堤 定次郎(つつみ ていじろう、1868年12月14日(明治… 堤 定次郎(つつみ ていじろう、1868年12月14日(明治元年11月1日) - 1935年(昭和10年)8月18日)は、日本の裁判官、検察官、内務官僚、実業家。官選岩手県知事。位階および勲等は従四位・勲四等。 常陸国、後の茨城県真壁郡上野村(現筑西市)出身。堤恵次郎の長男として生まれる。1892年、帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる。 以後、東京区裁判所判事、東京地方裁判所検事、横浜地方裁判所検事、東京控訴院検事、宮城控訴院検事、函館地方裁判所検事正、熊本県事務官・警察部長、香川県事務官・内務部長などを歴任。 1913年3月、岩手県知事に就任。1914年6月、知事を休職となる。その後、実業界に転じ、安田保善社理事、五十銀行頭取などを務めた。
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下坂 藤太郎(しもざか とうたろう、1868年11月17日(… 下坂 藤太郎(しもざか とうたろう、1868年11月17日(明治元年10月4日) - 1941年(昭和16年)1月12日)は、日本の大蔵官僚、実業家。理財局銀行課長を最後に退官し、台湾銀行理事、副頭取を歴任。東洋製糖(のち大日本製糖)、東洋海上保険(のち日新火災海上保険)、日商(のち日商岩井)の各社長。 会津藩士下坂藤次郎の長男。三春中学、第一高等学校を経て、1894年(明治27年)東京帝国大学を卒業。大蔵省に入省し、翌年の第二回文官高等試験に次席合格する。秋田県収税長、本省参事官、書記官、監督局銀行課長などを経て、1899年(明治32年)6月辞職。翌月台湾銀行理事に就任し、副頭取に進む。1906年(明治39年)から翌年にかけて銀行制度調査のため欧米出張。
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赤星 典太(あかほし / あかぼし てんた、1868年10月… 赤星 典太(あかほし / あかぼし てんた、1868年10月22日(慶応4年9月7日)- 1958年(昭和33年)6月13日)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事、錦鶏間祗候。 肥後国熊本城下手取本町(現熊本市)出身。熊本藩士・赤星晋作の長男として生まれる。第五高等学校を卒業。1896年(明治29年)帝国大学法科大学を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。大蔵省に入省し主税局属となる。 1897年(明治30年)司税官・金沢税務管理局在勤となる。以後、根室税務管理局長、札幌税務管理局長、会計検査官補、司法省参事官兼司法書記官、同書記官・総務局会計課長、農商務書記官、行政裁判所評定官などを歴任。
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秋山 定輔(あきやま ていすけ、慶応4年7月7日(1868年… 秋山 定輔(あきやま ていすけ、慶応4年7月7日(1868年8月24日) - 昭和25年(1950年)1月19日)は、岡山県出身の政治家、実業家。衆議院議員。『二六新報』社長。 備前国窪屋郡、のちの岡山県都窪郡倉敷町(現倉敷市)で生まれる。父の秋山儀四郎は倉敷の出身で、堂島の米相場で成功したのち道頓堀の角座・浪花座を買収した大阪興行界の大物であった。東京帝国大学卒業後、会計検査院に勤務。1893年に大石正巳・稲垣満次郎を顧問に『二六新報』を社長として創刊。資金難のため1895年休刊。1900年再刊し、三井財閥攻撃、娼妓自由廃業などの醜聞暴露キャンペーンによって民衆の人気を博す。同様に有名人のスキャンダルを売り物とする『萬朝報』紙と売り上げを二分した。
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木村 艮(きむら ごん、1868年8月19日(明治元年7月2… 木村 艮(きむら ごん、1868年8月19日(明治元年7月2日)- 1930年(昭和5年)10月2日)は、明治から昭和初期の農業技術者、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・西川。 山城国綴喜郡、のちの京都府綴喜郡田辺村(田辺町を経て現京田辺市)で、西川長次の二男として生まれ、1885年(明治18年)木村艮司の養子となり、1891年(明治24年)4月、家督を相続した。1896年(明治29年)7月、帝国大学農科大学農学科を卒業した。 京都府技師となる。同年8月、京都府農会技師兼幹事となり1908年(明治41年)4月まで在任。この間、京都府立農林学校嘱託教師、京都蚕業講習所嘱託教師、京都府立農事試験場嘱託なども務め、京都府下の農業振興に尽力した。
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中村 是公(なかむら よしこと、通称: なかむら ぜこう、な… 中村 是公(なかむら よしこと、通称: なかむら ぜこう、なかむら これきみ、1867年12月20日〈慶応3年11月25日〉- 1927年〈昭和2年〉3月1日)は、日本の官僚・実業家・政治家である。南満洲鉄道株式会社(満鉄)総裁、鉄道院総裁、東京市長、貴族院議員などを歴任した。 作家・夏目漱石の親友としても知られ、官僚出身らしからぬ豪放磊落な性格で、「べらんめい総裁」「フロックコートを着た猪」「独眼龍」などの異名をとった。 安芸国佐伯郡五日市村(五日市町を経て現:広島県広島市佐伯区)に酒造業・柴野宗八の五男として生まれる。柴野家の墓は現在でも広島市佐伯区五日市の光禅寺にある。兄は大審院検事・鈴木宗言。
