小佐々 学(こざさ まなぶ、本名: 小佐々 學、1940年 … 小佐々 学(こざさ まなぶ、本名: 小佐々 學、1940年 - )は、日本の獣医師、獣医学博士、獣医学者、歴史研究者。天正遣欧少年使節「中浦ジュリアン」子孫。 東京都渋谷区出身、東京大学大学院(獣医学専攻)修了後、米国、欧州、日本の動物用医薬品業界で研究開発・研究管理部門を担当。また、国立と私立の獣医大学で獣医史学を教授して獣医史学の教科書を執筆。日本獣医史学会理事長(2010 - 2020)として獣医史学教育の確立普及と学会の発展向上に寄与。天正遣欧少年使節「中浦ジュリアン」叔父の中浦城主小佐々兵部少輔純祐の十四代目直系子孫。 日本獣医史学会前理事長・顧問兼名誉会員、日仏獣医学会監事、日本獣医病理学専門家協会終身会員、中浦ジュリアン研究会代表、日本家系図学会常務理事、長崎崎県人クラブ理事、長崎県西海市観光大使、宇田源氏小佐々氏会会長、日本ルネサンス音楽普及協会名誉会員、大村史談会名誉会員、イタリア国リミニ市名誉市民、スペイン国ムルシア市名誉市民。
今井 澄(いまい きよし、1939年11月17日 - 200… 今井 澄(いまい きよし、1939年11月17日 - 2002年9月1日)は、日本の学生運動家・医師・政治家・参議院議員(2期)。 旧・満洲国のハルビン市で生まれ、4歳の時に帰国して千葉県に住む。医師である父の転勤に伴い、小学3年から高校までは静岡県在住。 静岡県立沼津東高等学校を経て1958年東京大学に進学。60年安保闘争への関与から医学部進級試験に不合格・退学処分を受けるが翌年復学して進級。1962年の大学管理法反対闘争では自治会中央委員会議長として闘争を指揮したため再度の退学処分となる。このときともに退学処分となった1人に江田五月がいた。後に2度目の復学。この時期は共産同ML派の幹部であった。
小堀 鴎一郎(こぼり おういちろう、1938年2月5日 - … 小堀 鴎一郎(こぼり おういちろう、1938年2月5日 - )は、日本の医師。医学博士(東京大学、1971年)。父は小堀四郎、母は小堀杏奴、母方の祖父は森鷗外、母方の祖母は森志げ。岳父は嘉治隆一。先祖に小堀遠州がいる。長女麻子、長男鉄郎、次男陸郎 1938年、東京府に生まれる。成城学園初等学校、成城学園中学校、國學院大學久我山高校、城北高校を経て、1956年に東京都立戸山高等学校を卒業。1965年、東京大学医学部医学科卒業。1971年、「胃癌の粘液、及び酵素に関する組織化学的研究」で東京大学より医学博士の学位を取得。 外科医として食道癌を専門とし、東京大学医学部附属病院第一外科や国立国際医療研究センターに約40年間勤務した。
後藤田 圭博(ごとうだ よしひろ、1938年〈昭和13年〉 … 後藤田 圭博(ごとうだ よしひろ、1938年〈昭和13年〉 - 2009年〈平成21年〉4月9日)は、日本の医師。 医療法人社団東山会理事長を務めた。 内務官僚出身で警察庁長官や官房長官などを歴任した後藤田正晴は叔父、次男は徳島県知事・元衆議院議員の後藤田正純で、正純の妻は女優の水野真紀である。 1938年(昭和13年)、医師・医学博士で東山村長・徳島県議会議員を歴任した後藤田耕平の子として現在の徳島県吉野川市に生まれる。 1963年(昭和38年)、東京大学医学部を卒業した。1964年(昭和39年)、医師免許取得。1965年(昭和40年)、癌研究所入所(消化器外科)。1970年(昭和45年)、東京大学病院文部教官助手。
養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )… 養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )は、日本の医師、医学者、解剖学者。東京大学名誉教授。医学博士。ニュース時事能力検定協会名誉会長。神奈川県鎌倉市出身。 2003年に出版された『バカの壁』は450万部を記録し、第二次世界大戦後の日本における歴代ベストセラー5位となった。 1937年(昭和12年)、小児科医の養老静江(1899〜1995年)と養老文雄(三菱商事勤務)の次男として神奈川県鎌倉市で生まれる。4歳の時に父親を結核で亡くし、その後は鎌倉で小児科「大塚医院」を営む母・静江の腕一つで育てられる。 私立ハリス幼稚園(鎌倉市)を卒園し、鎌倉市立御成小学校、栄光学園中学校・高等学校、東京大学医学部を卒業後、東京大学医学部附属病院での1年間のインターン(研修医)を務める。
