平岡 定太郎(ひらおか さだたろう、文久3年6月4日〈186… 平岡 定太郎(ひらおか さだたろう、文久3年6月4日〈1863年7月19日〉 - 1942年〈昭和17年〉8月26日)は、日本の内務官僚。樺太庁長官(第3代)。福島県知事(第17代)。正三位勲三等。作家三島由紀夫の祖父。農商務官僚平岡梓の父。 文久3年6月4日(1863年7月19日)、播磨国印南郡志方村上富木村字横山(現在の兵庫県加古川市)で、農業を営んでいた父・太吉と、母・つる(寺岡久平の長女)の間に二男として生まれる。 少年の頃は、皇道精神を基調とする鼎(かなえ)塾に学んだ。ここでは忠君愛国の講話が行われた。兄の萬次郎はやがて姫路の洋学塾へ進み、定太郎も同じ地の師範伝習所へ入った。伝習所はすぐ神戸へ移り、神戸師範(御影師範学校、現・神戸大学)と改称、入学年齢は「二十一歳以上」とあったが、明敏な定太郎は16歳で許され3年間の寄宿生活を送った。
西久保 弘道(にしくぼ ひろみち、1863年6月30日〈文久… 西久保 弘道(にしくぼ ひろみち、1863年6月30日〈文久3年5月15日〉- 1930年〈昭和5年〉7月8日)は、日本の内務官僚、政治家、剣道家。 福島県知事(第19代)、北海道庁長官(第13代)、警視総監(第23代)、貴族院議員(勅選)、大日本武徳会武道専門学校校長(第5代)、東京市長(第11代)を歴任した。流派は一刀正伝無刀流。称号は大日本武徳会剣道範士。 三重県警部長従七位の西久保紀林の子、肥前国佐賀郡鍋島村八戸(現:佐賀市)に生まれる。司法省法学校予科を経て、東京帝国大学法科大学卒。 内務省に出仕し官吏として累進した弘道は福島県知事、北海道長官、警視総監を歴任する。その後大礼使参与を務め、その功により勲二等瑞宝章を受章。
太田 峰三郎(おおた みねさぶろう、文久3年2月23日(18… 太田 峰三郎(おおた みねさぶろう、文久3年2月23日(1863年4月10日) - 大正3年(1914年)4月6日)は、明治時代の官僚。福岡藩出身。貴族院書記官長などを務めた。位階および勲等は正三位・勲一等。 福岡藩士・太田來作の三男として生まれる。明治21年(1888年)、東京帝国大学法科卒業後、判事試補、法制局参事官補になる。明治22年(1889年)に欧米諸国を視察して、翌年帰国すると新設された貴族院書記官に任じられる。明治31年(1898年)6月に農商務省に転じて農務局長に任じられるが、9月には今度は行政裁判所評定官に転じ、更に同年11月18日に貴族院書記官長を兼ねた。従三位勲一等に叙され、明治44年(1911年)7月1日以降は書紀官長専任となる。
鈴木 宗言(すずき そうげん、1863年3月24日(文久3年… 鈴木 宗言(すずき そうげん、1863年3月24日(文久3年2月6日) - 1927年(昭和2年)2月24日)は、明治から大正時代の司法官僚。台湾総督府官僚。実業家。名古屋地方裁判所長。台湾総督府覆審法院長。大審院検事。位階は正三位。旧姓は柴野。 柴野宗八の弟、中村是公の兄として安芸国佐伯郡五日市村(五日市町を経て現広島県広島市佐伯区)に生まれ、1873年(明治6年)9月、鈴木正言の養子となったのち分家する。柴野家の墓は現在でも広島県佐伯区五日市の光禅寺にある。1888年(明治21年)7月、帝国大学法科大学法律学科を卒業し、判事補となり1890年(明治23年)判事に進む。以来、横浜地方裁判所判事、同部長、東京控訴院判事、同部長、名古屋地方裁判所長、台湾総督府法院判官、覆審法院部長、同法院長などを歴任し、1907年(明治40年)8月、大審院検事に任じた。
阪谷 芳郎(さかたに よしろう、1863年3月5日〈文久3年… 阪谷 芳郎(さかたに よしろう、1863年3月5日〈文久3年1月16日〉- 1941年〈昭和16年〉11月14日)は、日本の大蔵官僚、政治家。子爵、法学博士。大蔵大臣、東京市長、貴族院議員などを歴任した。父親は阪谷朗廬。曾孫の橋本久美子は首相を務めた橋本龍太郎の妻である。 後月郡西江原村(現:岡山県井原市)、幕末に開国派として活躍した漢学者、阪谷朗廬の四男として生まれる。1873年(明治6年)に父の友人である箕作秋坪の三叉学舍に入り、1876年(明治9年)には東京英語学校に入学、1880年(明治13年)には東京大学予備門を卒業。 1884年(明治17年)、東京大学文学部政治学科(現:法学部第3類)を卒業後、大蔵省に入省する。
