丸山 浩司(まるやま ひろし、1953年7月12日 - )は… 丸山 浩司(まるやま ひろし、1953年7月12日 - )は、日本の版画家(木版画)、美術教育研究者。多摩美術大学教授。 栃木県足利市出身。多摩美術大学在学中に吹田文明に師事し、木版画を始める。その後、東京芸術大学大学院に進学し野田哲也・中林忠良に師事、更に木版画研究を進める。その後、福島大学にて教員養成の仕事に従事し、教科書編集や鑑賞教育、現代美術研究を通して美術教育研究にも力を注ぐ。当初は生まれ故郷の足利にて友禅染めの色彩(渡良瀬川の友禅流し)に魅了され鮮やかな色彩による作品を手掛け、単行本の表紙やテレビドラマのセットに利用されるなど、社会的評価が高かったが、現在はモノクロームを基調にした静謐な作品が多い。
橋本 信(はしもと まこと、1953年 - )は、日本画家。… 橋本 信(はしもと まこと、1953年 - )は、日本画家。女子美術大学名誉教授。 大阪府生まれ。1977年東京芸術大学美術学部日本画専攻卒業。日本画家で伯父(後の父)の橋本明治に師事。1986年に明治の養子となり、本名は信、雅号は弘安(こうあん)で作品を発表している。 1986年女子美術大学日本画専攻講師に就任。1994年日展審査員(現在は評議員)、女子美術大学助教授を経て、1997年に同教授に昇格。2004年女子美術大学日本画専攻主任教授、2007年女子美術大学大学院美術研究科長、2011年女子美術大学芸術学部長。 1990年頃の秋頃から自作天然顔料で制作している。
石井 博康(いしい ひろやす、1952年(昭和27年)- )… 石井 博康(いしい ひろやす、1952年(昭和27年)- )は、日本の画家であり、教育者でもある。東北芸術工科大学教授を務めた後、同大学副学長となる。東北芸術工科大学名誉教授。岡山県高梁市出身。 1952年(昭和27年)岡山県高梁市に出生。地元の岡山県立高梁高等学校へ進学し美術部に所属する。1970年(昭和45年)に卒業し、東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻へ進学する。その後、同大学卒業を経て、東京芸術大学大学院学美術研究科油画専攻に進学し、1977年(昭和52年)同大学院を卒業する。 卒業後、油絵画家となった石井は、1979年(昭和54年)に東京のギャルリー・ヴィヴァン(現在は神奈川県へ移転)で初めての個展を開く。
安達 博文(あだち ひろふみ、1952年 - )は画家。現在… 安達 博文(あだち ひろふみ、1952年 - )は画家。現在は国画会会員、日本美術家連盟会員、富山大学名誉教授。
宮廻 正明(みやさこ まさあき、1951年1月24日 - )… 宮廻 正明(みやさこ まさあき、1951年1月24日 - )は、日本画家。 島根県松江市生まれ。島根県立松江南高等学校を経て、1975年、東京芸術大学美術学部デザイン科入学。大藪雅孝に師事し、1979年に同大学を卒業。1981年、同大学院修士課程修了、東京芸術大学大学院美術研究科保存修復技術研究室非常勤助手となり平山郁夫に師事。1986年、同非常勤講師。1995年、東京芸術大学大学院美術研究科文化財保存学日本画助教授。2000年、同教授。2009年、東京芸術大学学長特命社会連携センター長。2018年、東京芸術大学を定年退職し、同名誉教授。 1984年、日本美術院院友。1995年、日本美術院同人。
朝比奈 逸人(あさひな やすと、1951年 - 2024年1… 朝比奈 逸人(あさひな やすと、1951年 - 2024年11月)は、大阪教育大学教授などを務めた、日本の画家。青年期には俳優やシンガーソングライターとしての活動もしていた。 神奈川県川崎市生まれ。兄の朝比奈尚行は、長じて俳優、演出家となった。 1971年に公開された森谷司郎監督の映画『潮騒』で、オーディションによって主役の久保新治役を得て、俳優として映画デビューし、翌1972年に公開された渡辺邦彦監督の映画『白鳥の歌なんか聞えない』では、主人公・薫の友人、横田を演じた。 その後、渡米し、帰国後、吉祥寺のぐゎらん堂などでブルースやオリジナル曲の演奏をするようになった。当時の朝比奈は、オリジナル曲として「おさと」、「なまけもの」、「ライ・ウィスキー」、「トンネルの唄」などを演奏していたが、特に「トンネルの唄」は高田渡が取り上げ、後に長く歌い継がれることになった。
