木島 虎蔵(虎藏、きしま とらぞう、1901年〈明治34年〉… 木島 虎蔵(虎藏、きしま とらぞう、1901年〈明治34年〉12月18日 - 1983年〈昭和58年〉7月29日)は、昭和期の鉄道技術者・官僚、実業家、政治家。参議院議員、日本通運会長。旧姓は上山。 鳥取県気高郡湖山村(現鳥取市)で農業・上山昇の二男として生まれ、八頭郡若桜町、木島可恵の養嗣子となる。1926年(大正15年)3月、東京帝国大学工学部機械工学科を卒業。1929年(昭和4年)10月、高等試験行政科試験に合格し、1930年(昭和5年)3月、東京帝国大学経済学部経済学科を卒業した。同年、鉄道省に入省し鉄道局技手に任官。 その後、金沢運輸事務所長、鉄道総局業務局保安課長、運転局運行課長、札幌鉄道局長、総裁室勤務、運輸総局輸送局長、日本国有鉄道理事などを歴任した。
神戸 捨二(かんべ すてじ、1901年12月6日 - 197… 神戸 捨二(かんべ すてじ、1901年12月6日 - 1975年6月1日)は、日本の経営者。京都府京都市出身。 1925年に東京帝国大学法学部独法学科を卒業し、同年に安田銀行に入行。安田保善社、帝国ピストンリングでの勤務を経て、1945年に沖電気工業常務に就任し、1947年に専務を経て、1949年に社長に就任。1966年から1972年までに会長を務めた。 1962年に藍綬褒章を受章し、1972年5月に勲二等瑞宝章を受章。 1975年6月1日心不全のために死去。73歳没。
西村 半次郎(にしむら はんじろう、1901年11月1日 -… 西村 半次郎(にしむら はんじろう、1901年11月1日 - 1987年8月14日)は、日本の経営者。元住友信託銀行社長。京都府出身。 1926年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に住友信託銀行に入行。1946年4月に取締役に就任し、同年1月に常務、1948年5月に専務、1958年5月に副社長を経て、1960年5月には社長に就任。1969年5月に会長に就任し、1972年5月には相談役に就任。 1963年に藍綬褒章を受章し、1972年に勲二等瑞宝章を受章。 1987年8月14日に急性心不全のために死去。85歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
熊田 克郎(くまだ よしろう、1901年 <明治34年> 1… 熊田 克郎(くまだ よしろう、1901年 <明治34年> 10月28日 - 1992年 <平成4年> 11月7日)は、日本の経営者、銀行家。 福島県出身。1927年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1940年に野村合名会社支配人を経て、1952年に武蔵野銀行副頭取に就任し、1956年には頭取に昇格。1977年6月から1987年6月までに会長を務めた 1971年11月に勲四等旭日小綬章を受章し、1982年11月に勲三等瑞宝章を受章。1983年3月には大宮市名誉市民の表彰を受ける。 1992年11月7日老衰のために死去。91歳没。
前田 七之進(まえだ しちのしん、1901年10月20日 -… 前田 七之進(まえだ しちのしん、1901年10月20日 - 1989年1月16日)は、日本の経営者。富士電機製造社長、会長を務めた。 三重県出身。1925年に東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に富士電機製造(現在の富士電機)に入社。1947年12月に取締役に就任し、1958年11月に常務、1962年11月に専務を経て、1966年11月に副社長に就任し、1968年11月に社長に昇格。1974年11月に会長を就任し、1978年6月に取締役相談役、1981年6月に常任相談役を経て、1983年6月には相談役に就任。 1969年11月に藍綬褒章を受章し、1975年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1989年1月16日心筋梗塞のために死去。
岡松 成太郎(おかまつ せいたろう、1901年 <明治34年… 岡松 成太郎(おかまつ せいたろう、1901年 <明治34年> 9月29日 - 1991年 <平成3年> 7月18日)は、日本の官僚、経営者。商工次官、北海道電力社長を歴任。位階は従三位。勲二等旭日重光章。 東京府出身。父は京大法科教授・岡松参太郎。東京府立第四中学校、第一高等学校を経て、1925年に東京帝国大学法学部卒業。1928年、商工省入省。特許局属。1940年、総力戦研究所員、以後、東北地方鉱山局長、軍需省管理局長、商工省商務局長、燃料局長などを経て、石炭庁次長兼総務局長に。1947年に商工次官に就任。 退任後は、日本商工会議所専務理事、北海道電力社長を3期6年務め、江別火力発電所や送電・変電の整備に尽くした。