佐々木 康人(ささき やすひと、1937年4月2日 - )は… 佐々木 康人(ささき やすひと、1937年4月2日 - )は、日本の医師、医学者。学位は医学博士(東京大学、1968年)。専門は放射線医学、核医学、保健物理学。国際連合によって設置された原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の議長(2004年-2005年)、日本代表(1997年-2006年)を務めた。in vitroおよびin vivoの核医学、分子イメージング領域における研究、とくに炭素同位体の医学応用で知られる。2007年瑞宝重光章受章。 東邦大学医学部教授、群馬大学医学部教授、東京大学医学部教授、放射線医学総合研究所理事長などを歴任した。また、国際放射線防護委員会(ICRP)の主委員会委員(2001年-2009年)、第三委員会委員(1993年-2001年)、日本核医学会理事長、放射線影響協会理事長なども務めた。
諏訪 邦夫(すわ くにお、1937年3月12日- )は、日本… 諏訪 邦夫(すわ くにお、1937年3月12日- )は、日本の医師、医学者、医事評論家、麻酔科医。 専門は麻酔科学、呼吸管理と血液ガスの問題、呼吸と循環のシミュレーションなど。 90年代にパソコンの使い方についての実用書を著し『パソコンをどう使うか』(中公新書、1995)はベストセラーになった。ほかに医事評論も書く。 東京生まれ。東京大学医学部卒業、1967年医学博士。マサチュ-セッツ総合病院レジデント、ハーバード大学助手、カリフォルニア大学助教授、東京大学助教授をへて、1997年帝京大学教授、2005年帝京短期大学教授(臨床工学主任)。 昭和天皇が1987年に腹部手術を受けた際の麻酔を当時の東京大学麻酔科教授、沼田克雄と共に担当した。
藤正 巖(ふじまさ いわお、1937年 - )は、日本の医師… 藤正 巖(ふじまさ いわお、1937年 - )は、日本の医師、医学者、医学博士。東京大学名誉教授、政策研究大学院大学名誉教授。専門は医用生体工学、社会構造学、医療政策、人間生物学。 1964年に東京大学医学部医学科卒業後、1965年に東京大学医学部電子研究施設助手となる。1975年に助教授となった後に、1986年に東京大学先端科学技術研究センターへ移籍する。1988年に同センター教授に昇格し、医学部教授を併任した。1996年に埼玉大学大学院政策科学研究科教授となり、翌年に創設された政策研究大学院大学教授に就任した。2005年に定年後は、同大学のリサーチフェローを経て、アカデミックフェロー・客員教授を務めた。
飯野 四郎(いいの しろう、1936年7月18日 - 200… 飯野 四郎(いいの しろう、1936年7月18日 - 2008年9月2日)は、日本の医学者、医師。医学博士。専門は、肝臓病学。日本「ウイルス性肝炎治療の父」と呼ばれる。 福岡県出身。1964年東京大学医学部卒業。1992年聖マリアンナ医科大学教授。インターフェロン治療の先駆者で、長く勤務した東京都杉並区の清川病院玄関の「インターフェロン治療発祥の地」の碑が立つ。 2002年に提起された薬害C型肝炎訴訟で原告側を支援し、結果、国と製薬会社の責任を認めた大阪地裁判決となった。2008年、膵臓癌のため72歳で死去。
瀬川 昌也(せがわ まさや、1936年6月4日 - 2014… 瀬川 昌也(せがわ まさや、1936年6月4日 - 2014年12月14日)は、日本の医学者、小児科医、医学博士、専門は小児神経学。1972年に報告した「著明な日内変動を呈する遺伝性ジストニア(Hereditary progressive dystonia with marked diurnal fluctuation=HPD)」「dopa responsive dystonia 5 =DRD5」には、瀬川病(Segawa Disease)の名前がつけられている。瀬川小児神経学クリニック(現:瀬川記念小児神経学クリニック)院長、獨協医科大学特任教授、日本小児神経学会理事、日本睡眠科学研究所顧問、などを務めた。
久保 武士(くぼ たけし、1936年4月10日 - 202… 久保 武士(くぼ たけし、1936年4月10日 - 2025年11月22日[要出典])は、日本の医学者・産婦人科医。筑波大学名誉教授。 専門は産婦人科学。医学博士(東京大学・1968年)。 東京大学附属病院助手・筑波大学臨床医学系産婦人科教授・筑波大学臨床医学系長・龍ケ崎済生会病院初代院長を歴任した。 香川県善通寺市生まれ。善通寺第一高校卒業。 専門は産婦人科学であり、周産期医学、産婦人科ME、新生児・産婦人科疫学、計量診断学などの研究に従事。筑波大学教授として産科医療に従事する他、茨城県周産期医療体制の構築にあたり、母胎搬送等の基準の作成や運用に関する中心的役割を果たした。 1992年から2000年まで日本産婦人科学会茨城地方部会会長を務め茨城県の産科学、婦人科学の進歩・発展に寄与。