佐々木 正子(ささき まさこ、1950年12月5日 - )は… 佐々木 正子(ささき まさこ、1950年12月5日 - )は、日本画家、美術研究家。嵯峨美術大学学長。夫は、美術史家の佐々木丞平。 1950年、神奈川県に生まれる。東京藝術大学美術学部絵画科卒業。2005年、京都嵯峨芸術大学(現嵯峨美術大学)教授。 1997年に国華賞、1999年に日本学士院賞、2000年にフンボルト賞を各・受賞。 2026年1月、皇居での講書始にて「江戸時代の日本絵画」を進講した。
向井 隆豊(むかい りゅうほう、1950年9月19日 - )… 向井 隆豊(むかい りゅうほう、1950年9月19日 - )は、日本の画家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
武藤 順九(むとう じゅんきゅう、1950年2月18日- )… 武藤 順九(むとう じゅんきゅう、1950年2月18日- )は、日本の男性彫刻家・画家。宮城県仙台市出身。 1973年に東京芸術大学を卒業し、ヨーロッパに渡る。イタリアのローマと彫刻の町ピエトラサンタにアトリエを構えて、大理石の彫刻を中心に抽象的なテーマの彫刻を制作している。1997年にピエトラサンタでヴェルシリア賞国際グランプリを受賞した作品「風の環(わ)・PAX 2000」は、2000年7月25日にカステル・ガンドルフォにあるローマ教皇の避暑用の離宮に永久設置された。その後、「風の環」と題した彫刻作品を世界各地に設置している。2019年6月9日には昭島市の昭和の森内に大理石彫刻園を開園させた。
澁澤 卿(しぶさわ けい、1949年3月9日 - 2012年… 澁澤 卿(しぶさわ けい、1949年3月9日 - 2012年4月29日)は、日本画家、日蓮宗僧侶。身延山大学客員教授を務める。東亜大学教授。繊細なタッチで日本の風景を描写し、やさしい画風が多くの絵画ファンに愛されている。また、僧侶としての独自の世界観を絵画に表現し、「描く坊主」としても有名。本名は、澁澤瑩俊(しぶさわ えいしゅん)。横浜六浦上行寺副住職も兼任している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
伊勢崎 勝人(いせざき かつひと、1949年 - 2020年… 伊勢崎 勝人(いせざき かつひと、1949年 - 2020年9月28日)は、日本の洋画家。白日会会員、日展準会員。
門坂 流(かどさか りゅう、1948年5月25日 - 201… 門坂 流(かどさか りゅう、1948年5月25日 - 2014年4月3日)は、日本のイラストレーター、版画家。本名は門坂 敏幸(かどさか としゆき)。独学でペン画とビュランによるエングレービングを会得し、ペン画・水彩画・銅版画を中心に創作活動を行なう。特にエングレービングでは日本の第一人者だった。 門坂は幼年時代から「流動している対象を見つめていたことを鮮明に覚えている」。「川の水の流れや炎が複雑で捉え様のない形にリズミカルに変化し、生まれては消える様子を吸い込まれる様にみていた。黄色い稲穂が風に吹かれて、目の前をまるでいき鄭るように遠くまで走り抜け、次から次へとまるで生きているように遠くまで走りぬけ次から次へと違う形が生まれは追いかけているのを飽きずに眺めていた」子供だった。
智内兄助(ちない きょうすけ、1948年 - )は、日本の洋… 智内兄助(ちない きょうすけ、1948年 - )は、日本の洋画家。 愛媛県今治市(旧越智郡波方町)出身。愛媛県立今治西高等学校、東京芸術大学大学院油画科修了。6人兄弟の末子。 1980年代初めから、和紙にアクリル絵具という独特な画法を確立し、日本画と洋画との境界を越えた革新的な表現方法に到達。日本の伝統美である衣装文様や花鳥風月を、「もののあはれ」を基調としたその作風は独特の技法とあいまって智内独自の幻想世界を創り上げている。古典の伝統から逸脱することなく、日本の美意識を斬新な手法で捉える「絵師」として、安井賞をはじめ数々の賞を受賞し、現代画壇を代表する洋画家として揺るぎない地位を築きあげている。
山田 修市(やまだ しゅういち、1948年 - )は、日本の… 山田 修市(やまだ しゅういち、1948年 - )は、日本の洋画家。東北芸術工科大学教授、京都造形芸術大学客員教授。独立美術協会会員。 新潟県新潟市生まれ。1973年東京芸術大学大学院修了。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