多久 龍三郎(たく りゅうざぶろう、1901年(明治34年)… 多久 龍三郎(たく りゅうざぶろう、1901年(明治34年)9月4日 - 1983年(昭和58年)9月14日)は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員、多久鍋島家(後多久氏)13代当主。 12代多久鍋島家当主、男爵・多久乾一郎の三男として東京市赤坂区青山で生まれ、父の死去に伴い、同年12月12日に男爵を襲爵した。 2歳で父祖の地佐賀県に移るが、10歳の時に上京。学習院に入り昭和天皇の御学友となる。1922年、学習院高等科を卒業。1926年(大正15年)東京帝国大学文学部国史学科を卒業し、さらに同経済学部を修了。1927年(昭和2年)欧米に留学した。 1932年(昭和7年)織田信託監査役に就任。
鈴木 恭助(すずき きょうすけ、1901年8月18日 - 1… 鈴木 恭助(すずき きょうすけ、1901年8月18日 - 1998年4月30日)は、日本の経営者。青森銀行頭取、会長を務めた。岩手県出身。 盛岡中学を経て、1925年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1930年に日本勧業銀行に入行した。1955年4月に青森銀行常務に就任し、1960年12月に専務、1965年6月に副頭取を経て、1968年11月には頭取に就任した。1974年5月から会長を務めた。 1974年11月に勲四等旭日小綬章を受章した。 1998年4月30日急性気管支炎のために死去。96歳没。
谷口 豊三郎(たにぐち とよさぶろう、1901年7月29日 … 谷口 豊三郎(たにぐち とよさぶろう、1901年7月29日 - 1994年10月26日)は、昭和時代の日本の実業家。元東洋紡績社長。日本繊維産業連盟・初代会長。理論物理や数学などの研究に資金援助した谷口工業奨励会(後の谷口財団)の創設者。 1901年(明治34年)7月29日、大阪船場生まれ。旧制大阪府立天王寺中学校、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学工学部機械学科、東京帝国大学法学部政治学科卒業。1928年(昭和3年)、父・谷口房蔵の経営する大阪合同紡績に入社。1931年(昭和6年)、東洋紡に吸収されるが取締役でのこる。公職追放となるが、解除後副社長として復帰。1947年(昭和22年)に社長、1966年(昭和41年)に会長を歴任する。
岩永 巌(いわなが いわお、1901年7月28日 - 198… 岩永 巌(いわなが いわお、1901年7月28日 - 1985年1月9日)は、日本の経営者。熊本県熊本市出身。 1915年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に東洋レーヨン(現在の東レ)に入社。1947年に取締役に就任し、1948年に常務を経て、1960年に副社長に就任し、1963年には三井石油化学工業社長に昇格。1969年11月に会長に就任。 1965年に藍綬褒章を受章し、1971年に勲二等瑞宝章を受章。 1985年1月9日急性心不全のために死去。83歳没。
天野 潔(あまの きよし、1901年(明治34年)6月23日… 天野 潔(あまの きよし、1901年(明治34年)6月23日 - 没年不明)は、日本の実業家。 島根県能義郡広瀬町(現在の安来市)出身。神山昌毅の弟、天野蓮夫の養子。大正15年(1926年)東京帝国大学英法科卒業。安田保全社、昭栄製糸専務、日本蚕糸製造常務取締役等を歴任したが、戦後は健康上の理由から退職し静養した。その後は不明。 妻光枝は大日本麦酒(現在のサッポロビール)の元常務橋本卯太郎の次女。橋本卯太郎の孫に橋本龍太郎(第82代・第83代内閣総理大臣)、橋本大二郎(元高知県知事)などがいる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉田 孝雄(よしだ たかお、1901年5月12日 - 197… 吉田 孝雄(よしだ たかお、1901年5月12日 - 1979年1月24日)は、日本の経営者。東京都出身。 1924年に東京帝国大学工学部航空学科を卒業し、同年に中島飛行機に入社。設計主任として、多くの海軍機の設計に携わり、1955年に岩崎通信機社長を経て、1956年から1963年までに富士重工業社長を務めた。 1962年5月に藍綬褒章を受章し、1971年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1979年1月24日肺癌のために死去。77歳没。
高橋 重威(たかはし じゅうい、1901年5月5日 - 19… 高橋 重威(たかはし じゅうい、1901年5月5日 - 1981年7月28日)は、元夕刊フクニチ新聞社社長、福岡銀行頭取。栃木県出身。東京帝国大学独法科卒業。 1927年、日本銀行に入行。1945年、福岡銀行に移り、副頭取に就任したが、四ヶ月後に頭取に昇格した。他に、日本海上工事会長、日本海上工事顧問、日産建設会長などの要職を歴任し、戦後経済の復興に尽力した。1948年、梅林組に対する融資問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。1972年、勲三等瑞宝章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