帯津 良一(おびつ りょういち、1936年2月17日 - )… 帯津 良一(おびつ りょういち、1936年2月17日 - )は、日本の医師、著述家、帯津三敬病院名誉院長。 埼玉県川越市生まれ。東京都立小石川高等学校を経て、1961年に東京大学医学部医学科を卒業。医学博士。東京大学医学部第三外科、東京都立駒込病院外科医長などを経て、1982年、埼玉県川越市に帯津三敬病院を設立。西洋医学に中国医学や代替療法を取り入れ、医療の東西融合という新機軸を基に、がん患者などの治療に当たる。人間をまるごと捉えるホリスティック医学の第一人者として、日本ホリスティック医学協会会長・現名誉会長、日本ホメオパシー医学会理事長、国際生命情報科学会(ISLIS)会長、その他数多くの団体の役職なども務める。
福島 章(ふくしま あきら、1936年1月29日 - 202… 福島 章(ふくしま あきら、1936年1月29日 - 2022年8月1日)は、日本の医学者・精神科医。専門は、犯罪精神医学・病跡学。上智大学名誉教授。 1936年、東京生まれ。東京都立大学附属高等学校を卒業。東京大学医学部を卒業し、同大学大学院医学系研究科精神医学専攻に進んだ。1968年、博士課程を修了し、学位論文『窃盗累犯の精神医学的研究 意志欠如精神病質者の犯罪学および性格学への一寄与』で医学博士の学位を取得。 卒業後は府中刑務所医師として勤務した。後に東京医科歯科大学助教授、上智大学文学部教授となった。2001年に上智大学を定年退任し、名誉教授となった。学界では、日本病跡学会名誉会長をつとめた。
稲村 博(いなむら ひろし、1935年9月2日 - 1996… 稲村 博(いなむら ひろし、1935年9月2日 - 1996年5月14日)は、日本の医学者・精神科医。 徳島県生まれ。東京大学医学部卒、同医学科大学院修了。1973年「犯罪性精神障害者の精神医学的研究」で医学博士。 東京医科歯科大学医学部助手や筑波大学社会医学系助教授などを経て、1994年に一橋大学保健センター所長・教授となるが、翌々年の1996年に逝去。ちなみに、後任の保健センター所長となった湊博昭も在任中に逝去した。
柳澤 信夫(やなぎさわ のぶお、1935年6月22日 - )… 柳澤 信夫(やなぎさわ のぶお、1935年6月22日 - )は日本の医学者、医師、医学博士。信州大学名誉教授。東京工科大学名誉教授。専門は神経学。日本学術会議会員(第17期)。 東京府出身。1960年に東京大学医学部卒業後、同大学大学院を修了する。1965年に東京大学医学部附属病院神経内科の助手となる。同年3月、東京大学医学博士。論文の題は 「Thalamic influences on the gamma motor system(視床外腹側核刺激のガンマ運動系に及ぼす影響)」。1969年にハーバード大学霊長類研究所生理学部門へ留学する。その後、1980年に信州大学教授となり、1993年に信州大学医学部附属病院院長に就任する。
広田 伊蘇夫(ひろた いそお、1935年(昭和10年)2月2… 広田 伊蘇夫(ひろた いそお、1935年(昭和10年)2月2日 - 2011年(平成23年)9月18日)は、日本の精神科医。 富山県魚津市出身。1961年(昭和36年)東京大学医学部卒、同精神科入局。1964年(昭和39年)東京都立松沢病院勤務。1980年(昭和55年)三枚橋病院勤務、のち理事。病院地域精神医学会理事長。同愛記念病院勤務。国連非政府組織 (NGO) 国際医療職専門委員会日本代表。イギリス王立精神医学会選出会員。患者の権利のために戦い宇都宮病院事件でも活躍した。
内沼 幸雄(うちぬま ゆきお、1935年(昭和10年) - … 内沼 幸雄(うちぬま ゆきお、1935年(昭和10年) - )は、日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。帝京大学名誉教授。医学博士。
矢田 純一(やた じゅんいち、1934年11月10日 - )… 矢田 純一(やた じゅんいち、1934年11月10日 - )は、日本の医師・医学者、東京医科歯科大学名誉教授。免疫学・小児科学が専門。 東京市葛飾区出身。東京大学医学部卒、1964年同大学院博士課程修了、医学博士。東大医学部小児科助手、1971年東邦大学小児科講師となり、1973年助教授、1976年教授をへて、1978年東京医科歯科大学教授。1999年定年退官、名誉教授、実践女子大学生活科学部教授。2005年退職。
風祭 元(かざまつり はじめ、1934年3月31日 - 20… 風祭 元(かざまつり はじめ、1934年3月31日 - 2017年8月24日)は、日本の医学者、精神科医。帝京大学名誉教授。