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塩田 泰介(しおた たいすけ、1867年12月5日(慶応3年… 塩田 泰介(しおた たいすけ、1867年12月5日(慶応3年11月10日) ‐ 1938年2月5日)は、日本の造船工学者、実業家。工学博士。 三菱造船常務取締役。 備前国赤坂郡今井村(現・岡山県赤磐市今井)に正好家の四男として生まれる。眞徳小学校に在籍していた1878年、松田金次郎の書生として上京する。 泰介は上京後すぐに松田の転勤に伴って大阪に行き、1881年(明治14年)に大阪商船学校に入学。数学や航海術を本格的に学び、造船製図手になる。 1887年に帝国大学工科大学造船学科に入学。端連の長男である花房義質子爵の書生となる。 帝大卒業後は三菱合資会社に造船技師として入社し、長崎に赴任。1895年、端蓮の妹である塩田鶴の養子となり塩田姓を名乗る。
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清水 釘吉(しみず ていきち、慶応3年11月10日(1867… 清水 釘吉(しみず ていきち、慶応3年11月10日(1867年12月5日) - 1948年(昭和23年)9月7日)は、日本の実業家。清水組代表取締役社長。旧姓は小野。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
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橋爪 捨三郎(はしづめ すてさぶろう、1867年11月29日… 橋爪 捨三郎(はしづめ すてさぶろう、1867年11月29日(慶応3年11月4日)- 1930年(昭和5年)9月15日)は、日本の実業家である。 陸奥国会津郡若松城郭内(現会津若松市)で、会津藩士・橋爪清助の三男として生まれる。帝国大学(現在の東京大学)法科大学政治学科を卒業後、三井物産に入社しその後転々と多くの企業に転勤する。後に上海紡績に転勤するが、同会社の合併により鐘淵紡績(後のカネボウ、現在のクラシエホールディングス)に移った。 これにより同会社の副支配人を経て支配人としての職にあたり、1918年(大正7年)に取締役として就任した。1927年(昭和2年)には常務取締役に昇格し、同年副社長に就任する。
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中山 巳代蔵(なかやま みよぞう、1867年10月27日(慶… 中山 巳代蔵(なかやま みよぞう、1867年10月27日(慶応3年10月1日) - 1921年(大正10年))は、日本の内務官僚、実業家。官選栃木県知事。 備前国邑久郡、のちの岡山県邑久郡豊原村(現瀬戸内市)出身。中山壮左衛門の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1894年、帝国大学法科大学を卒業。1895年、内務省に入省し土木局属となる。1906年12月、文官高等試験行政科試験に合格した。以後、長崎県参事官、土木監督署事務官兼内務事務官、内務書記官、京都府事務官などを歴任。 1906年12月、栃木県知事に就任。谷中村在留民の強制立ち退き、渡良瀬川改修を推進した。1911年8月、知事を休職となった。
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門野 重九郎(かどの じゅうくろう/ちょうきゅうろう、186… 門野 重九郎(かどの じゅうくろう/ちょうきゅうろう、1867年10月6日(慶応3年9月9日) - 1958年(昭和33年)4月24日)は、明治から昭和時代前期の実業家。実兄に千代田生命保険、日本徴兵保険創立者兼社長で勅撰貴族院議員の門野幾之進がいる。 志摩鳥羽藩の家老・門野亘理の二男として鳥羽(現三重県鳥羽市)に生まれる。1884年(明治17年)慶應義塾大学部理財学および法律学を修了後、1891年(明治24年)帝国大学工科大学土木工学科を卒業し、アメリカのペンシルバニア鉄道に入る。4年間に渡る鉄道敷設工事に従事したのち退社し、欧米の工業事情を視察後、1896年(明治29年)帰朝した。山陽鉄道で新線工事長として勤務後、大倉喜八郎の知遇を得て、1897年(明治30年)大倉組に入り、ロンドン支店長を長く務めたのち1909年(明治42年)に大倉組副頭取、1914年(大正3年)大倉土木(現大成建設の前身)会長となり、1937年(昭和12年)まで在任した。
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三崎 省三(みさき せいぞう、1867年8月22日〈慶応3年… 三崎 省三(みさき せいぞう、1867年8月22日〈慶応3年7月23日〉 - 1929年〈昭和4年〉2月23日)は、日本の技術者・経営者。阪神電気鉄道代表取締役を務めた。兵庫県氷上郡黒井村出身。 東洋英和学校、成立学舎を経て、1886年12月に渡米。1891年、サンフランシスコのボーイズハイスクールを卒業し、1891年10月にスタンフォード大学へ一期生として入学。翌年、パデュー大学3年生に編入(飛び級)し、1894年6月卒業した。電気工学を専攻し、学士(BME: the degree of Bachelor of Mechanical Engineering)となった。。帰国後は、1894年11月に三吉電機工場に入社し、京都電気鉄道の電車のモーターを製作した。
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白石 元治郎(しらいし もとじろう、1867年8月20日〈慶… 白石 元治郎(しらいし もとじろう、1867年8月20日〈慶応3年7月21日〉- 1945年〈昭和20年〉12月24日)は、日本の実業家。日本鋼管の初代社長。白石同族代表社員。浅野財閥創始者浅野総一郎の娘婿にあたる。 高田藩(榊原家)の下級武士、前山孫九郎の子として、白河に生まれた。16歳の時、白石武兵衛の養子となる。貧しいために、大学では、教員の高橋是清や鈴木校長や掛川銀行頭取の永富謙八に借金をしたり、大学の助手として働きながら学んだ。在学中は、ボート部に所属して体を鍛えた。1892年に帝国大学法科大学を卒業すると、恩師穂積陳重の紹介で浅野商店(浅野財閥)に入社したが、浅野総一郎の秘書として日曜祭日も休まずに働かされた。