竹村 欽次郎(たけむら きんじろう、1863年3月1日(文久… 竹村 欽次郎(たけむら きんじろう、1863年3月1日(文久3年1月12日)- 1932年(昭和7年)4月16日)は、明治から昭和初期の大蔵官僚、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・古瀬。 出羽国最上郡、のちの山形県最上郡新庄町(現新庄市)で、素封家、新庄藩士・古瀬鉄之助の第五子として生れ、同藩士・竹村勝行の養子となる。1888年(明治21年)7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業した。 1888年11月24日、大蔵省試補に任官し出納局に配属。出納局配賦課事務取扱、大蔵主計官、預金局勤務、兼預金局収支課長、理財局国庫課長、青森県収税長、岡山県収税長、新潟税関長、司税官、新潟県税務管理局長、大蔵主計官などを歴任し、1898年(明治31年)10月27日に退官した。
荒川 義太郎(あらかわ よしたろう、1862年 11月19日… 荒川 義太郎(あらかわ よしたろう、1862年 11月19日(文久2年9月28日)- 1927年(昭和2年)4月1日)は、日本の内務官僚・政治家。官選県知事、横浜市長、貴族院議員、錦鶏間祗候。 荒川利貞の長男として武蔵国豊島郡に生まれる。1884年、東京大学法学部を卒業し、内務省に入り御用掛となる。 1886年8月、岡山県書記官に就任。以後、内務省参事官、富山県・群馬県・神奈川県の各書記官、兼臨時横浜築港局次長などを歴任。 1897年11月、35歳の若さで鳥取県知事に就任。産業振興、賀露港修築を推進した。1899年5月、三重県知事に転じた。1900年1月、香川県知事となり、同年10月には長崎県知事に転じた。
山口 鋭之助(やまぐち えいのすけ、1862年3月9日(文久… 山口 鋭之助(やまぐち えいのすけ、1862年3月9日(文久2年2月9日) - 1945年(昭和20年)3月4日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の物理学者、官僚。理学博士。 出雲国(現・島根県)松江に、松江藩士・山口軍兵衛礼行(知行は200石)の三男として生まれる。1884年、東京大学理学部物理学科を卒業。 東京大学予備門教諭、第一高等学校教授を歴任。1897年、京都帝国大学理工科大学教授に転じ、文部省から留学生としてドイツ・フランスに派遣され3年間学んだ。1901年、理学博士号を取得した。 その後、学習院に移り次長に就任。1905年、第9代院長となり翌年まで在任。さらに、宮内省に転じ、図書頭、諸陵頭を歴任し、宮中顧問官となる。
森 鷗外(もり おうがい、文久2年1月19日〈1862年2月… 森 鷗外(もり おうがい、文久2年1月19日〈1862年2月17日〉 - 大正11年〈1922年〉7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、教育者、陸軍軍医(軍医総監=陸軍中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級、医学博士、文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。 石見国津和野(現在の島根県鹿足郡津和野町)出身。東京大学医学部卒業。大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツでも軍医として4年過ごした。 帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。
牧野 伸顕(まきの のぶあき、1861年11月24日〈文久元… 牧野 伸顕(まきの のぶあき、1861年11月24日〈文久元年10月22日〉- 1949年〈昭和24年〉1月25日)は、日本の官僚、政治家。位階は従一位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。名は「シンケン」と音読みされることもある。幼名は伸熊(のぶくま)。以前の諱は是利(これとし)。 大久保利通は父、吉田茂は娘婿、寬仁親王妃信子と麻生太郎は曾孫にあたる。 1861年11月24日(文久元年10月22日)、薩摩国鹿児島城下加治屋町猫之薬師小路に薩摩藩士で維新の三傑の一人・大久保一蔵(のちの利通)と妻・満寿子の次男として生まれた。生後間もなく父・利通の義理の従兄弟にあたる牧野吉之丞の養子となるが、1868年(慶応4年)に吉之丞が戊辰戦争における北越戦争で戦死したため、名字が牧野のまま大久保家で育った[要出典]。