内藤 五琅(ないとう ごろう、1948年 - )は、日本の日… 内藤 五琅(ないとう ごろう、1948年 - )は、日本の日本画家。東京都出身、さいたま市浦和区在住。日本美術院特待。浦和画家。 東京都杉並区に生まれ、浦和市(現・さいたま市)に移住。埼玉県立浦和高等学校、東京芸術大学日本画科卒業。佐野東石美術館、成川美術館などに作品が所蔵されている。父、内藤四郎は彫金の人間国宝。
室越 健美(むろこし たけみ、1947年〈昭和22年〉4月2… 室越 健美(むろこし たけみ、1947年〈昭和22年〉4月20日 - 2020年〈令和2年〉4月8日)は、日本の洋画家。多摩美術大学名誉教授。 群馬県前橋市にて生まれる。1977年に東京藝術大学油画科卒業。御茶の水美術専門学校、宇都宮文星短期大学で教鞭をとった後、多摩美術大学油画科助教授、教授などを歴任し、同大名誉教授となる。 2020年4月8日、肺ガンのため死去。72歳没。
清重 伸之(きよしげ のぶゆき、1947年 - )は、日本の… 清重 伸之(きよしげ のぶゆき、1947年 - )は、日本の画家。イラストレーター。徳島県出身。東京芸術大学洋画科油絵専攻卒業。東京芸術大学大学院技法材料科修了。 迎賓館天井画修復に従事する。アメリカ合衆国のセントオラフ大学でアニメーション実習を行う。現代書館の『フォー・ビギナーズ・シリーズ』の『本居宣長』『坂の上の雲』『ヤマトタケル』など、単行本のイラストを手がけている。
到津 伸子(いとうづ のぶこ、1947年〈昭和22年〉 - … 到津 伸子(いとうづ のぶこ、1947年〈昭和22年〉 - 2019年〈平成31年〉1月31日)は、日本の画家、エッセイスト。 東京都生まれ。東京芸術大学美術学部卒業。その後渡仏、1977年パリで個展を開き、パリ・東京を拠点に活動。2003年エッセイ『不眠の都市』で講談社エッセイ賞を受賞。 父到津十三男は朝日新聞社で海外特派員としてドイツ滞在歴があり、NHK国際政治の解説委員も務め、ワイマール共和国、ナチスに関する著書、訳書もある。毎日新聞社創設者の吉武鶴次郎は祖父であり、徳富蘇峰、徳冨蘆花は大伯父である。到津の出自は、宇佐神宮の神官、旧男爵到津家の係累である。 2019年膵臓癌のため死去。最期を看取ったのは、パートナーだった作家の中山雅仁である。
有元 利夫(ありもと としお、1946年9月23日 - 19… 有元 利夫(ありもと としお、1946年9月23日 - 1985年2月24日)は、日本の画家。妻は日本画家・陶芸家の有元容子。 1946年、岡山県津山市(疎開先)に生まれる。生後間もなく東京都台東区へ戻り、人生のほとんどを谷中で過ごした。1953年、台東区立谷中小学校入学[要出典]。小学校低学年の頃からゴッホに強い興味を抱いたと言われ、駒込高等学校在学中に中林忠良の指導を受ける。1969年、東京芸術大学美術学部デザイン科に入学、在学中の1971年にヨーロッパを旅行し、イタリアのフレスコ画に深い感銘を受けた。1973年、東京芸術大学を卒業、卒業制作「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」は同大学が買い上げた。
佐藤 一郎(さとう いちろう、1946年8月26日 - )は… 佐藤 一郎(さとう いちろう、1946年8月26日 - )は、日本の男性画家であり、絵画材料学、絵画技術学の研究者である。1999年から2014年に東京芸術大学教授を務め、定年退職後、2014年から2019年まで金沢美術工芸大学大学院専任教授、2019年から2025年まで東北生活文化大学学長。。 マックス・デルナーの『絵画技術体系』の訳者にしてウィーン幻想派の画家ルドルフ・ハウズナーに師事した画家にふさわしい、混合技法による数々の絵画を描いている。それは、グレーズ (彩色技術)(英語版)やインプリマトューラといった技法を巧みに用い、強い光沢を備えているものもそれでいてくどくない、油絵具の透明性や物体性を活かした霊妙な作品である。
左髙 啓三(さたか けいぞう、1946年8月6日 - )は、… 左髙 啓三(さたか けいぞう、1946年8月6日 - )は、日本の建築家、都市計画家。 株式会社I・I・E国際環境研究所所長(代表取締役)。ドイツの温泉利用のまちづくりに詳しい。 1965年4月、東京芸術大学美術学部建築科入学。 1970年3月、東京芸術大学美術学部建築科卒業。 1970年4月、丹下健三+都市・建築設計研究所入所(1974年3月退所)。 1971年5月 - 1973年5月まで、西ドイツのシュツットガルト工科大学軽量構造物研究所、客員研究員。 1974年4月 - 1975年5月まで、シュツットガルト工科大学軽量構造物研究所入所(Frei OTTO)。 1975年10月、東京芸術大学美術学部建築科、特別講師。