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今泉 嘉一郎(いまいずみ かいちろう、慶応3年6月27日〈1… 今泉 嘉一郎(いまいずみ かいちろう、慶応3年6月27日〈1867年7月28日〉 - 1941年〈昭和16年〉6月29日)は、日本の実業家、政治家。鉄鋼技術者として官営八幡製鉄所に勤務したのち、日本鋼管(後のJFEホールディングス)を創業。衆議院議員(1期)も務めた。工学博士。 慶応3年(1867年)、上野国勢多郡東村花輪に生まれる。父・彦右衛門(のち彦作)は幕府代官付の村吏を務め、明治維新後には区長となった。母・常子は伊勢崎藩の藩医だった原(入婿し田村)常益の二女として生まれ、12歳で江戸へ出て浅田宗伯に学んだのち、17歳で漢方医となっている。 1873年(明治6年)に祥禅寺で花輪小学校が開校されると嘉一郎は直ちに入学。
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神村 吉郎(かみむら きちろう、1867年4月9日(尚泰20… 神村 吉郎(かみむら きちろう、1867年4月9日(尚泰20年3月5日) - 1942年(昭和17年)1月24日)は、沖縄県出身の政治家、実業家。衆議院議員。琉球政府で行政副主席を務めた神村孝太郎は長男。 具志川間切天願(現うるま市字天願)で、代々地頭代を務める神村家の神村孝吉の長男として生まれる。1889年、沖縄県尋常師範学校を卒業し、帝国大学農科大学実科で学び、1892年に卒業した。 1894年、沖縄県属に就任。その後退官し、1898年、沖縄県農工銀行創立委員となり、1899年に設立後、監査役に就任。同年、謝花昇らと沖縄倶楽部を結成し自由民権運動に加わったが、1900年、農工銀行重役改選において支配者層につき取締役に選出された。
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堀 啓次郎(ほり けいじろう、1867年2月7日(慶応3年1… 堀 啓次郎(ほり けいじろう、1867年2月7日(慶応3年1月3日)- 1944年(昭和19年)10月8日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。大阪商船社長、阪神電気鉄道社長、貴族院勅選議員。 加賀国石川郡金沢(現在の石川県金沢市)で加賀藩士・堀五平の長男として生まれ、親族・堀霞の養子となる。1890年(明治23年)第一高等中学校を卒業し、1893年(明治26年)7月、帝国大学法科大学法津学科を卒業した。官界に進むことを好まず、郷里の先輩早川千吉郎に民間企業への紹介を依頼し、中橋和之の推薦で1893年7月、大阪露油合資会社に入社し手代格となる。 大阪露油での働きが認められ、1895年(明治28年)12月、系列の大阪商船に転じ試験雇を務めた。
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近藤 会次郎(こんどう かいじろう、1866年11月20日(… 近藤 会次郎(こんどう かいじろう、1866年11月20日(慶応2年10月14日) - 1920年(大正9年)7月5日)は日本の技術者、経営者。浅野石油技師長。次男はピアニストの近藤柏次郎。 浅野財閥の石油事業に携わり、米国の石油技術を日本に導入した人物である。 1866年11月20日(慶応2年10月14日)に岐阜県安八郡仁木村藻池新田(現:輪之内町藻池新田)で古くからの農家の家に生まれた。1880年(明治13年)4月8日に岐阜県で最高学府だった華陽農学校に入学し、1883年(明治16年)7月13日に卒業すると、そこで助教諭として務めたが、半年後に辞職した。上京して共立英学校で数ヶ月学んでから、予備門(旧制第一高等学校)の入学試験に合格し入学し、1889年(明治22年)7月に卒業した。
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上野 金太郎(うえの きんたろう、1866年11月15日〈慶… 上野 金太郎(うえの きんたろう、1866年11月15日〈慶応2年10月9日〉 - 1936年〈昭和11年〉6月4日)は、日本の薬学者、薬学博士、東京薬学専門学校理事兼校長、資産家、実業家。大日本麦酒顧問。族籍は東京府士族。 東京府士族・上野銈三郎の三男。小石川久堅町(現・東京都文京区)生まれ。1883年、家督を相続した。 第一高等中学校を経て1891年7月、帝国大学医科大学薬学科を卒業、薬学士の称号を得た。日本麦酒会社に入り技師となり1906年、技師長に進んだ。同社解散に伴い大日本麦酒目黒工場長に就任した。1908年、薬学博士の学位を取得。 1917年、取締役に挙げられ転じて1925年、監査役となる。
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棚橋 寅五郎(たなはし とらごろう、1866年10月12日(… 棚橋 寅五郎(たなはし とらごろう、1866年10月12日(慶応2年9月4日)- 1955年(昭和30年)12月11日)は、日本の化学者、実業家である。 新潟に生まれる。後に東京帝国大学(現在の東京大学)応用化学科に所属し、ヨウ素の研究に尽き、特に海藻から抽出された医薬品用のヨードを生産した、ヨウ化カリウムの製造方法の研究によって有名となった。なおこの化合物は後にマッチ製造の原料にもなった。その後も硝酸カリウムや塩化カリウム、クロム酸塩等の研究や開発に携わり、同化合物を用いた肥料も開発した。またこの頃に工学博士を取得している。 1893年(明治26年)に卒業後は多くの企業の設立に携わり、1908年(明治41年)には日本化学工業の設立に携わった。
