佐々木 久二(ささき ひさじ、1878年(明治11年)2月1… 佐々木 久二(ささき ひさじ、1878年(明治11年)2月14日 - 1952年(昭和27年)5月13日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 福井県丹生郡大森村(現福井市)で、佐々木又左衛門の二男として生まれる。1905年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業した。 実業界では、東海紙料常務取締役、京浜電力常務取締役、福井興業社長、東北電力取締役、中央電力取締役などを務めた。 1924年5月、第15回衆議院議員総選挙に福井県第四区から出馬したが、憲政会の土生彰に敗れた。1928年2月、第16回総選挙では福井県全県区から立憲政友会所属で出馬し当選。請願委員、予算委員、資源調査法案委員を務め、衆議院議員に一期在任した
中根 貞彦(なかね さだひこ、1878年(明治11年)2月4… 中根 貞彦(なかね さだひこ、1878年(明治11年)2月4日 - 1964年(昭和39年)1月24日)は、日本の実業家、政治家、歌人。三和銀行頭取、貴族院勅選議員。旧姓・片切、号・九峯。 大分県海部郡二王座村(のち北海部郡臼杵町を経て現臼杵市)に生まれた。大分士族・片切八三郎の三男。幼くして両親と死別し、佐伯の中根祚胤(百九銀行頭取)の養子となる。1901年(明治34年)第五高等学校大学予科第一部(法科)を卒業した。1905年(明治38年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。 日本銀行に入行する。以後、同行ロンドン代理店監督役、同国庫局長、同大阪支店長、同理事などを歴任。1933年(昭和8年)に三十四銀行・山口銀行・鴻池銀行の3行が合併して三和銀行が創立され初代頭取に就任し、1945年(昭和20年)まで在任した。
森田 小六郎(もりた ころくろう、1877年(明治10年)1… 森田 小六郎(もりた ころくろう、1877年(明治10年)12月8日 - 1956年(昭和31年)10月8日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→中正会→憲政会)。ジャーナリスト。 愛知県愛知郡下之一色村(現在の名古屋市中川区)出身。愛知県立中学校在学中に同盟休校の首謀者として退校処分を受けて上京し、1896年(明治29年)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学した。1898年(明治31年)、東京帝国大学法科大学選科に移り、高等学校入学卒業資格試験に合格し、本科に編入された。1903年(明治36年)に卒業した後は、東京市役所に入った。 1906年(明治39年)、アメリカ合衆国に渡り、オグデン市の日本雑貨店支配人を経て、サクラメント市で邦字日刊紙『桜府日報』を創刊した。
八並 武治(やつなみ たけじ、1877年(明治10年)12月… 八並 武治(やつなみ たけじ、1877年(明治10年)12月4日 - 1947年(昭和22年)7月10日)は、明治末から昭和前期の政治家、弁護士。憲政会、立憲民政党、日本進歩党に所属。衆議院議員を通算7期務めた。 大分県下毛郡、のちの鶴居村(現中津市)で、八並甚六の四男として生まれた。第二高等学校から東京帝国大学法科大学(独法)に進み、1909年(明治42年)に卒業。卒業後は八王子に弁護士事務所を開業し、1915年(大正4年)から翌年まで箕浦勝人逓信大臣の秘書官を務め、憲政会に入党した。 1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙で当選。以後、7回の当選回数を数えた。その間、加藤高明内閣・第1次若槻内閣で司法参与官、第2次若槻内閣・齋藤内閣で司法政務次官を歴任した。
鈴木 英雄(すずき ひでお、1877年〈明治10年〉11月3… 鈴木 英雄(すずき ひでお、1877年〈明治10年〉11月30日 - 1962年〈昭和37年〉3月8日)は、農商務官僚、衆議院議員、小田原市長。 神奈川県足柄下郡小田原町(現在の小田原市)出身。鈴木善左衛門の長男。1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した。農商務属、同書記官・参事官、水産局漁政課長、大臣官房課長、特許局長を歴任した。 官を辞し、漁業を営み傍ら会社の重役である。日本漁網船具社長、小田原魚市場社長などを務めた。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。立憲政友会に所属。合計で4回の当選を重ねた。1944年(昭和19年)には小田原市長に選出された。
伍堂 卓雄(ごどう たくお、1877年(明治10年)9月23… 伍堂 卓雄(ごどう たくお、1877年(明治10年)9月23日 - 1956年(昭和31年)4月7日)は、日本の政治家、実業家、海軍造兵中将。東京府士族。正三位。工学博士。