真瀬 宏子(ませ ひろこ、1946年1月12日 - )は、日… 真瀬 宏子(ませ ひろこ、1946年1月12日 - )は、日本の政治家、洋画家、教員。栃木県野木町長(5期)。栃木県初の女性首長である。 栃木県那須郡烏山町(現・那須烏山市)生まれ。5歳より宇都宮市で育った。宇都宮大学教育学部附属小学校、宇都宮大学教育学部附属中学校、栃木県立宇都宮女子高等学校卒業。1968年(昭和43年)3月、東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。同年に安宅賞を受賞した。1974年(昭和49年)、東京芸術大学大学院修士課程修了。 1975年(昭和50年)より県立高等学校美術科の教師の職に就く。また洋画家としてこれまでに個展を30回開催した。2002年(平成14年)12月、土曜美術社出版販売から共作で絵本を出版。
奥山 民枝(おくやま たみえ、1946年 - )は、日本の画… 奥山 民枝(おくやま たみえ、1946年 - )は、日本の画家、芸術家である。 大学卒業後、独学で油絵や日本画などの絵画制作を始めた。 20代から欧州、北南米、インドネシアなど世界各地を旅した。初期作品から一貫して自然のなかに潜む生命力やエロティシズムに着目し、山、雲、太陽などのモティーフを描き続けている。 1992年、「山夢」で第35回安井賞を受賞した。 戦時疎開先の新潟県高田市寺町(現・上越市寺町)で生まれ、その後東京に転居した。 1965年、東京芸術大学美術学部工芸デザイン科に入学。在学中の1966年、現代演劇協会ホール「令嬢ジュリー」舞台壁画制作、草月会館「ジョン・シルバー」舞台装置制作を手掛けた。
松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 … 松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 - 2017年11月23日)は、日本の画家、美術評論家、歌人。歌人の王紅花は妻。 北海道北見市に生まれた。本名読み・おさふみ。北海道札幌西高等学校時代の教諭に菱川善夫がいた。東京藝術大学美術学部卒業。その後、同大学院に学んだ。 美術史家としては、今村紫紅など近代の日本画家を研究した。1983年、青梅市立美術館の開設準備に携わり、副館長などを経て2009年の退職まで務めた。並行して、実作や評論を行った。 短歌を大野誠夫に学び、歌誌「作風」を編集。1984年、大野の死により「作風」を退会。その後は無所属だった。また、句集や詩集の著作もある。
中島 千波 (なかじま ちなみ、1945年(昭和20年)10… 中島 千波 (なかじま ちなみ、1945年(昭和20年)10月21日 - ) は、日本画家。東京芸術大学名誉教授。 第二次世界大戦戦時下から長野県上高井郡小布施村(現・小布施町)に疎開していた画家の中島清之の三男として生まれる。 1971年(昭和46年)に東京芸術大学大学院を修了。大学在学中の1969年(昭和44年)の第54回院展に「窓」を初出品、初入選。以降、数々の賞を受賞した。シリーズ作として「衆生」「形態」 などを生み出している。 1987年(昭和62年)からNHK教育「きょうの料理」のテキストの表紙絵を3年間担当。 1990年(平成2年)三溪園臨春閣第六室襖絵「不二と桃花図」「松林図」完成。
花田 和治(はなだ かずはる、1945年1月16日 - 20… 花田 和治(はなだ かずはる、1945年1月16日 - 2017年4月26日)は、日本の抽象画家。北海道生まれ。北海道札幌東高等学校、東京芸術大学油画科卒業、同大学院修了。明快な色彩とシンプルな構図を特徴とした作品で知られる。 北海道留萌郡小平町の鰯番屋、花田家の出身。娘婿にノルディックスキー選手の荻原健司。 東京芸術大学では小磯良平に師事。大学院修了後の26歳から抽象画を手がけて東京で活動。1977年以降は郷里の北海道を拠点に作品を制作・発表。数多くの個展を開催しているほか、北海道の美術・イメージ『北方』(1983年)、『道』(1984年)、『動』(1988年)への選抜出品をはじめ、『美術北海道100年展』『10人空間展』など、多くの企画展に出品。
