平澤 貞昭(ひらさわ さだあき、1932年(昭和7年)4月7… 平澤 貞昭(ひらさわ さだあき、1932年(昭和7年)4月7日 - )は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官。
東京大学:2,937人
平澤 貞昭(ひらさわ さだあき、1932年(昭和7年)4月7… 平澤 貞昭(ひらさわ さだあき、1932年(昭和7年)4月7日 - )は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官。
依田 智治(よだ ともはる、1932年〈昭和7年〉3月31日… 依田 智治(よだ ともはる、1932年〈昭和7年〉3月31日 - 2026年〈令和8年〉2月27日)は、山梨県出身の元警察官僚、元参議院議員。元防衛事務次官。 ※参照:依田智治『依田智治の主張』(朝雲新聞社、2004年)
岡崎 洋(おかざき ひろし、1932年(昭和7年)3月27日… 岡崎 洋(おかざき ひろし、1932年(昭和7年)3月27日 - 2018年(平成30年)3月31日)は、日本の政治家、大蔵官僚。神奈川県知事(民選第13・14代)、環境事務次官等を歴任した。 神奈川県出身。神奈川県立湘南高等学校、東京大学経済学部卒業。1954年、大蔵省(現財務省)に入省し、銀行局審査課に配属される。入省同期には窪田弘(旧日債銀会長、国税庁長官、理財局長)、矢澤富太郎(太田昭和監査法人会長、関税局長)、吉田正輝(兵庫銀行頭取、日銀理事、銀行局長、大臣官房総務審議官)らがいる。銀行局総務課長補佐(総括・企画)、銀行局特別金融課長、主計局主計官(総理府、司法・警察担当)、主計局主計官(外務、通商産業担当)、銀行局総務課長などを務める。
吉田 正輝(よしだ まさてる、1932年3月26日 - 20… 吉田 正輝(よしだ まさてる、1932年3月26日 - 2011年2月7日)は、東京府出身の大蔵官僚。銀行局長。
福川 伸次(ふくかわ しんじ、1932年3月8日 - )は、… 福川 伸次(ふくかわ しんじ、1932年3月8日 - )は、日本の通産官僚・実業家。学校法人東洋大学総長(2018年12月より)。通商産業事務次官・株式会社神戸製鋼所副会長・株式会社電通総研社長・学校法人東洋大学理事長などを歴任した。 東京府出身。父の福川篤四郎は鉄道官僚で運輸省鉄道総局総務長官などを務めた。東京都立第八高等学校(現:東京都立小山台高等学校)から慶應義塾大学工学部に進むも転学し、1955年3月に東京大学法学部卒業。 大臣官房企画室長、大平正芳内閣総理大臣秘書官、貿易局長、通産大臣官房長、産業政策局長を経て、1986年6月から1988年6月まで事務次官。中曽根内閣からの要請で、1986年4月に起こったチェルノブイリ原子力発電所事故をきっかけに、省内で台頭してきた原発撤退派を排除する使命を担ったとされる。
山田 英雄(やまだ ひでお、1932年(昭和7年)2月3日 … 山田 英雄(やまだ ひでお、1932年(昭和7年)2月3日 - )は、日本の元警察官僚。第12代警察庁長官(在任1985年8月25日-1988年1月)。チームおてんとうさま特別顧問。
山田 英雄(やまだ ひでお、1932年〈昭和7年〉2月3日 … 山田 英雄(やまだ ひでお、1932年〈昭和7年〉2月3日 - )は、日本の警察官僚。第12代警察庁長官。チームおてんとうさま特別顧問。 東京大学法学部卒業後、国家地方警察本部に入庁。同期に、杉原正(交通局長)、池田速雄(交通局長)、金原忍(公安調査庁第一部長)、山崎隆司(近畿管区警察局長)など 警視庁警備課長時代には、ザ・ビートルズ日本公演が熱狂的なファンに埋め尽くされることを知り、日本武道館を下見したときたまたまいた女子中学生に話を聞いたら、「足の1本ぐらい折れてもかまわないから、ステージに飛び乗ってビートルズにキスしたい!」という発言があった。これは本気で警備しないとまずい、と思って、鉄壁の警備につながったと証言している。
吉原 健二(よしはら けんじ、1932年〈昭和13年〉1月2… 吉原 健二(よしはら けんじ、1932年〈昭和13年〉1月22日 - )は、日本の厚生官僚。 岡山県出身。東京都立第六中學校では富永健一(理論社会学者、社会変動論・変動経済論)らが同期だった。1950年(昭和25年)、新制東京都立新宿高等学校を卒業。1955年(昭和30年)、東京大学法学部を卒業。同年厚生省に入省。入省後、長らく年金行政などに携わり、医務局指導課長、総理府総務局参事官、社会局老人福祉課長、医務局整備課長、環境庁大気保全局企画課長、年金局企画課長、環境庁長官官房秘書課長、厚生省大臣官房審議官、公衆衛生局老人福祉部長などを歴任。国民皆保険及び国民皆年金の制度創設、国民年金法の法案作成、老人保健法の制定などに取り組んだ。