世良 静一(せら せいいち、1877年(明治10年)7月6日… 世良 静一(せら せいいち、1877年(明治10年)7月6日 - 1950年(昭和25年)2月19日)は、日本の衆議院議員。検事。弁護士。 広島県比婆郡本村(現在の庄原市)出身。1904年(明治37年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。司法官試補として浦和地方裁判所に勤務した。翌年3月、陸軍理事試補に転じ、7月に同理事・留守第1師団法官部員となり、9月に退官した。その後は弁護士を開業した。 1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 1917年(大正6年)からは検事となり、宇都宮地方裁判所検事、新潟地方裁判所検事、静岡区裁判所検事、山田区裁判所検事を歴任した。
島田 俊雄(しまだ としお、1877年〈明治10年〉6月18… 島田 俊雄(しまだ としお、1877年〈明治10年〉6月18日 - 1947年〈昭和22年〉12月21日)は、日本の政治家。 政界入りする前は地方自治の現場にいて地方自治の研究をした数少ない人物であり、政界に入ってからは衆議院議員選挙に9回当選し、農林大臣・衆議院議長等を務めた。雄弁家としても知られた。 島根県江津市出身。旧制山口高等学校卒業。1900年(明治33年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業、雑誌『明美王道』及び『実業時論』両誌の編集者となる。1903年(明治36年)、東京市吏員に転じ、教育課長・勧業課長を歴任。1905年(明治38年)、中国雲南省法制学堂講師となる。1907年(明治40年)、帰国。
神戸 正雄(かんべ まさお、旧字体:神戶 正雄、1877年(… 神戸 正雄(かんべ まさお、旧字体:神戶 正雄、1877年(明治10年)4月19日 - 1959年(昭和34年)10月16日)は、日本の法学者・経済学者・政治家(京都市長で、公選第一号の市長)。文化功労者。愛知県一宮市出身。 日本における消費税提唱の先駆者として知られる。 1877年(明治10年)、愛知県一宮に生まれる。旧制愛知一中(現:愛知県立旭丘高等学校)、三高、一高を経て、1900年東京帝国大学法科大学政治科卒業、同大学大学院(財政学専攻)卒業。 1902年京都帝国大学法科大学助教授に就任。1904年(明治37年)ドイツ・イギリスに留学する。海外渡航が極めて困難な時代にあって、視察旅行とは違い実際に現地に居住し学究できたことは、神戸の人格形成に大きな影響を与えたと言われている。
松平 恆雄(まつだいら つねお、1877年(明治10年)4月… 松平 恆雄(まつだいら つねお、1877年(明治10年)4月17日 - 1949年(昭和24年)11月14日)は、日本の外交官、政治家。
内ヶ崎 作三郎(うちがさき さくさぶろう、1877年(明治1… 内ヶ崎 作三郎(うちがさき さくさぶろう、1877年(明治10年)4月8日 - 1947年(昭和22年)2月4日)は、日本の政治家。衆議院議員を通算7期務めた。 1877年(明治10年)、宮城県黒川郡富谷村(現・富谷市)に生まれた。第二高等学校を経て、東京帝国大学文科大学英文科を卒業。オックスフォード大学へ留学。帰国後、早稲田大学教授。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に宮城4区から立候補して初当選。1928年(昭和3年)、第16回総選挙に宮城1区から立候補して当選。1929年(昭和4年)、濱口内閣内務参与官に就任。1930年(昭和5年)、第17回総選挙に宮城1区から立候補するも次点で落選。
井野 次郎(いの じろう、1877年〈明治10年〉3月25日… 井野 次郎(いの じろう、1877年〈明治10年〉3月25日 - 1952年〈昭和27年〉10月25日)は、日本の内務官僚、政治家。官選沖縄・宮城県知事、東京市助役、長崎市長。正四位勲三等。 群馬県群馬郡徳丸村(後東群馬郡、勢多郡下川淵村を経て現・前橋市徳丸町)に、井野寿平の次男として生まれる。東京高等師範学校を経て、1913年(大正2年)、東京帝国大学英法科を卒業。1912年(大正元年)11月、文官高等試験行政科試験に合格[要出典]。内務省に入省し群馬県属となる[要出典]。 以後、東京府郡長、熊本県理事官、神奈川県理事官、長崎県警察部長、広島県警察部長、佐賀県内務部長、和歌山県内務部長、宮城県内務部長、北海道庁土木部長を歴任した。
内藤 浜治(ないとう はまじ、1877年〈明治10年〉3月5… 内藤 浜治(ないとう はまじ、1877年〈明治10年〉3月5日 - 1937年〈昭和12年〉9月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 兵庫県加西郡、のちの多加野村(現加西市)で生まれた。1897年(明治30年)東京帝国大学農学科卒。日露戦争に参加、陸軍騎兵中尉に進む。兵庫県立農学校、同赤穂農学校教諭兼校長を歴任し、兵庫県会議員、同参事会員、村長を務める。また、加西郡農会副会長、同畳表同業組合長、同畜産組合長、播州紡績、北播水力電気、日本製棉製紙、播磨縄莚各(株)取締役、播州石粉、播州算盤各(株)社長、中播電気、播州水力電気、北条銀行、関西土木電気興業各(株)監査役となる。 1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙において兵庫9区から憲政会公認で立候補して当選する。