佐藤 泰生(さとう たいせい、1945年 - )は、日本の洋… 佐藤 泰生(さとう たいせい、1945年 - )は、日本の洋画家、新制作協会会員。和光大学芸術科名誉教授。神奈川県逗子市在住。 1945年に日本統治時代の大連で生まれる。1967年東京藝術大学油絵科(小磯教室)卒業。大橋賞を受賞する。1969年大学院修了。大学では猪熊弦一郎・脇田和らとともに新制作協会(発足時:新制作派協会)を結成した小磯良平教授に師事する。1973 - 1978年の間、フランス政府給費留学生として渡仏滞在する。1980年新制作協会会員となる。2001 - 2002年渡仏パリ滞在。1992年和光大学芸術科教授に就任(2015年3月退職)。 2012年 『共鳴/主張する個性~現代洋画家10人~』展参加。
高橋 義治(たかはし よしはる、主にドイツ語圏で活動したので… 高橋 義治(たかはし よしはる、主にドイツ語圏で活動したので、ヨシ・タカハシ(Yoshi Takahashi)として知られる、1943年3月15日 - 1998年4月17日)は日本生まれの画家、版画家である。1966年から主にドイツで活動し、1974年からオーストリアで活動した。 東京で生まれた。1960年に東京芸術大学油画科に入学し、1965年に卒業した。1966年にドイツに留学し、ミュンヘン美術院で学んだ。1969年に美術院を卒業した後、オーストリアの高等美術研究員(Graphische Lehr- und Versuchsanstalt)のスーチェク(Slavi Soucek)に版画を学んだ。
池口 史子(いけぐち ちかこ、1943年2月24日 - )は… 池口 史子(いけぐち ちかこ、1943年2月24日 - )は、日本の洋画家。立軌会同人、日本芸術院会員。 南満洲鉄道に勤める堤禎章の娘として、大日本帝国の租借地であった関東州の大連市にて生まれ、東京都で育った。東京芸術大学に進学し、美術学部の油画科にて学び、山口薫の指導を受けた。1966年、東京芸術大学を卒業する。そのまま東京芸術大学の大学院に進学し、美術研究科にて学んだ。1968年、東京芸術大学の大学院を修了した。 東京芸術大学を卒業してから、個展やグループ展で作品を発表する。1975年、通産官僚であり小説家でもある堺屋太一と結婚した。1992年より立軌会に同人として加わる。2004年、『ワイン色のセーター』にて損保ジャパン東郷青児美術館大賞を受賞した。
絹谷 幸二(きぬたに こうじ、1943年〈昭和18年〉1月2… 絹谷 幸二(きぬたに こうじ、1943年〈昭和18年〉1月24日 - 2025年〈令和7年〉8月1日)は、日本の洋画家。位階は従三位、勲等は文化勲章。独立美術協会会員、大阪芸術大学教授、東京芸術大学名誉教授、日本芸術院会員、文化功労者。 東京芸術大学美術学部教授、一般社団法人日本美術家連盟理事などを歴任した。 長男は彫刻家の絹谷幸太、次女は画家の絹谷香菜子。 奈良県奈良市元林院町に生まれる。奈良県立奈良高等学校、東京芸術大学美術学部油絵専攻卒(1966年小磯良平教室)。卒業制作で大橋賞受賞。 小学校一年生の頃から油絵を習い始めた。芸大卒業後の1971年にイタリアへ留学、目から鱗が落ちるほどの感銘を受け、ヴェネツィアでアフレスコ古典画の技法を研究した(「アフレスコ」(affresco) はイタリア語で「フレスコ」のこと)。
大津 英敏(おおつ えいびん、1943年 - )は、日本の洋… 大津 英敏(おおつ えいびん、1943年 - )は、日本の洋画家。日本芸術院会員、多摩美術大学名誉教授、独立美術協会会員。 学生時代は山口薫に師事。1970年代には『毬シリーズ』と呼ばれる幻想的な作品を制作していた。1979年の渡仏後、2人の娘を彼女をモデルにした『少女シリーズ』を描きはじめる。現在も家族を題材にした淡い色調の作品が多いが、風景画にも取り組んでいる。作風にはバルテュスの影響があるといわれている。また渋谷駅構内にはステンドグラスを使った壁画作品が設置されている。
田渕 俊夫(たぶち としお、1941年8月15日 - )は、… 田渕 俊夫(たぶち としお、1941年8月15日 - )は、日本の画家。日本芸術院会員。 東京市江戸川区出身。1965年、東京藝術大学美術学部日本画科卒業。1967年、同大学大学院日本画専攻修了。師系は平山郁夫。 1968年、再興第53回日本美術院展覧会で初入選し、1982年と1985年に日本美術院賞(大観賞)受賞。その後も数々の受賞歴を重ねた。 1995年より東京藝術大学教授、1996年より日本美術院評議員となり、2005年に東京藝術大学理事・副学長、2006年に日本美術院理事に就任。現在は、日本美術院同人・代表理事(理事長)および東京藝術大学名誉教授を務める。2019年、文化功労者顕彰。2022年、旭日中綬章受章。