石橋 康正(いしばし やすまさ、1934年(昭和9年)2月2… 石橋 康正(いしばし やすまさ、1934年(昭和9年)2月24日 - )は、日本の皮膚科医。東京大学名誉教授。東京逓信病院名誉院長。 1934年、広島県豊田郡安芸津町(現東広島市)に生まれた。1952年広島県立呉三津田高等学校卒業。同年東京大学入学。1955年医学部医学科入学。1960年同卒業。同年生物系研究科大学院に入学。1964年東京大学医学博士。論文の題は「色素異常を中心とする癩性皮疹に於ける病理組織学的研究」。 1964年10月、東京大学付属看護学校講師。1965年茨城県立中央病院皮膚科医長。1966年、東京大学助手。同年11月、西ドイツ・ボン大学皮膚科(Prof. Reinbrock)留学。
古川 哲雄(ふるかわ てつお、1934年 - )は、日本の医… 古川 哲雄(ふるかわ てつお、1934年 - )は、日本の医師、医学者。専門は神経内科学。 1934年、兵庫県伊丹市に生まれる。滋賀県日野町立小、中学校卒、京都同志社高校卒。 1961年、東京大学医学部医学科を卒業する。1962年、東京大学医学部第3内科に入る。1967年、医学博士号を取得する。1968年、東京大学医学部脳研神経内科に入る。1969年から1971年、および1977年、ロサンゼルスのカリフォルニア大学に留学する。1975年から80年にかけて東京女子医科大学神経内科非常勤講師を併任していた。1978年、日本赤十字社医療センター神経内科部長となる。1980年から2002年まで、東京医科歯科大学医学部神経内科助教授、保健衛生学科教授を務める。
日暮 眞(ひぐらし まこと、1934年 - )は、日本の医師… 日暮 眞(ひぐらし まこと、1934年 - )は、日本の医師、医学者。学位は医学博士(東京大学)。東京大学名誉教授。瀬川記念小児神経学クリニック 非常勤医師。専門はダウン症候群、発達障害など。 東京大学医学部 保健学科 母子保健学 第3代主任教授、高崎健康福祉大学大学院 教授などを歴任した。 1959年東北大学医学部医学科卒業、トロント大学小児病院、杏林大学医学部、山梨医科大学 教授等を経て、1988年東京大学医学部 保健学科 母子保健学(現東京大学大学院医学系研究科 国際保健学専攻 国際生物医科学講座 発達医科学教室)第3代主任教授、1995年東京大学教授退官、東京大学 名誉教授。 東大退官後、東京家政大学家政学部 児童学科 教授、東京都母子保健サービスセンター 所長、高崎健康福祉大学大学院 健康福祉学研究科 教授などを務める。
平野 寛(ひらの ひろし、1934年 - 2016年) は、… 平野 寛(ひらの ひろし、1934年 - 2016年) は、日本の解剖学者、医師。杏林大学医学部教授や、日本解剖学会理事長、日本電子顕微鏡学会会長、日本学術会議会員などを務めた。 1959年東京大学医学部卒業。1965年関西医科大学医学部解剖学第1講座助手。1967年東京大学大学院博士課程修了、医学博士。1969年から2年半カリフォルニア大学サンディエゴ校に留学。関西医科大学医学部解剖学第1講座講師。関西医科大学医学部解剖学第1講座助教授を経て、杏林大学医学部解剖学第2講座初代教授に着任。1987年日本電子顕微鏡学会瀬藤賞受賞。1997年日本解剖学会理事長。1999年日本電子顕微鏡学会会長。2000年第18期日本学術会議会員。
吉松 和哉(よしまつ かずや、1934年 - )は、日本の医… 吉松 和哉(よしまつ かずや、1934年 - )は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。元信州大学医学部教授。元大正大学大学院教授。医学博士(東京大学・1966年)。
久保田 競(くぼた きそう、1932年6月19日 - 202… 久保田 競(くぼた きそう、1932年6月19日 - 2024年6月29日)は、日本の大脳生理学者、医学博士(東京大学、1964年)、京都大学名誉教授。 大阪市出身で、川島隆太や澤口俊之らを指導した。幼児教育者の久保田カヨ子は配偶者、久保田宣伝研究所創業者の久保田孝は父。2011年に瑞宝中綬章を受章する。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1932年2月5日 - 202… 鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1932年2月5日 - 2025年2月12日)は、日本の神経化学者、神経内科医。東京府出身。日本学士院会員。 先天性代謝異常のスフィンゴリピドーシスに関する研究で世界をリードした。クラベ病の病因酵素の異常を発見、疾患モデルマウスを作出した。東京大学医学部卒業。アルバート・アインシュタイン医科大学などを経て、ノースカロライナ大学チャペルヒル校神経科学センター名誉センター長・名誉教授。1990年フンボルト賞受賞。2002年日本学士院賞受賞。2008年日本学士院会員。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
