)出身。中新田町長・中島金也の長男として生まれる。古川中学校(現宮城県古川高等学校)、第二高等学校を経て、1912年(大正元年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、弁護士となる。仙台産馬畜産組合長、大東銀行監査役を務めた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。合計で3期務めた。この間、馬政委員会委員、帝国馬匹協会理事を務めた。
塩川 正蔵(正藏、しおかわ しょうぞう、1885年(明治18… 塩川 正蔵(正藏、しおかわ しょうぞう、1885年(明治18年)2月1日 - 1952年(昭和27年)12月1日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、内務官僚。弁護士。 静岡県富士郡大宮町(現在の富士宮市)出身。1913年(大正2年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。高等文官試験に合格し、静岡県警部、同保安課長、岡山県後月郡長、同吉備郡長、同小田郡長、同水産課長を歴任した。1921年(大正10年)、東京市主事となり、商工課長、土木局庶務課長などを務めた。さらに麻布区長、本郷区長、京橋区長を歴任し、1935年(昭和10年)に東京市理事に就任した。退職後は弁護士を開業した。 1937年(昭和12年)、第20回衆議院議員総選挙に静岡2区から立憲政友会で出馬し、当選を果たした。
岩崎 清行(いわさき きよゆき、1885年(明治18年)2月… 岩崎 清行(いわさき きよゆき、1885年(明治18年)2月 - 1970年(昭和45年)4月23日)は、大正から昭和時代の政治家。実業家。貴族院多額納税者議員。 宮崎県西諸県郡真幸村(真幸町、えびの町を経て現えびの市)出身。岩崎泰蔵の長男として生まれ、1904年(明治37年)家督を相続する。1914年(大正3年)東京帝国大学農科大学林学科卒業。 農業を営み、1919年(大正8年)以降、球磨川電気取締役、真幸村会議員、宮崎県会議員、同参事会員、都市計画宮崎地方委員会委員などを歴任した。 1932年(昭和7年)9月には宮崎県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1939年(昭和14年)9月28日まで務めた。
鶴見 祐輔(つるみ ゆうすけ、1885年〈明治8年〉1月3日… 鶴見 祐輔(つるみ ゆうすけ、1885年〈明治8年〉1月3日 - 1973年〈昭和48年〉11月1日)は、大正時代から昭和時代にかけての日本の官僚、政治家、著述家。衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)、厚生大臣。 英語を得意とし、第二次世界大戦にかけて米国の対日世論が厳しくなる時期に、現地での講演や出版などを通じて民間外交に尽力した。 1885年(明治8年)1月3日、群馬県多野郡新町(現・高崎市新町)で、官営新町紡績所の工場長をしていた父・良憲と、母・琴子の次男、10人きょうだいの第四子として生まれる。一家は1895(明治28年)年9月に東京市赤坂へ、翌1896(明治29年)年1月に父の郷里である岡山県へ転居した。
周 竜光(しゅう りゅうこう、繁体字: 周龍光; 簡体字: … 周 竜光(しゅう りゅうこう、繁体字: 周龍光; 簡体字: 周龙光; 拼音: Zhōu Lóngguāng; ウェード式: Chou Lung-kuang、1885年(清光緒11年) - ?)は、中華民国の政治家。字は二為。 日本に留学し、東京帝国大学を卒業した。帰国後は北京大学教授、督弁魯案事宜公署秘書を歴任している。1925年(民国14年)からは、北京政府で司法部参事や特別関税会議専門委員を務めた。1928年(民国17年)、中国大学副校長となっている。 しかし同年6月、周竜光は国民政府に転じて外交部第二司司長に抜擢され、翌1929年(民国18年)1月には外交部亜洲司司長となった。その後、北平市政府参事に移り、1931年(民国20年)12月10日に天津市長代理に就任した(病気を理由に辞任した張学銘の後任)。
