福士 則夫(ふくし のりお、1945年2月15日 - )は、… 福士 則夫(ふくし のりお、1945年2月15日 - )は、日本の現代音楽の作曲家。東京藝術大学非常勤講師、桐朋学園大学特任教授、東京音楽大学客員教授(2010年度)。日本作曲家協議会会員。 東京都生まれ。東京藝術大学卒業、同大学院修了。作曲を池内友次郎、矢代秋雄、諸井誠、三善晃に師事。1973年にフランス政府給費生としてパリ国立音楽院に留学し、オリヴィエ・メシアンに師事。 『三管オーケストラのための《抒情的二章》』が第39回日本音楽コンクール作曲部門入賞、『弦楽、フルート、打楽器のための《ZONE》』が1972年度文化庁芸術祭優秀賞、現代音楽を専門にする演奏団体として結成した「ヴァン・ドリアン」の功績により中島現代音楽賞(1983年)などを受賞。
川井 学(川井 學、かわい まなぶ、1944年12月4日 -… 川井 学(川井 學、かわい まなぶ、1944年12月4日 - )は、日本の作曲家、音楽教育者。 1967年、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。1972年、東京芸術大学大学院修士課程修了。1984年 - 1987年 桐朋学園大学助教授。 1988年 - 1992年 同大学教授。 1993年 - 1999年 東京芸術大学音楽学部作曲科助教授。 2000年 - 2012年 同大学教授(2003年-音楽学部長)。 作曲家としての他、音楽理論家としても活動。また武満徹のアシスタントも務めた。
池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう、1943年9月15日 -… 池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう、1943年9月15日 - )は、日本の作曲家。学位は芸術学修士(東京芸術大学・1971年)。一般社団法人全日本合唱連盟顧問、東京音楽大学名誉教授、文化功労者。本名:池邉 晋一郎(読み同じ)。 東京音楽大学音楽学部教授、東京音楽大学付属民族音楽研究所所長、横浜みなとみらいホール館長などを歴任した。 茨城県水戸市出身。幼少期は体が弱く、小学校就学が一年遅れるほどであったが読書にいそしみ、そして体調によってはピアノを弾き、家にあったピアノを使って独学していた。近所にあった立花隆の家と家族ぐるみで付き合いがあり、立花も池辺も互いの家の蔵書まで読んでいた。1963年、東京都立新宿高等学校卒業。
たかしま あきひこ(1943年5月24日 - 2016年10… たかしま あきひこ(1943年5月24日 - 2016年10月16日)は、日本の作曲家、編曲家。東京府(現:東京都)出身。 本名は高島 明彦(読み同じ)で、本名名義での作品も存在する。 1968年に東京藝術大学作曲科を卒業。山本直純門下生であり、山本が音楽を担当していたTBSのバラエティ番組『8時だョ!全員集合』では山本のアシスタントを務める。 1970年代からは、山本から役目を引き継いで『全員集合』の音楽を担当したほか、『ドリフ大爆笑』(フジテレビ)のテーマ曲やBGM、ザ・ドリフターズのオリジナル曲、および志村けんのバラエティ番組挿入曲などの作曲・編曲を手がける。またドリフターズ関連以外にも、テレビドラマ・テレビアニメや映画等の劇伴音楽、バラエティ番組のBGM、報道番組のテーマ曲、CMソング等の作曲・編曲を数多く手がけた。
玉木 宏樹(たまき ひろき、1943年〈昭和18年〉3月13… 玉木 宏樹(たまき ひろき、1943年〈昭和18年〉3月13日 - 2012年〈平成24年〉1月8日)は、兵庫県神戸市出身の作曲家、指揮者、ヴァイオリン演奏家。別名、多摩 零。 兵庫県神戸市に生まれ、6歳まで山の上の禅寺、その後は兵庫県武庫郡鳴尾村(現・西宮市)、小3から高校までは神戸市兵庫区石井町三丁目に住んだ。神戸市立平野小学校、神戸市立湊中学校(現・神戸市立湊翔楠中学校)卒業。中学時代は阪急今津線で甲東園のバイオリンの古武滋野のもとへ通っていた。 1965年、東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。在学中から東京交響楽団に所属して演奏家としての活動を開始。また、大学の先輩である山本直純に作曲と指揮を学んだ。
田鎖 大志郎(たくさり だいしろう、1942年 - )は日本… 田鎖 大志郎(たくさり だいしろう、1942年 - )は日本の作曲家。横浜国立大学名誉教授。 長野県松本市出身。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業、同大学院修了。作曲を石桁眞禮生に師事。 横浜国立大学教育学部教授を務めた。 作曲家の会《環》各会員。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