乾 政彦(いぬい まさひこ、1876年(明治9年)11月27… 乾 政彦(いぬい まさひこ、1876年(明治9年)11月27日 - 1951年(昭和26年)4月29日)は、奈良県出身の法学者、弁護士、貴族院議員。弟の東季彦と共に佐佐木信綱門下の歌人としても知られた。 十津川村出身。旧姓中垣。1889年、養子として乾家に入る。郷校文武館(現在の奈良県立十津川高等学校)を経て、1888年に上京。旧制日本中学校から第一高等学校を経て、1900年(明治33年)東京帝国大学法科大学を卒業後、同年、東京高等商業学校(現一橋大学)の講師に着任した。 1901年、文部省留学生としてドイツに渡り、ボン大学で民法を研究。1904年に帰国後、1905年から東京高商教授を務め、1914年に法学博士号を受けたが、1915年に弁護士へ転じ、1920年に東京高商が大学に昇格するまで非常勤講師として教鞭を執った。
松尾 義夫(まつお よしお、1876年(明治9年)11月22… 松尾 義夫(まつお よしお、1876年(明治9年)11月22日 - 1946年(昭和21年)6月23日)は、明治から昭和期の薬剤師、政治家、華族。貴族院男爵議員。 大蔵官僚・松尾臣善の二男として生まれる。父の死去に伴い、1916年(大正5年)5月1日、男爵を襲爵した。 1897年(明治30年)第一高等学校医学部薬学科を卒業し、さらに東京帝国大学薬学選科を修了した。1900年(明治33年)伝染病研究所助手に就任。その後、同技手、同嘱託、大東塗料監査役などを務めた。その他、陸軍二等薬剤官に任じられた。 1929年(昭和4年)1月23日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1939年(昭和14年)7月9日まで2期在任した。
小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日 … 小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日 – 1950年(昭和25年)5月25日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、衆議院議員、東京市助役。 高知県幡多郡、のちの宿毛村与市明(宿毛町を経て現宿毛市)出身。小野義為、キミの長男として生まれる。高知一中、東京府立四中を経て、1898年(明治31年)7月、第一高等学校政治科を首席で卒業。1903年(明治36年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を首席の優等で卒業し、銀時計を授与された。東大の同期には小川郷太郎や上杉慎吉、馬場鍈一ら。同年同月、大蔵属に任官し主計局兼参事官付となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に次席合格。この時の首席合格者は馬場鍈一だった。
慶松 勝左衛門(けいまつ しょうざえもん、前名・勝太郎、18… 慶松 勝左衛門(けいまつ しょうざえもん、前名・勝太郎、1876年(明治9年)9月21日 - 1954年(昭和29年)1月28日)は、日本の薬学者、政治家。貴族院議員。参議院議員(1期)。薬学博士。 京都府出身で、都二条烏丸の薬種街の慶松衛生堂にて生まれる。先代勝左衛門の長男。1901年、東京帝国大学医科大学薬学科卒業。同年同大学の助手となる。 その後東京衛生試験所技師、関東都督府中央試験所長、南満洲鉄道中央試験所長を経て、1915年10月1日第一製薬の前身であるアーセミン商会を創業。梅毒の治療薬である駆梅剤アーセミン®を発売した。その後1922年東京帝国大学薬学科教授に就任した。この他京都帝国大学講師も務めた。
兒玉 秀雄[注 1](児玉秀雄、こだま ひでお、明治9年(1… 兒玉 秀雄[注 1](児玉秀雄、こだま ひでお、明治9年(1876年)7月19日 - 昭和22年(1947年)4月7日)は、日本の政治家、貴族院議員、官僚、伯爵。
児玉 秀雄(旧字体: 兒玉 秀雄、こだま ひでお、1876年… 児玉 秀雄(旧字体: 兒玉 秀雄、こだま ひでお、1876年〈明治9年〉7月19日 - 1947年〈昭和22年〉4月7日)は、日本の政治家、貴族院議員、官僚、伯爵。 山口県出身で陸軍大将児玉源太郎の嫡男。千葉県の佐倉英学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)から東京府尋常中学校(後に府立一中を経て現在の東京都立日比谷高等学校)入学、同期に渋沢元治など。 旧制第二高等学校を経て、1900年(明治33年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科卒業、大蔵省入省。 同年11月、文官高等試験合格。主に理財局や、臨時煙草製造準備局などを経て、1905年(明治38年)2月、大本営御用掛。日露戦争において遼東守備軍司令部付、満洲軍総司令部付を経て、同年9月、煙草専売局事務官兼大蔵書記官に復帰。