磯見 輝夫(いそみ てるお、1941年(昭和16年) - )… 磯見 輝夫(いそみ てるお、1941年(昭和16年) - )は、日本の版画家。愛知県立芸術大学学長を務めた。木版画を主に制作。作品の主題は主に「人物、花、樹木」である。1978年頃から合板ではなく杉板を使いはじめ、板と板との継ぎ目や板目の違いによる刷りムラも独自の技法として取り込み、墨一色の力強くプリミティブな作風を確立している。 東京芸術大学では山口薫に油彩を学ぶ。大学院時代から版画制作をはじめ、非常勤講師だった小野忠重、当時博士課程に在籍していた小山松隆から木版画の手ほどきをうける。4人兄弟の末弟で、兄に上智大学文学部名誉教授の磯見辰典、横浜国立大学教育学部名誉教授・磯見昭太郎、医師の磯見明がいる。
井上紫城(いのうえ しじょう、1941年〈昭和16年〉- )… 井上紫城(いのうえ しじょう、1941年〈昭和16年〉- )は、日本の画家。福岡県北九州市出身。日本美術院院友、日府展専務理事、日府賞受賞、外務省買い上げ作品に選出。 1941年、福岡県北九州市に生まれる。1967年、東京芸術大学大学院日本画科を修了する。在学中に日本美術院展に入選し、日本美術院院友となる。1978年、日府展専務理事に就任し、日府賞を受賞する。1998年、「北の朝」が外務省に買い上げられた。2022年、Art Collectors 完売作家に掲載。その後もグループ展の主宰や個展を全国で続ける。 花鳥風月をモチーフに、自然の息遣いをとらえた日本画として紹介されている。古来からの花鳥風月の枠に縛られない桜、椿、薔薇、富士、鯉、猫などを題材にした作品が掲載されており、柔らかな題材を金箔や日本画の技法でまとめた作品が特徴。
山田 嘉彦(やまだ よしひこ、1940年〈昭和15年〉10月… 山田 嘉彦(やまだ よしひこ、1940年〈昭和15年〉10月3日 - )は、日本の洋画家。東京学芸大学名誉教授、立軌会同人。東京都江戸川区出身。 日本橋芳町より京都市右京区御室へ移転。東京都中野区東中野へ移転。 東京都立武蔵丘高等学校、東京藝術大学美術学部絵画科油絵専攻卒(林武教室)。東京藝術大学大学院修了(牛島憲之教室)。 中学校の美術部で初めて油彩画を描き、高校の美術部に所属し石膏デッサンに夢中になる。東京藝術大学の大学院修了後、同大学に勤務し、その間に牛島憲之に風景画の指導を受ける。 1969年にフランス政府給付留学生として渡仏。マルセーユ芸術建築学校(ビュッス教室)に学ぶ。グループ十騎会(髙島屋東京日本橋店、~2015年)に参加。
柳澤 紀子(柳沢 紀子、やなぎさわ のりこ、1940年5月3… 柳澤 紀子(柳沢 紀子、やなぎさわ のりこ、1940年5月30日 - )は、日本の版画家、美術家、学者。武蔵野美術大学造形学部教授。 静岡県浜松市にて誕生。浜松市立高等学校を経て、1965年、東京藝術大学大学院を修了。その後、アメリカ合衆国ニューヨーク州に渡り、デザイン、版画といった美術への造詣を深める。帰国後は静岡県掛川市に居を構えアーティストとして活躍し、精力的に作品を発表する。 東京芸術大学では林武に油彩を学び、当時「最も影響を受けたのはゴーギャン」「版画の様々な制約の中自分が日常感じている矛盾、情念的なものをどれだけ表現出来るか」に意欲がわき、版画を志す。(「出会い」 静岡新聞 1982年1月12日) 東京芸術大学四年から大学院時代に、駒井哲郎に銅版画のてほどきをうける。
和田義彦(わだ よしひこ、1940年4月3日 - )は、日本… 和田義彦(わだ よしひこ、1940年4月3日 - )は、日本の画家。
下田 義寛(しもだ よしひろ 1940年3月30日 - )は… 下田 義寛(しもだ よしひろ 1940年3月30日 - )は富山県出身の日本画家。倉敷芸術科学大学名誉教授。 ※以下の出典は知足美術館ウェブサイトおよび倉敷芸術科学大学ウェブサイト。 富山県滑川市に生まれる。1963年に東京芸術大学を卒業して同大学大学院に進み、1965年に修了する。日本美術院院友に推挙される。1967年、安田靫彦の助手として法隆寺壁画再現模写に従事した。第52回院展で奨励賞・白寿賞受賞。 1978年、日本美術院同人に推挙される。1979年の第64回院展で文部大臣賞を受賞した。1981年、日本美術院評議員に推挙される。1983年の第68回院展で総理大臣賞を受賞した。 東京芸術大学助教授を経て、1995年、倉敷芸術科学大学芸術学部教授に就任する。