浦田 健次郎(うらた けんじろう、1941年12月15日 -… 浦田 健次郎(うらた けんじろう、1941年12月15日 - 2022年12月25日)は、日本の作曲家。東京都出身。 1964年東京芸術大学音楽学部器楽科(トロンボーン専攻)卒業。1969年同大作曲科卒業、1973年同大大学院修士課程修了。1975年より東京芸術大学音楽学部作曲科にて指導にあたり、2009年3月定年により退官。1969年、日本吹奏楽指導者協会作曲賞受賞。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
福田 和禾子(ふくだ わかこ、1941年11月28日 - 2… 福田 和禾子(ふくだ わかこ、1941年11月28日 - 2008年10月5日)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。東京都出身。父は流行歌手の松平晃。 東京学芸大学附属世田谷小学校・中学校、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。作曲を下総皖一、池内友次郎、矢代秋雄、いずみたくに師事。大学在学中から、父の親友であった藤山一郎の専属ピアニストとして活動。 大学卒業後の1964年から、NETテレビや東京12チャンネルの学校放送、およびNHK教育テレビジョンの子供番組の音楽の作曲・演奏を担当。『おかあさんといっしょ』や『いないいないばあっ!』、『みんなのうた』等の楽曲を数多く手がけた。
宮下 伸(みやした しん、1941年11月5日 - )は、日… 宮下 伸(みやした しん、1941年11月5日 - )は、日本の箏・三十絃演奏家、作曲家。東京生まれ。財団法人日印協会理事、中央教育審議会専門委員、元創造学園大学副学長、元堀越学園理事、宮下伸箏曲研究所主宰などを歴任した。 5歳より、父である山田流箏曲演奏家・作曲家の初世宮下秀冽より箏曲のてほどきを受ける。1964年に東京藝術大学を卒業(在学中、安宅賞受賞)。卒業後、NHK邦楽育成会第9期を首席で修了。NHK「全国今年のホープ」に選ばれる。 1968年、第1回芸術選奨新人賞受賞。1973年、「宮下伸 箏・三十弦リサイタル」の演奏、作曲により文化庁芸術祭大賞を受賞。1975年以降は、各国の招待や外務省派遣の文化特使として、ウィーンをはじめ世界各国で公演した。
木村 雅信(きむら まさのぶ、1941年10月5日 - 20… 木村 雅信(きむら まさのぶ、1941年10月5日 - 2021年6月27日 )は日本の作曲家、ピアニスト。 中国河北省石門市(現、石家荘市)で生まれ、種子島に育つ。東京芸術大学・大学院で学び1970年に修了。作曲は長谷川良夫と小倉朗に師事。1972年、札幌大谷短期大学専任講師に就任。同短期大学の助教授・教授、札幌大谷大学音楽学部教授を歴任。1964年、第33回日本音楽コンクール第3位、1973年に第2回モスクワ国際バレエコンクール最優秀伴奏ピアニスト賞、2006年に札幌芸術賞。などの受賞歴がある。国内、中国、ロシア、ヨーロッパ、オーストラリアなどで作品が演奏されており、札幌現代音楽展(歴代の同人に座光寺公明、保木誠、泉史夫、蛯子元、小林隆一、出路茂子、吉田均、兵井秀和、小森俊明らが名を連ねる)を主宰していた。
野田 暉行(のだ てるゆき、1940年6月15日 - 202… 野田 暉行(のだ てるゆき、1940年6月15日 - 2022年9月18日)は、日本の作曲家。東京藝術大学名誉教授。 三重県津市に生まれる。高校時代、放送委員としてさまざまなクラシック音楽のレコードに触れたことがきっかけとなって作曲家になることを決意し、独学でピアノ練習や交響曲などの作曲を試みる傍ら、1959年、池内友次郎の許を訪ねて本格的に作曲理論の勉強を開始する。1964年、東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、1967年、東京藝術大学大学院修了。池内友次郎、矢代秋雄、島岡譲に師事。在学中の1963年、日本音楽コンクール第1位。 類いまれな和声感や構造性、真髄を捉えた旋律は国内外からも非常に高く評価され頻繁に演奏されている。
小林 研一郎(こばやし けんいちろう、1940年(昭和15年… 小林 研一郎(こばやし けんいちろう、1940年(昭和15年)4月9日 - )は、日本の作曲家、指揮者。愛称は「(炎の)コバケン」、通称「炎のマエストロ」。 福島県石城郡小名浜町(合併により磐城市、いわき市へと変遷)生まれ。高校の体育教諭の父・正毅と小学校教諭の母・喜代子の長男として生まれる。父親は若い日に音楽家になることを目指したが挫折、家には多くの楽譜や音楽書籍があった。小学校3、4年生の頃、ラジオから流れてきたベートーヴェンの交響曲第9番を聴いて感動し、父親の持っている楽譜を見ながら独学で楽典の勉強を開始。小学5年生の時には、石川啄木の短歌「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」によるピアノ伴奏付きの歌曲を作曲するほどの腕前になる。