澤 重民(さわ しげたみ、1901年(明治34年)4月29日… 澤 重民(さわ しげたみ、1901年(明治34年)4月29日 - 1993年(平成5年)12月21日)は、日本の内務官僚、実業家。官選奈良県知事。 実兄に空母「瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃に参加した嶋崎重和がいる。 三重県出身。澤重元の長男として生まれる。第八高等学校を首席で卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科を首席で卒業。内務省に入省し社会局属となる。 以後、国際労働機関帝国事務局勤務、佐賀県勤務、岐阜県勤務、内務省土木局河川課長、同地方局監督課長、同会計課長などを歴任。 1943年7月、奈良県知事に就任。戦時下の対応に尽力。1945年2月、厚生省衛生局長に転任。
酒井 喜四(さかい きし、1901年4月25日 - 1974… 酒井 喜四(さかい きし、1901年4月25日 - 1974年7月1日)は、日本の官僚・実業家。 帝国石油総裁・社長を務めた。 北海道札幌市出身。1924年に東京帝国大学法学部を卒業し、農商務省に入省。商工事務官、商工省鉱山局燃料課長、燃料局第一部油政課長兼資源課長兼商工書記官、燃料局石油部長、札幌鉱山局長などを歴任。商工事務官時代に旧石油業法の起案に携わり、1934年の同法の成立に尽力した。1941年10月鉄鋼局長、1943年鉄鋼統制販売株式会社社長。戦後も商工省燃料局長を務めたが、1947年に退官。同年の第23回衆議院議員総選挙において北海道1区から立候補したが落選した。1948年に帝国石油総裁となり、1950年の民営化後も引き続き1952年まで社長を務めた。
斉藤 利忠(さいとう としただ、1901年 <明治34年> … 斉藤 利忠(さいとう としただ、1901年 <明治34年> 4月17日 - 1981年 <昭和56年> 12月29日)は、日本の経営者、銀行家。安田倉庫、安田信託銀行各社長を務めた。群馬県出身。位階は従四位。 1925年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年4月に安田銀行に入行。1945年1月に安田保善社に転じ、1946年8月に安田倉庫専務に就任し、1948年には社長に昇格。1951年11月には安田信託銀行副社長に就任し、1957年6月には社長に昇格し、1963年5月から1970年5月までに会長を務めた 1966年4月に藍綬褒章を受章し、1971年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1981年12月29日に肺炎のために死去。
山中 正夫(やまなか まさお、1901年4月14日 - 19… 山中 正夫(やまなか まさお、1901年4月14日 - 1989年2月3日)は、日本の経営者。三菱セメント社長、三菱鉱業セメント会長を務めた。福岡県築上郡築城町出身。位階は正四位。 1925年に東京帝国大学工学部鉱山学科を卒業し、同年4月に三菱鉱業に入社。1950年に取締役に就任し、1954年に三菱セメント常務、1957年5月に副社長を経て、1958年5月には社長に就任。1973年5月に三菱鉱業セメント会長に就任し、同年11月には相談役に就任。 1966年4月に藍綬褒章を受章し、1971年11月に勲二等瑞宝章を受章。 1989年2月3日呼吸不全のために死去87歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
安部 志雄(あべ ゆきお、1901年 <明治34年> 4月1… 安部 志雄(あべ ゆきお、1901年 <明治34年> 4月13日 - 1974年 <昭和49年> 6月24日)は、日本の経営者。大分県別府市出身。位階は正四位。勲二等旭日重光章。 1926年に東京帝国大学法学部英法科を卒業。藤本ビルブローカー銀行での勤務を経て、1943年に大和証券に転じ、1948年に取締役に就任した。常務、専務、名古屋支店長を経て、1958年11月に副社長に就任し、1963年4月に社長に昇格し、1970年11月までに務めた。経済団体連合会常任理事も務めた。 1974年6月24日脳出血のために死去。73歳没。死没日付をもって正四位に叙され、勲二等旭日重光章を追贈された。
松波 直秀(まつなみ なおひで、1901年4月5日 - 20… 松波 直秀(まつなみ なおひで、1901年4月5日 - 2000年6月14日)は、日本の経営者。荏原製作所社長を務めた。東京都出身。 1926年に東京帝国大学工学部機械工科を卒業し、同年に荏原製作所に入社。1940年6月に取締役に就任し、1947年8月に常務、1956年12月に専務を経て、1965年1月に副社長に就任し、1970年12月には社長に昇格。1976年4月に会長を経て、1978年7月には相談役に就任。 1972年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2000年6月14日老衰のために死去。99歳没。