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藻寄 鉄五郎(鐵五郎、もより てつごろう、1866年6月13… 藻寄 鉄五郎(鐵五郎、もより てつごろう、1866年6月13日(慶応2年5月1日)- 1935年(昭和10年)9月8日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。 能登国珠洲郡北方村(石川県珠洲郡上戸村字北方を経て現珠洲市)で、医師・藻寄行蔵の五男として生まれた。父から医師となるべく学業の指導を受け、1885年(明治18年)上京して東京大学医学部に入学。20歳頃から星亨に私淑して政界を目ざし、医学部を退学して星の指導を受けた。 1891年(明治24年)に帰郷し上戸村助役に就任。同年7月、珠洲郡会議員に当選し2期在任。同年10月、石川県会議員に選出され2期在任した。1896年(明治29年)北陸新聞社社長に就任し1897年(明治30年)まで在任した。
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木村 久寿弥太(きむら くすやた、1866年1月18日(慶応… 木村 久寿弥太(きむら くすやた、1866年1月18日(慶応元年12月2日) - 1935年(昭和10年)11月23日)は、日本の実業家。三菱財閥の総理大臣と言われた。 土佐国土佐郡石立村(現・高知県高知市内)の出身。土佐藩の下級武士である田岡亨一の二男に生まれる。もともとは農民の出だが、祖父の代に家老の家に出仕し、武士の身分を得た。藩校の致道館教授も務めた叔父の養子となり、木村家を継ぐ。16歳の時に叔父が大阪で役人になると大阪へ出て、のちに模範中学と改称された専門学校に通い、19歳の時に東京へ出て、大学予備門を経て、帝国大学法科大学政治科へ入学する。学生時代に桐島像一が監督していた岩崎弥之助の息子と一緒に熱海の別荘に避寒すると、豊川良平から岩崎小弥太の監督を頼まれ、卒業まで三菱の寄宿舎から大学へ通った。
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橋本 圭三郎(はしもと けいざぶろう、1865年11月11日… 橋本 圭三郎(はしもと けいざぶろう、1865年11月11日(慶応元年9月23日) - 1959年(昭和34年)2月14日)は、日本の官僚・実業家。貴族院議員。新潟県長岡市千手町出身。 長岡藩士・橋本弥十郎の長男として生まれる。1884年(明治17年)に長岡学校を卒業、育英団体である長岡社の支援を受けて上京、大学予備門へ進学。1890年(明治23年)、東京帝国大学を卒業して法制局に入り、1893年に枢密院書記官となる。 その後、大蔵省へ移り、欧米出張を経て1905年(明治38年)に横浜税関長、1907年(明治40年)に主計局長、1911年(明治41年)には大蔵次官となる。さらに、1912年(明治42年)12月5日に貴族院議員に勅選され、1946年(昭和21年)まで努めた。
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渡辺 千代三郎(渡邊、わたなべ ちよさぶろう、1865年9月… 渡辺 千代三郎(渡邊、わたなべ ちよさぶろう、1865年9月20日(慶応元年8月1日)- 1936年(昭和11年)4月5日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。西成鉄道社長、大阪瓦斯社長、南海鉄道社長、貴族院勅選議員。 現在の岐阜県で渡辺新次郎の二男として生まれる。幼少より学問を好み、1889年(明治22年)7月、帝国大学法科大学法津学科を卒業した。卒業後、代言人(弁護士)の登録をしたが、1891年(明治24年)日本銀行に入行した。北海道支店長に昇進したが、その後辞職し、帝国商業銀行副支配人となる。 その後、大阪に移り北浜銀行頭取岩下清周の招きで同行副支配人となり、さらに支配人に就任した。西成鉄道社長、大阪瓦斯社長、南海鉄道社長、大阪株式取引所理事、帝国瓦斯協会(現日本ガス協会)会長なども務めた。
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長尾 半平(ながお はんぺい、1865年9月17日(慶応元年… 長尾 半平(ながお はんぺい、1865年9月17日(慶応元年7月28日) - 1936年(昭和11年)6月20日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の土木技術者、鉄道技術者、教育者、政治家、実業家。俳人でもあり、「秋邨」と号した。 祖伯父は長尾秋水。1865年(慶応元年)村上藩士の長男として、越後国村上堀片(現・新潟県村上市堀片)で生まれる。若くしてクリスチャンとなり禁酒主義者となる。1879年から地元新潟の語学校に入学したが、同1885年学制改革により同学校が廃止し上京。築地英語学校に通うほか青山学院で聖書研究。 1887年(明治20年)大学予備門から工部大学校(現東京大学工学部)に進学し、後身の帝国大学工科大学土木工学科を1891年に卒業。
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有賀 長文(ありが ながふみ、1865年8月27日(慶応元年… 有賀 長文(ありが ながふみ、1865年8月27日(慶応元年7月7日) - 1938年(昭和13年)9月11日)は、日本の農商務官僚、実業家、三井財閥の幹部(三井合名会社理事長)。 摂津国大坂(現在の大阪府大阪市)で代々歌道を生業とする家系に生まれる。1889年(明治22年)帝国大学法科大学政治科を卒業後、井上毅長官の下、法制局の試補を経て、貴族院書記官に転じる。その後、農商務省へ入省、農商務書記官、参事官、工務局長を歴任する。1898年(明治31年)、大隈重信が板垣退助と連合して、第3次伊藤内閣の後を受けて、隈板内閣が発足すると、行政整理の一つとして大石正巳農商務大臣が、商務局と工務局の統合を打ち出す。