吉崎 清富(よしざき きよとみ、1940年 - )は、日本の… 吉崎 清富(よしざき きよとみ、1940年 - )は、日本の現代音楽作曲家。 秋田県大館市生まれ。中学卒業と同時に上京し、桜美林高等学校卒業。東京芸術大学卒業、同大学院修了。作曲を下総皖一、石桁眞禮生に師事。ドイツ政府給費留学生としてベルリン国立音楽大学に留学。ボリス・ブラッハー、ジェルジ・リゲティに学ぶ。在学中の69、70、72年、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会に参加。ヴィオッティ国際音楽コンクール、ベルリン国際作曲コンクールなどの国際コンクールで入賞を果たす。同大卒業後、ベルリン工科大学電子音楽スタジオ研究員に着任。79年、スタンフォード大学コンピュータ音楽セミナーに参加。 鹿児島大学講師着任後、東京学芸大学教授、国立音楽大学講師、鹿児島大学教授を歴任。
中田 直宏(なかた なおひろ、1939年6月2日 - )は、… 中田 直宏(なかた なおひろ、1939年6月2日 - )は、日本の作曲家。愛知県出身。 名古屋市に生まれる。小学校から中野二郎に音楽を学ぶ。名古屋市立菊里高等学校卒業。東京芸術大学で作曲を長谷川良夫に師事した。 東京芸大卒業後は福岡教育大学、愛知県立芸術大学、愛知教育大学で教育に携わりながら作曲活動、指揮活動を続けた。 著名な教え子には帰山栄治、中村滋延、藤掛廣幸、等がいる。 1994年ロシア・クラスノダール市芸術賞、2006年佐川吉男音楽奨励賞受賞。 福岡県公立古賀竟成館高等学校・校歌 豊田市立竜神中学校・校歌
藤原 義久(ふじはら よしひさ、1939年〈昭和14年〉1月… 藤原 義久(ふじはら よしひさ、1939年〈昭和14年〉1月 - 2025年〈令和7年〉6月3日)は、日本の作曲家。山形大学名誉教授。 東京都出身。学習院初等科、学習院中・高等科を経て、1962年(昭和37年)に東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業後、パリ国立高等音楽院で作曲を学ぶ。 学習院中・高等科教諭、山形大学教育学部教授、学習院大学文学部哲学科非常勤講師、聖霊女子短期大学非常勤講師、東北芸術工科大学非常勤講師、東京音楽大学非常勤講師を経て、山形大学名誉教授。 2025年(令和7年)6月3日18時45分、東京都内の自宅で死去。86歳没。死没日付で従四位に叙され、瑞宝中綬章を受章した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
塩見 允枝子(しおみ みえこ、1938年12月13日 - )… 塩見 允枝子(しおみ みえこ、1938年12月13日 - )は、作曲家、造形作家、詩人。 1938年に岡山県岡山市で生まれる。1961年に東京藝術大学楽理科を卒業。作曲を長谷川良夫、音楽理論を柴田南雄に師事。在学中より「グループ音楽(英語版)」の一員として小杉武久、水野修孝、刀根康尚等と作曲・演奏活動を開始している。ナム・ジュン・パイクにフルクサスを紹介され、1964年に渡米しフルクサスに参加した。翌年帰国、1970年の結婚後は大阪を拠点にした。1990年代以降は電子テクノロジー音楽に傾倒。音楽と視覚、言語表現を融合させた藝術を追求し続けている。2014年(平成24年)4月京都市立芸術大学芸術資源研究センター特別招聘研究員。
甲斐 説宗(かい せっしゅう、1938年11月15日 - 1… 甲斐 説宗(かい せっしゅう、1938年11月15日 - 1978年10月31日)は、日本の現代音楽の作曲家。兵庫県三田町(現在の三田市)出身。 東京藝術大学作曲科で長谷川良夫に師事。卒業後、当時の西ドイツのベルリン音楽大学で主にボリス・ブラッハー、ヨーゼフ・ルーファーに師事。ブラッハーと合作をするほどの仲のよさであった。ジェルジ・リゲティのレッスンも受けた。後に東京学芸大学で教え、嶋津武仁や井上郷子などの優れた後進を指導した。1969年、ヴィオッティ国際音楽コンクール入賞。1970年、ベルリン国際作曲コンクール入賞。 寡作ながらも評価の高い作品を作り続けたが、1978年に心不全及び甲状腺癌の肺転移により39歳で世を去る。
八村義夫(はちむら よしお、1938年10月10日 - 19… 八村義夫(はちむら よしお、1938年10月10日 - 1985年6月15日)は、日本の現代音楽の作曲家。東京都出身。 9歳よりヴァイオリンを習い始め、「桐朋学園子供のための音楽教室」に入室。柴田南雄、入野義朗らに聴音、音楽理論、ソルフェージュ等の指導を受ける。中学より作曲とピアノを松本民之助に師事。1954年に東京都立駒場高等学校芸術科にヴァイオリン専攻として入学。 1957年に東京芸術大学作曲科に入学。在学中に、「オーケストラのためのレントとアレグロ」が第29回音楽コンクールにて第3位を受賞。島岡譲に師事し、1961年に東京藝術大学を卒業。芸大卒業後は都立高校の非常勤講師、東京理科大学のオーケストラ部の指導などで生計を立てていたが、和声への研鑽を深めるべく、東京芸大大学院に入学。