井上 隆治(いのうえ たかはる、1901年4月4日 - 没年… 井上 隆治(いのうえ たかはる、1901年4月4日 - 没年不明)は、日本の実業家。丸石製薬社長。江崎グリコ取締役。妹の芳江は江崎グリコ創業者江崎利一の長男誠一に嫁いだ。 大阪府出身。1925年3月、東京帝国大学医学部薬学科卒業、薬学士。丸石製薬に入り、1942年、社長に就任。宗教は真宗。趣味は読書、観劇。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
福林 正之(ふくばやし まさゆき、1901年3月21日 - … 福林 正之(ふくばやし まさゆき、1901年3月21日 - 1977年6月13日)は、日本の出版実業家、作家。 北海道小樽市生まれ。松本高等学校文科甲類を経て東京帝国大学社会学科卒。 報知新聞記者などを経て、1943年3月に『日本読書新聞』の発行元であった日本出版文化協会から改組された出版統制組織「日本出版会」の総務部次長兼編集室長となる。同紙は敗戦を待つまでもなく物資の不足と編集部員の応召などにより、1945年5月に休刊した。同年3月には出版用紙の確保のために一括して用紙を荷受する機関として「日本出版助成株式会社」が設立され、同社専務に就任。1946年、同社を日本出版協同株式会社に改組した後に社長に就任した。
滝 清彦(たき きよひこ、1901年2月28日 - 1972… 滝 清彦(たき きよひこ、1901年2月28日 - 1972年7月27日)は、日本の経営者。 東京都出身。1925年に行文行政科に合格し、1930年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に鉄道省に入省。東京鉄道管理局総務部長、勤労部長、東京鉄道管理局局長などを歴任し、1946年に退官。その後は鉄道弘済会会長を務めた 1971年に勲二等瑞宝章を受章。 1972年7月27日心筋梗塞のために死去。71歳没。墓所は多磨霊園。
藤野 忠次郎(ふじの ちゅうじろう、1901年2月21日 -… 藤野 忠次郎(ふじの ちゅうじろう、1901年2月21日 - 1985年7月23日)は、日本の経営者。三菱商事社長、会長を務め、「三菱商事の中興の祖」でもある。埼玉県出身。 1925年に東京帝国大学法学部を卒業し、三菱商事に入社。1956年5月に常務に就任した。戦後直後に渉外部長として、財閥解体でGHQとの折衝役を務めた 1947年に取締役に就任し、1964年5月に副社長に就任した。1966年4月に社長に就任し、1967年に三井物産を抜き、総合商社トップの座につくことを実現させた。1974年に会長に就任した。東京商工会議所副頭取、三菱電機取締役、三菱倉庫取締役、三菱重工業取締役、金曜会の代表世話人なども歴任した。
戸沢 盛男(とざわ もりお、1901年(明治34年)2月 -… 戸沢 盛男(とざわ もりお、1901年(明治34年)2月 - 1954年(昭和29年)7月12日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。佐賀県知事、陸軍司政官。 秋田県出身。戸沢清蔵の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1927年12月、高等試験行政科試験に合格。1928年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。大阪毎日新聞社を経て、1929年、内務省に入省し、北海道庁属となる。 以後、北海道庁社会課長、香川県警察部特別高等警察課長、長崎県警察部特別高等警察課長、大阪府警察部経済保安課長、宮崎県書記官・警察部長、福島県書記官・警察部長、同県部長・警察部長、陸軍司政官、静岡県内務部長などを歴任。 1946年7月、佐賀県知事に就任。
筧 元貞(かけい もとさだ、1901年(明治34年)1月20… 筧 元貞(かけい もとさだ、1901年(明治34年)1月20日 - 没年不明)は、日本の実業家。日本内燃機元専務取締役。族籍は東京府士族。 筧鏡平の長男として生まれる。母は衆議院議員や日本中央競馬会理事長を務め、「日本競馬の父」と呼ばれた安田伊左衛門の妹・田鶴。 旧制第六高等学校を経て、1924年(大正13年)東京帝国大学法学部英法科を卒業。大学卒業後、三菱銀行に入行しロンドン大学に留学。1940年(昭和15年)日本内燃機に転職。同社企画部長を経て、1943年(昭和18年)取締役に就任し、その後常務、専務、監査役を歴任。退職後はエース商会専務を務めた。 茅ヶ崎徳洲会総合病院(現:湘南藤沢徳洲会病院)にて84歳で死去。