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国沢 新兵衛(くにさわ しんべえ、旧字体:國澤 新兵衞、18… 国沢 新兵衛(くにさわ しんべえ、旧字体:國澤 新兵衞、1864年12月21日(元治元年11月23日) - 1953年(昭和28年)11月26日)は、日本の鉄道官僚、実業家、政治家。工学博士(1915年(大正4年))。南満洲鉄道理事長、衆議院議員、日本通運初代社長。兄は洋画家の国沢新九郎。 土佐藩士・国沢四郎右衛門好古の子として江戸に生まれる。青木槐三の聞き取りでは、1879年(明治12年)に高知県から船で上京したという。美會神学校(後の青山学院)を経て、帝国大学工科大学土木学科に進む。在学中より日本鉄道(東北本線)の黒磯駅 - 白河駅建設に関与した。1889年(明治22年)帝国大学卒業後は鉄道技師として九州鉄道に入社し、長崎本線の佐賀駅付近の建設に従事した。
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横河 民輔(よこがわ たみすけ、1864年10月28日(元治… 横河 民輔(よこがわ たみすけ、1864年10月28日(元治元年9月28日) - 1945年(昭和20年)6月26日)は、明治・大正・昭和期の建築家・実業家。横河グループ創業者。日本の鉄骨建築の先駆者。アメリカの雑誌で鉄骨構造を知る。 播磨国加古郡東二見村(現・兵庫県明石市二見町東二見)で、蘭方医・横河安鼎の四男として生まれる。 帝国大学工科大学造家学科で建築学を学ぶ。1889年(明治22年)7月に卒業。卒業同期には葛西万司、宗兵蔵らがいる。卒業設計では東京の町屋を取り上げ、論文で町屋の生活改善と建物の耐震耐火性の向上をテーマとした。その後、下町の二階建ての土蔵造や煉瓦造をどうしたら簡便に耐震化できるかを考え、1891年に著書『地震』を刊行した。
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岡崎 正也(おかざき まさや、前名・源之助、1864年9月2… 岡崎 正也(おかざき まさや、前名・源之助、1864年9月25日〈元治元年8月25日〉 - 1942年〈昭和17年〉2月19日)は、明治時代から昭和初期の日本の弁護士、会社役員、資産家。族籍は三重県平民。 三重県河芸郡一身田村字上津部田(現・津市)出身。岡崎源十郎の長男。生家は代々農業を営む。1878年、新潟英語学校に入り、在学2年で4ヶ年の課程を終え学業が大に進む。1881年、大学予備門に入り、その後病気のため2年休学する。1883年、家督を相続し、前名・源之助を改める。 1886年、大学予備門の課程を終え1887年、高等中学法科を卒業する。1890年、帝国大学法科大学を卒業、法学士の称号を受く。
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添田 壽一(そえだ じゅいち、元治元年8月15日(1864年… 添田 壽一(そえだ じゅいち、元治元年8月15日(1864年9月15日) - 昭和4年(1929年)7月4日)は、明治・大正期の財政家(大蔵官僚)・銀行家・実業家・経済学者・官庁エコノミスト。法学博士(1899年)。貴族院議員。筑前(現在の福岡県)の出身。日本法律学校(現日本大学)の設立に加わった。 近代日本における財政確立の功労者の一人であるとともに、経済学の教育・普及に尽力した「官庁エコノミスト」の先駆け的人物として知られている。 1864年、筑前国遠賀郡広渡村(現・福岡県遠賀郡遠賀町)の職人・添田新三郎の三男として生まれる。出生当時は添田家は相当の資産家であったが、父新三郎が私欲が無く慈善を好んだため資産を使い果たし、家族と共に7歳から諸国を流浪することとなる。
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尾崎 麟太郎(おざき りんたろう、1864年9月11日(元治… 尾崎 麟太郎(おざき りんたろう、1864年9月11日(元治元年8月11日)- 1917年(大正6年)3月25日)は、明治から大正期の実業家、政治家、華族。従四位勲四等。貴族院男爵議員。 土佐藩士・尾崎忠治の長男として生まれる。父の死去に伴い、1905年(明治38年)10月、家督を継承し、同年11月6日、男爵を襲爵した。 東京帝国大学法科大学を修了。1883年(明治16年)前橋始審裁判所書記に就任。ほどなく退官して、日本銀行文書局書記、同検査役、都銀行取締役などを務めた。1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、死去するまで在任した。 1917年3月、神奈川県鎌倉郡鎌倉町長谷の私邸で療養中に死去した。
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本田 親済(親濟、ほんだ ちかなり、1864年7月13日(元… 本田 親済(親濟、ほんだ ちかなり、1864年7月13日(元治元年6月10日)- 1922年(大正11年)1月14日)は、明治から大正期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。幼名・大吉。位階は正四位。勲等は勲四等。 薩摩藩士・本田親雄の二男として生まれる。1898年(明治31年)12月、親済と改名。父の死去に伴い、1909年(明治42年)3月25日、男爵を襲爵した。 札幌農学校、帝国大学法科大学を修了。イギリスに留学して、1890年(明治23年)英国ニューポート大学を卒業。 帰国後、食塩 (株) 社員、駅逓 (株) 社員、芝銀行取締役、鴻池銀行東京支店副長、宮内省式部官、逓信大臣秘書官代理などを務めた。