飯沼 信義(いいぬま のぶよし、1938年9月20日 - )… 飯沼 信義(いいぬま のぶよし、1938年9月20日 - )は、日本の作曲家。 長野県南安曇郡豊科町(現在の安曇野市)出身。長野県松本深志高等学校を卒業後、東京芸術大学音楽学部作曲科に進学、同専攻科修了。作曲を石桁眞禮生、ピアノを安藤仁一郎、小田雪江、遠山ゆや、指揮法を山田一雄にそれぞれ師事。 第32回日本音楽コンクール入賞。1964年より桐朋学園大学にて教鞭をとる。現在、桐朋学園大学名誉教授。日本現代音楽協会、日本作曲家協議会、作曲家の会《環》各会員。 学校向けの合唱作品が多い。
二代目 野坂 操壽(にだいめ のさか そうじゅ、1938年4… 二代目 野坂 操壽(にだいめ のさか そうじゅ、1938年4月18日 - 2019年8月27日)は、日本の箏曲家、作曲家。位階は従四位。勲等は旭日中綬章。学位は音楽修士(東京芸術大学)。文化功労者。本名、および、旧芸名は野坂 惠子(のさか けいこ)。名の「壽」「惠」は旧字体のため、二代目 野坂 操寿(にだいめ のさか そうじゅ)、野坂 恵子(のさか けいこ)と表記されることもある。 日本音楽集団団員、東京芸術大学音楽学部講師、桐朋学園芸術短期大学芸術科教授、生田流箏曲松の実會主宰、生田流協会理事、公益社団法人日本三曲協会常任理事などを歴任した。 1938年4月生まれ、東京府出身。母である箏曲家の初代野坂操壽から指導を受けた。
沢井 忠夫(さわい ただお、1937年12月16日 - 19… 沢井 忠夫(さわい ただお、1937年12月16日 - 1997年4月1日)は、日本の箏曲家、作曲家。沢井箏曲院の創始者。妻は沢井一恵で、息子は沢井比河流。 愛知県中島郡(現在の一宮市)で尺八家の名家に生まれ、箏を始めたのは小学5年生だった(一度、宮城道雄に師事するが、その後すぐに宮城が亡くなる)。1960年に東京芸術大学邦楽科を、1962年に専攻科を卒業。大学在学中にNHK「全国今年のホープ」に選ばれた。 高校時に作曲を始め(最初に形がなった曲が"雪ものがたり"であった)その後、清水脩の元で作曲を師事した。 1964年に青木鈴慕・伊藤松博・高野和之・杵屋栄三郎・山本邦山と「民族音楽の会」を結成。
川口 真(かわぐち まこと、1937年11月5日 - 202… 川口 真(かわぐち まこと、1937年11月5日 - 2021年10月20日)は、日本の作曲家、編曲家。兵庫県神戸市出身。本名:川口 眞弘(かわぐち まさひろ)。 幼少期は岡山県倉敷市、岡山市育ち。岡山県立岡山操山高等学校を卒業後、東京芸術大学に進学した。 東京芸術大学音楽学部楽理科に2年在籍したのち、作曲科へ転科。在学中から越路吹雪のバックバンド「クレール・ド・シャルム」のピアニストとして活動。その傍らでいずみたくの事務所で編曲のアルバイトも行っており、ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』で編曲家としてデビュー。そのまま本業となったため、大学は4年で中退。 1966年、ザ・ベンチャーズが作曲した「二人の銀座」(歌:和泉雅子・山内賢)の編曲を担当。
平 義久(たいら よしひさ、1937年6月3日 - 2005… 平 義久(たいら よしひさ、1937年6月3日 - 2005年3月13日)は、日本の作曲家。生涯の大半をパリで過ごした。 1937年、東京都生まれ。東京藝術大学を経て、フランスのパリ音楽院でアンリ・デュティユー、アンドレ・ジョリヴェ、オリヴィエ・メシアンらに作曲を学ぶ。1971年に作曲クラス一等賞を得て同院を卒業し、同年リリー・ブーランジェ賞を受賞してパリの楽団にデビューする。その後そのままパリに居住し、作曲活動を続けた。またエコール・ノルマル音楽院の作曲科教授として多くの後進の指導に当たった。日本人生徒では山下恵、斉木由美、三浦則子、法倉雅紀、岸野末利加、岡谷かおりなどが挙げられる。台湾人生徒では連憲升、楊金峯、王思雅、陳兪州などが挙げられる。
末吉 保雄(すえよし やすお、1937年3月6日 - 201… 末吉 保雄(すえよし やすお、1937年3月6日 - 2018年8月20日)は、日本の現代音楽の作曲家。 東京出身。東京芸術大学、パリ・エコールノルマル音楽院作曲科卒業。作曲を石桁真礼生、ピアノを豊増昇に師事。1965年フランス国立放送音楽研究所講習生。 作曲に加えて、東京芸術大学、桐朋学園大学などの教員として、またNHK音楽教育番組への出演、企画などによる教育活動に携わった。 日本現代音楽協会名誉会員、日本フォーレ協会会員、日本セヴラック協会会員、OTOの会顧問を務めた。 2018年8月20日、十二指腸がんのため死去。81歳没。