土居 通次(どい みちつぐ、1884年(明治17年)12月2… 土居 通次(どい みちつぐ、1884年(明治17年)12月22日 - 1952年(昭和27年)1月23日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。官選徳島県知事、室蘭市長。 堺県堺区(現・大阪府堺市堺区)で土居栄十郎の長男として生まれる。その後、北海道に移り、北海道庁立札幌中学校を卒業。第二高等学校文科を経て、1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学法律学科 (独法)(現・東京大学法学部)を卒業。1913年(大正2年)11月、文官高等試験に合格。内務省に入省し宮城県属となる。 以後、宮城県柴田郡長、同遠田郡長、同牡鹿郡長、茨城県理事官、高知県警察部長、熊本県警察部長、佐賀県警察部長、島根県書記官・内務部長、群馬県書記官・内務部長、福井県書記官・内務部長、滋賀県書記官・内務部長などを歴任。
有馬 頼寧(ありま よりやす、明治17年(1884年)12月… 有馬 頼寧(ありま よりやす、明治17年(1884年)12月17日 - 昭和32年(1957年)1月9日)は、日本の政治家。農政研究者。農林大臣。日本中央競馬会第2代理事長。プロ野球オーナー。旧筑後国久留米藩主・有馬家の第15代当主。伯爵。
広幡 忠隆(ひろはた ただたか、1884年〈明治17年〉12… 広幡 忠隆(ひろはた ただたか、1884年〈明治17年〉12月11日 - 1961年〈昭和36年〉4月12日)は、日本の政治家。逓信官僚。華族。貴族院侯爵議員、皇后宮大夫。第10代広幡家当主。 東京府で侍従・広幡忠朝の長男として生まれる。父の死去に伴い1905年(明治38年)1月23日に侯爵を襲爵。 学習院中等学科、同高等学科を経て、1909年(明治42年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業。同年12月10日、満25歳に達し貴族院侯爵議員に就任し、火曜会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。 1910年(明治43年)2月、内閣総理大臣官房事務嘱託となる。
守屋 栄夫(もりや えいふ、守屋 榮夫、明治17年(1884… 守屋 栄夫(もりや えいふ、守屋 榮夫、明治17年(1884年)11月8日 - 昭和48年(1973年)2月1日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士、歌人。衆議院議員、宮城県塩竈市長。宮城県平民。 元駐アフガニスタン公使守屋和郎の兄。元防衛事務次官守屋武昌の父。 明治17年(1884年)、宮城県遠田郡に生まれた。守屋徳郎の長男。宮城県古川高等学校卒業。二高を経て、 明治43年(1910年)東京帝国大学法科大学独法科を卒業。文官高等試験に合格。 内務省に入省。千葉、愛知各県理事官、内務監察官、内務省参事官、朝鮮総督府秘書官、同秘書課長、同庶務部長、内務省社会局社会部長を歴任。1925年(大正14年)3月、社会局第二部長を務めていた際に、第7回国際労働会議政府代表に前田多門とともに選出。
結城 安次(ゆうき やすじ、1884年(明治17年)10月1… 結城 安次(ゆうき やすじ、1884年(明治17年)10月17日 - 1977年(昭和52年)3月4日)は、大正から昭和時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。参議院議員。 結城萬蔵の二男、結城堅の弟として茨城県取手町(現取手市)に生まれる。1911年(明治44年)東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、三井物産に入り、本店、上海、大阪各支店にて勤務する。1924年(大正13年)清浦内閣の時、逓信大臣秘書官に任ぜられた。実業界では早川電力、東京電力、大井川鐵道などの重役、自動車鋳物、大井川電力各社長、三河水力電気、伊豆水力電気、上毛電力、東京湾電気、寸又川水力電気各取締役などを歴任した。
小杉 繁安(こすぎ しげやす、1884年(明治17年)10月… 小杉 繁安(こすぎ しげやす、1884年(明治17年)10月7日 - 1963年(昭和38年)4月29日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 山形県東村山郡天童町(現天童市)で小杉繁治の長男として生まれる。1919年(大正8年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業した。 日本鉱業開発取締役、沢藤電機取締役、東北振興精密機械専務取締役、北日本産業社長、日生鉱業社長、東北農機社長、協栄興業社長、大船産業監査役などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に山形県地方区から無所属で出馬して当選し、自由党に所属して参議院議員に1期在任した。その間、参議院両院法規委員長などを務めた。