小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1876年(明治9年)6月… 小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1876年(明治9年)6月9日 - 1945年(昭和20年)4月1日)は、大正・昭和期の財政学者、政治家。京都帝国大学経済学部教授、拓殖大学学監、衆議院議員、商工大臣、鉄道大臣などを歴任。従三位勲一等、法学博士。旧姓・村山。 岡山県浅口郡、のちの里庄村(現里庄町)で村山菊蔵の長男として生まれる。岡山県医局長で医師の小川知彰の養子となり、岡山中学、開成中学、旧制第一高等学校を経て、1900年(明治33年)東京帝国大学に入学。 1903年(明治36年)東京帝国大学法科大学政治学科次席卒業。首席は小野義一(大蔵官僚、高文次席)、3位が上杉慎吉(東大教授、憲法学者)、4位は馬場鍈一(大蔵官僚、高文首席)。
井上 匡四郎(いのうえ ただしろう、1876年〈明治9年〉4… 井上 匡四郎(いのうえ ただしろう、1876年〈明治9年〉4月30日 - 1959年〈昭和34年〉3月18日)は、明治後期から昭和前期の工学者、政治家。工学博士、貴族院子爵議員。 熊本県出身。熊本藩儒学者・岡松甕谷の四男として生まれ、井上毅の養嗣子となる。1895年(明治28年)4月5日、養父の死去に伴い子爵を襲爵。東京府尋常中学、第一高等学校を経て、1899年(明治32年)7月、東京帝国大学工科大学採鉱冶金学科を優等で卒業し銀時計を授与された。さらに大学院に進み、同時に工科大学講師に就任。1900年(明治33年)2月、東京帝大工科大学助教授に進んだ。1901年(明治34年)9月、採鉱冶金学研究のため留学し、ドイツ、アメリカで学んだ。
前田 兼宝(まえだ けんほう、1876年(明治9年)4月3日… 前田 兼宝(まえだ けんほう、1876年(明治9年)4月3日 - 1937年(昭和12年)5月9日)は、日本の衆議院議員(政友本党→立憲民政党)、内務官僚。 鹿児島県川辺郡加世田村(現在の南さつま市)出身。1906年(明治39年)、東京帝国大学法科大学を卒業。高等文官試験に合格し、警視庁警視、京橋警察署長、本郷警察署長、本富士警察署長を歴任。さらに宮崎県警察部長、宮崎県内務部長を務めた。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その後、鹿児島銀行取締役、鹿児島県農工銀行監査役を務めた。
野方 次郎(のがた じろう、1876年(明治9年)2月10日… 野方 次郎(のがた じろう、1876年(明治9年)2月10日 - 1956年(昭和31年)2月6日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、医師。 静岡県田方郡韮山村(現在の伊豆の国市)出身。1897年(明治30年)、東京医学専門学校(現在の東京医科大学)を卒業。国立伝染病研究所で細菌学を修め、警視庁検疫委員を務めた。その後、東京帝国大学医科大学選科で病理学・内科・精神科を学び、1907年(明治40年)に修了した。神奈川県横浜市で開業し、神奈川県医師会代議員・常任理事、横浜市医師会代議員・常任理事、横浜市学校医会会長、神奈川県学校医会副会長を歴任した。 1919年(大正8年)と1928年(昭和3年)に神奈川県会議員に当選し、参事会員にも選ばれた。
西村 金三郎(にしむら きんざぶろう、1876年(明治9年)… 西村 金三郎(にしむら きんざぶろう、1876年(明治9年)1月24日 - 1957年(昭和32年)12月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 京都府伊勢田(小倉村 (京都府)とも。現宇治市)出身。同志社予備学校、第二高等学校を経て1904年東京帝国大学法科大学政治科卒。二高と東大では吉野作造と同期だった。 大学卒業後、京都の六條生命保険(1899-1907、大阪の中央生命保険の後身)の整理局、マニファクチァラーズ保険会社(Manufacturers Life Insurance, 現・マニュライフ生命保険)日本中央部総支配人、内外肥料社長などを務め、1915年からは同志社校友会会長、同志社財団理事も務めた。
小林 嘉平治(こばやし かへいじ、1876年(明治9年)1月… 小林 嘉平治(こばやし かへいじ、1876年(明治9年)1月1日 - 1940年(昭和15年)12月28日)は、明治時代末期から昭和時代前期の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。衆議院議員(2期)。旧姓は山川、旧名・真純。 三重県安濃郡津城下(現津市)で、山川真源の二男として生まれる。1902年(明治35年)8月、一志郡雲出村(現:津市)の先代・小林嘉平治の養子となり、1908年(明治41年)1月、家督を相続し嘉平治を襲名した。 1901年(明治34年)東京帝国大学文科大学哲学科を卒業する。真宗勧学院教授を経て、1911年(明治44年)三重県会議員に当選する。ほか、三重県農会特別議員、同評議員、津商業会議所顧問、県農会長などを歴任した。
森 清(もり きよし、1875年(明治8年)12月30日 -… 森 清(もり きよし、1875年(明治8年)12月30日 - 1928年(昭和13年)1月3日)は、明治から大正期の政治家、華族。貴族院子爵議員。 在清国全権公使・森有礼の長男として生まれる。父の影響で「英気溌溂」なことも時代を送るが、父の死去に伴い1889年(明治22年)4月4日、子爵を襲爵。 学習院を経て、1901年(明治34年)7月、東京帝国大学文科大学英文学科を優等で卒業し、恩賜の銀時計を授けられた。 1908年(明治41年)3月7日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1925年(大正14年)7月9日まで在任した。