矢野浩一郎(やの こういちろう、1932年1月18日 - 2… 矢野浩一郎(やの こういちろう、1932年1月18日 - 2013年12月28日)は、日本の自治官僚。消防庁長官、市町村職員中央研修所学長、救急振興財団理事などを務めた。位階は正四位。勲二等旭日重光章受章。 宮崎県出身。東京大学法学部を卒業し、1954年 自治省に入省。振り出しは長崎県総務部庶務課。 1960年 自治庁長官官房総務課調査係長。同年 香川県職員研修所長。その後は同県農地拓殖課長、同県総務部地方課長、同県総務部財政課長、自治省財政局交付税課長補佐、大阪府総務部次長兼総務部財政課長、同府総務部長などに就く。 自治省税務局府県税課長などを経て、1978年7月1日 自治省財政局財政課長。1979年10月15日 自治省大臣官房審議官(税務担当)。
宮脇 磊介(みやわき らいすけ、昭和7年(1932年)1月2… 宮脇 磊介(みやわき らいすけ、昭和7年(1932年)1月2日 - 平成26年(2014年)2月9日)は、日本の警察官僚。元皇宮警察本部長。元内閣広報官。
西崎 清久(にしざき きよひさ、1932年- )は、日本の文… 西崎 清久(にしざき きよひさ、1932年- )は、日本の文部官僚。 岡山県出身。1955年東京大学法学部卒、文部省入省。体育局長、官房長、初等中等教育局長、国立教育会館館長、1996-99年東京国立近代美術館館長。林原美術館館長、福山大学学長、日本オペラ振興会理事長を経て、共立女子学園理事、発達科学教育研究センター理事等を務めた。
高橋 進 (たかはし すすむ、1932年または1933年 -… 高橋 進 (たかはし すすむ、1932年または1933年 - 2024年 〈令和6年〉 11月26日) は、日本の官僚。建設事務次官、住宅金融公庫総裁などを歴任した。位階は正四位。 長野県出身。東京大学法学部を卒業し、同年に建設省に入省した。 1983年7月に計画局建設業担当参事官、1984年6月に建設省省計画局長を務めた。同年7月の組織改編に伴い建設省建設経済局長、建設大臣官房長も務めた。1988年1月に建設事務次官となり、1989年6月に退官。 住宅金融公庫総裁も歴任し、1997年7月から2000年6月までは財団法人建設経済研究所理事長、公庫住宅融資保証協会理事長でもあった。 2024年11月に老衰のため、自宅で死去した。
工藤 敦夫(くどう あつお、1931年〈昭和6年〉12月20… 工藤 敦夫(くどう あつお、1931年〈昭和6年〉12月20日 - 2016年〈平成28年〉8月20日)は、日本の法制・通産官僚。元内閣法制局長官。 東京都出身。東京都立第五新制高等学校(現・東京都立小石川中等教育学校)などを経て[要出典]、1953年に東京大学法学部を卒業。同年、通商産業省に入省。入省同期に小長啓一、豊島格、真野温(通産省基礎産業局長、住友電気工業顧問)、若杉和夫ら。 通産省で立地公害局立地指導課長を務めた後、内閣法制局参事官に出向。以後、同局総務主幹、同第四部長、同総務室第一部長、内閣法制次長などを歴任した。味村治の後任として1989年8月から1992年12月まで第1次海部内閣、第2次海部内閣、宮澤内閣の内閣法制局長官を務めた。
百崎英(ももざき ひでる、1931年11月5日 - )は日本… 百崎英(ももざき ひでる、1931年11月5日 - )は日本の行政管理・総務官僚。 日本統治下の京城府(現在の韓国ソウル)生まれ。終戦時に引き揚げて、佐賀市内で戦後の混乱期を送る。東京大学法学部卒業。1958年 行政管理庁入庁。行政監察局。1964年4月 岩手行政監察局。1966年7月 行政管理庁長官秘書官(事務担当)。1967年11月 行政監察局調整課長補佐。1972年8月 行政管理局副管理官。1974年8月 農林省大臣官房参事官(農蚕園芸局)。1977年6月 行政管理局管理官。1981年4月 長官官房秘書課長。1983年7月 長官官房審議官。同月 内閣官房内閣審議室総務庁設立等準備室次席職員。