石橋 正彦(いしばし まさひこ、1884年〈明治17年〉9月… 石橋 正彦(いしばし まさひこ、1884年〈明治17年〉9月22日 - 没年不明)は、日本の政治家、会社役員、島根県多額納税者。島根県簸川郡平田町長。島根県会議員。 島根県楯縫郡平田町(のちの簸川郡平田町、平田市、現・出雲市)の人・石橋孫八の四男。1907年、第五高等学校第一部英法科を卒業。1911年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。農業を営み、会社重役である。 1914年、農会長に推される。1915年、家督を相続する。1919年、簸川郡会議員に当選する。1921年、平田町会議員となる。1922年、島根県会議員に当選する。一畑電気鉄道監査役、産業組合中央会島根県支部長、島根県農会副会長をつとめる。
有田 八郎(ありた はちろう、旧字体: 有田 八郞、 188… 有田 八郎(ありた はちろう、旧字体: 有田 八郞、 1884年〈明治17年〉9月21日 - 1965年〈昭和40年〉3月4日)は、日本の外交官、政治家。貴族院議員(勅選)、衆議院議員(1期)。号は澤農。旧姓山本。新潟県平民。 新潟県佐渡郡真野村(現佐渡市真野)出身。山本家に生まれ、有田家の養子となった。早稲田中学校、第一高等学校を経て、1909年(明治42年)東京帝国大学法科大学独法科卒業、外務省入省。 外務省ではアジア局長、オーストリア公使、外務次官、ベルギー大使、中華民国大使などを務める。1936年(昭和11年)、廣田内閣の外務大臣として初入閣。1938年(昭和13年)2月10日に貴族院議員に勅撰。
小泉 親彦(こいずみ ちかひこ、1884年(明治17年)9月… 小泉 親彦(こいずみ ちかひこ、1884年(明治17年)9月9日 - 1945年(昭和20年)9月13日)は、日本の政治家、陸軍軍医中将。
德川 慶久(とくがわ よしひさ、1884年〈明治17年〉9月… 德川 慶久(とくがわ よしひさ、1884年〈明治17年〉9月2日 - 1922年〈大正11年〉1月22日)は、日本の政治家。位階・勲等・爵位は正三位勲三等公爵。周囲の人々からは音読みで「けいきゅう様」と呼ばれ親しまれていた。 貴族院議員・第一銀行取締役・華族世襲財産審議会議長などを歴任した。 1884年(明治17年)9月2日、徳川慶喜の七男として静岡市葵区紺屋町の屋敷で生まれる。母は側室・新村信。初名は久(ひさし)。宮川喜久蔵、次いで黒田幸兵衛のもとに預けられる。1896年(明治29年)8月、妹・英子とともに静岡から東京に移り、学習院に入学する。徳川慶喜家の継嗣となるにあたって、1902年(明治35年)6月6日に、父の偏諱をとり慶久と改名した。
岡部 長景(おかべ ながかげ、1884年〈明治17年〉8月2… 岡部 長景(おかべ ながかげ、1884年〈明治17年〉8月28日 - 1970年〈昭和45年〉5月30日)は、昭和初期の日本の政治家、外務・宮内官僚。子爵。 子爵岡部長職の嫡男として東京に生まれる。父の死去に伴い、1926年3月15日、子爵を襲爵した。 学習院初等科、学習院中等科、学習院高等科から東京帝国大学卒業。外務省に入省。米国官補。文化事業部長の後、宮内省に転じ、内大臣秘書官長。1930年貴族院議員、宮内省式部次長、陸軍政務次官、大政翼賛会総務。1939年大日本吹奏樂聯盟(現全日本吹奏楽連盟)初代会長に選出され翌1940年第1回全日本吹奏樂競演会 紀元二千六百年奉祝 集団音楽大行進並大競演会(現全日本吹奏楽コンクール)を開催。
安田 正男(やすだ まさお、1884年(明治17年)7月25… 安田 正男(やすだ まさお、1884年(明治17年)7月25日 - 1946年(昭和21年)6月15日)は、日本の弁護士・政治家で立憲民政党所属の衆議院議員。 千葉県長狭郡大山村(現在の鴨川市)出身。衆議院議員安田勲の二男。1917年(大正6年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業。名古屋電灯株式会社に入社し、庶務課長、福澤桃介社長秘書を歴任した。大同電力株式会社創立事務主任、天竜川電力株式会社創立事務主任を務め、事業完成後は弁護士となって、岩田宙造の事務所に勤務した。 1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し当選。小泉又次郎逓信大臣の秘書官を務めた。 その他、東邦電力株式会社顧問、球磨川電気株式会社顧問などを務めた。