飛岡 卯一郎(とびおか ういちろう、1875年(明治8年)1… 飛岡 卯一郎(とびおか ういちろう、1875年(明治8年)12月13日 - 1925年(大正14年)6月25日)は、日本の政治家。帝国議会衆議院議員(1期)、鹿児島市会議員、鹿児島県会議員。 鹿児島県鹿児島市金生町出身。飛岡卯右衛門の長男として生まれる。1894年(明治27年)7月、鹿児島高等中学造士館予科卒業、1896年(明治29年)7月、鹿児島高等中学造士館本科卒業。1904年(明治37年)東京帝国大学法科大学政治学科卒業。鹿児島市会議員、鹿児島県会議員を歴任し、1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙において鹿児島市選挙区で当選、立憲政友会所属で1期務めた。そのほか、鹿児島商業会議所議員、同副会頭、第百四十七銀行(鹿児島銀行の前身のひとつ)常務取締役なども歴任。
朽木 綱貞(くつき つなさだ、1875年(明治8年)12月2… 朽木 綱貞(くつき つなさだ、1875年(明治8年)12月2日 - 1929年(昭和4年)9月6日)は、明治から大正時代の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。貴族院議員、子爵、工学博士。福知山藩13代(最後)の藩主朽木為綱の子。妻は徳川篤守の娘芳子。陸軍の火薬研究の権威であった。 1883年(明治16年)に父の為綱が没したため家督を継ぎ、1884年(明治17年)7月8日、子爵を襲爵する。慶應義塾幼稚舎を経て、1896年(明治29年)5月27日、陸軍士官学校(7期)を卒業。1897年(明治30年)1月、砲兵少尉任官。陸軍砲工学校高等科で学び、さらに陸軍派遣学生として東京帝国大学工科大学応用化学科を1904年(明治37年)6月に卒業。
西野 元(にしの げん、1875年(明治8年)11月29日 … 西野 元(にしの げん、1875年(明治8年)11月29日 - 1950年(昭和25年)8月3日)は、日本の大蔵官僚、政治家、銀行家。大蔵次官、貴族院議員、枢密顧問官。大蔵省の至宝といわれた人物で、八八艦隊計画成立後に、海軍首脳に対しその実施不可能であることを踏まえワシントン会議に臨むよう訴えた。 茨城県出身。西野元聿の長男として生まれる。水戸中学校、第一高等学校を経て、1902年(明治35年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を優等で卒業し、銀時計を授与された。同年11月、文官高等試験行政科試験に首席合格。同年12月、臨時秩禄処分調査局属兼大蔵属に任官。一時期、上京してきた同郷の荒川敬を寄寓させていた。
千秋 季隆(せんしゅう すえたか、1875年(明治8年)10… 千秋 季隆(せんしゅう すえたか、1875年(明治8年)10月10日 - 1941年(昭和16年)5月12日)は、日本の政治家・教育者。位階は従四位。爵位は男爵。貴族院男爵議員。 愛知県愛知郡熱田(現名古屋市熱田区)で熱田神宮大宮司・千秋季福の二男として生まれる。兄・季美の死去に伴い、1877年(明治10年)5月30日に家督を相続。1884年(明治17年)7月8日、男爵を叙爵した。 1900年(明治33年)東京帝国大学文科大学国文学科を卒業。國學院講師、早稲田大学講師を経て、学習院教授となる。 その他、東京帝国大学附属図書館図書目録編纂嘱託、宗教制度調査会委員、神社制度調査会委員、神祇院参与、皇典講究所理事などを務めた。
根井 久吾(ねい きゅうご、1875年〈明治8年〉10月10… 根井 久吾(ねい きゅうご、1875年〈明治8年〉10月10日 - 1941年〈昭和16年〉6月5日)は、大正から昭和時代前期の政治家、教育者。宮崎県宮崎市長。 宮崎県宮崎郡清武村(現在の宮崎市)出身。伊東享の三男として生まれ、根井見益の養子となった。1902年(明治35年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。陸軍少尉、陸軍中尉に任じ、日露戦争に出征した。高知県立第四中学校(現・高知県立中村中学校・高等学校)に勤務し、宮崎県立宮崎中学校(現・宮崎県立宮崎大宮高等学校)教諭、宮崎県立延岡中学校(現・宮崎県立延岡高等学校)校長兼教諭を経て、愛媛県立松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)校長となる。
森 賢吾(もり けんご、1875年(明治8年)9月1日 - … 森 賢吾(もり けんご、1875年(明治8年)9月1日 - 1934年(昭和9年)1月19日)は、日本の大蔵官僚、貴族院勅選議員。 佐賀県出身。1900年(明治33年)、東京帝国大学法科大学卒業。同年7月に大蔵省に入り、11月に文科高等試験に合格した。司税官・大蔵書記官・大臣秘書官・参事官・馬政局書記官・専売局主事・日本銀行監理官などを歴任した。その後、財務官となりイギリス・フランス駐在を命じられた。 1919年(大正8年)、パリ講和会議全権委員に任命され、翌年には国際経済会議委員や第一次世界大戦の賠償に関するジュネーヴ会議政府代表に任命された。1922年(大正11年)、ジュネーヴ経済財政会議全権委員。