中橋 徳五郎(なかはし とくごろう、旧字体: 中橋 德五郞、… 中橋 徳五郎(なかはし とくごろう、旧字体: 中橋 德五郞、1861年10月13日〈文久元年9月10日〉- 1934年〈昭和9年〉3月25日)は、日本の政治家、実業家、官僚。大阪商船社長、衆議院議員、内務大臣、商工大臣、文部大臣を歴任。政友会。旧姓は斎藤。号は狸庵。加賀国(石川県)生まれ。 文久元年9月10日(1861年10月13日)、加賀国金沢(現在の石川県金沢市)に加賀藩士斎藤宗一・キン夫妻の五男として生まれる。 1882年(明治15年)、東京大学英法科を卒業後、1886年(明治19年)に東京帝国大学法学部選科を卒業する。大学院では商法を専攻する。 1886年(明治19年)、中橋徳五郎は判事試補となり、横浜陪審裁判所詰となる。
町田 重備(まちだ しげとも、文久元年8月11日(1861年… 町田 重備(まちだ しげとも、文久元年8月11日(1861年9月15日) - 大正11年(1922年)2月12日)は、日本の逓信官僚。錦鶏間祗候。 東京府に横瀬貞幹の二男として生まれ、町田きくの養子となった。1877年(明治10年)に陸軍士官学校に入るが病のため退学した。1883年(明治16年)、東京外国語学校仏語簡易科(現在の東京外国語大学)を卒業。その後帝国大学書記を務めた後、帝国大学法科大学に入学し、1888年(明治21年)に卒業した。枢密院雇、法制局参事官試補、衆議院書記官を経て、1895年(明治28年)に逓信書記官となった。逓信省では京都郵便電信局長、神戸郵便電信局長、大阪郵便局長、逓信省経理局長を歴任した。
藤田 四郎(ふじた しろう、文久元年6月18日(1861年7… 藤田 四郎(ふじた しろう、文久元年6月18日(1861年7月25日) - 昭和9年(1934年)1月9日)は、日本の農商務官僚、貴族院勅選議員。 志摩国鳥羽出身。鳥羽藩士・藤田龍三の三男に生まれ、出生地は越後国西蒲原郡弥彦村、東京帝国大学法科大学卒業。明治18年(1885年)、外務省に出仕し御用掛外交官試補、外務省参事官となり、ベルリンやウィーンの公使館に勤務した。その後逓信省に転じ、参事官と後藤象二郎逓信大臣の秘書官を兼ねた。さらに明治25年(1892年)には農商務省に転じ、参事官・後藤象二郎農商務大臣秘書官・特許局長・農務局長を歴任した。明治31年(1898年)5月から7月まで農商務次官を務め、11月に再任された。
斯波 淳六郎(しば じゅんろくろう、文久元年2月24日(18… 斯波 淳六郎(しば じゅんろくろう、文久元年2月24日(1861年4月3日) - 昭和6年(1931年)1月2日)は、日本の内務官僚。錦鶏間祗候。日本法律学校(現在の日本大学)創立者の一人。妻は山東直砥の長女。 加賀国金沢藩家老津田正行の三男として生まれ、斯波蕃の養弟となった。1883年(明治16年)、東京大学法学部を卒業。卒業後は研究生となり、さらに文部省留学生としてベルリン大学で国法学、行政法、国際法を学んだ。1888年(明治21年)に帰国し、帝国大学法科大学教授となる。翌年2月、法制局参事官を兼ね、7月には教授の兼職を解かれ法制局専任となった。1894年(明治27年)からは恩給局審査官を兼任した。
都筑 馨六(つづき けいろく、1861年3月27日〈万延2年… 都筑 馨六(つづき けいろく、1861年3月27日〈万延2年2月17日〉- 1923年〈大正12年〉7月6日)は、日本の官僚、外交官、政治家。貴族院議員、枢密顧問官、法学博士、男爵。位階は正二位、勲等は勲一等。都築と表記される場合がある。 上野国高崎藩稲荷台(現:群馬県高崎市)の名主・藤井安右衛門(のち安治)の二男として生まれる。満1歳を迎える前に西条藩士・都筑侗忠の養子となり、渋谷の藩邸で暮らすこととなった。幼少期から同藩士・阿曽沼正六綱義に素読の教えを受け、10歳のときからは芝新堀町の千村塾に通った。さらに横浜の修文館、カロザースの築地大学校で学ぶ。15歳のときに東京開成学校へ入学。1881年(明治14年)7月、旧東京大学文学部(政治理財学専攻)を卒業した。