畑山 四男美(はたやま しおみ、1884年〈明治17年〉7月… 畑山 四男美(はたやま しおみ、1884年〈明治17年〉7月13日 - 1971年〈昭和46年〉8月8日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。県知事、福岡市長。位階は正四位。勲等は勲三等。 高知県安芸郡羽根村(現室戸市羽根町)で、畑山亀喜代、岩の四男として生まれる。第四高等学校を経て、1915年(大正4年)、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1916年(大正5年)、内務省に入り宮城県属となる。 以後、宮城県亘理郡長、佐賀県・岩手県・長野県の各理事官、岐阜県書記官、熊本県書記官・学務部長、鹿児島県書記官・警察部長、同内務部長、大分県書記官・内務部長、北海道庁部長・土木部長などを歴任。
北島 貴孝(きたじま よしのり、1884年〈明治17年〉7月… 北島 貴孝(きたじま よしのり、1884年〈明治17年〉7月10日 - 1956年〈昭和31年〉8月20日)は、大正から昭和前期の神職、政治家、華族。出雲大社北島国造家第77代当主、貴族院男爵議員。 島根県簸川郡(現・出雲市大社町)で北島国造家76代当主・北島斉孝の長男として生まれる。父の死去に伴い1918年(大正7年)12月20日、男爵を襲爵した。 1906年(明治39年)、学習院高等科を卒業し、さらに東京帝国大学文科大学史学科を修了した。1918年、父の死去後、神道出雲教会大教主に就任。1952年(昭和27年)、神道大教から離れ出雲教を設立して国造に就任した。1948年(昭和23年)から1953年(昭和28年)まで出雲大社御造営御用掛を務めた。
高松 長三(たかまつ ちょうぞう、1884年〈明治17年〉7… 高松 長三(たかまつ ちょうぞう、1884年〈明治17年〉7月1日 - 1955年〈昭和30年〉1月12日)は、栃木県出身の政治家(衆議院議員)、海軍軍人(階級は海軍主計少将)。旧姓・矢口。相模運輸社長、三笠保存会顧問などを務めた。 矢口長右衛門の三男として栃木県塩谷郡北高根沢村(後の高根沢町)に生まれる。後に高松家の婿養子となった。1909年(明治42年)に東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。 海軍に入ると主計試補に任じられ、1912年(大正元年)主計大尉に任官。1918年(大正7年)に主計少監に進み、1932年(昭和7年)には主計少将に累進する。その間、磐手主計長兼分隊長、海軍省軍需局局員、横須賀海軍経理部第一課長、横須賀海軍工廠会計部長、軍需局第三課長、海軍経理学校教官、連合艦隊主計長、横須賀海軍軍需部長を歴任した。
中瀬 拙夫(なかせ せつお、1884年(明治17年)6月10… 中瀬 拙夫(なかせ せつお、1884年(明治17年)6月10日 – 1969年(昭和44年)3月19日)は、衆議院議員。台湾総督府官僚。 長崎県出身。1914年(大正3年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格。台湾総督府属、同事務官、林務課長心得、庶務課長、糖務課長、商工課長、特産課長を歴任し、台中陳列館館長、茶検査所所長、台湾茶共同販売所理事長を兼ねた。その後、専売局長、台北州知事、殖産局長を務めた。 1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し、当選を果たした。戦後、公職追放となり、1951年(昭和26年)追放解除となった。 アルコール輸送株式会社取締役、日本糖業連合会常務理事、全国産業団体連合会理事、食用糖蜜需給調整協議会会長、東亜経済懇談会参与を務め、さらに日研化工株式会社会長、第一醸造株式会社会長、知床鉱業株式会社社長となった。
瀬田 吉之助(せた きちのすけ、1884年〈明治17年〉6月… 瀬田 吉之助(せた きちのすけ、1884年〈明治17年〉6月1日 - 1937年〈昭和12年〉11月14日)は、日本の実業家、政治家、資産家、地主。瀬田不動産合資会社代表社員。鍋屋合資会社代表社員。板橋町大山出身。 東京市板橋区板橋町九丁目、瀬田吉兵衛の息子。東大林学科卒業。農業を営む。1915年に板橋町会議員に当選、以来1919年に至る1期間板橋町政に参画し、町利民福の為に大いに尽瘁したが、1919年に至って考える所があり政界を断念し、土地管理等の家業に努力する。 傍ら事業界に進出し、東洋計器会社、斎藤レンズ製作所、浦和商業銀行等に投資する。1926年、成子内親王に神代雛(上田直次作木彫)一対を献上する。