西村 康雄(にしむら やすお、1931年10月9日 - 20… 西村 康雄(にしむら やすお、1931年10月9日 - 2002年3月27日)は、日本の運輸官僚。 東京都出身。1954年に東京大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省。運輸官房文書課長、官房審議官などを経て、1984年に航空局長に就任し、1986年を以って、退官。日本開発銀行理事、1988年7月に東京都地下鉄建設社長を経て、1993年4月から1998年10月に国鉄清算事業団理事長を務めた。 2002年3月27日、膀胱癌のために死去。70歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
矢﨑 新二(やざき しんじ、1931年(昭和6年)9月28日… 矢﨑 新二(やざき しんじ、1931年(昭和6年)9月28日 - )は、日本の官僚。元防衛事務次官。元会計検査院長。長野県茅野市出身。 関東信越国税局長、国税庁調査査察部長、主計局次長を経て、1981年(昭和56年)防衛庁経理局長に転じ、1983年(昭和58年)防衛局長、1985年(昭和60年)防衛事務次官。 1987年(昭和62年)に退官し、1989年(平成元年)検査官に就任。1994年(平成6年)に会計検査院長となり、1996年(平成8年)に定年退官。1997年(平成9年)に日本銀行監事。2003年(平成15年)の秋の叙勲で瑞宝大綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岩崎隆(いわさき たかし、1931年9月10日 - )は日本… 岩崎隆(いわさき たかし、1931年9月10日 - )は日本の大蔵官僚。関東財務局長、第二地方銀行協会副会長兼専務理事などを歴任。 長崎県出身。東京大学法学部卒業。1956年 大蔵省入省(為替局資金課)。1963年7月 富田林税務署長。主計局総務課長補佐、主計局主計官補佐(文部係主査)などを経て、1971年7月 熊本県企画開発部長。主計局主計企画官(調整担当)、主計局調査課長、主計局主計官(防衛担当)を務め、1977年6月27日 経済企画庁総合計画局計画課長。1979年8月7日 関税局企画課長。1980年6月17日 関税局総務課長兼関税局企画課長兼関税局国際第一課長。同年6月25日 関税局総務課長。
小粥 正巳(こがゆ まさみ 、1931年8月28日 - 20… 小粥 正巳(こがゆ まさみ 、1931年8月28日 - 2004年3月16日)は、東京府出身の大蔵官僚。位階は正三位。 過去に、内閣総理大臣秘書官、大臣官房長、主計局長、大蔵事務次官、公正取引委員会委員長、日本開発銀行総裁、日本政策投資銀行総裁、日本経済研究所会長等を歴任。 旧制東京都立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)、第一高等学校理科甲類を経て、1947年の学制改革の後、新制東京大学理科一類を受験し合格した。しかし、GHQ占領下の世相の混乱とインフレに心が揺さぶられ、意を決して行政官か法曹になるべく、翌年の春に東大文科一類を受験し直して合格した。東京大学法学部第1類(私法コース)卒業後の1956年、大蔵省入省。
窪田弘(くぼた ひろし、1931年7月4日 - 2013年1… 窪田弘(くぼた ひろし、1931年7月4日 - 2013年1月31日)は日本の大蔵官僚。経済企画庁長官官房長、理財局長、国税庁長官、国民金融公庫副総裁、北海道東北開発公庫総裁、日本債券信用銀行頭取、同行会長などを歴任した。 岡山県生まれ。祖父は行政裁判所長官の窪田静太郎。埼玉県立浦和高等学校から東京大学に入学。1953年10月 東京大学法学部第1類(私法コース)在学中に国家公務員試験(法律職)を合格。東大法学部第1類(私法コース)卒業。1954年 大蔵省入省(銀行局検査部審査課)。課長補佐時代は主計局総務課長補佐(歳入・企画)など、主計局を中心に勤務。1974年12月 内閣総理大臣秘書官(事務担当)。
酒井 健三(さかい けんぞう、1931年6月16日 - )は… 酒井 健三(さかい けんぞう、1931年6月16日 - )は日本の大蔵官僚。理財局次長(理財担当)、国税庁次長、国際金融局長、商工組合中央金庫副理事長、ニコス生命保険取締役会長などを歴任。 富山県出身。第四高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類在学中の1952年10月 国家公務員6級職試験を合格。1953年 大蔵省入省。大臣官房秘書課配属。1968年6月 大蔵大臣秘書官(事務担当)。1969年8月 大臣官房文書課長補佐(総括・審査)。1977年6月 国際金融局総務課長。1978年6月17日 福岡国税局長。1979年7月10日 大臣官房審議官(理財局担当)。1981年6月26日 理財局次長(理財担当)。