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石本 鏆太郎(いしもと かんたろう、1864年5月9日(元治… 石本 鏆太郎(いしもと かんたろう、1864年5月9日(元治元年4月4日) - 1933年(昭和8年)12月30日)は、大正から昭和時代初期の政治家、実業家。衆議院議員。大連市長。台湾から関東州へアヘン専売制を持ち込み巨万の富を築き大連のアヘン王と呼ばれた。 土佐国長岡郡八幡村(高知県長岡郡岡豊村八幡を経て、現在の南国市)に生まれる。東京大学予備門に学ぶ。渡清し、上海でフランス語、中国語を学ぶ。北京にも留学した。西郷隆盛大使附通訳官を経て、日清、日露両戦役に陸軍通訳として従軍する。ついで台湾総督府専売局翻訳官、関東州民政署満州利源調査委員、関東都督府事務嘱託を経て、大連市長に就任する。ほか、大連高等女学校や奉天日々新聞を経営する傍ら、アヘン製造販売業に従事し巨万の富を得た。
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大槻 龍治(おおつき りゅうじ、1863年12月27日(文久… 大槻 龍治(おおつき りゅうじ、1863年12月27日(文久3年11月17日) - 1927年(昭和2年)6月25日)は、日本の官僚、鉄道実業家である。陸軍中将の白石通則は義理の兄弟。 宮城県出身。仙台藩士の大槻武治の次男だったが、兄の大槻栄行の養子となり家督を継ぐ。1890年に帝国大学法科を卒業した後に農商務省に入省し、1902年には参事官に任じられた。神奈川、京都、鳥取の各参事官、大蔵省主税官、長崎税関長などを歴任し、1905年に大阪税関長に就任し、1913年6月に熊本税務監督局長に就任した。 1915年から1927年までに大阪電気軌道社長を務め、債務の整理を行い、建設費の高騰で苦しんでいた大軌を再建した。
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白仁 武(しらに たけし、1863年12月1日(文久3年10… 白仁 武(しらに たけし、1863年12月1日(文久3年10月21日)- 1941年(昭和16年)4月20日)は、日本の内務官僚・実業家。官選栃木県知事、日本郵船社長、八幡製鉄所長官。 柳河藩主立花家家従・白仁成功の長男として生まれる。1883年(明治16年)家督を相続。柳河中学、共立学校、大学予備門を経て、1890年(明治23年)7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年7月、内務省に入り内務試補として会計局に配属された。 1890年11月、県治局勤務となる。以後、内務省参事官、北海道庁参事官・内務部郡治課長、同部地理課長、文部書記官、拓殖務書記官、内務事務官、内務書記官・大臣官房北海道課長、内務省神社局長兼総務局北海道課長などを歴任。
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上郎 清助(こうろ / こうろう せいすけ、旧姓・吉田、18… 上郎 清助(こうろ / こうろう せいすけ、旧姓・吉田、1863年11月17日〈文久3年10月7日〉 - 1938年〈昭和13年〉2月18日)は、日本の実業家、政治家、資産家、神奈川県多額納税者。 貴族院議員、神奈川県会議長、横浜市会議員。横浜中央銀行、上信銀行各頭取。横浜信託社長。族籍は神奈川県平民。 武蔵国橘樹郡大豆戸村(現・横浜市港北区大豆戸町)出身。吉田三郎兵衛の弟で、磯野庸幸、上郎新二の兄。生家の吉田家は屋号を「堀上(ほりあげ)」といい、天保年間より醤油の醸造をしていた。1893年、上郎幸八の女婿となる。1905年、分家して一家を創立する。 東京大学予備門を経て、1890年、帝国大学法科大学政治学科を卒業した。
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早川 千吉郎(はやかわ せんきちろう、文久3年6月21日(1… 早川 千吉郎(はやかわ せんきちろう、文久3年6月21日(1863年8月5日) - 大正11年(1922年)10月14日)は、明治、大正期の官僚、実業家、政治家。三井財閥の幹部の一人。 石川県金沢市出身。明治20年(1887年)、東京帝国大学法科大学政治学科卒業。明治22年(1889年)、同大学院農政学研究科修了。明治23年(1890年)1月、大蔵省入省。明治32年(1899年)日本銀行監理官。明治33年(1900年)辞職。 明治34年(1901年)、三井銀行専務理事。明治42年(1909年)三井銀行常務取締役。大正7年(1918年)、三井合名会社副理事長。1920年(大正9年)6月2日、貴族院勅選議員に任じられ、死去するまで在任した。
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竹村 欽次郎(たけむら きんじろう、1863年3月1日(文久… 竹村 欽次郎(たけむら きんじろう、1863年3月1日(文久3年1月12日)- 1932年(昭和7年)4月16日)は、明治から昭和初期の大蔵官僚、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・古瀬。 出羽国最上郡、のちの山形県最上郡新庄町(現新庄市)で、素封家、新庄藩士・古瀬鉄之助の第五子として生れ、同藩士・竹村勝行の養子となる。1888年(明治21年)7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業した。 1888年11月24日、大蔵省試補に任官し出納局に配属。出納局配賦課事務取扱、大蔵主計官、預金局勤務、兼預金局収支課長、理財局国庫課長、青森県収税長、岡山県収税長、新潟税関長、司税官、新潟県税務管理局長、大蔵主計官などを歴任し、1898年(明治31年)10月27日に退官した。