渡辺 俊平(わたなべ しゅんぺい、1901年(明治34年)1… 渡辺 俊平(わたなべ しゅんぺい、1901年(明治34年)1月19日 - 1972年(昭和47年)11月28日)は、日本の科学者・教育者・実業家。ホトフィニ株式会社(現在の株式会社JPF)創設者。日本大学芸術学部長を務めた。 現在の東京都文京区に、父・三平と母・勝の長男として生まれる。明化小学校、豊島師範付属小学校、開成中学校、官立旧制第四高等学校を経て、東京大学工学部造兵学科を卒業し、1925年(大正14年)、財団法人理化学研究所に入所した。 理化学研究所に入所した渡辺は、理化学研究所3代目所長を務めた大河内正敏の研究室に所属し、工学士としての長年に亘る研究生活を経て、独自の多面積式録音方式および自動現像方式を発明した。
井上 敏夫(いのうえ としお、1901年1月10日 - 19… 井上 敏夫(いのうえ としお、1901年1月10日 - 1975年6月23日)は、日本の経営者。東京証券取引所理事長を務めた。 三重県出身。1924年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に日本銀行に入行。 1948年4月に理事に就任し、1954年6月から1959年6月までに副総裁を務め、1961年4月から1967年4月までに東京証券取引所理事長を務めた。 1975年6月23日、脳血栓のために死去。74歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
大部 孫太夫(たいぶ まごだゆう、1901年1月2日 - 1… 大部 孫太夫(たいぶ まごだゆう、1901年1月2日 - 1997年8月22日)は、日本の経営者。太陽生命保険社長を務めた。兵庫県出身。 1925年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に日華生命に入社。1948年11月に太陽生命専務に就任し、1962年4月に社長に就任。1978年4月に会長に就任。 1967年10月に藍綬褒章を受章し、1973年4月に勲四等瑞宝章を受章し、1988年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 1997年8月22日心不全のために死去。96歳没。
林 一夫(はやし かずお、1900年 <明治33年> 10… 林 一夫(はやし かずお、1900年 <明治33年> 10月12日 - 1978年 <昭和53年> 7月14日)は、日本の経営者。山口県出身。位階は正四位。 1925年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に三井銀行に入行。1941年に日本鉱業に転じ、1946年に取締役に就任し、1949年に常務、1959年に専務を経て、1960年から1965年8月までに副社長を務め、1964年2月には帝石石油社長に就任。1965年8月から1969年5月までに共同石油社長も務めた。 1965年10月に藍綬褒章を受章し、1970年11月に勲二等旭日重光章を受章。 1978年7月14日心不全のために死去。77歳没。
安藤 楢六(あんどう ならろく、1900年(明治33年)9月… 安藤 楢六(あんどう ならろく、1900年(明治33年)9月14日 - 1984年(昭和59年)1月11日)は、日本の実業家。小田急電鉄社長、同名誉会長。小田急百貨店社長。 東京帝国大学で学び、1925年小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)に入社。関連会社であった東京山手急行電鉄及び帝都電鉄、小田急電鉄(初代)、戦時統合により発足した東京急行電鉄(大東急)での勤務を経て、1946年6月に大東急の取締役となり、後に専務、副社長に就任する。1948年6月1日の大東急解体にも大東急副社長として携わり、現在の小田急電鉄発足に尽力。同年12月、東急の第二会社として分離独立した(新)小田急電鉄の初代社長となる。
草野 貞之(くさの ていし、1900年9月4日 - 1986… 草野 貞之(くさの ていし、1900年9月4日 - 1986年1月11日)は、白水社社長、フランス文学者。福岡県生まれ。東京帝国大学文学部印度哲学科卒。中央大学教授、1931年教授のまま白水社に入り、33年取締役。ルナールの『にんじん』を岸田国士の訳で出版、映画化上映もありベストセラーとなる。1943年社長。51年文庫クセジュを創刊。墓所は多磨霊園。
金森 乾次(かなもり けんじ、1900年7月31日 - 19… 金森 乾次(かなもり けんじ、1900年7月31日 - 1954年12月8日)は、日本の実業家。近畿日本鉄道の会長を務めた。 父は大阪電気軌道4代目社長(参宮急行電鉄社長兼任)で実質的な創業者の一人である金森又一郎、長男は近畿日本鉄道11代社長の金森茂一郎、次男は大阪大学13代総長の金森順次郎。 大阪府大阪市出身。1921年に東京帝国大学を卒業した後に日本染料製造で技師として務め、1935年に大阪電気軌道に入社。1937年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1944年に副社長に就任したが、公職追放を受け、辞任。 公職追放解除を受け、1951年5月に会長として復帰。帝塚山学園理事も務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