永田 良雄(ながた よしお、1931年5月5日 - 1998… 永田 良雄(ながた よしお、1931年5月5日 - 1998年8月22日)は日本の政治家、官僚。参議院議員(3期)。自由民主党小渕派に所属した。 富山県新湊市生まれ。富山県立射水中学校、富山高等学校を経て、東京大学法学部入学。在学中に司法試験合格。 1954年、大学卒業後、建設省入省。熊本県に3年、日本道路公団に4年、茨城県に5年勤務。1982年、建設省計画局長に就任。その後、国土庁に移り、土地局長、官房長を務める。1985年、国土事務次官に就任。 1986年、国土庁を退官。同年7月6日の第14回参議院議員通常選挙富山県選挙区に同年6月28日に死去した沖外夫の後継候補として立候補し、初当選。1992年の第16回参議院議員通常選挙再選。
堺 司(さかい つかさ、1931年4月30日 - 1995年… 堺 司(さかい つかさ、1931年4月30日 - 1995年4月12日)は、日本の官僚。
田邊 昇学(たなべ しょうがく、1931年4月 - 2008… 田邊 昇学(たなべ しょうがく、1931年4月 - 2008年6月10日)は、日本の造園系建設官僚。 1949年に旧制成蹊高等学校高等科理科甲類を卒業し、群馬県土木部、建設省都市局公園緑地課長などに勤務した[要出典]。 1982年当時は住宅・都市整備公団理事を務めていた。同年、第7回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。 東京都公園審議会会長、都市公園法施行五十周年記念事業実行委員会委員などの役職を歴任した[要出典]。日本公園緑地協会では会長を務めた。 死去前年の2007年に『20世紀後半期における都市およびその都市圏の変遷に関する比較研究』で博士(農学)の学位を東京大学より取得している。 2008年6月10日、呼吸不全のため死去。
安倍 基雄(あべ もとお、1931年3月31日 - 2004… 安倍 基雄(あべ もとお、1931年3月31日 - 2004年1月23日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正四位。 文部政務次官(細川内閣)、衆議院議員(通算4期)を務めた。父は内務大臣を務めた安倍源基。 1931年(昭和6年)、東京生まれ。永田町小学校(現麹町小学校)、旧制成蹊高等学校を経て、1953年(昭和28年)、東京大学法学部法律学科卒業。大蔵省に入省。理財局総務課に配属。昭和28年旧制入省組同期には、吉野良彦、大場智満、津島雄二、近藤鉄雄らがいた。1959年(昭和34年)、フルブライト留学生としてペンシルベニア大学大学院に留学、計量経済学を専攻。1961年(昭和36年)、ペンシルベニア大学大学院でPh.D.(経済学博士号)を取得。
大林 勝臣(おおばやし かつおみ、1931年1月27日 - … 大林 勝臣(おおばやし かつおみ、1931年1月27日 - )は自治官僚。 東京大学法学部法律学科卒業後の1954年に自治庁に入る。地方出向は愛媛県総務部地方課長、香川県経済労働部長を歴任。本庁では選挙部管理課長、大臣官房総務課長、選挙部長を経て、1982年7月から行政局長に就任。自治省では選挙制度のエキスパートであり、選挙課長時代には1975年の公職選挙法改正案に関与し、選挙部長時代には議員立法ながら参議院比例区の導入に活躍した。 1987年9月に自治事務次官に就任。1989年6月に退官。その後は自治総合センター理事長に就任。
関根 則之(せきね のりゆき、1931年〈昭和6年〉1月13… 関根 則之(せきね のりゆき、1931年〈昭和6年〉1月13日 - 2022年〈令和4年〉6月19日)は、日本の自治官僚・政治家。 第17代消防庁長官、参議院議員(2期)、静岡県副知事を務めた。位階勲等は正四位勲二等。 埼玉県比企郡吉見町出身。1943年、埼玉県立松山中学校入学。1945年、海軍兵学校入学。1948年、旧制浦和高等学校入学。 1953年、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業、自治省入省。1957年、フルブライト留学生としてシラキュース大学、マンハッタン大学(英語版)に留学。 1960年、宮城県地方課長。1971年、三重県教育長。1976年、自治省財政局財政課長、大臣官房審議官。