金沢 正雄(かなざわ まさお、1884年〈明治17年〉5月2… 金沢 正雄(かなざわ まさお、1884年〈明治17年〉5月26日 - 1945年〈昭和20年〉4月27日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。政友会系官選県知事、衆議院議員。 大阪府交野郡倉治村(北河内郡交野村、交野町を経て現交野市倉治)で、金沢楢松の長男として生まれる。第三高等学校を卒業。1910年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し栃木県属となる。 以後、栃木県警視、同事務官、熊本県理事官、長崎県理事官、愛媛県警察部長、群馬県警察部長、沖縄県内務部長、岐阜県内務部長、長崎県書記官・内務部長、新潟県書記官・内務部長、神奈川県書記官・内務部長などを歴任。
西尾 忠方(にしお ただみち、1884年(明治17年)5月1… 西尾 忠方(にしお ただみち、1884年(明治17年)5月14日 - 1958年(昭和33年)6月17日)は、大正から昭和期の政治家、実業家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・加藤、旧名・泰吉。 旧大洲藩主・加藤泰秋の四男として生まれ、1909年(明治42年)12月、子爵・西尾忠篤の養子となり、同年同月、忠方と改名。養父の死去に伴い、1910年(明治43年)11月29日、子爵を襲爵した。 1913年(大正2年)東京帝国大学法科大学を卒業。馬政調査会委員、軍用保護馬鍛錬中央会副会頭、日本競馬会評議員、十五銀行監査役、蓬莱殖産監査役などを務めた。 1918年(大正7年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され、研究会に属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
立川 太郎(たちかわ たろう、1884年〈明治17年〉4月1… 立川 太郎(たちかわ たろう、1884年〈明治17年〉4月14日 – 1960年〈昭和35年〉7月31日)は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 広島県安佐郡三入村(現在の広島市安佐北区)に立川斧太郎の長男として生まれる。1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、警視庁警部として警務課に勤務した。1915年(大正4年)に警視に昇進し、大塚警察署、牛込警察署、神楽坂警察署、京橋警察署の署長を歴任した。1818年(大正7年)、本庁に復帰して監察官に就任した。1920年(大正9年)、警視庁を退職して弁護士を開業した。 1922年(大正11年)に牛込区会議員に当選し、1926年(大正15年)には東京市会議員に選出された。
吉植 庄亮(よしうえ しょうりょう、1884年4月3日 - … 吉植 庄亮(よしうえ しょうりょう、1884年4月3日 - 1958年12月7日)は、日本の歌人、政治家。 1884年、千葉県印旛郡(現・印西市)の農家に、父庄一郎、母とくの長男として生まれる。当時、この地の農家は繰り返される印旛沼の氾濫に悩まされていた。1892年、父の庄一郎が埜原(やわら)村の村民47戸を率いて、妻とともに北海道石狩国雨竜郡に移住。開墾し、雨竜村和(やわら)(現・北竜町字和)を創立する。両親の北海道移住以来、庄亮は東京の祖父(庄之輔)、祖母のもとで育てられた。開成中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学法科経済学科を1916年に卒業。1921年に父の経営する中央新聞に文芸部長として入社する。
德川 家正(とくがわ いえまさ、旧字体: 德川 家正、188… 德川 家正(とくがわ いえまさ、旧字体: 德川 家正、1884年〈明治17年〉3月23日 - 1963年〈昭和38年〉2月18日)は、日本の外交官・政治家。徳川宗家第17代当主。第16代当主・徳川家達の長男。位階・勲等・爵位は正二位勲一等公爵。最終学歴は東京帝国大学法科大学政治科卒業。称号(学位)は法学士。 戦前にカナダ公使、トルコ大使など官職を務め、父・家達の死後に家督を継いで襲爵し、貴族院議員となる。戦後は第13代にして最後の貴族院議長を務めた。その他の主な公職及び役職としては、社団法人全国治水砂防協会会長、日土協会会長、恩賜財団同胞援護会会長などを歴任した。 1884年(明治17年)3月23日、徳川家達の長男として東京府南豊島郡千駄ヶ谷村(現:東京都渋谷区千駄ヶ谷)で生まれる。