野田 哲也(のだ てつや、1940年(昭和15年) 3月5日… 野田 哲也(のだ てつや、1940年(昭和15年) 3月5日 - )は、日本の版画家。日本版画界を代表する版画家の1人。東京藝術大学名誉教授。熊本県出身。写真を使ったシルクスクリーンと木版を組み合わせて自身の日常の断片を描いた日記シリーズによる作品で知られる。洋画家の野田英夫は、伯父にあたる。 東京国立近代美術館 / 京都国立近代美術館 / 国立国際美術館 / 東京都現代美術館 / 和歌山県立近代美術館 / 三重県立美術館 / ニューヨーク近代美術館 / シカゴ美術館 / ボストン美術館 / サンフランシスコ美術館(英語版) / ロサンゼルス・カウンティ美術館 / 大英博物館 日々の生活の記録である日記をテーマとして、1968年から今日まで40年以上にわたり作品を制作。
大矢十四彦(おおや としひこ、 1940年- )は、新潟県長… 大矢十四彦(おおや としひこ、 1940年- )は、新潟県長岡市出身の日本画家。富貴蘭、芙蓉、花菖蒲、牡丹など花をモチーフとした作品を発表している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
村上 美奈子(むらかみ みなこ、1940年 - )は、日本の… 村上 美奈子(むらかみ みなこ、1940年 - )は、日本の建築家、都市計画家、一級建築士、再開発コーディネーター、再開発プランナー。まちづくり専門家。(株)計画工房主宰。専門分野は建築設計、地域、地区計画。住宅を中心とした建築設計から、住環境整備として地域計画に携わる。 公共事業の実績には国土交通省関連の障害者施策推進協議会、中央建設業審議会委員、東京都関連の住宅バリアフリー協議会副会長、墨田区景観アドバイザー、住宅政策審議会委員など多数歴任。杉並区でまちづくり関連審議会委員等を務める。 1940年広島県生まれ。1965年東京芸術大学建築科卒業。1967年同大学大学院修士課程修了。1969年計画工房設立、主宰、現在に至る。
西巻 茅子(にしまき かやこ、1939年〈昭和14年〉4月2… 西巻 茅子(にしまき かやこ、1939年〈昭和14年〉4月27日 - )は、日本の絵本作家・画家・イラストレーター。代表作は『わたしのワンピース』『ちいさなきいろいかさ』など。 1939年、東京都に生まれる。洋画家の山口猛彦を父とし、母フミとの間に次女として生まれた。 1945年9月、千葉県山武郡に転居、1946年4月に千葉で小学校に入学したが、6月には東京に戻った。1955年、東京都立駒場高等学校に入学した。 1964年、東京芸術大学美術学部工芸科を卒業し、世田谷区に子どもに絵を教える『子どものアトリエ』を開いた。大学卒業後、銀座の版画工房でリトグラフを学び、アルバイトをしながらリトグラフの作品を作っていた。
相笠 昌義(あいがさ まさよし、1939年2月18日 - )… 相笠 昌義(あいがさ まさよし、1939年2月18日 - )は、日本の画家。洋画家であり版画家である。 1972年作品の「見る人」から派生した「~をみる人」シリーズや、駅のホームを題材にした作品、日常風景を描いた作品などが主な代表作品である。 相笠 昌義は1939年、東京・日本橋で生まれた。1962年に東京芸術大学を卒業後、1960年代は版画やコラージュを中心に制作。1968年「文明嫌悪症連作」はカメラ雑誌から切り取った形体によるコラージュと、そこから展開する版画のシリーズで、人間が生み出す文明や人間の存在そのものへの嫌悪を諷刺的に表現した。 1970年、油彩による制作を再開。作風は一転して具象となり、個々の人間が時間に翻弄されながら存在するさまを描いた《時間差計画》のシリーズは、1970年代中頃から、駅や公園、動物園など、都会の中の群衆をテーマにした《日常生活》 へと移行。
荘司 貴和子(しょうじ きわこ、1939年 - 1979年6… 荘司 貴和子(しょうじ きわこ、1939年 - 1979年6月5日)は日本画家、抽象画家。 兵庫県神戸市生まれ。東京都立駒場高等学校芸術科を経て、1963年に東京芸術大学日本画科を卒業。高校の非常勤講師として絵画を教える傍ら制作活動に取り組み、新制作協会日本画部に出品、1973年と1974年には春季展賞を受賞した。1971年に結婚、夫の母である日本画家の荘司福とは共に取材旅行を行い制作に励む。1974年に結成された創画会にも出品を重ね、4年連続で春季展賞を受賞するなどしたが、1979年に腸癌で死去。享年39歳。 その作品は、加山又造により「稀有の才能に満ち」「日本画という制約の多いとも思える素材、技法で、日本画のみが可能と思える抽象作品を、地道に、しかも才能豊かに、一貫して発表しぬいて居られ」「胸をときめかして見たのである」と評された。