行天 豊雄(ぎょうてん とよお、1931年1月2日 - )は… 行天 豊雄(ぎょうてん とよお、1931年1月2日 - )は、日本の大蔵官僚、財務官。 神奈川県出身。1943年(昭和18年)に間門国民学校卒業、1948年(昭和23年)には神奈川県立横浜第一中学校卒業した。 同年、第一高等学校に入学。同校文科乙類(ドイツ語)のクラスメートには、本間長世(東大名誉教授、アメリカ史)、芳賀徹(東大教授、比較文化史)、高階秀爾(東大教授、美術史)らがいた。翌年、学制改革に伴い新制東京大学を受験するも不合格となり、1950年(昭和25年)に早稲田大学政治経済学部新聞学科に入学した。同大学新聞学科のクラスメートには、早坂茂三(田中角栄秘書)、岡村喬生(オペラ歌手)、越智勝幸(日本経済新聞政治部長)らがいた。
原 徳安(はら のりやす 1931年 - )は、日本の自治官… 原 徳安(はら のりやす 1931年 - )は、日本の自治官僚。長野県出身。 1950年(昭和25年)長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業、1954年(昭和29年)東京大学法学部を卒業。同年、自治省(現総務省)入省。以降、自治省から消防庁消防課長、香川県企画部長を経て、大阪府総務部長を務めた。 原の名前は、第65回通常国会「決算委員会」の中で二宮文造議員の都道府県主要ポストが中央省庁出身者で占められているという指摘の中で登場する。一例として、香川県の主要ポストが自治省出身派閥で占められ、権力関係が出来上がっているというものであり、原は当時自治省から香川県に出向し企画部長の職にあった。 消防庁消防課長時代には、第75回通常国会「災害対策特別委員会」での兒玉末男議員の質疑に対し説明員として答弁している。
桑島 潔(くわしま きよし、1931年 - )は、日本の都市… 桑島 潔(くわしま きよし、1931年 - )は、日本の都市計画・国土開発官僚。 1954年、東京大学農学部農学科を卒業後、宮城県庁に入庁し企画審議室に所属する[要出典]。 1957年、建設省計画局総合計画課に異動する[要出典]。 1973年、経済企画庁総合開発局総合開発課に転任。以後、中部圏開発整備本部(1974年)を経て[要出典]、1976年の時点では国土庁地方振興局東北開発局長となっていた。 国土庁地方都市整備課長を務めていた1979年、市長の榛村純一の招聘に応じる形で静岡県掛川市の助役に出向する。その後国土庁に復帰し、1981年4月の時点では国土庁長官官房審議官を務めていた。 東北地方の開発に長く携わったことで、後に国土開発政策の研究者からのインタビューや座談を複数受けている。
平野 侃三(ひらの かんぞう、1931年 - )は、日本の官… 平野 侃三(ひらの かんぞう、1931年 - )は、日本の官僚、造園家、都市計画家、東京農業大学名誉教授。勲四等瑞宝章受章。 東京大学を卒業し、1955年建設省都市局都市計画課入省後、建設省都市局公園緑地課都市緑地対策室長、国土庁大都市圏整備局整備課長、公害防止事業団常任顧問等を歴任し、1986年より東京農業大学農学部造園学科教授となる。 2002年3月東京農業大学を定年で退官し、同5月名誉教授、同6月(財)都市緑化基金理事長に就任する。 1984年第8回日本公園緑地協会北村賞受賞。2002年秋の叙勲で勲四等瑞宝章を受章。 日本都市計画学会会長、総理府歴史的風土審議会委員、都市緑化技術開発機構理事兼研究所長
佐々 淳行(さっさ あつゆき、1930年〈昭和5年〉12月1… 佐々 淳行(さっさ あつゆき、1930年〈昭和5年〉12月11日 - 2018年〈平成30年〉10月10日)は、日本の警察・防衛官僚。危機管理評論家。 成蹊高等学校(旧制23回)、東京大学法学部卒業後、国家地方警察本部(現・警察庁)に入庁。目黒警察署をふりだしに「東大安田講堂事件」「連合赤軍あさま山荘事件」などで警備幕僚長として危機管理に携わる。1986年からは初代内閣官房安全保障室長を務め、昭和天皇の大喪の礼を最後に退官。 その後、文筆、講演、テレビ出演と幅広く活躍。「危機管理」という言葉のワードメーカー。1993年、『東大落城』で文芸春秋読者賞を受賞。 熊本県出身の政治学者で、朝日新聞論説委員、参議院議員などを務めた佐々弘雄の次男として、東京市麻布区(現・東京都港区)に生まれる。