奥田 義人(おくだ よしと / よしんど / ぎじん、186… 奥田 義人(おくだ よしと / よしんど / ぎじん、1860年7月31日〈万延元年6月14日〉- 1917年〈大正6年〉8月21日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の官僚・政治家・法学者。学位は、法学博士。従二位勲一等。男爵。号は秋軒。 衆議院議員(当選2回)、貴族院議員(勅選)、第1次山本内閣で文部大臣兼司法大臣を歴任したほか、晩年には請われて東京市長も務めている。また中央大学の創設者の一人で、第2代学長。 因幡国邑美郡栗谷町(現在の鳥取市栗谷町)に生まれる。幼名は留三郎。父の奥田鉄蔵は禄高300石の鳥取藩士で、作事組頭、武術師範を務めた。 7歳のとき藩の儒者坂田順蔵の門弟となり、藩校・尚徳館に入学。
李家 裕二(りのいえ ゆうじ、1859年10月20日(安政6… 李家 裕二(りのいえ ゆうじ、1859年10月20日(安政6年9月25日)- 1901年(明治34年)4月29日)は、日本の内務官僚。三重県知事(官選第7代)、徳島県知事(官選第15代)、内務省神社局長(初代)。旧名・左馬之助。 長門国阿武郡萩江向村(現山口県萩市)で、長州藩士の家に生まれる。 東京英語学校、東京大学予備門を経て、1884年7月、東京大学文学部政治学及理財学科を卒業した。 1884年7月17日、内務省に入省し同省御用掛に就任。1886年3月、内務属となり、県治局郡区課勤務となる。1887年11月、内務書記官に昇格。長野県書記官を経て、1898年7月、三重県知事に就任。1899年2月、徳島県知事に転任。
木場 貞長(こば さだたけ、1859年9月28日(安政6年9… 木場 貞長(こば さだたけ、1859年9月28日(安政6年9月3日) - 1944年(昭和19年)6月3日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の官僚、法学者。正三位勲一等、法学博士。 文部次官、行政裁判所評定官、貴族院議員を歴任した。 薩摩藩士で、判事や神職を務めた木場清生(きよなり、木場伝内)の子。 東京大学卒。文部省に入り、伊藤博文政府団の一行に留学生として抜擢され、ドイツに留学、大日本帝国憲法作成に貢献する。ドイツではハイデルベルク大学にて、心理学、法学、政治学の博士課程を修了する。帰国後は文部大臣森有礼の下で、文部参事官として、近代国家としての教育制度の確立に尽力。高等教育会議、臨時教育会議の委員も務め、教育行政、学制改革にも携わる。
野村 龍太郎(のむら りゅうたろう、1859年2月27日(安… 野村 龍太郎(のむら りゅうたろう、1859年2月27日(安政6年1月25日) - 1943年(昭和18年)9月18日)は、大正・昭和期の土木技術者・鉄道官僚・実業家。 安政6年に大垣藩士野村藤陰の長男として大垣にて出生。明治5年(1872年)に上京し慶應義塾、東京外国語学校・東京英語学校・東京開成学校(これら3校はともに一高の前身)を経て、1881年(明治14年)7月、東京大学理学部土木工学科卒業。同年、東京府勤務となる。1891年(明治24年)、鉄道庁技師に転じる。1899年(明治32年)3月工学博士となる。1913年(大正2年)5月、鉄道院副総裁に就任。1914年(大正3年)4月7日、錦鶏間祗候に任じられる。
三崎 亀之助(みさき かめのすけ、1858年2月15日(安政… 三崎 亀之助(みさき かめのすけ、1858年2月15日(安政5年1月2日) - 1906年(明治39年)3月16日)は、日本の政治家、官僚、銀行家。衆議院議員、貴族院議員、横浜正金銀行副頭取。 1858年(安政5年1月2日)2月15日、讃岐国丸亀に生まれる。東京大学法科を卒業し、忠愛社に入り、『明治日報』記者となる。1884年(明治17年)に外務省御用掛となり、外務省書記官として米国公使館駐在、さらに公使館書記官としてワシントン駐在、次いで外務省参事官を務める。 その後、京都で『中外電報』で論説を執筆、弁護士業などを経て、1890年(明治23年)に第1回衆議院議員総選挙で香川県から出馬し、衆議院議員に当選する(以後4回連続当選)。