林 佳介(はやし よしすけ、1900年〈明治33年〉7月18… 林 佳介(はやし よしすけ、1900年〈明治33年〉7月18日 - 1987年〈昭和62年〉11月9日)は、日本の政治家、実業家、家主。衆議院議員(日本進歩党)。下関倉庫社長。山口合同ガス社長。サンデン交通会長。下関商工会議所会頭。 山口県佐波郡和田村(現・周南市)、松田忠治の七男として生まれる。松田正三の弟。林長五郎の養子となる。東京帝国大学法学部卒業。「大津屋」と称し、醤油醸造業を営んだ。陸軍歩兵中尉に任ぜられた。1937年、支那事変に出征した。大政翼賛会山口県支部常務委員を委嘱された。 山口県翼賛壮年団理事、同下関団長、下関倉庫、山陽電気、下関瓦斯、下関精密工業、百十銀行など各種会社の重役をつとめた。
永野 重雄(ながの しげお、1900年7月15日 - 198… 永野 重雄(ながの しげお、1900年7月15日 - 1984年5月4日)は、日本の実業家。新日本製鐵会長・経済同友会代表幹事・日本商工会議所会頭などを歴任した、戦後日本を代表する経済人の一人。財界四天王の一人といわれ、"戦後の財界のドン"ともいわれた。正三位勲一等旭日桐花大綬章。広島市名誉市民。島根県松江市生まれ、広島県広島市南区出汐育ち。 広島県呉市沖の瀬戸内海に浮かぶ下蒲刈島三之瀬にある浄土真宗本願寺派の弘願寺が実家。寺院の開基は室町時代の1525年(大永5年)源氏との壇の浦の戦いに敗れた平家の武将・永野小佐衛門がこの地に落ちのび名を常浄と改め、元行寺という浄土宗の廃寺跡に弘願寺を建立した。
山崎 巌(やまざき いわお、1900年7月1日 - 1979… 山崎 巌(やまざき いわお、1900年7月1日 - 1979年4月19日)は、日本の経営者。横河電機製作所(現在の横河電機)社長を務めた。山形県出身。 1927年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に三井銀行に入行。1938年8月に横河電機製作所(現在の横河電機)に転じ、同年12月に取締役に就任し、1945年11月に常務、1949年12月に専務を経て、1960年11月に社長に就任。1966年11月には会長に就任。 1962年9月に藍綬褒章を受章し、1970年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1979年4月19日尿毒症のために死去。78歳没。
林 賢材(はやし けんざい、1900年6月19日 - 199… 林 賢材(はやし けんざい、1900年6月19日 - 1995年9月1日)は、日本の経営者。三井信託銀行社長を務めた。東京都出身。 1924年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に三井信託銀行に入行。1945年に常務に就任し、1947年から1960年までに社長を務めた。 1971年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1995年9月1日にがん性腹膜炎のために死去。95歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
瀬山 誠五郎(せやま せいごろう、1900年6月14日 - … 瀬山 誠五郎(せやま せいごろう、1900年6月14日 - 1977年7月19日)は、日本の経営者。東京都出身。 1925年に東京帝国大学法学部英法科を卒業し、同年に住友銀行に入行。1936年2月に住友本社東京支店に出向し、1947年3月に住友商事常務に就任し、1952年6月には専務に昇格した。1956年11月に住友不動産社長に就任し、1974年5月には会長に就任した。経済団体連合会理事も務めた。 1970年11月に勲二等瑞宝章を受章し、1976年に勲一等瑞宝章を受章した。 1977年7月19日気管支肺炎のために死去。77歳没。
春山 定(はるやま さだむ、1900年 <明治33年> 6月… 春山 定(はるやま さだむ、1900年 <明治33年> 6月1日 - 1974年 <昭和49年> 7月10日)は、日本の経営者。大分県大分市出身。位階は従四位。 1925年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、帝国生命保険に入社。 1947年3月に取締役、同年7月に朝日生命保険常務を経て、1961年5月には社長に就任。1965年5月から1971年5月までに会長を務めた。 1965年6月から1967年6月までに生命保険協会会長を務めた。 1965年9月に藍綬褒章を受章し、1940年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1974年7月10日急性心不全により死去。74歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