尾形 悦郎(おがた えつろう、1932年(昭和7年)1月5日… 尾形 悦郎(おがた えつろう、1932年(昭和7年)1月5日 - 2009年(平成21年)11月1日)は医学者、医学博士。専門は内科学、内分泌学。 1956年東京大学医学部卒。同大内科助手を経て、1963年米国に留学。ヴァンダービルト大学、ウィスコンシン大学、ペンシルベニア大学を経て1967年帰国。1975年筑波大学臨床医学系内科教授。1979年より東京大学医学部第四内科教授を務め、1992年に退官し、同大名誉教授。1993年より癌研究会附属病院長、2002年に癌研究会附属病院名誉院長。2009年、悪性リンパ腫のため77歳で死去。 主な著作は以下のとおり。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
朝長 正徳(ともなが まさのり、1932年 - 1990年)… 朝長 正徳(ともなが まさのり、1932年 - 1990年)は、日本の医師。学位は医学博士。研究分野は神経内科学、人体病理学、実験病理学。 臨床の傍ら専門書の他、一般患者向けの書籍を発表している。 佐賀県生まれ。東京大学医学部医学科卒、同大博士課程修了。卒業後東京大学附属病院沖中内科にて研修を積む。その後ウィーン大学神経研究所に留学。その後東京都健康長寿医療センター臨床病理学部長室長を歴任。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
飯田 真(いいだ しん、1932年 - 2013年5月19日… 飯田 真(いいだ しん、1932年 - 2013年5月19日)は日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。飯田眞の字が用いられる場合もある。 1955年、東京大学医学部医学科卒業。1961年、同大学で医学博士号を所得。1963年から1966年、西ドイツのミュンスター大学病院神経科に留学。1975年に東京大学医学部講師となり、1983年から1997年まで新潟大学医学部で精神医学講座の教授を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
塩谷 信幸(しおや のぶゆき、1931年〈昭和6年〉12月1… 塩谷 信幸(しおや のぶゆき、1931年〈昭和6年〉12月14日 - 2025年〈令和7年〉7月17日)は、日本の医師。北里大学名誉教授。ニューヨーク州 オルバニー医科大学(Albany Medical College)/オルバニー病院(Albany Hospital、現Albany Medical Center)レジデント、東京大学医学部医員、横浜市立大学医学部講師などを経て、北里大学医学部教授、NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長、NPO法人創傷治癒センター理事長、医療法人社団ウェルエイジングDクリニック東京ウィメンズ(現クレアージュ東京 エイジングケアクリニック)名誉院長などを歴任した。
山内 一也(やまのうち かずや、1931年7月17日 - )… 山内 一也(やまのうち かずや、1931年7月17日 - )は、日本のウイルス学者、獣医師。農学博士。東京大学 名誉教授。専門は人獣共通感染症学、ウイルス学。 北里研究所所員、国立予防衛生研究所室長、東京大学医科学研究所教授、日本生物科学研究所主任研究員などを歴任。日本ウイルス学会名誉会員、ベルギー・リエージュ大学名誉博士。 国立予防衛生研究所室長などを経て東京大学医科学研究所教授。天然痘と牛疫という二大感染症の根絶に貢献。牛疫根絶計画では、国際獣疫事務局(OIE)学術顧問、国連食糧農業機関(FAO)顧問を務めた。また、2000年初頭の牛海綿状脳症問題(BSE問題)にからみ、食品安全委員会プリオン専門調査会の委員を務めた。