中隈 敬蔵(なかくま けいぞう、安政4年9月29日(1857… 中隈 敬蔵(なかくま けいぞう、安政4年9月29日(1857年11月15日) – 大正13年(1924年)3月21日)は、日本の日本の官僚。会計検査院長。位階および勲等は従二位・勲一等。 安政4年9月29日、佐賀藩士中隈武雅と母乕子の二男として生まれた。1871年に藩の推薦で東京に出た。大学南校を経て、1880年、東京大学理財政治学科を卒業した。 会計検査院に出仕したが、まもなく大蔵省御用掛に転じ、さらに農商務省御用掛、東京山林学校(のち東京農林学校)教授を務めた。1886年、大蔵権少書記官となり、1889年には第一高等学校教授を兼任し、理財学を担当した。その他、慶應義塾(現在の慶應義塾大学)講師・専修学校(現在の専修大学)講師を務めた。
仙石 貢(せんごく みつぎ/せんごく みつぐ、1857年7月… 仙石 貢(せんごく みつぎ/せんごく みつぐ、1857年7月22日〈安政4年6月2日〉- 1931年〈昭和6年〉10月30日)は、日本の鉄道官僚、実業家、政治家。工学博士。 没後勲一等旭日大綬章追贈(昭和6年10月30日付)。 土佐国高知出身。1872年(明治5年)、高知藩病院附属吸江学校に入学し、英語を学ぶ。1878年(明治11年)7月、東京大学理学部土木工学科卒業。同年9月、東京府土木掛。1884年(明治17年)、工部省鉄道局勤務、日本鉄道、甲武鉄道工事を担当した。1891年(明治24年)8月、工学博士学位を取得している。 1896年(明治29年)10月、逓信省鉄道技監を最後に退官し、実業界に転じ筑豊鉄道社長となる。
鶴原 定吉(つるはら さだきち、1857年1月10日(安政3… 鶴原 定吉(つるはら さだきち、1857年1月10日(安政3年12月15日) - 1914年(大正3年)12月2日)は、日本の官僚、実業家、政治家。第2代大阪市長。韓国統監府初代総務長官。衆議院議員。
千頭 清臣(ちかみ きよおみ、1856年12月5日(安政3年… 千頭 清臣(ちかみ きよおみ、1856年12月5日(安政3年11月8日) - 1916年(大正5年)9月9日)は、日本の教育者、内務官僚、政治家。官選県知事、貴族院議員、錦鶏間祗候。幼名・徳馬。 土佐藩士・千頭清雄の二男として生まれる。1880年、東京大学文学部を卒業。1881年7月、東京大学予備門教諭に就任。1886年、イギリスに留学。帰国後、第一高等中学校教諭となり、さらに、鹿児島高等中学造士館教授、高知県尋常中学校長、第二高等学校教授を歴任。 1896年8月、内務省に転じ、内務書記官兼内務省参事官に就任。1897年11月、栃木県知事(「栃木県知事一覧」参照)に就任。以後、宮城県・新潟県・鹿児島県の各知事を歴任。
田中 稲城(たなか いなぎ、1856年2月11日(安政3年1… 田中 稲城(たなか いなぎ、1856年2月11日(安政3年1月6日) - 1925年(大正14年)2月22日)は明治時代から大正時代にかけての日本の官僚、図書館学者。 帝国図書館(国立国会図書館の前身)初代館長、日本文庫協会(日本図書館協会の前身)初代会長。「図書館の父」と称される。 幕末に周防国で岩国藩士末永家の三男として生まれた。幼名は辰之助。田中家の養子に入って田中林蔵、のち稲城と改名する。藩校で漢学、英語学校で英語を学んだのち、1875年に東京開成学校に入学。1881年に東京大学文学部(帝国大学文科大学の前身)和漢文学科を卒業するとともに、東京大学文学部・法学部准講師に任ぜられた。1882年には助教授に昇進するが、1886年に文部一等属に任命され、文部省の本省に転属。
高橋 健三(たかはし けんぞう、1855年10月27日(安政… 高橋 健三(たかはし けんぞう、1855年10月27日(安政2年9月17日) - 1898年(明治31年)7月22日)は、明治期のジャーナリスト・官僚・政治家。英吉利法律学校(中央大学の前身)創立者の一人。岡倉天心とともに『国華』を創刊のほか、『官報』の創刊(1883年)にも尽力した。別称に自恃居士(じじこじ)。 江戸で元尾張藩士、書道家になった高橋石斎の子として生まれる。後に父が戸田氏に仕官して下総国曾我野藩士となる。明治3年(1870年)曾我野藩の貢進生に選ばれて大学南校(東京大学の前身の一つ)に入学し、法律を学ぶ。明治11年(1878年)、東京大学を中退し、翌年官途につく。以後、駅逓局・文部省を経て、明治16年(1883年)に太政官官報報告掛に任じられて官報の創刊に参画する。