今岡 賀雄(いまおか よしお、1900年(明治33年)6月 … 今岡 賀雄(いまおか よしお、1900年(明治33年)6月 - 1944年(昭和19年)3月14日)は、昭和時代前期の電気工学者、通信技術者、実業家。 東京府士族・今岡純一郎の長男として生まれる。1924年(大正13年)東京帝国大学物理学科を卒業後、東京電気株式会社(のちの東京芝浦電気株式会社→東芝)に入社、1935年(昭和10年)製造部長、取締役、技師長を歴任する。1944年(昭和19年)3月14日、激務による過労により川崎駅にて事故に遭い殉職した。 東京電気にて無線通信機および真空管の研究に従事し、1935年(昭和10年)に150kWの大電力放送機を完成させた。ほか、「マツダランプ」の開発および製造で培った知見をもとに、無線用真空管「サイモトロン」などを開発した。
楠木 直道(くすのき なおみち、1900年5月10日 - 1… 楠木 直道(くすのき なおみち、1900年5月10日 - 1983年8月17日)は、日本の経営者。大分県出身。 1924年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に東京石川島造船所に入社し、自動車部に配属。1937年に東京自動車工業(現在のいすゞ自動車)に転じ、取締役、常務、専務を経て、1962年11月に社長に就任。1965年6月には会長に就任。乗用車のデザインに慧眼を持ち、専務の時代に国産車ベレルの開発あたって、「これからの自動車デザインは感覚のフレッシュな若い人にやらせるべきだ」と強く主張し、いすゞの存亡をかける新車デザインを芸大在学中の学生に託している。社長時代にベレット、会長時代に117クーペなどデザインに優れた乗用車の開発を主導した。
白石 稔(しらいし みのる、1900年 <明治33年> 5月… 白石 稔(しらいし みのる、1900年 <明治33年> 5月2日 - 1985年 <昭和60年> 11月12日)は、日本の経営者。三菱製紙社長を務めた。位階は従四位。 宮城県仙台市出身。1923年に東京帝国大学法学部法科を卒業し、同年に三菱製紙に入社。1947年に取締役に就任し、1949年に常務を経て、1957年12月から1963年5月までに社長を務めた。奥野煕社長の体調不良により、再び1965年5月から1970年5月までに社長を務め、1970年5月から1973年5月までに会長を務めた。 1963年に藍綬褒章を受章し、1968年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1985年11月12日心不全のために死去。
水野 一夫(みずの かずお、1900年4月11日 - 199… 水野 一夫(みずの かずお、1900年4月11日 - 1994年8月28日)は、日本の経営者。宇部興産(現・UBE)社長、会長を務めた。山口県防府市出身。 1938年に東京帝国大学法学部を卒業。 1942年に宇部興産(現・UBE)取締役に就任し、取締役、総務部長、常務、専務を経て、1961年11月に副社長に就任し、1977年12月から1983年6月までに社長を務め、1983年6月から取締役相談役を務めた。 経団連常任理事なども歴任した。 1966年に藍綬褒章を受章し、1972年に勲三等旭日中綬章を受章し、1980年に勲二等旭日重光章を受章した。 1994年8月28日、心不全のために死去。94歳没。
安田 幾久男(やすだ きくお、1900年 <明治33年> 4… 安田 幾久男(やすだ きくお、1900年 <明治33年> 4月7日 - 1978年 <昭和53年> 2月19日)は、日本の実業家。日本軽金属社長を務めた。位階は正四位。 石川県金沢市出身。1924年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に富士電機製造に入社。 1939年に日本軽金属に転じ、1946年5月に取締役に就任し、1953年には副社長に就任。1961年5月には社長に昇格した。1967年5月に会長を経て、1969年5月に相談役に就任。経済団体連合会理事、日本経営者団体連盟常任理事などを歴任。。 1957年に紺綬褒章を受章し、1958年に藍綬褒章を受章し、1970年4月に勲二等旭日重光章を受章した。
柳 武(やなぎ たけし、1900年3月2日 - 1971年6… 柳 武(やなぎ たけし、1900年3月2日 - 1971年6月6日)は、日本の経営者。日本製鋼所社長を務めた。 栃木県出身。1923年に東京帝国大学工学部冶金学科を卒業し、同年に日本製鋼所に入社。1947年11月に取締役に就任し、1948年10月に常務、1956年5月に専務を経て、1957年11月に副社長に就任し、1959年11月には社長に昇格。1965年11月に相談役に就任。 1971年6月6日、急性肝炎のために死去。71歳没。