青木 周三(あおき しゅうぞう、1875年(明治8年)8月2… 青木 周三(あおき しゅうぞう、1875年(明治8年)8月26日 - 1946年(昭和21年)12月1日)は、日本の鉄道官僚、貴族院勅選議員、横浜市長。 山口県大島郡久賀町(現在の周防大島町)出身。青木周哲の三男として生まれ、青木五百輔の養子となる。盛岡中学を経て、1898年(明治31年)第二高等学校卒業。1902年(明治35年)東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業後、鉄道書記となり、1904年(明治37年)に高等文官試験に合格した。その後、鉄道事務官、鉄道庁参事、鉄道院参事、鉄道院理事を歴任した。 1919年(大正8年)筑豊鉄道専務取締役。1921年(大正10年)横浜市電気局長に就任し、1923年(大正12年)には助役として関東大震災の対応に尽力した。
檀野 礼助(檀野 禮助、だんの れいすけ、1875年(明治8… 檀野 礼助(檀野 禮助、だんの れいすけ、1875年(明治8年)8月9日 - 1940年(昭和15年)3月20日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。幼名・繁夫。 長崎県彼杵郡矢上村(現長崎市)の旧佐賀藩郷士・檀野勝次、とう夫妻の長男として、高来郡諫早村の母の実家で生まれる。現川小学校、長崎県尋常中学校、第五高等中学校を経て、1899年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業した。 大学卒業後、三井物産に入社し、シンガポール出張所長、バンコック出張所長、台北出張所長、若松出張所長を歴任。1913年2月、北海道炭礦汽船に転じ、商務課長、売炭部長を務めた。その後、南洋貿易 (株) を設立して社長に、また、東京海運 (株) を設立して常務取締役にそれぞれ就任。
鹿島 精一(かじま せいいち、1875年(明治8年)7月1日… 鹿島 精一(かじま せいいち、1875年(明治8年)7月1日 - 1947年(昭和22年)2月6日)は、大正から昭和時代前期の土木工学者、実業家、政治家。鹿島組社長、土木学会会長、貴族院勅選議員。 旧盛岡藩士葛西晴寧、すえの長男として岩手県岩手郡上田村(現在の盛岡市上田)に生まれる。翌年父晴寧が死去し、家族は仁王村字下台(現在の盛岡市梨木町)母の実家出渕家に引き取られる。盛岡中学を経て、1899年(明治32年)東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業し、逓信省鉄道作業局に出仕する。同年、鹿島組組長の鹿島岩蔵の長女と結婚し、養嗣子となり、鹿島組副組長に就任する。1912年(明治45年)養父の岩蔵の死去により、37歳にして3代目鹿島組組長となり、1930年(昭和5年)鹿島組を株式会社に改組し、初代社長に就任した。
末松 偕一郎(すえまつ かいいちろう、1875年6月18日 … 末松 偕一郎(すえまつ かいいちろう、1875年6月18日 - 1947年6月26日)は、日本の内務官僚、政治家、教育者。官選県知事、衆議院議員、別府市長。 小倉藩医・末松玄洞の三男として生まれる。1898年、第五高等学校大学予科第一部(法科)を卒業。1902年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1901年11月、文官高等試験に合格。内務属となり内務省地方局勤務となる。 1903年12月、静岡県参事官に就任し、同県事務官・第二部長、福岡県事務官・第三部長、同第二部長、内務書記官、清国政府聘用(自治局顧問)、山梨県事務官・警察部長、法制局参事官などを歴任。 1915年3月、徳島県知事に就任。
下村 宏(しもむら ひろし、1875年〈明治8年〉5月11日… 下村 宏(しもむら ひろし、1875年〈明治8年〉5月11日 - 1957年〈昭和32年〉12月9日)は、明治・大正・昭和の法学博士、逓信官僚・台湾総督府官僚、実業家、朝日新聞社副社長、貴族院議員。拓殖大学第6代学長、NHK会長。歌人で号は海南(かいなん)。下村房次郎の子。 玉音放送の際の内閣情報局総裁であり、ポツダム宣言受諾の実現に尽力した。「人種改良を国策に」と優生思想を強く推したことでも知られている。 和歌山県出身。父・房次郎(1856年5月7日 - 1913年2月21日)は「和歌山日日新聞」を創刊した後に逓信省に入り、退官後は実業家として活動する傍ら東京商業学校の創設に関わった。 和歌山中学、第一高等学校から東京帝国大学を卒業し、1898年(明治31年)に逓信省へ入省。
関屋 貞三郎(せきや ていざぶろう、1875年〈明治8年〉5… 関屋 貞三郎(せきや ていざぶろう、1875年〈明治8年〉5月4日 - 1950年〈昭和25年〉6月10日)は、日本の官僚・政治家。 宮内次官(第11代)、静岡県知事(第17代)、貴族院議員、日本銀行監事、朝鮮総督府学務局長(初代)、枢密顧問官を歴任した。位階勲等は正二位勲一等瑞宝章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