石黒 五十二(いしぐろ いそじ、1855年7月23日(安政2… 石黒 五十二(いしぐろ いそじ、1855年7月23日(安政2年6月10日) - 1922年(大正11年)1月14日)は、明治時代の官僚、土木技術者、政治家。 加賀藩士・石黒千尋の二男として加賀国石川郡金沢に生まれる。明治維新前は、藩校で修めた西洋砲術を教授していたという。 維新後は、加賀藩主の命を受けて大学南校(開成学校を経て、後に東京大学)に進み、1878年(明治11年)、土木工学科を卒業。同年、神奈川県土木課に出仕したが、翌1879年(明治12年)、文部省の選抜によりイギリスに留学した。留学中は、アレキサンドリア港の水道工事をはじめ多数の工事に携わったほか、ジョン・フレミングとともにインシュライトの発明を行うなどもした。
吉原 三郎(よしはら さぶろう、1854年4月5日(嘉永7年… 吉原 三郎(よしはら さぶろう、1854年4月5日(嘉永7年3月8日)- 1916年(大正5年)11月16日)は、日本の内務官僚。内務次官、錦鶏間祗候。幼名・虎之助、号・陽山。 上総国夷隅郡作田村(現在のいすみ市)出身。名主・吉原重郎の三男として生まれ、吉原白水の養嗣子となる。大多喜藩校、東金郷校、荻野山中県興譲館で学ぶ。教員となり、1874年5月、山梨県白井学校訓導試補に就任。以後、小学岩崎学校、小学梁木学校、小学松島学校で勤務。 1876年(明治9年)7月、司法省法学校生徒となる。1885年(明治18年)4月、判事補に任官し司法権大書記官となり、同月、高知始審裁判所詰。1886年(明治19年)8月に辞任。
服部 一三(はっとり いちぞう、1851年3月13日(嘉永4… 服部 一三(はっとり いちぞう、1851年3月13日(嘉永4年2月11日) - 1929年(昭和4年)1月25日)は明治時代の日本の文部・内務官僚。族籍は山口県士族。 東京英語学校、東京大学法・理・文各学部綜理(1880年(明治13年)6月4日)、東京大学予備門(いずれも東京大学教養学部の前身)校長・予備門長、大阪専門学校(京都大学の前身の1つ)綜理、日本地震学会初代会長、東京大学法学部初代学部長、共立女子職業学校(共立女子中学校・高等学校の前身)校長、文部省普通学務局長、岩手・広島・長崎・兵庫の各県知事、貴族院議員を歴任した。 長州藩士槍術指南役渡辺兵蔵の三男として周防国吉敷郡吉敷村(現山口県山口市)で誕生する。
今村 和郎(いまむら わろう / かずろう、弘化3年9月3日… 今村 和郎(いまむら わろう / かずろう、弘化3年9月3日〈1846年10月22日〉 - 1891年〈明治24年〉5月4日)は、明治時代の日本の法制官僚・教育者。 土佐国出身。大学南校(東京大学の前身の1つ)教員を経て岩倉使節団の随員としてフランスに渡り、パリ東洋語学校(フランス国立東洋言語文化学院の前身)に勤務。帰国後は内務省取調局長、法制局(内閣法制局の前身)部長、明治法律学校(明治大学の前身)講師、貴族院議員、行政裁判所評定官を歴任し、法律取調委員会の報告委員として旧民法のうち日本政府法律顧問ボアソナードが起草した財産法部分(ボアソナード民法典)の制定に尽力した。 弘化3年9月3日(1846年10月22日)、土佐国高岡郡高岡村に商家の長男として生まれる。
何 礼之(何 禮之、が のりゆき/れいし、天保11年7月13… 何 礼之(何 禮之、が のりゆき/れいし、天保11年7月13日(1840年8月10日) - 大正12年(1923年)3月2日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて活躍した日本の翻訳家、幕臣、官僚、裁判官、教育者、唐通事。通称は礼之助。姓は「か」ではなく「が」と読む。 英語稽古所学頭を務めたほか、長崎で創設した塾は、塾生が300名を越え、維新後に活躍する多くの英才を輩出したが、その実績は幕末蘭学における緒方洪庵の適塾、伊東玄朴の象先堂、佐倉の順天堂と対比すべく、同じ英学においては福澤諭吉の慶應義塾に匹敵するものであった。開成所(現・東京大学)教授も務め、大阪洋学校(現・京都大学)の創設者でもある。