城戸 久(きど ひさし、1900年2月10日 - 1981年… 城戸 久(きど ひさし、1900年2月10日 - 1981年9月24日)は、日本の実業家。 城戸久助の長男として福岡県宗像郡福間町(現・福津市)に生まれる。1919年福岡県立中学修猷館を経て、1926年東京帝国大学経済学部商業学科を卒業。 1926年朝鮮鉄道に入社。その後、戸畑鋳物(日産自動車の前身)、国産工業(戸畑鋳物が社名変更)若松工場庶務課長、日立製作所本店総務部文書課長、同亀有工場勤労部長・総務部長・副工場長・工場長、同本社総務部長を歴任し、1954年11月帝国石油取締役に就任、後に常務に進む。日本中小企業政治連盟事務総長、日本農林漁業政治連盟事務総長なども務めた。 この頃、鮎川義介、犬丸徹三、八田嘉明らが、羽田空港と都内を結ぶ跨座式モノレール線の運行を計画していたが、同時期に、羽田空港-新橋間の懸垂式モノレール線を計画していた、大和観光という会社があった。
檜垣 文市(ひがき ぶんいち、1900年1月30日 - 19… 檜垣 文市(ひがき ぶんいち、1900年1月30日 - 1968年12月2日)は、日本の経営者。安田火災海上保険社長を務めた。 広島県出身。1923年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に共済生命保険に入社。1925年に東京火災保険に転じ、1943年に取締役に就任し、1945年に日本動産火災保険専務を経て、1947年には安田火災海上保険社長に就任。1963年1月に会長を経て、1965年6月には相談役に退いた。 経済団体連合会理事と日本経営者団体連盟常任理事も務めた。 1958年に藍綬褒章を受章。 1968年12月2日、気管支肺炎のために死去。68歳没。
岸 道三(きし みちぞう、1899年12月1日 - 1962… 岸 道三(きし みちぞう、1899年12月1日 - 1962年3月14日)は、日本の実業家・財界人。経済同友会代表幹事(第10代)・日本道路公団初代総裁。 大阪府大阪市に生まれ、北海道小樽市で育つ。小樽中学校から三浪を経て、第一高等学校に入学。5年間在籍し、その間全寮委員長として、関東大震災後の同校移転問題などに関係する。その後東京帝国大学工学部鉱山学科に入学。在学中はボート部で活躍し、1929年(昭和4年)の卒業後も後輩の指導に当たった。 東京帝大学生課嘱託などを経て、1931年(昭和6年)に名古屋合板支配人として財界に入る。以後明治製革常務、満鉄調査部嘱託、興中公司広東事務所長などを歴任する一方、昭和研究会に所属し、各界に広く人脈を持つようになる。
内田 三郎(うちだ さぶろう、1899年10月21日 - 1… 内田 三郎(うちだ さぶろう、1899年10月21日 - 1983年1月28日)は、日本の実業家。キヤノン社長を務めた。 岡山県倉敷市出身。1925年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に山一證券に入社。 1933年に吉田五郎とともに精器光学研究所を設立し、1936年にハンザキヤノンの発売を開始した。1954年には社長に就任した。 1983年1月28日、肺水腫のために死去。83歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
高橋 三郎(たかはし さぶろう、1899年(明治32年)10… 高橋 三郎(たかはし さぶろう、1899年(明治32年)10月19日 - 1985年(昭和60年)10月2日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選高知県知事、東北放送会長。 宮城県栗原郡岩ヶ崎町(現栗原市)出身。高橋珍平の三男として生まれる。第二高等学校を卒業。大正12年(1923年)12月、高等試験行政科試験に合格。大正13年(1924年)、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し静岡県属となる。 以後、鹿児島県警察部保安課長、茨城県警視、静岡県警視、埼玉県警視、鳥取県学務部長、岡山県学務部長、福島県書記官・警察部長、内務書記官・警保局検閲課長、神奈川県書記官・警察部長、同県部長・警察部長などを歴任。
木川田 一隆(きかわだ かずたか、1899年8月23日 – … 木川田 一隆(きかわだ かずたか、1899年8月23日 – 1977年3月4日)は、1950年代から1960年代にかけて活躍した日本の実業家。東京電力社長や、経済同友会代表幹事(1960年 - 1962年(複数代表幹事制)、1963年 - 1975年)を歴任した。「企業の社会的責任」を唱導した哲人的財界人として知られる。 福島県伊達郡梁川町で生まれ、旧制角田中学、旧制山形高校を経て、東京帝国大学経済学部で学び、在学中に河合栄治郎の講義を最前列で聴いて、河合が唱える理想主義的自由主義に傾倒した。1926年に卒業後、三菱鉱業の採用面接で河合直伝の労働法を披露し、警戒されて不採用となる。やむなく第2志望の東京電燈へ入社し、「電力の鬼」松永安左エ門に師事して民間企業人の闘魂を学ぶ。