城間 繁(しろま しげる、1937年1月8日 - 2005年… 城間 繁(しろま しげる、1937年1月8日 - 2005年11月17日)は昭和時代の日本およびアメリカ合衆国(米国)施政権下の沖縄で活動した声楽家、作曲家。琉球大学教授。 1937年(昭和12年)、沖縄県首里市(現在の那覇市首里)に生まれる。1961年(昭和36年)に東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業の後、東京混声合唱団に所属した。 1966年(昭和41年)に東京混声合唱団を退団し米国施政権下の沖縄へ帰郷、琉球大学教育学部教授に着任する。1967年(昭和42年)、琉球放送の公開番組『オキコワンワンチャンネル』内のコーナー「みんなで歌おう」内の楽曲を監修。1972年(昭和47年)5月15日の沖縄返還(本土復帰)と同日に制定された「沖縄県民の歌」を始め、県内の市町村歌や校歌、イベントのテーマソングなどを精力的に作曲し、沖縄県内の音楽文化振興に務めた。
竹内 邦光(たけうち くにみつ、1937年 - )は、日本の… 竹内 邦光(たけうち くにみつ、1937年 - )は、日本の作曲家。 東京都出身。長野県諏訪郡豊平村(現・茅野市)育ち。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。同大学在学中にNHK洋楽オーディションに合格しピアニストとして活動を始める。NHK学校放送番組「ことばと文学 浄瑠璃寺の春」の附帯音楽の作曲を手がけ作曲活動を始める。1968年信州大学教育学部教授。その後、昭和音楽大学音楽学部作曲学科(現・音楽芸術表現学科作曲・音楽デザインコース)教授として長年、ピアノ、楽曲分析、楽式論、対位法、和声等の講義を担当。「音楽旬報」の評論スタッフとして多くの演奏家評論を著した。門下生に、岩下哲也、横島浩、若林千春がいる。
矢野 義明(やの よしあき、1936年12月15日 - )は… 矢野 義明(やの よしあき、1936年12月15日 - )は、日本の作曲家。 東京都新宿区内藤町で育ち、小学校2年時に神奈川県逗子市新宿へ疎開する。 学習院初等科、逗子市立逗子小学校、逗子中学、県立横須賀高校、東京芸術大学ピアノ科(中退)で学び、弘田龍太郎、川島英子、五十嵐光子、加藤秋子、松浦豊明、田村宏からピアノを、團伊玖磨から作曲を学ぶ。 1974年、團伊玖磨指揮で東京交響楽団と共に、中国の「黄河協奏曲」を日本初演する。山崎陽子脚本の朗読ミュージカル「とぎれた子守歌」「幻の肖像画」で作曲を担当し、「とぎれた子守歌」を含む「山崎陽子の世界IV」で、平成13年度文化庁芸術祭大賞を受賞する。 自作品のピアノリサイタルや地域コンサートの他に、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、神奈川交響楽団、鎌倉交響楽団、横須賀交響楽団と協奏曲を共演する。
保科 洋(ほしな ひろし、1936年1月31日 - )は、日… 保科 洋(ほしな ひろし、1936年1月31日 - )は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。 東京都生まれ。1960年東京芸術大学作曲科卒。作曲を長谷川良夫、指揮法を渡邉暁雄に師事。卒業作品にて第29回毎日コンクール作曲部門(管弦楽)で第1位受賞。以後作曲活動の傍ら、東京音楽大学、愛知県立芸術大学、兵庫教育大学で教鞭をとり、兵庫教育大学名誉教授。作陽音楽大学客員教授、浜松アクト音楽院音楽監督を歴任。日本バンドクリニック委員会名誉顧問。作品は管弦楽曲、オペラ、室内楽、ミュージカルなど幅広く、吹奏楽では日本を代表する作曲家の一人。 管弦楽分野では、1966年より岡山大学交響楽団の常任指揮者となり、同団を全国的な水準へ押し上げた。
鵜崎 庚一(うざき こういち、1935年10月21日 - 2… 鵜崎 庚一(うざき こういち、1935年10月21日 - 2025年6月8日)は、日本の作曲家・音楽教育家。 1935年10月21日、東京都目黒区に生まれる。父は政治家の鵜崎多一、祖父は日本メソジスト教会初代監督の鵜崎庚午郎、曽祖父は姫路藩士で漢学者の鵜崎久平。 幼い頃より教会音楽に触れる。中学生の頃、妹のピアノレッスンの付き添いがきっかけとなり、ピアノ、和声の勉強を始める。 東京芸術大学音楽学部作曲科にて、作曲を池内友次郎、矢代秋雄、理論を島岡譲、指揮を金子登、ピアノを徳川愛子各氏に師事。 1964年3月 作曲、理論を学ぶためフランス・パリへ留学。作曲をトニー・オーバン、フーガをマルセル・ビッチュ、対位法・コラールをノエル・ギャロン各氏に師事。
嵐野 英彦(あらしの ひでを、1935年6月6日 - 201… 嵐野 英彦(あらしの ひでを、1935年6月6日 - 2016年10月14日)は、日本の作曲家。多くのCMソング、『鉄人28号』『遊星仮面』『遊星少年パピイ』などのアニメ、石原裕次郎主演の映画音楽で名をあげた。 京都生まれ。松本民之助に師事していた東京芸術大学作曲科の在学中、朝日放送「クレハホームソングコンテスト」に応募。三木鶏郎にスカウトされた。 三木鶏郎音楽工房の作曲・編曲家として活躍、サウンドロゴやインフォマティブ・ソングという新しいCM音楽のスタイルを作り出す。森永製菓のリコーダー1本のCM"ピポピポ"は彼の作。日本のCM音楽を代表する作曲家。ACC賞、日本音楽コンクール入選、文部科学省社会教育功労賞など。