平林 鴻三(ひらばやし こうぞう、1930年11月21日 -… 平林 鴻三(ひらばやし こうぞう、1930年11月21日 - )は、日本の政治家、自治官僚。鳥取県知事(3期)、郵政大臣(第67代)、衆議院議員(5期)等を歴任。
杉原 正(すぎはら ただし、1930年(昭和5年)11月19… 杉原 正(すぎはら ただし、1930年(昭和5年)11月19日 - 1982年(昭和57年)11月12日)は、日本の警察官僚。島根県出身。東京大学教育学部卒。 1953年警察庁入庁。入庁同期に、山田英雄、池田速雄(交通局長)、金原忍(公安調査庁第一部長)、山崎隆司(近畿管区警察局長)など。 神奈川県警察警備部長、大阪府警察交通部長、警視庁交通部長、警察庁人事課長、交通局長、大阪府警察本部長、警察大学校校長などの要職を歴任した。また、田中角栄の総理在職中には首相秘書官としても活躍した。1982年警察大学校校長の時に、大阪府警賭博ゲーム台汚職に責任を感じて自殺した(51歳没)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
豊島 格(とよしま とおる 1930年10月19日 - )は… 豊島 格(とよしま とおる 1930年10月19日 - )は、日本の通産官僚。元資源エネルギー庁長官。妻は政治家小泉純一郎(元総理大臣)の姉。
吉野 良彦(よしの よしひこ 1930年9月1日 - )は、… 吉野 良彦(よしの よしひこ 1930年9月1日 - )は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官。
正木 馨(まさき かおる、1930年8月4日 - )は、日本… 正木 馨(まさき かおる、1930年8月4日 - )は、日本の厚生官僚。社会保険庁長官などを務めた。広島県出身。 2007年6月1日の衆議院内閣委員会で、民主党の細野豪志議員が天下りに関して質問を行った。この中で、元社会保険庁長官の正木馨氏の天下りによる報酬と退職金が、合計で2億9000万円以上に上ることが明らかにされた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月2… 岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月29日 - )は、日本の大蔵官僚、銀行家。国税庁調査査察部長、大阪国税局長、国税庁次長、証券局長、広島銀行副頭取、同行会長などを務めた。 衆議院議員岸田正記の二男。衆議院議員岸田文武の弟。第100代・第101代内閣総理大臣岸田文雄の叔父。 広島県広島市出身。東京都立第一中学校、東京高等学校(現東京大学教育学部附属中等教育学校)、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類在学中に国家公務員六級職試験を合格。1955年 大蔵省に入省(大臣官房財務参事官室)。 1962年7月 萩税務署長。1963年7月 国税庁調査査察部調査査察課長補佐。
西広 整輝(にしひろ せいき、1930年(昭和5年)6月24… 西広 整輝(にしひろ せいき、1930年(昭和5年)6月24日 - 1995年(平成7年)12月4日)は、日本の元防衛官僚。防衛事務次官、防衛庁防衛局長、山口県警察本部長、平和・安全保障研究所理事長を歴任。愛称は「ミスター防衛庁」。 父は内務官僚で官選宮崎県知事(1943年(昭和18年)7月1日~1944年(昭和19年)8月1日)や朝鮮総督府警務局長を歴任した西広忠雄。都城中学、新制大手前高校を経て、1956年東京大学文学部国史学科卒業。同年、防衛庁入庁。(プロパー組2期生)。 「ミスター防衛庁」と呼称され、生え抜き組(プロパー組)初の事務次官就任者。退官後も防衛庁生え抜き組の東大出身者のみを構成員とした「西広学校」が知られている。
鎌倉 節(かまくら さだめ、1930年(昭和5年)4月27日… 鎌倉 節(かまくら さだめ、1930年(昭和5年)4月27日 - 2014年(平成26年)10月25日)は、日本の警察官僚。位階は従三位。内閣調査室長、警視総監、宮内庁長官などを務めた。 高知県出身。高知城東中、高知高等学校 (旧制)を経て、1954年(昭和29年)東京大学法学部卒業。国家地方警察本部(現警察庁)入庁。同期入庁の佐々淳行(初代内閣安全保障室長)、金澤昭雄(第13代警察庁長官)等と共にキャリアとして評価された。 大阪府警を振り出しに愛知県警本部、警視庁など刑事畑を歩む。1973年(昭和48年)富山県警本部長となり、警視庁公安、警務各部長、同副総監、内閣調査室長、警察大学校長、警視総監など歴任。