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荘 清次郎(しょう せいじろう、1862年2月18日(文久2… 荘 清次郎(しょう せいじろう、1862年2月18日(文久2年1月20日) - 1926年(昭和元年)12月25日)は、日本の実業家。三菱合資会社専務理事。族籍は東京府士族。 肥前大村藩士・荘新右衛門の長男。若年にして東京に出て、一ッ橋英語学校に学び、後大学予備門に入る。1885年、東京大学卒業、法学士の称号を得る。1886年、米国に渡航し、エール大学に入り、1887年にマスター・オブ・ローの学位を受く。米国諸州を巡遊する。欧州に渡り実業を視察して帰朝、直に三菱会社に入る。 1892年、大阪に第百十九国立銀行の支店を設置されるとその支配人に挙げられ、1895年、三菱会社の神戸支店設置と共にその支店長に転じ、1900年、同社庶務部長となる。
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中橋 徳五郎(なかはし とくごろう、旧字体: 中橋 德五郞、… 中橋 徳五郎(なかはし とくごろう、旧字体: 中橋 德五郞、1861年10月13日〈文久元年9月10日〉- 1934年〈昭和9年〉3月25日)は、日本の政治家、実業家、官僚。大阪商船社長、衆議院議員、内務大臣、商工大臣、文部大臣を歴任。政友会。旧姓は斎藤。号は狸庵。加賀国(石川県)生まれ。 文久元年9月10日(1861年10月13日)、加賀国金沢(現在の石川県金沢市)に加賀藩士斎藤宗一・キン夫妻の五男として生まれる。 1882年(明治15年)、東京大学英法科を卒業後、1886年(明治19年)に東京帝国大学法学部選科を卒業する。大学院では商法を専攻する。 1886年(明治19年)、中橋徳五郎は判事試補となり、横浜陪審裁判所詰となる。
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日下部 辨二郎(弁二郎、くさかべ べんじろう、文久元年2月3… 日下部 辨二郎(弁二郎、くさかべ べんじろう、文久元年2月30日(1861年4月9日) - 1934年(昭和9年)1月22日)は、明治から昭和時代の土木技師、実業家。旧姓は巌谷。 書家・巖谷一六の次男として近江国甲賀郡水口村(現・滋賀県甲賀市水口町水口)に生まれる。1882年(明治15年)日下部鳴鶴の養子となり、1902年(明治35年)家督を相続する。 1868年(明治元年)京都に出て、富岡鉄斎や神山鳳陽に学び、翌年の1869年(明治2年)上京し、育英義塾にて英語を学ぶ。1874年(明治7年)開成学校に入り、1880年(明治13年)東京大学理学部を卒業し、理学士の称号を得る。のち1901年(明治34年)工学博士。
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水之江 文二郎(みずのえ ぶんじろう、1860年11月29日… 水之江 文二郎(みずのえ ぶんじろう、1860年11月29日(万延元年10月17日)- 1929年(昭和4年)2月11日)は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、大分県会議長、大分県宇佐郡封戸村長。旧姓・鶴田、号・孤峰。 豊前国宇佐郡、のちの大分県宇佐郡和間村鶴田新田(長洲町を経て現宇佐市)で、鶴田文左衛門(文左ヱ門)の二男として生まれる。漢学、詩学、歌道を修める。上京して独逸学校で独逸学、数学を学び、1882年(明治15年)東京大学医学部に入学したが病のため退学し、書法を研究した後に帰郷した。 1886年(明治19年)8月、宇佐郡封戸村水崎(現豊後高田市)の素封家で父の異母兄・水之江浩の養嗣子となった。
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山田 直矢(やまだ なおや、1860年4月1日(万延元年3月… 山田 直矢(やまだ なおや、1860年4月1日(万延元年3月11日) - 1939年(昭和14年)1月9日)は、明治から昭和初期にかけての日本の鉱山学者、実業家。大久保利世の孫、大久保利通の甥。 薩摩藩士の山田有庸とスマ(大久保利世三女)の次男として鹿児島城下で生まれる。 1874年に上京し、伯父の大久保利通宅に寄宿。東京英語学校に入学する。1877年に大学予備門、1885年に旧東京大学を卒業し、理学士を授与される。 1886年、正八位となる。翌年依願免官後、ドイツへ留学。1889年の帰国後、大島高任の娘である大島ヒサと結婚。 1894年に帝国大学工科教授に就任。1897年、三井鉱山(現・日本コークス工業)に入社し、同年5月に分家する。
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野村 龍太郎(のむら りゅうたろう、1859年2月27日(安… 野村 龍太郎(のむら りゅうたろう、1859年2月27日(安政6年1月25日) - 1943年(昭和18年)9月18日)は、大正・昭和期の土木技術者・鉄道官僚・実業家。 安政6年に大垣藩士野村藤陰の長男として大垣にて出生。明治5年(1872年)に上京し慶應義塾、東京外国語学校・東京英語学校・東京開成学校(これら3校はともに一高の前身)を経て、1881年(明治14年)7月、東京大学理学部土木工学科卒業。同年、東京府勤務となる。1891年(明治24年)、鉄道庁技師に転じる。1899年(明治32年)3月工学博士となる。1913年(大正2年)5月、鉄道院副総裁に就任。1914年(大正3年)4月7日、錦鶏間祗候に任じられる。