松山 常次郎(まつやま つねじろう、1884年(明治17年)… 松山 常次郎(まつやま つねじろう、1884年(明治17年)3月22日 - 1961年(昭和36年)6月15日)は、日本の実業家、政治家、衆議院議員。 1884年(明治17年)3月22日、和歌山県伊都郡九度山村(現:九度山町)に松山常治・さわの長男として生まれる。奈良県立五条中学校、第三高等学校を経て、1905年(明治38年)、東京帝国大学土木工学科入学。在学中に日本組合基督教会霊南坂教会で洗礼を受けクリスチャンとなる。 1908年(明治41年)、東京帝国大学土木工学科を卒業後に渡米し、橋梁設計などを学ぶ。日本に帰国したのち、1915年(大正4年)朝鮮に渡り、干拓・開墾事業に従事。南海拓殖株式会社や鮮満拓殖株式会社などを設立し、水田開拓事業で成功を収めた。
小山 倉之助(おやま くらのすけ、1884年(明治17年)3… 小山 倉之助(おやま くらのすけ、1884年(明治17年)3月21日 - 1956年(昭和31年)8月3日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(6期)。 宮城県本吉郡気仙沼本郷(後の気仙沼町、現気仙沼市)で、小山長兵衛の二男として生まれる。1909年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。 その後、九州林業取締役、樺太合同産業取締役、日本セメント取締役、帝国地方行政学会取締役、日本エタニットパイプ取締役、(株)行政学会印刷所社長などを務めた。 1928年2月、第16回衆議院議員総選挙で宮城県第二区から出馬して当選。以後、第17回、第19回、第20回総選挙で当選。1942年4月の第21回総選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選した。
後藤 文夫(ごとう ふみお、1884年(明治17年)3月7日… 後藤 文夫(ごとう ふみお、1884年(明治17年)3月7日 - 1980年(昭和55年)5月13日)は大正・昭和の官僚・政治家。「天皇陛下の警察官」を自称し、新官僚の代表と見られた。戦後、日本の原子力発電導入に尽力した。
市村 慶三(いちむら けいぞう、1884年(明治17年)2月… 市村 慶三(いちむら けいぞう、1884年(明治17年)2月28日 - 1959年(昭和34年)1月8日)は、日本の内務官僚、政治家。県知事、京都市長。旧姓・古川。 京都府出身。古川専太郎の三男として生まれ、市村貞蔵の養子となる。第三高等学校を経て、1910年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り北海道庁属となる。 以後、北海道庁警視、神奈川県橘樹郡長、千葉県・兵庫県の各理事官、奈良県警察部長、皇宮警察長、内務省参事官兼宮内事務官、神奈川県書記官・内務部長、警視庁書記官・官房主事などを歴任。 1926年8月、福井県知事に就任。以後、愛媛県・三重県の各知事を経て、1931年11月、鹿児島県知事に就任。
堀江 季雄(ほりえ すえお、1884年(明治17年)2月16… 堀江 季雄(ほりえ すえお、1884年(明治17年)2月16日 - 1946年(昭和21年)2月23日)は、枢密院書記官長、貴族院勅選議員。 東京府に市野良樹の二男として生まれ、堀江敬慎の養子となった。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業。滋賀県属となり、1913年(大正2年)に高等文官試験に合格した。滋賀県警視、同野洲郡長を経て、同理事官、岐阜県理事官を歴任。1920年(大正9年)、枢密院書記官に転じ、行政裁判所評定官、枢密院議長秘書官などを務めた。1939年(昭和14年)枢密院書記官長に就任した。 退官後の1945年(昭和20年)8月3日に貴族院議員に勅選され、死去するまで在任した。
木下 信(きのした まこと、1884年〈明治17年〉2月8日… 木下 信(きのした まこと、1884年〈明治17年〉2月8日 - 1959年〈昭和34年〉6月27日)は、日本の内務官僚、政治家。憲政会系県知事、台湾総督府総務長官、衆議院議員。 長野県上伊那郡中箕輪村(現:箕輪町)に木下彦四郎の四男として生まれる。第一高等学校を経て、1909年(明治42年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1911年(明治44年)11月、文官高等試験行政科試験に合格し内務省に入省、長野県属となる。 以後、熊本県鹿本郡長、同上益城郡長、長野県小県郡長、同県理事官、秋田県警察部長、北海道庁拓殖部長、警視庁刑事部長、同警務部長などを歴任。 1924年(大正13年)6月、鳥取県知事に就任。