小山 昭夫(こやま あきお、1931年6月19日 - )は、… 小山 昭夫(こやま あきお、1931年6月19日 - )は、日本の精神科医、学校法人経営者。藍野グループ代表、学校法人東北文化学園大学元理事長。 長男は健康科学大学元理事長で学校法人藍野大学理事長の小山英夫。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岡田 靖雄(おかだ やすお、1931年3月28日- 2025… 岡田 靖雄(おかだ やすお、1931年3月28日- 2025年3月14日)は、日本の精神科医。 福島県生まれ。1955年東京大学医学部卒業、翌年医師となる。東京都立松沢病院、東京大学医学部、荒川生協病院に勤務した。青柿舎(精神科医療史資料室)運営。「ハンセン病問題検証会議」の委員も務めた。精神科医療史研究会世話人。日本医史学会名誉会員。 2025年3月14日、肺炎のため死去。93歳没。
島 成郎(しま しげお、1931年3月3日 - 2000年1… 島 成郎(しま しげお、1931年3月3日 - 2000年10月17日)は、日本の学生運動家、精神科医。1960年の安保闘争当時の全学連書記長。 東京都生まれ。1950年、東京大学教養学部入学と同時に日本共産党に入党。共産党の50年分裂で除名処分をうける。レッドパージ反対闘争に参画し、自治会副委員長として運動する。1951年、共産党に復党。1954年、東京大学医学部に進学。 1955年、全学連再建に精力的に活動し砂川基地反対闘争、原水爆禁止反対闘争に参画。1957年、共産党の東京都党委員に当選。第7回大会の代議員になるが生田浩二、佐伯秀光と共に党内フラクションを結成し「プロレタリア通信」を発信する。
高久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - )は… 高久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - )は、日本の医師。内科医。前自治医科大学学長。東京大学名誉教授。地域医療振興協会会長。医学博士。2004年から日本医学会第6代会長を務める。
石川 信義(いしかわ のぶよし、1930年〈昭和5年〉8月2… 石川 信義(いしかわ のぶよし、1930年〈昭和5年〉8月20日 - 2020年〈令和2年〉7月2日 )は、日本の精神科医。三枚橋病院創設者。 群馬県桐生市生まれ。旧制・群馬県立桐生中学校、海軍兵学校(78期)、旧制・第二高等学校を経て、1952年(昭和27年)に東京大学経済学部を卒業後、安田生命保険(現・明治安田生命保険)に入社。しかし、医者になるため数年で退社し東京大学医学部に入学。スキー山岳部に所属していた1961年(昭和36年)には、第5次南極地域観測隊に参加した。 1962年(昭和37年)に東京大学を卒業後、精神科医となり、東京大学医学部附属病院神経科、東京都立松沢病院に勤務。同病院には4年ほど勤務するが、このうち、1年間はライシャワー事件を起こした青年の主治医を務めた。
栗原 雅直(くりはら まさなお、1930年2月17日 - 2… 栗原 雅直(くりはら まさなお、1930年2月17日 - 2024年7月29日)は、日本の精神科医。 東京生まれ。東京大学医学部医学科卒業、東大病院精神神経科に入局。1960年東大大学院生物系研究科博士課程修了。医学博士。2年間のパリ大学留学後、東大病院医局長、1966年虎の門病院勤務。初代精神科部長。川端康成の主治医を務めた。1990年大蔵省診療所長。財務省診療所カウンセラー。。2019年4月ー2022年3月医療法人社団飛白会虎の門山下メンタルクリニック院長 。
大塚 恭男(おおつか やすお、1930年(昭和5年)1月29… 大塚 恭男(おおつか やすお、1930年(昭和5年)1月29日 – 2009年(平成21年)3月8日))は、日本の医師、医史学者。学位は医学博士(東京大学)。大塚敬節の長男。北里研究所東洋医学総合研究所第3代所長を務め、医史学、特に東西の薬史学に秀でた業績を残した。 1930年(昭和5年)1 月 29 日 高知県香美郡日章村田村に大塚敬節の長男として出生。父大塚敬節は漢方の勉学に駆り立てられて妻と生後間もない恭男を高知において上京し、湯本求真のもとで漢方の勉強をした。1年後の1931年(昭和6年)5月に大塚敬節が妻子を東京に呼び寄せ、牛込区船河原町に転居した。船河原町で育ち、地元の津久戸国民小学校に入学。
我妻 堯(我妻 尭、わがつま たかし、1930年1月9日 -… 我妻 堯(我妻 尭、わがつま たかし、1930年1月9日 - 2020年5月15日)は、日本の産婦人科医・法医学者。東京大学医学部助教授を経て、国立病院医療センター(現:国立国際医療研究センター)国際医療協力部の初代部長や、米沢有為会我妻榮記念館名誉館長を務めた。 我妻栄の次男として東京に生まれる。青春時代に敗戦を迎えたため、医学なら戦争に利用されないだろうと考え医師を志す。 1955年東京大学医学部卒業。1960年同大学院生物系研究科医学専門課程博士課程修了。「妊娠中毒症の腎クリアランスに関する研究、特に四型分類との関係について」で医学博士の学位を取得、東大医学部助手となる。1962年からロンドン大学、1964年から米国ジョンズ・ホプキンズ大学で学ぶ。