佐野 宏哉(さの ひろや、1930年〈昭和5年〉4月19日 … 佐野 宏哉(さの ひろや、1930年〈昭和5年〉4月19日 - )は、日本の農林水産官僚。 1953年(昭和28年)、東京大学経済学部経済学科を卒業し、翌1954年(昭和29年)4月、農林省に入省。入省後、畜産局牛乳乳製品課長、農林経済局金融課長、林野庁林政部林政課長、農林省大臣官房企画室長、農林省大臣官房審議官、水産庁海洋漁業部長などを歴任。 1981年(昭和56年)7月27日、経済局長に就任。経済局長として日米農産物交渉の対応にあたった。 1984年(昭和59年)7月6日、水産庁長官に就任。長官として日ソサケ・マス交渉の対応にあたった。また在任中、水産工学研究所の設立に尽力した。 1986年(昭和61年)6月10日、退職。
宮本 保孝(みやもと やすたか、1930年3月18日 - 2… 宮本 保孝(みやもと やすたか、1930年3月18日 - 2006年2月27日)は、東京府出身の大蔵官僚。 大蔵省では銀行局長、理財局長などを務めた。銀行局長に就任し、同期のなかで最も早く局長に就いた。時に国際化や自由化、金利一元化にみる郵貯問題で銀行局や業界事態が地盤沈下していた中での就任だったが、就任理由は、澄田智元銀行局長の下で金融効率化問題を手掛けるなど、課長補佐時代から将来の銀行局長候補といわれていたこと、直接的には、前任の米里恕局長が新銀行法制定作業を巡り銀行業界(全銀協)と対立。銀行界が造反し、時の渡辺美智雄蔵相に直訴したトラブルで、翌年夏に更迭されたため。 退官後は信金中央金庫(全信協ないし全信連)の初代理事長を務めた。
山本 長(やまもと ながし、1930年〈昭和5年〉3月14日… 山本 長(やまもと ながし、1930年〈昭和5年〉3月14日 - 2021年〈令和3年〉10月15日 )は、日本の運輸官僚。海上保安庁長官などを務めた。 兵庫県出身。1954年に東京大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省した。1980年6月に海上保安庁長官をに就任し、1986年7月に帝都高速度交通営団副総裁、1988年12月に新東京国際空港公団副総裁を経て、1993年1月には総裁に昇格。1995年6月に空港施設社長に就任し、2001年6月に会長を経て、2005年6月には相談役に就任した。 2001年11月に勲二等旭日重光章を受章。。 2021年10月15日、胃癌のために死去。91歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
加藤 孝(かとう たかし、1930年3月5日 - )は、日本… 加藤 孝(かとう たかし、1930年3月5日 - )は、日本の労働官僚。元労働事務次官。 愛知県出身。愛知一中(現在の愛知県立旭丘高等学校)、第八高等学校を経て、1950年に東京大学法学部に入学。1954年に卒業。卒業後に労働省に入省。1972年に職業安定局職業安定業務指導課長、1974年に新潟県商工労働部長、1977年に大臣官房会計課長、1979年に職業安定局失業対策部長、1982年に高齢者対応部長を経て、同年大臣官房長、1983年に職業安定局長、1986年に労働事務次官。 40年ぶりに労働基準法改正案が国会で成立した後の1989年9月に労働事務次官を退任。その後は同省顧問を経て、日本障害者雇用促進協会と全国民営職業紹介事業協会の会長を務めた。
眞野 温(まの あつし、1930年1月27日 - )は、日本… 眞野 温(まの あつし、1930年1月27日 - )は、日本の通産官僚。通商産業省基礎産業局長を経て、住友電気工業副社長や、原子燃料工業社長、同社会長などを歴任した。 愛知県出身。1953年東京大学法学部法律学科卒業、通商産業省入省。通商産業大臣官房総務課長補佐を経て、1967年通商産業省石炭局産炭地域振興課長。1968年通商産業省鉱山石炭局石炭部産炭地域振興課長。1970年通商産業省公害保安局工業保安課長。1972年経済企画庁調整局経済協力第一課長。 1973年通商産業省貿易局輸入課長。1974年通商産業省通商政策局国際経済部国際経済課長。1976年資源エネルギー庁長官官房総務課長。1979年通商産業省通商政策局次長。