鳩山 秀夫(はとやま ひでお、1884年2月4日 - 194… 鳩山 秀夫(はとやま ひでお、1884年2月4日 - 1946年1月29日)は、日本の法学者、元衆議院議員。専門は民法。東京都出身。
宮澤 裕(みやざわ ゆたか、1884年〈明治17年〉1月12… 宮澤 裕(みやざわ ゆたか、1884年〈明治17年〉1月12日 - 1963年〈昭和38年〉5月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)。 長野県庁勤めを経て、一時実業界入った後、逓信、内務各大臣秘書官。その間、昭和3年(1928年)郷里の広島3区から衆議院議員に当選して政界入り。以来連続6回当選し、鉄道政務次官、商工省参与などを歴任。内閣総理大臣などを務めた宮澤喜一は長男。 広島県沼隈郡金見村(現・福山市金江町金見)の小さな農家に生まれた。父・鹿吉の時代は生活は楽でなかった。だが教育熱心な鹿吉は、裕が村の小さな小学校を卒業すると、苦しい家計をやりくりして福山中学校に通わせた。裕は中学を卒業すると、さらに上級の高校を目指そうとした。
今宿 次雄(いましゅく つぐお、1884年(明治17年)1月… 今宿 次雄(いましゅく つぐお、1884年(明治17年)1月10日 - 1971年(昭和46年)9月4日)は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、八日市市長。旧姓・三浦。 京都府京都市下京区綾小路通出身。三浦寛一の二男として生まれ、今宿家の養子となる。第七高等学校造士館を卒業。1909年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。農商務省に入省。内務省に転じ滋賀県属となる。 以後、滋賀県警視、同理事官、熊本県理事官、福岡県事務官、千葉県警察部長、埼玉県書記官・内務部長などを歴任。 1926年9月、沖縄県知事に就任。第1次若槻内閣総辞職に伴い1927年5月に辞任。1929年9月、佐賀県知事に就任。
石黒 忠篤(いしぐろ ただあつ、1884年(明治17年)1月… 石黒 忠篤(いしぐろ ただあつ、1884年(明治17年)1月9日 - 1960年(昭和35年)3月10日)は、日本の農林官僚、政治家。位階は従二位、勲等は勲一等、勲章は旭日大綬章。 「農政の神様」と称せられ、彼が農商務省・農林省幹部として政策に関与した時期の農政は、「石黒農政」と呼ばれている。 この間、農業報国連盟理事長、満州移住協会理事長、日本農業研究所理事長を歴任している。農業振興、農村救済に取り組み、戦前における農政の第一人者として「農政の神様」と称せられた。また大正末期以降、小作立法制定に精力を費やした石黒であったが、1930年代には満蒙開拓移民に小作問題解決の途を見いだし、加藤完治とともにその推進役となった。
横山 助成(よこやま すけなり、1884年(明治17年)1月… 横山 助成(よこやま すけなり、1884年(明治17年)1月1日 - 1963年(昭和38年)3月27日)は、日本の内務官僚、政治家。警視総監、貴族院議員。東北興業総裁。 以下、「横山 助成 (よこやますけなり)東京都知事も務めた 内務省高級官僚」(秋田高等学校同窓会、2014年3月21日更新)参照。 「献策居士」の異名をもち、趣味は将棋とゴルフ。 石田八弥の女婿。義弟は文化人類学者の石田英一郎、姪の子に阿部牧郎がいる。
大原 重明(おおはら しげあきら、1883年(明治16年)1… 大原 重明(おおはら しげあきら、1883年(明治16年)12月31日 - 1961年(昭和36年)2月20日)は、日本の雅楽家、政治家、華族。貴族院伯爵議員。 東京府で伯爵・大原重朝の三男として生まれる。学習院を経て、1907年(明治40年)東京帝国大学文科大学国文科を卒業した。父の死去に伴い、1918年(大正7年)12月28日、伯爵を襲爵した。 郢曲を綾小路有良に、箏・琵琶を豊原喜秋に、篳篥を安倍季節にそれぞれ師事した。1909年(明治42年)宮内省歌御会講頌御人数に任じられ、御歌所参候、歌御会始講頌などを務め、1950年(昭和25年)の歌会始まで披講、講頌の役をほぼ毎年担った。 1922年(大正11年)5月11日、貴族院伯爵議員補欠選挙に当選し、研究会に属して活動し1925年(大正14年)7月9日まで1期在任した。