熊澤 英昭 は、日本の農林官僚。姓の「澤」は「沢」の旧字体で… 熊澤 英昭 は、日本の農林官僚。姓の「澤」は「沢」の旧字体であるため、熊沢 英昭とも表記される。
後藤 康夫 は、日本の農水官僚。農林水産事務次官。従三位瑞宝… 後藤 康夫 は、日本の農水官僚。農林水産事務次官。従三位瑞宝大綬章。東京都出身。
青木 一郎 は、日本の財務官僚。内閣官房内閣審議官(室長)や… 青木 一郎 は、日本の財務官僚。内閣官房内閣審議官(室長)や、東京税関長等を歴任。特定非営利活動法人証券・金融商品あっせん相談センター長、一般社団法人第二種金融商品取引業協会専務理事を経て、西日本旅客鉄道株式会社特別顧問。
猪原 誠司 は、日本の警察官僚。第65代警察大学校長などを務… 猪原 誠司 は、日本の警察官僚。第65代警察大学校長などを務めた。
柏原恭子(かしわばら きょうこ)は、日本の経済産業官僚。 東… 柏原恭子(かしわばら きょうこ)は、日本の経済産業官僚。 東京大学法学部卒業。国家公務員一種試験(法律区分)を受験し、民間企業を経て、
河村 潤子(かわむら じゅんこ)は、日本の元文部科学官僚。東… 河村 潤子(かわむら じゅんこ)は、日本の元文部科学官僚。東京都出身。文部科学省退職後日本芸術文化振興会理事長を務めた。
小糸正樹(こいと まさき)は、経済産業省出身の元官僚である。… 小糸正樹(こいと まさき)は、経済産業省出身の元官僚である。神奈川県出身。昭和60年東京大学法学部卒業後、旧通産省へ。経済産業省産業技術産業局産業技術政策課長、特許庁総務部長、商務情報政策局海外需要開拓支援機構準備室長兼官房審議官、同機構専務執行役員、復興庁統括官などを歴任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
富永 孝雄(とみなが たかお)は、日本の経済産業官僚。ジェト… 富永 孝雄(とみなが たかお)は、日本の経済産業官僚。ジェトロ・ミラノ事務所勤務、化学工業局化学品輸出課長、機械情報産業局自動車課長、ジェトロ・ニューヨーク事務所長、東京通商産業局長等を歴任。退官後は、三洋電機の取締役、日本自動車工業会の副会長・専務理事、日本情報処理開発協会(現 日本情報経済社会推進協会)の常務理事を務めた。 和歌山県出身。東京大学経済学部卒業。
中林 伸一(なかばやし しんいち)は日本の財政学者、国際経済… 中林 伸一(なかばやし しんいち)は日本の財政学者、国際経済学者、財務官僚。専門は財政学、国際経済、財政改革。
森 源二郎(もり げんじろう 、生年不明 - 1976年8月… 森 源二郎(もり げんじろう 、生年不明 - 1976年8月27日)は日本の大蔵官僚。 麻布中学校・高等学校を卒業。高校時代は、成績は抜群で、校内でも森を知らない者はいなかったが、腕試しで、あちこちの予備校主催の模擬試験や学力コンクールなどにも参加。成績発表の際には森の名が掲げられていたため、受験をしていた同学年は森の名を覚えてしまっていたという。高校卒業後東京大学に入学。東京大学法学部在学中国家公務員上級試験(行政職)を1番で合格。その後東京大学法学部を卒業。 1969年、大蔵省に入省。国際金融局投資第一課に配属。1970年、名古屋国税局調査査察部。1971年8月、大臣官房付(外務研修)。1972年5月、外務省在ニューヨーク日本総領事館副領事。
米田 壮 は、日本の警察官僚。第24代警察庁長官。
古野 まほろ(ふるの まほろ、11月25日 -)は、日本の小… 古野 まほろ(ふるの まほろ、11月25日 -)は、日本の小説家、推理作家、元警察官僚。血液型はO型。日本推理作家協会会員。本格ミステリ作家クラブ会員。 代表作は天帝シリーズのほか『ぐるりよざ殺人事件』『その孤島の名は、虚』『ヒクイドリ 警察庁図書館』『臨床真実士(ヴェリティエ)ユイカの論理』など。 顔出しは行っていない。プロフィールは公表しており、東大卒の警察キャリア、退官して専業作家になったなどとされる。これらの事実から、経歴を詳細には明かしていない「覆面作家」であるとも報道される。私有twitterアカウントを使用していたが、2017年12月19日にやめている。メインは小説作品であるが、『警察手帳』など警察行政に関する書籍も執筆している。