藤江 弘一(ふじえ こういち、1930年1月25日 -199… 藤江 弘一(ふじえ こういち、1930年1月25日 -1993年6月7日 )は、日本の官僚・政治家、自由民主党参議院議員(1期)。
金子 仁洋(かねこ じんよう、1930年 - )は、日本の警… 金子 仁洋(かねこ じんよう、1930年 - )は、日本の警察官僚。筆名は島一芳。 新潟県で生まれ、中学2年生の時に上京。東京都立小山台高等学校を経て、東京大学法学部卒業。1955年、官界に入る。厚生省、警察庁、内閣官房、警察大学校校長等を歴任。その後、文筆、講演、ラジオ、テレビ出演等幅広く活躍。趣味にスキー。 国際刑事課の新設に尽力して、初代課長に推され、シンガポール警察の交番制導入に現地調査団長を務める。主として新規事業の中心となって活躍。また、岩手、栃木、大阪、兵庫の各府県警本部で地方の経験を積み、科学警察研究所総務部長、警察大学校校長等を歴任、警察官教育に精力を割く。一方で中曽根内閣の内閣広報室長としても活躍。
西垣 昭(にしがき あきら、1929年(昭和4年)10月30… 西垣 昭(にしがき あきら、1929年(昭和4年)10月30日 - 2021年(令和3年)7月13日)は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官。位階は従三位。娘は石川県副知事の西垣淳子。 大蔵事務次官時代、消費税創設を盛り込んだ税制改革関連法の成立に尽力した。 旧大蔵省同期入省者(昭和28年新制入省組)には、梅沢節男(公正取引委員会委員長、国税庁長官、主税局長)、石川周(常陽銀行会長・頭取、国土事務次官、造幣局長)、矢崎新二(防衛事務次官)、酒井健三(国際金融局長、国税庁次長)、垂水公正(アジア開発銀行総裁、関税局長)、大竹宏繁(経済企画事務次官、経済企画審議官)、今永伸二(駐英公使)などがいる。 昭和28年旧制入省組には、吉野良彦、水野繁、津島雄二、大場智満、宮本保孝などがいる。
花岡 圭三(はなおか けいそう、1929年10月25日 - … 花岡 圭三(はなおか けいそう、1929年10月25日 - 2023年2月14日)は、日本の自治官僚。 1929年、広島県三原市出身、三原城そばの商家の五男として生まれる。旧制忠海中学校、旧制第六高等学校を経て東京大学法学部政治学科に入学。忠海中学校在学中に学徒動員を経験。海軍士官学校への入学を志していたが、終戦も学徒動員先で迎えることとなった。 東京大学卒業後の1953年に自治官僚となる。 沖縄返還に際し、物価や関税の急激な変動に晒される“新”沖縄県民の声に耳を傾け東奔西走した。 兵庫県、山形県、福岡県等の出向を経て、1980年に大阪府知事岸昌に請われて大阪府副知事に就任。 1983年7月に自治大学校校長となり、1984年7月に自治省財政局長に就任。
松浦 昭(まつうら あきら、1929年10月18日 - 19… 松浦 昭(まつうら あきら、1929年10月18日 - 1996年3月18日)は、日本の政治家・官僚。北海道勇払郡追分町(現安平町)出身。 水産庁時代、日ソ漁業交渉を何度も手掛け、漁業関係に貢献している。 議員としての最後の務めとなった宮沢内閣不信任案採決では、病気で足腰が弱った中で登壇し賛成票を投じた。 嵯峨源氏の松浦氏の後裔。父は松浦栄で、元衆議院議員にして北海学園大学名誉教授。弟は松浦保で、元慶應義塾大学教授。親族に、北海道大学名誉教授・北海学園大学元学長の農業経済学者・高倉新一郎がいる。
水野 繁(みずの しげる、1929年〈昭和4年〉9月16日 … 水野 繁(みずの しげる、1929年〈昭和4年〉9月16日 - 2014年〈平成26年〉9月17日)は、日本の官僚、実業家。大蔵官僚として国税庁長官などを務め、日本たばこ産業社長、整理回収銀行社長、東京経済大学理事長などを歴任した。 群馬県桐生市に、桐生警察署長だった水野栄・タヨの三男として生まれる。群馬師範附属小学校から前橋中学校に進学。戦闘機乗りを志して仙台陸軍幼年学校に学び、終戦後に前橋中学校に復学し1947年卒業。旧制浦和高等学校文科甲類から東京大学へ進む。 1953年に東京大学法学部法律学科を卒業して大蔵省に入省。入省同期に吉野良彦、大場智満、宮下創平、津島雄二、楢崎泰昌らがいる。銀行局検査部管理課に配属。