川勝 岳夫(かわかつ たけお、1930年 - )は、日本の医… 川勝 岳夫(かわかつ たけお、1930年 - )は、日本の医学者、小児科医。医学博士(東京大学、1963年)。長野県立こども病院名誉院長。富山県生まれ。 1930年、富山県生まれ。1955年、東京大学医学部卒業。1956年、東京大学医学部小児科教室入局。1963年、学位論文「小児における水分代謝の研究」にて、東京大学より医学博士の学位を受ける。1963年、信州大学医学部小児科講師。1966年、長野赤十字病院小児科部長。長野赤十字病院副院長を経て、1993年 - 1999年、長野県立こども病院初代院長を務める。長野県における新生児や乳幼児の医療の向上に尽力した。長野県立こども病院名誉院長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
鈴木 章夫(すずき あきお、1929年11月7日 - 201… 鈴木 章夫(すずき あきお、1929年11月7日 - 2010年10月28日)は、日本の医学者、医師。専門は心臓外科学。 冠動脈外科医であり、心臓のバイパス手術の権威。1995年から2008年まで東京医科歯科大学の学長を務めた。 週刊少年チャンピオン1977年10月31日発売45号に掲載された、手塚治虫連載のブラック・ジャック第188話「肩書き」に、J大学(順天堂大学)の鈴木教授なる人物が言及されている。鈴木本人は「彼が僕の記事をどこかで読んだんじゃないかな?」と述べている(手塚治虫は病気の為ブラック・ジャックを長期休載後第188話「肩書き」で連載再開しており充電期間中に構想を書き溜めたものが、第188話「肩書き」である。
小黒 八七郎(おぐろ やなお、1929年〈昭和4年〉7月24… 小黒 八七郎(おぐろ やなお、1929年〈昭和4年〉7月24日 - 1997年〈平成9年〉11月18日)は、日本の医師・内科学者・消化器病学者。学位は、医学博士(東京大学・1959年)。位階は従四位、勲三等瑞宝章受章。 新潟県三島郡寺泊町(現長岡市)出身。 祖父は医師で儒学者、父親はじめ兄弟も医師。 新潟県立新潟中学校を経て1945年海軍兵学校に入学。その後、1953年東京大学医学部に入学、首席で卒業。 日本に内視鏡治療を広めたパイオニア、内視鏡レーザー治療による胃癌治療の第一人者である。 『胃癌の内視鏡診断の確立』により田宮記念賞受賞。 母校の第一内科研究生・講師を経て、1962年から国立がんセンターの内科医長・内視鏡部長を歴任。
加賀 乙彦(かが おとひこ、1929年〈昭和4年〉4月22日… 加賀 乙彦(かが おとひこ、1929年〈昭和4年〉4月22日 - 2023年〈令和5年〉1月12日)は、日本の小説家、医学者(犯罪心理学)、精神科医。勲等は旭日中綬章。学位は医学博士(東京大学・1960年)。日本芸術院会員、文化功労者。本名は小木 貞孝(こぎ さだたか)で、本名でも著作がある。 東京大学医学部助手、東京大学医学部脳研究所助手、東京拘置所医務部技官、フランスのパリ大学サンタンヌ病院とサンヴナン病院の医師、東京大学医学部附属病院精神科助手、東京医科歯科大学医学部助教授、上智大学文学部教授などを歴任した。 東大を卒業してフランスに留学した後、『帰らざる夏』(1973年)で谷崎潤一郎賞を受賞。
小林 司(こばやし つかさ、1929年(昭和4年)3月21日… 小林 司(こばやし つかさ、1929年(昭和4年)3月21日 - 2010年(平成22年)9月27日)は、日本の精神科医、作家、翻訳家。 日本シャーロック・ホームズ・クラブ主宰。 青森県弘前市出身。1953年(昭和28年)、新潟大学医学部卒業。1959年(昭和34年)、東京大学大学院修了、医学博士。大宅壮一東京マスコミ塾第7期生。上智大学カウンセリング研究所教授を経てメンタル・ヘルス国際情報センター所長。 洋子夫人は東山あかねという筆名で、「二人で一人」と公言している位である。「シャーロック・ホームズ」関連の共著・訳を中心に数十冊刊行している。 小林は極めて闊達なエスペランティストとしても知られ、日本エスペラント学会の顧問でもあった。
安永 浩(やすなが ひろし、1929年 - 2011年)は、… 安永 浩(やすなが ひろし、1929年 - 2011年)は、日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。元東京大学医学部助教授。学位は、医学博士(東京大学・1960年)。東京生まれ。 統合失調症に関してファントム理論(詳細は後述)を著した。笠原嘉、中井久夫、木村敏、宮本忠雄らと共に、日本の精神病理学第2世代を代表する人物である。 統合失調症に関するワークショップの成果をまとめた『分裂病の精神病理』にも参加した(詳細は当該記事を参照)。日本精神病理学会所属。 1928年東京生まれ。1953年東京大学医学部卒業。 東京大学医学部助手、東京拘置所医務部、東京家庭裁判所医務室、東京都立松沢病院勤務。1962年東京大学医学部講師、東大分院神経科病棟医長。