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鷲田 土三郎(わしだ つちさぶろう、1858年11月19日(… 鷲田 土三郎(わしだ つちさぶろう、1858年11月19日(安政5年10月14日)- 1929年(昭和4年)10月27日)は、明治から昭和初期の薬剤師、実業家、政治家。衆議院議員、福井県会議長。 越前国足羽郡福井木田中町(福井県足羽郡福井木田中町、福井市木田中町を経て現:福井市西木田3丁目)で、茶商、薬種業・鷲田杏菀の長男として生まれた。1871年12月2日(明治4年10月20日)に家督を相続した。1881年(明治14年)東京大学医学部製薬学科を卒業した。 1882年(明治15年)福井県医学校教諭に就任。福井市豊(みのり)学区会議員、福井市会議員、同参事会員を務めた。1897年(明治30年)9月、福井県会議員に選出され、1903年(明治36年)9月まで2期在任し、第16代県会議長(1899年10月-1903年9月)も務めた。
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磯野 計(いその はかる、1858年9月〈安政5年8月〉 -… 磯野 計(いその はかる、1858年9月〈安政5年8月〉 - 1897年〈明治30年〉12月14日)は、日本の明治期の実業家。明治屋を創業した。 安政5年8月(1858年9月)、美作国津山(現在の岡山県津山市)で、父の津山藩士・磯野湊と母・常の次男として生まれる。磯野家と母の実家の太田家は、ともに藩内で最上格の御譜代(明治維新時は35家)に含まれていた。幼少期は四書五経を学び、明治元年(1868年)に10歳で神戸に出て、箕作麟祥の塾で英学を学んだ。翌明治2年(1869年)3月に麟祥が上京したため、計は津山に戻っている。 津山で数ヶ月間過ごした後、藩の留学生として上京すると箕作秋坪の三汊学舎に入塾して英語を学び、秋坪の助手的な役割を務めるようになった。
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白石 直治(しらいし なおじ、安政4年10月29日(1857… 白石 直治(しらいし なおじ、安政4年10月29日(1857年12月15日) - 1919年(大正8年)2月17日)は、明治から大正時代の土木技術者、土木工学者、東京帝国大学教授、衆議院議員、実業家。旧姓は久家。 土佐藩儒で漢学者の久家種平(忘斎)、峰の長男として土佐国長岡郡十市村(現・高知県南国市十市)に生まれ、1874年(明治7年)白石栄の養嗣子となる。13歳の時、土佐藩校・致道館に学ぶ。母の弟・中島信行の影響により勤王論に刺激され、長州に走ったこともあったが、維新後上京し後藤象二郎家に寄寓する。 1881年(明治14年)東京帝国大学工科大学土木学科卒業。農商務省を経て、東京府勤務となる。1882年(明治15年)竹内綱の二女・菊と結婚。
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仙石 貢(せんごく みつぎ/せんごく みつぐ、1857年7月… 仙石 貢(せんごく みつぎ/せんごく みつぐ、1857年7月22日〈安政4年6月2日〉- 1931年〈昭和6年〉10月30日)は、日本の鉄道官僚、実業家、政治家。工学博士。 没後勲一等旭日大綬章追贈(昭和6年10月30日付)。 土佐国高知出身。1872年(明治5年)、高知藩病院附属吸江学校に入学し、英語を学ぶ。1878年(明治11年)7月、東京大学理学部土木工学科卒業。同年9月、東京府土木掛。1884年(明治17年)、工部省鉄道局勤務、日本鉄道、甲武鉄道工事を担当した。1891年(明治24年)8月、工学博士学位を取得している。 1896年(明治29年)10月、逓信省鉄道技監を最後に退官し、実業界に転じ筑豊鉄道社長となる。
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鶴原 定吉(つるはら さだきち、1857年1月10日(安政3… 鶴原 定吉(つるはら さだきち、1857年1月10日(安政3年12月15日) - 1914年(大正3年)12月2日)は、日本の官僚、実業家、政治家。第2代大阪市長。韓国統監府初代総務長官。衆議院議員。
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根岸 錬次郎(ねぎし れんじろう、1856年8月17日(安政… 根岸 錬次郎(ねぎし れんじろう、1856年8月17日(安政3年7月17日) - 没年不詳)は、明治時代の事業家。 1856年、東京府士族根岸勝平の次男として生誕。1880年に家督を相続。東京帝国大学予備門卒業。 千代田鋳工、東京缶詰、東神火災保険、日仏シトロエン自動車で社長、日本商船基隆支店助役、日本郵船ロンドン支店助役などを経て、日本郵船、揖斐川電気の重役。 1918年(大正7年)に東京動産火災保険の発起人・社長となる(翌年には反町茂作が社長に就任)。
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河上 謹一(かわかみ きんいち、安政3年3月23日(1856… 河上 謹一(かわかみ きんいち、安政3年3月23日(1856年4月27日) - 1945年(昭和20年)7月31日)は、戦前日本の外交官、実業家。岩国藩出身。東京大学法科大学第一期卒生。農商務省・文部省書記、東京商業学校校長、上海総領事、アメリカ合衆国領事、外務省通商局長、日本銀行理事、住友本店理事、南満洲鉄道監事。 安政3年(1856年)3月23日岩国藩士河上毅の長男として生まれた。慶応元年(1865年)藩校養老館に入学、後に敬義社で東沢瀉にも学んだ。明治3年(1870年)10月藩唯一の貢進生に抜擢され、東京に出て大学南校に入学、1878年(明治11年)6月東京大学法科大学を卒業し、日本初の法学士となった。
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