森口 泰孝(もりぐち やすたか、‐)は、日本の官僚。前文部科… 森口 泰孝(もりぐち やすたか、‐)は、日本の官僚。前文部科学事務次官、東京理科大学副学長。東京都出身。
門山 泰明 (かどやま やすあき、1953年 - )は、日本… 門山 泰明 (かどやま やすあき、1953年 - )は、日本の総務官僚、弁護士。自治大学校長や、総務省大臣官房長、総務省自治行政局長等を経て、一般財団法人日本消防設備安全センター理事長。 北海道札幌南高等学校、東京都立西高等学校(1年次編入)を経て、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1977年 自治省入省(財政局公営企業第一課)。同年7月 滋賀県総務課。1978年4月 滋賀県企画調整課。1979年3月 自治省大臣官房総務課。1980年4月 自治省行政局行政課。その後は福岡市企画課長、国土庁計画・調整局課長補佐、三重県財政課長、奈良県総務部長、総務省自治行政局行政課長、総務省大臣官房審議官、総務省選挙部長、自治大学校長、総務省大臣官房地域力創造審議官などを経て、2012年9月11日 総務省大臣官房長。
松浦 克巳(まつうら かつみ)は、日本の大蔵・財務官僚。 北… 松浦 克巳(まつうら かつみ)は、日本の大蔵・財務官僚。 北海道網走市生まれ。北海道札幌南高等学校を経て、1988年 東京大学法学部卒業、大蔵省入省。内閣官房長官秘書官などを務めた。ハーバード大学留学。1992年7月 大蔵省主税局調査課外国調査第一係長。1994年7月10日 尾道税務署長。1995年 国際通貨基金派遣。1998年 大蔵省理財局資金第一課資金企画室課長補佐。1999年 理財局総務課課長補佐(総合資金・資金調整・調査)。2001年 財務省主税局税制第二課課長補佐(法人税)。2006年 財務省理財局総務課調査室長。2008年 財務省主計局司計課予算執行調査室長。2011年 財務省主計局主計官(防衛係担当)。
梅原 克彦 は、日本の官僚、政治家。日本保守党組織運動本部長… 梅原 克彦 は、日本の官僚、政治家。日本保守党組織運動本部長。2005年(平成17年)から2009年(平成21年)まで、仙台市長(第32期)を務めた。
門間 大吉(もんま だいきち)は、日本の財務官僚。国際通貨基… 門間 大吉(もんま だいきち)は、日本の財務官僚。国際通貨基金理事や、財務総合政策研究所長、財務省国際局長等を歴任した。 秋田県出身。秋田県立秋田高等学校を経て、1981年 東京大学経済学部卒業。大学在学中はゴルフ部に所属。大蔵省入省。配属先は大臣官房文書課。 ケンブリッジ大学留学、世界銀行出向などを経て、1993年 主計局主計官補佐(通産第一、二係)。1995年 国際金融局総務課長補佐(国際調整官、総括・企画一・二)。1997年 外務省経済協力開発機構日本政府代表部一等書記官。2000年 金融再生委員会事務局金融危機管理課業務室長。2002年 財務省国際局地域協力課長。2004年 防衛庁管理局会計課長。
齋藤 雅一(さいとう まさかず)は、日本の防衛官僚。防衛省東… 齋藤 雅一(さいとう まさかず)は、日本の防衛官僚。防衛省東北防衛局長、防衛省大臣官房サイバーセキュリティ・情報化審議官、防衛省情報本部副本部長、統合幕僚監部総括官等を経て、防衛研究所長。 山形県立山形東高等学校を経て、東京大学法学部卒業。1987年防衛庁入庁。イラク戦争後、イラクのサマーワに赴任し、陸上自衛隊のポリティカル・アドバイザーを務めた。消防庁や内閣官房への出向等を経て、2014年防衛省東北防衛局長。2016年から防衛省大臣官房サイバーセキュリティ・情報化審議官を務め、陸上自衛隊の通信ネットワークがサイバー攻撃された事件への対応にあたるなどした。2017年防衛省大臣官房審議官兼情報本部副本部長。
荒川 敦(あらかわ あつし)は日本の総務官僚。 福島県福島市… 荒川 敦(あらかわ あつし)は日本の総務官僚。 福島県福島市出身。福島県立福島高等学校を経て、1982年東京大学法学部卒業、自治省入省。愛知県総務部地方課長、石川県総務部長、兵庫県企画管理部長等を歴任し、2011年から滋賀県副知事を務めた。退官後、消防防災科学センター理事長。