原 嘉壽子(はら かずこ、1935年2月10日 - 2014… 原 嘉壽子(はら かずこ、1935年2月10日 - 2014年11月30日)は、日本のオペラ作曲家。本名は原和子。 東京府出身。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、同専攻科修了。ベネデット・マルチェッロ音楽院声楽科卒業。池内友次郎、デュティユー、コラデッティらに師事。元同志社女子大学教授。芸術選奨文部大臣賞、ジロー・オペラ賞、紫綬褒章、旭日小綬章などを受賞している。 1978年から1999年の間に18曲のオペラを作曲した。多くは日本オペラ振興会または二期会によって東京で初演されたが、イタリアでも上演された作品がある。全般的には日本の主題を好んで用いるが、2作目のオペラはシャーロック・ホームズを題材とするもので、また1999年には新国立劇場でドストエフスキーの「罪と罰」の大規模オペラを上演した。
早川 正昭(はやかわ まさあき、1934年1月7日 - 20… 早川 正昭(はやかわ まさあき、1934年1月7日 - 2024年8月20日)は、日本の作曲家、指揮者。広島大学名誉教授、新ヴィヴァルディ合奏団常任指揮者。 千葉県市川市出身。早くから音楽の才能を示し、6歳で最初の曲を書いた。東京都立両国高等学校を経て、東京大学で農学を学んだ後、東京芸術大学で長谷川良夫に作曲を、渡邉暁雄に指揮を学び、1960年に卒業した。 1961年に東京ヴィヴァルディ合奏団を創立し、日本のみならずヨーロッパ各地で公演を行った。 1978年にはウィーンとミュンヘンに留学し、バロック音楽を研究した。 1979年、東京ヴィヴァルディ合奏団のトップメンバーらとともに新ヴィヴァルディ合奏団を設立。
越部 信義(こしべ のぶよし、1933年8月21日 - 20… 越部 信義(こしべ のぶよし、1933年8月21日 - 2014年11月21日)は、日本の作曲家、編曲家。東京都出身。 子ども向けの楽曲や童謡をはじめ、テレビ・CM・舞台など幅広いジャンルで活躍。NHKのテレビ番組『おかあさんといっしょ』で楽曲制作を約40年にわたり担当したほか、テレビアニメ『サザエさん』の劇伴(BGM)を作曲したことでも知られた。代表作は「おもちゃのチャチャチャ」など。 中学生の頃からピアノのバイエルをはじめる。本人いわく「普通の音楽家より始める時期は遅かった」とのこと。その後、高校在学時にクラシック音楽の作曲家を志す。 1957年、東京藝術大学作曲科卒業。在学時は池内友次郎に師事する。
有馬 礼子(ありま れいこ、1933年5月5日 - )は、東… 有馬 礼子(ありま れいこ、1933年5月5日 - )は、東京府出身の作曲家、編曲家。東京音楽大学名誉教授。本名は日暮禮子。師匠は下総皖一、伊福部昭。祖先に有馬晴信。著名な教え子に作曲家の神山奈々、福島弘和らがいる。 1933年5月5日に東京市中野区に生まれる。家族と満州に移住したが、1946年に帰国した。高校在学時に演劇部で作曲した曲が評価されたことを契機に、東京芸術大学音楽部作曲科に入学し、下総皖一に師事する。卒業後に東京音楽大学へ勤務し、学長に就任した伊福部昭に弟子入りした。1965年から1968年に日本コロムビアのディレクターを兼務する。音楽理論、民俗音楽の研究を行い、戦後日本の女性作曲家の先駆的存在として数多くの作品を手掛けた。
萩原 英彦(はぎはら ひでひこ、1933年3月30日 - 2… 萩原 英彦(はぎはら ひでひこ、1933年3月30日 - 2001年10月16日)は、日本の作曲家。東京都生まれ。元武蔵野音楽大学作曲科教授。 1947年より、團伊玖磨の下で和声法、作曲法を学ぶ。その後、東京芸術大学音楽学部作曲科に入学し、1956年卒業。作曲を池内友次郎に、ピアノを永井進に師事。 「光る砂漠」「白い木馬」「抒情三章」など合唱の分野で盛んに活動する。破綻のない演奏しやすい音楽が特徴で、調性感のあるいわゆる保守的作風を示す。フォーレの「レクイエム」をはじめとして、フランスのピアノ曲、歌曲、合唱曲の校訂にもたずさわった。 ()内の人物は作詩者。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
原 博(はら ひろし、1933年1月24日 - 2002年2… 原 博(はら ひろし、1933年1月24日 - 2002年2月13日)は、日本の作曲家。 埼玉県熊谷市の材木商の家に生まれる。友人の伝手で池内友次郎に師事し、東京芸術大学に入学、1957年に同大を卒業。1958年、日本音楽コンクール室内楽部門第3位。1961年から渡仏し、パリ国立高等音楽院でシモーヌ・プレ=コサード、ジャン・リヴィエに師事、ニースでアレクサンドル・チェレプニン、アンリ・デュティユーにも師事した。1962年、クラリネット五重奏曲がニース国際作曲コンクール第1位。1963年の冬からヴェネツィアに移るも、1964年3月に帰国した。その後、作品発表会等をはじめとして活発な音楽活動をする。