安倍 能成(あべ よししげ、1883年〈明治16年〉12月2… 安倍 能成(あべ よししげ、1883年〈明治16年〉12月23日 - 1966年〈昭和41年〉6月7日)は、日本の哲学者、教育者、政治家。位階は正三位。法政大学教授、京城帝国大学教授、第一高等学校校長、貴族院勅選議員、文部大臣、貴族院帝国憲法改正案特別委員会委員長を歴任し、学習院院長などを務めた。 医師安倍義任(よしとう)、品(しな)の八男として松山城下の小唐人町(後の愛媛県松山市大街道)に生まれた。松山中(後の愛媛県立松山東高等学校)から第一高等学校を経て、東京帝国大学文科大学へと進む。ただし、家庭の経済事情により中学卒業後1年間、母校の助教諭心得(講師)として英語を教えているため、第一高等学校進学は1902年(明治35年)のことである。
須之内 品吉(すのうち しなきち、1883年(明治16年)1… 須之内 品吉(すのうち しなきち、1883年(明治16年)11月24日 - 1965年(昭和40年)11月20日)は、日本の法学者、教育者、衆議院議員(立憲政友会)、実業家。立教大学経済学部教授・学監。弁護士。立教大学では20年以上に渡り商法の講義を講じたほか、学監や立教学院常務理事などの要職を務め、長く発展に寄与した。 愛媛県和気郡和気村(現在の松山市)出身。 1907年(明治40年)3月、旧制立教中学校卒業。1910年(明治43年)7月、旧制第五高等学校卒業。 1914年(大正3年)7月に東京帝国大学法科大学英法科を卒業。同年7月、東京市にて弁護士を開業。 1918年(大正7年)7月、東京帝国大学大学院で2カ年商法専攻を修了。
林 忠一(はやし ただかず、1883年(明治16年)11月1… 林 忠一(はやし ただかず、1883年(明治16年)11月15日 - 1952年(昭和27年)12月23日)は、大正から昭和期の弁護士、政治家、華族。貴族院男爵議員。 旧上総国請西藩主家当主・林忠弘の長男として生まれる。 1910年(明治43年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。第10師団法官部理事を経て、1917年(大正6年)大阪地方裁判所所属弁護士となった。同年1月31日、前年の忠弘死去に伴い男爵を襲爵した。 1946年(昭和21年)5月11日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
酒井 忠克(さかい ただたえ、1883年〈明治16年〉11月… 酒井 忠克(さかい ただたえ、1883年〈明治16年〉11月2日 - 1939年〈昭和14年〉6月17日)は、日本の宮内官僚、政治家、華族。貴族院伯爵議員。 東京府出身。伯爵・酒井忠道の二男として生まれる。1906年(明治39年)学習院高等科を卒業し、さらに東京帝国大学法科大学を修了。父・忠道の死去に伴い、1920年(大正9年)3月10日、家督を相続し伯爵を襲爵した。 1914年(大正3年)以降、主猟官、式部官兼主猟官、中央失業対策委員会委員などを務めた。 1925年(大正14年)7月10日、貴族院伯爵議員に選出され、研究会に属して死去するまで在任した。
椎野 信次(しいの しんじ、1883年〈明治16年〉11月 … 椎野 信次(しいの しんじ、1883年〈明治16年〉11月 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の政治家、鉄道官僚。大阪府布施市長。 椎野法義の二男として、山形県米沢に生まれる。1909年(明治42年)東京帝国大学法科大学政治科を卒業し鉄道院に奉職する。書記を経て1924年(大正13年)3月、札幌鉄道局運輸課長となったのち官界を去り、同年9月、大阪市役所に入る。大阪市電気局庶務部経理課長、大阪市副収入役、同市収入役を経て、1938年(昭和13年)12月、布施市長に就任した。
橋口 行彦(はしぐち ゆきひこ、1883年10月22日 - … 橋口 行彦(はしぐち ゆきひこ、1883年10月22日 - 1963年7月28日)は日本の政治家、鉄道技師・官僚。鹿児島県串木野市初代市長、鉄道大臣官房研究所所長。 鹿児島県生まれ、串木野市(現いちき串木野市)出身。1907年7月第七高等学校造士館第二部(工科志望)卒業。1912年7月に東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業し、鉄道院(後に鉄道省と改称)に入って技手となり、1918年11月技師に昇進。1923年8月から1925年10月に鉄道省在外研究員として欧米留学。1935年6月、鉄道省監督局技術課長となる。1936年7月15日、鉄道大臣官房研究所(現鉄道総合技術研究所)所長に就任。在任中の1937年2月、国際鉄道会議日本政府代表委員としてフランス出張。