傍士 定治(ほうじ さだはる、1875年(明治8年)4月8日… 傍士 定治(ほうじ さだはる、1875年(明治8年)4月8日 - 1924年(大正13年)8月30日)は、明治から大正時代の政治家、実業家。衆議院議員。 傍士次、勘の長男として、高知県香美郡片地村(土佐山田町を経て、現在の香美市)に生まれる。東京帝国大学法科大学に学ぶ。1904年(明治37年)高知県会議員に当選。のち大阪市秘書課長、同東区長を歴任する。1921年(大正10年)夏、欧米を視察後、財界にも進出し、鶏林鉱業、日本ゼラチン各取締役、東大阪土地建物、日本ゼラチン、ライト商会各監査役などを歴任した。 1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では高知県第3区から立憲政友会所属で出馬し当選するが、任期中に大阪市で死去した。
岩田 宙造(いわた ちゅうぞう、1875年(明治8年)4月7… 岩田 宙造(いわた ちゅうぞう、1875年(明治8年)4月7日 - 1966年(昭和41年)2月22日)は、明治から昭和期の弁護士、政治家(貴族院議員)。正三位、勲一等瑞宝章。法学博士。 1875年、山口県熊毛郡立野村(現・光市)に樋山彦七の二男として生まれ、松前藩の有力商人であった岩田金蔵の養子となる。樋山家は江戸時代、代々庄屋をつとめた家柄だった。1898年(明治31年)東京帝国大学法科大学法律学科(英法)卒。同期に、湯浅倉平などがいる。 1901年(明治34年)に東京日日新聞社入社。1902年(明治35年)弁護士開業、東京築地に岩田宙造法律事務所(現在の岩田合同法律事務所)を開設。後に、宮内省、日本銀行、日本郵船、東京海上火災、三菱銀行、日本勧業銀行の各顧問弁護士に就任。
中川 望(なかがわ のぞむ、1875年(明治8年)3月15日… 中川 望(なかがわ のぞむ、1875年(明治8年)3月15日 - 1964年(昭和39年)4月1日)は、日本の内務官僚、政治家。貴族院議員、枢密顧問官、錦鶏間祗候。 宮城県出身。仙台藩士・中川操吉の二男として生まれる。第二高等学校を経て、1901年(明治34年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し内務属・総務局文書課兼地方局勤務となる。同年11月、文官高等試験に合格。 1903年(明治36年)7月、福島県参事官に就任。以後、兵庫県参事官、内務省参事官・衛生局保健課長、地方局市町村課長、埼玉県内務部長などを歴任。1909年(明治42年)12月から1911年2月まで欧米へ出張した。
井島 義雄(いじま よしお、1875年(明治8年)3月10日… 井島 義雄(いじま よしお、1875年(明治8年)3月10日 - 1920年(大正9年)6月27日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。弁護士。 熊本県熊本市出身。1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業した。弁護士を開業し、熊本市会議員、熊本県会議員に選出された。 1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その他に肥後酒精株式会社監査役を務めた。
野村 益三(のむら ますぞう、1875年(明治8年)3月5日… 野村 益三(のむら ますぞう、1875年(明治8年)3月5日 - 1959年(昭和34年)12月25日)は、明治から昭和期の教員、政治家、華族。貴族院子爵議員。 外務省出仕・野村靖の長男として生まれる。父の死去に伴い、1909年(明治42年)2月19日に子爵を襲爵した。 東京帝国大学農学部を修了し、1910年(明治43年)ドイツ帝国に留学した。 1905年(明治38年)和歌山県立粉河中学校教諭に就任。以後、愛知県立第五中学校教諭、愛知県立第五中学校教諭、神奈川県立第四中学校教諭などを歴任。その他、教科書調査会副会長、帝国水産会長、南洋水産協会長、産業組合中央金庫評議員、大日本育英会評議員、帝国教育会評議員会議長、大日本農会理事、東京農業大学理事、国語審議会委員、教育評議会委員、文政審議会委員、物価審議会委員、農林計画委員会委員などを務めた。
東園 基光(ひがしぞの もとみつ、1875年(明治8年)3月… 東園 基光(ひがしぞの もとみつ、1875年(明治8年)3月4日 - 1934年(昭和9年)2月26日)は、明治から昭和初期の内務・警察官僚、政治家、華族。官選富山県知事、貴族院子爵議員。 東京府出身。侍従・宮中顧問官・子爵、東園基愛の長男として生まれる。学習院高等学科を経て、1903年(明治36年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し大学院に進む。同年、文部省に入省し普通学務局属となる。1904年(明治37年)11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 1905年(明治38年)内務省に転じ内務属となる。以後、岡山県事務官、静岡県事務官・第二部長、滋賀県事務官・警察部長、愛知県事務官・警察部長、茨城県内務部長、東京府内務部長などを歴任。