伊東 貞三(いとう ていぞう、1929年 - 2025年9月… 伊東 貞三(いとう ていぞう、1929年 - 2025年9月19日)は、日本の医師。内科医。昭和天皇の侍医を務めた。小田原新幹線クリニック院長、小田原循環器病院医療顧問を経て、三宿病院循環器内科勤務。幕末・維新期の蘭方医・伊東玄朴の子孫にあたる。医学博士。 東京都出身。1947年、法政二中卒業。1955年、東京大学医学部卒業。1961年、同大学医学部生物系研究科修業、医学博士。1976年、UCLA留学。 1983年〜1989年、宮内庁に入り昭和天皇及び香淳皇后の侍医を務める。1989年〜2000年、皇太后宮(香淳皇后)侍医。 2001年、勲三等瑞宝章受章。 2000年〜2010年、小田原新幹線クリニック院長。
関口 豊三(せきぐち とよぞう、1929年 - 2012年)… 関口 豊三(せきぐち とよぞう、1929年 - 2012年)は、日本の医学者、医師。 東京帝国大学医学部卒業。東京大学医学部助教授(放射線生物研究室)、国立がんセンター研究所放射線生物研究室長、財団法人河野臨床医学研究所副所長を歴任。 主婦の友新書として出版された著書「幸子」がテレビドラマ化され、1966年2月18日の近鉄金曜劇場としてゴールデンタイム(20時~20時56分)にJNN系列で放送された。 1984年、「哺乳動物再構成細胞による遺伝子発現の新たな制御機構、細胞質制御の分子生物学的アプローチとその医学的意義」で第21回ベルツ賞2等賞を受賞。この年の1等賞受賞者は、2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞する本庶佑であった。
平山 宗宏(ひらやま むねひろ、1928年〈昭和3年〉2月1… 平山 宗宏(ひらやま むねひろ、1928年〈昭和3年〉2月13日 - 2022年〈令和4年〉12月30日)は、日本の医師・小児科学者。学位は医学博士(東京大学・1960年)。東京大学名誉教授。母子健康手帳の普及に貢献したことでも知られる。 東京大学医学部保健学科母子保健学教室第2代主任教授、日本総合愛育研究所(1997年より日本子ども家庭総合研究所)所長などを歴任。 東京都生まれ。1954年 東京大学医学部卒、1960年東京大学より医学博士の学位を取得。アメリカでの研究を経て、1966年 東京大学医学部保健学科母子保健学教室助教授、1971年 同第2代主任教授(現東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻国際生物医科学講座発達医科学教室)。
小林 登(こばやし のぼる、1927年11月23日 - 20… 小林 登(こばやし のぼる、1927年11月23日 - 2019年12月26日)は、日本の医学者・小児科医。東京大学医学部教授を経て、東京大学名誉教授、国立小児病院名誉院長。学位は、医学博士。 東京府生まれ。父は日本画家の小林巣居人。東京府立第十九中学校を4年修了し、1945年に海軍兵学校(75期)を卒業。第一高等学校理科甲類を経て、1954年東京大学医学部医学科卒業。米国・英国留学後大学に戻り、1970年東京大学医学部小児科学教授。1980年国際小児科学会会長。1984年国立小児病院小児医療研究センター初代センター長。1988年東京大学名誉教授。1987年から1996年3月まで国立小児病院(現:国立成育医療センター)院長。
中村 紀夫(なかむら のりお、1927年10月4日 - 20… 中村 紀夫(なかむら のりお、1927年10月4日 - 2020年1月27日)は、日本の医学者(医学博士)。専門は脳神経外科学。東京慈恵会医科大学名誉教授。藍綬褒章受章者。東京都神田淡路町出身。 父親の中村康(やすし、1898-1956)は、日本の視力検査法、検眼表、色盲検査表の発案に関わった日本医科大学眼科教授である。日本初の角膜移植手術を行い、後にアイバンクの設立に寄与している。 1951年に東京大学医学部附属病院に脳神経外科の外来部門が設置された曙期から、興隆期を経て最盛期に至る真只中で活躍した。「流水不濁、忙人不老」と題した1993年の定年退任記念講演では、「社会のニーズに応え、診療研究に全精力を傾倒し、その学識を次世代に伝え、医者冥利に尽きる」と述べている。