宮澤 利昭 (みやざわ りしょう、1938年5月28日 - … 宮澤 利昭 (みやざわ りしょう、1938年5月28日 - )は、日本の画家、イラストレーター、テレビ美術家。長野県安曇野市出身。 長野県松本県ヶ丘高等学校を経て東京芸術大学美術学部図案計画科卒業後、TBSに入社し、昭和を時代背景にした名作を数多く残した作家で脚本家の向田邦子、作家で演出家の久世光彦のテレビドラマの美術を担当する。 サロン・ド・プランタン賞受賞。パリ国際青年ビエンナーレ展出品ほか、個展9回、グループ展に多数出品。 サンケイ新聞婦人欄にイラストを連載したほか、池田弥三郎著『わが街銀座』等の挿絵、TV番組「日本レコード大賞」、水曜劇場「ムー一族」、「世界・ふしぎ発見!」等の美術を担当する。
山田 真巳(やまだ まさみ、1938年2月22日 - )は、… 山田 真巳(やまだ まさみ、1938年2月22日 - )は、日本の日本画家。東京都出身。本名同じ。
鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -202… 鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -2021年5月24日)は、日本の女性画家、浮世絵師、舞台美術家。鳥居派9代目当主。本名は、鳥居せつ子。鳥居派8代目・5代清忠の娘で、鳥居派で初の女性浮世絵師である。東京都町田市在住。日本舞台美術家協会会員、国際浮世絵学会会員、日本演劇協会会員木版画や鳥居派伝統の歌舞伎絵看板だけでなく、歌舞伎の衣裳や舞台美術も手がけ、舞台装置図のような立体図も制作。鈴本演芸場番組表の表紙絵も描いていた。 東京都出身。鳥居派8代目・5代清忠(言人)の娘として生まれる。幼少より家業の手伝いをしていたが、兄・元宏が映画監督の道に進んだため、鳥居派を滅ぼすまいとした父から画法を伝授された。
福井 爽人 (ふくい さわと、1937年9月20日 - )は… 福井 爽人 (ふくい さわと、1937年9月20日 - )は、日本画家。平山郁夫門下。北海道旭川市生まれ、小樽市育ち。 旭川市新町で福井貞一・チエの長男として生まれる。1939年より小樽市潮見台、1954年より琴似町字東牧場に住む。 北海道小樽潮陵高等学校から北海道札幌北高等学校に転入して卒業後、日本大学芸術学部に進学するが、東京芸術大学助手だった平山郁夫との出会いから芸大進学を決意。1961年に東京芸術大学美術学部日本画専攻に進学。芸大時代はボクシング部に所属するなどスポーツマンだった。同大学院修士課程修了後、芸大助手となり法隆寺金堂壁画再現模写に参加。1973年、イタリア初期ルネサンス壁画調査団員として初渡欧。
森本 草介(もりもと そうすけ、1937年8月14日 - 2… 森本 草介(もりもと そうすけ、1937年8月14日 - 2015年10月1日)は、日本の洋画家である。 1937年(昭和12年)、画家・森本仁平の長男として朝鮮全羅北道に生まれる。アジア・太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に内地へ帰ったものの再度朝鮮へ戻り、1945年(昭和20年)に日本が敗戦すると、一家での逃避行を強いられた。岩手・東京で育つ。子の森本純(1970- )も画家で美人画を描く。 1951年(昭和26年)墨田区立堅川中学校へ転入学。 1958年(昭和33年)、東京芸術大学絵画科油画専攻に入学し、在学中の1961年(昭和36年)に安宅賞を受賞した。 1962年(昭和37年)に大学を卒業すると専攻科に進んで翌年に修了、東京芸術大学の助手となった。
五月女 幸雄 Saotomé Yukio(さおとめ ゆきお、… 五月女 幸雄 Saotomé Yukio(さおとめ ゆきお、1937年2月18日 - )は、前衛美術出身、フランス在住の画家。 栃木県宇都宮市に生まれる。教師であった両親の下で、幼少時より絵を描き始める。栃木県立石橋高等学校に進み、社会科教諭・大島清次に出会う。後に栃木県立美術館および世田谷美術館の館長となる大島は、当時の社会状況や現代思想について、ことあるごとに生徒たちに語って聞かせていた。社会の実相を見つめる目、美術への志向がこうして養われていく。 蕨画塾(埼玉県蕨市)に入り、彫刻を長谷秀雄に、絵画を寺内萬次郎、金子徳衛に学ぶ。同じ頃彫刻家・石井鶴三に出会ってその芸術観に感動し、東京芸術大学彫刻科の石井教室を目指して数度の受験に臨むが入学は叶わず、最後に合格通知を受け取った埼玉大学教育学部の美術科に入学することとなった。