土岐 嘉平(とき かへい、1875年(明治8年)2月16日 … 土岐 嘉平(とき かへい、1875年(明治8年)2月16日 - 1946年(明治21年)3月22日)は、日本の内務官僚・政治家。府県知事、北海道庁長官、京都市長。 和歌山県那賀郡、のちの山崎村(岩出町を経て現岩出市)出身。土岐綱右衛門の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1901年、東京帝国大学法科大学政治学科を優等で卒業し、銀時計を授与された。 1901年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り土木局に配属された。以後、山梨県参事官、内務省書記官、同参事官、大阪府内務部長などを歴任。 1914年6月、高知県知事に就任。地元の利害に直結する市町村の土木補助費問題に関して、県議会での調整に尽力した。
大園 栄三郎(おおぞの えいざぶろう、1875年(明治8年)… 大園 栄三郎(おおぞの えいざぶろう、1875年(明治8年)2月1日 - 1939年(昭和14年)1月22日)は、衆議院議員(政友本党→立憲民政党)、鉄道官僚。 奈良県宇智郡五條町(現在の五條市)に小川栄造の二男として生まれ、大園恵戎の養子となった。1898年(明治31年)、東京帝国大学法科大学を卒業した。逓信属、鉄道事務官を務め、1914年(大正3年)には鉄道院理事、監督局長に就任した。 1919年(大正8年)に退官。その後は、東海道電気鉄道株式会社専務取締役となり、さらに北恵那鉄道株式会社取締役となった。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。
財部 実秀(たからべ さねひで、1875年(明治8年)1月2… 財部 実秀(たからべ さねひで、1875年(明治8年)1月21日 - 1968年(昭和43年)4月8日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。官選島根県知事、都城市長、千葉市長。 宮崎県北諸県郡下長飯村(現:都城市)出身。財部実篤の長男として生まれる。第五高等学校を卒業。1903年7月、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、内務省に入省し神奈川県警部となる。 1904年6月、警視庁属兼同警部に就任。以後、警視庁警視・小松川警察署長、麻布区警察署長、秋田県事務官・第四部長、同事務官・警察部長、北海道庁事務官・警察部長、北海道庁警察部長、福島県内務部長、鳥取県内務部長などを経て、1917年10月、広島県内務部長となる。
河野 治平(こうの じへい、1875年〈明治8年〉1月5日 … 河野 治平(こうの じへい、1875年〈明治8年〉1月5日 - 1950年〈昭和25年〉12月23日)は、日本の政治家、実業家。神奈川県会議長。豊川村長。足柄肥料会社社長。曽我銀行取締役。小田原実業銀行専務取締役。 副総理兼東京五輪担当大臣、建設大臣、行政管理庁長官、農林大臣を務めた河野一郎は次男。参議院議長を務めた河野謙三は三男。五女・美喜子はラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)社長や富士観光(現・富士レックス)社長を務めた越田覚造に嫁いだ。衆議院議長、外務大臣、自由民主党総裁、新自由クラブ代表を務めた河野洋平は孫。外務大臣・防衛大臣、デジタル大臣などを歴任している衆議院議員、河野太郎は曽孫にあたる。
若宮 貞夫(わかみや さだお、明治8年(1875年)1月5日… 若宮 貞夫(わかみや さだお、明治8年(1875年)1月5日 - 昭和21年(1946年)9月8日)は、日本の逓信官僚、政治家。衆議院議員。東京府平民。位階および勲等は従三位・勲二等。 元総理大臣の橋本龍太郎および元高知県知事橋本大二郎の外祖父。 兵庫県城崎郡豊岡町(現在の豊岡市)の西楽寺に、熊本県人で僧侶である若宮正海の三男として生まれる。 開成中学校、第二高等学校を経て、1899年(明治32年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験に合格し、同年12月、逓信省に入り逓信属・管船局勤務となる。また、兄正音の養子となる。 1902年(明治35年)家督を相続する。 北海道逓信局長、北部逓信局長、管船局長兼高等海員審判所長、戦時船舶管理局長などを歴任。
住田 寅次郎(すみだ とらじろう、明治7年(1874年)12… 住田 寅次郎(すみだ とらじろう、明治7年(1874年)12月25日 - 昭和2年(1927年)11月25日)は、日本の実業家、政治家。米子商工会副会頭、米子町会議員、郡会議員。 漫画家水木しげる(本名武良茂)の大叔父。父は住田呉服店の主人で米子町長をつとめた住田善平。 米子東倉吉町の商家に生れた。家業は呉服商。 1902年7月、東京帝国大学法科大学政治学科卒業、法学士。 後には転じて製パンを志し、世上これを“学士パン”と呼んだ。 明治40年(1907年)9月、町会議員に当選。学務委員、角盤学校組合議員其の他各種の名誉職を兼ねた。 住田寅次郎は1902年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。