川島 博(かわしま ひろし、1933年 - 2018年2月1… 川島 博(かわしま ひろし、1933年 - 2018年2月18日)は、日本の作曲家。 栃木県足利市出身。東京芸術大学で長谷川良夫に作曲を師事した後、桐朋学園大学研究生指揮科を修了した。愛知教育大学教授と名古屋音楽大学教授を歴任し、現在は愛知教育大学名誉教授。 2013年11月瑞宝中綬章受章。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
金光 威和雄(こんこう いわお、1933年 - 2022年3… 金光 威和雄(こんこう いわお、1933年 - 2022年3月21日)は日本の作曲家。東京都生まれ。 1957年、東京芸術大学作曲科卒業。翌年同専攻科修了。 日本音楽コンクールにおいて、第26回、第27回の作曲・管弦楽の部で第2位受賞。 1964年、第1回エレクトーンコンクール作曲部門で第3位入賞。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
山本 正美(やまもと まさみ、1932年〈昭和7年〉12月2… 山本 正美(やまもと まさみ、1932年〈昭和7年〉12月25日 - 2003年〈平成15年〉4月12日)は、日本の作曲家。山本直純の妻。作曲家の山本純ノ介は長男、チェリストの山本祐ノ介は二男。東京藝術大学作曲科卒業。1981年、48歳にして長男の純ノ介と共に東京藝術大学大学院に入学し、話題となった。 岡本 正美(おかもと まさみ)名義で交響曲から歌曲・合唱曲まで幅広く手がけたが、その作風は、夫・直純の大衆に幅広く受け入れられるような作風とは違い、やや難解と見られがちな前衛風な響き、構成の作品が多い。上皇后美智子の詞に曲づけした「ねむの木の子守歌」が一般的によく知られている。 遠縁に吉永小百合がいる(山本正美の妹の夫の母が、吉永の母の従兄弟の妻と姉妹同士)という情報があるが、事実ではない。
山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - … 山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - 2002年6月18日)は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。東京都出身。 東京五反田の至誠病院に生まれ、中野区や大田区や豊島区などを転々として育つ。幼児期から父の山本直忠、山田和男(一雄)らによって徹底した早期音楽英才教育を施されたほか、自由学園で羽仁協子や久山恵子、林光、三善晃などと共に早期音楽教育を受ける。自由学園時代の学友の一人に渡辺岳夫がいる。指揮は高校時代から自由学園を借りて毎週日曜に開かれていた齋藤秀雄指揮教室で齋藤秀雄に師事。同時期の同門に、尾高忠明、飯守泰次郎、秋山和慶、小澤征爾、村方千之、久山恵子らがいる。小澤は後に、「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。
永冨 正之(ながとみ まさゆき、1932年10月13日-20… 永冨 正之(ながとみ まさゆき、1932年10月13日-2020年12月17日)は、日本の現代音楽の作曲家、音楽教育家。東京芸術大学名誉教授。永富正之とも表記される。妻はピアニストの永冨和子。 1932年兵庫県西宮市生まれ。東京芸術大学音楽学部作曲科に学び、池内友次郎、伊福部昭に師事。一級下に作曲家の助川敏弥がいる。1954年に管弦楽作品「演奏会用アレグロ」が第23回日本音楽コンクール作曲部門第3位に入選する。1955年卒業。 1959年フランスに留学、パリ国立高等音楽院に学び、トニー・オーバン、アンリエット・ピュイグ=ロジェに師事。ピュイグ=ロジェに師事した外国人学生は永冨が第1号であった。同時期に留学していた作曲家には篠原眞がいる。
川崎 祥悦(かわさき しょうえつ、1932年(昭和7年)9月… 川崎 祥悦(かわさき しょうえつ、1932年(昭和7年)9月29日 - )は、日本の作曲家。青森県出身。東京藝術大学音楽部作曲科卒業。多くの合唱曲を作曲している。作曲家の川崎絵都夫は息子にあたる。
端山 貢明(はやま こうめい、1932年〈昭和7年〉4月28… 端山 貢明(はやま こうめい、1932年〈昭和7年〉4月28日 - 2021年〈令和3年〉5月11日)は、日本(東京都出身)の作曲家、メディア研究者、東北芸術工科大学名誉教授。 1932年、東京に生まれる。東京藝術大学音楽学部在学中に、『ヴィオラ協奏曲』(1955)を作曲し文化庁芸術祭文部大臣賞を受賞。同大学卒業後、1957年、フランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立音楽院でオリヴィエ・メシアンらに学ぶ。 1959年帰国し作曲を続ける。NHKの放送音楽、映画音楽なども手掛ける。また、芸術的表現と社会的コミュニケーションのメディアとしてのコンピュータに着目した研究活動に取り組む。1969年、『ピアノと管弦楽のための交響的変容』が文化庁芸術祭ラジオ音楽の部優秀賞を受賞。
坂本 博士(さかもと ひろし、1932年3月28日 - 20… 坂本 博士(さかもと ひろし、1932年3月28日 - 2022年12月3日)は、日本のバリトン歌手、作曲家、音楽教育者。東京府出身。 1954年、東京藝術大学声楽科卒業。 声楽を城多又兵衛、リア・フォン・ヘッサート(独)、ガエターノ・コメッリ(伊)に、ピアノを水谷達夫、作曲を下総皖一、指揮を金子登、渡邉暁雄に師事。 1957年、藤原歌劇団公演「ラ・ボエーム」マルチェロ役でデビュー。 1960年代初頭ごろ、高島一恵に音楽を教えていた。 1963年から1964年にかけて放送されたNHK総合テレビの音楽番組「歌おう世界の友よ」で歌と司会を担当。 1969年、サカモト・ミュージック・スクールを設立し校長に就任する。
柳川 直則(やながわ なおのり、本名:柳川 正祐(やながわ … 柳川 直則(やながわ なおのり、本名:柳川 正祐(やながわ まさすけ)、1932年3月28日 - )は、日本の作曲家、合唱指揮者。 東京都出身。東京芸術大学声楽科卒。声楽を畑中良輔、畑中更予、作曲を松本民之助、指揮を渡辺暁雄に師事。1959年、第二次イタリアオペラ日本公演に出演、大歌手を間近に接し大きな示唆を受ける。東京室内歌劇場の副指揮者も務めた。1957年、自身が指揮者を務める合唱団の連合会を提唱し、当初は6団体で結成。クールスィスと命名し、26回の演奏会の後、解散。この間東京交響楽団他のオーケストラ、室内楽団、中澤桂・立川澄人ら著名ソリストで、ハイドンのオラトリオ四季、ブラームスの哀悼歌および運命の歌、モーツァルト、フォーレ、ケルビーニ等のレクイエムを指揮。
小野崎 孝輔(おのざき こうすけ、1931年8月28日 - … 小野崎 孝輔(おのざき こうすけ、1931年8月28日 - 2017年11月11日)は、日本の作曲家、編曲家。秋田県出身。 1954年東京芸術大学楽理科卒業。作曲家、編曲家、指揮者、伴奏者として活動。小椋佳の初期作品やペギー葉山の作品等を手がける。20年にわたりヤマハ世界歌謡祭の音楽監督と指揮を務めたほか、読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団とのコンサートや、昭和のNHK番組「音楽の花ひらく」「音楽は世界をめぐる」他クラシック音楽を世に広める番組で編曲及び指揮。1992年には福岡市民芸術祭「世界のうた」や、1995年には「ときめく愛のうた」の指揮、編曲を担当するなど、幅広い分野で活動した。
外山 雄三(とやま ゆうぞう、1931年5月10日 - )は… 外山 雄三(とやま ゆうぞう、1931年5月10日 - )は、日本の指揮者・作曲家。東京市牛込区(現在の東京都新宿区)出身。東京藝術大学音楽学部作曲科卒。父は作曲家の外山國彦。弟は声楽家・合唱指揮者の外山浩爾。
助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 20… 助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 2015年9月26日)は、日本の作曲家・音楽評論家・雑誌編集者。 1930年札幌市生まれ。1948年北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て1952年東京芸術大学音楽学部作曲科入学。上京するまでは音楽全般の基礎を荒谷正雄に、東京芸術大学では池内友次郎に師事する。 1954年日本音楽コンクール作曲部門において第一位と特賞受賞。1957年同学を卒業。林光、間宮芳生、外山雄三の結成した作曲家同人「山羊の会」に参加。1960年に「オーケストラのためのパルティータ」で文部省芸術祭奨励賞を受賞したのをはじめとして後々まで数々の賞を獲得。
寺島 尚彦(てらしま なおひこ、1930年7月4日 - 20… 寺島 尚彦(てらしま なおひこ、1930年7月4日 - 2004年3月23日)は、日本の作詞家、作曲家。洗足学園音楽大学教授。娘はソプラノ歌手の寺島夕紗子。
原田 甫(はらだ はじめ、1930年1月20日 - 1993… 原田 甫(はらだ はじめ、1930年1月20日 - 1993年12月5日)は、日本の作曲家。 北海道旭川市出身。中学時代に伊福部昭の《交響譚詩》を聴いたことから作曲を志す。伊福部と同じ札幌第二中学校、札幌西高等学校を経て、1951年4月東京音楽学校作曲科(1952年に東京藝術大学音楽学部となる)に入学し、当時講師をつとめていた伊福部昭に師事するが、伊福部が辞任すると中退する。伊福部の映画音楽制作を手伝うようになり NHK電子音楽スタジオを利用していた 黛敏郎のアシスタントをつとめ、自身の記録映画音楽の作曲に携わり『海壁』『ぬれる』など多くの作品を手がける。 記録映画音楽、テレビドキュメンタリーの音楽などで活躍する一方、純音楽の分野では、《ギター・ソナタ》、《第一シンフォニー》などの作品があり、ギター曲は現在でも演奏されることが多い。